夜も更けた頃、俺は仕事を終えてオフィスビルを出た。その瞬間、数人の武装した男たちが俺を取り囲んだ。一目で全員がヤクザだと分かった。
「なんだ?」
俺が問いかけると、男たちの背後から新人社員の須藤が現れた。
「お前、墓だな」
須藤は大爆笑しながら言い放った。俺は驚いて一瞬動きを止めた。
「はっ、ビビってるよ。いい気味だな」
須藤はそれを恐怖から来るものだと思ったのか、嬉しそうにニヤニヤと笑っている。
「お前ここで終わりだぜ。じじいがいい気になると痛い目見るんだよ」
俺を取り囲むヤクザたちもニヤニヤと笑いながら口々に言った。その中のリーダー格と思われる人物の顔に見覚えがあった。
「お前、須藤組だな。そうか。須藤、お前、勝也さんの息子か」
「はあ?」
「今すぐお前の親父と幹部全員呼べ」
俺の名前は白川正。40歳。中間管理職という立場上、トラブルも多いが、取引先の信頼を得るために誠実に仕事をこなすことを日々心がけている。家庭では妻と2人の子供が待っており、休日には家族と過ごすことが一番の楽しみだ。
そんな平穏な日々に変化が訪れたのは1ヶ月ほど前。うちの部署に新入社員の須藤がやってきたのが全ての始まりだった。
「須藤です。よろしくお願いします」
笑顔で元気に挨拶をする姿に好印象を持った。仕事にも真剣に取り組んでいるようだった。最初は俺も須藤が職場に良い影響をもたらすことを期待していたが、次第に須藤の態度は変わり始めていく。
最初は小さなことからだった。無断で遅刻をするようになり、初めのうちはそれらしく色々と言い訳をしていたが、それもだんだんと減り、最終的には何も言わずに遅刻することが増えた。さらには無断欠勤も日常茶飯事。俺は須藤に対して何度も注意をしたが、須藤は口先だけの謝罪を繰り返すだけだった。
また、外回りでの過剰なタクシーの利用も目立つようになった。会社の経費を私的に使うことは許されない。そのことを何度注意しても、「外回りって疲れるんですもん。少しくらいいいじゃないっすか」と悪びれることなく言い、タクシーを使い続ける始末。電話を取れば相手を不快にさせ、せっかく作ったデータを謝って消し、謝罪もなければなんとかしようという気もない。
新人だからと最初は多めに見ていた先輩社員たちの間にも苛立ちのような空気が流れ、須藤が配属されてからというもの、部署内の雰囲気は日に日に悪化していった。
そしてついに須藤の行動が最悪な事態を引き起こすこととなる。それは商談の席でのことだった。須藤の非常識な行動のせいで先方が契約を一旦白紙に戻したいと言ってきたのだ。
その日、俺は初めて商談の席に須藤を同席させるよう指示をした。もちろん商談自体は先輩社員が行うが、商談がまとまる瞬間を間の当たりにしたら須藤も少しは仕事の面白さややりがいを感じ、もっと仕事に真摯に向き合うようになるのではないかと考えたのだ。しかし、俺のこの考えはとんでもなく甘かったと思い知ることとなる。
「そろそろ商談が始まる頃だな」
俺は落ち着かない気持ちで時計を見つめた。それからほんの数十分後、俺の携帯電話が鳴った。
「はい、白川です」
俺が電話に出ると、商談の担当者である社員が悲壮な声で契約がダメになるかもしれないと告げてきた。何があったのかと聞いてもかなり動揺していて要領を得ない。俺はとりあえず会社に戻ってくるように言った。
少しして、顔を真っ青にした社員と不機嫌そうな様子の須藤が帰ってきた。
「商談中に須藤のスマホが鳴って、そこまではよくあることだと先方も笑ってくれたんです。でもこいつ、断りの言葉もなく普通に電話に出て外に出ていったんですよ」
信じられないものを見たとでも言わんばかりの口調で彼は言った。緊急の電話というわけではなく、様子から察するに明らかに友人からの私的な電話だったことは間違いないそうだ。
「それからはもうどうにもならなかった」
担当者の彼は唸るように言った。誠心誠意、なんとかして商談を始めようとしたそうだが、先方はもう聞く耳を持ってくれなかったそうだ。
「須藤を同席させると決めたのは俺だ。責任は俺にある。あとは俺がなんとかするから、君は業務に戻ってくれ」
「すみません」と頭を下げて謝罪する彼に、俺は静かに言った。
俺は急いで先方の担当者に連絡をした。しかし、こちらに対しての不信感は拭えず、「再度商談の場を設けるかどうかも含めて改めて連絡する」と言われ、電話は切られた。
電話を終え、俺は大きく息をつき、担当の社員にその旨を報告し、須藤に声をかけた。
「君のせいでこんなことになっている自覚はあるか?」
謝罪の言葉を口にしないどころか、自分は関係ないとでも言うような態度の須藤に怒りを覚えつつも、俺はできるだけ冷静な声で問いかけた。
「はあ?俺が何したって言うんですか?ちょっと電話に出ただけじゃないっすか。それに俺がいてもいなくてもどっちでもいいんだから、いなくたって良くないですか?」
須藤は反省するどころか吐き捨てるように言う。
「あのな、商談に同席するってことは、もうその時点で担当者でもただの同席者でも関係ない。先方にとっては商談相手の会社の人間なんだよ。いわば会社を背負ってそこにいる。お前の軽率な行動のせいで大事な商談が破談になりかけてるんだぞ」
「あー、はいはい。すみませんでした」
須藤はめんどくさそうに言い、背を向ける。同僚たちはそんな須藤に冷ややかな視線を向けた。
「あー、居心地悪いな」
同僚たちの視線に耐えかねたのか、吐き捨てると須藤はフロアを出ていった。
俺はため息をつき、改めて商談の場が設けられた時に備えて打ち合わせをしようと担当の社員に声をかけた。今はとにかく商談が成立するよう最善を尽くすことが最優先だ。担当者の彼はすっかり落ち込んでいる。それもそのはずである。彼はこの契約を取るために何度も先方の会社に出向き、信頼関係を築いてきたのだ。周りの同僚たちが関わるのを嫌がっても、最後まで須藤のことを見放さなかったのも彼だった。いくら須藤でも、そんな彼の仕事ぶりや優しさに何か感じるものがあるだろうと思って今回の商談に同席させたのだ。これがまさかこんなことになるなんて思ってもみなかった。上司として考えが甘かったと言わざるを得ない。
彼を励ましつつ打ち合わせをしていると、須藤が何食わぬ顔で戻ってきた。その表情は出ていく前の不機嫌そうな顔とは打って変わって、ご機嫌そのものだ。しかも、須藤が戻ってきた直後、先方の担当者から改めて商談の場を設けたいと電話がかかってきたのだ。
「ま、俺が本気を出せばこんなもんですよ」
俺が何をしたのかと聞くと、須藤は得意げに言った。詳しく聞こうとしても「誠心誠意謝っただけ」の一点張り。とにかく良かったと部署内には安堵の空気が流れた。しかし、俺は裏に何かあるのではという疑念が消せなかった。
「ふう。これでなんとか先方の信頼を取り戻せるといいんだが」
俺はパソコン作業で凝り固まった肩をもみながら呟いた。時計を見ると時間は21時を回っている。今日は色々大変だった。それにしても須藤のやつ、一体何をしたのか。
俺は定時で部下たちを帰らせた後、先方の担当者に連絡を取り、改めて話を聞いた。やはりこちらも「須藤が謝罪してくれたので」の一点張り。しかし、その声には明らかに怯えの色がにじんでいた。
フロア内をざっと見回り、俺は帰宅の途につくため会社を出た。瞬間、数人の武装した男たちが俺を取り囲んだ。全員がヤクザであることは一目で分かった。
「なんだ?」
俺が問いかけると、男たちの背後から須藤が現れた。
「お前、墓だな」
須藤は大爆笑しながら言い放った。俺は驚いて一瞬動きを止めた。
「はっ、ビビってるよ。いい気味だな」
須藤はそれを恐怖から来るものだと思ったのか、嬉しそうにニヤニヤと笑っている。
「お前ここで終わりだぜ。じじいがいい気になると痛い目見るんだよ」
俺を取り囲むヤクザたちもニヤニヤと笑いながら口々に言った。俺は冷静にヤクザの顔触れを見回した。その中のリーダー格と思われる人物の顔に見覚えがあった。
「お前、須藤組だな。そうか。須藤、お前、勝也さんの息子か」
「はあ?」
「今すぐお前の親父と幹部全員呼べ」
「は?なんでそんなことしなくちゃいけないんだよ。バカか」
須藤は俺の言葉を笑い飛ばす。
「そうかよ。じゃあ俺がかけるわ」
俺はスマートフォンを取り出し電話をかける。そんな俺に取り囲んでいたうちの1人が殴りかかってきた。俺はそれを難なく交わし、逆に背中に蹴りを入れる。そいつは勢いよく地面に転がった。ヤクザたちは驚いて呆然としている。須藤も口を半開きにして俺を見つめている。
「あ、もしもし。親父。俺だ。今ちょっとめんどくさいことになってる」
俺は簡単に状況を説明した。
「すぐに幹部を送る。場所を教えろ」
俺は場所を伝え電話を切った。須藤は不思議そうな顔をして、まだ何も分かっていないようだった。取り囲んでいる奴らはじりじりと間合いを詰めようとはしてくるが、飛びかかってくる奴はいなかった。
少しして黒塗りの車が目の前に止まった。車から白川組の幹部が出てくる。彼らは俺を見るなり深々と頭を下げた。
「お久しぶりです。若様」
俺は何年かぶりに聞くその呼び方に苦笑した。須藤が引きつった顔を向けてくる。
「会社の前で大立ち回りするわけにもいかないからな。じゃ、こいつらのこと頼んだ」
俺は幹部の1人に声をかけて歩き出した。
「お送りしましょうか?」
そう声をかけられたが、俺は首を小さく横に振って駅に向かった。あんな目立つ車で帰ったら近所の人たちに何を噂されるか分かったもんじゃない。
「おい、待てよ。お前らも何やってんだよ。おい。あ、やめろよ」
須藤以外の面々は、目の前にいるのが総本家白川組の幹部たちだとすぐに分かったのか、縮こまって抵抗しない。騒いでいた須藤もすぐに幹部によって車に押し込まれた。
翌日、須藤の件で話があると親父に呼び出された。実家である白川組の本部に到着すると、組長である親父以外にも須藤組の組長で須藤の父親でもある須藤勝也と須藤本人もそこにいた。しかも親父の目の前で須藤親子は土下座をしている。勝也からは必死な心からの謝罪の意が伝わってくるが、肝心の須藤の方からは「いやいや」という雰囲気がただ漏れである。
いまいち状況が飲み込めず、俺は親父に向かって疑問の視線を投げかける。
「昨日の夜の件についてお前に謝罪したいってのと、まあ、どうしてそんなことになったのかって理由を説明して欲しいんだとさ」
親父は俺の視線を受けて説明してくれる。
「須藤、お前から説明したらどうなんだ?」
俺は土下座をしている須藤を見下ろしながら言う。須藤は俺の言葉にふてくされたように背を向ける。するとすかさず勝也がその頭を押さえ、俺はため息を一つつき、ことの経緯を説明した。
まず勤務態度に問題があることを説明していると、須藤が顔を上げて口を開いた。
「か、課長。それはちょっと話を盛りすぎじゃないすか?俺は至って真面目に仕事をしてますよ。そりゃちょっとはミスもしますけど」
須藤はヘラヘラと笑いながら言う。
「若が嘘をついてるっていうのか。お前は」
勝也が怒りで震える声で言う。
「う、嘘っていうか、だって。大体、白川組の組長の息子がなんであんな普通の会社で課長なんてやってるわけ?おかしいじゃん。しかもたまたま俺がその会社に入って、たまたまこの人の部下になったっての」
「まあ確かに偶然にしちゃ重なりすぎだな」
親父がからからと笑いながら言う。すると勝也が少し言いづらそうに口を開く。勝也の話によると、大学を卒業したらなんとなく組に入って努力もせず、そのうちなんとなく組長になれると思っている息子を心配した勝也が、「一度は社会に出て荒波に揉まれてこい」と言ったそうだ。ただ、就職活動なんてするつもりもなく、入りたい会社どころか興味のある業種すらない息子を見かねた勝也は、俺が務めている会社をなんとなく進めたそうだ。
「すみません。以前、若が楽しそうに仕事の話をしていたのを思い出して、つい。でも、まさか若の部署になってこんなご迷惑をおかけすることになるとは」
勝也はさらに頭を床に擦りつける。
「まあ、うちはそこまで大企業ってわけじゃないから、同じ部署になる確率はそこそこ高いかもしれない。それに専門知識があったり、強い希望があったりしない場合、新人は俺が所属している部署に配属される可能性が高い」
「で、でも、俺、課長なんて今の組の集まりとかで見たことないんだけど」
「お前はそもそもほとんど人の顔なんて覚えてねえだろうが」
「さ、さすがに白川組の後継ぎになるかもしれない人の顔ぐらい俺だって覚えてるって。ほら、正春さんのことは知ってるし」
須藤は勝也の言葉に必死に反論する。どうしても俺が白川組の組長の息子だと信じたくないのだろう。
俺は大学卒業後、ヤクザの世界から足を洗い、平穏な生活を求めて家を出た。そのため白川組の参加にいる者たちで俺のことを知っているものは少ない。
「正治は俺の弟。俺は最初から後継ぎはなかったから、組の集まりとかに顔は出してねえんだよ」
「は?白川組の組長の長男なんで、黙ってりゃ組長の座が手に入るのに。それけってあんな会社の課長なんてやってんの?頭おかしいんじゃねえの?」
須藤がバカにしたような口調で言う。勝也が須藤の頭を掴もうとするよりも早く、俺はその胸ぐらを掴んだ。
「あんな会社だと何一つまともに仕事もできないようなひよこが、うちの会社バカにしてんじゃねえぞ」
俺は胸ぐらを掴んだ手に力を込めながら低い声で言った。
「その辺にしといてやれ。そのまんまだと殺しちまうぞ」
俺は親父の言葉で我に帰り手を離した。須藤は咳き込みながらその場にへたり込んだ。
「じゃあ俺からの質問だ。今から聞く質問にちゃんと答えろ。曖昧な返事も嘘も許さねえ」
俺はへたり込んでいる須藤の顔を覗き込み、低い声で言う。
「お前が台無しにした商談の先方の担当者に何言った?明らかに怯えてた。あれは単純にお前の謝罪を受け入れたって感じじゃねえ。何を言った?何をした?」
俺の質問に須藤の顔から一気に血の気が引くのが分かった。そして口を開き、消え入りそうな声でボソボソと話し始めた。
あの日、同僚たちの冷たい視線に耐えかねて会社を飛び出していった須藤は、先方の会社に行き「謝罪をしたい」と伝えて担当者を呼び出した。そして外に連れ出し、待機させておいた組の下っ端と担当者を囲み、脅したという。
須藤が勝也の息子だと気づいた時点で大体の予想はついていたが、実際に須藤の口から聞くと怒りが込み上げてくる。
「お前、ヤクザの息子であることを利用して一般人脅したのか」
勝也は須藤を見つめて、信じられないといった風に震える声で言った。その目は怒りで充血している。
「いや、ちょっと脅したっていうか、お願いしたっていうか。別に手を出したわけじゃねえし、会社的にも助かっただろ。また商談させてもらえることになったんだからさ」
須藤は引きつった笑顔で言う。
「この野郎。お前は何も分かっちゃいねえな。お前はヤクザの名を汚したんだよ。一般人にしていいことをした」
「勝也、分かってるな」
ここまで寛大だった親父が須藤を見据えて、地の底から響くような冷たい声で言い放った。一瞬にしてその場が凍りつく。その迫力に須藤は息をするのも忘れているようだった。親父の目にはもう須藤は一切映っておらず、勝也だけをまっすぐに見つめていた。勝也も苦しげな表情を浮かべつつ、親父の目を見返してしっかりと頷いた。
この騒動が終わった後、須藤は会社を退職していった。勝也から絶縁宣言され、家も追い出されたそうだ。春に入社して1年も経たないうちに退職し、退職した理由が理由だ。そんな人間を雇う会社は早々見つからないようで、最終職にはかなり手こっているようだ。何の苦労もなく組のトップに立てると思っていたのに、こんなことになって須藤としては大打撃だろうが、全て自業自得だ。
勝也は騒動は自分の息子の育て方が悪かったのがそもそもの原因だと責任を取るため、組長をやめると申し出たそうだ。しかし親父がそれを引き止めた。勝也自身は人望も厚く、組の運営手腕もピカイチ。息子がああなったのが不思議なぐらいの優秀な人材なのだ。俺も大学進学や就職についての悩みなど、親父よりも勝也さんに相談していたほどだ。真面目すぎて一度決めたら引かない勝也を説得するのにかなり骨が折れたと親父がぼやいていた。
そして俺はと言うと、平穏な日々を取り戻すことができた。会社では須藤の問題が解決し、取引先との関係も修復された。須藤には会社をやめる前に脅した先方の担当者にしっかりと謝罪をさせた。改めて行われた商談ではブラッシュアップした契約内容を提示し、契約は無事に結ばれた。先方にも満足してもらい、担当者の彼も心底安心したのだろう。涙を流して商談成立を喜んでいた。一時は責任を感じてひどく落ち込んでいたが、今ではすっかり元気になってバリバリ仕事をこなしてくれている。
俺はすっかり雰囲気の良くなった部署内で働く部下たちを見回し、ふと怒りで須藤の胸ぐらを力任せに締め上げたことを思い出した。
「俺もまだまだだよな」
俺は自嘲気味に呟いた。どんな状況でも怒りで我を忘れることなく、親父のように威厳のある態度でその場を納められるような人間になりたいものだと思った。まだまだ未熟な部分ばかりだが、俺はこれからも真摯に仕事に向き合っていこうと心に誓った。



