「中卒にボーナスはもったいない。今日一杯でやめていいぞ」…

「中卒にボーナスはもったいない。今日一杯でやめていいぞ」...

「なあ、北谷。お前、明日ボーナス本気でもらう気か。扱ましいなあ。中卒にボーナスはもったいない。そうだ。今日一杯でやめていいぞ」

企画開発課の課長、南原が突然そんな言葉を放ってきた。俺は一瞬、何を言われたのか理解できなかった。こいつは一体何を言っているんだ?

自分で言うのも何だが、俺は結構仕事ができる方だ。入社して数ヶ月しか経っていないのに、すでにヒット商品をいくつか生み出している。次の新製品の企画だって、かなりの数を任されている。そんな俺に対して「扱ましい」とはどういう意味だ?

もしかすると南原は言葉の意味を理解せずに話しているのかもしれない。そんなありえないセリフを聞いて、俺はそんな可能性すら考えてしまった。

俺の名前は北谷悠也。今年で21歳になる、どこにでもいる普通のサラリーマンだ。

子供の頃から甘いものに目がなかった。ケーキにプリン、クレープにシュークリーム。学校から帰ってきてからの一番の楽しみは、当然三時のおやつだった。スイーツを食べすぎて晩御飯を食べられないこともよくあったっけ。その度に母さんにめちゃくちゃ怒られていた記憶も、今となっては懐かしい。

成長して中学に上がってからも、そのままだった俺は、お菓子について独学で勉強を始めた。当時の俺の夢はパティシエ。まるで魔法使いのように美味しいお菓子を作る姿に憧れていた。

だが現実というものは、スイーツのように甘いものではない。

俺が中二の時、父さんが病気で亡くなってしまった。それからというもの、俺の生活は激変した。

俺はお菓子を学べる私立の高校へ進学したかったが、それは経済的な事情で断念せざるを得なくなった。それどころか、スイーツを買うことすらなかなか難しい生活を送ることになった。

実は母さんはそれまで働いた経験が一度もなかった。だけどそれからは、俺のために朝から晩まで慣れない仕事をしてくれた。そんな母さんの苦労する姿を見て、俺は中学を卒業すると共に働こうと心に決めた。

母さんは「せめて高校だけは行きなさい」と言ってくれたが、俺の意思は固かった。

そして俺は中学卒業後、新聞配達や工事現場、コンビニでアルバイトを始めた。16歳にして、お金を稼ぐことの大変さを身を持って知ることになった。

だからと言って、もちろん希望は捨てていなかった。俺は時々仕事帰りにスーパーでスイーツを買っていた。そういうものを食べてから、俺はスーパーやコンビニで市販されているスイーツも美味しいことに気づいた。経済状況が苦しくなるまではケーキ屋さんのお菓子ばかり食べていた俺としては、まさに目から鱗だった。

こうしてスイーツを食べているうちに、俺は新たな目標ができた。それは、身近な場所で市販されている洋菓子メーカーに就職することだ。

思い立ったが吉日。俺は早速洋菓子メーカーの求人を探しまくった。それから数ヶ月後、俺はある大手企業の求人を見つけた。その会社はレインボースイーツだ。

レインボースイーツは国内では有数の洋菓子メーカーだ。俺も何度もここのスイーツを食べている。低価格でありながら品質にもきちんとこだわっているのが、レインボースイーツの魅力だ。

その後、俺は書類審査や面接をパスして、なんと本社の正社員として採用されることになった。今の時代、中卒の人間はあまりいない。それもあって、正直俺は不採用だと自分で思い込んでいた。だからこそ採用通知が届いた時には、飛び上がって喜んだものだ。

そんな俺を見て母さんは「良かったね」と涙を流しながら喜んでくれた。これからは母さんにももっと楽をさせてあげることができるだろう。それを思うと、俺は嬉しくてたまらない気持ちになった。

そんなこんなで、あっという間に入社の日が訪れた。最初は右も左も分からず周りの仲間たちに迷惑をかけてしまっていたが、だんだん慣れてきた。

俺が配属されたのは企画開発課だ。簡単に言うと、主に新製品の開発を行う部署である。お菓子を食べるだけでなく、作るのも大好きな俺にとっては、持ってこいの部署というわけだ。

月日の経つのは早いものである。世話しなく働いているうちに、あっという間に6月下旬を迎えていた。この頃、俺には楽しみにしていることがある。それはここで働き始めてから初めてもらうボーナスだ。話によると、どうやら明日支給されるらしい。

俺はそもそもボーナスというもの自体、生まれて初めてもらうことになる。このお金を使って、夏休みには母さんを旅行に連れて行こうと計画している。もちろんまだ母さんには内緒だ。来月には母さんの誕生日があるので、そこで旅行に誘って驚かせようと思っている。こういうサプライズが俺は大好きだ。でも今までやりたくても、なかなか金銭的な理由でできなかった。

俺は明日が早く来ないかとワクワクしながらオフィスで仕事をしていた。すると、そんな俺の近くにやってきたのが、企画開発課の課長、南原だ。そして南原は俺に対して突然、冒頭の言葉を放ってきたのだ。

俺は南原からの突然の暴言に、あ然とすることしかできない。こいつは一体何を言っているのだろうか。

俺は南原に対し「ボーナスをもらうのに学歴なんて何の関係もありませんよね。課長、一体何をおっしゃっているんですか」と反論した。

入社してしばらくは、学歴のない俺のことを白い目で見る人間も何人かいた。しかし俺の仕事ぶりを見て、ほとんどの人たちはそんな偏見を改めてくれた。だが一人だけ例外がいる。それがこの南原だ。

南原は有名な国立大学を出ているらしく、本人もそのことをやたらと自慢してくる。もう20年くらい前に卒業した大学のことを未だに持ち出してくるなんて、学歴なんてものにこだわりのない俺には考えられない。きっと南原には他に自分自身に誇れるものが何もないのだろう。なんともかわいそうな人間だ。

だからと言って、他人の学歴を軽んじていい理由には決してならない。だが、残念ながら南原はそのことをまるで理解していない。

こういうとんでもない奴には、何を言ったところで時間の無駄だ。自分自身が正しいと思い込んでしまっている以上、他人の言葉に聞く耳など持たないからだ。

南原は俺に「そもそも中卒の貧乏人がうちの会社の正社員になれたこと自体おかしいよな。お前、一体どんな裏ルートを使って採用されたんだ?教えてくれよ」と言ってきた。

言うまでもないが、俺は裏ルートでレインボースイーツに入社できたわけではない。俺自身が認められたからこそ採用されたのだ。それにしても、よくもまあこんなに他人を侮辱できるものである。俺には真似できない芸当だ。

最も、絶対にこんな真似なんてしたくはないが。どうして南原のような奴が課長なのだろうか。入社以来、俺はこの疑問を持ち続けてきた。それこそ何かしらの裏ルートで昇進したとしか思えないからだ。企画開発課を見渡せば、他にふさわしい人材はいくらでもいる。にも関わらず課長の椅子に座っているのは南原なのだ。正直納得がいかない。

他人への思いやりの心を持っていない南原は、俺以外の部下たちからもかなり嫌われている。こいつが出張なんかで不在の時、このオフィスのムードはかなり働きやすいものに一変する。だが南原が戻ってきてからは、どこかぎこちなく重苦しい雰囲気が漂う。

南原は部下のミスをネチネチとしつこく追求する癖がある。それもこの悪いムードの一因だろう。そのくせこいつはまともに働きもしない。書類のチェックを頼んでも「後でな」というばかり。勤務時間中もスマホ片手にアプリゲームざんまいだ。それで俺たちよりも高い給料をもらっているのである。

南原が社会人として完全に終わっていることは明らかだ。こんな人間と同じ職場で働かなければいけないこと自体、俺は苦痛に感じてしまう。

俺は南原に「いくら直属の上司だからって、言っていいことと悪いことの区別もつかないんですか」と苦言を呈した。すると南原は明らかに不機嫌そうな表情になった。そして奴は「おい、分かってないのはそっちの方だろうが。部下が上司に対してそんな口を聞くなんてありえないから。ああ、これだから中卒のバカは嫌なんだよね」と嫌味を言ってきた。

もううんざりだ。できればこれ以上こいつの耳障りな声すら聞きたくない。そう思った俺は、南原の方をまっすぐに見つめた。

南原は「何?文句があるなら言えよ。その代わりお前の首はもう決定事項だから。何を言ったところで覆ったりしないぞ」とずけずけと言う。

俺はそんな南原の言葉に笑いをこらえつつ、こう言い放った。「本当に今日でやめていいんですね。後になって撤回してくれなんて言われても、もう知りませんよ」

俺のそんなセリフに南原は顔をしかめる。そして南原は「この野郎、名前聞いやがって。撤回なんてするわけないだろうが。ほら、もう首なんだからさっさと出ていけよな」と手で俺を追い払うようなジェスチャーをした。

ここまで言われたからには、これ以上ここにいる理由なんてない。俺は荷物をまとめてオフィスから出て行こうとする。出ていく間際、南原は俺の背中に向かって「いいか、中卒の人間は社会の底辺でうろうろしているのがお似合いなんだよ。バーカ」と暴言を吐いた。

バカというその言葉は、そのままそっくりこいつに返してやりたい。本当の愚か者は、自分が愚かであることすら知らないものだ。哀れ以外の何者でもない。

俺は南原の汚い言葉に振り返りもせず、足早にその場から去っていった。

駅へと向かう帰り道。俺はある会社へ連絡を入れようとスマホを取り出す。電話をかけると、相手はすぐに出た。俺はあることを伝える。すると電話の相手はかなり喜んでくれた。

それから1週間後、俺は自宅で荷造りをしていた。実はその後、転職先が決まったのだ。それに伴い、俺はなんとフランスに引っ越すことになった。今はその準備に追われているというわけだ。

そんな中、突如として俺のスマホから着信音が鳴り響いた。俺はスマホの画面を見る。電話の相手はレインボースイーツの社長、西田さんだった。もうレインボースイーツは首になったというのに、今更何の用だろうか。俺は不審に思う。でもこのまま無視するのもなんだか気持ち悪い。そう思った俺は電話に出た。

すると西田さんは、いきなり「今から会えないか」と言ってくるではないか。かなり焦った口調である。正直引っ越しの準備を進めたいのが俺の本心だ。でも他には別に用事もなかった。それに西田さんの様子もなんだか気になる。だから俺は西田さんに言われるがまま、レインボースイーツの本社へと向かうことにした。

解雇を言い渡されてから、ここには一度も足を踏み入れていない。本社の前に到着した俺は、なんだか少しだけ嫌な気持ちになった。南原にあそこまでひどいことを言われた挙句、解雇宣告までされたのだから、当然といえば当然だ。

社内に入った俺は受付に挨拶をした後、西田さんに指定された通り社長室へと向かう。社長室のドアをノックすると、西田さんの「どうぞ」という声が聞こえた。俺は社長室へと足を踏み入れる。

西田さんは電話の口調からも分かったように、随分と疲れた表情をしていた。社長室にいたのは西田さんだけではない。俺を首にした張本人である南原もソファーに座っていたのだ。

俺は南原の顔を見て少しだけ驚いた。その表情からは、いつもの人を食ったような態度が全く感じられなかったからだ。西田さんに負けず劣らず、南原の方も憔悴していた。たった1週間で一体何があったというのだろうか。

そんな俺の疑問は、間もなく解消されることになる。西田さんは南原の隣に腰かけるよう促した。そして西田さんは俺に対してこんなことを尋ねてきた。「北谷君、前置きなしに聞きたいことがある。君、ダイナマイトクリームに転職するっていう話は本当なのか?」

西田さんの問いかけに、俺は平然と「はい、本当ですけど、それが何か」と頷いた。

ダイナマイトクリームはフランス本社を置く菓子製造メーカーだ。生菓子はもちろん、焼き菓子やスナック系のお菓子まで幅広く製造している。ダイナマイトクリームのスイーツは世界中で販売されており、世界で最も愛されているお菓子メーカーと言っていいだろう。レインボースイーツにとってはライバル的存在だ。

実は1ヶ月前、俺はダイナマイトクリームの人事担当者から声をかけてもらっていた。俺が企画開発を担当した新製品が発売後にSNSでバズったことがきっかけで、人事担当者はどうやら俺のことを知ったらしい。俺の発想力に目をつけた人事担当者は、ヘッドハンティングを持ちかけてきたのである。

俺としては嬉しかったが、その時はまだレインボースイーツで働きたかったこともあって、保留していた。だが南原に首を言い渡されてから、事態が一変したことは言うまでもない。解雇宣告されたあの日の帰り道、俺は何を隠そうダイナマイトクリームに連絡を入れたのである。そしてトントン拍子で話は進み、俺のダイナマイトクリームへの転職が決まったというわけだ。

俺の答えを聞いた西田さんは「そ、そんな…」としばらく呆然としてしまった。そんな西田さんとは対照的に、感情的になったのは南原である。南原は俺に突然掴みかかると「今すぐうちの会社に戻ってこい」と命じたのだ。

この男は急に首だと言ってきたりかと思えば、戻るように命令してきたり、一体何なのだろうか。俺は「そんなことを今更言われても困ります。大体、私を首にしたのは課長じゃないですか」と言った。

南原は俺の言葉にかっとなったのか「なんだと、この野郎」と拳を振り上げる。それを止めたのは西田さんだ。西田さんは「やめないか、南原!」と大慌てで制した。さすがの南原も社長の指示には逆らうことはできないらしい。南原は俺から手を離したかと思うと、ソファーにどさっと腰を下ろして、そのまま俯いてしまった。

西田さんは俺に対し「君のような有能な人材を失うことは、我が社としてはかなりの痛手だ。考え直してはもらえないだろうか」と言ってきた。口調こそ丁寧だが、言っていることは南原とほとんど同じである。

俺は「どうしてそこまで私のことを引き止めるんですか」と尋ねた。すると西田さんは今にも泣き出しそうな声でこう言った。「うちが今後販売を予定している新製品の多くは、君が企画から一手に担っていたそうじゃないか。それなのに担当者である君にやめられては、今後の開発はかなり難行するだろう。もしかしたら完成すらできないかもしれない」

さらに南原も「まさか中卒のお前があんなに多くの企画を担当してたなんて、寝耳に水だったぜ」とだらけた。直属の上司のくせに、そんなことも知らなかったなんて。呆気に取られて物も言えないとは、きっとこういう状況のことを言うのだろう。

そして西田さんは「君がダイナマイトクリームで働くことになったら、うちにとっては大打撃だ。どうか、どうかもう一度うちの会社で働いてはくれないか」と俺に転職を撤回するよう懇願してきた。

何度言われても同じことである。俺は「申し訳ありませんが、そこの他人を侮辱することしかできない課長の下で働くのはもうこりごりなので、お断りします」ときっぱりと断った。

俺の容赦ない言葉を耳にした南原は、きっと俺を睨みつける。西田さんは「わ、分かった。それじゃあ南原君を企画開発課の課長から外そうじゃないか。それなら戻ってきてくれるよね」と提案してきた。

突然そんなことを言われた南原が黙っているはずはない。南原はすぐさま「ちょっと待ってくださいよ、社長。いくらなんでもそれはひどいんじゃないですか」と抗議する。西田さんはそんな南原に対し「うるさい。そもそも君が北谷君に解雇を言い渡していなければ、こんな面倒なことにはならなかったんだ」と同戦した。

俺をよそに言い争う2人の声は次第にエスカレートしていく。これ以上ここにいても仕方がないだろう。そう思った俺は「では、引っ越しの準備があるので、私はこれで失礼します」と言って、足早に社長室から出ていった。

その後、西田さんの指示によって南原は企画開発課の課長から外された。そして子会社へ左遷されたらしい。子会社で働き出してからも、南原は自分の態度を改めることができなかった。上司と些細なことで揉めた結果、かっとなって手を上げてしまったらしい。それが元で南原は解雇処分に。

仕事を失った南原は、暇を持て余してSNSばかり見ていたようだ。そして怪しい求人の投稿を発見して応募した。当然、うまい話には裏がある。こんな当たり前のことすら分かっていない南原は、自分でも気がつかぬうちに犯罪行為に手を染めてしまった。日本の有能な警察がそんな悪事を見逃すわけもない。南原は間もなく逮捕されたそうだ。全ては奴自身が招いた結果である。

一方、俺はといえば、今はフランスにいる。まさか自分が異国の地で働くことになるなんて、正直思っても見なかった。ダイナマイトクリームでの仕事はめちゃくちゃ楽しい。同僚たちも明るくて、みんなスイーツを愛している人たちばかり。だから話が弾んですぐに仲良くなることができた。こんな素晴らしい環境で給料をもらえるなんて、まるで天国だ。のびのびと仕事できることに、俺は心から感謝している。

正直、母さんを日本に残してフランスへ行くことに不安はあった。でも今の俺には、この選択は間違っていなかったと胸を張って言える。俺はこれからも大好きなスイーツと共に、一歩ずつ前へと進んでいきたい。

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