「お前さえ責任を取って辞めてくれれば、全部丸く収まるんだよ」
新人部長の言葉に、俺の頭は真っ白になった。俺が携わる10億円プロジェクト。社運をかけたそのプロジェクトの最中に起きた大きな問題を、部長は俺に押し付けた。この問題が上に知られれば、プロジェクト自体がダメになってしまうかもしれない。そう脅された俺は、首を受け入れざるを得なかった。
俺はこのプロジェクトに個人的な夢もかけていた。絶対にここで終わらせてはいけない。俺は複雑な思いで会社を去った。
ところが、なぜプロジェクトの話し合いに参加しないんだ?連日無断欠勤して、一体どこで何をしている?
社長からかかってきた一本の電話。そこから、まるで映画を見ているような展開が始まったのである。
俺の名前は宮島明彦。医療関係のシステム開発や運営を手がける会社のシステム部門で日々働いている。この仕事はそれなりに忙しくて大変だが、自分が開発に携わったシステムで多くの人が救われていると思うと、とてもやりがいもある。最初は望んでいた職ではなかったけれど、今ではこの仕事について良かったなと心から思っている。
ああ、長期休暇が欲しい。旅に出たい。やる気はもちろんあるのだが、何せ多忙な日々が続くと現実逃避したくなるのが人間の性だと思う。というのも、現在関わっているプロジェクトがなかなか進行しないのである。
「このプロジェクト、本当に完成するんだろうか?」
確かに終わりが見えないけど、完成させるしかないよな。ああ、会社とフィットネスクラブと医療現場をつなぐって、繋ぎすぎだろう。責任重すぎる。
発狂する同僚を横目に、旅に出たくなる衝動を抑えつつ、俺はパソコンに向かう。現在関わっているプロジェクトは、会社とフィットネスクラブ、医療現場をつなぐシステムを開発するという、会社で最も大きなプロジェクトなのである。このシステムに登録した医療現場からリハビリを終えて無事に退院が決まった患者さんを、同じシステムに登録したフィットネスクラブに保険適用で通ってもらい、経過を担当医が確認できるというものだ。その経過次第では、登録された会社へ雇用したり、システム内にあるオンライン診察を経て薬を処方したりすることが可能になる。このシステムが完成すれば、医者と患者がより良い選択をできる世界に近づくのだ。さらに会社で言うと、10億円の規模のお金が動くことになる。会社としても社運をかけた一大プロジェクトと言っても過言ではなかった。
今日からこのプロジェクトに新しい部長を招き入れることになった。営業部からやってきてくれた久保田君だ。
「営業部から来ました久保田です。よろしく。」
彼は営業部で大きな成績を数々残してきている。きっとこのプロジェクトの大きな原動力になるに違いない。みんなで力を合わせて成功を納めてくれ。
進捗が思うように進まなくなってから数日後、突然営業部から久保田さんという男がやってきたのだ。社長の言っている通り、営業部ではかなりの成績を残しているらしく、社内掲示板の表彰でよく名前を見ている人物だった。
「初めまして。このプロジェクトのサブリーダーをしております、宮島明彦と申します。よろしくお願いいたします。」
「ああ、そういうのいいから、適当にやっといて。」
社長が帰って行った後、俺が挨拶へ向かうと、久保田部長はそそくさとデスクを立ち去ってしまった。その姿にあっけに取られる。これはどういうことだと、俺がこの時に感じた嫌な予感は、翌日から見事に的中していった。
「部長、こちらの資料の確認をお願いします。」
「ああ、これね。うん。うん。はい。オッケー。」
「え、あの、もうよろしいんですか?」
「いいって言ったじゃん。聞こえてなかったの?忙しいんだけど。」
「ああ、失礼しました。」
資料の確認を求めても、一度も目を通す様子もなくオッケーと言ってくる。これが当たり前の毎日が始まったのだ。
「失礼します。部長。本日のミーティング資料ですが、部長の書かれている部分の印刷をと思いまして…」
「ああ、これだから…」
久保田部長はスマホを見ながら、俺に紙を一枚差し出した。今日はプロジェクトのこれからの進行を決める大事なミーティングだ。普段は印刷などの業務は各自がするものなのだが、会議が開始される直前になっても久保田部長の担当している総括部分の資料がなかったため、しびれを切らした俺が行動したわけである。
「これは一体…」
「いい感じに頑張って」
資料に書かれていたのは、たったこれだけだった。しかもこの短文の中に誤字が5つもある。結局久保田部長は会議にも現れず、俺がサブ案として考えていた進行スケジュールを共有し、プロジェクトメンバーに意見を求めることになった。
「はあ。なんだよこれ。てか誤字って何だよ。めちゃくちゃだろう。」
「ち、声が大きすぎるよ。」
「ああ、ごめん。しかしあの部長、本当に優秀なのか?営業部での成績はすごかったらしいけど。」
俺はミーティングの合間の休憩時間、同僚にだけ久保田部長の作成していた資料を見せていた。プロジェクトメンバーに見せて余計な不安をかけたくない気持ちがあったが、あまりにもむちゃくちゃすぎて、自分だけでは消化しきれなかったからである。
「あまり信用できないのは確かだ。慎重に行こう。」
「そうだな。とりあえず戻ろうか。」
おい、会議終わったか。ほら、飲みに行くぞ。来い。
俺と同僚がミーティング室に戻ると、そこには久保田部長が帰り支度をした状態で後輩たちを飲みに誘っていた。もちろんミーティングはまだ終わっていない。
「部長、申し訳ありませんが、まだミーティングは終わっておりません。」
「うるさいな。堅苦しいこと言うなよ。な、これから小級の話をしような。ほら、来いよ。」
ほぼ強制的に後輩たちの肩を掴んで、久保田部長はミーティングルームから出て行こうとする。中には立ち止まって断ろうとする後輩もいた。
「部長の言うこと聞けないのか?言及してもいいのか?」
困惑した様子の後輩たちの表情がさらに強張っている。脅し文句で久保田部長は後輩たちを連れ出して、ミーティングは強制的に終了になった。
「おい、お前も怒いよ。部長命令だ。お前は残って資料作成でもしとけ。」
久保田部長は同僚を指さして飲み会に来るよう命令した。
「行ってこい。」
もはや反抗しない方が得策に思えてきた。
「でも秋彦だけ残りって…俺のことは気にするな。どうしても完成させたいんだ。部長がいない間にサクサク進めておくよ。」
心配してくれる同僚を見送った後は、正直楽園のような仕事環境になった。久保田部長のことやそれに付随する対応のことを一切考えずに、システムだけに集中して仕事できたのはいつぶりだろうか。
その後も仕事を定時で切り上げる久保田部長は、毎日のように後輩たちを連れて飲みに行っている。同僚は基本俺と共に仕事してくれているが、久保田部長の機嫌によっては飲み会に行かざるを得ない空気になってしまい、しぶしぶ参加している。もがきながらも、俺にとってシステムと1対1で向き合うことができる残業の時間が、一番集中できる時間になっていったのだ。
「宮島、プロジェクトの資料を持ってこい。」
ある日、珍しく久保田部長に呼び出された。
「進捗状況を詳しく教えろ。あとその資料も見せろ。」
久保田部長がプロジェクトの進捗状況を知りたがるなんて、珍しいにも程がある。
「何してんだよ。早く見せろ。」
上戸を戸惑ったが、俺は現在のプロジェクトの進捗と資料に基づき、システムの内容について解説した。
「このシステムにアクセスするにあたって、どういうセキュリティ管理をしているんだ?」
「リアルタイムで更新される認証コードシステムと連携させています。」
「なるほど。社長への報告のため、この資料はもらっておく。戻れ。」
正直、久保田部長がここまでシステムについて興味を示しているのが気持ち悪い。当たり前のことではあるのだが、仕事をしてくれていることに少し感動を覚えた。もしかして少しは関心してくれたのだろうか?これからしがらみなく働くことができるのならば、システムの完成もかなり希望が持てる気がした。
ところが、安心していたのも束の間、数日後、俺を叩き落とすような出来事が起きた。
その日、俺は定時で帰宅していた。久保田部長が後輩を連れて飲みに行かなくなってから、業務はさらに分担化されて、俺はこれまでより早く帰宅することができるようになっていたのである。久しぶりに家のみでもしようかな。俺はスーパーでビールといくつかのおつまみになる材料を購入して帰宅した。簡単な調理をして缶ビールを開け、いざ飲もうとした時、突然スマホの通知音が鳴った。夜に通知音が鳴ることなどほとんどなかったから、俺は開けた缶ビールを置いてスマホを見た。その内容に、俺は思わず発狂しそうになる。慌てて家を飛び出して会社に向かう。通知の内容。それは、開発中のシステムへの不正アクセスが確認されたというものであった。
万一の時に備えて、俺は自分のスマホに不正アクセスされた時に対応できるよう備えつけていた。会社に向かいながら、俺はそのシステムを利用して強制シャットダウンを行った。会社に着いた頃には息が思いっきり上がっており、俺はかいた汗を拭いながら自分のデスクで作業に取りかかる。幸い道中で強制シャットダウンしていたおかげで、システムの流出は防げたようだった。しかし安堵する余裕もなく、疑念が浮かぶ。このシステムについてまだ社外にリリースしているわけではないから、不正アクセスをして情報を抜き取れるのは、うちの会社の人間しかいない。情報漏洩が防げた安堵感と、会社の誰かが不正アクセスで情報を抜き取ろうとしたのではという疑念に、俺はしばらく放心状態になってしまった。
システムを何としてでも早く元通りにしなければと、結局俺はそのまま会社で朝を迎えることになるほど作業に打ち込んでいた。
「おはようございます。」
「え、秋彦どうしたんだ?顔やれてるぞ。なんか…なんか食べるもん。買ってくるぞ。」
俺があまりにも憔悴していたらしく、同僚は真っ先に心配してきてくれた。
「不正アクセス?まだ開発途中のシステムに不正アクセス?もしかして社内の人間?」
「そうなんだよ。なんでこんなことするんだ?」
「おい、不正アクセスってどういうことだ?」
声に振り返ると、いつもは出社時間ギリギリに優雅にコーヒー片手に出社してくる久保田部長が、今日もコーヒーは片手に持っていたが、出社より早い時間に出社してきていた。俺と同僚の話を聞いていたのか、顔を赤くして声を飛ばしながら近づいてくる。
「このシステムの情報を抜き取られたのか。」
「いえ、不正アクセスの被害には遭いましたが、迅速に対応して強制シャットダウンをしたため、情報は抜き取られていません。無事です。復旧作業も夜通しで行っていたため、現在は問題なく使用できます。」
どうせこうなると分かっていたから、どうしても夜のうちに問題を解消させておきたかったのである。だが俺の説明を聞いても、久保田部長の不機嫌さは変わらなかった。
「ふ、そんなこと言っても騙されないぞ。お前だろ。流出させようとしたの。」
久保田部長から発せられた言葉は、日本語とは思えないほど思考が追いつかなかった。
「え、今何とおっしゃいました?」
「だから、お前がシステム内の情報を流出させようとしたんだろって言ってんだよ。」
全く理解できない発言だった。俺はこのシステムを1からプロジェクトメンバーとして作り上げてきた人間だ。言い方は悪いが、途中から入ってきてろくに仕事もしない、会議にも参加しない人に言われるセリフではなかった。
「何をおっしゃっているんですか?私が流出などするわけがありません。」
つい言葉が強くなってしまう。
「ほら怒っちゃってさ。動揺してんだろ。全部自作自演なんだろう。」
「私は1からこのプロジェクトに参加してきたんですよ。そんなシステムの評価が下がるような行動をするわけないじゃないですか。」
「言い訳ばっかりだな。お前は首な。はい。お前、首な。首だって言ってんだよ。」
原因不明の不正アクセスを阻止して、夜通しで復旧した直後の首宣告。これはあまりにも残酷すぎないか?思わず心の中で呟いてしまうほどの衝撃に、俺の心は耐えられなかった。
「そんな、いきなり首だなんて。もっと上の人にも意見を仰いでください。やってもいないことを疑われて、いきなりこの場で首だなんて、そんなの受け入れられません。」
俺は久保田部長より上の人間へ判断をしてもらうよう要求した。仕事面においても人間性においてもかなり信頼されている自信があった。自ら身の潔白を証明すれば、この状況を打破できるかもしれないと思ったのである。
「あのさ、そんな上の人間にこのことを知られちゃったら、システム部もっと大変なことになるんだぞ。最悪、このシステムはそのままポシャるかもしれないよ。それでもいいの?」
このシステムがポシャる。なかったことになるなんて、絶対にあってはならないことだ。俺は何よりもこのシステムの完成に命をかけてもいいと思えるほど真剣に打ち込んできた。こんな道半ばで終わらせてしまっては、約束が果たせなくなってしまう。
「お前さえ責任を取って辞めてくれれば、全部丸く収まるんだよ。」
「わかりました。辞めます。」
幸い同僚はかなり仕事ができる人間だ。部長の言葉に、俺は覚悟を決めた。
「おい、何言ってんだよ。」
同僚が止めに入ってくれたが、俺はそれに反応せず、まっすぐに部長を見て頭を下げる。
「その代わり、このシステムは必ず完成させてください。どうかお願いします。」
「分かればいいんだよ。荷物まとめて出て行ってくれよ。よし、みんな何ぼっとしてんだ?仕事。」
そう言って久保田部長は席に着くと、コーヒーを飲みながらスポーツ新聞を読み始めた。俺はいつの間にか手を思いきり握りしめていたようで、手のひらには爪の跡がはっきりと残されていた。
「システムのことを頼んだ。完成させてくれ。」
「秋彦、そんなこと言われなくても絶対完成させるけど、辞め方でいいのか?これでプロジェクトが中止になってしまったとしたら、一生後悔する。それだけは嫌だから。」
俺は荷物をまとめて会社を後にする。振り返って見上げたビルは、これまで馴染みのあったはずなのに、一気に遠い存在になったような気がした。
俺はその流れである人物に連絡を入れると、その人はすぐに日程調整をしてくれた。1週間後、カフェで待っていると、その人物がやってきた。
「君から連絡をくれるとはね。ちょうど今、君と同じような患者さんを見ていてね、君のことが気になっていたんだよ。」
「すっかりご無沙汰してしまってすみません。お元気そうで良かったです。」
「相変わらず忙しすぎて白目になりそうだけどね。って、患者さんの前で言う話じゃないか。」
待っていた人物、話したかった人物は、当時のままの明るくて太陽みたいな人だった。
「今日は先生にお話ししないといけないことがあって、ご連絡しました。お忙しい中ありがとうございます。」
「いいんだよ。どうしたの?」
「俺が昔先生と約束した夢、叶えられませんでした。」
「患者さんを楽にするシステムを作れるようなエンジニアになるっていう夢。え、覚えてくださっていたんですか?」
「もちろんだよ。あんなに嬉しい言葉をかけてくれたのは、俺にとっても励みになっているからね。」
俺はその言葉を聞いて、さらに心が苦しくなってしまった。
小さい頃から野球少年だった俺は、将来絶対にプロ野球選手になるんだと意気込んでいた。高校生になると甲子園に出場できるように、毎日早朝から深夜まで練習漬けの日々を行っていたのだ。しかしある日の試合前に、相手の打ったボールが肩に直撃し、負傷してしまった。幸い命には至らなかったものの、利き腕にボールが当たったことから思ったように投球ができなくなってしまい、プロ野球選手の夢を諦めざるを得なくなってしまったのだ。
「立ち直れとか切り替えろとか言われるかもしれないが、気にしなくていい。とことん落ち込める時に落ち込んだ方がいい。」
その時診察してくれたのが、今目の前に座っている先生だ。少し自暴自棄になってしまっていた俺に、先生はいつも優しい言葉をかけてくれた。
「今はとても辛いと思う。絶望を感じるかもしれない。でもね、これだけは伝えておく。人生の選択肢は無限大だ。だから大丈夫。」
「人生の選択肢は無限大だ」って言葉。あの言葉にものすごく救われたんです。自分の進路に悩んだ時、自分みたいに怪我やどうしようもない理由で夢を諦めないといけない人たちと、先生たちの架け橋になりたいって思った。そして、毎日たくさんの患者さんに寄り添って多忙を極めている医師の皆さんが少しでも楽になってもらえる手段と考えた時に、システム開発が頭に浮かんだのである。
「先生、俺、患者さんと先生たちをつなぐ架け橋になるようなシステムを作る人間になります。」
「おお、新しい夢ができたね。架け橋か。じゃあ俺の多忙さも軽減されるかもね。」
何としても叶えたいと思い、システム開発に強く、そして医療との縁もありそうな会社を選んで入社。あのプロジェクトに俺が命をかけてもいいと言っていたのは、この理由があったからだったのだ。
「謝らなくていいんだよ。あの時と同じ、人生の選択肢は無限大なんだから、まだまだ新しい道はたくさんある。」
「ありがとうございます。この夢は頼れる同僚に託してあります。先生の負担が軽くなるのは時間の問題かもしれません。」
「えー、そうなの?それは楽しみにしておくよ。次何するかはもう決めているのかい?」
「全然決めていないです。こんなの初めてかもしれません。でもたまにはいいかなって。人生の長期休暇的なのを過ごしてみようかと。」
「とてもいいじゃないか。俺も人生の長期休暇取りたいな。」
「先生には待ってる患者さんがいますからね。そうだ。長期に休んでいられない。」
最近では会社でもずっと仕事の話ばかりしていたから、こういう何気ない会話で笑い合えるのは久しぶりの感覚だった。すると、スマホが震えた。
「すみません。前の会社からの電話です。ちょっと出てきます。」
今更何なんだと思いながらも、電話がかかってきたら出たくなるのは、長年社会人をしてきたからなのかもしれない。電話の相手は、首になった会社の社長からだった。
「宮島君、なぜプロジェクトの話し合いに参加しないんだ?連日無断欠勤して、一体どこで何をしている?」
耳が壊れそうなほどの怒声がスマホを震わせた。俺は正直に答えた。
「先日、久保田部長から首にされましたので、参っておりません。」
「え、は、え…」
社長のこの様子だと、俺の首の事実は上に上がっていないようだと。
「とにかく、私が知らない間に首だなんて、そんなことはあってはならない。いい、すぐ会社に来てくれ。頼んだぞ。」
挙動不審な発言をする社長は、それだけを話すと電話を切ってしまった。
「先生、社長からお呼び出しがかかりました。」
「おお。これはもしや何かが起こるんじゃないのか。行ってきなさい。」
「先生、映画の見すぎですよ。ちょっと行ってきます。お話できてよかったです。ありがとうございます。」
「そう言ってもらえてよかったよ。また今度飲みにでも行こう。」
先生にお礼を言って、俺はその足で会社に向かった。会社への道すがら、同僚からメールが届いていた。
「今日会社に来るんだって。渡したいものあるから、会社着たら先に休憩室に来てほしい。」
いつも絵文字ばかりでうるさい同僚からのメールが、こんなに簡素だと逆に怖くなる。
「お、これはもしや何かが起こるんじゃないのか。」
先生の言葉が頭の中で再び再生された。急ぎ足で会社に到着した俺は、そのまま休憩室に向かう。同僚はすでに俺のことを待ってくれていた。
「なんか毎日会ってたから、久しぶりな感じがするな。」
「はい。」
同僚は俺にとあるものを渡した。
「何これ?選別?」
「違うよ。びっくりするもん入ってる。これから社長室行くんだろう。久保田部長もいると思う。なんかわめき出したら、これ使え。」
同僚はそう言いながら、これでもかと言わんばかりのドヤ顔をかましてきた。いつそんな表情できるようになったんだ?
「この一見からだな。ほら、行ってこい。」
同僚はそう言うと、衝撃の事実を伝えてから俺を休憩室から追い出した。振り返ると、グッドラックと手で合図を送ってくる。映画の見すぎだろう。同僚から受け取ったものを胸ポケットに入れて、俺は社長室に入室した。同僚の予想通り、そこには社長と久保田部長がいた。
「さあ、宮島君も来てくれたことだし、事情を聞かせてもらおうか。」
「さっきからお話ししている通り、宮島がシステム情報を流出させようとしたんです。なので、その場で首にするという判断をしたまでです。」
久保田部長は社長に対し、はっきりと堂々と告げる。社長はそれに一つ頷き、今度は俺のことを見た。
「宮島君はどうなんだ?」
「私は流出などしておりません。自分が大切にしてきていたプロジェクトを手放すわけがありません。僭越ながら申し上げますが、流出させようとしたのは、久保田部長ではないですか?」
俺の発言に、久保田部長も社長も目を見開いた。
「お前、何を言ってる?根も葉もないことを。証拠はあるのか?証拠もなくてそんな出鱈目言うのであれば、訴えるぞ。」
「証拠ないんだろう。プロジェクトのために辞めますって言ったくせに、今度は俺になすりつけようとしてくるなんてな。」
俺は同僚からもらったものを胸ポケットから取り出した。
「これが証拠です。」
それはボイスレコーダーだ。俺が再生ボタンを押すと、部屋の中に、楽しそうに笑いながら話す久保田部長の声が響き渡る。
「パチンコで負けてさ、このままじゃ週末の野球を見に行けないじゃんって思って、システムの情報を売ったら大金が手に入るわけじゃない。そしたら野球も行けて、パチンコでも勝負がかけられるわけよ。」
久保田部長の顔から血の気が引いていくのが分かった。
「ほんでパチンコでまた大金当てたら、もうこりゃパーティーよ。君たちもたし食べられるんだから、いいことしかないよな。なのに失敗した。腹立ったから、責任取ってもらった。ああ、愉快かい。」
「久保田君、これはどういうことかな?」
「これはその…」
俺もまさかの事実に驚きを隠せなかった。どうしても別に犯人がいると思って探ってて、そしたらやばいもん取れた。同僚からこれを受け取った時に聞かされてたやばいもんが、ここまでの衝撃とは思っていなかった。
私欲のために会社の貴重な情報を流出させようとした。その責任を部下に取らせて首にした。君はしたことの重大さを分かっているのか?
社長は完全に俺を信じてくれたみたいだ。録音声の中に同僚、そしてその場にいた後輩たちの声も収録されていたから、加工して作られたものではないのが分かったのだろう。
「あの、全然違いまして…」
久保田部長はと言うと、反論しようにも言葉が出てこない様子だった。
「部長は先ほど、そんな出鱈目言うのであれば訴えるぞとおっしゃいましたよね。その言葉、そっくりそのままお返ししたいのですが。」
俺がそう言うと、久保田部長はさらにどぎまぎした様子を見せた後、急に土下座してきた。
「頼む。訴えるのだけは勘弁してほしい。この通り。この通りだ。」
おでこを擦りむくだろうと思うような勢いに、俺はあっけに取られてしまった。
「訴えられる心配ばかりしているようだが、君は今日付けで首だ。この会社を辞めてもらう。そして宮島君には戻ってきてほしい。お願いできるだろうか?」
「首、首ですか?そんな突然言われましても…」
「君は突然自分のしたミスを宮島君になすりつけて、その日のうちに首にしたんだろう。それと何が違うんだ?」
土下座から顔を上げていた久保田部長だったが、その社長の言葉にすっかりうなだれてしまった。
結果、会社に戻ることになった。こんな辞めさせられ方があってたまるかと思っていたし、何より再びシステム開発に携わることができて幸せだ。しかも、俺が部長に任命されたのである。社長が、勤続年数ではなく、その分野に一番長けている人がリーダーになるべきだと言ってくれたらしい。
久保田部長はと言うと、その後、営業部の頃から他人の成果を横取りしたり、違法な接待を行い成果を上げていたことが続々と判明していき、会社を首になっただけでなく、損害賠償請求もされたそうだ。
「営業成績がいい優秀って言われている割には、な仕事態度だったから納得だけどな。」
「本当に久保田部長、もうこの業界では生きていけないだろうな。」
同僚が相変わらずのドヤ顔をしながら仕事をしている。
「ありがとう。助けてくれて。」
ちょっと言い出しにくい雰囲気だったが、今しかないと思って、俺は感謝の気持ちを伝えた。
「急になんだよ。当たり前だろ。システムについて一番熱心なのを、一番そばで見てたんだ。絶対完成させような、部長。」
「おい、その言い方バカにしてるだろう。」
「バカにしてない。してないって。」
「2回言うってことは、バカにしてるってことの裏返し。」
「おお、怖。」
「ほら、部長、会議しようぜ。みんな待ってるぞ。」
俺は作っていたメールを送信して、会議室に向かった。
「先生、会社に戻れることになりました。そして部長になりました。映画みたいな展開に驚きを隠せませんが、必ずやり遂げます。また飲みに行きましょう。」
「人生の選択肢は無限大だ」ってところを、システムの完成で実現させないと。強く思って、俺は会議室のドアをノックしたのだった。


