「中卒が工場長なんてこの会社もおしまいだな。」
笑いながら工場に入ってきた取引先の担当者は、俺を見てそう言った。こいつはいつも俺のことを見下している。俺の我慢にも限界というものがある。
「そうですね。取引先を見下す人間が入れる勝者もどうかと思いますけどね。」
穏やかに嫌味を言うと、相手は俺を睨みつけてきた。こいつ、いつかぶっつぶしてやる。だが、まだその時じゃない。
俺の名前は北川淳。40歳で、つい先日機械メーカーの工場長に就任した。この会社には中卒の俺を雇ってもらった恩がある。工場長の次男として育った俺は、実家の工場を古臭いと思っていて、父には常に反発していた。
兄は頭が良くて俺とは出来が違う。そう思っていたので、兄が褒められる度に、反対に俺はグレていった。
高校入試の日に父と喧嘩をし、行かなかったので、俺の学歴は中卒だ。父には家を追い出された。
何でもいいから金が欲しいと仕事を探したところ、今働いている機械メーカーで雇ってもらい、住み込みで働くようになった。
社長の元で修行をしていると、社長には「筋がいい」と褒められた。古臭いと思ってはいたものの、昔から父の工場には出入りしていたし、職人たちの作業を見ていたからだろう。
俺はここで働く間に、父への思いが「うるさい親父」からだんだんと尊敬に変わっていった。
今では父とも和解している。いつか父の工場で働きたいと思っているが、兄が父の工場で働いているので人手は足りてるし、俺は外でもっといろんなことを学ぼうと思っている。
そんな俺がつい先日工場長に就任したのだ。父も兄も喜んでくれて、久しぶりに実家で母の手料理でパーティーを開いてくれた。
「初めての工場ね。しっかりやれよ」と上機嫌な父が俺の背中を叩く。兄も「頑張れよ」と応援してくれた。
工場長という立場は思った以上に大変だ。特に取引先との関係性には気を使っている。契約を切られたらやっていけない。かと言って、取引先の要求だけ鵜呑みにしていたらうちの利益が上がらない。社長からは「頼りにしてるからな」と言われているので、期待に答えたいと思っている。
そんな中、一番厄介なのは大手勝者の担当者・村田だ。村田は俺と同年代。俺とは全く違う人生を歩んでいるエリートだ。小学校からずっと私立に通い、大学も俺でも知っている有名なところだという。
そこから大手者に入社となれば、エリートと言われるのも分かる。ただ、人間性はとてもエリートとは言えないが。
ある日の雑談の中で、俺が中卒と知ると「この世の中に中卒なんているのか」と馬鹿にしてきた。しかも「俺はこの知性を生かしてギャンブルでも大儲けだ。額がない連中はギャンブルで負けっぱなし。やっぱりエリートとは違うんだよ」と、どうでもいい自慢までしてくる。
「ちなみに、どのくらい儲けてるんですか? 仕事をしなくてもいいくらいですか?」
興味本位で聞いてみたところ、「なあ、それはまあどうでもいいだろ。トータルで分かってるからな」と、ギャンブルをやってる人にありがちな答えが返ってきた。
金額を言わないあたり、そんなに儲かっていないだろう。こいつ、いつかギャンブルで破滅するタイプだな。ちょっとかわいそうになってくる。とはいえ、俺を馬鹿にしてくる態度には腹が立つ。これが友人だったら、とっくに縁を切っているだろう。
しかし、村田が務める勝者は、うちの主力製品に欠かせない機関部品の唯一の仕入れ先だ。海外からの特線ルートで仕入れているとかで、国内でこの部品を扱っているのは村田の会社だけだという。つまり、どれだけ嫌な相手でも、この部品がある限り村田との付き合いは切れない。それが分かっているから、村田はあれほど王平な態度を取れるのだろう。俺もそれをずっと歯がゆく思いながら、仕事だからと我慢している。
そんな割り切ったビジネスな関係すら、村田は自らぶち壊しにやってきた。
ある日、村田から「中卒が工場長なんてこの会社もおしまいだな」と言われ、俺は「そうですね。取引先を見下す人間が入れる勝者もどうかと思いますけどね」と、ついつい嫌味を返してしまった。
その日は俺を睨みつけて村田は帰って行ったのだが、その数日後、村田はアポなしで工場へと乗り込んできた。いつにも増して嫌な笑みを浮かべ、わざと靴音を鳴らしながら、事務所のドアをノックもせずに開ける。
「相変わらず油臭い部屋だな。」
俺は突然の声に驚いて、「村田さん、どうしたんですか? アポもなしに」と顔を上げた。すると村田は勝手にソファーにドカッと腰かけ、「今日は君に極上のビジネスプランを持ってきたよ」と言って、書類を1枚テーブルの上に放り投げる。
そこに書かれた数字を見た瞬間、俺は自分の目を疑った。それはうちの主力製品に使っている機関部品の価格改定表。なんとそこには現在の価格の10倍の金額が並んでいた。
「何ですかこれ? 桁が1つ間違っていますけど。」
俺が眉を潜めると、村田は声を上げて笑う。「間違ってない。間違ってない。来月からその価格ね。まあ、先に言っておくけど、交渉の余地はないから。」
「そんなの困りますよ。こんな価格、一発でうちの会社が傾きます。」
慌てて口を開く俺を、村田は鼻で笑って遮った。「君さ、自分の立場分かってる? こないだ俺に嫌味を言ってきたよね。中卒ごときが放つ嫌味に俺が傷つくことはないけどさ、ちょっと頭に来ちゃったよね。」
それにしても、こんな要求、会社が正式に許可するわけがない。こいつ、何か後ろぐらいことがあるんじゃないか。そんな疑念が頭の隅にじわりと浮かんだ。
「お前はいつもその何倍もの嫌味を言っているのに、俺が少し反論しただけで頭に来ただと。随分と器が小さいな」と、俺はそう心の中で反論した。口に出したらもっと面倒なことになる。そう心の中で反論する俺を、村田はさらに煽り立てる。
「いやあ、君が工場長に就任した途端、うちとの交渉に失敗するなんて、まるでこの会社に取り憑いた貧乏神だなあ。貧乏神様。」
貧乏神だと? 胸の奥で同下線に火がつく音がした。これは俺個人への侮辱じゃない。中卒の俺を拾って育ててくれ、頼りにしてると工場長にまでしてくれた。社長への恩を仇で返すわけにはいかない。そして、不器用ながらも必死に生きて、せっかく和解できた親父の顔に泥を塗るような真似は絶対にさせない。
俺は怒りを冷静な思考へと切り替え、前々から温めていた計画を頭の中で計算し直した。
そして確認のために村田へ問いかける。「この部品の流通ルートはオタクだけでしたよね。」村田は「そうだ。うちは海外からの特占ルートで仕入れている。この部品を使っている国内企業はうちから買うしかないんだよ。それが勝者ってもんだ。君みたいな中卒には分からない次元のビジネスだけどな」と、どこまでも俺を馬鹿にしてくる。村田は勝ち誇った顔で身を乗り出し、とどめとばかりに高笑いした。
「いいか? その中卒の頭にもう1度叩き込んでやるよ。部品代はこれから10倍な。無理なら供給止める。それかうちだけだ。さあ、どうする?」
ここまでコケにされて黙っていられるか? それに、この部品、実はまだ改良できる点があると思っている。うちの会社の工場では設備がないが、父の工場ならどうだ? この部品は特許取っているわけでもない。父の工場でこれと似た部品を作れば、今よりもクオリティの高いものが手に入るのではないか。
今まで考えたことはあるのだが、勝者との付き合いがなくなると、それはそれで困ることがあるかもしれないと思って、実行に移そうなんて考えたことはなかった。だが、こうなったら話は別だ。村田、お前なんかが仕入れてくる部品よりもクオリティが高いものを使って、今までよりもいいものを作って見返してやりたい。俺にはそんな思いが湧いてくる。
これは俺の独断になるが、社長は俺の工場長としての判断を信じてくれるだろう。
村田から視線を外し、そう考えていた俺を見て、村田は身を乗り出し、俺の顔を覗き込む。「ほら、中卒ごときが俺みたいなエリートには向かうから、こういうことになるんだ。早くここに判を押せ。無品の値段は10倍。これがなければ困るのはオタクだろ。俺も暇じゃないんだ。早くしろ。」
俺は顔を上げ、村田に向かって言ってやった。「では、契約解除で。」
村田は「そうかそうか。じゃあすぐに判を」と言って、俺の言葉が自分が思っていたものと違うことに気づいたようだ。「あ、契約解除?」と村田の動きが止まる。俺は「ええ、そんなぼったくりの金額で買うほどの価値はこの部品にはありません。契約を解除させていただきます」と言った。
自分が思い描いた展開と違うことに慌てた村田は「な、何を言っているんだ? 供給が止まれば困るのは」とパニックになりかける。俺は穏やかに微笑んで見せた。「あなたがその10倍の値上げ要求という不当な書類を持ってきた。条件が強引に達しない以上、うちにも契約を解除する正当な権利はあります。エリート勝者の村田さんなら、そのくらいの法律、当然ご存知ですよね。」
村田の顔からみるみる血の気が引いていくのが分かった。それでも自分で言い出したことに引っ込みがつかなくなったのだろう。「本当にいいんだな。君の独断でこの工場を潰すことになるぞ。」村田は強気でそう言ってくる。俺はもう一度微笑み、「それで潰れるなら、この会社はそれまでですよ。では、話はついたのでお引き取りください」と言って、村田を追い出した。
ここからが本番だ。俺はすぐに社長に連絡をする。今の経緯を話し、そして「この部品、俺が責任持って調達します」と言うと、社長は「落ち着け。そうは言っても、この部品は他で扱ってないんだ。俺が村田さんに連絡して、今までの値段に戻してもらえないか交渉するから、ちょっと待ってろ」と俺を落ち着かせる。だが俺は反論した。「落ち着いてます。俺に考えがあるんです。俺をここまでにしてくれた社長への恩を仇で返すわけにはいきません。」
そう言って、父の工場で作れるように手配することを告げる。社長は「親父さんのところで? でも、そんなにすぐにできるのか」と半信半疑だ。俺は「実はこの部品、額が高いし、もっと改良の余地はあると思って、設計図を書いていたところなんです。これを持っていけば、兄の頭脳と父の技術で、きっと形になります」と胸を張る。
社長は俺の話を聞くと、「わかった。お前がそこまで言うなら信じよう。だが、うちにある部品の在庫は持ってあと5日分だ。それが切れれば、うちの製造ラインは止まる。期限は5日だ。親父さんには俺からも連絡を入れる。今すぐ行ってこい」と俺に活を入れる。俺は「ありがとうございます。でも社長、3日で完成させます。任せてください」と言って電話を切り、実家の工場に急いだ。
父の工場に到着すると、「淳、社長から話は聞いたぞ。あの社長にはお前を雇ってもらった恩があるからな。最高な部品を作ってやる」と父がニヤっと笑う。俺は「これ、俺が作った設計図。兄ちゃん、頼むよ」と兄に設計図を渡すと、兄は頷いてその設計図をまじまじと見る。「これはこっちの方がいいな。」兄はそう言って設計図に修正を入れ、すぐに作業に入った。父は図面を1度見ただけで、どこをどう変えるか分かったようだった。無口な親父が、この時だけは俺に次々と質問を投げかけてくる。「この交差、どこまで許容できる?」「素材はこっちの方が熱に強いぞ。」
一方、兄は機械に向かった途端、別人のように変わった。さっきまでの穏やかな顔つきが消え、目が鋭くなる。手が迷いなく動く。俺はその2人の背中を見ながら、ガキの頃に感じた「この工場すごい」という感覚を久しぶりに思い出していた。
昔は古臭いと思っていた。だが今は違う。ここには金では買えない技術と、積み重ねてきた時間がある。俺はそれを誇りに思う。
3日後、試作品を持って社長のところに戻る。社長は試作品を手に取り、「淳、よくやったな。確かにこれなら今までのものよりもクオリティも高い」と褒めてくれた。
俺はその言葉を受け止めつつ、「ですが、1つ問題があって」と切り出す。「うちの工場で使うだけの量を作るとなると、なかなか難しくて。町工場仲間に話を持っていきたいんです。複数の工場で作れば、生産も問題なく間に合います。ですが、町工場はどこも経営が苦しく、しっかりと契約した上で作業に入ってもらいたい。だから、社長に来て欲しいんです」と俺は社長に頭を下げた。社長は「お前、何言ってんだよ。そんなもん、行くに決まってんだろ。ほら、すぐ行くぞ」と言って、俺の背中を叩いた。
俺はなんだか目頭が熱くなる。こんな俺を信用してくれて、任せてくれた。少しは俺も社長の力になっているだろうか。社長の元で働けてよかったと、改めて思ったのだ。
それと、社長も黙ってはいなかったようで、水面下で色々と動いてくれていたことも、後になって知った。社長とすぐに実家の工場に戻り、話を詰める。町工場仲間も、きちんと契約をした上で製造を手伝ってくれることになった。
「北川さん、仕事をくれてありがとうな」と町工場の父が声をかける。「淳、お手柄だな」と父が俺の背中を叩いた。社長はその様子をニコニコしながら眺めている。俺は「皆さん、ありがとうございます。よろしくお願いします」と町工場仲間にも頭を下げた。
それから1ヶ月後、新しい部品はもちろん順調で、今までよりも性能が上がったと現場からも声が上がっている。完成の日に、兄が俺にこう言ってきた。「淳、この部品、その勝者から買ってる他の工場に売り込んだらどうだろう。」「その手があったか」と俺は膝を打った。兄のアイデアは完璧だった。見事に村田の会社から乗り換える工場が続出し、父の工場も町工場仲間も、見る見る売上が伸びていったという。
ということは、村田の会社は工場から契約を切られているということだ。そろそろかと思っていた矢先、「北川、お前何をした?」と案の定、うちの工場に村田が乗り込んできた。目は血走っているし、スーツも乱れている。「ここのところ、工場が次々部品の供給を断ってきている。今日もそうだ。問い詰めたら、お前の名前が出てきた。どういうことだ?」やはり、どこかの工場に行って契約を切られた帰りだった。
「ああ、そうですね。うちの実家の工場で、この規格の部品を作ってもらったんです。今までの部品にはまだまだ改良点がありましたからね。で、町工場仲間にも製造に協力してもらったところ、量産できることが分かり、町工場のネットワークを使ってこの部品を広めました。」
俺は続ける。「今までより低価格で品質がいい日本製の部品、売れないわけないじゃないですか。」
すると村田は「お前、営業妨害だぞ。ふざけるな」と声を荒げる。「営業妨害? 侵害ですね。うちは特許も侵害していませんし、健全なビジネスをしているだけです。それより村田さん、あなたの懐事情は大丈夫なんですか?」
俺がそう言うと、村田は「な、何のことだ」とピクリと反応した。「うちの社長が、あなたの会社にあの妨害な値上げは何だったのかと聞きました。会社はそんな値上げは指示していないし、報告も受けてないと言ったそうですよ。」
そこへタイミングよく社長がやってきた。うちの従業員が、村田のあまりの見幕に社長に連絡を入れていたようだ。社長は「村田さん、知り合いを通じて聞きましたよ。あなた、ギャンブルで首が回らなくなったそうですね」と言うと、村田は「どうして、それは」と青ざめる。俺はそれを聞いた時、ある仮説が浮かんだ。「会社の知らない、報告もしていない値上げ。これって、もしうちが10倍の値上げに了承していたら、その差額は着服するつもりだったんじゃないですか?」
社長も頷き、「北川がそういうもんだから、そのことを君の会社に伝えてある。先ほど乗り込んできたこともな」と言った。村田は「じ、違う。そんなつもりじゃない。もういい」と慌てて帰ろうとしたが、工場のドアを開けると、1人の男性が立っている。村田の上司だ。「村田、お前どういうつもりだ?」と小柄な上司が村田の首根っこを掴み、「俺らに謝罪して」と連れて行った。
その後、村田の上司から社長に謝罪の連絡があったそうだ。村田は会社の金を横領していたことが発覚して、解雇されたという。借金を返すため、アルバイトや日雇いの仕事で食いつないでいるらしい。エリートの末路はとんでもないものだった。
社長から呼び出され、「淳、お前は俺の想像以上に育ったな。これからも頼むぞ、工場長」とお褒めの言葉を頂いた。俺は父にも社長にも育ててもらった。この恩は忘れない。これからも恩を返せるように、もっともっと頑張っていこうと思う。よし、今日も気合入れていくぞ。



