ある日、ボロボロの身なりの老人が俺の小さな工場に来て、「社長、どうか私を日給100円で雇ってください」と言った。顔の半分は火傷の跡で覆われていて、俺は思わず息を飲んだ。事情を聞いて同情し、月1万円で雇うことにした。ところが数日後、事務所の電話が180件も鳴り響き、みんな「伊崎さんの陶器が欲しい」と言う。まさか、あの老人が30年前に一世を風靡した有名陶芸家だったなんて。しかも、彼を雇う前に、あ…

ある日、ボロボロの身なりの老人が俺の小さな工場に来て、「社長、どうか私を日給100円で雇ってください」と言った。顔の半分は火傷の跡で覆われていて、俺は思わず息を飲んだ。事情を聞いて同情し、月1万円で雇うことにした。ところが数日後、事務所の電話が180件も鳴り響き、みんな「伊崎さんの陶器が欲しい」と言う。まさか、あの老人が30年前に一世を風靡した有名陶芸家だったなんて。しかも、彼を雇う前に、あ...

ある夏の日、ボロボロの身なりの老人が俺の経営する小さな金属加工工場を訪ねてきた。最初は断ろうと思った。しかし、老人の身の上話を聞いて、俺は告げた。「わかりました。食事付き、月1万円で雇います。」老人は目に涙をためて何度も礼を言った。

俺の名前は花村信助、35歳。父が亡くなってから小さな工場を継いで3年になる。従業員は俺を含めて6人。建物も老朽化し、経営は厳しい。母は病気で入院中で、俺は工場の管理と事務を一人でこなしていた。

ある日、道端で中学時代の同級生・勝野正彦に声をかけられた。彼は近所で食器を作る会社を経営していて、規模も売れ行きも俺の工場とは比べ物にならないほど大きい。

「お前んとこ、まだ工場続いてるのか?」
「ああ、なんとかね。」
「相変わらず下請けの下請けみたいな仕事だろ。うちみたいに優秀なデザイナーもいないから、オリジナル商品も作れないしな。」

悔しかったが、正彦の言うことは一理あった。俺の工場にはデザイナーを雇う余裕などない。正彦は高級そうなスーツを着て、俺のボロボロの作業着を見下すように笑いながら去っていった。

母の病室に花を飾ると、母は嬉しそうに笑った。母は昔から花を生けるのが好きで、そのきっかけは有名な陶芸家のファンだったかららしい。

「慎助、工場の方はどう?」
「なんとかやってるよ。」

俺は無理に笑ったが、母は心配そうな目をしていた。

「あなたには技術もセンスもあるんだから、苦しかったら工場を閉めて別の仕事をしてもいいのよ。」
「ありがとう。でも、父さんと母さんがやってきた工場を守りたいんだ。」

母は頷いたが、顔には申し訳なさが滲んでいた。

翌日、猛暑日になると天気予報が告げる中、俺は事務作業をしていた。すると従業員の一人が困った顔で呼びに来る。玄関先に、ボロボロの身なりの老人が立っていた。年齢は70歳前後。顔には大きなマスクをしている。

「どうかなさいましたか?」
「社長、どうか私を日給100円で雇ってください。」

俺は老人を応接室のソファに座らせ、冷たい飲み物を出した。彼はそれを飲み干し、少しだけ顔色が良くなったように見えた。

「あなたのことは何とお呼びすれば?」
「藤堂高弘と申します。」
「どうしていきなり雇ってほしいと?しかも100円だなんて。」

藤堂さんはぼそぼそと語り始めた。

「私には自慢できる経歴などありません。現在71歳で、この30年はアルバイト経験しかないのです。最近まで大きな工場で働いていましたが、雇い止めになって、住むところも失いました。この年齢でこんな私を雇ってくれるところなど、どこにもありませんでした。」

「うちも従業員は足りているんです。」

藤堂さんはすがるような目で「そこをなんとか」と懇願した。俺はふと、暑いだろうからマスクを取ってはどうかと提案した。

「あ、それはお見苦しいものを見せることになるかと。」

彼がマスクを外すと、俺は息を飲んだ。マスクで隠れていた顔の半分は、ひどい火傷の後のようなケロイドで覆われていた。元の顔立ちがわからないほどの傷だった。

「すみません。事情も知らずにマスクを取るように言ってしまって。」

藤堂さんは昔、自宅が火事になり、この怪我を負ったらしい。それが原因で全てを失い、家族からも見放されたのだという。

「この顔ですから、どこも気味悪がって雇ってはくれません。当然かもしれませんが。」

俺は深い同情の気持ちを抱いた。そして、膝を打って告げた。

「わかりました。食事付き、月1万円で雇います。この工場の2階に居住スペースがあるので、そこを使ってください。食事は俺が作るものですから、そこまで豪華ではないですが。」

藤堂さんは目を見開いた。

「ちょ、ちょっと待ってください。1万円?私は100円でもいいと…」

俺は少し笑ってしまった。

「そんな100円で人を雇ったら、俺が捕まってしまいますよ。とりあえず明日からよろしくお願いします。」

藤堂さんは見る見るうちに目に涙をため、俺の手を握り深く頭を下げた。

「花村社長、ありがとうございます。本当にありがとうございます。」

俺は自分の給料を削ればなんとか彼を雇えると思った。とにかく目の前の藤堂さんを救いたかったのだ。

従業員に藤堂さんを雇うことを説明すると、彼らも温かく迎え入れてくれた。最初は検品や簡単な金属加工を任せたが、藤堂さんは仕事の覚えも早く、手先も器用で、俺は感心した。

藤堂さんが働き出した日の夜、食事をしながら彼と話した。

「花村製作所では陶器の製作を行っているんですね。きちんとした焼き窯もありました。」
「ええ、祖父の代から使っているものですから古いですけどね。藤堂さん、焼き物に興味がおありですか?」
「ええ、過去に少し。趣味で焼いたこともあります。」

俺は余った陶器の材料や上薬などを使って、オリジナルの作品を焼いていいと彼に告げた。すると藤堂さんは顔を輝かせた。

「仕事を与えてくださっただけではなく、作陶の許可までいただけるなんて。ありがとうございます。生活に張りが出ます。」

「いいんですよ。藤堂さんの作品ができたら、是非見せてくださいね。」

俺は藤堂さんを雇ったことを後悔していなかった。彼は覚えも早く、ちゃんと仕事をしてくれていたし、温厚な性格で職場にも溶け込んでいた。俺の生活はさらに苦しくなったが、それでも生き生きとした藤堂さんを見られるのが嬉しかった。

それから、俺の工場は短い盆休みに入った。3日間の休みの間も俺は事務作業があったが、最後の1日だけは完全な休みをもらい、母と長い時間を過ごすことができた。

仕事が始まる日、出社してみると事務所の電話が鳴り響いていた。滅多にならない電話なので慌てて取ると、女性の声がした。

「花村製作所さん?陶芸家の中野城さんのブログで紹介されてた、伊崎さんの陶器が欲しいんだけど。」
「え?陶芸のブログ?何のことでしょう?」
「花村製作所で作ってるんでしょ?とりあえず連絡先を伝えておくから、伊崎さんの陶器ができたらすぐ連絡をちょうだい。」

はて何のことかと思いながら連絡先を控え、電話を切った。そして留守番電話の件数を見て、俺は目を見張った。なんと180件を超えている。1つ1つ聞いてみれば、みんな同じことを言っているのだ。

「ブログで見た伊崎さんの陶器が欲しい。」

うちの会社では陶器など扱っていないし、伊崎というのも何のことかわからない。いや、正確に言えば、伊崎という珍しい苗字には聞き覚えがあるが、うちの会社とは無関係のはずだ。

するとそこに藤堂さんが出社してきて、呆然と立ち尽くす俺を見た。

「花村社長、おはようございます。どうかされたんですか?」

俺は藤堂さんの顔をまじまじと見て、あることに気づいた。火傷の後に目を奪われがちだが、その切れ長の目には見覚えがある。

「藤堂さん、事務所に180件の電話が来ているんです。もしかして…」

藤堂さんは静かに頷いた。

「私は昔、伊崎高弘という名前で陶芸をやっておりました。」

伊崎高弘。それは今から30年以上前に一世を風靡した有名陶芸家の名前だった。テレビにも出演し、書籍も出していたので、イケメン陶芸家として当時は相当人気だったらしい。当時幼かった俺が彼の名前を知っているのは、母が生け花を始めたきっかけが彼だからだ。母は伊崎高弘の大ファンで、書籍も全部持っていて繰り返し読んでいた。

「伊崎さんはすごい人なのよ。」

母がよく言っていたので、俺の記憶にもある。その表紙には切れ長の目をした美しい男性の姿があったが、目の前の藤堂さんがまさか同一人物だったなんて。

驚きで声を発せない俺に、藤堂さんは語り始めた。

「伊崎は別れた妻の苗字でしてね。彼女の家は家元で、私は婿入りしたのです。私が陶芸家として名を馳せた頃は関係も良かった。しかし、火事で家が全焼し、この怪我を負うと、妻に追い出されたのです。」

「え?どうしてですか?」

「この顔ですから。それまで通りテレビに出ることも難しいですし、それどころか人前に出ることもできなくなりました。妻からも捨てられ、人間不信になった私は、自ら陶芸家としての人生に幕を下ろしたんです。」

確かにある時から伊崎高弘は表舞台から姿を消したと母から聞いていた。まさかそんな事情があったとは。

「それからは惨めな人生を送っていました。陶芸をやめて数年放浪していたのですが、その時たまたまここを通りがかったことがありました。」

その時、藤堂さんは顔を隠していたのに、彼が伊崎高弘だと気づく女性がいたのだという。小さな男の子を連れたその主婦は、彼にこう声をかけたのだ。

「どんなお姿になっても、私は伊崎さんのファンです。ずっと戻って来られる日を待っています。」

「先日、何もかもを失って方に暮れた時、私はその女性の言葉を思い出しました。そして、その優しい思い出のある地域に行ってみようと思い立ち、目に入った花村製作所の扉を叩いたんです。」

俺は藤堂さんの人生を知り、胸が詰まった。しかし、まだ疑問は残る。

「藤堂さんの正体は分かりました。でも、うちの会社に電話がかかってくるのは一体…」

藤堂さんは恥ずかしげに笑って説明してくれた。昔、彼は自分が使う陶器を手掛けていたらしい。余った素材で陶器を作っていいと俺に言われたため、久しぶりに陶器を作ってみたのだとか。

藤堂さんに作品を見せてもらうと、それは陶芸の知識のない俺でも一目で素晴らしいと思えるものだった。

「差し出がましいとは思いましたが、少しでも花村製作所の役に立ちたく、昔の弟子の中野城という陶芸家に連絡して、ブログで陶器を紹介してもらったんです。」

「それでこんなに問い合わせが…ご迷惑でしたでしょうか?」
「いえ、そんなことはありません。むしろありがたいです。すぐにでも藤堂さんの陶器を制作しましょう。」

こうして俺は従業員にも説明し、藤堂さんの陶器をひとまず200個作ることにした。すると、それはまたたく間に売り切れたのだ。

花村製作所では本格的に藤堂さんの陶器を制作し始めた。藤堂さんのデザインする陶器は存在感がありながらも花を引き立てることで、たちまち評判になり、全国の陶芸家や生け花の個人からも注文が来るようになった。

「藤堂さんの陶器は素晴らしいですね。これは陶器に間違いないけど、こういう食器があったら使ってみたいと思います。」

ある日俺がそう言うと、藤堂さんは微笑んだ。

「それなら是非作ってみては。私は食器は作れませんが、その技術は社長がお持ちでしょうから、デザインのお手伝いをしますよ。」

こうして俺は藤堂さんと一緒に、陶器をヒントにした食器作りを始めた。花村製作所では藤堂さんの陶器と新しく作った食器類をブランド化した。すると、藤堂さんの陶器はもちろん、俺がメインで作った食器も次々に売れ始めた。最初は陶芸関係のお客さんだけだったが、食器を作り出すと一般のお客さんも増えてきた。

「元伊崎高弘プロデュースの陶器。それにインスピレーションを受けた食器。」

ということで主にネット上で評判になり、開設したネットショップでは売り切れが続出した。

そしてある日のこと、大きな陶器の展示会に主催者から招待されたのだ。これまでの花村製作所なら縁のなかった大規模な展示会に出展できることになり、従業員全員で手を取り合いながら喜んだ。

展示会当日、藤堂さんの陶器や俺が作った食器類を並べると、花村製作所のブースには大勢の人が集まった。今話題の陶器たちを一目見たいというお客さんや、実際に買い求めるお客さんで溢れたのだ。

そんな中、同じく展示会に出展していた同級生の勝野正彦がやってきた。彼は俺のブースを見て、目を白黒させている。

「なんだよ。なんでボロ町工場がこんなところに?」
「いやあ、いらっしゃい。ゆっくり見ていってよ。」

正彦は展示品を見回すと、悔しそうに言った。

「有名な陶芸家をデザイナーとして雇ったのか。お前のどこにそんな金が…」

すると俺の後ろにいた藤堂さんが進み出た。

「このブランドのデザインは主に私が手掛けています。これも社長に恩があるからです。」

「あんたがあの陶芸家の伊崎か。」
「そうだ。」
「あんた、うちに来ないか。うちで働くなら今の給料の5倍は出してやる。うちの会社に来いよ。」

俺がさすがに口を挟もうとすると、藤堂さんはきっぱりと告げた。

「お断りします。実は私、花村製作所に拾われる前に、あなたの会社に雇って欲しいと尋ねたんです。その時、あなたに門前払いされた上に、顔の傷もバカにされました。」

「は?あ、そうだっけ。」

「とにかくお断りします。私は花村製作所に骨を埋める覚悟です。」

正彦は悔しそうに顔を歪め、捨て台詞を吐いて逃げるようにその場を去っていった。

「生きてるぞ。お前らの会社なんてすぐに潰してやるからな。」

その日、俺は晴れ晴れとした気持ちで帰宅することができた。

その後、正彦の会社は展示会で人が集まらず、俺たちのブースに人を取られる形になってしまった。これに焦った正彦は、陶器の国内生産を辞め、海外の工場に製造を依頼し、安価で製品を売り出す路線に変更することにした。しかし、それによって製品の品質は悪くなり、ますます人気がなくなってしまったのだとか。あの展示会から1年も経たず、正彦の会社は縮小していき、今は経営の危機らしい。

一方の花村製作所は陶器と食器の売れ行きが良く、雑誌やテレビでブランドが紹介されるようになると、どんどん売上は上がっていった。そのおかげで工場を立て直し、人を新しく雇うこともできた。

母の体調も良くなり、退院して事務として戻ってきた日。母と顔を合わせた藤堂さんは目を見張った。

「あ、あなたは…もしかして…」

なんと、藤堂さんが30年前に全てを失って放浪していた時、思い出に残る優しい言葉をかけてきた主婦は、母だったのだ。母は憧れの陶芸家との再会に喜び、藤堂さんも目に涙をためて「あなたのおかげで今があります」と母にお礼を述べた。

俺は現在、社長業を続けながら藤堂さんから陶器と食器のデザインについて学んでいる。藤堂さんは俺と母に生け花を教えてくれたりもしている。藤堂さんから学ぶことはまだまだ多いので、これからも元気でいて欲しいと思っている。俺もまた、大切な人たちを守るため、前向きに頑張っていくつもりだ。

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