夫のスマホに、義妹から電話がかかってきた。出たのは私。すると、消え入りそうな声で「妊娠しちゃいました」——しかも、その相手は夫だった。私は冷静に「誰の子?」と聞いた。彼女は絶句し、私は家に来るよう命じた。夫が風呂から上がる前に、すべてを終わらせるつもりで。でも、彼女が来た時、私はある封筒をテーブルに置いた。中には、二人がホテルに入る写真。彼女は笑いながら「バレたならしょうがないですね」と認め…

夫のスマホに、義妹から電話がかかってきた。出たのは私。すると、消え入りそうな声で「妊娠しちゃいました」——しかも、その相手は夫だった。私は冷静に「誰の子?」と聞いた。彼女は絶句し、私は家に来るよう命じた。夫が風呂から上がる前に、すべてを終わらせるつもりで。でも、彼女が来た時、私はある封筒をテーブルに置いた。中には、二人がホテルに入る写真。彼女は笑いながら「バレたならしょうがないですね」と認め...

夫の両兵が入浴している間、彼のスマホが震えた。画面には「天下」の名前。なぜかその日、私は自然と手を伸ばしていた。通話ボタンを押した瞬間、消え入りそうな声が耳に飛び込んできた。

「どうしよう……妊娠しちゃいました」

私は冷静を装い、口を開いた。

「誰の子?」

相手が私だと気づいた瞬間、天下は絶句した。受話器越しに彼女の動揺が伝わってくる。私は逃げ道を塞ぐように言った。

「夫には黙って、家に来なさい。でも、どうせ妊娠のこと、たつきにはまだ何も伝えていないんでしょ。というより、伝えられないのが正しいかしら」

「それは……」

天下の声が弱々しくなる。夫よりも先に義兄に妊娠を報告するなんて、絶対におかしい。私はすべての事情を察し、改めて自宅に来るよう求めた。

「とにかく今すぐ来なさい。悪いけど、逃げようなんて思わないことね。どうせ無駄なんだから」

私は水口まみ、31歳。一つ上の夫・両兵と5年前に結婚し、今は二人暮らし。彼は銀行員で、私は税理士事務所に勤めている。

両兵と出会ったのは大学時代。彼は同じゼミの先輩だった。

「水口先輩、ちょっと聞いてもいいですか? 実は分からないことがあって」

「ああ、これはね」

声をかけると、彼は優しく微笑んだ。後輩が困っている時、必ず手を差し伸べてくれる先輩。明るくて社交的で、いつも友人に囲まれていた。

そんな彼と関わるうちに、私は次第に想いを募らせた。けれど、両兵が私に振り向くことはないと思っていた。

ただ、ある日図書館で勉強していると、急に彼に声をかけられた。

「松村さんは真面目で頑張り屋だよね。俺も見習わないと」

両兵は小声で話しながら、隣で本を開く。憧れの先輩がそばに来て、顔が熱くなるのを感じた。

「先輩も勉強ですか?」

「就活も始まって忙しくて、集中しようと思って図書館に来たんだ。松村さんもまだ勉強するなら、この後一緒に帰らない?」

嬉しすぎて、勉強に身が入らない。それでも、高鳴る鼓動を抑えて前の本に集中した。

図書館を出たのはそれから1時間後。両兵に誘われて、私たちは喫茶店を訪れた。

「松村さんとゆっくりお話できたらと思っていたんだ。ずっと気になってて」

意外な言葉に驚いたが、彼が私に興味を持ってくれていたことが嬉しい。自然と頬が緩んだ。

「そう言ってもらえて嬉しいです。私も水口先輩とお話ししたかったので」

「本当に? ちょっと意外だな」

「私はずっと水口先輩に憧れていたんです。だから、こうして二人で話せるなんて思ってもみなくて」

思わず顔を赤らめた私を、両兵は優しい瞳で見つめた。彼の穏やかな表情に、鼓動が高鳴ったのを今でも覚えている。

その後、私たちはコーヒーを飲みながらいろいろなことを話した。何を言っても柔らかな笑顔で聞いてくれる両兵に、さらに惹かれていく。

「まみさんと仲良くなれて嬉しいよ。またこうして一緒にお茶してくれる?」

「両兵先輩がよければ」

その日を境に、彼は私を見かけるたびに声をかけてくれるようになった。急激に距離が縮まり、私は一層両兵を意識するようになった。

そして大学3年の頃、彼から告白されて交際を開始した。

両兵からプロポーズを受けたのは、お互い就職し社会人として落ち着いた頃。

「これからもずっと、まみには俺のそばにいてほしい。だから結婚してくれないか?」

「はい。喜んで」

その後、家族に報告すると、彼らは私たちの結婚を心から喜んでくれた。5年の交際期間中、両親には何度も両兵を合わせていたから、すでに彼のことを信用していたのだろう。

「まみのこと、これからもよろしくね」と微笑む両親に、両兵は目を細めた。

「お父さんたちと家族になれて嬉しいです。まみさんのこと、俺が必ず幸せにしますから」

弟のたつきも言った。

「姉ちゃん、両平さん結婚おめでとう。二人は必ず結婚すると思っていたけど、やっぱりその時が来ると嬉しいね」

「たつき、ありがとう。これからは家族としてよろしくな。俺のことは本当の兄だと思って頼ってくれ」

「両平さんみたいなかっこいいお兄さんができて嬉しいよ。また一緒にサッカー観戦に行こうね」

たつきは私の4歳下。初めて両兵を紹介した時から、二人は仲が良かった。お互いサッカーが好きという共通点があるからだろう。結婚後は実家に顔を出すたび、サッカー談義に花を咲かせていた。

「たつき、昨日の試合見たか? あのゴールすごかったよな」

「ちょうど両平さんと話したかったんですよ。あの角度から決めるなんて、本当に信じられないですよね」

興奮気味に話す彼らを見て、私だけでなく両親まで顔をほころばせる。二人はまるで本当の兄弟のようだった。

私はたつきを可愛がってくれる両兵と結婚して良かったと思っていた。

そんなある日、たつきから突然電話がかかってきた。

「姉ちゃん、今度会えないかな? 実は紹介したい人がいるんだ」

妙に改まった態度に違和感を覚えたが、彼の一言でピンと来た。

「もしかして、彼女?」

問いかけた途端、照れているのかたつきの声が小さくなる。

「実は……その、結婚を考えていて」

「おめでとう、たつき。付き合っている人がいたのね」

私は自分のことのように嬉しかった。たつきが選んだ女性なら、きっと素敵な人に違いない。

「お会いできるの楽しみにしているわ」

すぐに予定を確認して、私たちは会う日を決めた。それから1週間後、私は両兵と共にレストランでたつきを待っていた。すると、彼と一緒に現れたのは小柄で可愛らしい女性。

「初めまして。天下と言います」

彼女は礼儀正しくお辞儀をして、笑みを浮かべた。たつきの恋人は天下というらしく、年齢は24歳でたつきの3歳下。目鼻立ちがはっきりしていて、とても美人だった。

「天下さん、お会いできて嬉しいわ。たつきってば、こんなに可愛い彼女さんがいたのね。二人はいつから付き合っていたの?」

そう尋ねると、なぜか両兵が口を開いた。

「確か1年前くらいだったよな」

「え、なんで両兵が知ってるの?」

私はたつきに彼女がいることを全く知らなかった。しかし両兵はすでに話を聞いていたらしい。いくら二人が仲がいいとしても、実の姉である私より先に義兄に報告していたなんて。

思わず戸惑うと、たつきが事情を説明してくれた。

「実は天下は両平さんと同じ銀行で働いてるんだ。そもそも彼女を紹介してくれたのは両平さんで」

「え? 両兵がきっかけで知り合ったの?」

「いい人いたら紹介してくださいって天下ちゃんに頼まれてさ。それでたつきが思い浮かんだんだよ」

どうやら天下は結婚願望が強く、以前から男性との出会いを求めていたそうだ。両兵だけでなく他の同僚にも相談していたらしい。そんな天下のために、彼はたつきを紹介した。

「たつきはいいやつだろ。だけど長い間恋人がいなかった。天下ちゃんならきっとたつきの良さを分かってくれる気がして」

「そうだったのね。でも、どうして私には教えてくれなかったの?」

私に言いたくなかった理由でもあるのだろうか。そう思って問いかけると、たつきが申し訳なさそうな顔をした。

「姉ちゃんには、結婚を決めた時に報告するって決めていたんだ。ほら、昔俺が失恋した時、姉ちゃんが精一杯励ましてくれただろ」

「そんなこともあったわね」

実はたつきが社会人になってすぐの頃、彼は交際していた女性に振られ、ひどく落ち込んでいた。ご飯も喉を通らなくなり、顔色は悪くなる一方。私はそんな彼を自分なりに元気づけた。彼は私の行動に感謝しながらも、罪悪感を抱いていたらしい。

「今回またうまくいかなかったら、姉ちゃんはきっと俺を心配する。もう迷惑かけたくなかったんだ。だから結婚するまでは内緒にしたいって、両平さんにも伝えていて」

「そんなこと思っていたの? 迷惑だなんて考えなくてもいいのに」

「姉ちゃんが励ましてくれて嬉しかったけど、頼ってばかりじゃダメだろ。ただ、ずっと秘密にしていてごめん」

慌ててたつきと一緒に頭を下げる両兵。二人の姿に、私は首を横に振った。

「怒ったりしないわよ。少しびっくりしただけ。たつきなりに考えての行動だったのね。ありがとう。あなたが幸せならそれで十分だから」

「姉ちゃん、ありがとう。こうやって伝えることができてよかった」

「天下、俺の姉ちゃん優しい人だろ?」

「うん。たつきに似て素敵な人ね」

たつきは嬉しそうに隣に座る天下に目配せをする。彼女もまたニコッと頬を上げた。

ただ、そんな天下を見て妙に違和感を覚えた。どうして彼女はたつきを選んだのだろうか。

「天下さんは、たつきのどんなところに惹かれたの?」

たつきが席を外した隙に、私は天下に尋ねた。彼は真面目で誰にでも優しく温厚な性格だ。両兵が紹介した理由にも頷ける。だが、ぽっちゃりとした体型でイケメンとは言い難い。たつきに対して失礼だとは分かっている。それでも、天下ほどの女性ならもっと素敵な男性と結婚できるのではないかと思った。

「姉として、たつきの結婚の決め手とかあったなら聞きたいわ」

遠回しにたつきを選んだ理由を探ると、天下はそっと微笑んだ。

「たつきって、とっても優しいんです。いつも私のことを気遣ってくれて、結婚を決めてからは率先して家事をやってくれるんです」

「そう、たつきなりに天下さんを大事にしているのね」

「本当に大切にされていると思います。私、たつきにすごく感謝していて、そんな彼と夫婦になれば幸せになれると確信して結婚を決めました」

明るい表情の彼女を見て、私まで釣られて頬が緩んだ。

「そう。たつきのこと、これからもよろしくね」

天下は外見ではなく内面を見て、たつきとの結婚を決めたのだろう。ここまで彼のことを褒めてくれる女性なら信頼できる。私は胸を撫で下ろした。

「私がたつきを支えていきます。両平さん、お姉さん、今後は家族として仲良くしてください」

「こちらこそ。俺とまみのこと、いつでも頼ってくれ」

「姉ちゃんとたつきなら、きっと素敵な夫婦になれるよ」

「ありがとうございます。私、両平さんには本当に感謝しているんです。あの日紹介してくれなかったら、たつきに出会えなかったんですから」

「じゃあ、俺は二人の恋のキューピットだな」

両兵は嬉しそうに天下と顔を見合わせて笑っていた。同僚が義家族になるなんて気まずくなりそうだが、彼らは特に気にしていないらしい。

その後、天下はたつきと入籍し、彼女は私の義妹となった。

しかし、家族として関わるうちに、私は違和感を覚えるようになる。天下はやけに両兵と距離が近いのだ。

「両平さん、ちょっといいですか?」

「天下ちゃん、どうしたの? 何かあった?」

「実は相談したいことがあって」

実家で顔を合わせると、私への挨拶もそこそこに彼の元へと駆ける天下。二人はそのまま仕事の話を始めた。

「天下ちゃん、休みの日まで仕事熱心だね。こんなの職場で聞けばいいのに」

悩みが解決するなり、両兵が感心したような顔をする。そんな彼に天下は顔を赤らめた。

「だって両平さん、いつも忙しそうだから。こういう時がチャンスかなって。ゆっくりお話を聞いてもらえて嬉しかったです。でも、休日に仕事の話なんてしたくないですよね。すみません」

「謝らないで。俺としても頼られて嬉しいから。それに家族なんだし、遠慮する必要ないよ」

「ありがとうございます。やっぱり両平さんは優しいですね。本当に尊敬しています」

両兵は柔らかく笑い、その後も天下の相談を真剣に聞いていた。同じ職場で働いているのだから、二人の仲がいいのは自然なことだ。そう思うものの、時々天下が両兵の腕や肩に触れるのが引っかかる。

「両平さんは本当に面白い人ですね。笑わせないでくださいよ」

冗談を言った彼の頬を軽く叩く天下。両兵も触られて悪い気はしないのだろう。

「いや、天下ちゃんの方が面白いって。俺、天下ちゃんと話している時いつも楽しいなって思うもん」

彼はそっと天下の頭に手を置き、ポンポンと叩いた。二人のやり取りを見て、私はぞっとした。なぜ家族の前で平然とボディタッチができるのか。目に余る言動に耐えかね、私はたつきに声をかけた。

「天下さん、妙に両兵に馴れ馴れしくないかしら? たつき、さすがに心配じゃないの?」

けれど彼は、二人の様子を静かに眺め、首を横に振るだけ。

「職場の先輩と後輩でしょ。毎日顔を合わせているんだし、少し距離が近いくらいどうってことないよ」

「でも、いくら同僚とはいえ、あんなに親しいものかしら。私は男性の先輩にボディタッチなんてしないし」

そう問いかけても、たつきの表情は変わらない。

「天下は元々社交的な子なんだ。つい話してる相手の体に触れちゃうんだと思う。彼女の行動は両平さんに限ってのことじゃない。だから気にしないで」

そうは言っても、天下が社交的で明るい子だというのは理解している。しかし、明るい性格だからと言って、義理の兄にベタベタしていいわけではない。何より、両兵は天下に体を触られるたび、鼻の下を伸ばしているように見える。彼女が可愛らしい女性だからこそ、私としては少し心配だった。

すると、たつきが呆れたように言った。

「姉ちゃんだって分かってるだろ。両平さんは誠実な人だ。それに天下は俺だけを愛してくれている。姉ちゃんが心配するようなこと、二人は絶対にしないから安心して」

「そうよね。ごめん。疑う方がおかしいわよね」

彼は両兵と天下のことを心から信頼しているようだ。そんな中、両親も仲良さげな両兵たちを笑顔で見守っていた。私以外の家族はみんな、同僚だからと二人の関係を特に気に留めていないのだろう。

それ以上口を出せる状況でもなく、私は距離の近い両兵たちをただ静かに眺めていた。だが、顔を合わせるごとに天下は一層遠慮がなくなっていく。

「両平さんが旦那さんだなんて、お姉さんが羨ましいです。こんなかっこいい夫、いないですよ」

彼女は両兵の容姿を、会うたびに褒めるようになったのだ。さすがにたつきの前では言わないものの、あまり気分は良くない。ただ、両兵は純粋に嬉しいのだろう。

「天下ちゃんみたいな可愛い子に言われるなんて、照れるな。俺も羨ましいよ、天下ちゃんの旦那さん」

緩み切った顔で天下に笑いかける。二人の言動に我慢の限界を迎え、私は帰宅後、両兵に注意した。

「両兵、天下さんとの関わり方、気をつけてね」

天下に苦言を呈すると、私が口うるさい姉だと思われかねない。適当にあしらわれ、まともに聞いてもらえない可能性もある。そこで、ひとまず先輩である両兵に気をつけてもらおうと考えたのだ。

「いくら可愛がっている後輩とはいえ、今天下さんはたつきの妻なんだから」

私の言葉に、彼は一瞬間を置いた。

「急に何? 天下ちゃんが何かした? それとも俺?」

「自覚ないの? 実家で会うたび、二人はずっと一緒じゃない? しかも容姿を褒めたり、距離が近すぎる気がするわ」

「そんなに言うほどか。俺はただ後輩として天下を可愛がっているだけだよ。これ以上の意味はないし、距離が近いとは思わないけどな」

「本人はそうかもしれないけど、傍から見たら気になるの。家族になったとはいえ、お互い既婚者なんだから、誤解を招くような言動だけはしないでほしい」

すると、両兵は大きくため息をついた。

「まみは心配性だな。些細なことでグチグチと。俺たちのこと信用してないの? 勝手に誤解しているのはそっちだろ」

「信用はしているわよ。でも、度が過ぎていると思って」

「大丈夫。天下ちゃんは元々妹みたいな存在だったんだ。職場でも可愛がっていて、彼女とは変な関係じゃない。安心してよ」

「本当の兄弟じゃないんだから、それは理由にならないわ。会うのが好きなのは勝手だけど、せめて距離感を……」

言いかけた途端、彼は面倒そうな顔をする。

「そんなに目くじらを立てるなって。たつきも特に気にしていないんだろ」

「それはそうだけど、まみが神経質だと、天下ちゃんが気を使うはめになるじゃないか。とにかく、とりあえず気をつけるから、この話はもう終わりってことで。あ、天下ちゃんにはこのこと言うなよ」

両兵は私を適当にあしらい、リビングを出ていった。これ以上話し合う気はないのだろう。先ほどの両兵の態度からして、「気をつける」というのはその場しのぎの言葉に違いない。私は天下を可愛がる彼を見て、妙な胸騒ぎを覚えた。

それ以外にも、彼女については気になることがあった。会うたびに、天下の服やバッグがだんだんと高価なものになっていったのだ。どれもこれも一目で高級ブランド物だと分かるものばかり。

「天下さん、そのバッグ新しいわよね。前回も新品の違うバッグを持っていたけど、また買ったの?」

天下は両兵と同じ銀行に勤めている。彼の収入を把握しているからこそ、天下なりの暮らしに違和感を覚えた。二人はさほど給料は変わらないはずだ。むしろ後輩である天下の方が収入は少ないだろう。どうしてそんなに高いものを次々と買えるのか、思わず尋ねると、天下は得意げに笑った。

「実はこれ、たつきがプレゼントしてくれたんです。彼が、欲しいって言ったら必ず覚えていてくれて。前回のバッグもたつきがくれたんですよ」

「え、誕生日プレゼントか何か?」

「違います。いつも仕事頑張っているからって、ご褒美でもらいました」

彼女は嬉しそうにバッグをこちらに見せつける。たつきが購入したのなら納得がいく。実は彼は外資系のIT企業にエンジニアとして勤めており、高収入なのだ。たつきは子供の頃から成績が優秀で、かなりの努力家だった。その頑張りが身を結び、希望していた会社に就職した。

しかし、ハイブランドのものを頻繁にプレゼントするのは甘すぎではないだろうか。たつきが天下を大事にしているのは、彼の言動から分かる。仕事が多忙ではあるものの、家事をこなしているのは彼だそうだ。天下のわがままも可能な限り叶え、いつだって彼女優先。たつきは実家にいる時でさえ、天下に家事をさせたがらない。

「俺が母さんの手伝いするから、天下は座っていて。仕事について両平さんに聞きたいことがあるって言っていただろ。ゆっくり話したらいいの」

「たつき、ありがとう。何かあったら私も手伝うからね」

彼女は毎回そう言うものの、たつきは申し出を断り続けている。ちなみに両親も、嫁いできた天下に家事の手伝いを求めていない。そのため帰省した時は、母と私とたつきが家事をしていた。

たつきは心から天下を大切にしているのだろう。だとしても、甘やかしすぎると後で痛い目を見るのではないか。

「たつき、天下さんの望みを叶えてあげたくなる気持ちは分かる。だけど、お金は計画的に使いなさいね」

後日帰省した際、私は天下のいない場でそっとたつきに助言した。姉として、どうしても放っておけなかったのだ。彼の収入が多いことは把握しているものの、湯水のようにお金を使うのは危ない。何より、今の状況が天下にとっての「普通」になってしまわないかと心配だった。

そんな私に、たつきは困ったように笑った。

「もしかして天下から聞いたの? あのバッグのことだよね。あれ、かなり高いんでしょ? 前も服とかプレゼントしたそうじゃない?」

「家計に余裕があるんでしょうけど、何でもかんでもあげるのは……」

「天下の喜んでいる顔が見たくて、つい買っちゃうんだ。だけど、最近ちょっと甘やかしすぎているかもしれない」

彼は考え込むような素振りを見せた。本人も金遣いの荒さを自覚していたらしい。

「彼女のためにプレゼントしていたけど、やりすぎだったと思う。これから先、何十年と一緒にいるんだし、もう少し慎重にならないとな」

余計なことを言ってしまったかと不安になったが、たつきは素直に話を聞いてくれた。彼なりに気をつけると言うなら、もう安心だろう。

「お節介だと分かっているけど、将来のために貯金ちゃんとしなさいね。たつきってば、好きな女性にすぐ貢ぐんだから」

以前振られた女性にも、たつきはいろいろなプレゼントをしていた。彼は自分の容姿に自信がないがゆえに、物で釣る癖がある。私は改善するよう伝えた。

「たつきはもっと自信を持ちなさい。自分を卑下する必要はないの。プレゼントなんかなくても、天下さんはたつきを愛しているんだから」

「姉ちゃんの言う通りだね。俺、天下を信用できていなかった。彼女は俺を選んでくれたんだから、お金の使い方には気をつけるよ。ありがとう」

頷くたつきを見て、私はほっと胸を撫で下ろした。突然彼の財布の紐が締まったら、天下は動揺するかもしれない。しかし彼女も、たつきから事情を聞けば納得するはずだ。ひとまず解決したと、私は思い込んでいた。

けれど、私の助言は裏目に出てしまったようだ。

後日、私の元に天下から電話がかかってくる。

「お姉さん、たつきに変なこと吹き込まないでもらえますか?」

「何のこと?」

「彼にお金を使うなって言ったんでしょ? そのせいで、私新作のバッグを買ってもらえないんですけど」

彼女の声はトゲトゲしく、今までとはまるで別人のようだった。その態度に戸惑うものの、とにかく誤解を解かねばならない。

「私はそんな言い方していないわ。ただ二人の将来が心配だっただけ。でもごめんなさい。夫婦のことに口を出すべきじゃなかったわね」

「本当にそうですよ。姉だからって、よく文句言えましたね。私がたつきからプレゼントをもらっていることが、そんなに気に食わなかったんですか?」

電話の向こうで、天下は笑っているようだ。やけに明るく、恐怖を感じた。

「プレゼントをもらうこと自体は何も悪くないの。ただ、その頻度と金額が気になって。たつきはお姉さんと違って稼ぎがいいんです。彼の収入なら、あれくらいどうってことないんですよ。私を妬んで邪魔するなんて、惨めですね」

一瞬、何を言われたのか分からず呆然とする。次第に、彼女が私を見下しているのだと理解した。普段は温厚な天下の口から飛び出した発言だとは思えなかった。

「天下さん、勘違いしないで。私は天下さんを妬んでいるわけではなくて」

「そんなに羨ましいなら、両平さんにプレゼントをねだってみたらどうですか? 私みたいにハイブランドのバッグ欲しいんでしょ?」

「いや、だからそういうわけでは……」

「ま、無駄でしょうけどね。お姉さんは私みたいに可愛げがあるわけでもないし、大して若くもないですから」

それだけ言って、彼女は一方的に電話を切った。突然態度を豹変させた天下に、私は動揺を隠せなかった。彼女は私を下げてあしらっていた。今まで見せていた姿は、演技だったのだろうか。

するとその2時間後、天下のことで悩んでいた私に、次はたつきから電話がかかってくる。

「姉ちゃん、あまり天下に厳しいことを言うのはやめてあげて」

開口一番、そう発言した彼に私は呆然とした。

「え? 何のこと? 私は天下さんに厳しくした覚えはないわよ」

「さっき天下に電話かけたんでしょ? その時、彼女に文句を言ったそうじゃないか」

どうやら天下は、私に怒られたと嘘をついてたつきに泣きついたらしい。「姉さんは私のやることなすこと全部にケチをつけるの。もしかしたら私のことが嫌いなのかもしれない。悪いことしていないのに、どうして怒るんだろう」と愚痴を言ったようだ。

しかし実際は、たつきに助言しただけで、天下には何も言っていない。以前彼女の振る舞いに引っかかった時も、両兵に注意しただけだ。

「確かに天下さんとは電話したわよ。でもあれは彼女からかかってきたもので、私は何も言っていない」

私は先ほどの天下との電話の内容をたつきに伝えた。しかし彼は、腑に落ちない様子で声を出す。

「天下が本当にそんなこと言っていたの? 彼女は姉ちゃんのこと、家族として仲良くなりたいって話していたのに」

「私が余計なことを言ったから、天下さん怒っているんだと思う。それは分かるけど、侮辱されるのは納得いかないわ。たつきが私と天下さん、どちらを信じるか任せるわ」

正直、たつきが天下の味方だと分かっていた。内心、身の潔白を証明するのは諦めていたが、彼は迷いながらも声を上げた。

「姉ちゃんが嘘をつかないことは分かっている。かと言って、天下が俺を騙すとも思わない。もしかしたら、彼女が姉ちゃんに怒られたと勘違いしたのかもしれないね」

「どうなのかしら」

「天下には俺から説明するよ。姉ちゃんはあくまでも俺たちのために言ってくれただけだって。ごめんね、一瞬疑ったりして」

「いいのよ。こちらこそ、天下さんを傷つけてごめんなさい」

たつきが私の話をひとまず信じてくれたことにほっとする。だが、今後天下と関わることに不安を覚える自分がいた。今日の電話での態度からして、天下は何か少しでも私に不満があれば、またたつきに報告するだろう。そうなった際、こちらが毎回悪者にされることになる。

たつきもそれを心配しているようだった。

「天下は姉ちゃんを怖がっている。お互い悲しい思いをするくらいなら、あまり深く関わらない方がいいのかもね」

「そうね。家族として仲良くしたかったけれど、私も天下さんに誤解されたくない。関わらなければ、変な勘違いも起きない」

私はたつきの考えに同意した。

「迷惑かけてごめん。天下のことは俺に任せて。両平さんには、姉ちゃんから話しておいてもらえる?」

「分かった。ただ、両兵は今回のことに関与していないって、天下さんに伝えておいて。共に働く二人が気まずくなるのは違うし」

「そうだね。俺が責任持って天下に事情説明するよ」

結局、私は弟夫婦と距離を置くことを選んだ。天下もその方が嬉しいはず。私はたつきと話して決めたことを、その日の夜両兵にも伝えた。

「というわけで、しばらくたつきと天下さんには会わないことになったの。面倒なことになってごめんなさい。でも、職場では普通に接してあげてね」

報告した途端、彼は顔をしかめた。

「なんでお互いに非があるように話しているの? 悪いのはまみだよね。正直、天下ちゃんがかわいそうだ。ちゃんと彼女に謝罪したのか?」

「え? 私は天下さんにけなされたのよ。それでも私が悪いの?」

天下から侮辱されたことまで伝えたというのに、なぜか両兵は私を責めた。まさかの反応に驚いていると、彼は肩を落とす。

「たつきのことが心配だったとしても、出しゃばりすぎだ。家族だからって、何を言ってもいいわけじゃないんだぞ。たつきはまみが姉だから逆らえなくて、仕方なく言いつけを守ったんだろうな」

「もちろん私にも悪いところがあったと思う。だからって、天下さんの言動を許すわけには……」

「天下ちゃんの言っていることは間違いじゃないだろ。お前はたつきからいろいろもらっていて、天下ちゃんが羨ましかったんだよな。しかも彼女は若くて可愛いし」

「違うってば。両兵は、なんでそこまで彼女の肩を持つの? いくら可愛がっている後輩とはいえ、妻である私をないがしろにしてまで天下の味方をするのはおかしい」

そう問い詰めると、両兵が苛立ちをあらわにする。

「俺は前々から聞いていたんだよ。まみが天下ちゃんに文句を言っていること。俺と彼女の距離が近いことも注意したんだよな」

「え? それは両兵にしか言ってないわよ」

確かに二人の距離感に疑問を抱いたが、あくまでも彼にしか注意していない。天下には伝えていないため、彼女が知っていること自体不思議だった。そう説明しても、両兵は聞く耳を持たない。

「俺だけじゃなく、天下ちゃんまで攻めるなんて。彼女がどれだけ傷ついたか分かっているのか」

「だから私は何も言ってないってば。天下さんがどうしてそれを知っているのか分からないけど、私はたつきと天下ちゃんの関係が気になっただけよ」

「姉だからって、二度と二人に余計なことを言うなよ。天下ちゃんを傷つけるような真似はするな」

彼は弟夫婦を可愛がっているように振る舞うが、特に天下を気にかけていることは明白だった。思わず口を開く。

「両兵は、私よりも天下さんが大切なの?」

一瞬、両兵の肩がびくりと動いた。

「またそうやって俺たちの関係を怪しむのか。俺はただ後輩である天下ちゃんを守りたいだけ。妻が後輩に対して当たりが強かったら、誰だって嫌だろ」

「分かったわ。気をつける」

私はふと、以前目にした二人の親しげな様子を思い出した。怪しみたくはないが、どうしても疑念が深まる。両兵が天下の味方をするのは、職場の後輩だからという理由以外に何かあるのではないか。私は二人の関係をちゃんと調べるべきか悩んだ。

すると、弟夫婦と距離を置くようになってから、両兵の態度が徐々に変わっていく。彼が私に対して冷たくなったのだ。

「お帰り。遅かったわね」

残業を終えて帰ってきた両兵に声をかけても、返答はない。むすっとした顔をして浴室へと向かうだけ。彼は次第に飲み会だの何だのと理由をつけて、帰宅が遅くなっていった。

そんなある日、両兵はその日午前1時頃に帰宅した。遅くなると聞いていたため先に就寝していたものの、私は物音で目を覚まし、リビングへと向かった。

「お帰りなさい」

「なんだ、まだ起きていたのかよ」

ぎょっとした顔でこちらを見る両兵。彼はとっさにバッグに何かを隠した。私に見られると困るものでもあるのだろうか。ただ、詮索したら今の両兵ならきっと逆上するに違いない。気にはなったが、私は何も言わずに彼のスーツを受け取った。

「これ、かけておけばいい?」

「ああ」

両兵は短く返事をしてネクタイを緩める。その時、受け取ったスーツから何やら甘い香りがした。女性の香水の匂いだろうが、どこかで嗅いだことがある気がする。私は両兵に気づかれないよう、スーツに鼻を近づけた。その瞬間、はっとする。以前実家で天下がつけていたものと同じ香りだったのだ。

同じ職場で働いているのだから、彼女の香水の香りが移ることもある。そう思いたいが、胸がざわつく。

「何やっているの、それ? 早く片付けてよ」

私がまだスーツを持っていることに気がついたのか、両兵が首をかしげた。

「ごめん。ちょっと寝ぼけていたみたい。すぐしまうから」

急いでスーツをハンガーにかけ、私は寝室へと戻る。疑いの目で二人を見ているがゆえに、怪しんでしまうのだろうか。先ほど嗅いだ香水の香りが、なかなか鼻から離れなかった。

その1週間後、夕食時、珍しく両兵が私に話しかけてきた。

「まみのせいで、たつきと天下ちゃんの関係がうまくいってないらしい」

「え、なんで私のせいなの?」

尋ねた途端、彼は険しい顔をする。

「お前が変な助言をしたから、たつきが天下ちゃんに厳しくなったんだよ」

「変な助言って。私は家族としてたつきに気をつけるよう言っただけで」

「そういうお節介が余計なんだよ」

呆れたように、両兵は職場で聞いた天下の愚痴を口にした。

「天下ちゃんが言うには、たつきが家計の管理もするようになって、以前より窮屈になったそうだ」

「けど、家計の管理自体は悪いことじゃないわよね。これから先、夫婦として暮らすなら必要なことじゃない」

「本来ならしなくて済んだことを、まみがやらせたんだよ。そのせいで夫婦仲が冷え込んでも、良いと思うのか?」

「ああ、二人がかわいそうだよ。あんなにうまくいっていたのに」

ため息混じりに話しながら、両兵は冷めた目で私を見る。

「天下ちゃん嘆いていたよ。まみが嘘をついたせいで、たつきから怪しまれているって」

「私は嘘なんて言ってないわよ。あくまでも事実を伝えたまでで」

「たつきから、姉ちゃんのことを悪く言わないでと怒られたらしい。姉ちゃんがそんなことしないって、なんでたつきも分からないかな」

彼は呆れていたが、私は正直安堵した。たつきがまさか、出来心で天下に注意するとは思っていなかったのだ。きっと彼なりに私を信じているからこそ、彼女にも気をつけるように促したに違いない。

「両兵は、天下さんのことしか信じていないのね。私が彼女を貶めるような嘘をつくと思っているの?」

問いかけた瞬間、彼は頬を上げた。

「そりゃ思うさ。だってまみは天下ちゃんに嫉妬しているんだから。彼女は愛嬌もあるし、みんなから愛されている。まみの気持ちも理解できるよ」

「勝手なことを言わないで。私は嫉妬なんてしていない。どうして両兵は私を悪者に立てようとするのよ」

「あれは天下ちゃんから話を聞いているって言っただろ。公平な立場で見た結果、お前が悪いって分かったんだ」

「その態度を直さない限り、俺はまみに優しくするつもりないから」

彼は天下を苦しめる私に腹を立て、態度を一変させたらしい。最近冷たくなったのは、わざとだという。

「夫である俺に無視されて辛いだろう。でも天下ちゃんはもっと辛い思いをしている。さっさと反省して、彼女に謝るんだな」

吐き捨てると、食べた食器を放置したまま両兵は席を立った。意地でも天下を擁護する彼に、不審感が募る。私は両兵とこのまま生活を続けても、幸せにはなれないと感じていた。

それから1ヶ月が経ったある休日の夜、両兵の入浴中、リビングのテーブルに置かれていた彼のスマホが震えた。私はソファに座ってテレビを見ていたのだが、ふと画面を確認する。そこには「天下」の名前が表示されていた。

普段なら両兵のスマホを勝手に触るような真似はしない。しかしその日、なぜか自然と手が吸い寄せられたのだ。恐る恐る指で着信ボタンをスライドする。その瞬間、消え入りそうな声が耳に飛び込んできた。

「もしもし。両平さん、急にごめんなさい。職場で話せる内容じゃなくて」

天下は電話に出たのが両兵だと信じきっているようだ。こちらが何も言っていないのに、話を続ける。

「どうしよう。妊娠しちゃいました」

彼女の言葉に、思わず息を飲む。天下が妊娠したこと自体は何ら問題ではない。ただ、なぜそれを両兵に報告したのか。

「私、どうしたらいいですか? 両平さんしか頼れない。助けてくれますよね」

天下はきっと、彼なら力になってくれると思っているのだろう。だが今、彼女が事実を打ち明けた相手は両兵ではない。私は冷静を装って口を開いた。

「誰の子?」

「え?」

「誰の子かって聞いているのよ、天下さん」

天下は相手が私だと気づいた瞬間、絶句する。沈黙が続き、受話器越しに彼女の動揺が伝わってきた。言い訳を考えているのだろうか。今更何を言っても無駄だというのに。

「黙ってちゃ分からないでしょ。どうして妊娠したことを両兵に報告しようとしたの? ねえ、早く答えて」

「お姉さん、これはその……」

急かした途端、声を上げる天下。しかし彼女は言葉をつまらせ、しどろもどろになった。誰の子か聞かなくとも、ある程度予想はできる。スマホを持つ手に力が入った。

「言い訳するなら、是非直接会って聞かせてもらいたいわね」

「え?」

天下が素っ頓狂な声を出す。このまま電話を切らせたりはしない。私は逃げ道を塞ぐべく言葉を発した。

「夫には黙って、家に来なさい」

「でも……」

まさか私に呼ばれるとは思っていなかったのだろう。天下は慌てふためきながらも、どうにか断ろうとした。

「今この状況でお姉さんに会っても、どうしようもなくないですか? あくまでも私はただ両平さんに相談したかっただけで」

「それなら家に来ればいいじゃない。直接相談しなさいよ」

「いや、わざわざ会って話すほどじゃというか……両平さんはその場にいるんですかね? もしかしてこの電話、聞いているとか?」

「え、彼は入浴中よ。きっと天下さんが来る頃には出ているんじゃない?」

もしもこの会話を聞いていたら、両兵はきっと彼女が自宅に来るのを止める。彼が入浴中だからこそ、天下を呼ぶことができると私は考えていた。

「どうせ妊娠のこと、たつきにはまだ何も伝えていないのよね。というより、伝えられないのが正しいかしら」

「これは……」

彼女の声が弱々しくなる。夫よりも先に義兄に妊娠を報告するなんて、絶対におかしい。私はすべての事情を察した。その上で、改めて自宅に来るよう天下に求める。

「とにかく今すぐ来なさい。悪いけど、逃げようなんて思わないことね。どうせ無駄なんだから」

「待ってください。お姉さん」

「来ないなら、この電話のことを誰に報告しようかしら。たつきと、あなたのご両親と」

知られたくないであろう人物を羅列した途端、彼女は声を上げた。

「分かりました。すぐに行きます。だから親には言わないで」

どうやら天下は両親に妊娠を知られたくないらしい。普通なら夫の次に報告する相手だろう。反応からして、彼女の妊娠に何か事情があることは明白だった。

電話を切った後、私は呼吸を整えた。そして脱衣所の様子を確認しに向かう。両兵はまだ湯船に使っているようで、出てくる気配はなかった。するとそれから10分後、インターホンが鳴ったかと思えば、モニターには焦った様子の天下の顔が表示された。

「随分と早かったわね。急いで来てくれてありがとう」

玄関を開けるなり、彼女は顔を真っ赤にしていた。両兵に電話をかけた結果私が出るとは思わなかったのだろう。その上、こうして家に呼ばれたのだから焦るに決まっている。私は天下を自宅に招き入れ、椅子に座るよう促した。

「ごめんなさい。まだ両兵はお風呂なの?」

「そうだ。言い忘れていたわね。妊娠、おめでとう」

そう伝えるも、天下の表情は晴れない。彼女は目を泳がせながら弁解しようとする。

「姉さん、勘違いさせてすみません。私はただ、本当に両平さんに相談したかっただけで」

「何の相談? 両兵との子供ができたから、どうしたらいいか聞きたかったの? たつきとの子供なら、わざわざ両兵に電話する理由はないわよね」

「ええ、両平さんとはそういう関係ではありません。あくまでも彼は……」

言い訳を続ける天下にしびれを切らし、私は用意していた封筒をテーブルに置いた。

「今更ごまかそうとしたって無駄なのよ。これを見ても同じことが言える?」

「何ですか?」

「あなたたちの写真よ。二人は本当に仲がいいのね」

私は一枚一枚、丁寧に写真を並べた。その瞬間、天下が目を大きく見開く。写真には、密着して腕を組んでホテルへと入る両兵と天下の姿が映っている。彼女は不倫の証拠を私が持っているとは思っていなかったのだろう。

「なんでこれを?」

天下はガタガタと体を震わせながら、食い入るように写真を見つめた。実は彼らの言動に不審感を募らせた私は、密かに興信所に調査を依頼していたのだ。その結果、やはり二人は不倫していた。両兵の帰りが遅くなったのは、天下と密会していたからだった。

「最近、二人でホテルに行っていたのね。たつきはあなたのこと、怪しまなかったの? 急に残業続きになったのに」

「お姉さん、誤解させてすみません。私たちは不倫しているわけではないんです。ただ、仕事のことを話すために、誰にも聞かれない場所に行きたくて」

彼女は涙目になり、ひたすら言い訳を述べる。しかし、そんな話を誰が信じるのか。仕事の話なら職場ですればいい。こんなところに行く理由にはならないわ。そもそも証拠がある以上、何を言っても無駄よ。証拠はすでに私の手元に揃っている。

すると、言い逃れできないと悟ったのだろう。天下は次の瞬間、笑みを浮かべた。

「バレたならしょうがないですね。こんなにも証拠を集めて、ご苦労様でした。それで、両平さんとは離婚するんですか?」

彼女はやけになったのか、不倫を認めた。それどころか、平然と私たちに離婚を促す。

「両平さんが本当に愛しているのが誰か、分かりましたよね? 彼に裏切られてショックでした? かわいそうですけど、両平さんの気持ちが戻ることはないですよ」

「急に何? 自分が勝ったとでも思っているの?」

「実際、両平さんが好きなのは私なんです。しかも私は彼の子供を身ごもった。この状況で、お姉さんが私に勝っていることなんてあります?」

悪びれる様子もなく私を挑発する天下。彼女は両兵と結婚するつもりでいるらしい。

「お姉さんが早く離婚しないと、お腹の子は父親がいないまま生まれてくることになるんです。だから、子供のためにもさっさと身を引いてください」

予想通り、天下は両兵との子供を妊娠したようだ。彼女は頬を上げ、とらしくお腹をさする。

「赤ちゃんもパパが欲しいよね。ちょっとだけ待ってて。今すぐママがパパを用意するから」

「私が離婚したところで、両兵とは結婚できないでしょう。あなた、自分の立場分かっているの? たつきの妻よ」

「だから何? 私が愛してるのは両平さんなの。お姉さんこそ、自分の立場分かっていますか? もうすぐ両平さんに捨てられるんですよ」

天下は私をじっと見つめ、気味の悪い笑みを浮かべた。彼女は一体何を言っているのか。両兵を愛していることは分かった。それなら、なぜたつきと結婚したのよ。

「そもそも、たつきと結婚する前から両兵と関係を持っていたのよね。今回調査してもらって分かったのだが、二人は1年以上前から不倫していた。つまり、両兵は自分の不倫相手をたつきに紹介したことになる」

事実を知った時、怒りが走った。不倫自体許せない行為だが、彼らがたつきを巻き込んだことにも腹が立つ。たつきを紹介した両兵の行動も理解できないけど、何より天下さんが結婚した理由が分からない。

「あなたはどうして?」

「そりゃあ、あのデブからお金をもらうためですよ。ちょっと考えたら、それくらい分かりますよね」

天下は怒り狂う私を馬鹿にするかのように、ケタケタと笑う。なんと、今回の結婚を仕組んだのは両兵だったという。

「本当は両平さんと結婚するまでは独身でいたかった。彼が離婚するって言うから、大人しく待っているつもりだったのだけど、とんでもない年収の男がいると聞いて」

両兵はたつきと兄弟のように仲が良かったため、資産状況をそれとなく聞いたそうだ。銀行員だから、仕事に活かしたいと考えていたのかもしれない。ただ、たつきの収入は両兵の想像をはるかに超えていた。

「外資系のIT企業に務めていると聞いてびっくりした。そんな男性、私たちが放っておくわけないでしょ」

「だからって、なんで結婚を……」

「いくら仲がいい義理の兄弟でも、両平さんがデブからお金をもらうことはできない。でも、私が近づけば絞り取れるんじゃないかと思ったみたいで。あのデブ、全然恋愛経験がないのね。すごくちょろかったわ」

天下は誇らしげな顔で笑う。しかし、私は彼女の行動が未だに理解できなかった。

「最低ね。でも天下さんはそれで良かったの? 両兵に利用されているだけじゃない。愛する人から別の男性を紹介され、挙句結婚するよう求められたのだ。普通ならそこで愛が覚めるはず。しかも天下さんはたつきの容姿を馬鹿にした。本来なら彼と結婚なんて嫌だったに違いない」

そう思って問いかけた途端、天下が顔を真っ赤にする。

「違う! 両平さんは優しいの。あのデブとの結婚を決めた私を、たくさん褒めてくれたんだから。いつか絶対に二人で幸せになるって決めたの」

彼女は内心、両兵にいいように使われているだけではないかと不安に思っていたのだろう。図星を突かれたらしく、私の言葉に逆上して声を荒らげる。

「両平さんを奪われて悔しいからって、私は馬鹿にしないで。こっちは二人で計画を立てていたんだから」

「計画? お金を奪い取る方法でも考えていたの?」

「デブに買ってもらったブランド品を売却してお金にするの。そのお金で、二人で新婚旅行に行くって決めているの。だからこそ、あんたには別れてもらわなくちゃ困る」

そんな計画が成功するはずがない。私は頭を抱えた。

「たつきと離婚するにしても、あなたたちはまだ新婚よ。両兵と不倫しているって正直に話して別れるつもりだったの?」

「たつきは天下を大事にしているから、素直に離婚に応じるとは思えない。かと言って、不倫の事実を明かせば慰謝料を請求されるだろう。それを彼女は分かっていないのか」

ため息をついた途端、天下がむすっとする。

「あのデブは私にベタ惚れしているの。離婚したいって言えば、してくれるはずよ」

「そんなわけないでしょ。今回のこと、たつきに伝えるからね」

「は? ここに来たら言わないって約束だったじゃん」

彼女が目をつり上げて私を睨みつける。どうやら天下は勘違いしているようだ。

「ここに来なければたつきに報告するとは言ったけど、来たら黙っておくとは一言も言ってないはずよ」

「何よそれ? じゃあここに来た意味ないじゃん」

「ま、勝手にすれば。こっちが適当にごまかせば、あのデブは私を信じるんだから」

彼女は得意げに笑った。たつきは絶対に自分の味方だと思っているらしい。

「私が泣きついたら、あのデブすぐ優しくしてくれるから。あんたは無駄なことしてないで、とにかく両平さんと離婚して」

以前私が忠告した時も、たつきは天下を擁護した。それゆえ、彼女はたかをくっているのだろう。不倫の証拠があるにも関わらず余裕ぶる彼女に、私は呆れ返って何も言えなかった。

だが、天下は私が反論できず言葉をつまらせたと考えたらしい。一層ニタニタと薄気味悪い笑顔を見せる。

「それで、離婚する気はあるの? どうせ両平さんはすぐに応じるんだから、書類だけ準備しておいてよ」

期待に満ちた目で私を煽り続ける天下。するとその時、リビングのドアが開く。現れたのは、タオルを頭にかけた風呂上がりの両兵だった。彼は天下の姿を見るなり、目を丸くする。

「天下ちゃん、なんでここにいるの?」

「両平さん、お姉さんが離婚するって。これで私と結婚できるね」

「あ、何を言って……」

「両兵、この写真を見てくれる?」

私はテーブルに並べてあった不倫写真を両兵に見るよう促した。途端に彼は青ざめ、口をパクパクと動かす。

「なんだよこれ。まみ、俺のこと調べていたのか? こんな隠し撮り……」

「私は消えていないわ。両兵に教えたら、調査の意味がないでしょ。不倫の証拠もある上に、今天下さんが認めたの。あなたと交際していたって。だから、私とは離婚してくれるかしら」

「天下、お前余計なこと……」

両兵は今にも泣き出しそうな顔で天下を見る。思っていた反応ではなかったからか、彼女は困惑していた。

「両平さん、なんで怒っているの? 私と結婚できるのよ。嬉しいよね」

そう尋ねる天下を無視して、両兵は私にすがりつく。

「まみ、勘違いしないでくれ。天下は遊びだ。俺が本当に好きなのは、まみなんだよ」

「散々不倫しておいて、よく言えたわね。私には冷たい態度を取って、彼女には優しくしていたみたいじゃない? 二人はお似合いだと思うわよ」

「違うんだ。俺はただ、まみに構ってほしくて。それでついそっけなくしちゃっただけで」

弁解する彼の背後で、天下が小ばらせる。彼女は今にも両兵に飛びかかりそうな勢いで詰め寄った。

「両平さん、遊びってどういうこと? 早くお姉さんと別れたいって愚痴っていたじゃない。私のことが好きなんでしょ?」

「うるさいな。お前は黙っていろ。ちょっと容姿を褒めただけで本気になりやがって」

「こんなおばさんとは一緒にいたくないんでしょ? 私は両平さんが結婚してくれるって言うから、あんなデブと夫婦になったのに」

天下は恨んだ瞳で両兵を睨みつける。ずっと信じていた彼に裏切られ、ショックを隠せないのだろう。しかし両兵は天下を放置して、なりふり構わず私に頭を下げる。

「まみを裏切るような真似をした俺がバカだった。本当にごめん。反省する。だから離婚とか言わないでくれ。俺はまみがいないと生きていけない」

「急にどうしたの? あなたは天下さんが好きなんでしょ? 彼女からもらった手紙も大切にしていたじゃない」

「なんでそれを知って……」

彼ははっとこちらを見つめた。以前、夜遅くに帰ってきたかと思えば、私にバレないよう何かを隠した両兵。あの日彼が持っていたのは、天下からもらった手紙だった。後日、彼のいない隙に漁って見つけたのだ。雑誌に挟んで隠していたみたいだけど、残念ながらすぐ気づいたわ。

「両兵は、昔へそくりの千円札も同じように隠していたでしょ」

「あっ」

結婚してすぐの頃、私が雑誌を読んでいると、本の間からヒラヒラとお札が出てきたことがあった。後に両兵が隠したへそくりだと分かったが、彼は薄いものを隠す時に挟む癖があるらしい。今回も同様の手口で、天下からの手紙を隠していた。

「天下さんは本当に両兵が好きだったのね。こんなにも愛が詰まったお手紙、初めて見たわ。両兵が捨てなかったってことは、天下さんが大切なんでしょ」

「そうじゃない。捨てようとしたけど、まみにバレると思って」

「毎週ゴミをまとめるのは私がやっている。両兵は手紙の破片を私が目にする可能性を危惧して、捨てる時期を見計らっていたらしい。俺が代わりにまとめたりしたら、まみが怪しむ気がして」

「何を今更。たとえ両兵のことを怪しんでいたとはいえ、証拠を残してくれてありがとう」

「本当に悪かった。俺、まみと別れたくない。頼むよ」

「いい加減にして」

その時、天下が声を張り上げる。彼女は逆上し、反響になって両兵を責め始めた。

「このおばさんの何がいいの? 私の方が若くて可愛いじゃない。さっさと乗り換えてよ。じゃないと、あのデブと離婚できないでしょ」

「静かにしてくれ。天下はたつきの妻だろ。これからも彼と暮らせばいいじゃん。俺はまみと離婚するつもりはない」

「何よそれ。まともな稼ぎもないおばさんを、今後も養ってやるってこと? 両平さんは本当にそれでいいの?」

「おい、黙れって」

天下の言葉を受けて、またたく間に彼の顔から血の気が引く。どうやら私には聞かれたくなかった話らしい。

「まみ、今のは違うんだ。天下はただお前に嫉妬して……」

「まともな稼ぎがないね」

「天下さん、その話、誰から聞いたの?」

「そんなの両平さんに決まっているじゃん。両平さんは一家の大黒柱でしょ? 彼がいないとお姉さんは生活できないもんね」

クスッと笑う天下の隣で、うろたえる両兵。視線を送ると、彼は額から大量の汗を流していた。

「まみ、天下の嘘を信じるな。彼女は俺たちを別れさせようとしている。今すぐ天下とは縁を切るから」

「だから、両兵は私のこと、そんな風に語っていたのね。呆れたわ」

「天下さん、悪いけど私は彼の収入が……」

「は? そんなわけない。両平さんはいつも言っていたの。自分の稼ぎで妻を養っているって。家計を支えているのは彼だから、お姉さんがその分家事を負担しているんでしょ」

天下は両兵の嘘を信じていたのだろう。だからここまで彼に執着しているに違いない。彼女が私を見下しているのも、両兵の影響のようだ。

「私が税理士事務所で働いているってことは、知っているわよね」

「もちろん、パートでしょ」

「何を言ってるの? 私は税理士よ」

「いやいや、冗談はやめてよ。両平さん、お姉さんが嘘ついているんだよね」

「ちょっと、なんで黙っているの?」

天下が詰め寄っても、両兵は目を伏せ何も言わなかった。そんな彼の様子から、私の話が事実だと悟った天下は言葉を失う。

実は私は大手税理士法人に勤務する税理士だ。年収は両兵を優に超えている。一家の大黒柱は、完全に私だろう。それなのに天下は、私をパートの事務員だと思っていたらしい。

「初めて会った時、仕事のことを伝えたはずよ。税理士だって。たつきからも話を聞いていたわよね。天下さんはそれを忘れていたの?」

「だって両平さんが、あれは嘘だって言ってたから。お姉さんは見栄っ張りだから、パートだということを伏せて、税理士だと偽っているって」

呆れた。そこまでして私を見下したいのか。冷めた目で両兵を見ると、彼は気まずそうに体を縮じ込ませる。天下は未だに信じられないといった様子で、口を半開きにしていた。

「どちらかといえば、見栄っ張りなのは両兵の方よね。私を下げないと、自尊心が保てなかったんでしょ」

「いや、誤解しないでくれ。俺はまみを貶めたかったわけではなくて」

慌てて否定するが、両兵は昔からプライドが高かった。それに、妻の私の方が高収入なのが許せなかったに違いない。

「自分だけ税理士になれなかったこと、まだ根に持っているんでしょう。だからそうやって私を馬鹿にしていたのよね」

「やめろ。今、そんな話する必要ないだろう」

両兵が声を張り上げて私の話を遮ろうとする。ただ、彼の隣で天下が首をかしげた。

「何のこと? 両平さん、税理士になりたかったの?」

戸惑う彼女に、私は事実を伝えた。

「大学時代、私たちは経済学部で一緒に税理士を目指していたの。結婚したら二人で税理士事務所を立ち上げるのが夢だった。でも結局、彼は試験に受からなくて、資格を取れたのは私だけ」

「え、優秀な両平さんが落ちたの? そんな……」

信じられないといった様子で天下が両兵に視線を送る。彼は哀れみの目で見られていると思ったのだろう。立ち上がって声を上げた。

「うるさい! まみは女のくせに、会釈がないんだよ。俺より優れた嫁、正直迷惑でしかなかった」

彼は劣等感を隠すため、外では私を下げ、自分を大きく見せていたようだ。そして天下はそれを信じ、両兵にすり寄った。

「天下は俺のこと、心からすごいって褒めてくれるんだ。それが癒しで、気づいたら関係を持っていた。でも不倫なんてする気なかったんだ。俺はまみに負けたくなかっただけで」

「天下さんが褒めてくれるなら、これからも彼女と一緒にいなさいよ。その方が両兵だって幸せなんでしょ」

「俺が愛してるのはまみなんだって言ったんだよ」

彼は声を震わせ、未だに離婚したくないと訴える。だが、それは私が好きだからではない。私がいなくなったら、自分で生活費を出さないといけない。両兵はそれが嫌なんでしょ。

「あなたは私の稼ぎを手放したくないだけよね」

「そうじゃない。俺は……」

本心を言い当てられて動揺したのだろう。両兵が口ごもる。

「私に生活費の大半を出させて、あなたは天下さんに貢いでいたんでしょ? 彼女のバッグ、たつきが購入したものだけじゃないわよね」

「どうした? お姉さんがそれを知って……」

悔しそうに唇を噛んでいた天下が、大きく目を見開いた。彼女は私にバレていないと思っていたようだ。しかし興信所の調査の結果、二人が頻繁に高級ブランドのお店に行っていたことが分かっている。毎回紙袋を手にして店を出る彼らの写真が、何枚も証拠として残っているのだ。

情報はそれだけではない。たつきが話していた。なぜか天下が知らないバッグを持っているって。

「え、たつきが?」

実は、お金の使い方に気をつけるよう忠告した際から、たつきは私に相談を受けていた。

「天下、俺がプレゼントしたものだけじゃなくて、他にもいくつかハイブランドのバッグを持っているんだよね。だから、元々高級ブランドが好きみたいで」

ただ、天下の収入でいくつもブランドもののバッグを購入するのは難しい。私はその段階で違和感を抱いていた。そして調査の結果、バッグを購入していたのが両兵だと分かった。

「たつきだけでなく、両兵にまで貢がせていたなんて。悪い女ね。両兵も、どうしてそこまで彼女にお金を出していたのよ」

「そりゃ、格好つけたくもなるだろう。俺が身を立てられる相手は、天下しかいないんだから」

彼はがっくりと肩を落とす。隣で天下は、不思議そうな顔をしていた。

「両平さんは、どうしてそこまでお姉さんの稼ぎに執着するの? お金あるんでしょ? 私のことだって、本当は好きだよね。あとは離婚するだけじゃない」

「あ、それは……いくら一家の大黒柱がお姉さんだったとしても、両平さんにはあのお金があるでしょ」

彼女の問いかけに、両兵が目をそらす。何やら二人は私に隠し事をしているらしい。それを理由に、天下は両兵が大金を持っていると考えていた。

「大丈夫だよ。両平さんの貯金があれば生きていけるって。だからね、さっさとお姉さんは捨てようよ。両平さんには私がいるんだから」

「天下さん、両兵から何を聞いているのか知らないけど、彼は生活費を出しぶって、それでどうにかあなたに貢いでいたのよ。お金なんてあるわけないじゃない」

事実を説明しても、彼女は聞く耳を持たない。それどころか、プッと吹き出す。

「お姉さんは知らないんですもんね。実は両平さん、かなりあるんです」

「へえ。両兵の収入からこまめに貯金していたってこと? だとしても、天下さんに貢いでいたんだから、たかが知れていると思うけど」

「両平さん、もう隠す必要ないよね。お姉さんに全部話しちゃってもいい?」

いたずらっ子のような笑みを見せ、天下が両兵に確認する。彼は目を合わせて、どうにかごまかそうとした。

「一旦落ち着いてくれ。あのことはまみに黙っておく約束だっただろう。話すとしても、離婚とか諸々の手続きが終わってからでもいいじゃん」

「お姉さんは離婚する気でいるんだから」

そう言うと、天下は両兵の制止を無視して口を開く。

「実は両平さん、投資で成功しているんです。だからお金は十分あるし、私にいっぱいプレゼントしてくれた。それだけの余裕があるのに、お姉さんはたつきから何ももらえなかったんですよね」

「あら、そうだったの?」

私は事実かどうか確認するべく、両兵を見つめた。彼は視線をそらし、罰が悪そうな顔をする。その表情からして、やはり天下の話は出たらめなようだ。

「お姉さん、今更離婚はしないとか言わないでくださいね。私はもう両平さんと結婚する気なんですから」

明るく話す彼女に、思わずため息が漏れる。

「申し訳ないけど、天下さんは両兵に騙されている。彼は投資で成功なんてしていない。そもそも、投資だってやってないわよね」

私の問いかけに、両兵は何も言わない。すると天下は、むっとして反論した。

「お姉さんは両平さんから何も聞いていないんでしょ? そりゃ知らなくて当然です。彼はこっそり私にだけ教えてくれて」

「笑わせないでくれる? 両兵は昔、投資で失敗して懲りたはずよね」

「は?」

彼女はすぐさま両兵に向いた。きっと彼が否定すると考えたのだろう。だが両兵は、黙ったままだれるだけ。

「あれは両兵が社会人1年目の頃だったかしら。急に投資の勉強を始めて、挑戦したわよね。でも失敗して大損。その時、投資にはもう手を出さないって言っていたでしょ」

「ちょっと両平さん、なんとか言いなさいよ。投資で成功して資産が1000万はあるって話だったよね。あれ、全部嘘なの?」

天下に図星を突かれた瞬間、彼は肩をびくっと震わせる。もう騙しきれないと悟ったのだろう。

「いやあ、その……ごめん」

か細い声で謝罪の言葉を告げた。またたく間に、天下の顔が真っ赤になる。

「何それ? じゃあ1000万はないってこと? お金があるから、バッグだってワンピースだって買ってくれたんじゃないの? 私は両平さんと一緒なら幸せになれるって……」

「両兵ってば、いくら格好つけたいからって、借金までするなんてね。そこまでして天下さんのご機嫌を取りたかったの?」

「なんでまみがそれを知って……」

私の言葉に呆然とする両兵。何もかもバレていることに気づき、頭が真っ白になったようだ。そんな中、天下はうつむいて固まっている。

一気に静かになった二人に、私はとある封筒を見せた。

「この前、これが届いたの。両兵、借りたものはちゃんと返さなくちゃだめよ」

それは先日、私たちの自宅に届いた消費者金融の督促状だった。大量に天下にブランド品を買い与えていた結果、お金がなくなったのだろう。投資で成功しているといった手前、彼女のおねだりを断れなかったに違いない。

すると両兵は、生気のない顔で頭を下げた。

「そこまで知っているなら、話が早い。俺はもう、まみなしじゃ生活できないんだ。だからお願いします。俺を捨てないで」

今、私と離婚したら、彼は生活費と借金の返済に追われ、苦しい生活を送ることとなる。両兵はそれが嫌で、私を手放したくないのだろう。床に頭を擦りつけ、懇願の言葉を口にした。

「本当にごめん。まみに甘えていた。これからは心を入れ替える。だから……」

「何を言っているの? 両兵は天下さんの存在に癒されていたんでしょ。あなたには彼女がいるんだから、私は必要ないわよね」

「そんな冷たいことは言わないで。天下はわがままばかりで、全然お金を出してくれない。このまま彼女と結婚なんてしたら、俺は破産してしまう」

「あなたの意思で天下さんと交際したんでしょ? 彼女に対する不満、私に言われても困るんだけど」

離れようとしても、無理やり足にしがみついて泣きつく両兵。そんな彼を、天下は引いた目で見ていた。

「てめえの言っていたこと、全部嘘ばっかじゃん。私のことずっと騙していたのね。これじゃあんたと付き合ってきた意味がないじゃない」

両兵は顔をしかめ、彼女を睨みつける。

「はっ、あんなしょうもない人に騙された方が悪いんだろ。もう邪魔するな。俺はまみと話し合いたいんだ。出ていってくれ」

「ふざけんな。今すぐ私に謝って。こっちはあんたに騙されて、あんなデブと結婚するはめになったのよ」

「たつきを侮辱するのはもうやめて。彼をどこまで傷つけたら気が済むの?」

怒りのあまり、声が強くなる。私の大声に驚いたのか、両兵と天下は途端に静かになった。たつきを利用した二人を、絶対に許せない。私はポケットに入れていたスマホを取り出した。

「天下、俺のことそんな風に思っていたんだね。がっかりだよ」

「え、なんでたつきが?」

たつきの声が聞こえ、天下がはっとして声を上げる。彼女の視線の先にあるのは、私のスマホ。徐々に両兵も事情を察したのか、呆然とする。

「もしかして、たつきと電話が繋がっているのか?」

「ええ。天下さんが来る前に、たつきに電話をかけたの。今から30分前のこと」

天下を自宅に呼び出した私は、急いでたつきに連絡を取った。

「申し訳ないけど、通話状態にしてこっちの会話を聞いていてくれない? 今は状況を説明する時間がなくて」

いつ彼女がこちらに到着するか分からないし、両兵がお風呂から上がるタイミングも不明だ。私はとにかく、電話を繋いだままにしてほしいとたつきに頼んだ。彼は不思議そうにしていたものの、何やら事情があると思ったのだろう。

「分かった」

そう快諾し、今まで通話状態にしてくれていた。そして先ほどスピーカーモードにしたため、ようやく彼の声が天下と両兵にも聞こえるようになったのだ。

「あなたたちの会話は、全部筒抜けだったの。天下さんはたつきを味方につけたかったみたいだけど、もう難しいわね」

「違うの。さっきまでの話は、全部両平さんとお姉さんに言わされただけ。私の本心じゃなくて」

天下が言い訳を並べ、どうにか自分の身を守ろうとする。しかしたつきは、電話の向こうでため息をついた。

「姉ちゃんたちが、なんでそんな脅しをするの? いい加減、嘘をつくのはやめなよ」

「たつき、お願い。私の話を聞いて。私は本当にたつきを心から愛して……」

「天下は俺のこと、デブだと思っていたんだよね。両平さんに紹介されなければ、当然結婚もしていなかったんでしょ。最近、怪しいと思っていたんだよ」

彼は私と同様に、天下の不倫を疑っていたらしい。ここ最近帰りが遅くなった彼女を、不審に思っていたようだ。

「急に飲み会やら残業が増えて、嫌な予感をしていた。でも、まさか両平さんとずっと不倫していたとはね」

「姉ちゃん、俺もそっちに行っていい?」

「もちろんよ。今はどこにいるの?」

「すぐに来れそう。天下の話を聞いていても立ってもいられなくて、もう姉ちゃんの家の前にいる」

「へ、嘘……」

天下が短い悲鳴を上げ、体を震わせる。今ここにたつきが来ると知り、恐怖を感じたのだろう。すると彼女は、テーブルに並べた写真を回収しようとした。

「何をやっているの? この証拠を隠せば、不倫の事実がバレないとでも思った?」

「天下、余計なことをしないで。俺がそこに行くまで、大人しく待っていてよ」

電話が切れた途端、インターホンが鳴る。天下は泣きじゃくりながら写真を破いた。それを両兵が止める。

「俺だけ不倫がバレるなんて不公平だ。天下だって、たつきに問い詰められればいい」

「ふざけないで。不倫について調査したのはお姉さんでしょ。何も知らなかったたつきにまで教える必要ないじゃない」

きっとこちらを睨み、声を荒らげる天下。私は彼女を無視して、たつきを自宅に招き入れた。

「天下、お前……」

彼の目は赤く腫れ、表情は怒りと悲しみで歪んでいる。先ほどまで泣いていたのだろう。そんなたつきに、天下は作り笑いを浮かべた。

「さっきの電話、驚かせたわよね。でも本当に、私は不倫なんてしていない。たつきをデブだなんて思ったことは……」

たつきは彼女を無視して、床に散らばった不倫写真の一枚を拾い上げる。

「違う。これは……」

「こんなにも明らかな証拠があるのに、嘘だというの。俺に隠れて、こそこそと両平さんと会っていたんだよね」

写真を持つ手に力が入る。その様子を見て、天下は顔をこわばらせた。

「両平さんとは会っていた。でも不倫じゃない。この写真は全部、お姉さんが仕組んだ罠だもん」

「罠? 何を言ってるの?」

「私と両平さんを貶めるために作った合成写真なの。彼とホテルにいた事実はない。たつきなら信じてくれるよね」

あろうことか、彼女は写真が加工だと言い張り、不倫を否定する。なんとしてでも無実だと主張したいのだろう。しかし、彼がそんな嘘に騙されるわけがない。腕を絡めてすがりつこうとする天下を、たつきは強く振り払った。

「合成か本物かくらい、一目見たらすぐ分かるよ。これは紛れもなく本物だ。そもそも、姉ちゃんが天下をはめる理由がない」

「お姉さんは、若くて可愛い私に嫉妬して……」

「バカ言うな。姉ちゃんに嫉妬していたのは、天下の方だろ。両平さんの妻である彼女が邪魔だったんだよな。だから、姉ちゃんに文句は言われたと嘘をついたの」

「いや、あれは本当で……」

弟夫婦と距離を置くきっかけとなった、私と天下の電話。たつきは彼女と私、二人の言い分を聞いた上で、お互い誤解してすれ違っていると考えた。ただ、その後の天下の振る舞いで、彼女は嘘をついたのではないかと思ったらしい。

「距離を置いたにも関わらず、天下はずっと姉ちゃんの悪口言っていたよね。稼ぎもないのに偉そうとか、美人な私に嫉妬しているとか。そりゃちょっと聞いただけで分かるよ。いくら姉ちゃんが冷たい態度を取ったとしても、そこまで言う? だからおかしいと思ったんだ。姉ちゃんは昔から、悪口なんて言うタイプじゃない」

「なんで私じゃなくて、姉の肩を持つのよ」

たつきは天下の本性に徐々に気づき、私から聞いた話こそ本当だと察した。その上で、彼女の様子を見守っていたという。

「どうして姉ちゃんが嫌いなのか、最初は分からなかった。でも、両平さんと不倫していると知って、ようやく理解したよ。天下はずっと姉ちゃんを妬んでいたんだね」

「だから違うって言っているでしょ。どうしてみんな、このおばさんの味方をするのよ。私の方が可愛いのに」

たつきにすり寄ったところで無駄だと悟ったのか、天下が豹変する。先ほどまでの張り付けたような笑みが消え、鬼のような形相で叫ぶ。

「私は両平さんに無理やり誘われたの。ホテルに連れて行かれて、断れなかっただけ」

「それでも、たつきは私を責めるの?」

「なんで俺のせいにするんだよ。俺は天下がグイグイ来るから、仕方なく相手していただけだ」

「私は嫌だって言ったもん。たつき、助けてよ。あんた、私の夫でしょ」

「たつき、信じてくれ。俺は彼女に誘惑されたんだ」

責任を擦り付け合い、どうにか自分だけでも助かろうとする二人。先ほどまでの会話をたつきが全部聞いていたことを、忘れているようだ。今なら彼を丸め込めると思っているに違いない。そんな二人を、たつきは冷めた目で見る。

「結婚前から不倫していたんでしょ? じゃあ、どちらも合意の上だよね」

「あ、それは……」

はっとする天下。たつきが全てを知っていることを思い出したらしい。

「被害者は俺と姉ちゃんだ。二人は俺たちを騙し続けた。今更自分は悪くないと言っても、無駄だよ」

「た、一旦落ち着こうよ。ゆっくり話し合う必要がある。俺たちは何もたつきを騙したわけじゃなくて」

おずおずと近づき、両兵が弁解を始める。

「純粋に俺は、たつきと天下がお似合いだと思ったんだ。既婚者の俺が天下と結婚することはできないだろ。彼女に幸せになってほしくて、紹介しただけなんだ」

「でも、結婚後も彼女と関係を持ち続けたんですよね。しかも、俺のお金目的で天下に結婚させた。何がお似合いですか?」

「だからそれは、天下がグイグイ迫ってきてさ。俺も悪かったと思っているんだ。たつき、ごめんな」

両兵は信じられないほど軽い口調で謝罪する。仲がいいからこそ、たつきも最終的には許してくれると思っているようだ。

「たつき、俺はもう天下とは別れる。今後のことは、二人で話し合ってくれ」

そんな両兵を無視して、たつきは私に目を向けた。

「今回のこと、二人には必ず責任を取ってもらう。当然、姉ちゃんもそのつもりだよね」

「ええ。慰謝料を請求する予定よ。すでに弁護士にも相談してあるわ」

「えっ」

私たちの会話を聞いた途端、両兵の顔から血の気が引く。天下も動揺したのか、目を泳がせた。

「待ってよ。慰謝料なんて払えない。私、貯金なんてほとんどないの」

「俺もだよ。借金があることをまみは知っていたんだろ。それじゃあ、俺が支払えないことくらい理解しているんじゃ……」

「払える払えないじゃないの。二人は罪を償う必要がある。私たちを傷つけたんだから、当然よね」

断言した瞬間、一層慌てふためく二人。それだけお金に困っているのだろう。たつきもまた、私の考えに同意した。

「天下に上げたブランド品も、全部慰謝料として請求するからよろしくね。もちろん、両平さんにも支払ってもらうから」

「なんで? あれはたつきがくれたものでしょ。その分、余計にお金を渡す理由なんてない」

「さっき言っていたけど、天下はブランドバッグを売却してお金にするんだよね。最初からその狙いで俺と結婚して、金を出させた。当然、請求額に上乗せして話すに決まっているでしょ」

天下は最初から彼を騙して利益を得るためだけに結婚している。その上、入籍時にはもう両兵と不倫していたのだ。慰謝料を増額されても、文句は言えないだろう。

「支払えないって言うなら、天下のご両親に今回のこと、包み隠さず報告する。もちろん、両平さんとの不倫についても話すけど、いいの?」

「それはやめて。分かった。支払うってば」

天下は声を震わせ、たつきの提案をしぶしぶ受け入れる。やはり彼女は、今回のことが両親にバレるのを恐れているらしい。たつきは何かを言おうとしたが、天下の様子を見て口をつぐんだ。

私はテーブルに並べた不倫写真をどけ、離婚届を置いた。

「両兵、今すぐこの場で署名して」

「本気なのか? 俺はまみが好きなんだ。そんな俺を捨てるなんて……」

呆然と離婚届を見つめ、両兵が小さくつぶやく。もう声を張り上げる気力は残っていないようだ。私はペンも突き出し、トントンと書類を指で叩いた。

「私はもう両兵とは暮らしていけない。あなたは私だけでなく、たつきまで傷つけたの。離婚するのは当然のことじゃない」

「せめて慰謝料だけは……」

「何を言っても、私の気持ちは変わらない。お金はどうにか工面して待っていて。あとは弁護士を通して手続きするから」

あっさりと答えると、とうとう観念したのだろう。震える手でペンを握り、両兵は署名した。たつきはその様子を見ながら、天下に声をかける。

「俺も天下と離婚する。明日にでも一緒に役所に行こうか。早く荷物をまとめて、家からも出て行ってくれ」

「嫌だ。私は絶対に別れない。たつきと離婚したら、私はどうやって生きていけばいいのよ」

彼女は地団駄を踏み、子供のように駄々をこねた。今天下はたつきの収入のおかげで、相当いい暮らしをしている。しかし離婚すれば、一気に生活水準は落ちるだろう。彼女はそれを危惧していた。

「たつきだって、可愛い奥さんがいて幸せだったでしょ。これからも変わらず夫婦でいましょうよ。どうせ両平さんとは別れるつもりだったしね」

あっさり両兵を切り捨て、上目遣いでたつきに媚びる天下。それでもたつきは、一切表情を変えなかった。

「俺が上げたブランドバッグ、さっさと売り払ってお金にすればいい。それで当面の生活費は確保できるよね」

「いや、だけど……」

「ご自慢の可愛さがあるなら、どうにかなるでしょう。少なくとも、俺はもう天下のことを愛していないから」

すると天下が顔を歪める。

「あんたみたいなデブ。私と離婚したら、誰とも結婚できないのよ。それでもいいの? これから一生、一人になるのよ」

この後に及んで、彼女はまたたつきを侮辱する。

「ちょっと、いい加減に」

怒りのあまり立ち上がると、たつきは私を静止した。

「姉ちゃん、俺は大丈夫。騙されていた俺も悪かったんだ。両平さんが紹介してくれて、彼女なら信頼してもいいと思っていた。だから騙される度に……」

「たつきは悪くない。あなたは被害者でしょ」

「でも、一瞬姉ちゃんを疑った。それを俺は悔んでいるんだ。両平さんと天下を信用しすぎた俺にも非がある」

彼は淡々と告げ、そっと天下を見つめる。

「天下みたいな女と結婚生活を続けるなんて無理だ。それなら、俺は一生一人でいい」

「お金しか価値がないくせに」

「天下だって、容姿にしか価値がないだろ。それと同じことだよ」

たつきが皮肉混じりに告げた途端、天下は床にへたり込んだ。たつきを騙していた彼女は、結果として両兵にも騙されていた。今天下には、もう何も残っていない。それを自覚して、絶望しているのだろう。

私は静かに天下を見下ろした。すると彼女が、おもむろに口を開く。

「たつきは、私たちの会話聞いていたのよね。このこと、知っているんでしょ?」

天下はお腹を撫でながら顔を上げた。

「それでも、私と離婚するの?」

「妊娠?」

「え?」

両兵は入浴中で私たちの会話を聞いていなかったため、まだ彼女の妊娠を知らなかった。事態を把握した瞬間、息を飲む。

「天下、子供ができたの?」

「あんたは黙っていて。この子はたつきの子なの。私たち、ママとパパになるのよ」

天下は両兵を睨みつけ、すぐにたつきへ視線を送る。だが彼女は、先ほどまで一切妊娠のことを口にしなかった。それなのに、急に思い出したかのように子供を盾に取る。

「本当に妊娠しているの? その設定、今まで忘れていたんじゃない?」

思わず問いかけると、天下は間を置いた。

「たつきに報告するタイミングを計っていただけ。両平さんに知られたら面倒だから、ずっと黙っていたの」

「でも、俺が父親の可能性だってあるよな」

「私はてっきり両兵がだと思っていたわ。じゃないと、わざわざ両兵に妊娠を報告したりしないでしょ」

私の発言の意味が分からないのか、両兵が困惑した表情を浮かべる。そこで天下が、ここに来た経緯を改めて説明した。

「それじゃあ、やっぱり俺の子か」

「だから違うってば。この子はたつきの子。きっとあなたに似て優秀よ。この子がいれば、再構築できる気がする。だから離婚は考え直しましょうよ」

彼女はまたお腹をさすり、たつきに向かってにこやかに笑いかける。だが彼は、顔を背けた。

「どう考えたって、両平さんの子供だろ? 俺たち、ここ最近は……」

「いや、ギリギリたつきの可能性も……」

「無理があるって。天下はずっと俺を拒んでいただろう。その間、両平さんと関係を重ねていた。父親は100%彼だ」

たつきが小さくつぶやく。天下は彼の子供だと立証できないと気づき、顔を真っ赤にする。両兵と会う頻度が増えたことで、たつきとの最後の夜がいつだったか、彼女は覚えていなかったのだろう。

たつきはずっと悩んでいたに違いない。

「天下は、俺がプレゼントを渡した時にしか応じてくれない。でも、物で釣るような関係は嫌だったんだ。だから家事をやって、天下の負担を減らせば、少しは関係を改善できると思っていた」

「私、たつきがそんなに思い詰めているとは知らなくて……」

「俺だって、天下を苦しめたくないから黙っていたんだよ。だけど、まさか両平さんと不倫しているとは思わなかった。俺の容姿が受け入れられないから、ずっと拒んでいたんだな」

重苦しい空気に包まれる。両兵は気まずそうに目をそらしていた。弟夫婦の事情を知り、その上天下が自分の子を妊娠していると分かってしまった。たまらない気持ちだろう。

そんな中、天下は作戦を変更する。彼女は急に、両兵に向き直ったのだ。

「両平さん、私のお腹の中に、あなたの子がいます。養育費、支払ってください」

たちまち、両兵が目を大きく見開く。

「待ってくれよ。俺の子だったとしても、なんで養育費を支払わないといけないの? そもそも、妊娠が分かって間もないよね」

「馬鹿に決まっているでしょ。あなたが父親なのは確かだけど、この際仕方ないわ。ちゃんと認知と養育の責任、果たしてください」

「無理だって。慰謝料だけでも厳しいのに」

ちらりと私を見る両兵。助けを求めているようだ。しかし、こうなったのは全て自業自得。

「子供のことについては、二人で話し合ったらどう? もう両兵の子供である可能性が高いんでしょ?」

「余計なことを言うな。俺の子かどうかなんて、まだ分からない。DNA鑑定しろ。証拠出せ」

「そんなのする必要ないわ。私の相手は、たつきじゃないなら両平さんしかいない。何かあったら責任は取るって、言っていたよね」

天下が頬を上げ、にやりと笑う。どうやら両兵は以前、妊娠したら報告してと彼女に伝えていたらしい。

「俺は子供が欲しいから、絶対に守るって約束したでしょ。その時、必ずお姉さんと離婚するって。だから私はこの子を生む。そう決めて、あんたに電話したの」

「言ったかな? そんなこと」

ごまかそうとする彼に、天下が自分のスマホを突き出す。

「ここに書いてある。白ばくれようとしても、無駄だから」

確かに彼女のスマホの画面に表示されたメッセージには、「不安にさせてごめん。もしも子供ができたら結婚しよう。俺がパパとして、天下ちゃんと子供を幸せにするから」と書いてあった。

「父親として、子供を大事にしてくれるんでしょ? それなら、養育費出してもらわないと困るんだけど」

「いや、でも俺と結婚する気はないんだよな。金だけ請求するのは、ひどいんじゃない?」

「両平さんが嘘をついてなかったら、結婚していたわよ。私のこと騙していたくせに、なんで被害者ぶるの?」

天下は声を強め、攻め立てる。だが、私は本当に彼が父親だとは思えなかった。むしろ、他の男性の可能性がまだある。天下をちゃんと問い詰めるべきだろう。

私は不倫の証拠写真が入っていた封筒から、別の写真を取り出した。

「天下さん、この人との可能性はないのかしら?」

「え? なんで?」

目の前の光景が信じられないのか、天下が呆然とする。私がテーブルに置いた写真には、彼女と40代後半くらいの男性が、仲良さげに手をつなぐ姿が映っていた。

一目見た瞬間、両兵が崩れ落ちるように座り込む。

「これ、支店長じゃないか。嘘だろ? 天下、お前支店長とも不倫していたのか?」

たつきは写真を凝視して、肩を落とす。

「不倫相手、両平さんだけじゃなかったんだな。まさか、他にもいたなんて」

実は興信所に依頼をした時、私は天下についても調査するようお願いしていた。彼女の持ち歩くブランド品の多さから、別の男性にも貢がせている可能性を考えたのだ。いくらたつきと両兵がプレゼントしているとはいえ、常に新しいバッグを持ち歩いているのはおかしいと。そんな私の直感は、結果として当たっていた。天下は上司である支店長と不倫していたのだ。

「天下さんは、支店長とも度々会っていたみたいね」

「彼と関係を持てば、職場での待遇が良くなると思ったの。なんで彼との写真まであるのよ。ここまで調べなくてもいいじゃない。最悪」

苛立ちをあらわにし、彼女は目をつり上げる。両兵から洋服をもらう計画が破綻して、悔しいのだろう。

「ずっと隠し通してきたのに。これじゃ、今までの努力が水の泡じゃん」

天下は私に向かって怒鳴り声を上げた。

「お姉さんは、そんなに私のことが嫌いなの? 両平さんに裏切られたのは、あんた自身に魅力がないからが原因だからね」

「私は天下さんが嫌いなだけではないわ。ただ、たつきを苦しめたことが許せないだけ。この場で支店長との関係をばらさなかったら、たつきに隠し続けるつもりだったんでしょ」

「当たり前じゃない。不倫相手が他にもいるって、正直に話すバカがいる?」

そこで、ゆっくりと両兵が口を開く。

「天下、お腹の子って、本当に俺の子? 支店長の可能性もあるんだよな」

彼は写真を手にして、頭を抱えた。

「俺のことまで騙していたなんて。いつから支店長と不倫していたの?」

「両平さんと付き合い出して、すぐだったかな? 支店長は両兵よりも大人で、欲しいものは何でも買ってくれるの。もちろん、彼には借金なんてないから」

うそぶくように、天下は得意げな顔をする。彼女の余裕な様子を見るに、支店長にすがればいいと考えているようだ。

「支店長なら、きっとこの子を大切にしてくれる。養育費だって、出してくれるんじゃないかしら」

「実際のところ、その子は誰の子なの? 支店長か両兵、どちらかなのよね」

尋ねるも、天下は首をかしげた。

「私も知らない。どっちかだと思うけど、誰でもいいじゃない。養育費を出してくれる人が、この子のお父さんってことで」

「ふざけんなよ。それで俺の子だったら、どうするつもりだ?」

「両平さん、お金出してくれるの? あんたが出したがらないから、店長を頼ることにしたんだけど」

「お金の話じゃなくて、俺は今、子供の話を……」

動揺する両兵に向かって、彼女は目を細めた。

「誰が父親でもいいって言ったよね。お金は出せずに、血縁で縛られても困るの。言っておくけど、DNA鑑定をする気はないから」

「子供のためにも、父親が誰かはっきりさせるべきだ」

「最悪。俺の子なら、少しは金も……」

「少しじゃだめよ。この子に苦しい生活を送らせる気? そもそも、父親がもしも両平さんだったら、支店長を騙せないじゃない。はっきりさせない方が、私としては好都合なのよ」

天下は子供を利用して金を巻き上げるつもりだ。母親になるという自覚は、一切ないようだ。せせら笑う彼女を見て、たつきは険しい顔をする。

「そこまでして、子供を使いたいのか? 天下、一人で子供を幸せにできるとは思えない。もっと他に方法が……」

「私は子供ができて嬉しいの。言っておくけど、絶対に産むから。だけど、出産するなら、いつかご両親にも報告しないといけないわよね。天下さん、親には妊娠バレたくないんでしょ。どうするつもり?」

「それは……」

そう尋ねた途端、天下が妙にうろたえる。彼女は両親に隠し通せるとでも思っていたのか。

「たつきとの離婚についても、ご両親に知らせないといけない。その時、きっと離婚理由だって聞かれるでしょうね。どうするの? たつきに原因があったとでも言うつもり?」

「そんなの、適当に嘘をついておけばごまかせるでしょ。たつきに原因があったのは事実だし」

「え、なんで俺のせい……」

「だって、離婚を切り出したのはそっちじゃん。私は両平さんと別れて再構築しようと考えていたのに。一方的に離婚届を突きつけられたとでも説明するわよ」

天下は一瞬焦った様子を見せるも、すぐに笑みに戻る。

「妊娠についても、離婚した後に判明したって言えばいいんじゃない? お姉さんが心配するようなことは起きないから。私を追い詰めた気でいるのかもしれないけど、無駄だよ」

楽観的な彼女に、私は思わず呆れた。両親を舐めているのだろうが、そううまくはいかない。すると、たつきがスマホを操作し、耳元に当てた。

「お父さん、お母さん、今までのお話、全部聞いていましたか?」

「え?」

彼の言葉に、天下が固まった。先ほど似た状況を経験しているからか、すぐに察したようだ。

「お父さんたちと電話しているとか、言わないよね」

天下は真っ青な顔でたつきに問いかける。たつきは深く頷いた。

「よく分かったね。今、お父さんたちと繋がっているんだ。ビデオ通話にしてあげる」

その瞬間、たつきのスマホに天下の両親が映る。画面の向こうで、母親は涙を流し、父親は悔しさで顔を歪めていた。

「か、今までの話は本当か? たつき君以外の男との子供を妊娠するなんて。この恥知らずめ」

「たつきさんほどの素敵な男性と結婚したというのに、信じられないわ。私たちは、こんな娘に育てた覚えはありません」

「二人とも、私の話を聞いて。これには事情があるの。私はたつきを裏切ったわけじゃない。だから怒らないでよ」

あたふたしながら、天下は弁解を繰り返す。実はたつきが彼女の両親に電話をかけた状態でうちにやってきたことを、私は把握していた。自宅に入ってくる直前、彼がメッセージを送ってきていたのだ。

「天下の親に電話をかけて、会話を聞いてもらうことにした。だから、姉ちゃんが知っていることは全部、包み隠さず話してね」

そう言われたため、私も支店長との関係について暴露した。たつきは私と同じやり口で、天下の両親にも事実を知ってもらうことにしたらしい。私たちは似た者同士の兄弟なのだろう。

「天下さんは元々、俺のお金目当てで結婚したそうです。両平さんに紹介されて、仕方なく夫婦になったと。散々俺の容姿を馬鹿にしていたので、本当は結婚したくなかったみたいです」

たつきは解説するかのように、状況を一から説明した。次第に、天下の両親の声が大きくなっていく。

「あんなにもたつき君のことが好きだと言っていたじゃないか。それも全部嘘だったんだな」

「天下は、俺たちのことも騙していたんだろう」

「誤解だって。私は本当にたつきが好きだった。でも、色々あって両平さんに迫られて、断れなかっただけ」

「嘘つき。支店長とも不倫していたんでしょ」

「誰の子か分からない子を産むなんて、情けないわ」

「私は悪くないって言っているじゃん。どうして親のくせに、私の味方をしてくれないのよ」

天下は親から何を言われようと、画面に向かって反論し続ける。彼らの叱責と泣き声が響き渡り、リビングは騒然とした。

「天下、今すぐ実家に帰ってきなさい。子供のこと、よく話し合う必要がある」

「そうよ。私たちに隠そうとするなんて、ありえない。一度戻ってきて、改めてあなたの口で事情を説明して」

「いやよ。お父さんたちには関係ないでしょ。私は支店長に、子供のことを伝えなくちゃ」

「バカ言うな。父親が誰か分からないくせに、なぜ店長に伝えるんだ。養育費については、DNA鑑定をして誰の子か判明した後に考えるべきだろう」

どうやら両親は、何が何でも天下に帰ってきてほしいようだ。このまま彼女を放置していたら、何が起きるか分からない。せめて自分たちの監視下に置きたいのだと思う。天下はそれを激しく拒み、叫び続ける。

「お父さんたちの元で暮らすなんて無理。たつき、二人を止めてよ。あんたが電話しなければ、こんなことにはならなかったんだから」

彼女は両親の相手が面倒になったのか、たつきに助けを求めた。こんな天下に、彼は間を置く。

「なんで俺が? 正直、天下は実家に戻るべきだと思うよ。二人と一緒にいれば、店長の元にも行かないだろうし、離婚の手続きもスムーズに済むでしょ」

「そんな冷たいこと言わないで。うちの両親が厳しいこと、知ってるよね。だから絶対にバレたくなかったのに」

彼女の両親は、昔から厳しかったらしい。自由奔放な性格の天下は、その生活に耐えられず、家を出るような形で逃げたそうだ。結婚が決まるまで、ほとんど実家には寄りつかなかったという。

「こんなことなら、たつきを両親に紹介するんじゃなかった」

天下が不機嫌そうに、ブツブツとつぶやく。

「どういうこと?」

思わず問いかけると、彼女はしぶしぶながらも事情を説明した。

「たつきのこと、本当は実家に連れて行きたくなかった。どうせいつか別れるから、両親にも紹介する必要ないと思って。だけど、俺がお願いしたんだ。両親に挨拶させてほしいって」

「家族仲が良くないとは聞いていたけど、一回くらいは顔を見せるべきでしょ」

「でも、ご両親は天下から聞いていた話とは、全く違う人たちだった」

最初に天下から話を聞いた際、たつきは彼女の両親に対し、厳格かつ娘のやることなすこと全て否定するという印象を抱いた。しかし蓋を開けてみると、二人とも温厚で優しかったそうだ。

「娘のことを心から心配して、俺たちの結婚を大いに祝福してくれたんだ。けど、天下は実家にいる間、ずっと不機嫌で」

「あれはたつきの前だったから、いい人ぶっていただけ。お父さんもお母さんも、私にだけ厳しいの。どうせ実家に帰ったら、頭ごなしに怒られるに決まっている」

たつきの言葉を遮り、天下が怒鳴る。そんな彼女を見て、画面の向こうの両親はため息をついた。

「天下は、そんな風に思っていたんだな。俺たちは、間違ったことをした時にしか怒っていない」

「常に厳しいわけではなかったと思うぞ。天下のために叱っていたんだけど、何も伝わっていなかったのね」

「たつきさん、まみさん、本当に申し訳ございません。こうなったのは、私たちの責任だわ。うちの娘がご迷惑をおかけして、すみませんでした。慰謝料は必ず全額支払えますので、ご安心ください」

「天下が帰ってこないなら、俺たちがそっちに行く」

「やめて。面倒なことになるから、絶対に来ないで」

天下は激しく拒絶すると、電話を切るべくたつきの手からスマホを奪おうとする。だが彼は、絶対に手放さなかった。

「離婚後、天下さんには自宅から出ていってもらう予定です。とはいえ、素直に引っ越してくれると思えなくて。お父さんたちの力、借りてもいいですか?」

「余計なことしないで」

ギャーギャーと騒ぐ天下をいなしながら、たつきは画面に向かって話しかける。彼女の両親は、たつきの頼みを快諾した。

「今すぐ向かおう。時間はかかるかもしれないが、中にはつくはずだ」

「たつきさん、わざわざ私たちに教えてくれてありがとう。あなたほどの素敵な人なら、きっといい女性と出会えるはずよ」

「両親を味方につけるなんて、卑怯よ」

「二人は来る必要ないから。お願いだから、関わってこないで」

「俺は子供を守りたいんだ。天下一人だと、生まれてくる子に何があるか分からない。自分の子ではないだろうけど、心配なんだよ」

そう言う彼に、天下が嫌悪感をあらわにする。

「綺麗事を言わないで。どうせ私を追い出すために呼んでいるんでしょ」

「もういいわよ。妊娠は嘘だから」

「は? 子供なんていない。これでいい?」

先ほどまで黙り込んでいた両兵が、声を上ずらせた。画面の向こうの両親も、目を丸くしている。

「一体どっちが嘘なんだ? 子供はいるのか、いないのか」

「だからないって言ってるでしょ。両平さんに離婚してもらうため、嘘ついただけ。それなのに、まさかこんな大事になるなんて」

「天下、いい加減にしなさい。人様に迷惑をかけた挙げ句、出たらめを言って振り回すなんて」

「そんなことだろうと思ったけど、本当に嘘だったんだ」

たつきは呆れ顔で天下を見つめた。

「たつきも気づいていたのね」

「じゃあ、姉ちゃんも。思い出したように妊娠の話をし出したことが怪しくて、いつ観念するのか見守っていたけど、ようやく白状したわね」

私は彼と顔を見合わせ、肩を落とした。どうやらたつきは、天下がDNA鑑定を否定したことに違和感を覚えたらしい。

「両平さんと支店長、二人とも養育費を拒む可能性があるんだから、普通はDNA鑑定をして父親が誰か特定したがるはずだ。それなのに天下は嫌がった。だから、子供がいないんじゃないかと思って」

「はいはい。予想が当たってよかったわね」

「とにかく、妊娠していないから、お父さんたちは来る必要ないの。分かってくれた?」

平然と伝える天下に、画面の両親は顔をしかめる。二人は、彼女が周囲を騙したことが許せないようだ。

「お前は妊娠していないのに、養育費を請求しようとしたんだな。信じられない。そこまでしてお金が欲しいのか?」

「だって、離婚したら生活費が必要でしょ。でも、給料はできるだけ好きに使いたいし。仕方ないじゃない」

「やっぱり、そっちに行きます。天下を、すぐにでも実家に連れて帰るから。たつきさん、本当にごめんなさいね」

「やめて。私は絶対に実家には帰らないからね」

あっさりと、天下の声も届かないまま、ビデオ通話が終了する。彼女の両親は、今からこちらに向かうつもりなのだろう。

「天下、そろそろ帰ろうか。役所で離婚届を出して、荷物をまとめて、夜にはご両親と実家に戻らなくちゃいけないからね」

スマホをポケットにしまい、たつきは天下の腕を掴んだ。彼女は無理やり振りほどこうとするが、力では敵わない。

「話して。私は離婚したら生きていけない。両親とも暮らしたくないの。お願いだから、考え直してよ」

「天下は、両親の元にいた方がいいよ。一人だと、周りに迷惑をかけまくるだろうから」

「私が反省したら、やり直してくれる? これから家事だってするし、無駄遣いもしないから」

甘えたような顔でたつきに媚びる天下。しかし彼は、その表情を見るなり鼻で笑った。

「可愛い顔でもしているつもり? そんなのが通用するのは、子供だけだよ。天下ももう大人なんだ。ちゃんと罪を償おうな」

「待って。お姉さんでも両平さんでもいいから、どっちか助けてよ」

玄関が近づく中、天下がこちらに振り向いて必死に叫ぶ。だが両兵は、目も合わせようとしなかった。もう関わりたくないのだろう。そんな彼の代わりに、私が返答した。

「悪いけど、天下さんを助ける気はないの。両親を呼んでくれたたつきに感謝しなさい。これからは、自分の力で生きていけるように頑張って」

「なんでよ。どうして?」

玄関のドアが閉まると同時に、天下の泣き声がぱったりとやむ。私は小さくなって震える両兵に、視線を送った。

「それで、両兵はいつになったらこの家を出ていくのかしら? この家の名義は私よ。家賃も、両兵はほとんど出していない。そのため、離婚するとなれば出ていくのは彼の方だ」

私の問いかけに、両兵は作り笑いを浮かべる。

「いや、俺、ここを出て行ったら行く当てがなくて」

「あなたも実家に戻ればいいじゃない。すでにお父さんたちにも、事情を伝えてあるし」

「え?」

実は興信所で両兵の不倫が発覚した段階で、私は義両親に報告したのだ。当然、二人は大激怒。ひとまず離婚は、両兵が戻ってきても受け入れると約束してくれた。

「お父さんたち、あなたの帰りを待っていると思うわ。離婚届は出しておいてあげるから、すぐにでも荷物まとめてくれる?」

「嘘だ。父さんたち、知ってるの?」

へなへなとその場に崩れ落ちる両兵だが、彼に落ち込んでいる暇などない。私としては、即座に出ていってほしいのだから。

「あまりにもしつこいなら、お父さんたちにお迎えを頼みましょうか。それが嫌なら、速攻立ち上がって荷作りしてくれる?」

「分かった。今すぐやるから」

両兵は半泣きになり、物をまとめ始めた。そして翌朝、彼は自宅を去ったのだった。

静かになった家で、思いっきり伸びをする。先ほど離婚届を提出してきたばかりだ。開放感に包まれ、私は新しく始まる生活に胸を躍らせていた。

その後、両兵と天下は私とたつき、それぞれに慰謝料を支払ってくれた。二人は復縁することなく、そのまま破局。ちなみに両兵と天下の関係は以前から噂されていたようで、離婚をきっかけに不倫の噂が職場内で広まり、支店長と合わせて三人は処分を受けたらしい。両兵と支店長はそれぞれ小さな支店に移動。天下は遠方に飛ばされるのが嫌で、退職したのだそう。

今、彼女は実家で暮らしながら、慰謝料を立て替えてくれた両親にお金を返していると聞いた。ただ、不倫の事実を知った支店長の妻にも、高額の慰謝料を請求されたらしい。両親に紹介された職場で働きながら、懸命に返済しているそうだ。立て替えた分が無事全額戻ってきたら、両親は天下と絶縁するつもりだという。若さを失った頃、家族に見放された彼女がどんな人生を歩もうと、私には関係ない。

一方、両兵は白い目を向けられながら、左遷先の支店で働いているようだ。義両親はすでに彼と縁を切っている。頼れる家族もおらず、借金の返済に追われて苦しい日々を送っていると聞いた。

そして離婚から1年の月日が流れた。私は旧姓の松村に戻り、変わらず税理士として働いている。忙しい毎日だが、仕事はとても楽しい。たつきもエンジニアとしてのキャリアを順調に積み上げているようだ。

「姉ちゃん、あの時は本当に助けてくれてありがとうな」

彼は少しずつ前を向き始めている。最近はダイエットを始め、以前より引き締まったと思う。両親は天下の本性を知り、自分たちの見る目のなさに落ち込んでいた。

「今後、気をつけていけばいいわよ。私だって見る目がないから、あんな夫に引っかかったんだしね」

今、私とたつきは以前よりも両親との時間を大切にしている。休日、家族四人で食卓を囲む時間が何よりも幸せだ。

「今日は私とたつきの二人で夕食を作るから、お母さんはゆっくりしていて」

これからは、周囲の人を大切にしながら、自分の人生を歩んでいきたい。

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