「情報流出なんて、世間でやり玉に挙がっている企業はただの間抜けなだけだ。」
花村新社長は、コスト削減の名目でシステム部門の閉鎖を言い放った。私は部下と共に、システムやセキュリティ管理の重要性を必死に訴えたが、彼は聞く耳を持たなかった。
「ふん。お前みたいな老いぼれは、さっさと会社を辞めろ。」
さらにこちらを見下すように罵倒してくる新社長。だがその後、彼は自分の無知と傲慢さによって、思いもよらない窮地に立たされることになる。
私の名前は佐枝草孝介。とある企業のシステム部門で主任セキュリティエンジニアを務めている。セキュリティエンジニアとは、ネットワークやシステムをサイバー攻撃から守るのが仕事だ。近年はデジタル機器やネットワークがビジネスのあらゆる場面で使われるようになり、顧客データの保存や管理は格段に容易になった。しかしその反面、情報が漏洩するリスクも飛躍的に増加している。
私はこの仕事こそ、企業としての社会的責任を果たし、企業価値を維持するために不可欠なものだと自負していた。そんな私も、あと数年で定年を迎える年齢となった。今は後進の育成に力を注いでいる。
「すみません。今、よろしいですか?」
手が空くのを見計らってかけられた声に顔を上げると、そこには部下の山辺さんの姿があった。
「プログラムをチェックしてもらいたくて。」
「うん、いいよ。」
彼女が差し出した資料に目を通し、私はアドバイスを送る。
「CTAは、ここのコードをこう変えると、ほら、もっと分かりやすくなるかな。」
「わあ、確かに。ありがとうございます!」
私のアドバイスに、山辺さんが元気いっぱいの笑顔で答える。彼女は入社当初から、エンジニアの中でも特に優秀な存在だった。私も彼女には目をかけており、ゆくゆくはこのシステム部門を背負って立つ人物になってほしいと思っている。
山辺さんも素直な性格で、自分の父よりも年上の私を慕ってくれた。乾いたスポンジが水を吸うように、彼女はぐんぐんと成長していった。その甲斐もあって、彼女のエンジニアとしての実力は、今やこのシステム管理部でも一二を争うまでになっている。
「そういえば、聞きました。近々、社長が退任されるんですよね。」
はあ、と残念そうな息をつき、山辺さんは気落ちした様子で眉を寄せる。
「私、今の社長のこと好きだったんですよ。大らかで穏やかで。たまにすれ違った時に挨拶すると、まるで本当のおじいちゃんみたいにニコニコ笑ってくれて。」
「ああ、そうだったね。私も今の社長が専務だった頃から知っているけれど、本当に昔からよくできた方だった。だから仕方ないと言えばそうだけど、寂しくなるね。」
私の返事に、山辺さんは憂鬱そうに頷いた。
「新社長は今の社長の親戚の方らしいんですけど、情報通の同期によると、あんまりいい噂を聞かないそうです。なんでも、すごくワンマンで自分のやりたいことをごり押ししてくるとか。」
確か新社長は花村さんと言ったか。実は花村新社長に関する噂は、私の耳にも届いていた。花村新社長は現在子会社で社長を務めているのだが、山辺さんの言う通り、利益優先のかなり独断的な経営方針を取っているらしい。社長が交代することで、いい意味でのんびりとした今の社内の雰囲気が変わってしまうのではと、社員たちの間では密かに危惧する声も上がっている。
だが、私たちが会社の先行きを心配しようがしまいが、今日も目の前には片付けなければならない仕事が山積している。
「ああ、そうだ。山辺さん、これあげる。それ食べて午後も頑張ろうか。」
私が自身の机の引き出しからコンビニの袋を取り出し掲げると、途端に山辺さんは子供みたいに万歳した。
「うわあ、これ限定パッケージのだ。いいんですか? やった!」
「はい、午後も頑張ります。」
ウキウキと自席へ戻る彼女の姿に釣られて笑ってしまいながら、私たちは今日も目の前の仕事へ誠実に取り組むのだった。
それから二ヶ月後、現社長の退任と、花村新社長の就任が発表された。そして花村社長は早速、大々的に早期退職者を募り始めたのである。
表向きは働き方改革だと口にしていたが、要は都合のいいリストラだ。それを証拠に、花村社長が声をかけるのは、社員の中でも中高年の古参の人間たちばかりだった。聞けば、早期退職に応じない場合は、突然窓際部署への移動を命じられたり、わざと仕事をさせてもらえなかったりといった、当てつけじみたことも行われているらしい。
また、花村社長のそのやり方に異議を唱えた者は、あることないことで告げ口され、ひどい時には会社を追い出されるようだった。今や会社は花村社長の独裁の場と化し、社内の空気も日に日に悪くなる一方である。
そんな中、私は耳を疑うような通達を受け取った。
「さっき、システム部門が閉鎖されるって本当ですか?」
部長に呼び出されていた私が席に戻ってくるなり、山辺さんが焦った様子で駆け寄ってくる。フロアのみんなも一様に不安げな顔を浮かべていて、私はひどく心苦しく思いながらも、彼女の言葉に頷いた。
「ああ、先ほど部長から通達があった。コスト削減を掲げる花村社長の判断だ。」
私の返答に、部下たちは「信じられない」などと口々に呟いている。日々会社のシステムやセキュリティを管理する我々にしてみれば、会社からシステム部門をなくすなど、にわかには信じられないような所行なのだ。
もちろん先ほど部長にはその旨を訴えたのだが、どうにも花村社長の意思は固く、この決定は覆らないであろうということだった。どうやら花村社長は名門大学の経済学部の出身で、会社の経営面にばかり目を向け、システムやセキュリティ管理の重要性についてはいまいち理解していないのだという。
すると、社員が不安と行き場のない怒りでざわめく中、山辺さんが声を上げた。
「佐枝さん、こうなったら花村社長に直接抗議しましょう。システム部門をなくすなんて、このご時世では自分で自分の首を絞める行為だって分かってもらいましょう。」
「山辺さん……。」
彼女の心強い言葉に、私もやがて頷いた。そうして私たちは直接社長室へと乗り込んだ。
「なんだね、君たち。俺は君たちと違って忙しいんだ。仕事の邪魔をしないでくれないか?」
神経質そうに目元を小刻みに引きつらせ、花村新社長が私たちを一瞥する。
「システム部門の主任セキュリティエンジニアの佐枝です。お時間は取らせません。ただ、昨今の企業におけるシステムやセキュリティ管理の大切さを社長にお伝えしたく、こうしてまいりました。」
「同じくセキュリティエンジニアの山辺です。社長、システム部門をなくすなんて、はっきり言ってバカのすることですよ。」
「山辺さん!」
気が焦ったのか、いくら何でもはっきりしすぎる表現を飛び出させてしまった彼女が、私の制止にはっと我に帰り、謝罪する。
「す、すみません……。」
だが花村社長は、彼女のその一言に随分ご立腹してしまったようだった。
「はあ。この俺をバカにするとは、若いのに大した自信家だな。」
投げられたそのセリフと、蔑むような姿勢に山辺さんがたじたじとなる。
「花村社長、彼女の言葉は確かに不適切でした。私の監督不行き届きで申し訳ありません。」
そこへ割って入り、まずは頭を下げた私に、花村社長はひとまず山辺さんに対する怒りを収め、こちらをじろじろと眺めてくる。
「で、定年間近のロートルと小娘が、二人掛かりで何だと言うんだ。はあ、どうせシステム部門の閉鎖が気に入らなくて文句を言いに来たんだろ。」
こちらを小馬鹿にしたようなその物言いと目線に、私はできるだけ冷静に切り返した。
「コスト削減が企業にとって重要課題なのは、私も分かります。ただ、情報セキュリティ対策は、企業としての社会的責任と企業価値の維持の観点から、それと同じくらい重要であると私は考えます。」
そして私に続き、山辺さんも必死に訴えかける。
「想像してみてください。個人情報の保護が叫ばれる今、もしも会社から顧客データが流出してしまったら。故意にせよ事故にせよ、企業のブランドイメージは一瞬にして下がってしまいます。そのために私たちがいるんです。」
本当にその通りだと思う。日本はまだまだ情報セキュリティへの関心が薄い。対策も欧米に比べて二歩も三歩も遅れているのが現状だ。それでも私たちは日々、会社の根幹を担う仕事に誇りを持ち、懸命に働いている。確かに我々の仕事は目に見える成果が出にくいものだが、いざことが起こってしまってからでは遅いのだ。企業価値の維持、引いては取引先や顧客の安心、安全を預かっているのがシステム部門なのである。
私たちは懸命に訴えた。だが、その一語一語を、花村社長はさも煩わしいとばかり眉を寄せて、私たちへ言い放った。
「本当にうるさい年寄りと小娘だな。俺は昔からパソコンを使っているが、今までウイルスなんかに感染したことはないぞ。情報流出なんだと。世間でやり玉に挙がってる企業なんて、ただの間抜けなだけだ。」
そうして彼は私たちを見下したように睨めつけてくる。
「お前らも口では偉そうなこと言ってるが、どうせ自分たちの部署がなくなるからって文句を付けに来ただけだろうが。お前らがどれだけ喚こうが、システム部門は撤廃するつもりはない。」
自身の机を叩き、花村社長は不愉快極まりないといった様子でさらに言い放った。
「おい、お前だ。」
彼は私を指差す。
「はあ。お前みたいな老いぼれが、今さら他の部署に移っても邪魔なだけだろ。他人に迷惑をかける前に、さっさと早期退職しろ。」
そのあまりの言い草に、思わず言葉を失ってしまう。すると代わりに、今度は山辺さんが私たちの間へ割って入ってくれた。
「なんてこと言うんですか! 佐枝さんは長年、第一線でこの会社のセキュリティを管理し、支えてこられた方なんですよ。今まで会社に大きな事故がなかったのは、佐枝主任のおかげなのに!」
顔を真っ赤にして、私以上に怒ってくれる彼女だったが、そんな姿を見ても花村社長の胸にはこれっぽっちも響かなかったらしい。
「この小娘が、まだキャンキャンうるさい。そんなにこいつが大事なら、ついでに会社を辞めればどうだ。」
そうして散々に怒鳴られ、馬鹿にされ、私たちは社長室を追い出されたのだった。
後日、私は退職願いを提出した。あの社長の下で働くのはもう無理だと判断したからだ。
だが予想外だったのは、私に続き山辺さんまでもが退職を決めたことだ。
「山辺さんまで辞めることはないだろうに。でも、全ては私の責任だね。すまない。私が君を巻き込んでしまった。」
そう謝った私に、彼女はすっきりとした顔で笑った。
「いえ、これは私が自分で決めたことです。佐枝主任が責任を感じることではないです。それに、私もっとエンジニアとしての腕を磨きたいので、ステップアップにいい機会かなって。」
そして彼女は私に「餞別です」と言って、袋いっぱいのコンビニ菓子を渡してくれる。
「佐枝さん、今まで本当にお世話になりました。ありがとうございます。」
「こちらこそ、君と仕事ができて楽しかったよ。ありがとう。」
互いに「落ち着いたらまた食事でも行こう」と明るく手を振り、私たちはそれぞれの道を歩き出したのだった。
それから荷物を抱え、ロビーへ降りたところで、取引先から戻ってきたらしい花村社長とすれ違う。
「なんだ、お前が。はあ、やっと辞める気になったか。」
大荷物を抱える私の姿を一瞥すると、花村社長はふんと鼻を鳴らす。その横顔に、私はもう一度問いかけた。
「花村社長は、システム部門をなくすというお気持ちにお変わりはありませんか?」
だが私の問いかけに返ってきたのは、彼の怒号だった。
「何度言われようが変わりはない! おい、この会社の人間でもなくなったものが、いつまでも社内に居残るな。さっさと出ていけ!」
彼の怒鳴り声がロビーにこだまする。私はもう何も言い返すことなく、無言で頭を下げてその場を後にした。
それから数日が過ぎた。会社から持ち帰った私物の整理をしていた私の元に、まさかの人物から着信が入ったのである。
私が出ると、電話の相手は開口一番「どうにかしてくれ!」と喚き散らしてくるではないか。そう、電話はあの花村社長からだったのだ。
どうやら会社のシステムがウイルスに感染し、朝からパニックになっているらしい。とりあえず解体途中だったシステム部門の人間を集めて復旧に当たらせているが、どうにもならないとのこと。
ちなみに山辺さんはまだ一応社員ではあるが、退職前の有給消化で旅行に出かけているらしく、出社していないようだった。
「それにあの小娘、わざわざ電話してやった社長の俺に、舐めた口聞きやがって。『何が小娘だ。佐枝さんじゃないと対処できません』だと。お前は部下にどういう教育してたんだ?」
連絡した社員に軽くあしらわれたことがよほど腹に据えかねたのか、どうにも論点がずれ始めている。私は山辺さんの対応に思わず笑ってしまいそうになりながらも、淡々と返した。
「お言葉ですが、私ももう御社の社員ではありませんので。社内の人間だけで対処できないのなら、外部から新しいエンジニアを呼ぶなり、そちらで対応してください。」
言いながら、私は私物のパソコンを操作して状況を確認する。ニュースで取り上げられている範囲を見るだけでも、その混乱が見て取れた。
「うん。これはなかなか……」
予想していたよりも散々たる現状に、私は会社で今も復旧に当たっているだろう元システム部門の社員たちが気の毒でならなかった。まあ、それもこれも全ては、目先の利益を優先した花村社長が悪いわけであるが。
電話口で花村社長はまだ何かを怒鳴り続けている。だが私はそのまま電話を切り、即座に着信拒否をすると、連絡先を知っている社員へ向けて、ささやかながら復旧のアドバイスを送ることにしたのだった。
それからその後どうなったかといえば、ウイルス感染への初期対応の遅れが響き、なんとか復旧はしたものの、会社は大きな損失を出してしまった。またそれに加え、顧客や取引先の信用も失い、そのまま立て直すことができず、結局は倒産という結果になってしまったのである。
花村社長は自宅や所有していた高級車なども差し押さえられ、今はボロアパートで一人寂しく暮らしているらしいと、風の噂で聞いた。
そして私はといえば、知人のシステム管理会社へと転職が決まった。前々から仕事を手伝ってほしいとは言われていたのだが、事情を話せば「すぐにでも来てほしい」と喜ばれたのである。
また、有給を満喫したらしい山辺さんには、私の方からいくつかおすすめの転職先をピックアップして連絡しておいた。どれも今後のキャリア作りにはふさわしい企業だったが、その後、彼女はそのうちの一社と無事縁があり、感謝の言葉と共に知らせてくれた。今は忙しながらも充実した日々を送っているらしい。
彼女とは今度、近況報告を兼ねて食事に行く約束をしている。次に会う時は、エンジニアとして一回り成長した山辺さんの姿が見られそうだと楽しみにしながら、私は今日も目の前の仕事へ誠実に向き合うのだった。



