田口が机を拳で叩きながら怒鳴った。
「俺らのおかげで飯が食えてんだろうが。農家のゴミが意見するな。お前らの損なんか知らねえし。黙ってうちに言われた通りに野菜を納品してりゃいいんだよ」
飲食を扱う会社の社員にあるまじき発言に、私は心底うんざりした。隣に座る母と頷き合い、立ち上がる。
「なるほど。これが御社の回答ですか。よくわかりました」
にっこり微笑んで、母と一緒にその場を後にした。
私の名前は風華。農家生まれの三十歳だ。子供の頃から両親の畑を継いで野菜を作りたいと思っていた。その夢は今も変わっていない。大学卒業後は両親の後継者として毎日畑に出ていた。
そんなある日、父が腰を痛めて寝込んだ。肥料の袋を一度に二つ持ち上げようとして、ぎっくり腰をやってしまったらしい。いつも元気に畑を動き回っている父が布団に横たわっているのを見ると、なんだか切ない気持ちになる。
「こうしてみると、お父さんも年を取ったわよね」
その気持ちを打ち消そうと明るく尋ねた。
「そういえばお父さん、そろそろ契約更新の時期でしょ? あの外食チェーン店の担当の人と会うんじゃなかった? 」
父が契約して野菜を納品している会社の中に、大手の外食企業がある。いくつもチェーン店を展開していて、うちの契約先の中でも大きな会社だ。長年お世話になっている。
私の疑問に父が頷いた。
「ああ。あ、それなんだがな。お前、代理で行ってきてくれないか? 先方には俺の方から事情を電話しておくから」
「え、私でいいの?

」
思いがけない頼み事に驚くと、父が小さく笑った。
「ああ、何を今更。風華は俺の後継だし、問題ないだろ。そのうちお前を後継として色んなところへ連れて紹介に行かないとも思っていたんだ」
「私もついていくし、担当の瀬沢さんはとてもいい人だから大丈夫よ」
母の申し出に少しほっとする。うちの代表は父だが、母も昔から父を支えてきた。
「それなら心強いわ。私、土いじりばっかりだったから。失礼のないようにビジネスマナーの本も読もうかしら」
私が言うと、両親は揃って笑った。
約束の日の当日。私と母が通された部屋で待っていると、若い男性が入ってきて、私たちは立ち上がった。
「田口です。今日はよろしくお願いします」
あれ、確か担当の人の名前は瀬沢って言ったはず。困惑しながら私と母は揃って頭を下げて挨拶した。母を見ると、小さく首を振っている。え、じゃあこの人は誰なの? 「はあ。今回から僕が担当に変わったんすよ」
田口は立ったままの私たちなどお構いなしに、どかっと椅子に座りながら机に名刺を滑らせた。その様子に内心むっとしながら、私は名刺を手に取る。
「僕は今年入った同期の中でも一番期待されてるエリートですから。農家の担当なんか余裕っすわ」
田口がふんと笑った。
今年入ったって、新入社員? そんな新人さんが長年契約してきたうちの担当になるなんて、ありえないんじゃないかしら。しかも言葉遣いも態度もなってないわね。そう思いながらも、私は改めて説明した。
「すみません。先日連絡させていただいたのですが、父は体調が悪く、娘の私と母が代理で参りました」
「ああ、はい。うん。聞いてますよ。それなら仕方ないっすよ。風花さんでしたっけ? いや、意外と可愛い顔してますね。もっと芋っぽい子だと思ってました。農家だけに」
は、思わず変な声が出てしまう。人を馬鹿にしているのかしら。というか、上手いこと言ったつもり?
いくら契約先の社員だからって、初対面なのに馴れ馴れしいわね。心の中で暴れる私を必死に抑え込み、なんとか笑おうと表情筋をフル稼働させた。
「あ、それで契約更新のお話なんですが」
黙って見守っていた母が私の代わりに話を逸らしてくれた。私もはっとして背筋を伸ばす。私ったらお父さんの代理で来てるんだもの。もっとしっかりしなきゃ。
「ああ、その話。はい。はい。契約更新についてね。まあ、野菜なんてどれも一緒だし。お宅のところで今まで問題なかったようなんで、継続でいいっすよ」
田口の言葉に、私は無意識のうちに前のめりになった。そんな私に気づく様子もなく、田口は言葉を続ける。
「ああ、そうだ。今までの契約の記録見たんすけど、ちょっとお宅のとこの単価高くありません? 特にブランド力もない平凡な野菜なんだから、もっと安くして欲しいんすけど。今の単価の半額とかどう? それか今の単価のまま納品数増やすとか」
私と母は開いた口が塞がらなかった。特に母はショックが強かったのか、肩を震わせて膝の上でスマホを握りしめている。
「さっきからずっと思っていたんですけど、失礼すぎませんか? 確かにブランドって言うのは今はないですけど、うちの野菜は艶もいいし、水々しいって評判なんですよ。それにそんな無理な要求は飲めません。今日ここにいるのが父だとしても、認めないはずです」
私が言い放つと、田口は途端に不機嫌そうに鼻を鳴らした。その雰囲気が冷たく乱暴なものに変わっていく。
「は?
何? 下請けの農家の分際で俺に意見するわけ? お宅のまずい野菜を契約してやってるうちに感謝しなよ。担当者の俺に意見するって、会社自体に意見するってことだけど、そこんとこ分かってんの? 」
カチンを通り越して、ブチンと頭の中で何かが切れる音が聞こえた気がした。私が父の代理でここに来たのは忘れていない。父や母に恥をかかせないよう、失礼のないようにとずっと自分に言い聞かせてきた。
「風華」
母が心配そうに私を見つめている。お母さん、ごめん。私、もう我慢できない。私は心の中で謝罪した。
「うちの野菜はまずくないですよ。どうせ食べたこともないでしょう。それなのに、よくもうちの野菜を馬鹿にしてくれましたね。そもそも半額なんて、うちが損です」
私の発言に、田口は何がおかしいのかぷっと吹き出した。
「俺らのおかげで飯が食えてんだろうが。農家のゴミが意見するな。お前らの損なんか知らねえし。黙ってうちに言われた通りに野菜を納品してりゃいいんだよ」
最後に田口がどんと机を叩く。しかもこれで黙るだろと言わんばかりのドヤ顔だ。無性に腹が立つ。私はここで一呼吸置いて、田口に訪ねた。
「先ほどあなたが言った理屈で言えば、あなたの言葉は会社の言葉でもありますよね」
「そっすよ。何度も言わせないでくれます?
そもそもうちみたいな大手の契約先を失ったら、そっちだって困るでしょ」
田口がめんどくさそうに答える。
私はにっこり微笑んだ。
「なるほど。これが御社の回答ですか。よくわかりました」
私は母と頷き合い、そのまま背を向けて退出した。
「ああ、おい、ちょ、待てよ」
私たちのまさかの行動に田口の焦った声が聞こえたが、私も母も振り返らなかった。
それから三日が経過した。私は今日も畑仕事に精を出していた。
「うー、やっぱりお父さんが畑に出れない分、ちょっと大変ね」
父は随分良くはなってきたけど、まだまだ本調子とは言えず、家で留守番中だ。私は首元にかけたタオルで汗を拭い、畑の脇に置いておいた水筒で水分補給した。季節はすっかり夏で、気を抜くと体調を崩してしまいそうだ。
お母さんの方は大丈夫かしら。母は少し離れた場所の畑で作業をしている。様子を見に行こうかと考えていると、見慣れない車がうちの敷地に入ってくるのが見えた。車のサイドに会社名が入っている。
降りてきたのは田口だった。ずんずんと歩み寄ってきて、田口は私に向かって怒鳴りつけた。
「一体どういうつもりだよ」
あまりに唐突すぎて、私は目が点になった。
「え、な、何がですか? 」
田口がやってきた理由にはおよそ検討がついていたが、私はあえて尋ねた。
「契約は更新してやるって言ったのに、なんで契約を破棄したんだよ」
「ああ、それですか。失礼しますね。いやあ、あなたがあんまり失礼な態度すぎて、契約を更新する気が失せちゃったんですよね。私たち農家にだって選択する自由があります」
にこりと笑うと、田口が口元を引き攣らせる。
「農家の分際でよくも……」
「まだそれを言うんですか。ともかく、もう今後あなたの会社に野菜は納品しません。あなたがどれほど怒鳴っても無駄ですよ。どうぞお引き取りください」
私が手のひらで方向を示すと、田口は悔しそうに唸り声をあげた。
実を言うと、田口のところから帰った後、私は田口とのやり取りをそのまま父に話したのだ。同席した母の後押しもあり、契約を破棄しようと決めた。私たち以上に父は頭に来ているようだったが、それにしても「瀬沢さんがそんな無礼な若造一人に担当を任せるなんて考えられないなあ」と父は訝しがっていた。
「お前らが本社に電話なんてするから、俺は大目玉を食らったんだ。しかも妙な噂まで流しやがって。責任取れよ」
田口の言った通り、私は父との会話の後で、外食企業の本社へ直接電話したのだ。担当の田口の暴言や無理な要求がひどすぎるから、契約を破棄したいと。
それからこの三日の間に、私と母は農家の内輪の集まりがあり、田口について話す機会があった。「こういうことがあって辛い思いをしたわ」とただ悲しげに話しただけなのだが、効果は絶大だった。農家の繋がりで、田口の話はすぐに広まっていったのだ。
この辺りであの外食企業と契約している農家はうちだけではない。しかもうちは父と母の人柄のおかげか、周囲の農家にも一目置かれている存在だ。その二人に泥を塗るような暴言を吐いた田口が許せなかったのだろう。次々と他の農家も契約をやめたいと声を上げ始めたのだ。
「え、くっそ。証拠もないのに出鱈目を言いやがって」
「いいえ。私は事実しか話していません。それと」
そこで私は付け加えた。
「隣で母が録音していましたので、あ、そのデータもちゃんと本社の方に送らせていただきましたから」
私も後で驚いたのだが、母はあの状況でスマホを使って田口と私のやり取りを録音していたのだ。肩を震わせてスマホを握りしめていた母の姿を思い出す。あの時、すでに録音を起動させていたのだ。
「あの人、最初から態度が悪かったから心配だったのよね。と後で母が言っていた。我が母ながら抜け目がない。
「お前、録音だと? ふざけやがって」
録音までされていたと知り、田口はがっくりと肩を落とした。そして手のひらを返したように、その場に膝をついて頭を下げた。
「このままじゃ俺、首になるかも。本当に生意気を言ってすみませんでした。だから、誤解だったと上に行ってください。どうかもう一度契約させてください」
態度だけで、言ってる内容は全く謝罪になっていない。自分の都合ばかりを考えた発言だ。
「もう録音データも聞いてもらった後なのに、何が誤解ですか? 謝罪だったら、せめて暴言を吐いた日にすべきでしたね」
私の態度がぶれないと分かり、田口はふらりと立ち上がり、私に背を向けて歩き始めた。諦めて帰るのかと思ったが、そうではなかった。田口は辺りに生えている野菜たちを手当たり次第に引っこ抜き始めたのだ。
「あ、ちょ、ちょっと、何を!
やめて、やめてよ! 」
私が慌てて田口を止めようとするが、男の力に私は弾かれてしまった。地面に尻餅をつく私を見て、田口が笑う。
「下請けの農家が調子に乗るからだ。こんな畑、めちゃくちゃにしてやる」
田口は成り振り構わず野菜たちに手を伸ばしていく。その時だった。
「やめないか! 」
鋭い声が飛び、田口の手が止まる。
「社長! それに瀬沢さんも!
」
私も声のした方を見ると、きちんとした身なりの紳士と、私より少し年上くらいの男性が険しい顔をして田口を見ていた。紳士の方が社長で、男性が瀬沢さんだろう。
「大丈夫ですか? 」
瀬沢さんが私の手を引いて立ち上がらせてくれた。
「あ、ありがとうございます」
私に怪我がないのを確認すると、社長と瀬沢さんは私に頭を下げた。
「あなたが風花さんですね。お父様やお母様にはいつもお世話になっております。この度は新入社員の田口が大変なご迷惑をかけたようで、本当に申し訳ありません」
社長自らの謝罪に、私はたじたじになった。社長の説明によると、今回の騒動でうちを含む農家一件一件に謝罪して回るところだったらしい。
「ああ、本人のお前も連れて行こうと探し回ったんだぞ。どこにもいないと思ったら、こんなところで。全く、勝手な行動ばかりとって、呆れものも言えないな」
瀬沢さんの怒鳴り声が響く。
そもそも、私と母が契約更新の話をしに行った日、瀬沢さんも同席する予定だったそうだ。ゆくゆくは田口に担当を任せられるよう、自分の下につかせて勉強させるという手筈だったらしい。しかし直前に急な体調不良で病院に行くハメになり、同行ができなくなってしまったのだとか。
「本当に私たちに会う直前の出来事だったため、挨拶のみして、あとは後日こちらから謝罪と日変更の連絡をすると伝えて欲しいと田口に任せた」
この時点で、田口は私たちの新担当でも何でもない。新担当を名乗り、無理難題を吹っかけたのも、田口の勝手な暴走だったのだ。
体調が回復した瀬沢さんから父へ電話が来た時、父から田口の話を聞いて、瀬沢さんはかなり驚いていたらしい。
「田口、お前は性格に問題も多いが、やる気だけは感じていたし、通常業務は問題なくこなすだけの能力がある。だからこそ、私がじっくり指導していこうと考えていたんだ。それをお前は」
瀬沢さんの言葉を、田口が遮った。
「え、だって、瀬沢さんがいなくても俺一人でやれるってとこを見せたかったんすよ。契約を勝ち取れれば手柄になると思って」
瀬沢さんは大きなため息をついた。私は田口に訪ねた。
「だから、うちの野菜の単価を半額にしろなんて無理を言ったの? 」
「お気楽な農家には分かんねえ話っていうか。てか、本当、俺はただやる気があっただけなんすよ」
田口の主張に、社長は首を横に振った。
「録音された君の暴言を聞かせてもらったが、とても聞いていられないものだったよ。我が社に農家をゴミと罵る人間がいるなど、信じたくもない。確かに君の学歴は高く、人事も君に期待して採用したんだろう。しかし、人間性がこれではね」
社長がそこまで言った時、遠くからパトカーのサイレンが聞こえてきた。ふと視線を感じて目をやると、物影からこっちを見ている母の姿があった。スマホを握り、頷いている。どうやら母がこっそり通報していたようだ。お母さん、さすがだわ。
顔を青くする田口に向かって、私は口を開いた。
「あなたは私たち農家を使用人のように思っているみたいですが、私たち生産者がいるからご飯が食べられるという事実も忘れないでくださいね。どちらか片方が偉いなんて、絶対にないんです」
田口は観念したようにその場に膝をついた。そしてか細い声で「申し訳ありませんでした」と言って、頭を畑の土に押し付けた。
その後、田口は器物損壊などの現行犯で連行されていった。会社に多くの損害を与え、信頼にも傷をつけたとして、さすがに首になって故郷へ帰っていったらしい。詳しいことは知らないが、会社側から損害賠償なども請求されているかもしれない。少なくとも、うちに対する損害賠償と慰謝料は弁護士を通して支払ってもらうと決まった。
社長と瀬沢さんの丁寧な謝罪のおかげで、うちを含む何件かは契約を結び直すと決まり、私としても内心ほっとしている。田口のような考えの人間は、きっと他にもいるし、これから出会うこともあるだろう。でも、私は負けない。暴言や悪態につけ込まれないくらいの野菜を作って、頑張ろうと思っている。

