兄の結婚式は、親代わりに私を育ててくれたたった一人の兄の、人生で一度きりの晴れの場だった。飛行機の遅れで式場に着くと、宴会場は暗いままで、席はがらんとしていた。新婦側の控え室に、タキシード姿の兄が一人で座っていた。目だけが真っ赤に腫れていた。
「お兄ちゃん、えりさんは?」
「来ないって。結婚も式も、全部ドッキリだったって」
兄はそう言って、かすれた声で笑おうとした。私は兄の隣に腰を下ろした。そこへ、えりさんの父親が入ってきた。東亜中央銀行の会長だ。彼は私を見るなり、得意そうに言った。
「東亜中央銀行の会長だ」
私は携帯電話を取り出した。この人たちは、まだ一度も聞いたことがないだろう。うちの会社の300億円が、なぜこの銀行に置かれていたのかという、たった一つの理由を。
私は柏木未令、35歳。化粧品会社ミレイビューティグループの創業者で、グループの会長だ。社員は国内外合わせて4000人を超える。だが、私は仕事では柏木という苗字を名乗らない。テレビにも雑誌にも顔を出さない。だから、私を知る人は、私が誰の妹なのかに気づかない。
兄の名前は柏木琢磨、43歳。名和経済という中堅メーカーで資材の主任をしている。年収は620万円だと、兄はいつも笑いながら言っていた。
23年前の2月、両親が事故で亡くなった。私は12歳で、兄は20歳だった。葬儀の日、伯母が台所で「下の子は施設も考えた方がいいんじゃないの?」と話しているのを聞いた。悪気があったわけではない。けれど、あの日、もう一つの声があった。
「僕が育てます」
20歳の兄は、大学をやめて、昼は倉庫、夜は居酒屋で働いた。その後、名和経済に就職してからも、しばらくは夜の仕事を続けていた。私は高校へ、そして大学へ進んだ。学費がどこから出ていたのか、私は一度も聞かなかった。聞けば兄が困ると分かっていたからだ。
会社が軌道に乗ってから、私は何度も兄に金を渡そうとした。家を買ってやると言ったこともある。兄は全部断った。
「俺は、妹から金をもらうために育てたんじゃない」
その一言で、いつも話は終わった。
兄から結婚の電話が来たのは、5月の連休明けだった。相手は園部えりさん、38歳。登山サークルで知り合ったという。そして、彼女の実家が銀行だと聞いて、私は言葉を失った。東亜中央銀行。うちのグループが最も大きな金額を預けている銀行だった。
「お兄ちゃん、今、東亜中央って言った?」
「言った。お前の会社が借りたとこだろ?」
私は何も言えなかった。あの恩を、兄に話せなかった。話せば、兄はきっと結婚をやめる。それだけではない。あの銀行に私の金がある理由を口にすれば、この人は二度と私の前で笑わなくなる。
式は10月18日と決まった。私はその日を空けておいた。
8月、兄は招待客の名簿をえりさんに渡した。膝下の10人、高校の時の友人、元同僚、お世話になった元上司。名前は全部で26人だった。ところが、8月12日。えりさんから送られてきた席次表には、私の名前しかなかった。たった一つ。
「お兄ちゃん、それはおかしいよ」
「向こうが式の費用を全部持つって言ったんだ。そしたら人選もこちらで決めさせてもらうって。会社の同僚を呼ぶなって言われた」
「お兄ちゃんの立場は?」
「俺の立場は22年分ある。えりさんにはまだ何もない」
兄はそう言った。損は自分の側に寄せる。23年間ずっと、そうだった。
9月のある日、兄はその家に呼ばれて、言われた。苗字を変えろ、勤め先を変えろ、離れに住め。兄は、苗字のことだけは断った。
「柏木は、両親と妹が残してくれた名前です」
兄は、私の名前を守るために、その家に頭を下げた。私は10月4日の最終打ち合わせに参加を申し出たが、断られた。そして迎えた式当日。私は飛行機の遅れで、ホテルに着いたのは10時40分だった。ロビーに人がいない。受付の台はあるのに、誰もいない。
「本日の挙式と披露宴は、朝のうちに取りやめのご連絡をいただいております」
そう言ったのは、婚礼担当の七尾さんという人だった。「新婦様のご事情で日を改めると、お客様にはご連絡が回っております」
新婦の事情。つまり、兄のせいで式が飛んだと、114人の招待客に伝えられていたのだ。
控え室の扉を開けると、兄がいた。白いタキシードを着て、膝に両手を置いて、まっすぐ前を見ていた。足元だけが、私が前の年の誕生日に送った靴だった。テーブルの上に、兄の字で「えりさんへ」と書かれた白い封筒があった。中には、手紙が入っていた。
「エリさん、今日からあなたは柏エリさんになります。名前を捨てさせるようで、ずっと申し訳なく思っていました。俺の友人も同僚も呼べませんでしたが、あなたが家族になってくれたことは、これから一人ずつ俺の口から伝えていきます」
兄は、招待客が消えたことを、最後まで自分の手で埋めるつもりだったのだ。
「お兄ちゃん」
「ああ、来たのか」
兄は笑おうとした。口の形だけが動いて、音にならなかった。
「来ないって。式もやらないって。結婚も全部ドッキリだったって」
兄が携帯の画面を見せてくれた。動画が流れた。あの家の座敷で、兄が古い歌を歌わされている。周りは笑っている。「庶民が銀行一家に入れると本気で思っていたのなら、それはこちらの教え方が悪かった」という声が聞こえる。兄は立ったまま、頭を下げていた。私は数えた。4分間で、7回。誰も止めなかった。
「俺が、身のほど知らずだったんだろ」
兄はそう言った。私は兄の白い袖を掴んだ。
「違う。お兄ちゃんが恥ずかしいんじゃない。こんなことをしてみんなで笑って、それを動画にとって送りつけてくる人間が恥ずかしいの」
すると、そこにその家の人たちが現れた。「まだいたのか」と、笑いながら。まさ子さんが私に向かって言った。
「あなたが妹さん。まあ、お兄さんに似ていらっしゃらないのね。海外で美容のお仕事でしたっけ? まあ、お兄さんと二人で、身の丈にあった相手を探してくださいね」
私はそれに答えず、週一さんに尋ねた。
「そちらの銀行は、東亜中央銀行でしたよね?」
「ああ、私が会長だ」
私は窓の方を向いて、財務の宇野に電話をかけた。
「東亜中央銀行に置いている資金、今いくら?」
「グループ全体で、298億4000万円です」
「全部解約して。実行日は今日」
電話を切って振り返ると、部屋の空気が変わっていた。週一さんが「何の話だ、それは?」と聞く。
「うちの会社のお金の話です」
私は名刺をテーブルに置いた。「ミレイビューティグループ創業者、グループ会長、柏木未令」。勝彦さんが顔色を変えた。まさ子さんだけがまだ分かっていない。
「なぜ、うちに300億も?」と週一さんが聞いた。私は鞄から、兄の茶色い封筒を取り出した。中には、10年前の金銭消費貸借契約書と、連帯保証人の確認書が入っていた。保証人の欄にある名前。柏木琢磨。兄の名前だ。
「25歳で会社を作った時、銀行を7つ回って、7つとも断られました。実績がない、担保がない。たどり着いたのが、そちらの銀行でした。兄の勤め先の取引銀行だったからです。兄は、自分の顔を知っている支店に頭を下げに行きました。妹に金を貸してやってくれと。そして、連帯保証人になった。年収500万円にも届かない、金属12年の会社員が、1000万円の保証人に」
「なぜ、その銀行に300億も置いていたか。答えはこれです。金利が良かったからでも、条件が良かったからでもありません。兄が保証人になった銀行だからです。私は10年間、その一点だけで、この銀行を切りませんでした」
その時、勝彦さんの携帯が鳴った。本店からの電話だ。「グループ全社、全取引の遺憾の申し入れ」という言葉が、部屋に漏れた。
そこへ、成沢さんという男が入ってきた。息を切らしていた。専務取締役だ。彼は私を見るなり、深く頭を下げた。
「柏木様、本日は誠に申し訳ございません」
「番号札、47番でした」
「覚えております」
成沢さんは兄を見た。「柏木琢磨様ですね。あの時、私はあなたに二度会っております。二度目に頂いたのは、保証をお引き受けいただけるというお申し出と、ご意思の確認書です。私はあの時、こう申し上げました。もし妹様の会社が立ち行かなくなったら、あなたが1000万円を背負うことになりますが、よろしいですか、と。あなたはこうおっしゃった。妹は俺が育てました。育てた人間の責任です、と」
私は兄を見た。兄は下を向いていた。
「その一言で、私は支店から本部へあげる書類を書き直しました」
この家は、兄を破談の道具にしただけではなかった。鈴木家に見せるための証明書にしたのだ。「うちはこういう男を、こう片付けます」という証明を。兄は、笑われる側に立たされた。そして、えりさんは笑う側にいた。
えりさんが走ってきた。「誤解なの? 本当は結婚したかったの?」と聞いたが、兄は静かに言った。
「今日、俺は9時からここにいた。この部屋に一人だ。エリさんは、その間どこにいたんだ? 家にいたんだろ。13日の座敷で、俺が歌わされてる時、エリさんは壁際で笑ってた。合わせただけだって分かってる。でも、俺は笑われるのは平気なんだ。23年、色々言われてきたから。ただ、一緒に生きる人が笑う側にいるのは、無理だ」
兄は婚姻届を返してほしいと言った。えりさんは、それを渡した。それが、兄がえりさんに言った最後の言葉になった。
その後のことは、ほとんど人に聞いた。あの動画は3日で300万回を超えた。東亜中央銀行には問い合わせが殺到し、他の取引先までが自分たちで取引を見直し始めた。12月、週一さんは会長を辞任した。勝彦さんは役員を外れ、親族の役員も順に席を失った。えりさんは年内に家を出た。鈴木さんとの縁談も、進まなかった。
兄は何も変わっていない。名和経済の資材課で、今も朝一番に倉庫を開けている。指輪のことは聞いた。石のついていない方だけ、店が引き取ってくれたらしい。もう片方は、兄が持っている。
年が開けてから、私は一度だけ聞いてみた。
「うちのグループ、来る?」
「やだ。妹の七光って言われるだろう」
「私の方が、兄の七光なんだけどね」
兄が吹き出した。私も笑った。
3月、私はまたシンガポールへ戻ることになった。空港へ行く前に、二人で駅前の定食屋に行った。えりさんと三人で会った、あの店だ。
「次の結婚式は、普通にやりたいな」
「次は、最初から最後までいるから」
「大げさだな」
「大げさじゃないよ」
兄は煮魚の骨を外しながら、思い出したように言った。
「未令、あの紙な。俺はずっと意味のない紙だと思ってた。でも、意味があったって分かって、正直ちょっと嬉しかった」
この人が自分から気持ちを口にしたのは、私は二度しか知らない。一度目は、えりさんと初めて会った日の帰り道。二度目が、今だった。
あの人たちは、普通の会社員だった兄を笑った。22年同じ会社に勤めて、人の悪口を言わず、倉庫の数が合わなければ自分で数え直す人を、格が違うと言って笑った。そして、私がどんな仕事をしているかを知った途端、今度は同じ人に頭を下げた。でも、兄の価値は何一つ変わっていない。私が300億を持っていようがいまいが、23年前から一度も変わっていない。
変わったのは、それを測る人たちの物差しだけだ。
ちなみに、300億は予定通り別の銀行へ移しました。ここだけは、ドッキリではありません。



