「俺、この子と再婚するから。」
夫に連れられて義母の家に着いた瞬間、私は耳を疑った。そこには義母と並ぶ、若い女性がいた。上品な佇まいで、にこにこと義母の手伝いをしている。夫はまるで当然のようにその女性と話し、義母も同じだった。私だけが輪の外に置かれている。
そして夫の口から放たれた言葉。再婚。離婚して、この若い女と結婚するという。私は呆然とした。困惑する私を見て、義母は勝ち誇ったように言った。
「この子のお腹には赤ちゃんがいるのよ。やっぱり若い子じゃないとダメね。子供を授かれない嫁は、さっさと出ていってくださる」
そう言って義母は若い女性のお腹を撫でた。私は怒りで涙も出ず、体の震えだけが止まらなかった。問い詰めたいことは山ほどある。けれど、一刻も早くこの場を去りたい。本能がそう叫んでいた。
ふと、私はこの女性に見覚えがあることに気づいた。冷静になろうと、細く息を吐いた。そして、この非常識な親子にとっておきのサプライズを思いついた。
「分かったわ。離婚しましょう。慰謝料も何もいらない。その代わり、もう二度と私の前に現れないで」
私の言葉に、夫は少し面食らったようだった。きっと、こんなにあっさりとは承諾してもらえないと思っていたのだろう。私は手早く荷物をまとめ、義母の家を足早に去った。部屋を出た途端、ショックと悔しさで涙が溢れ、前がほとんど見えなかった。
私は37歳のマリ子。ある会社で秘書として働いている。担当は取り締まり役の石田さんだ。最初は強引な人なのかと心配していたが、彼はとても温厚で、従業員一人ひとりを大切にしてくれる。取り締まり役と言っても君たちと変わらない一人の人間だと言い、名前で呼ぶように指示してくれている。そんな石田さんの下で、私は不満なく働けていた。
ある日、石田さんが私に言った。
「まり子さんも結婚してしばらく立つだろう。子供はまだなのかい?」
「そうですね。そろそろ欲しいとは思っているのですが」
私が虫を噛みつぶしたような顔をしていたのだろうか。石田さんはそれ以上、話を続けようとはしなかった。
私は34歳の時に結婚した。当時は営業部で働いていて、朝から晩まで仕事の毎日。結婚はもう無理だと諦めていた。そんな私の生活を変えたのが、今の夫だった。期待のエースとして転勤してきた彼は私の部署に配属され、次第に一緒に過ごす時間が増えた。
「まり子さんの仕事に対する姿勢が好きだ」
そう言って彼は熱心にアプローチしてきた。ただ当時の彼は27歳。7歳も年下だったので、初めはからかっているだけだろうと本気にしていなかった。だが彼の熱意に負け、ついに結婚することになった。
「まり子さんは考えてないかもしれないが、僕はまり子さんとの子供が欲しい」
結婚すら諦めていた私にとって、子供なんて遠い話だった。でも、真剣に伝えてくれた彼を見て、彼との家庭を持ちたいと思った。今のままでは家庭を大切にできないと思い、仕事一筋だった私は秘書課への移動希望を出した。人生本当に何が起こるか分からない。私は自分でも驚きながらも、幸せに暮らしていた。
ただ、それは長くは続かなかった。
「ごめん。今月もダメだったみたい」
「そうか。焦らないでいいよ」
妊娠検査薬の線が出ることはなかった。もう何度目のことだろう。営業部に残った彼はリーダーとなり、帰宅はいつも深夜を過ぎるようになった。2人でゆっくり話す時間すらなくなってしまった。それでも休日には2人で出かけて過ごした。私はそれだけで十分だと思っていた。
そんな日々が続くうちに、義母からの電話が頻繁にかかってくるようになった。
「まりこさん、お隣の息子さん、もう2人目を授かったんですって」
「ええ、それはおめでたいですね」
「そうね。うちはいつになったら孫の顔が見れるのかしら」
義母は決まって、どうでもいい話をした後に孫の顔が早く見たいと言ってくる。結婚を報告しに行った時も、私の年齢を聞いて驚いていた。7歳も年上の女と結婚しなくても、と思っていたのだろう。初めは気にしていなかったが、こう何度も言われると辛いものがあった。子供ができないのは自分のせいではないか。だんだんそう考え込むようになった。
不妊治療を始めよう。そう思い、私は夫に話を持ちかけた。夫は喜んで賛成してくれた。休日のお出かけをやめて、2人で毎週のように産婦人科に通った。私よりも忙しくて疲れているはずなのに、夫は「2人のことだから」と付き添ってくれた。きっとこれだけやればすぐに妊娠できるはず。2人ともそう思っていた。だが、そんな淡い希望は叶うことはなかった。時間だけが過ぎていった。
ある休日の朝、ふと目が覚めると、隣で眠る夫がいなかった。見渡すと、スーツに着替えて出かける準備をしている夫がいた。
「あれ? どうしたの? 今日休みなのに」
「ああ、緊急の仕事が入って。今日も終電に間に合わないと思う」
夫は私を見ずに、クローゼットの鏡で髪型を整えている。今日の病院はどうするの? そう言いかけた言葉を飲み込んだ。緊急の仕事なら仕方がない。
「そうなのね。無理しないでね」
「いいよな。お前は気楽で。お茶だけ入れてニコニコするだけで」
「え? 今なんて?」
「なんでもない。行ってくる」
深いため息とともに、乱暴にドアを閉めて出ていく夫。今まで見たことがない姿に、私はベッドの上で呆然としていた。不妊治療のせいだろうか。日々の夫の言動から、私に対する苛立ちが伝わってきた。
そんな時こそ、付き合った当初の夫を思い出すようにしていた。私たちはきっと大丈夫。そう言い聞かせていた。
だが徐々に、通院を避けるように夫の休日出勤が増え、不自然な出張も増えていった。私が遅くまで起きて帰宅を待っても、面倒くさそうに舌打ちして、会話もせずに寝室へ行ってしまう。そして、それに合わせるように、義母からの電話もぱったりとかかってこなくなった。毎日のように孫はまだかと電話をかけてきたのに。
ずっと気づかないふりをしていたが、もう限界だった。夫も義母も、私は子供を授かれないと諦めたのだろう。そして、2人にとって、子供を産めない私はもう用がないのだと。そう認めた瞬間、張り詰めていた糸が切れたように涙がこぼれ出した。夫を信じていた自分が恥ずかしくて、情けなくて、涙が止まらなかった。
ひとしきり泣くと、産婦人科の予約をしていたことを思い出した。どうせ今日は検査結果を聞くだけだし、1人だけど向かおう。これで最後にするって伝えないと。この時、力を振り絞って産婦人科に行かなければ、きっと私の人生は大きく変わっていただろう。
それから数ヶ月が経ったある日、夫が突然私に声をかけた。
「明日、俺の実家に2人で行くから準備しておいて」
「え、急に? 何のために?」
「まあ、向こうに行ってから話すよ」
それだけ伝えると、夫はすぐに部屋から出ていった。この数ヶ月、まともに会話もしていなかったのに突然実家に行くなんて、いい話でないことだけは確かだ。そう思うと、今から憂鬱だった。
翌朝、私は夫と義母の家に向かった。家での夫とは違い、なんだかどこか嬉しそうで気持ち悪い。そんな不自然さを感じながらも、あっという間に到着し、玄関のドアを開ける。そこには淡いピンク色の小さなハイヒールが置いてあった。
どくんと大きく心臓が波打った。いや、気にしすぎだ。悪い想像を振り払って部屋の中に入ると、そこには義母と並ぶ若い女性がいた。
「あら、もう着いたのね」
「道が結構空いてたんだ。ただいま。みさも待たせたな」
「私は全然平気よ。あーさん、お帰りなさい」
どうやらその女性は「みさ」というらしい。義母も夫も、あまりにも当たり前のようにその女性と話している。私だけが置き去りにされ、3人で楽しく会話が続いていく。輪から外れている私に気づいたのか、みささんが私に笑顔で挨拶した。
「あ、初めまして」
「みささんとおっしゃるの? 私、この人の妻の…」
「ああ、挨拶とかいいから、とりあえず座れ」
夫は私の言葉を遮り、椅子を指さした。私が座ると、向かいに夫が、その隣にみささんが座った。なぜ夫は私の隣に座らずに、みささんの隣に座るの? そう不思議に思っていると、夫の口から衝撃的な言葉が飛び出した。
「まり子、俺この子と再婚するから」
「え? 再婚ってどういうこと?」
「だから、お前と離婚してみさと再婚するって言ってんの」
「待って。そんな話、聞いてないわ」
夫が何を言っているのか、全く理解ができない。私と離婚して、この子と再婚する。つまり、私と結婚していながら、この子と関係を持っていたということ。そしてそれをニコニコと聞いている義母も普通ではない。
「まり子さん、そういうことだから。ごめんなさいね」
「お母さん、あなたの息子が何を言っているのか分かってますか? はっきり言って非常識じゃないですか?」
怒りが沸点を超え、思わず机を叩いた。その大きな音に、みささんの小さい体がびくっと震えた。それを見た義母は途端に表情を変え、こちらを睨みつける。
「ちょっとまり子さん、静かにしてちょうだい。この子のお腹には赤ちゃんがいるのよ」
「はぁ? 赤ちゃん?」
目の前が真っ白になった。夫の赤ちゃんを授かっているということ? 困惑する私に、勝ち誇ったかのように義母が口を開く。
「ええ、そうよ。私の可愛い孫よ。誰かさんと違って、すぐにみささんの元に来てくれたわ。みささんは22歳なのよ。やっぱり若い子はいいわね。それに美人さんだし」
義母は笑いながらみささんのお腹を撫でた。不倫しただけでなく、22歳の女の子に手を出したというの? 屈辱的な状況に黙る私を、さらに夫が追い詰める。
「しかもな、みさの父さん、俺らの会社の取り締まり役なんだってさ。あの石田さん。ほら、まり子もよく知ってるだろ」
「あーさん、そんなこと言わなくてもいいじゃない。まり子さん、すみません」
ずっと気まずそうにしていたみささんが夫を窘める。確かに一目見た時に見覚えがあると思った。だがよりにもよって、石田さんの娘さんだったなんて。こんなこと石田さんに知られたら、私はどうやって仕事をしたらいいのだろう。
そんなことを考えていると、夫がニヤニヤしながら話しかけてきた。
「石田さんと気まずくならないといいな。ちゃんと仕事はきちんとやれよ」
「あーさん」
「いいのよ。あんな子供を作れない人のことは気にしないで。お腹の子に触るわよ」
そう言って義母はみささんの肩を撫でた。この親子はどこまで非常識なのだろうか。怒りで涙も出ず、体の震えが止まらなかった。私は細く息を吐き、心を落ち着けて口を開いた。
「分かったわ。離婚しましょう。慰謝料も何もいらないわ。その代わり、もう2度と私の前に現れないで」
「心配しなくても、俺らは勝手に幸せになるから。安心しろって」
夫は少し間の抜けた顔をした。こんなにあっさり離婚を受け入れてもらえると思っていなかったのだろう。私は手早く荷物をまとめ、足早に義母の家から立ち去った。
その次の週、私はいつも通り出勤した。そこそこ大きな会社だからか、幸い車内に変な噂は広まっていないようだった。ほっとしつつ業務をこなしていると、突然石田さんから声がかかった。
「まり子さん、ちょっといいかな? 何かあったのかい?」
「いつも通りですよ。何か変なところでもありましたか?」
「ほら、これ」
そう言って石田さんは、さっき私が出したお茶を持ってきた。湯のみが乗っている茶托に、少しだけお茶がこぼれていた。
「僕はお茶がこぼれていようが全く気にしないんだけど、まり子さんがこれを見逃すなんて珍しいなと思ってね。もし嫌でなければ、何があったか話してくれないか?」
石田さんは本当に鋭い。さすが取り締まり役だ。この人に隠し事をしたまま仕事を続けるのは無理だろう。私は諦めて、全てを話すことにした。
「実は先日、夫と離婚しまして」
「おや、そうだったのかい。確か営業部の彼だったかね」
「はい。そうなんですが、実は不倫されてたんです」
「そうだったのか」
「先週話し合いをして、そのまま不倫相手と再婚することになったのですが、それで、石田さんの娘さん、お名前みささんでしたよね」
「まさか、まり子さんの元旦那の不倫相手がみさだったのかね」
私は小さく頷いた。表情は大きく変わらないものの、あの冷静な石田さんが動揺していることが伝わってくる。やはり怒らせてしまっただろうか。突然自分の娘が不倫をしていたなんて聞かされたら、普通は娘を侮辱されたと思うだろう。私がとっさに謝ろうと口を開いた瞬間だった。
「まり子さん、本当に、本当に申し訳なかった」
「え? い、石田さん…」
「他の従業員には黙っておこうと思ったんだが、まり子さんには話しておこう」
石田さんは少し黙り、恥ずかしい話で申し訳ないがと、ご家族の話をし始めた。確かにみささんは石田さんの一人娘だった。しかし数ヶ月前、奥さんの度重なる浮気が原因で離婚し、みささんは奥さんと一緒に家を出ていったそうだ。そしてあろうことか、みささんは奥さんの浮気を容認しており、石田さんにバレないよう浮気の隠蔽を手伝っていたという。
そのことをみささんに伝えた時も、悪びれる様子はなく、実の父親に向かって「年を取って魅力がないお前が悪い。そんな状態じゃママが離れていくのも当然だ」などと暴言を吐いていたそうだ。そんな姿を見て、みささんのことをもう家族とは考えられず、むしろ今でも憎んでいるとのことだった。
「僕が傷つくのは一向に構わない。だが、従業員も僕の大切な家族だ。まり子さんを傷つけたとなったら、それは許せないな」
石田さんのこめかみの血管がピクピクと動いており、怒りが湧き上がっていることが伝わる。今までの温厚な石田さんとは別人のようだった。そして「僕に任せて」と言うと、すぐにどこかに電話をかけ始めた。
その翌日、全員に人事通達のメールが届いた。内容を確認すると、営業部の夫が移動になっていた。その移動先は、いわゆる窓際社員が行くと言われている部署で、ろくな仕事も給料も与えられず自主退職を求められると噂のところだった。出世候補だった夫の突然の人事に、社内には様々な噂が広まった。もちろん私の耳にも、根も葉もない噂が入ってきた。
そして数ヶ月後、石田さんから報告を受けた。
「明くんが退職したようだよ」
もうこれで、同じ職場で働かなくていいのね。少し複雑な気持ちもあったが、夫との関わりが減ったことに、私は密かに安堵していた。
無事に離婚が成立してからしばらくが立ち、私は新しい家での生活を始めていた。前の家と比べるとかなり手狭にはなったが、1人で暮らす分には申し分ない。休日に書類の整理をしていると、スマホが突然鳴った。発信元は元夫だった。
「あら、なんで今更。もう2度と関わらないという約束で離婚したのに」
渋々電話を取ると、調子のいい声が聞こえてきた。
「久しぶり。なんだよ、冷たいな。無事にみさが出産したからさ、連絡しておこうと思って」
「そう。おめでとう」
「子供、めちゃくちゃ可愛いんだよ。やっぱり見た目も遺伝するんだな。お前との不細工な子を生まなくて本当に良かったわ。母親もすっかりメロメロでさ。家事も育児も完璧で。母親なんか『毎日みさのご飯がいい』って言ってるし。若い綺麗な人といると元気がもらえるって。本当にいい嫁だよ」
「そんなことを言うために電話してきたの?」
さっきから私は何を聞かされているのだろうか。元夫の幸せ自慢なんて聞きたくもない。そう思って電話を切ろうとした瞬間、元夫の口から信じられない言葉が出てきた。
「っていうわけだからさ、出産祝いに振り込んでおいてくれよな」
「はぁ? あんた、自分が何を言ってるのか分かってるの?」
あまりにも非常識な言葉に、私は呆然とした。社内の噂では、元夫は再就職がなかなか決まらず、苦労しているらしい。その噂が本当ならお金に困っているのだろうか。だからと言って、自分の不倫が原因で離婚した元妻に、不倫相手の子供の出産祝いを請求するのは、どう考えてもまともではない。どうにかして、この人たちと縁を切らないと。
この時、机の上に置いてあった産婦人科の封筒が目に留まった。もうこうなったら、本当のことを伝えてあげよう。
「分かったわ。後で送るから」
「うお、さすが! サンキューな」
機嫌が良くなった元夫の声をよそに、私はすぐに電話を切った。そして机の上の封筒から、書類を一枚取り出した。
あの突然の電話から数日後、またもやスマホが鳴り響いた。発信源は元夫だった。
「おい、どういうことだよ。なんだよこれ」
電話口の元夫は相当怒っているようで、私の言葉など聞かず、とにかく罵声を浴びせてくる。だがその原因には心当たりがあった。
「何が、って? 出産祝いよって言ったでしょ?」
「どこがだ! この書類、俺が無精子症だって書いてあるぞ! ふざけるな!」
「そうよ。あなたがだんだん一緒に通院してくれなくなったあの頃に、ちょうど検査結果をもらっていたの。あなたはお医者さんの話を聞いてなかったから、覚えてないのね」
「じ、じゃあ、俺とみさの子供は…」
「さあね。お医者さんの話だと、少なくともあなたは医療処置をしないと妊娠させられない体みたいだけど」
「う、うるさい!」
「もう十分。分かったなら、2度と連絡してこないで」
相当ショックだったのだろう。声が出ない元夫をよそに、私は電話を切った。
数日後、いつも通り出勤すると石田さんから呼び出しがあった。どうやらみささんとのことが石田さんにも伝わったらしく、みささんの父親として、元夫、義母、みささんとの話し合いに参加してきたらしい。石田さんが言うにはこうだ。
私の言葉を信じられなかった元夫は、あの後すぐに遺伝子検査をしたらしい。結果は予想通り、やはりあの子供は元夫の子供ではなかった。元夫と義母に問い詰められたみささんは、見頃の時期に複数の男性と関係を持っていたらしく、子供の父親は誰か分からないと告白した。そして、妊娠したのが大学在学中だったため、石田さんにバレないよう、元夫と結婚してごまかそうと画策したのだそうだ。
いつもあんなにも騒ぎ立てていた元夫と義母は、あの時は言葉も出なかったとのことだ。
「本当にどこまでも、どうしようもない子だ。改めて申し訳ない」
「いえ、私はもう他人なので」
深いため息をつく石田さん。ここ数日、まともに寝れていないのだろう。目の下にはくまがある。憎んでいるとはいえ、石田さんはみささんにとってたった1人の父親だ。これからも親としての責任が突きまとうのかと思うと、少し同情してしまった。
その後、元夫とみささんは度々喧嘩となり、ついに離婚したそうだ。喧嘩の度にみささんは平謝りしていたそうだが、ついに本性を表し、元夫と義母の悪口を言い始めたらしい。「インスタントの飯でも気づかないバカ舌のババア」とか「自分の子供との区別もつかない種なし男はもういらない」とか。一度会った時に、まさかそんなことを言うようには見えなかったので、猫を被るのが相当上手なのだろう。
離婚した今も、元夫とみささんは金銭的に余裕がなく、慰謝料や養育費でお互い訴訟し合って泥沼化しているらしい。そんな2人を見て、義母はショックで寝込んでしまったようだ。
「みさの母親と連絡が取れないからって、僕に度々連絡が来て『弁護士になってくれ』と言われても困るんだよな」
「大変ですね」
力なく苦笑いする石田さん。彼はこうして、たまに近況報告も兼ねて私に愚痴をこぼす。会社の取り締まり役だ。離婚した理由を公に言えない彼にとって、私は唯一弱音を吐ける存在らしい。
石田さんには申し訳ないが、正直、彼らと早めに縁を切っておいて良かったと思う。あの時、産婦人科に行って検査結果を聞いていなかったらと思うと、今でも寒気がする。もう2度と、あの家族たちには関わりたくない。
「ああ、もうこんな時間か。済まないね」
「いえいえ。私でよければ、いつでもお呼びください」
「そんなわけにはいかないだろう。君はもう秘書課の部長なんだから」
ぽんと肩に手を置いて微笑む石田さん。部長と呼ばれることには、まだ慣れず、私は曖昧に笑った。
離婚後、自分の時間に余裕ができた私は、また仕事に打ち込むようになった。そして石田さんの勧めもあり、試験を受けて課長に昇進したのだ。毎日目が回るくらい忙しいけど、幸せだ。もう恋愛はこりごりだ。ため息をつきながら、私は自分の机へと戻っていった。


