「お嬢様、あの家にだけは決してお嫁入りしてはいけません」
縁談が持ち上がったその日、幼い下女は主の娘の前に立ちはだかってそう申し上げました。相手は村一番の金持ちとして知られる家柄で、誰もが羨む良縁でした。娘の父はその家の殿様と長年の付き合いでございました。それゆえ、断ることなど誰も考えなかったのでございます。
結局、その縁談は娘ではなく義理の妹の元へと流れていきました。それから間もなく、今度は貧しい老人の家から縁談が舞い込みました。誰も良い縁談とは思わぬ貧しい家柄でございました。ところが下女は娘の手をしっかりと握り、こう申しました。
「お嬢様、こちらの家こそ必ずお受け入れなさいませ」
なぜ富める家を断り、貧しい家を勧めたのか。この時、誰一人知るよしもございませんでした。下女の一言が、二人の娘の運命をまるで異なる道へ分けることになろうとは。これは昔の国の、桜の下から少し離れた村でございます。
村の外れに、一軒の屋敷がございました。裏手には梨畑が広がり、春には白い花が一面に咲き誇りました。その屋敷には、情け深い人柄で知られる主人の軽三郎と、一人娘のおりんが暮らしておりました。軽三郎は困った者が訪ねて来れば、蔵の米を分け与えるほど心の熱い人物でございました。
ある年、この里で不作の年がございましたが、軽三郎は惜しみなく米を分け与え、植えるものを一人も出さなかったと申します。村の者たちは、蔵の中身よりも穂主様だと申しておりました。
村の暮らしは四季の巡りと共にございました。春には裏の梨畑が白く染まり、夏には青々とした稲が広がり、秋には黄金色の穂が頭を垂れ、冬には囲炉裏を囲んで長い夜を過ごすのでございます。軽三郎はそうした村の巡りを大切にし、田植えの日には自ら鍬を取り、収穫の秋には百姓たちと共に汗を流すこともございました。
「穂主様が自ら田に入られるとは」
村の者たちは驚きながらも、その姿を慕っておりました。
おりんの母が亡くなったのは、おりんが十になる年の春でございました。梨の花が咲き乱れた日のことです。それより後、おりんは白い花を長く見つめることができなくなりました。花を見れば母が思い出され、胸が締めつけられたのです。
軽三郎は幼い娘をいつも気にかけておりました。朝夕に髪を梳いてやりましたが、慣れぬ手つきではしばしば引っかかりました。市の立つ日にはおもちゃを買い求めては、おりんの手に握らせました。おりんも父の前では悲しい顔を見せぬよう、心を決めて笑っておりました。軽三郎が裁縫をすれば、傍らに座って針仕事をいたしました。
しかし、夜が更けると母の残した鏡台の引出しを取り出し、しばらくの間じっと見つめるのが常でございました。その姿を偶然目にした軽三郎は、胸が重くなりました。どれほど心を尽くしても、自分一人では亡き妻の代わりは務められぬと思ったのでございます。
おりんは幼い頃、母から機織りの手ほどきを受けておりました。母は織り機の前でおりんを膝に乗せ、糸のかけ方を一から教えてくれたのでございます。
「焦らずとも良い。糸は正直なものじゃ。心を込めれば、その通りに答えてくれる」
おりんは母のその言葉を、長く胸に刻んでおりました。
そうした頃、しのという女が軽三郎の前に現れました。しのは連れ合いをなくし、娘のおえと暮らしておりました。隣の村から越してきて日も浅うございましたが、姿が整い、話しぶりも柔らかで、たちまち人々の心を掴みました。相手の話をせかさず、最後まで耳を傾ける気質は、初めて会う者にも心を開かせるものでございました。
しのはことにおりんへ心を配りました。初めて屋敷を訪れた日、色とりどりの糸の束と小さな針入れを差し出し、「おりん様は針仕事がお好きだと伺いました」と申しました。おりんは父の顔を伺い、頷くのを見て両手で受け取りました。
しのはおりんの傍らに座り、亡き母の話を尋ねました。おりんは初め言葉少なでございましたが、しのがせかさず待つうちに、少しずつ心を開いていったのでございます。おえもおりんになつき、「姉様」と呼んで、よく一緒に遊びました。おりんが物語を読み聞かせれば傍らに座って耳を傾け、梨畑を歩けば手をつないで歩いたこともございました。
手をつないで梨畑を歩く二人の姿に、軽三郎の顔にも自然と笑みが浮かびました。母をなくしてからめっきり笑わなくなった娘が、おえと一緒にいる時ばかりは寂しさを忘れるように見えたのでございます。
村の者たちの間では、軽三郎の後添いについて様々な噂が飛び交いました。「よき後妻を迎えられて何よりじゃ」と喜ぶ者もあれば、「よそから来た女の心の内までは分からぬものじゃ」と密かに囁く者もございました。しかし、そうした声もしのの穏やかな物腰の前では、いつしか静まっていったのでございます。
やがて軽三郎はしのを妻に迎えました。婚礼は質素に取り行われましたが、屋敷には久しぶりに笑い声が戻りました。しのは初めのうちおりんを何かと気にかけておりました。朝には顔色を伺い、夕餉には好物をそっと膳に加え、肌寒くなれば湯を熱く入れた茶までこしらえてくれました。
「おっか様」
おりんが初めてそう呼んだ時、しのは優しげに笑ったのでございます。その様子を見た軽三郎は、娘に新しい親ができたと信じて疑いませんでした。
しかし、誰も見ておらぬところでは、しのはまるで異なる顔を見せておりました。家事に慣れると、しだいに蔵の米の量よりも、鍵のありかをより注意深く見て回っておりました。軽三郎が外出する日には、田畑の証文がどの箱に納められておるかまで確かめておったのでございます。
ある日、おえが証文を改めるしのを見つけました。
「母様、何をご覧になっていらっしゃるのですか」
しのは証文を閉じ、おえを叱りました。
「この屋敷で見聞きしたことを、口にしてはならぬ」
「おりん様にも申してはならぬのですか」
「特におりんの前では口を慎しまねばならぬ」
おえはわけがわからぬまま頷きました。おえの胸には、「この屋敷は本来自分たち母娘のものだ」という思いが、しのの言葉のたびに少しずつ根を張っていきました。姉とした慕う気持ちと、その言葉への戸惑いが、おえの中で日に日に交錯するようになったのです。
ある日、軽三郎はおりんを膝元に呼び、「そなたが嫁ぐには、母の鏡台の鏡台の引出しを渡してやりたいものじゃ」と申しました。おりんは頬を染めながら頷き、「それまでは大切にしまっておきます」と答えたのでございます。父娘のそうした穏やかな語らいは幾度となく繰り返され、おりんにとって掛け替えのない時でありました。
その年の冬、軽三郎は胸を病み伏せるようになりました。元より若い頃から胸が弱く、季節の変わり目にはたびたび咳き込む質でございました。しかしその年の病はいつになく長引き、日も経たぬうちに一人で身を起こすことすら難しくなったのでございます。医者が何度も通い、様々な薬を試みましたが、一向に効き目は見えませんでした。
おりんはほとんど父の部屋を離れず、夜が明けぬうちから額に冷たい手拭いを乗せ、昼は薬の煎じどきを逃さぬよう炉の火を見張っておりました。食事を抜く日もございましたが、父の前では努めて明るく振る舞ったのでございます。しのも近隣の見舞い客には夫を案ずる妻のごとく振る舞い、目元を拭いながら「夜も眠れずにおります」と語りました。その心の深さに、近隣の者たちは口々に感心しておったのでございます。
しかし、人が帰り戸が閉じると、しのの顔つきはたちまち変わりました。しのは軽三郎の病状が重くなるにつれ、自らの行く末について密かに算段を巡らせておりました。やがて軽三郎が息を引き取ったその冬、しのは初見の間から田畑の証文と印鑑を持ち出し、あらかじめ用意していた紙の証文に土地の詳細を書きつけ、迷いなく印を押したのでございます。指先はいささかも震えておりませんでした。
軽三郎は最期の時までおりんの手をしっかりと握っておりました。何の言葉も残すことはできませんでしたが、娘を残していく思いはその指先を通して確かに伝わってきたのでございます。
「お父様、どうか目をお開けください」
おりんは冷たくなっていく手を離すことができませんでした。葬儀が終わり、弔問の客が帰った後、屋敷にはしんみりとした静けさだけが残りました。
葬儀を終えて三日目、しのはおりんの部屋にあった針仕事の道具をことごとく運び出させ、その後に自分の荷物とおえの道具を運び込みました。
「これよりこの部屋はおえが使う。そなたは裏手の機織り小屋へ参れ」
おりんは何も言えぬまま、古びた機織り小屋へと移りました。長らく使われておらなんだせいで埃が積もり、破れた障子の隙間からは冷たい風が忍び込んでおりました。それでもおりんは心まで折れることはございませんでした。父が生きておれば、きっとこうは望まれまい。その思いだけを胸に、日々の苦労に耐えておったのでございます。
翌朝からしのはおりんに家事の全てを言いつけました。畑の手入れ、掃除、井戸の水汲み、洗濯。日が昇る前から動き回り、霜の降りた井戸端で水を汲み、手がかじかんで縄を落とすこともございました。指先は荒れ、手のひらには硬い豆ができましたが、休む間はございませんでした。おえもいつしかおりんを下働きのように扱うようになり、友を招く日にはおりんを呼びつけて茶を運ばせました。
「うちの下働きでございます」
おえがそう紹介しても、おりんは何一つ言い返すことができませんでした。ある日、おえは自らが着古した小袖をおりんに投げて寄越し、「この襟が曲がっておるではないか。縫い直しておくれ」と申しました。おりんは黙ってそれを受け取り、夜更けまでかかって丁寧に縫い直したのでございます。
しのはおりんの織った布を町で売り、その金でおえには衣類を買い求めたのでございます。その日以来、村の者たちの間でもおりんの身の上を気の毒に思う声が幾度となく囁かれるようになったのでございました。
それから六年の月日が流れ、おりんが十六になった頃のことでございました。冷たい風の吹き込む機織り小屋で、おりんはいくつもの季節を重ねてまいりました。幼き日に母から習った糸のかけ方を頼りに腕を磨き、布の目を細かく詰める技も身につけ、おりんの織る布はいつしか評判となっておりました。村の商人が「この村で一番丈夫な布はおりん殿の手によるものじゃ」と客に語ることもあったと申します。しのはその布を勝手に持ち出しては売り払い、金のほとんどをおえの衣装や自らの着物に費やしておりました。
おりんが布を町へ運んだある日のこと。東屋の裏手の細道に、年若い娘が一人倒れておりました。まだ十二か十三ほどに見えましたが、髪は乱れ、疲れで骨が浮くほど痩せ、息も細く絶え間がちでございました。行き交う人々はその娘をちらりと見ては、「迂闊に手を出せば面倒なことになりかねぬ」とつぶやき、そのまま通り過ぎていきました。
おりんはしばし足を止めました。屋敷へ戻るのが遅くなればしのが黙っておらぬことは分かっておりました。それでも倒れた娘を見捨てて立ち去ることはできなかったのでございます。おりんは娘を背負い、機織り小屋へ連れ帰りました。手元に残っておった水で唇を潤ませ、自らの夕餉にとっておいた麦飯を少しずつほぐして与えると、娘はようやく目を開けたのでございます。
「名は何と申す」
「おせと申します」
おせは両親を早くになくし、あちこちの商家で使い走りをしながら食いつないでおりましたが、仕事にありつけず倒れたのでございます。しのはおせを見て苦い顔をしましたが、「この子の食いは自ら働いて稼がせよう」と条件をつけ、しぶしぶ置くことを許しました。
おせは三日ほどでようやく起き上がれるようになり、まだ足に力が戻らぬうちから、おりんが桶を運べば小さな薪を抱え、機台に座れば傍らで糸を送りました。
「まだ腹も満たされておらぬのだから休むが良い」
おりんがそう申しても、おせは「命を助けていただいたのに、どうして寝てばかりおられましょうか」と首を横に振りました。痩せながらも機転が利き、商家で培った勘もあって、おせは次第におりんの大きな助けとなっていったのでございます。
ある日、おせはおりんに尋ねました。
「お嬢様は、本当にこの屋敷のご嫡女でございますか」
おりんは手を止め、「父が亡くなってより、全てが変わってしまった。それでも私が身を置ける場所は、ここより他にない」と静かに答えました。おせはその言葉に胸を痛めたのでございます。実の娘であるおりんが機織り小屋で働き布を織り、しのがその布を売った金で着物を買っていることを、おせはいやというほどはっきりと悟っていったのでございました。
おせは商家を渡り歩いてきただけあって、品や人を見る目にもたけておりました。穀物の目方を手で量り、布の色合いと質だけでおよその値段を見当てることもできたのでございます。おりんが町へ布を運ぶ日にはおせも共についていくようになり、いつしか東屋の商人とも顔馴染みになりました。目方をごまかされそうになれば、おせが話を付けて正しい値段を言い当てて見せることもございました。そうした商家での経験が、後にこのおせの身を助けることとなるのでございます。
軽三郎と桐家の殿様は、若い頃からの付き合いでございました。共に村の寄り合いに出ては米の話について語り合い、時には酒を酌み交わす仲でございました。軽三郎が亡くなった後も桐家の殿様はその縁を忘れず、「いつか娘御を我が家の嫁に」と心に留めておったのでございます。
そうしたある朝、門の外から駒の音が聞こえたかと思うと、身なりの整った中年の使いが屋敷へ入ってまいりました。しのはいつになく自ら縁側まで出て、客を出迎えたのでございます。
「軽三郎様がご存命のおり、桐家の殿様と交わされたお約束を、使いは今もお忘れではございません。軽三郎様のご息女を、嫡男の嫁にと望んでおいでです」
しのの目つきが変わりました。桐家は苗字帯刀を許された豪農の家柄で、高い瓦屋根の奥にはいくつもの蔵が並び、畑もまた広大でございました。村で桐家に逆らおうとする者はほとんどおりませんでした。しのは喜びを隠しつつ、「後日返事をします」と告げました。
おえがこの家から良き所へ嫁げば、自らの立場もまた盤石になろう。しのはそればかりを考えておったのでございます。最も、桐家の者は幼い頃のおりんを一度見たきりで、その顔をはっきりとは覚えておりませんでした。縁談のやり取りも全てしのを通しており、おりんが顔を合わせる機会はこれまで一度もなかったのでございます。
屋敷の中ではこの縁談の噂がたちまち広まりました。奉公人たちも、「桐様との縁とあらば、この家の格も一段と上がろう」と口にし合ったのでございます。おせはしのの傲岸な物腰が気にかかり、翌日町へ出て桐家の噂を探ってまいりました。商家や東屋を巡り耳を澄ますと、恐ろしい噂が次々に耳へ届きました。
若様は学問よりも酒と博打を好み、怒れば家中の者に物を投げつける。長く務め上げる奉公人は珍しいという話でございました。しのもまた桐家についての同じ噂を、商家で聞き及んでおったのでございます。しかししのは桐家の財産と格式の前では、そうした噂など取るに足らぬものと切り捨てておりました。
「この縁を逃してなるものか」
しのの心にあったのは、それだけでございました。
おせはおりんに「桐家にはあまり良くない噂がございます」と一度だけ伝えました。しかしおりんは、「父上と桐家の殿様の縁でございます。一度はこの目で確かめとうございます」と答えました。おせはそれ以上、無理に止めることができなかったのでございます。
遠方への挨拶の日が近づき、おりんは古びた包みから母の鏡台の引出しを取り出し、自ら織った布で仕立てた小袖の襟と袖を整え直しました。華やかとは言えぬながらも、丁寧な仕上がりでございました。おせはその様子を眺めるうち、胸騒ぎを抑えられなくなりました。桐家の若様の傲慢な顔つきと、商家で耳にした噂が頭から離れなかったのでございます。
おりんが顔を洗う水を汲みに井戸へ出かけた隙に、おせは部屋の中へ入り込み、小袖と鏡台の引出しの包みを、水瓶の裏の奥深くに隠してしまいました。ちょうどその時、縁側の向こうからしのの足音が近づいてまいりました。おせはとっさに水瓶の前で拭き掃除をするふりをいたしました。しのは台所を一度覗き込みましたが、それ以上は気にも止めず、そのまま通りすぎていったのでございます。おせは胸を撫で下ろしながらも、指先の震えが止まりませんでした。
しばらくしておりんが戻ると、おせは努めて何気ない顔で「奥様が水車小屋へ行けと仰せです」と嘘を告げました。おりんは方々を探しましたが包みは見当たらず、刻限ばかりが過ぎていきました。とうとうおりんは普段着のまま、穀物の袋を背負って水車小屋へ向かったのでございます。
おりんが遠方への挨拶に出かけた後、おえはしのに「桐様との約束の刻限が迫っております。姉様が戻れねば失礼になりましょう」と告げました。しばしの沈黙の後、しのの口元に薄い笑みが浮かびました。
「それならば、おえが代わりに行かせよう」
おえは初め戸惑いましたが、桐家の華やかな暮らしを思い描くと、それ以上は問い返さなくなりました。おえはしのに教えられた通り、おりんの年齢やおりんの母の名を暗記し、より上等な小袖をまとって桐家へ向かいました。桐家では若様が言葉を失くしたことに立腹し、道具を投げつける様子を、おえは目の当たりにいたしました。それでも縁はその場で決まり、桐家の家族はおえを軽三郎の実の娘と信じ込んだまま、婚礼の日を定めたのでございます。
おりんが水車小屋から戻ると、しのは「おえが代わりに嫁ぐことになった」と、臆面もなく告げました。おりんは台所へ向かい、水瓶の裏で傷一つない包みを見つけました。おせの目が伏せられるのを見て、おりんにはおよそのことが分かったのでございます。それでも、おせが自ら口を開くまでは問うまいと、おりんは心に決めました。
村の女たちは嫁入りの支度を遠巻きに眺めながら、「桐家へ嫁ぐとはなんと果報なことじゃ」と羨む声を漏らしておりました。しかし、その声を機織り小屋のおりんが耳にすることはございませんでした。おえが桐家へ嫁ぐ門前には見物の人が群れました。駕籠の前後には下女が列をなし、花の飾りが風に揺れておりました。しのは手拭いで目元を拭いながら、「良き縁組に恵まれた故、思い残すことはございません」と娘を見送りました。周囲の者たちは、娘を送り出す母の情けの深さに口々に感心しておりました。
おりんはその場に姿を見せませんでした。駕籠が門を出る音と人々の祝いの声が庭中に満ちておりましたが、おりんは機織り小屋で布を織り続け、手を止めることはなかったのでございます。
おえが去った後も、おりんの境遇は変わりませんでした。むしろしのは桐家と縁続きになったことを盾に、いよいよ勢いを増していったのでございます。
その秋のある朝、門の外に人の気配がしたかと思うと、年配の女が一人、縁側へ入ってまいりました。古びた小袖をまとってはおりましたが、身なりは清潔に整えられ、腰は行儀よく曲がっておりましたが、足取りは確かでございました。
「商人の家より参りました。こちらのご息女に申し上げたく参上いたしました」
しのは貧しい家と聞いて、渋い顔をしました。
「うちは桐家とも縁を結んだ家じゃ。尋ねる先を間違えておるのではないか」
女は静かに、「軽三郎様のご息女がもう一人いらっしゃると伺いました」と答えました。しのはおりんを厄介払いする気になり、しぶしぶ女を客間の長火鉢に迎えました。おりんは台所へ入り、客へ出せるものを探しましたが、これといったものはございませんでした。ちょうど釜の上に温めてあった麦湯を茶碗に注ぎ、女の前へ差し出しました。
「お出しできるものがこれのみで、申し訳ございません」
女は両手で茶碗を受け取り、「遠い道を歩いてまいりましたゆえ、麦湯の一杯が何よりありがたく存じます」と言って、急く風もなくゆっくりとすすりました。女はおりんに尋ねました。
「もし貧しい家へ嫁ぐようなことがあれば、そなたはどうする」
おりんはしばし考えてから、「手がございます。機織り針を持てば、何とかなりましょう。家の者どもが互いに慈しみ合わぬ限り、辛い仕事も耐えられるものでございます」と落ち着いて答えました。女はさらに、「夫が長らく望みを遂げられず気を落とすようなことがあれば」と尋ねました。
おりんは「志を捨てぬ限り、傍らに寄り添い続けます。夫の背中を支えながら、共に歩いてまいります」と答えました。女はしばしおりんを見つめてから、「良きお話を伺いました。家に戻り相談の上、改めて参りましょう」と言って帰ったのでございます。
その晩、おせはおりんに「こ度は私もこの縁談をお受けなさるが良いと存じます。貧しさと心の荒みは別のものでございます。今日のお方は私たちを見下しませんでした。そのようなお方が身を置く家であれば、少なくとも人を粗末には扱いますまい」と言い添えました。おりんも同じ思いを抱いており、幾日か後に縁談を受け入れることにしたのでございます。
嫁入りの道は遠くありませんでした。低い山を越え、小川を渡ると、古びた茅葺き屋根の屋敷が見えてまいりました。柱は所々崩れかけておりましたが、庭はよく掃き清められ、蔵の脇には柿の木が一本立ち、色づいた実が枝いっぱいに実っておりました。おりんとおせが庭先へ入りますと、部屋の戸が開き、出てきたのはあの縁談を伝えに来た女でございました。
「遠慮は無用。私は直之の母、冬と申す者じゃ」
おりんはあまりの驚きに、しばし言葉を失いました。冬は、「息子の妻となる者を、他人の噂だけで決めるわけにはいかぬゆえ、自ら確かめに参ったのじゃ。麦湯を差し出してくれたのが嬉しかったのではない。持てるものが少なくとも、客人を手ぶらで帰そうとしなかった。その心が嬉しかったのじゃ」と語りました。
ほどなく奥から、夫となる直之という若者も姿を現し、「遠路お疲れでございましたろう」と丁寧に労を尽くし、続いておせにも同じように労を尽くしたのでございます。その夜の膳の前には味噌汁と根菜の煮物ばかりが並びましたが、冬はおりんとおせを同じ席に招きました。
「私は台所でいただきます」
おせがためらうと、冬は「遠い道を共に来たなら、身内も同然じゃ。座って共に食べるが良い」と申しました。おりんは温かな飯を口にしながら、機織り小屋で冷えた飯を食べ、周りの目を気にしながら箸を取っておった日々を思い出し、久しぶりに安らいだ心持ちになったのでございます。
暮らしは楽ではありませんでしたが、誰も仕事を押し付け合うことはございませんでした。朝になれば冬がまず台所へ入って火を起こし、おりんは傍らに座って藁を綯いました。二人は手を動かしながら一日の仕事を語り合うのが常でございました。冬はおりんに良し悪しの見分け方や、町での交渉の仕方を教えてくれました。
「遠慮してはいけない。家の中のことは、皆で分かち合うてこそ回るものじゃ」
冬はそう語っておりました。直之は昼には畑に出て鍬を振るい、日が暮れれば灯りの下で書を開きました。学問を志して久しゅうございましたが、生計のために本を手放す時期もあり、これまで何度も学問から離れなければならなかったのでございます。
それでも直之は志を捨てようとはいたしませんでした。おりんは油と灯芯を惜しみながらともし火を絶やさず、直之が学ぶ夜には必ず火を絶やしませんでした。おりんは夜更けに机に向かう直之の姿を、機織り台の影からそっと見やることがございました。貧しさに負けず学びを重ねる背中に、いつしか敬う心が芽生えておったのでございます。直之もまた、疲れも見せずに布を織り続けるおりんの姿を、感謝のまなざしで見つめておりました。多くを語らずとも、互いを思いやる心は日々の暮らしの中で静かに深まっていったのでございます。
おせは町で品を求め、冬は家事を切り盛りしながら、三人で直之を支えたのでございます。長らく機織り台の前で磨いた腕前ゆえ、おりんの織る布は町でも評判がよろしゅうございました。目が細かく丈夫で、他の布より先に売れていったのでございます。
小役人の試験は、直之にとって数年ぶりに巡ってきた大切な機会でございました。合格すれば役人として召し抱えられ、貧しい暮らしにも光が差します。しかしこれを逃がせば、再び学問を断たねばならぬかもしれませぬ。おりんも冬もそのことをよく心得ており、支度をして送り出そうと心を尽くしたのでございます。
試験を十日ほど控えた夜、天の底が抜けたかのごとく激しい雨が降りしきりました。翌朝、町で買い物をしていたおせが息を切らして駆け込み、「川にかかる橋が流された」と告げました。橋がなくば山道を大きく回らねばならず、歩きでは試験の日までに間に合いません。馬を借りねばなりませんでしたが、家にはそれだけの金がございませんでした。
直之はしばらく黙り込んだ後、「この度の試験は諦めねばなるまい。また次の機会を待とう」と低い声で申しました。
座敷はしんと静まりました。その時、おりんが立ち上がり、古びた包みから母の鏡台の引出しを取り出しました。
「大切な品ゆえ、用いる時を逃してはなりませぬ。これがあなた様の行く道を開くことができるならば、それこそ私の役目を果たしたことになりましょう」
直之はしばし言葉を失いましたが、冬も「おりんの申すじゃろう。この機を逃せば後悔が残ろう」と申しました。おせは夜明け前から町へ駆け出し、塩売りたちから崩れた橋を避ける道筋を聞き出しました。冬は直之の羽織りを仕立て直し、おりんは鏡台の引出しを質に入れて旅立ちの資金を整えたのでございます。
出立の朝、冬は仕立て直したばかりの羽織りを直之の肩にかけ、おせは道筋を描いた紙を直之の懐にしっかりと納め、おりんは何も言わずただ直之の手を一時握りしめてから、静かに話しました。
「必ず良き知らせを待っております」
直之は三人に深く頭を下げると、「必ず良き知らせを持ち帰ります」と告げ、皆に見送られながら馬にまたがって出立したのでございます。
道中の塩売りの教えた街道に差しかかると、一夜の雨で増水した川が濁った水を岩間から激しく叩きつけておりました。馬は水音に驚いて足を止めようといたしましたが、直之は手綱を強く握り、一歩ずつ川へ踏み入れました。半分まで進んだところで馬の足が滑り、体が大きく傾ぎました。直之は生死の境を彷徨いながら、冷たい水が腰まで押し寄せる中、なんとか持ち堪えて川岸へ渡り切ったのでございます。濡れた羽織りのまま直之は改めて気を引き締め、試験の地を目指して山道を急ぎました。
直之が立ってからというもの、屋敷は再び静けさに包まれました。冬は毎朝湯を沸かし、おりんは胸騒ぎを紛らわすように機織り台の前で布を織り続けました。おせも日々町へ出ては、試験の便りが届いておらぬか訪ねて回りました。
やがて直之が立ってから二十日ほどが過ぎたある朝、村から来た使いが「直之様が見事に合格なされました」と告げたのでございます。おせは息を切らして屋敷へ駆け戻り、「奥様、お嬢様、直之様が見事に合格なされました」と叫びました。おりんは鏡台の引出しを包んでいた空の包みを両手で抱きしめ、声も出せぬまま涙を流しました。冬も井戸端に崩れ折れ、手で口を覆い、長らく堪えていた涙を流したのでございます。
村の者たちも「直之様のご出世は日頃の心がけの賜物じゃ」と口に語り合いました。かつておりんを哀れんでおった者たちも、今ではその強さを称えるようになったのでございます。
直之は役人として召し抱えられ、新たな羽織りが届き、以前より広い屋敷へ移り住むこととなりました。村人たちが門前で礼をする日も、次第に増えてまりました。しかしおりんは奢ることなく良い着物をまとうようになった後も、機織り台を手放さず、困った隣人がおれば自ら織った布を分け与えました。おせも文字と算術を学び、商家で鍛えた目利きも相まって、家の帳面と品の売り買いを任されるようになりましたが、胸のうちには未だあの日の嘘を打ち明けられぬ重さが残っていたのでございます。
一方、桐家へ嫁いだおえの方の暮らしは、幾月も立たぬうちに暗転しました。夫はほどなく酒と博打にのめり込み、帰らぬ日も多くなりました。借金が積み重なるにつれ、桐家の姑の怒りはおえへ向けられ、「親の家が豊かだと聞いておったのに、これしか持って来なかったのか」と攻め立てられる日が続きました。おえは朝の挨拶から客人の膳の支度までを任され、食事も残り物で済ませる日が続きました。
ある夜、姑の一人から小袖の绣を翌朝までに仕上げよと命じられ、おえは指先にいくつもの傷を作りながら針を動かしました。傷だらけの手を見つめた時、かつて自らがおりんに小袖を投げつけ、黙って縫い直させた日のことが胸に蘇り、おえは声を押し殺して涙を流したのでございます。
やがて桐家の田畑は一つまた一つと他人の手に渡り、奉公人たちも給金を受け取れぬまま屋敷を去っていきました。おえは夫の借金を埋めるという名目で、婚礼の日に送られた飾りまで取り上げられ、荷物をまとめて実家へ返されることとなったのでございます。
一方のしのは、桐家との縁を盾にますます増長し、村人にも傲慢に振る舞っておりました。しかしその傲慢さがやがて自らの首を絞めることになろうとは、しの自身も思っておらなんだのでございます。しのの屋敷もまた桐家との縁を笠に着て小作料を上げすぎたために、百姓が次々に村を去り、畑は荒れ果て、穀物も実らなくなっておりました。
そしておえが実家へと戻った時、しのは「受け入れる余裕もない。この家でそなた一人を養う余裕はない」と言い放ったのでございます。行く当てを失ったおえは、幾日も親類や知り合いの家を訪ねました。しかし、桐家が没落したという噂はすでに広がっており、かつて笑顔で迎えてくれた者たちも、こぞって門前で顔を背けたのでございます。
頼れる先は、もはやおりんの屋敷より他にございませんでした。それでもおえは幾度も足を止め、踵を返そうといたしました。合わせる顔などない。そう思うたびに胸が締めつけられたのでございます。
雨の降る日、おえは濡れた着物の裾を縮めながら、おりんの屋敷の門前に立ちました。手を上げて戸を叩こうとしましたが、たやすく動きませんでした。門が開き、役に立つようになったおせがそれを見つけ、おりんを呼びました。
「姉様」
おえはその一言を発した途端、膝から力が抜け、泥の上に膝をつこうといたしました。しかし膝がつくより先に、おりんが前へ出てその腕を支え、家の中へ導いたのでございます。おえは温かな部屋へ通されても、しばらく顔を上げることができませんでした。
「姉様、私が間違っておりました。姉様の部屋を奪い、下働きのごとくこき使ったことも、姉様の名を借りて桐家へ入ったことも、全ては私の罪でございます。母が命じたことじゃと申し訳はいたしませぬ」
おりんはしばし目を閉じてから、「過ぎたことをなかったことにはできぬ。しかし過ちを自ら認めて戻ってきたならば、改めて始める道はあろう。まずは飯を食べるが良い」と告げました。おえは両手で箸を取り、熱い飯を一口含むと、堪えておった涙が改めて溢れ出したのでございます。
その席でおえはふと、幼い日にしのが密かに証文を改めており、「この屋敷で見聞きしたことを口にしてはならぬ」と口止めされたことを語りました。さらに、父の印鑑と証文が初見の間の奥の箱に納められていたこと、父が病に臥してからしのがたびたびその部屋へ出入りしていたことにも触れたのでございます。おりんがその話を直之へ伝えると、直之は静かに耳を傾け、「これは私一人の家のことではない。正しき道筋を通して訴えるべきじゃ」と申しました。
二人は幾晩もかけて訴状をしたため、おえの証言も添えた上で、この訴えを大判所へ差し出し、後の調べを役人の手に委ねたのでございます。大判所は訴えを受け、軽三郎が生前に残した他の証文を蔵倉より取り寄せました。いずれの証文も印はまっすぐに押されておりましたが、しのの差し出した一枚だけは左へ大きく傾いておりました。この証文が、いつものように作られたものではないと疑いが持たれたのでございます。さらに日付を改めると、軽三郎がすでに床から起き上がれぬ頃に記されており、筆跡も本人のものとは微妙に異なっておりました。
役人は当時の医者と奉公人を呼び出し、ことの次第を確かめました。医者は軽三郎がその頃、手を動かすどころか言葉すら満足に発することができなかったと証言いたしました。長らく屋敷に仕えておった下女も呼ばれ、「あの晩、しの様が初見の間に一人で入って行かれるのを見た覚えがございます」と震える声で申し立てたのでございます。
しのは初め、夫が自らを譲ってくれたのだと言い張りましたが、日付と印の食い違い、筆跡の相違、医者と下女の証言が次々と挙げられるにつれ、もはや隠し通せなくなりました。とうとうしのは軽三郎の印を密かに用い、証文を偽って作ったことを認めたのでございます。
おりんは判決の知らせを受けても、心の内に勝ち誇る思いはございませんでした。ただ、父の残したものが正しき形に戻ったことに、静かな安堵を覚えたのでございます。大判所は偽の証文を無効とし、しのが奪った畑と屋敷をおりんへ返すよう命じました。しのは罪を犯すことを禁じられ、村を離れてはならぬとの沙汰が申し渡されました。おりんは「これより先、他人のものを奪うて生きることは叶いませぬ」としのに告げた上で、しのの住まいとして屋敷裏手の小さな離れをあてがい、日々の食いだけは絶やさぬよう大判所へ願い出たのでございます。
しのは離れに移ってより、かつての奢った様子を見せることはございませんでした。日々与えられた分の中で静かに暮らし、時折おりんの姿を見かけても声をかけることさえできぬまま、深く頭を下げるばかりでございました。
おえもまた、おりんの元で過ちを償う機会を得られたことを心よりありがたく思っておりました。おえはおりんに機織りと針仕事を一から学ばせてもらいました。おりん自ら機織り台の前に座り、糸のかけ方から教え始めると、おえは一層身の縮む思いを味わったのでございます。
「初めから上手にできずとも良い。手を抜くことはならぬ」
おりんのその言葉は、どのような叱責よりも重く、おえの胸に残ったのでございました。おえはそれから幾月も朝から晩まで機織り台に向かい、指先を傷めながらも決して手を止めませんでした。糸の紡がれる音だけが、静かに部屋に響いておったのでございます。
やがておえは「いつまでも姉の情けにすがってはならぬ」と自ら願い出て、取り戻された屋敷の一角へ移りました。戻ってきた百姓を手伝いながら布を織り続け、自らの働きで暮らしを立てる道を歩み始めたのでございます。
大判所の裁きが村に知れ渡ると、長らくしのの元で重い小作料に苦しんでおった百姓たちは胸を撫で下ろしたのでございます。おりんが小作料を引き下げ、実りの少ない年には余分に取り立てぬと約束すると、畑を捨てて村を去っておった者たちも少しずつ戻ってまいりました。屋敷には再び、耕す人々の声が響くようになったのでございます。
直之とおりんは富や身分を得た後も、柿の木の立つかつての家を暮らしの場としておりました。取り戻した屋敷と田畑には折りおり足を運び、百姓たちと共にその立ち直りを見守っておったのでございます。
季節は巡り、屋敷の暮らしにもすっかり落ち着きが戻りました。しかしおせの胸には、あの日の小袖と鏡台の引出しを隠し、偽りを告げたことだけが消えぬ棘として残っておりました。おりんが変わらぬ信頼を寄せてくれるほど、打ち明けねばならぬという思いは強くなりましたが、今更真実を告げればようやく得た穏やかな日々を壊してしまうのではないかという恐れが、どうしても口を閉ざさせていたのでございます。
全てが落ち着いたある晩、おせはおりんの部屋の前に長らく立っておりました。あの日から一年もの間、胸の奥に沈めておった重みが、日に日に増していくばかりでございました。
「いかがいたしましたか」
おりんが声をかけると、おせは部屋の中へ入り、そのまま膝をついたのでございます。
「お嬢様、久しく隠しておったことがございます」
おりんはおせの強ばった顔を見つめました。
「申してみよ」
おせは深く息を吸い込みました。
「桐様よりの縁談が持ち込まれたあの日、お嬢様の小袖と鏡台の引出しを隠したのは、この私でございました。水車小屋へ行けと告げたというのも、私が仕組んだものでございます。桐家がよろしからぬ噂を耳にしておりましたが、確かな証はございませんでした。お嬢様を説き伏せる自信がなく、代わりに私が決めてしまいました」
おりんはしばらくの間、何も申しませんでした。座敷はしんと静まり、外からは乾いた木の葉が風に流れる音だけが聞こえてまいりました。おせは顔を上げられぬまま、おりんに何を言われても受け入れる覚悟で待ち続けたのでございます。
しばらくして、おりんは立ち上がり、おせの前に座りました。
「顔を上げよ」
おせがおずおずと顔を上げますと、目には涙が満ちておりました。おりんはおせの手を取りました。
「あの日、包みを見つけ、そなたが目を伏せた時から、その仕業であろうことは察しておった。それでも、そなたが自ら口を開くまでは問うまいと決めていたのじゃ。私を守ろうとした心は、よく分かっておる。その心には礼を申す」
おせの目から涙がこぼれ落ちました。しかしおりんの声には、揺るがぬ響きがございました。
「されど、誰かのためを思うたとしても、その者の生き方を代わりに決めてはならぬ。その選び方が良き結果をもたらしたとて、誤った手立てまでが正しかったことにはならぬ」
おせは深く頭を下げました。おりんは手を離さぬまま、言葉を続けたのでございます。
「真に傍らに寄り添うということは、相手の選ぶ権利を奪うことではない。知り得たことを全て開け放ち、相手が自ら決めるまで、そばに寄り添い続けることじゃ。これより先、その違いを忘れてはならぬぞ」
「はい。お嬢様、決して忘れませぬ」
おせは涙をこらえながら答えました。
「そなたが過ちを隠さず打ち明けてくれたゆえ、私もこれ以上、心に止めておくのはやめにしよう。ただし、二度と同じ過ちは犯してはならぬぞ」
おせは額を畳につけ、深く頭を下げました。長く胸を塞いでおった思いが、いくぶん軽くなったように思われたのでございます。
それより後、おせは自らの反省を振り返り、「あの日、道端で拾われておらねば、今の自分はなかったであろう」と幾度となく思い返しました。その恩を次の世代へとつないでいくことこそ、自らに課された役目だと信じておったのでございます。おせはあちこちの商家を点々とする子供や、貧しさゆえに学ぶ機会を得られなかった女の子たちを集め、文字と算術を教えるようになりました。
ある日、一人の女の子が「文字を覚えたとて、何の役に立ちましょうか」と尋ねました。おせは静かに答えました。
「文字を知っておれば欺かれることも少なく、算術を知っておれば働きの手間を省くこともできる。自分の身を守る力を、身につけるのじゃ」
おせは子供たちにいつもそう語り聞かせておりました。自らが苦労して身につけたものが、いずれ誰かの行く手を明るく照らすことを願っておったのでございます。
おりんもまた、いくつもの間良い着物をまとうようになった後も、困った隣人があれば自ら織った布を分け与え、腹を空かせた子供が門前に立てば、温かい飯を食べさせておりました。持てるものが増えたとて、人を蔑にすることはなかったのでございます。村の者たちは、「あの機織り小屋で育った娘は、今も変わらず情けの深いお方じゃ」と口に語り合ったのでございました。
家の暮らしが落ち着いた頃、おりんはおせを伴ってかつて質に入れた店を訪ねました。長らく預けたままにしておった鏡台の引出しを受け出すためでございます。店の主人が差し出した木箱の中には、埃をかぶってはおりましたが傷一つなく、あの日のままの姿の鏡台の引出しがございました。おりんはそれを両手で受け取り、しばらくの間、じっと見つめておったのでございます。
ある年の夕べ、柿の木の下に膳が並べられました。おりん、直之、冬とおせが一つの席に座っておりました。門の外に人の気配がいたしました。おせが出てみると、おえが一端の反物を抱えて立っておりました。自ら織った布ゆえ、折り目こそいくらか甘うございましたが、真心を尽くした跡が確かに見て取れたのでございます。
「姉様のお力を借りず、糸を整えるところから初めて一人で仕上げた布でございます。どうしても姉様にお見せしたくて、持ってまいりました」
おえが柿の木の下へ近づくと、おりんは黙って傍らの席を開け、温かな飯の茶碗を差し出したのでございます。おえは哽咽しながら両手で茶碗を受け取りました。おりんは棚に飾った鏡台の引出しにそっと手を触れました。
冬の隅には、この春に植えたばかりの若い梨の木が、細い枝を伸ばしておりました。かつては白い花を見るたび胸が締めつけられ、長く見つめることさえ辛うございました。しかし今、傍らに直之や冬、おせ、そしておえまでが揃っておる中で梨の木を眺めると、おりんの心にはもはや痛みではなく、静かなぬくもりばかりが広がっておりました。
「来る春には、この木にも白い花が咲きましょう」
おりんは小さくつぶやき、久しぶりに心の底から安らいだ笑みを浮かべたのでございます。



