商談当日の朝、取引先の林部長から電話が来た。「ライバル商社が大型案件からエースを外したらしいんですよ」。その瞬間、私は確信した。この商談、我が社が圧倒的に有利だと。私は十四年間、高卒というだけで平社員のままだった。それでも千八百億円の商談に抜擢され、必死で資料を作った。なのに商談前日、三浦部長は私の資料を机に投げ捨てた。「高卒が作った資料なんて、どうせ大したことない」。当日、車中で重要な情報…

商談当日の朝、取引先の林部長から電話が来た。「ライバル商社が大型案件からエースを外したらしいんですよ」。その瞬間、私は確信した。この商談、我が社が圧倒的に有利だと。私は十四年間、高卒というだけで平社員のままだった。それでも千八百億円の商談に抜擢され、必死で資料を作った。なのに商談前日、三浦部長は私の資料を机に投げ捨てた。「高卒が作った資料なんて、どうせ大したことない」。当日、車中で重要な情報...

俺、星野三十二歳。高卒で大手総合商社に入社して十四年。必死に働いてきたが、低学歴というだけで未だに平社員のままだ。家が貧しく、高校を出たらすぐに働かなければならなかった。大学なんて行けるはずもなかった。

それでも仕事に対する真面目さだけは誰にも負けない自信があった。今回、会社の命運を左右するかもしれない千八百億円規模の大型商談プロジェクトに参加できることになったのだ。

抜擢してくれたのは村山社長だった。

星野君の情報分析能力は今回の商談に不可欠だ。頼んだよ。

十四年間の地道な努力がようやく認められた瞬間だった。

しかし、俺の直属の上司でありチームリーダーを務める三浦部長は、この抜擢を面白く思っていないようだった。

星野が社長のおかげで商談に参加するらしいが、初詣で高卒は高卒だ。お前は資料作成と当日の運転手をやれ。間違っても重要な判断に口出しするな。

チームの一員である吉田課長も鼻で笑った。

はっきり言って、高卒には荷が重いよな。

悔しかったが、これだけ大きなプロジェクトに関われるだけで十分だった。俺は持ち前の真面目さで、商談相手の情報を徹底的に調べ上げた。過去の取引実績、担当者の経歴、事業展開の方向性まで、ありとあらゆる情報を収集した。

特に重要だったのは、商談相手の社長が業界紙で語ったインタビュー記事だった。それを詳細に分析した結果、相手企業の新規事業展開には全国規模の流通ネットワークが必要不可欠であることが判明した。うちの会社はまさにその流通ネットワークを保有している。

俺は毎日早朝に出社し、通常業務をこなした後、残業を重ねて商談資料を作り上げた。ある日の残業中、通りかかった村山社長が俺の資料を見て言った。

素晴らしい分析だ。この資料なら必ず成功する。

社長にお墨付きをもらえた瞬間、俺の自信は確信に変わった。

ところが、商談前日。三浦部長は俺が作成した資料を受け取ると、中身を見ることもなく机の隅に放り投げた。

高卒が作った資料なんて、どうせ大したことない。時間の無駄だ。

学歴を見下されることには慣れっこだった。明日の商談で俺の資料が役立てば、きっと見直してもらえる。

そう信じるしかなかった。

商談当日の朝。取引先である林営業部長から、思いがけない電話がかかってきた。林部長は俺と同じ高卒出身で、地道な努力で部長まで出世した人だ。学歴で苦労した経験があるからか、いつも親身になってくれる。

星野さん、ちょっとした世間話なんですがね。

林部長の声は普段と変わらず軽やかだった。

我が社は星野さんの会社とはライバルになる商社とも取引があるんですが、その商社がかなり大きな案件を諦めたらしいんです。

俺は身を乗り出した。

昨日あった業界の懇親会で、その商社の部長が酒の席でぼやいていましてね。商談途中だった大型案件からエースの営業担当を外し、別件に回したようです。

この何気ない世間話の中に、俺は重要な意味を読み取った。ライバル商社がエースの営業マンを大型案件から外したということは、その案件を諦めた可能性が極めて高い。

俺は頭の中で昨夜作成した資料の内容を思い返した。相手企業の新規事業には、我が社が持つ独占的な流通ネットワークが必要不可欠だ。つまり、そのネットワークを持たないライバル商社は、最初から勝ち目がないと判断したのかもしれない。

気になった俺は、林部長との会話が終わった後、急いでそのライバル商社について調べ始めた。調査の結果、やはりその商社は我が社のような流通ネットワークを保有していないことが判明した。

つまり、商談相手の要求に答えることができないから、エース営業を撤退させたのだろう。俺たちが圧倒的に有利な状況になったということだ。

あっという間に商談先へ向かう時間となった。

星野、何やってんだ。商談に向かうぞ。さっさと車の準備をしろ。

三浦部長の叱責に、俺は慌てて車庫へと急いだ。俺は運転手として、三浦部長と吉田課長を商談先へ送ることになったのだ。

車に乗り込むと、俺は早速、重要な情報を伝えようとした。

部長、商談に関する重要な情報があります。

三浦部長は後部座席から冷たく遮った。

運転に集中しろ。考察ごときの情報なんてどうでもいいんだよ。

それでもめげずに、俺は信号待ちで再び試みた。

あの、部長。取引先から聞いた情報なんですが。

すると吉田課長が苛立ったように声を上げた。

うるさい。黙って運転しろよ。

俺は必死に説明しようとした。

交渉を有利に進められる重要な情報です。ライバル商社が撤退したということは、相手企業には実質的に我が社しか選択肢がないということです。つまり、こちらが圧倒的に有利な立場で交渉できるんです。

三浦部長が鼻で笑った。

高卒不勢が重要な情報だと。笑わせるな。お前の仕事は運転だけだ。

結局、真剣に取り合ってもらえないまま商談会場に到着した。エレベーターの中でも俺は声をかけた。

本当に重要な情報なんです。

三浦部長は振り返ると、見下すような目で俺を見た。

運転お疲れ。あとはエリートの俺たちに任せろ。

会議室の前。俺は最後の願いを込めて声をかけた。

部長、どうしても最後に伝えたいことがあるんです。

吉田課長が冷笑を浮かべながら言い放った。

高卒に発言権はない。

千八百億円を左右する重要な情報を持っているのに、俺は完全に排除された。俺の心に絶望が広がる。結局、会議室には入れてもらえたものの、隅に追いやられ、記録係として商談を見守るしかできなかった。

商談が始まると、俺は会議室の隅で商談相手の赤根取締役を観察していた。赤根取締役はこの商談の決済権を持つ重要人物だ。落ち着いた雰囲気で始まった商談だったが、赤根取締役が次に発した言葉で、会議室は一気に張り詰めた。

実は他社様からも非常に積極的なご提案をいただいておりまして。条件次第では、そちらとの契約もあり得る状況なんです。

俺は鋭い目でその発言を聞いた。林部長から聞いた情報によると、ライバル商社はこの大型案件を諦め、主力営業を別件に回したはずだ。つまり、実質的にこの商談から撤退している可能性が高い。他に積極的な競合がいるという赤根取締役の話は、完全に矛盾している。

赤根取締役は、あえて競合他社がいると煽ることで、商談を有利に進め、俺たちに大幅な値引きをさせようとしているのだろう。

しかし三浦部長と吉田課長は、さっき俺が必死に伝えようとした重要な情報を完全に無視していた。高卒ごときの情報なんてどうでもいいと一蹴したから、赤根取締役の発言に今になって慌てふためくことになったのだ。

そ、それでしたら、契約条件を見直しましょう。

三浦部長は赤根取締役の発言に完全に翻弄され、焦った声で言った。

契約金額についても、柔軟に対応いたします。

吉田課長も続いた。赤根取締役は内心ほくそ笑んでいるように見える。どんどん不利になっていく二人を見て、俺の中で何かが変わり始めた。

このままでは我が社が損失を被る。千八百億円の契約が、大幅に安く叩き売りされてしまうだろう。机の上には、何日も残業して作った完璧な資料が置いてあるのに、三浦も吉田も一度もその資料を当てにしていない。自分たちで用意した簡素な企業概要資料だけで十分だと考えているようだった。

赤根取締役が再び口を開く。

御社の提案は千八百億ということでしたが、契約金の面でも他社様からはかなり思い切った条件を提示されておりまして。

三浦部長の顔が引きつった。

どの程度の契約条件でしょうか。

赤根取締役は曖昧に笑いながら答えた。

具体的な金額を申し上げるのは差し控えさせていただきます。ただ、かなりの譲歩をしていただいております。

これも明らかに虚偽だ。ライバル商社が撤退しているのなら、そんな提案があるはずがない。俺の中で怒りが込み上げてきた。

この際、学歴なんて関係ない。重要な情報を知っているのは俺だけだ。

俺は静かに席を立ち、会議室の中央へと歩いていく。もう黙っていることはできなかった。

三浦部長が俺の行動に気づき、顔を真っ赤にして怒鳴った。

何をしている。席に戻れ。

しかし俺はひるまなかった。むしろ、今までにない冷静さを感じていた。

俺は会議テーブルの前に歩みより、三浦部長に向けて静かに話しかけた。

部長、机の上の資料をご確認いただけませんか。

三浦部長は嘲笑した様子で俺を睨みつける。

貴様、何のつもりだ。

俺は落ち着いて資料の一部を指差しながら言った。

この部分に重要な記載があります。

赤根取締役が複雑な顔で俺たちを眺めている。俺は資料を手に取り、該当ページを開いて赤根取締役の前に置いた。

赤根取締役。御社の新規事業は、弊社が持つ流通ネットワークなしには展開が困難ですよね。

俺の質問に、赤根取締役の表情が一瞬固まった。

これはどういう意味でしょうか。

この部分に詳細が記載されています。弊社が保有している全国への配送網。つまり、御社の新規事業で必要となるものです。

赤根取締役の顔がみるみる青ざめていく。

この配送網は、他社様では簡単に代替することができないはずです。

三浦部長が俺の発言を遮ろうとした。

高卒ごときに発言権はない。

しかし俺は構わず続けた。

御社が新規事業を成功させるためには、弊社との契約が必要不可欠ということになります。

赤根取締役は完全に言葉を失い、汗をかき始めた。俺はさらに畳みかけた。

赤根取締役。先ほど他社様から積極的な提案があるとおっしゃいましたが、私が入手した情報では、その他社様はこの商談から撤退したと聞いております。

赤根取締役の顔が一層青ざめた。

どこでそのような情報を。

具体的な情報源を申し上げるのは差し控えさせていただきます。

俺は顔色一つ変えず、赤根取締役が使ったのと同じ言葉で言い返した。そして、ほとんど蒼白にまでなった赤根取締役の顔色を見て、ライバル商社がすでにこの商談を諦めたということに確信を持った。

赤根取締役はついに言葉を失った。俺は資料の別のページを開いて見せる。

こちらには、御社の新規事業を成功させるための具体的な流通戦略も記載されています。

赤根取締役は焦りの表情から一転して、目の色を変えて資料を見始めた。

これは非常に詳細な分析ですね。

俺は自信を持って答えた。

御社の新規事業が成功するよう、弊社の持つ全てのノウハウを活用したプランです。地域別の配送効率を最適化し、初年度から黒字を目指せる戦略を提案させていただいています。

赤根取締役が俺を見上げた。

星野さん。この資料は、あなたが作成されたのですか。

はい。御社との商談を成功させるために作成させていただきました。

取締役は感心したように言った。

これほど詳細で実用的な提案は、見たことがない。

三浦部長が慌てて口を挟む。

いえ、これは私たちが指導して作らせたものです。

すると赤根取締役は三浦部長を冷ややかな目で見た。

三浦さん。あなた方は、この資料を全く読んでいませんでしたね。机の上に置かれたこの資料を、一度も開こうとしなかった。それどころか、星野さんが重要な情報を伝えようとした時、高卒に発言はないとおっしゃっていませんでしたか。

赤根取締役の言葉に、三浦部長は返す言葉がなかった。

俺は冷静に提案した。

赤根取締役。当初の提案通り、千八百億円での契約で進めさせていただいてよろしいでしょうか。

赤根取締役は力強く頷いた。

もちろんです。星野さんのような優秀な方がいらっしゃる会社でしたら、安心してお取引できます。今後の窓口は、ぜひ星野さんにお願いしたい。

十四年間の努力が、ついに認められたのだ。三浦部長と吉田課長は、ただ呆然と俺を見つめるしかできなかった。

無事契約を取り交わし、会社に戻ると、俺たち三人は村山社長に呼び出された。社長室の重厚なドアをノックし、中に入る。村山社長は五十八歳。温厚な人柄で知られているが、今日は何やら含みのある表情を浮かべていた。

結果はもう聞いているよ。千八百億円の契約成立。素晴らしい成果だ。

俺は、すでに社長の耳に結果が届いていることに驚いた。村山社長は俺たち三人を見回しながら言った。

ぜひ、成功の秘訣を聞かせてくれ。

すると三浦部長が、商談で慌ててばかりいたことなどおくびにも出さず、胸を張って答えた。

社長。私の豊富な経験と、吉田の戦略眼で成功いたしました。

同調するように吉田課長も得意げに口を開く。

相手は契約金を下げようとしてきましたが、私の判断力がものを言ったのです。

部長が俺の方をちらりと見ながら言い放った。

星野は何も発言せず、記録係に徹してもらいました。重要な商談は、学歴のある我々でないと勤まりませんから。

村山社長は興味深そうに頷いた。

なるほど。では、具体的にはどんな戦略を立てたのかね。

三浦部長が一瞬言葉に詰まる。

それは、相手の心理を読み、適切なタイミングで攻勢に出たということです。

具体的に、相手の弱点をどう分析したのか、言ってみたまえ。

村山社長の食い下がる質問に、吉田課長が慌てたように答える。

相手の事業展開における課題を見抜いたのです。

おお。では、その課題をどの情報から入手したんだね。

村山社長の質問が具体的になるにつれ、二人の答えは曖昧になっていく。

それは、業界の情報を活用して。

三浦部長の顔色が悪くなった。村山社長は俺の方を向いた。

星野君。記録係として同席していたそうだが、君はどう見ていたんだ。

三浦部長と吉田課長が俺に威圧的な視線を向ける。余計なことは言うなという無言の圧力だ。しかし、俺はもうこの二人を恐れてはいなかった。

社長。実際の経緯をお話しします。

俺は深呼吸して口を開いた。

まず、当日の朝、取引先の林部長から重要な情報を得ました。ライバル商社が主力営業を別件に回し、実質的にこの商談から撤退したという情報です。

三浦部長が慌てて遮ろうとした。

星野、余計なことを言うな。

しかし村山社長が手を上げて制した。

まあ待て。星野君、続けたまえ。

俺は村山社長の目をしっかり見据えて続けた。

車中でこの重要な情報を伝えようとしましたが、部長からは高卒ごときの情報なんてどうでもいいと言われました。課長からも、高卒に発言権はないと一蹴されました。

村山社長の表情が、みるみる厳しくなっていく。

私は何日も残業して、相手企業の詳細な資料を作成しました。商談相手について、できる限りの情報を収集し、まとめた資料です。しかし、お二人は商談中、その資料を一度も開くことはありませんでした。

吉田課長が反論しようとした。

そんなことは。

俺は構わず続けた。

商談では、赤根取締役が存在しない競合他社の提案を理由に、値下げ交渉を仕掛けてきました。しかし、私が入手した情報により、それが嘘だと分かりました。お二人は完全に翻弄され、大幅な値下げに応じようとしていたんです。

三浦部長の顔が青ざめていく。

最終的に私が商談に介入し、当初の千八百億円で契約を成立させることができました。これが、商談成立に至るまでの実際の経緯です。

村山社長は静かに頷いた。

興味深い話だ。実は、赤根取締役とは旧知の仲でね。すでに詳細な報告を受けているんだよ。

俺は、社長が商談終了と同時に全てを知っていたことに驚いた。一方、三浦部長と吉田課長は真っ青になっている。

村山社長は立ち上がり、厳しい表情で二人を見据えた。

三浦君。君が学歴で人を見下す考えを持っていることは、以前から気になっていた。今回の件で、その根性が露呈したな。

三浦部長が震え声で弁解しようとした。

社長、それは誤解です。私は。

村山社長が手を上げて遮った。

部下の手柄を横取りし、さらに学歴で人を見下すとは、ご同談だ。君たちには、懲戒処分を検討する。覚悟しておけ。

絶望に陥った三浦部長が、最後の悪あがきを見せた。

しかし社長。初詣で高卒は高卒です。今回はたまたまうまくいっただけです。

その瞬間、俺の中で何かが弾けた。十四年間溜まっていた全ての思いを込めて、俺は静かに、しかし決定的な言葉を放った。

部長。高卒に発言権はないとおっしゃいましたが、その高卒が千八百億円の契約を成立させ、大きな損失を防ぎました。学歴で人を判断するのではなく、実力と結果で評価していただきたい。今回の件で、どちらが会社にとって価値ある人材か、証明されたのではないでしょうか。

三浦部長と吉田課長は完全に言葉を失い、ただ俺を見つめることしかできなかった。

村山社長が満足そうに頷いた。

その通りだ。星野君。君のような人材こそ、我が社の宝だ。今回の功績をもって、君の昇進を検討する。

俺の胸に、これまで感じたことのない達成感と喜びが満ちていく。長年の努力が、ついに正当に評価された瞬間だった。

翌日、三浦と吉田は総務部の平社員への降格処分が決定した。三浦は部長室から荷物をまとめて出ていく際、俺の前を素通りしようとした。しかし足を止めると、小さな声で呟いた。

まさか、高卒の平社員に負けるとは思わなかった。

吉田も続いて荷物を抱えながら通り過ぎていく。二人とも、俺と目を合わせることさえできなかった。

俺の机の上には、課長昇進の辞令が置かれていた。俺は辞令を手に取りながら思った。学歴コンプレックスに悩んでいた日々が嘘のようだ。大切なのは肩書きではなく、真剣に仕事に向き合う姿勢だったのだ。

部下たちが俺の周りに集まってきて、口々に祝福の言葉をかけてくれる。

星野課長、おめでとうございます。

星野さんの努力が報われて、本当に良かったです。

俺は力強く答えた。

学歴なんて関係ない。大切なのは、仕事に真摯に向き合うことだ。

俺はこれまでの経験を生かし、課長として責任を持って仕事に取り組んでいく決意を固めた。これからも、この気持ちを忘れずに頑張っていこう。

Thumbnail