「希望は俺の子じゃない。お前、浮気したな。出ていけ」
息子が塾の算数テストで毎回零点を取ることに激怒した夫・強しは、私が浮気をしたからこんな不出来な子が生まれたのだと決めつけ、離婚を迫ってきた。
強しは高校で数学教師をしている。出来の悪い息子の点数に腹を立てているのは分かる。けれど、希望は間違いなく強しの子だ。私が浮気をするはずがない。
「お前とは離婚だ。このどこから来たか分からんガキを連れて、今すぐ出ていけ。こんなやつ、絶対に他人の子だ」
強しは私の腕を掴み、無理やり家から追い出そうとした。騒ぎを聞きつけた義母が慌てて止めに入ってくれた。しかし強しは聞き入れることはない。
「一家の恥さらしは要らん」
義父までが離婚を後押しした。私は泣く泣く義実家を出るしかなかった。
わずかな着替えだけを持って、希望と二人で歩きながら、私は虚しさに打ちひしがれた。希望の前でこらえようと思っても、涙は止めどなく溢れてくる。
「お母さん、僕のせいでごめんなさい」
希望は目に涙を浮かべながら、私の手を強く握った。
「あなたは何も悪くないわ。悪いのはお父さんたちよ」
そう言いながら、私は考えた。考えてみれば、希望にとってはあの家を出ることが良かったのかもしれない。幸いなことに、私の収入だけでも希望を育てていくことはできる。強しや義父のいない場所では、希望は好きなことができる。心身の不調も良くなるかもしれない。そう思うと、強しとの離婚も受け入れられた。
あれから十五年。私は希望の母校である高校の特別講演会で、元夫の強しと再会した。
「おい、こんなところで何をしてるんだ?」
強しはこの春から赴任してきたらしく、私のことを学校に雇われた用務員だと思っているようだ。
「私が何をしてようと、あなたには関係ないわ」
「ふん。雑用係が偉そうに。おい、これでも捨てておけ」
強しは空き缶を投げつけてきた。切れた私は声を荒げた。
「息子の講演が終わるまで、ちょっと黙ってて」
「え、息子?」
「今日の講演者は坂本希望よ」
[…]
私は坂本あずみ。五十三歳。雑貨デザイナーとして働きながら、息子である希望と暮らしている。
二十年ほど前のことだ。私は当時の夫である広沢強とお見合い結婚した。強しは高校で数学を教えており、義父の城郎も大学の数学教授をするなど、有名な数学一家だった。
当時私は三十三歳。これといった出会いもない中で、親戚が持ち込んできたお見合いを受けてみることにしたのだ。
強しは口下手なのか、お見合いの席だというのに口数が少なく、会話に困った。しかし数学の話になると、途端に上機嫌になる。
よほど数学が好きなんだと思いながら強しの顔を見つめると、その目はとてもキラキラしていた。一つの物事に夢中になる姿に、私は好感を持ったのだ。
当時から雑貨デザイナーとして活動していた私は、仕事を続けることを条件に、強しとの結婚に前向きな姿勢を見せた。強しはその条件を受け入れてくれ、私たちの結婚が決まったのである。
結婚後は義実家での同居が始まった。義母はとても優しく、私の良き理解者となってくれた。義父は強しとよく似ていて、数学に愛情を注ぐ人だった。家のことは全て義母に任せているようで、普段はほとんど口を開かない。
「二人とも数学バカだから、それ以外興味がないのよ」
笑いながら話す義母だったが、どこか愚痴のようにも聞こえた。それでも、私が嫁いだことで話し相手ができたと喜んでくれているようだ。
数年後、息子の希望が誕生した時は、義父も強しも大喜びしてくれた。
「男の子だぞ」
親戚を集めて祝いまで開いた。
「この子も俺たちのように数学の才能を受け継いでくれるといいな」
「そうだな。我が家の血筋だ。すごい数学者になるぞ」
生まれたばかりの子供に期待を寄せるのはどうかと思いながらも、満面の笑顔を見せる二人に、私は胸を撫で下ろしていた。妊娠していた頃から強しや義父の男の子願望は強く、もしも生まれてくる子が女の子だったらと想像したら、気が重くなっていたのだ。
「この子は俺たちの希望だ。日本に名を残す学者になる子だ」
「あまり期待を大きくしないで。子供のプレッシャーになるわ」
「いやいや、大事なのは早いうちからの教育だ。我が家の男子なら、きっと才能を開花させる」
強しと義父の期待は異常とも思えるほどで、私は生まれたばかりの子を見つめながら一抹の不安を抱えたのだ。
それでも希望がまだミルクを飲んでいるうちは平和だった。義両親も強しも無条件で可愛がり、希望はすくすくと成長してくれていた。その頃はまだ強しも子煩悩な一面を見せてくれて、普段であれば授業の準備だとか数学の研究だと言っては帰りも遅くなるところだが、希望が生まれてからは学校が終わるのと同時に帰ってくるほどだった。
ただ一つ気になったのは、義父も強しも希望のために買ってくるおもちゃが全て数字にまつわるものばかりだったことだ。知育教材以外のおもちゃは買わないと決めつけ、潜在的に数学を好きになるように仕向けているようにも見えた。それでもまだ大人の思惑など理解できるはずもない希望は、音を鳴らしたり指で触ったりして遊んでいる。そのまま自然に数学が好きになるなら、私も文句を言うつもりはなかった。
しかし希望が三歳になった頃から、様子がおかしくなっていったのだ。義父と強しの希望に対する期待は、過激な教育へと変わっていったのである。
強しは希望に鉛筆を持たせ、足し算から教えていった。最初は希望も楽しそうに問題を解いていたのだが、ある日、強しが作った問題が解けないことがあった。
「分からない」
希望が泣きそうな声でそう言った時だ。
「こんな簡単な問題が、どうして分からないんだ」
強しは声を荒げた。まだ小さな子供に向かって大声で怒鳴りつける強しが信じられない。驚いた私は慌てて止めに入った。
「希望はまだ三歳よ。分からないことだってあるわよ」
「何度も解いてる問題だ。分からないことなんてありえない」
「そんないきなり全部解けるわけないでしょ」
私と強しの言い争う声に怖くなった希望は泣き出してしまった。
「泣いたら許されると思うな」
この時は義母が仲裁に入ってくれたおかげで収まったのだが、強しの異常な教育方針に私は恐ろしさを感じていた。
それからも強しの教育は続き、希望は常に大きなプレッシャーにさらされることとなった。
希望が五歳になる頃には、強しは希望が食事中であっても容赦なく算数の問題を投げかけた。正解すればそのまま食事を続けられるが、間違えば食事を取り上げられてしまう。私が何度やりすぎだと注意しても、強しは「このくらいしないと身につかない」と聞く耳を持たなかった。
そればかりでなく強しは、希望が寝ている時でさえ叩き起こして問題を解かせる。間違えると正座をさせられて、二時間の説教が始まるのだ。希望がどれほど眠そうにしていても、寝ることを許されない。私が部屋に入っても「口を出すな」と怒鳴られ、希望が泣き出すと「甘えるな」とさらに怒声が響く。
私は希望が不憫でならなかった。しかし強しの行動を止める術が分からない。私にできることは、日中強しが仕事に出かけている間、希望のやりたいことを思いきりやらせてあげることだけだった。
希望は写真や動画が好きなようだ。SNSに投稿された動画を見て、そこに秘められた意味や意図を考察することが楽しいようで、強しがいない間は私にもよく説明してくれた。希望にはクリエイターの素質があるのかもしれない。そう思った私は、その才能を伸ばしてあげたくなったのだ。
それでも強しの機嫌を損ねるわけにもいかない。
「動画を見ていることは、パパには内緒にしようね」
「ママと僕の秘密だね」
希望は私との約束を守り、強しの前では一切その話をしなかった。それが根本的な解決にならないことは分かっていたのだが、少しでも希望が楽しく笑っていてくれることを願ったのだ。
そんなある日、十六時過ぎに強しが突然家に帰ってきた。いつもならまだ学校にいるはずの時間なのだが、この日は午後から入学希望の見学会があるとかで早く帰ってきたのだ。その頃希望はリビングにあるテレビで好きなアニメを見ていた。
「お帰りなさい。早かったのね」
「ああ。希望はちゃんと勉強しているか?」
「ええ、あなたの課題はちゃんとやっているわ」
強しは毎日希望に課題を与えていたのだが、やりたがらない希望に私は答えを教えて完成させていた。正解が書かれている課題プリントを見れば、強しも機嫌が良い。その日も同じように課題を済ませ、希望には自由に過ごさせていたのだが、リビングに入った途端、強しの顔色が変わった。
「なんでこんなテレビを見ているんだ?」
希望は途端に泣きそうになる。
「ちょっとした息抜きよ。子供なんだからアニメだって見るわ」
「こんなものを見ている暇があったら勉強しなさい」
強しはそう言うと、テレビを倒した。
「何をするの?」
「テレビがあるから、低レベルな番組を見たいと思うんだ」
「だからって壊すことはないでしょ」
「その考えが間違っているんだ。希望は立派な数学者になる使命があるんだ。くだらないことに時間を費やしている暇はない」
強しは有無を言わさずテレビを破壊した。その様子を見ながら、希望の顔は恐怖に歪んでいた。
「いくらなんでもやりすぎよ。希望には自由な時間も必要」
「そんなことを言ってたら希望の未来が台無しになる。これは希望のためにやってるんだ」
「使命って何? 希望の未来を考えるなら、希望がやりたいことをやらせてあげるべきでしょ」
「親がちゃんとレールを敷いてやることが大事なんだ。大体お前がそんな考えだから、希望が甘えるんだ」
私たちの言い争う声を聞きつけて、義母が慌てた様子でやってきた。
「強し、いい加減にしなさい。希望はまだ五歳の子供よ」
「母さんは黙っててくれ。これは教育なんだ」
「教育って? 二人がそうやって言い争うことのどこが教育なの? 希望が泣いているのが見えないの」
「母さんまでそんな低レベルなことを言わないでくれ」
強しは義母の言うことにも聞く耳を持たなかった。
その日の夜、夕食の席で義母は義父に強しへ意見するように求めた。しかし話を聞いた義父は「女の分際で教育に口を挟むな」と義母を叱ったのだ。元々義父は古い考えを持つ人だった。男の言うこと、やることに女が口出しするなということが常にあったのだ。
義父が容認したことで、強しはさらに教育の手を強めた。そのせいで希望は自由を奪われ、だんだん笑わなくなっていった。動画を見ることにも興味を示さなくなり、自分の気持ちを口にすることさえもなくなっていったのである。
強しがいない時間も笑顔を見せなくなった希望を見ていると、私は胸が締めつけられた。このままの状態が続けば、希望の心が壊れてしまうのではないか。私の中で警鐘が鳴り響いていた。母親として希望を守る方法はないものか。どうすれば強しが教育の手を緩めてくれるのか、毎日のように頭を悩ませた。
ある日、義母と二人で対策を考えていた時のこと。
「強しは昔からお父さんのことを尊敬していたの。同じ道を進むんだって数学にのめり込んでいったわ。だけど大学生の時、お前は凡人に過ぎないって教授に言われたらしくて。それで余計に希望に期待しているのかしら」
「多分ね。だけどこのままじゃ心配ね」
強しの過剰な教育は、自身の悔しさから来たものなのかもしれない。しかし、だからと言って希望に自分の夢を押し付けるべきではない。とにかく希望の心が壊れないようにケアしていくしかない。具体的な解決策が見い出せず、もどかしい気持ちを抱えながら、それでもできる限り強しとの時間を減らそうと義母と協力することにした。
数年後、希望が小学生に上がった頃から、強しの教育は一層激しくなっていった。算数のテストの点数が満点じゃないと、容赦なく罰を与える。食事を与えず、寝ることも許さない。ひどい時は希望を倉庫に閉じ込めて数時間反省させるのだ。その間も算数の問題を与え、全問正解するまで希望が解放されることはなかった。希望が泣き叫んでも一切手を緩めず、トイレでさえも制限された。
たまらず私は強しに意見した。
「あなたのやっていることは教育じゃない。虐待よ」
「お前に何が分かる? 俺のやることに文句を言うことは許さない」
「私は希望の母親よ。あの子の健康を守る義務があるわ」
「うるさい。女は男の言うことに従っていればいいんだ」
強しには何を言っても無駄だった。義父から受け継いだであろう男尊女卑の論を繰り広げ、私が意見することを拒んだのだ。
希望は次第に勉強そのものを嫌がるようになり、学校の教室にも入れなくなった。それでも学校を休むことは許されない。私は担任の先生と相談して保健室で過ごさせてもらうようにして、希望を学校まで連れて行った。
日常生活では数字を見ただけで吐き気を催すようになり、体に異変をきたすようになっていった。強しが用意する課題もできなくなり、希望は強しを避けるようになっていた。それでも強しは希望の甘えだと逃げることを許さない。無理やり机に向かわされ課題を突きつけられる。
その直後、その場で吐いてしまった希望を見て、強しは「甘えるな」と怒鳴りつけた。
「体が悲鳴を上げてるのよ。少しは希望のことも考えて」
「お前がそうやって甘やかすからこうなるんだ。そうやって甘えられるだけ、まだ余裕があるんだ。まだまだ勉強が足らん。明日から塾へ通え」
「嫌だ。塾になんて通いたくない」
この時ばかりは希望も強く抵抗を示した。しかし強しは希望の体調の異変さえも甘えだと決めつけ、嫌がる希望を無理やり学習塾に通わせたのである。
しかし塾で定期的に行われる算数のテストで、希望は毎回零点を取ってしまう。今思えば、希望のささやかな抵抗だったのかもしれない。
ある日、塾の講師から「この子はダメです」と直接言われたと、強しは大激怒した。
「希望は俺の子じゃない。お前、浮気したな」
「何を言ってるの? 希望は間違いなくあなたの子よ」
「嘘だ。俺の子なら、こんなに算数ができないはずがないんだ」
強しは一方的に私が浮気したと決めつけた。
「お前とは離婚だ。このどこから来たか分からんガキを連れて、今すぐ出ていけ」
「ちょっと待って。私は浮気なんてしていないわ」
「うるさい」
強しは私の腕を掴み、無理やり家から追い出そうとした。騒ぎを聞きつけた義母が慌てて止めに入ってくれたが、強しが聞き入れることはない。
「離婚なんて大げさよ。少し冷静になりなさい」
「母さんは黙っててくれ。浮気するような女は我が家には不要だ」
「強しの言う通りだ。一家の恥さらしはいらん」
義父も離婚を後押しし、私は泣く泣く義実家を出るしかなかった。
わずかな着替えだけ持って、希望と二人で歩きながら、私は虚しさに打ちひしがれた。希望の前でこらえようと思っていても、涙は止めどなく溢れてくる。
「お母さん、僕のせいでごめんなさい」
希望は目に涙を浮かべながら、私の手を強く握った。
「あなたは何も悪くないわ。悪いのはお父さんたちよ」
考えてみれば、希望にとってはあの家を出ることが良かったのかもしれない。幸いなことに、私の収入だけでも希望を育てていくことはできる。強しや義父のいない場所で、希望はやりたいことができる。希望の体の不調も良くなるかもしれない。そう思うと、強しとの離婚も受け入れられた。
私の想像通り、希望は次第に笑顔を取り戻していった。勉強を強制されることもない。父に怒鳴られることもなくなり、希望は自信を取り戻していったようだ。学校でも教室で授業が受けられるようになり、算数のテストでも常に九十五点以上を取るようになった。
それから十五年後、私は希望の母校である高校の特別講演会で元夫の強しと再会した。
「こんなところで何をしてるんだ? ああ、そうか。ここで雑用係をしているんだな」
強しはこの春から赴任してきたらしく、私のことを学校に雇われた用務員だと思っているようだ。
「私が何をしてようと、あなたには関係ないわ」
「ふん。雑用係が偉そうに。おい、これも捨てておけ」
強しは空き缶を投げつけてきた。
「苦労してるんだな。デザイナーの仕事だけじゃ食べていくのもやっとってか」
強しは嫌味な笑みを浮かべながら、私のことを嘲笑っている。
「息子の講演が終わるまで、ちょっと黙ってて」
「息子だ? 名前が一緒だからって見栄を張るのも大概にしろよ」
「今日の講演者は別人よ。どう思ってくれても結構」
私は強しを無視して、ステージに注目した。
「皆さん、今日は僕のために集まってくれてありがとうございます」
二十七歳になった希望が壇上に上がると、生徒や教職員、保護者たちから大きな拍手が湧き起こった。この時希望は、世界で活躍する映画監督として一躍時の人となっていたのである。元々数学以外に興味がなく、芸能ニュースに疎い強しは、講演会のパンフレットに書かれた名前を見ても、息子とは同名の別人だと思っていたようだ。
「今日この場に、僕の母親も来てくれています」
希望の声に合わせて、私にスポットライトが当てられた。
「今の僕があるのは、母さんのおかげです」
会場から大きな拍手が送られ、私も誇らしい気持ちで希望を見つめた。その様子を見ていた強しは、壇上に立つ希望が自分の息子だと気づいたようだ。
「俺の子を、よく立派に育ててくれた」
強しは急に手のひらを返し、私にすり寄ってきた。
「皆さん、彼は俺の子だ」
強しは得意げに鼻を鳴らした。しかし会場にいた全員が、強しに冷ややかな視線を送った。希望は雑誌のインタビューやテレビのトーク番組で、父親からの過剰なスパルタ教育や、私が浮気したと決めつけ離婚させられた過去を赤裸々に告白していたのだ。その場にいる全員が、強しが希望の実の父親だと知り、強しに対して厳しい目を向けた。
「いやあ、妻も息子も僕の宝ですよ」
周囲の視線に気づいていないのか、強しは声高に言い放つ。
「私に父親はおりません。ですよね」
希望が舞台の上からきっぱりと言った。
「残念ね。ちなみに私にも夫はいないわ」
「おお、そんな冷たいこと言うなよ」
取り繕おうように笑って見せる強しだが、周囲からひそひそ聞こえる声に耐えられなくなったのか、その場を去っていった。
その翌日、SNSでは私に空き缶を投げつける強しの姿が投稿された。どうやら生徒の一人がスマートフォンで撮影していたらしい。「希望監督の実の父親が暴挙に走る」と題されたその動画は瞬く間に拡散され、コメント欄は強しに対する非難の声で埋め尽くされた。その動画は教育長の目にも留まったようだ。数日後、強しは自宅謹慎処分を言い渡された。これまで自分の教育に自信満々だった強しの、初めての挫折だったのかもしれない。
それから間もなく、強しと義父が私の元を訪れた。
「あずみ、すまなかった。この通りだ。俺ともう一度やり直してくれ」
「強しも反省している。どうか許してやってほしい」
二人は私の前で土下座をして、復縁を懇願してきたのだ。
しかし、一方的に私と希望を追い出しておきながら、希望の成功を知った途端に手のひらを返すなど、許せるはずがない。
「やめてください。私は復縁する気はありません」
「そんなこと言わずに。俺も反省してるんだ」
「勝手なことを言わないで。あの時、希望がどれだけ傷ついたと思っているの?」
「あの時はどうかしてたんだ。あずみと一緒になりたいばかりに、俺は……」
強しは十五年前に塾講師をしていた女性と不倫関係にあったことを、自ら告白した。呆れた。
「あなたが希望に厳しくしていたのは、愛人の機嫌を取るためだったの?」
「そうじゃない。希望に期待していたんだ」
しかし希望が小学生に上がった頃から、強しはその女性と不倫をしていた。私が家を出ていった後、女性にも子供が生まれたそうだ。だが女性の娘は勉強を嫌がり、毎日絵ばかり書いていたようだ。その女性も娘を可愛がり、それでも勉強を強いる強しを見限ったらしい。
「やっぱりお前が最高だよ。あいつらは無能だから棄ててやったんだ」
「捨てられたんじゃないの?」
「何を言ってるんだ? そんなわけないだろう。あの女の娘は、俺のことを一度もパパと呼ばなかった。きっと、あの女が他の男と作った子なんだ」
強しは娘に「パパ」と呼ばれないからと、女性が浮気していたと決めつけているようだ。
「あんたのことを『パパ』と呼ばなかった、その子の気持ちがよく分かるよ」
希望はそう言った。そう、希望にはその子供の気持ちが痛いほど分かるのだ。自分も同じ思いをしてきたのだから。
「とにかく、復縁するつもりはありません。分かったら帰ってちょうだい」
私は二人に帰るように促した。しかし二人はそこに座り込んだ。
「息子は反省している。私が保証する。だから戻ってきてくれないか」
「お断りします。どうせ家事をする人がいなくて困っているだけでしょ」
実は数年前、義母は義父に愛想を尽かして出ていっていたのだ。それまで家事の一切を義母任せにしていた二人は、料理はおろか掃除も洗濯もできない。義母がいなくなった家は、ゴミ屋敷と化していた。強しと二人の寂しい生活を強いられ、見渡せば部屋中ゴミだらけ。そんな日々に嫌気が差していた義父にしてみれば、何としてでも私を説得したかったのだろう。
しかしそんなことは私には関係のないことだ。自分たちが招いた結果なのである。
「近々、希望と海外に移住することになってるの。だから何をどう言われても、復縁はありえません。これ以上居座るのなら、警察を呼びますよ」
私が毅然と言い放つと、二人は顔を見合わせ、肩を落として去っていった。
しばらくして、強しは多くの教え子たちから告発された。強しは我が子のみならず、教え子たちにも暴力的指導をしていたようだ。事件が明るみに出た直後は教育委員会もそのような事実はないと否定していたのだが、それを受けた生徒たちは次々にSNSへ動画を投稿し始めた。強しが教室で問題が解けなかった生徒を叱責する様子や、個別指導と称したスパルタ指導をする様子が次々に上げられ、その一つ一つに「最低な教師、即刻解雇しろ」とコメントが殺到する。
動画の中で強しは常に持参した物差しを振り上げ、恐怖で生徒を従わせている。その様子は誰が見ても異常だった。
その後、問題は教育委員会のみならず裁判へと発展した。強しの指導のせいでパニック障害を患ったとして、被害者たちが提訴し始めたのだ。そのニュースはテレビでも大きく取り上げられ、問題の収拾を図りたい教育委員会は強しに懲戒解雇を言い渡した。強しは動画は捏造だと反論したが、取り繕った言い訳が通るはずもなく、裁判は強しの全面敗訴で幕を閉じたのである。その後、教育委員会自体の隠蔽体質が問題になり、当時の教育長までもが辞任する事態へと発展した。
強しには多額の損害賠償の支払いが命じられたのだが、強しの資産を全て売っても支払い金額には及ばなかった。義父は泣く泣く義実家を処分し、支払いに応じたのだが、家をなくした二人は小さなアパートに移り住み、質素な生活をすることになった。かたや義父も大学での傲慢な態度が問題視され、教授職を失ったそうだ。
仕事をなくした強しは再就職を試みた。しかし六十歳を目前にして数学以外の知識もなく、一般企業での仕事の経験もない強しを雇ってくれる会社など見つかるはずがない。ようやく採用されたのは介護の仕事だったのだが、強しは利用者に傲慢な態度を取り続け、入社して三日で首になってしまったようだ。いよいよ追い込まれた強しは、コンビニやガソリンスタンドで年下のバイトリーダーに怒鳴られながら生活費を稼いでいたらしい。しかしそんな日々に強しが耐えられるわけがない。案の定、他のアルバイトとトラブルを起こし首になった。その後は日雇いのアルバイトでなんとか食いつないでいるのだとか。身勝手な言動が原因だというのに、強しは態度を改められないようだ。義父もまた周囲の人間を見下す性格が災いして、近所付き合いがなく、孤独な老後を送っているらしい。
その後、私と希望はニューヨークへと移住した。希望の次の作品の撮影が、ニューヨークを舞台にした作品になる予定なのだ。希望は映画監督として数々の賞を受賞している。我が子ながら誇らしく思う。
十五年前、希望は絶望の縁に立たされていた。強しの異常な教育に心を病み、回復は困難かと思われたのだが、私と二人で暮らす中で希望は動画の作成に興味を示した。私は希望がやりたいことを全力で応援するため、映像クリエイターの道を進ませたのだ。するとみるみる笑顔を取り戻していき、才能を開花させていった。高校に上がる頃には希望の作品に注目が集まるようになり、次第に映画監督に興味を持つようになったのである。デビュー作は大学二年生の時で、新人賞を獲得した。それから希望は階段を登るように、才能を大きく開花させていった。
私たち親子にとって決して平坦な道のりではなかったが、それでも希望と二人で歩んできた道が私にとっても誇りなのだ。希望の作品は多くの人に勇気を与えている。私もその一人だ。
私は雑貨デザイナーとして活動する傍ら、アパレルデザインにも挑戦し始めた。希望の後押しもあり、徐々にファンが増え、今ではブランドを立ち上げるほどになった。
これからも希望と二人で、自由な未来に向かって歩いていこう。私たちらしく、世界の人々に喜んでもらえる作品に全力を注いでいくのである。



