「おい、今日は法事だって言ったよな。体調を崩したくらいでサボるな。」
病院のベッドで横になっている私に、夫が浴びせたのはそんな怒鳴り声だった。私は急遽入院することになり、義両親や義母に呼び出されて無理を重ねた末に倒れてしまったのだ。
私を見舞いに来ていた両親、そしてその場に居合わせた医師も、その言葉を聞いた瞬間、夫に対して怒りの表情を浮かべた。父は肩を震わせ、彼がここにいたらすぐにでも掴みかかりそうな勢いだ。
それに気づくはずもない夫に、私は「かなり重症みたいだから数日は入院が必要だって医師に言われているの」と答えた。
すると夫は、さらに言葉を続ける。
「何バカなことを言ってるんだ。ふざけていないで早く帰ってこい。」
いつもと変わらない冷たい返事。当然、一切心配する様子はない。この日は夫の実家で法事が行われる予定だったが、こんな状態では行けるはずもない。
しかし、夫の言葉に胸の中で怒りが爆発した私は、「わかったわ」とだけ告げて電話を切った。
何も反論するのが面倒だったからではない。私にはある考えがあったのだ。夫の言うがまま、両親や医師に協力してもらって、今の状態のまま法事に乗り込むことにした。
私の名前は千夏、35歳。飲食店で正社員として働きながら、家事や子育てに追われる兼業主婦だ。朝のうちに掃除や洗濯を終えて出勤。基本的に18時まで勤務し、保育園に預けている娘を迎えに行く。そして買い物をしてから帰宅し、夕食を作るという毎日を繰り返していた。食後は子供を風呂に入れ、寝かし付けまで行う。
娘はまだ幼いながらも、小さな手で一生懸命、洗濯物を畳んだり、箸やスプーンを食卓に並べたりと、実によく手伝ってくれる。その姿がとても可愛らしく、私はいつも癒されていた。
それに引き換え、38歳という立派な大人であるはずの夫は、全くと言っていいほど家事をしてくれない。彼は親戚が経営する中小企業の経理部で働いている。私と同じく定時は18時で、帰宅時間もほぼ同じだ。
結婚したばかりの頃は、家事をうまく分担できていた。私が料理をすれば、夫が皿洗いをしてくれたり、私が掃除をしているうちに洗濯機を回してくれたりしていた。しかし、しばらくすると全てを私に押し付けるようになったのだ。
「どうして最近家事をしてくれなくなったの?私も仕事があるし、全部1人でやるのはちょっと大変なんだけど。」
そう伝えてみたこともあったが、彼は聞く耳を持たなかった。
その上、冷たい目で私を睨みながら暴言を吐くようになった。
「は?何を言ってるんだよ。家事育児は女の仕事だろう。それができないっていうのは甘えだから。大黒柱である俺の言うことは絶対なんだから、逆らうなよ。」
そう。彼は典型的な亭主関白だった。家の中では居散らかすだけで、何も協力してくれない。最初の頃に家事をしてくれていたのは、いい夫を演じることで私が逃げないようにするためのポーズだったのだろう。
何度か家事をするよう頼んだこともあったが、一度も頷いてもらえたことはない。私はもう彼に言い返すことをしなくなっていた。諦めたというより、気力がなくなっていったのだ。仕事だけでなく家事育児に奔走し、家でもあまり休むことができない。寝ても寝ても疲れが取れず、常に体が重く、頭もぼんやりとしていた。
夫だけではなく、彼の母親にも私は悩まされていた。私たちが住んでいるのは地方都市で、夫の実家は車で30分ほどの距離にある。そこまで近所というわけでもないが、すぐに駆けつけられないほどの遠距離でもない。それを利用し、義母は結婚当初から休日になるたびに私を呼び出しては、雑用を押し付けてくるのである。
私だって家でゆっくりする時間が欲しい。平日は娘を保育園に預けているので、その分休日に公園に行ったり、ショッピングモールに行ったりと一緒に遊びたかった。
家事をしなくなった夫の時と同じように、義母にも言い返したことがある。
「すみません。さすがに毎週そちらへ伺うのは難しいです。家政婦を雇うというのはどうでしょうか?」
「何言ってんのよ。そんなお金出すのもったいないでしょう。」
ものすごい剣幕で怒鳴られてしまい、それ以上私は何も言えなかった。そして胸の内には、どんどん吐き出せないストレスが溜まっていく。
義母は私のことを、ただ働きさせられるお手伝いさんくらいにしか思っていない。その考えが伝わってきて、悔しいような虚しいような気持ちになった。
私ではなく実の息子である夫に手伝いをさせるのはどうかと提案したこともあったが、「そんなことできるわけないでしょう。あの子は毎日お仕事を頑張ってるんだから」といった返事しか来なかった。毎日働いているのは私だって同じなのに。義母も夫と同じで、家事育児は女性の仕事という考えを持っているのだろう。
反抗する気力がなくなった私は、ほぼ毎週、夫の実家の掃除や庭の草むしりを休みなくさせられた。実家の周辺には田んぼが多く、その影響なのか庭に数々の虫が生息しており、草むしりのたびに地獄を味わっていた。家の中にいても気が抜けず、蜘蛛の巣が張っている場所を見つけては、虫が出てくる恐怖に怯えながら掃除を行っていた。
色々な意味ですっかり疲れ果て、どんどん気力が削がれていった私は、笑顔を浮かべることもあまりできなくなってしまった。
「お母さん、大丈夫?」
幼い娘にまで心配させてしまう始末だ。彼女と接する時はどうにか笑顔を浮かべるようにしているが、唇の端が引きつっていることがバレているかもしれない。
どうせ意味はないだろうと思いつつも、夫に義母のことを相談してみたのだが、「夫の実家に尽くすのは嫁の務めだろ。俺やお袋の言うことに黙って従っていたらいいんだよ」という理不尽な言葉しかもらえない。まともに取り合ってもらえず、私は義母に呼び出されたら手伝いに行くという地獄のループを繰り返していた。
ある夏の日、いつものように呼び出された私は、夫の実家に向かっていた。外ではミーンミーンと蝉が鳴き、スマートフォンの天気予報アプリにはとんでもない気温が表示されている。熱中症に気をつけ、こまめな水分補給を心がけましょう。朝のニュース番組でそう言っていたこともあり、私は道中コンビニでスポーツドリンクのペットボトルを購入した。
「よく来てくれたわね、千夏さん。」
全く思っていなさそうな表情で義母に出迎えられる。室内にはエアコンによる冷気が漂っており、外の暑さで溶けかけていた顔が少しだけシャキッとしたような気がした。
こんな日に外の草むしりは嫌だな。そう考えていると、先に部屋へ向かっていた義母が私の方へ振り返り、今日の任務を告げてきた。
「法事があって親戚がたくさん集まるから、倉庫代わりにしている部屋を掃除してちょうだい。今日中にお願いね。」
「1日ですか?」
倉庫代わりということは、荷物がたくさん置いてあるのだろう。それを自分一人で片付けられるだろうかと不安になって、背中に冷や汗をかく。
「時間がないから、休まずに手を動かしなさいよ。」
放り込まれた部屋は誇りっぽくて薄暗く、もう着ていない服や靴などの箱が高く積まれていたり、幼い頃に夫が使っていたであろう勉強机が隅に置かれていた。荷物の移動、掃除機や雑巾掛け、電球の交換などもしなければならなさそうだ。
私は窓を開けて換気をしながら掃除に取りかかった。休まずにと言われたが、喉は乾くので買ってきたスポーツドリンクを飲みながら作業を続ける。この部屋にはエアコンがなく、夫の実家に到着した時にはまだ冷たかった飲み物が、2時間も経つとすっかりぬるくなってしまった。
さすがに昼食を取ることくらいは許されるだろうと、12時を過ぎた頃にキッチンへと出たのだが、
「何してるの?休憩するなって言ったでしょ。早く掃除を再開させなさい。」
部屋へ押し戻されてしまい、小さくなる自分のお腹を撫でながら作業し続けるしかなかった。
そのうち、体に異変が出始める。何だか目の前の景色が揺らめいてぼんやりとしていて、自分の足元がおぼつかなくなってきたのだ。鼓動も嫌な風にバクバクと早くなってくる。一度床に座り込んでも、スポーツドリンクをゴクゴクと飲んでも治らなかった。
これはまずいかもしれない。直感でそう思った私は、夕方になると義母の目を盗んで近くの総合病院まで駆け込むことにした。普通に歩くだけで目の前が真っ白になることが何度もあり、途中で休憩を挟みながらどうにかたどり着く。
診断によると軽い熱中症とのことだった。しかし、過労により体が弱っていることもあり、そのまま入院することになってしまった。
「ごめんなさい。入院することになってしまいました。」
電話ができないので、メッセージで夫に伝えるのだが、彼からの返信には私を気遣う内容は一切含まれていない。
「何バカなことを言ってるんだ。ふざけていないで早く帰ってこい。」
自分の妻が入院しているのに、どうしてこんなに心ないことが言えてしまうのだろう。呆れ返ってしまい、心の中がスッと冷えていくのを感じた。
私は彼からのメッセージを閉じると、今度は両親に連絡して病院に来てもらうことにした。そして、あることをお願いしたのである。
私は夫からの連絡を絶つためにスマートフォンの電源を落とし、ベッドの横の棚に置いて目を閉じたのだった。
翌日、目を覚ますと前日よりだいぶ気持ち悪さがなくなってきている。視界もはっきりとしており、ベッドカーテンの色が何だか鮮やかに見えた。ベッドのそばに腰掛けていた両親が、私の顔を心配そうに覗き込む。そんな2人に向かって大丈夫だという意味を込めて、笑顔を作った。
毎朝きちんと目覚ましをかけていたので、この日鳴らなかったことにやや違和感を覚えたが、そういえば自分で電源を落としてから眠ったんだったと思い出す。電源を入れて数秒待つとホーム画面が表示されるのだが、そこには大量の通知が残されていた。メッセージ、不在着信ともに10数件はある。そのどれもが夫からだ。最後に着信があったのは、私が起きる10分ほど前のこと。そろそろまたかかってくるのではないかと考えていた。
ちょうどその時、スマートフォンが震え出した。
「もしもし。」
スピーカーモードにして電話に出る。ベッドテーブルにスマートフォンを置くと、両親は身を乗り出して画面に表示された夫の名前を見つめた。内容は大方予想ができている。私は彼の言葉を待った。
「おい、今日は法事だって言ったよな。体調を崩したくらいでサボるな。」
ビリビリとした怒鳴り声が部屋に響く。それを聞いた両親や、その場に居合わせた医師も夫に対して怒りをあらわにした。父は肩を震わせており、彼がここにいたらすぐに掴みかかってしまいそうである。当然私自身も胸の内に激しい怒りを秘めていた。体調を崩していると言っているのに、よくもまあ「サボる」などという言葉が使えたものだ。
私も大声を出して反論したくなったが、どうにかそれを抑えて「わかったわ」とだけ返事をした。前までのように諦めがあったから従ったわけではない。とある計画を思いついたのである。
私は医師に協力してもらい、外出用の点滴や酸素ボンベなどをつけた状態で車椅子に乗り、父にそれを押してもらって夫の実家へと乗り込んだ。今までの人生で体にこんなにもたくさんの管をつけたことがないため、何だか不思議な気持ちになる。
「え、千夏さん、一体どうしたの?」
玄関に到着した私を見た親戚の一人が素頓狂な声をあげると、それを聞きつけた他の人々も「何だ何だ」と顔を出す。皆一様に目を丸くし、言葉が出ないかのように口を開けていた。
「こんな姿ですみません。」
「いや、すみませんっていうか、来ない方が良かったんじゃないか。安静にしていなくて大丈夫なのか?」
心配の言葉に、私はある意味救われてしまう。夫と義母とは違い、親戚たちは普通の感覚を持っていることを知ることができたからだ。
「夫から体調不良くらいでサボるなと言われてしまいまして。彼もお母さんも、夫に尽くすのが嫁の務めと常日頃から言っていたので、夫が言うのでしたら無理をしてでもいかないと。」
私の言葉に、近くにいた義父がジロリと夫を睨む。その射抜くような視線に気圧された彼は、見るからに慌てふためき、どうにか目をそらそうとしていた。
「祐二、どういうことだ?ちゃんと説明しろ。」
「いや、その、えっと。」
何やら言い訳でも探しているのだろう。彼は言葉に詰まってしまっている。彼がなかなか話し出さないので、代わりに私が説明することにした。義母に言われてずっと掃除をしていたこと。休憩も許されずに働き、体調を崩してしまい病院に駆け込んだこと。そして入院していたが今朝電話がかかってきて、法事に出席しろと怒鳴られたこと。
洗いざらい全てを話すと、見る見るうちに夫がしゅんとなっていき、周りにいる親戚たちや義父と目を合わせないようにしていた。義母も同じようにしている。そんな2人を、親戚たちは信じられないという視線で見つめた。
「何をバカなことをしているんだ、この非常識者ども。」
義父に叱りつけられ、夫と義母はビクッと体を震わせた。助けを求めるかのように親戚を見ているが、誰も2人を庇うことはない。
私は背後にいる父に視線を送る。すると彼は口を開き、夫の怒鳴り声に負けないほどよく通る声で言った。
「こんなところに大切な娘を置いておけません。私たちはこの辺りで失礼します。」
そう告げ、車椅子を押してその場から退散したのだった。
1週間後、ようやく体調が安定してきた。もう退院して大丈夫だろうという医師の判断を受け、両親と共に実家へと帰宅する。しばらくは仕事も休むつもりだ。
私が入院している間、両親が娘のことを見てくれており、私が実家に到着すると彼女が嬉しそうに目を輝かせながら出迎えてくれた。
「お母さん、もう大丈夫なの?」
「大丈夫よ。心配かけちゃってごめんね。」
両手を広げて駆け寄ってきた娘をぎゅっと抱きしめた。彼女には寂しい思いをさせてしまっただろう。
「お母さんが退院したら見せたいって、ずっと絵を描いていたのよね。」
「うん。待っててね。今取ってくるから。」
そう言って元気に廊下を駆けていく娘の姿にホッコリとなったが、直後、夫の顔が思い浮かぶ。そういえば彼の口から、娘を心配するような言葉が出てきたことは一度もない。入院している間、娘はどうするんだなどという連絡が来ないあたり、本当に育児をする気がなかったんだなということを思い知った。
そんなことを考えながら家の中で過ごしていると、突然インターホンが鳴る。モニターに映っているのは夫と義母だ。恨めしそうにカメラ部分を見つめており、荒い画質も相まって凄みのある表情をしていた。
両親と顔を見合わせていると、再びインターホンが鳴った。私たちが出るまで家の外で待ち続けるつもりなのだろうか。迷惑だなと思いつつ、仕方がないので玄関の扉を開けた。もちろん家の中に入れるつもりはなく、あくまでも玄関先で話し合うだけだ。何かあった時のために父に隣にいてもらい、母には娘と一緒にいてもらっている。
「何の用ですか?」
低い声で父が2人に問う。義母は彼には視線を向けずに、私のことだけをまっすぐ見つめて口を開いた。
「あんたのせいで、お父さんに離婚を突きつけられたのよ。どう責任を取ってくれるの?」
どうと言われても、私に一体何の責任があるのだろうか。目を細めて睨んでくる義母に対し、私は驚きで目を見開いた。
「お前のせいで、あれから俺たちは親戚中から避難されてるんだぞ。申し訳ないと思うんだったら、親戚の前で俺たちに謝罪しろ。」
やはりあの親戚の中で変わった考えを持っているのは、夫と義母だけであるということがよくわかった。常識を持ち合わせている人々に囲まれて、どうしてこんなにも人の気持ちを考えることのできない人間になってしまったのか、不思議で仕方がない。
前日、親戚の前で義父に叱られていたのとは打って変わって強気な様子だ。怒鳴り声を出したら私が言うことを聞くと思っているのかもしれないが、それは間違いだ。もう私は夫と義母の言いなりにはならない。
「嫌です。私は間違ったことをしていないので。」
彼らは「申し訳ないと思うんだったら」と言っていた。でも、そんな気持ちが欠片もないのだったら、謝罪などしなくてもいいはずである。
私の返答を聞き、目の前の2人は額に青筋を立てた。まさか拒否されるとは思ってもいなかったのだろう。悔しそうに下唇を噛んだ。
2人が黙っていると、今度は私の隣にいた父が口を開いた。
「それではこちらは、娘が体調を崩して働けなくなったことについての損害賠償を請求します。」
「はあ?そんなの私たちの責任じゃないし。」
義母たちが自分勝手な主張を続けていた間、父はずっと黙ってことの天末を見守ってくれていたが、あまりにも理不尽すぎて我慢ならなくなったようだ。苛立ちを抑えたような低い声を出すと、2人はようやく彼へと視線を向ける。
「暑い中、エアコンのない部屋に押し込めて掃除をさせたのはあなたですよね。しかも休憩も取らせなかったのでしょ。」
「そ、それは…」
「いや、千夏が体調を崩したのは俺には何も関係ないだろう。母さんが掃除をさせたってだけで、俺は別に…」
何を言っているのだろう。私が入院することになったのは、過労のせいでもある。仕事と家事育児を両立していたことで疲労が溜まっていったのだ。「家事育児は女性がやること」と言って一切やらず、私に押し付けていたのはどこの誰だったか。未だに自分の非を認めない2人に、私はすっかり呆れてしまっていた。
「私が倒れたのは、あなたが家事育児を全くしてくれなかったからでもあります。そんな人とはこの先一緒に暮らしていけないので、離婚してください。」
私はすでに記入を終えた離婚届を突きつけた。それに加え、慰謝料や養育費もきちんと請求するつもりだと告げる。
「待ってくれ。本気か?俺は離婚するつもりなんて…」
「ごねるな。お前は千夏さんの決めたことに従わなければならないんだからな。」
夫が勢いよく首を横に振ったところで、義父の厳しい声が飛んできた。義母たちが押しかけてきた時点で彼に連絡していて、ここまで来てくれたのだ。
「もちろん俺も、お前たちと縁を切るつもりだ。」
そう言いながら離婚届を取り出すと、義母の顔が真っ青になった。
「ねえ、お父さん、本当に離婚するつもり?」
「俺のこの気持ちは覆ることはない。早く書いてくれ。」
義母は背中を震わせた。それほどまでに義父は恐ろしい目をしていたのだ。逆らっても無駄だということが嫌というほど分かったのだろう。義母は渋々その場で離婚届にペンを走らせた。
「父さん、待ってくれ。俺、心を入れ替えるから。だから縁を切るなんてやめてくれよ。」
夫が縋るが、義父は表情を崩すことなく彼を突き放した。
「貴様のような行いが簡単にできてしまうような人間を、息子だとは思いたくない。だからもう俺のことを父さんと呼ばないでくれ。」
義父は義母と夫を見た後、今度は私の方に顔を向けた。その目はもう冷たいものではなく、罪悪感に満ちたものとなっている。
「千夏さん、本当に申し訳なかった。今後、あなたには一切関わらせないようにします。」
そう言ってペコリと深く頭を下げた後、彼は義母と夫を引きずって去っていったのだった。
その後、夫は会社を辞めてしまった。親戚の会社で働いていたため、法事での出来事が瞬く間に会社中に知れ渡ったのである。社員から白い目で見られるようになり、居心地が悪くなって退職したということだ。また、その際、経理だったのをいいことに会社の金を使い込んでいたことも発覚した。夫はバレる前に辞めてしまえばいいという考えだったようだが、見事に露見して会社から損害賠償を請求されることになった。
私に払うための慰謝料や養育費もあり、彼は借金まみれとなる。元々私と一緒に住んでいた家にも住めなくなり、実家も頼れなくなった彼と義母は、安いアパートを借りて一緒に暮らし始めた。しかし、なかなか仕事も見つからず収入を終得することが厳しくなったため、そこの家賃も払えなくなってしまう。すると、いつの間にかどこかへと消えていたそうだ。
2人が今どこで何をしているのか、誰も知らない。そもそも知りたいとも思わないが。
私は自分のことを、そして娘や両親など大切な人のことを考えながら過ごしているので、もう夫のことはどうでも良くなっていた。シングルマザーとなった私は両親に助けてもらいながら仕事に復帰し、娘と幸せに生活していくために、バリバリ仕事をこなすのだった。


