背後から突然、怒鳴り声が飛んできた。息が止まるほど驚いて、振り返る前に彼女が立ち上がって叫んだ。
「お父さん、何してるの!? 」
見覚えのある顔が、俺を睨みつけていた。副社長、彼女の父親だった。
「お前が野島か」
「あ、はい。野島、野島俊平です」
「ふん。こんな所で娘と何をしている」
彼女が「やめて」と止めに入るが、副社長は耳を貸さない。調査会社を使って調べ上げたという俺の経歴を、次々にあげつらってきた。
「北陸の田舎の農家の出だな。親も弟も高卒ときた。お前だけ大学を出たらしいが、そんなバカの集まる大学を出て、よく恥ずかしくないもんだ」
周囲の視線が痛い。レストランの店員が注意に来ても、副社長は追い払う。
「そんなことだから、貧しさが身に染み込んでるんだろうな。見れば分かる。品がない」
「お父さん、言っていいことと悪いことがあるでしょ! 」
「うるさい。ゆう、帰るぞ。こんな貧乏人といると不幸になる」
彼女の腕を掴み、無理やり連れ去ろうとする副社長。俺は慌てて彼女の空いた手を掴んだ。
「やめて、お父さん! 」
だが、副社長は俺の腕を振り払い、彼女を連れて行ってしまった。その場に立ち尽くすしかなかった。
翌日、呆然としながら出社した。彼女に何度も連絡を試みたが、返事は一切なかった。会社にも彼女の姿はない。
「野島、ちょっと」
松永課長に呼ばれ、人気のない廊下に出る。課長は言いにくそうに口を開いた。
「言いにくいんだが、お前に左遷と言うか、異動の辞令が出たんだ」
「え、異動ですか?

」
「ああ。しかも明日からだ。緊急の辞令だよ。お前、何か心当たりはないのか? 」
俺は昨夜の出来事を課長に打ち明けた。副社長に彼女との交際がバレて、怒鳴り込まれて、引き離されたことを。
「ふむ。なるほどな」
課長はしばらく考え込んだ後、俺の肩を叩いた。
「よし、分かった。俺がどうにかする。いいか、騒ぎは起こすな。俺を信じて、少しだけ待っててくれ」
「はい」
課長の言葉を励みに、俺は翌日から地方の物流倉庫への勤務を始めた。彼女との連絡は途絶えたまま、会社の雰囲気も心なしか冷たかった。そんな日々が一ヶ月続いた頃、俺の前に彼女が現れた。
「神平」
「ゆう……どうしたんだ? 」
「平気だから。誰もいない。あともう、全部大丈夫なの」
彼女に手を引かれ、近くのレストランの個室に入った。一ヶ月ぶりに会う彼女は、顔色も良く、元気そうだった。
「神平、あなたの左遷、取り消しになるよ」
「え? 」
彼女は、この数週間に本社で密かに進んでいた変化を語り出した。二週間前、緊急の株主総会が開かれたという。議題は、副社長の不倫や私生活でのトラブル。彼女の母親が、副社長の不倫相手からの嫌がらせに心を痛め、調査会社に依頼して証拠を集めていたのだ。
「松永課長が、なんでそこに?
」
「あれ、知らなかった? 松永課長のおじさん、うちの会社の筆頭株主なのよ」
「はあ」
俺の間抜けな声に、彼女は笑った。課長は俺を左遷先に送り出した後、自らの叔父を通じて彼女に連絡を取り、俺の話と彼女の話をすり合わせ、副社長をどうにかする手を探っていたらしい。彼女と母親は課長と手を組み、課長は彼女から受け取った調査報告を叔父に流した。そこから株主総会まで、事態は一気に加速したのだ。
「総会で、父は役職を解かれたの。それで、自主退職を求められたわ」
「そうか……」
「冷たいかもしれないけど、母と私を苦しめた人が制裁された。それだけしか感じてないの」
彼女の目は強く、久しぶりに見るその表情に、俺はほっとした。
翌日、俺は本社に呼び戻され、元の部署に復帰した。当然、そこには彼女もいた。そして、副社長の自主退職が社内に通達された。
「課長、今回の件は感謝しています」
「よせよ。俺は自分が使えるコネをちょっと使っただけだから」
課長は笑顔で手を振った。日常が戻り、彼女の両親は離婚した。原因は言うまでもなく、元副社長の女性関係。彼女の母親は慰謝料を請求し、退職した元副社長は行く当てもなく、生活も苦しいらしいと彼女から聞いた。
俺と彼女は、結婚の道筋を仕切り直している。これまでの道のりは平坦ではなかったが、これから先は何があっても、俺は彼女の手を離さず、そばで笑顔を守っていくと決めている。俺と彼女は、最高で最強の相手なのだから。


