「発注書、間違ってるぞ。これはどういうことだ」
課長に呼び出されて、そう言われた時、俺はすぐに察した。リカに任せた発注書のことだ。昨日、俺は確かにリカに発注書の作成を頼んで、営業の外回りに出た。戻ってきたら確認すると言ってあったのに、リカは昼に出て行ったきり帰ってこなかった。課長が代わりに提出しておくと言ったから、安心していたのだ。
「あれ、リカに頼んだものです。俺が戻ってきたら確認するつもりだったんですが、課長が預かって提出したはずです」
「新人のミスは教育係のお前の責任だろうが」
課長は声を荒げたが、隣で聞いていた部長が「本当か」と俺に事実確認をしてきた。俺はありのままを話した。リカを呼んで状況を説明させると、リカは突然怒り出した。
「私が悪いってことですか?信じられない。私に仕事を押し付けてどっか行ったんだから、あんたの責任じゃないの?」
課長もそれに乗っかった。
「君ね、もう少し責任持って指導しないとダメだよ」
腹が立ったが、ここで荒立てても何もならない。俺は黙っていた。部長が「個別に話を聞く」と言った時、リカは俺にだけ聞こえる声で言った。
「最低。パパに言いつけるんだから」
翌日、出社するなり課長が呼びに来た。
「専務が呼んでるから、早く行け」
専務、つまりリカの父親だ。内心ビクビクしながら専務室に行くと、そこにはリカがいた。リカは俺を見てニヤニヤしている。
「君がリカの教育係か」
専務はいきなり怒鳴りつけた。
「自分のミスをリカになすりつけたらしいな。身のほど知らずが。誰の娘か分かってるのか?」
俺は弁解しようとしたが、口を挟む隙がない。
「お前なんてこの会社に必要ない。即、首だ」
リカは専務の後ろで笑っている。
「お言葉ですが、俺は」
「うるさい。お前は首だ。言い訳なんて見苦しいぞ。今すぐ荷物を整理して帰れ」
俺は湧き上がる怒りを何とか抑えた。今口を開いたら感情だけが出てしまう。俺は「わかりました」と言って、その場を後にした。
課長には「えへへ、お前首なの?」と笑われた。俺は課長を睨みつけて、荷物を整理する。部長に止められたが、「俺はこの会社に必要ないみたいなんで、必要とされるところに行きますよ」と言って、俺は会社を出た。
一人暮らしの家に帰って、焼け酒を飲んでみても気分は落ち着かない。テレビで旅番組が流れていた。そういえば、じいちゃんは相変わらず海外か。しばらく会っていない祖父のことを思い浮かべながら、俺はその日は布団に入った。
翌朝、計画していた旅行に出かけることにした。働き詰めだったから、数日間の一人旅で非日常を味わうと、苛立っていた気持ちもリセットされた気がした。
その時、スマホが鳴った。見ると、リカからだった。この前は電話すらしてこなかったのに、何の用だ。仕方なく出ると、慌てた様子のリカの声が響いた。
「かやさん、って会長の孫なの?」
俺は一瞬間が抜けた。リカは会社からかけているようで、さっき起こった出来事を一方的に話し始めた。
今日は会長が海外出張から帰ってくる日だったらしい。専務はそれを知っていて、自分の娘のリカを紹介しようとしていたそうだ。ところが、会長が営業部に現れて、リカに「よろしく」と一言言うと、「私の孫はどこ行った?」と聞いたという。
「かずやだよ。しばらく会ってないから、たまには顔を見ようと思ってな」
そこで俺のことだと気づいた専務は、顔面蒼白になったらしい。
そう、俺のじいちゃんは会長だ。でも、周りにコネ入社と思われたくなかったし、正当に評価して欲しかったから、今まで誰にも話したことはなかった。前に世話になった先輩だけには話したけど、「自分の実力を試したいなら黙っていた方がいいかもしれない」と言われたのもあって、ずっと黙っていた。苗字は同じだけど、よくある名前だから気づかれることもなかった。
「だから、今すぐ戻ってきてください」
リカは震える声で訴えてくる。
「首って言ったのは君の父親だよ。俺の言い分も聞いてくれなかったし、専務の命令に背くなんてできなかったでしょ」
「でも、このままじゃパパが首になっちゃう。早く会社に来てください」
リカの声が大きくなって、俺は思わずスマホを耳から話した。
「無理。俺は首になったから。それに、じいちゃんはそんなことで一方的に首にしたりしないよ。俺を首にした正当な理由を会長に話すように、専務に伝えてください。まあ、そんな理由があればですけど」
俺はそう事務的に言って、電話を切った。その後もリカから着信があったので、面倒になって着信拒否をした。
その夜、じいちゃんから電話があった。俺は全てを話した。俺が首になったことにじいちゃんは驚いていたが、その後で笑って言った。
「じゃあかずやは今、無職か」
俺はせっかくじいちゃんの役に立てると頑張っていたのに、自分が情けなくなった。でもじいちゃんは「近々グループ会社を立ち上げる予定があって、かずやにはそちらに行って欲しい」と言ってくる。
「小さい会社だけど、かずやに任せたかったんだ」
じいちゃんがわざわざ営業部に顔を出したのは、この話をするためだったらしい。
それから数日後、俺は会長に呼ばれて会社に向かった。すると、リカが俺の姿を見つけて駆け寄ってくる。なぜかそこには専務もいた。
「かずやさん、戻ってきたんですね。じゃあこれでパパも…」
俺はそれを遮った。
「戻ってきたわけじゃない。俺は専務に首にされたからな。今日は会長に呼ばれてきただけだ」
俺が淡々と言いながら専務を睨むと、専務は顔色を変えて視線をそらした。リカはすがりついてくる。
「そんなこと言わないでくださいよ。あなたがやめたから営業部の成績が落ちたって言われてるんですよ。しかも、その責任を取って来月からパパが営業部に来るんだって。専務から平社員なんてありえます?全部、あなたが会長の孫だからですよね」
俺はその言い方にイラっときた。
「俺はやめたんじゃなくて、首って言われたの。君も聞いてたでしょ。しかも笑いながら。君と違って、俺はコネ入社じゃないから。俺が会長の孫だから優遇されているっていうこともない。それに、自分がニコニコしてれば契約なんてすぐ取れるって言ってたよね。だったら、そうすれば」
嫌みっぽく言ってやると、リカは怒り出す。
「もう嫌になりましたよ。他の人について営業に行ったのに、『ヘラヘラした新人を連れてくるな』とか、影では『勘違い女』なんて言われてるんですよ」
俺は笑った。
「それって、一回も契約につながらなかったってこと?」リカは頷いた。
「まあ、そうだろうな。全部が営業部に来るなら、成績も上がるんじゃないの?俺を首にしたみたいな勢いで契約取れるでしょ。ま、それで問題でも起こしたら大問題だけどね。自分で首にした社員がいなくなって成績が落ちたんだから、責任を取って降格なんて普通にあり得るし、平社員になったのは他の社員からパワハされたって訴えられたからじゃない?首にされなかっただけマシだと思うけどな」
実は、俺がじいちゃんに全てを話した後、じいちゃんは社内の調査をしたらしい。まだ数日なので詳しいことは調べられていないが、どうも専務のパワハが隠蔽されていたみたいだ。隠蔽していたのは専務の身内の役員で、じいちゃんはこれを機に構造改革を進めた。専務の身内は役員の任を解かれ、専務は平社員に降格が決まったという。
俺はあることを思い出して、近くで様子を見ていた課長に声をかけた。
「もちろん、この部署の成績が落ちれば課長のボーナスにも影響しますよ。頑張ってくださいね」
俺が笑顔で言うと、課長は少し怯えたように謝ってきた。
「お、本当に申し訳ない」
「謝られても、もうどうしようもないですよ。課長も責任を取る日が来るかもしれませんね」
課長は青い顔で土下座してきたが、俺は相手にしない。俺は関連会社を任されることになったんだ、もうもらわなくて結構だ。部長だけは関連会社を任されたことを喜んでくれた。
「最初から最後まで部長は俺の味方をしてくれていたけど、もしかして会長の孫って知ってました?」
俺が聞くと、部長は笑って答えた。
「知らなかったよ。ただ、優秀な社員だと認めていただけさ」
その言葉が、俺は単純に嬉しかった。
その後、元専務は営業部に移ったが、営業成績は最悪だった。リカは父親の営業について行った先が気難しいお客さんのところで、契約のキャンセルを食らい、喋り方や立ち振る舞いもダメ出しされ、会社にもクレームが行き、部長にこっぴどく叱られたそうだ。そして元専務は他の社員からパワハで訴えられたらしく、さすがに居づらくなって辞めてしまったという。
営業部にはヘッドハンティングで優秀な人材が何人か来て、リカはその人たちに散々「仕事ができない」と言われて辞めてしまったらしい。今頃あの親子は、プライドもズタズタで落ち込んでいるだろう。
課長も平社員に降格し、部下が上司になった。それを不満に思って悪態をついていたら、周りから「情けない」と笑われるようになり、元課長も最終的に居づらくなって退職したらしい。
俺は関連会社の立ち上げに貢献し、今ではそこの社長として楽しく働いている。



