父の葬儀当日、取引先の部長から信じられない言葉を浴びせられた。「今後の修理代は永久にただにしろ」――葬儀の場で、だ。
俺の名前は野島。50歳だ。父が経営していた会社で部長として働いている。いや、経営していた、が正しい。つい先日、父が亡くなったばかりだからだ。
一緒に暮らしていた母の話では、朝起きたらすでに息を引き取っていたらしい。父は80歳を迎えたばかりで、「そろそろゆっくりしようかな」と笑っていた矢先のことだった。父は昔から心臓に持病があったとはいえ、あまりにも突然すぎた。
どんな無理難題でも必ず形にする。それが父だった。だからこそ、父が亡くなった知らせを聞いて遠方から足を運んでくれた人が少なくないのも頷ける。父の生き方そのものが人を引き寄せていたのだろう。
うちは曽祖父が始めた工場から始まった会社で、機械部品から機械製品まで幅広く扱っている。従業員は100人にも満たないが、精鋭の技術者が揃っているのが大きな強みだ。中でも企業から依頼を受けて作る特注機械は、どれも高く評価されている。
俺は子供の頃から、職人として社長として働く父に憧れていた。だからこそ、父が亡くなったことは大きなショックだった。なんとか踏ん張っていられたのは、すっかり落ち込んだ母を支えなくてはと思ったからだろう。元々俺は次の社長になるべくして、父から技術はもちろん経営についても学んできた。
お通夜が終わり、次は葬儀の打ち合わせと、悲しみに暮れる暇もなく時間は過ぎていく。
「あなた、私が変わりますから少しは休んで」
妻が心配そうに言ったが、俺は首を横に振った。
「ありがとう。大丈夫だ。それより母さんについていてやってくれないか」
俺が言うと、妻は強がりだと見抜いているのだろう。何か言いたげに口を開きかけたが、「分かったわ。でも無理はしないで」と言って去っていく。本当は、気を緩めたら大声をあげて泣いてしまいそうだった。
「こんな時にすみません」
葬儀の打ち合わせをしていると、部下が声をかけてきた。
「どうかしたのか」
俺が短く返事をすると、部下は言いづらそうな顔をする。話を聞いてみると、ある取引先から仕事の連絡が来たそうなのだ。「先方がどうしてもとおっしゃっていて」と部下が名前を告げ、俺は「ああ」と短く声を漏らした。
川口部長か。
うちのお得意様に、ある食品メーカーがある。川口はそこの購買部長だ。先方はうちが作った特注機械を愛用してくれていて、定期的にメンテナンスもしている。先方の規模はうちよりはるかに大きい。
川口はそんな大企業の社員ということでうちを見下し、横柄な態度を取る男だった。父に付き添って何度か話をしたことがあるが、不快な思いをした記憶ばかりだ。
俺は部下に笑いかけた。
「気を使ってくれてありがとう。きっとよほど何か困ったことがあったんだろう」
俺は打ち合わせ相手に一言断って、電話に出る。応答すると、すぐに不機嫌そうな声が鼓膜を叩いた。
「ああ、野島さん。随分待たせてくれたな」
川口は俺より少し年上くらいの、恰幅のいい男だ。声にも嫌味がある。俺が「お待たせしました」と謝罪すると、川口は電話口でため息をつき、要件を告げた。
「今度のメンテナンスの件なんですが。もし修理代を請求するようなことがあれば、半額にできませんか」
妙な言い方だな、と思った。定期的なメンテナンスは特注機械の契約時に一緒に契約したオプションである。当然、修理が必要な箇所が見つかれば別途修理費を請求する場合もあるが、まるで修理費が発生することを見越しているような言い方だ。
俺が思案していると、川口が怒鳴りつけてきた。
「おい、聞いてるのか? 全く。いつまでそっちの都合に付き合えばいいんですか? 父親が亡くなったからって。そんなあんた、これから社長になるんでしょ? 切り替えて欲しいもんですね」
どうやら俺が父を失った悲しみでぼんやりしていると思ったらしい。なんて情のない言葉だろう。
「川口部長のおっしゃる修理代に関しては、メンテナンスしてみないと何とも言えません。それにまだ数日があります。修理代にご不安のようですが、修理の内容によっては保証が効きますから」
俺が一つずつ例を挙げようとすると、電話から舌打ちが聞こえてきた。
「なあ、もういい。とにかく修理代を払うことはできない。分かったな」
ガチャンと耳障りな音がして、通話が切れた。半額にしろだとか、次の瞬間には払えないと言ったり……一体何だったんだ。
葬儀当日。喪主としてスタッフや弔問客とのやり取りなどであれこれ動き回っていると、妻が声をかけてくる。
「あなた大丈夫? 少し顔色が悪いわ」
「大丈夫だよ」
そう笑いかけようとしたが、なんだかうまくいかない。自分でも思っていた以上に疲弊しているのかもしれない。
その様子を見て、妻が言う。
「私だってお父さんにとって家族よ。あなたは少し休んで。そうだわ、お父さんの学生時代の後輩だっていう方があなたと話したいと言っていたわ。少し座ってその方とお話ししてみたらどう? その間は私がスタッフさんたちの世話をするから」
ただ休めと言っても聞かないのを、妻はよく分かっているのだろう。俺は思わず苦笑した。
「そうだな。うん。そうしよう。その人はどこにいる?」
その後輩というのは須藤さんという男性らしい。妻の案内で俺は初めてその人物と顔を合わせた。
「初めまして。あなたが先輩の息子さんですか? 私は須藤と申します」
父に比べると柔和な印象の人だ。須藤さんの目はどこか懐かしそうに細められている。
「実は大昔、私と会ったことがあるんですよ。あなたは赤ん坊だったから覚えていないと思いますが」
須藤さんが言うには、仕事の関係で父の元を訪ねた時、俺が生まれて間もない頃だったらしい。赤ん坊だった俺は須藤さんに無邪気に笑いかけていたそうだ。
「そういえば須藤さんはお仕事は――」
赤ん坊の頃の話がくすぐったくて、俺が会話を変えようとした時のことだった。
「野島さん、ちょっといいかな?」
不意に声をかけられ、顔を上げるとすぐそばにある人物が立っていた。
川口部長だ。
俺は立ち上がり、喪主として挨拶しようと頭を下げる。川口は喪服姿ではなかったが、弔問に来たのだと思ったからだ。
「そんなことより話がある。こっちに来てくれ」
俺は思わず耳を疑った。これには一緒にいた須藤さんも同じように感じたらしい。わずかに眉をひそめていた。
「え? いえ。しかし……」
俺が戸惑っていると、川口はどんどん歩いて行ってしまう。先日の電話と言い、どこまで勝手なのだろう。
「須藤さん、お話ありがとうございました。すみません、ちょっと失礼いたしますね」
俺は須藤さんに深く頭を下げると、そのまま急いで川口を追った。川口は葬儀場の人のいない場所で待ち受けていた。
「先日の電話の件ですが」
川口は単刀直入に話を切り出す。さすがの俺もむっとする。
「あの、この間から何なんでしょうか? 今日は父の葬儀です。本当に急を要する件ならともかく、ちょっと失礼すぎませんか?」
「形式に沿ってご愁傷様でしたと言えばいいのか?」
あまりの言葉に絶句する俺に、川口が鼻で笑った。
「うちはオタクと違って大きな会社なんだ。小さな会社の社葬など正直何回も経験している。オタクを特別に扱うことはせんよ」
その瞬間、頭の中が静かになった気がした。怒りというよりも、もっと冷たいものが腹の底から湧いてくる。
「お引き取りください」
俺は絞り出すように吐き捨てた。
「何だって?」
川口が眉をひそめたのを見て、俺は睨みつけた。
「お引き取りくださいと言ったんです。父の葬儀を汚すような人にいて欲しくありません」
少し声が大きくなり、通りすがりの人が何人かチラチラと俺たちの方を見る。注目を集めたことが不快だったのか、川口は顔を赤くした。
「野島さん、あんた自分が何を言ってるのか分かっているのか? 大手の得意先であるうちに、いや、俺に逆らうなんてな。早く謝罪したらどうだ? 罰として今後の修理代は永久にただにしろ。それも無理なら業者変更で構わんが」
言いながら川口はあるものを差し出してくる。その紙にはでかでかと「契約解除通知」と記されていた。
俺は呆れつつも、率直な疑問をぶつけた。
「電話を頂いた時も思ったのですが、半額にしろと言ったり、ただにしろと言ったり何なんですか? 何か今問題が発生しているわけでもないのでしょう?」
一瞬だけ川口の顔色が変わった。もしかして現状何か問題が出ているのか? だったらそう言えばいいだけのことなのに、と考えていると川口が反論してくる。
「う、うるさい。問題などない。どうするんだ? このままだとオタクは大切な得意先を失うぞ。父親が亡くなってすぐこんなことでいいのか? あんたはこれから社員を引っ張っていくんだろ」
まるで急かすような言葉に、違和感を覚える。確かに、長年付き合ってきた大手の得意先を失うことは会社としては避けるべきことだろう。だが一方で、うちの特注機械がないと製造ラインが止まる、という考えが頭をよぎる。
うちの特注機械は、設計段階から先方の製造ラインの使用環境や処理速度に合わせて一から作り上げたものだ。図面も制御プログラムも全てうちの技術者が内製している。外注業者が引き継ぐにも、使用書だけでは再現できない。現場で積み上げた調整のノウハウがある。機械そのものが残っていても、それを扱える人間がいなければただの鉄の塊だ。川口はそのことをまるで分かっていなかった。
俺はまっすぐ川口を見据えた。
「それで結構です。今までお世話になりました。では、お引き取りください」
俺はそう言い捨てて、川口に背を向ける。こんな非常な真似ができる男のいる会社、こちらから願い下げだ。それに、俺は手元の解除通知と書かれた紙を見る。俺を脅すためにわざわざこんなものを用意したと思うと、吐き気がする。川口は父の葬儀だけでなく、うちの会社そのものまでを足蹴にしたのだ。絶対に許せない。
その時、ある視線に気づいた。俺たちを遠巻きに見ている人間の中に、先ほど話していた須藤さんの姿があった。どうやら心配になって俺の後を追いかけてきていたようだ。
「おい、正気か!」
後ろから驚愕と怒りに満ちた川口の声が聞こえてくる。「ふざけるな」だとか「戻れ」という怒声も聞こえたが、俺は無視して歩き始めた。何事かと駆けつけてきたスタッフに、「問題行動を取るのでお引き取りいただきたいのに帰ってくれない」と簡単に説明する。スタッフと川口の声を背に、俺は父を送る場へと戻っていった。
父の葬儀を終えた翌朝、俺は机に向かった。川口が持ってきた解除通知の紙を広げ、必要事項を記入し、封をしてポストに投函した。次に会社の電話の設定を変え、川口の番号を着信拒否にした。まさに遺言通りに動いたという感じだ。
「この書類を返送することで、こちらの意思表示としようと思います」
「不幸中の幸いと言いますか、川口部長とのトラブルは弔問に来てくださった方々が証言すると言ってくださっていますし」
俺の発言に、弁護士の須藤さんが頷いた。
「書類は問題ありませんよ。野島さんが署名された時点で、法的に有効な意思表示になります」
実は、葬儀の日、俺は川口の元を去った後、再び須藤さんと話をしたのだ。その時に分かったのだが、須藤さんはただ父の友人として弔問に来てくれていただけではなかった。
「今までは都会で弁護士をしていたのですが、そろそろ地元でゆっくりしようと思いましてね。そしたら先輩、あなたのお父様が顧問弁護士として時々相談に乗って欲しいと誘ってくれまして」
その話を本格的にしている最中、父は亡くなったのだという。
「川口部長のことはお父様からすでに相談を受けていました。私が顧問弁護士に決まった暁には、最初の仕事として先方とお父様の間に入る予定だったんですよ」
そうだったのか、と俺は頭を抱えた。
「私個人としても、川口部長の行為は決して許されるものではないと考えます。もしも顧問弁護士として私を受け入れてくださるのなら、全力でお力になりますよ」
俺はこの時、運命的なものを感じ取ったのだと思う。気がつけば須藤さんと固く握手を交わしていた。こうして今に至る。
川口がうちの会社を尋ねてきたのは、それからさらに数日後のことだ。俺の携帯もスマホももちろん会社の電話も取り継ぎ拒否をしていたので、直接尋ねるしか俺と話す手段がないと踏んだのだろう。
須藤さん同伴で応接室に通すなり、川口は俺に言った。
「携帯にかけても会社にかけても繋がらなかった。それになんで返送なんかしたんだ。メンテナンスはどうなるんだ?」
川口は依然として横柄な態度ではあるが、目は泳ぎ、貧乏ゆすりが止まらない。一目見て「余裕がない」ということだけは分かった。
「そりゃそうですよ。着信拒否していますからね。何かおかしいですか? 父の葬儀の場であんな非常識な真似をしたんです。もう関わりたくないと思うのが当然ではないでしょうか」
「それは……」と川口が口を開きかけたが、須藤さんが静かな声で遮った。
「契約解除通知を持ち出し、関係を断つのを匂わせる真似をしたのはそちらでしょう。野島さんはあなたの言葉に従い返答したまでです。なお、葬儀の場での一連の言動については、複数名の証言も取れておりますので」
しばらく川口は黙っていた。
「……認めます」
ややあって、川口はぽつりとつぶやいた。俺が違和感を覚えた理由が、ここで明かされていく。
そもそも俺が最初に電話で対応した際、実は特注機械には既に不具合が出ていたらしい。と言っても、その時は稼働自体にはまだ支障が出るほどの問題ではなかったようだ。
「なんでそんな状態に?」
一応聞いてみると、川口は言いづらそうに目をそらした。というのも、川口は部下とのトラブルでむしゃくしゃして、特注機械に蹴りを入れたのだという。
「はぁ?」
俺は思わず間抜けな声を漏らしてしまった。子供か、とつい言いそうになり、慌てて口をつむぐ。須藤さんも同じように思ったのだろう、どこか呆れた様子で川口を見つめていた。
川口の話では、その蹴りを入れて以来、液晶がおかしくなったのだという。その時はまだそれで済んでいた。
「あんたの親父さんの葬儀の日には、異音もするようになっていた」
川口は液晶に問題が出た時点でかなり焦っていたという。それはそのはずだ。メンテナンスで故障が発覚した際は、当然修理が発生する。経年劣化など通常の範囲内の理由の修理なら、契約の内容に沿って割引などが適用された価格で修理をする。ただし、蹴ったなどの通常の範囲以外の理由なら話は別だ。
「つまり、川口部長は保身に走ったんですね。だから半額と言ったと思ったらただと言ったり、むちゃくちゃな言動をしていたと」
俺が指摘すると、川口は頭を抱え始めた。
「そうだ。なんとかしないと、そればかりで。だから申し訳なかった。でも仕方なかったんだ。あんたも同じ立場になれば分かる」
川口が言うには、父が突然亡くなって混乱状態の俺ならうまく言いくるめられると踏んでの発言と行動だったのだとか。
「全く分かりませんね。機械を蹴ってしまった時点で弊社に素直に報告していれば良かったのに。私も確かに父の葬儀などでバタバタしておりましたが、正式な修理依頼であれば技術の者を向かわせていました」
これで謝罪しているつもりなのだろうか、と俺は呆れて息をつく。こんなどうしようもない理由で不快な思いをしたと思うと、さらに胸が悪くなる。
「では、今製造ラインは停止を?」
須藤さんが尋ねると、川口は顔を上げた。今まで見たことがないほど、川口の顔は蒼白になっている。
「そうだ。検地機能が働かなくなり停止している。頼む。なんとかしてほしい。契約解除を撤回して、今まで通り修理してくれ」
川口の言葉の最後の方は、もはや叫びに近いものになっていた。俺は須藤さんと目を合わせ、揃って首を横に振る。
「今回の件、契約解除はすでに法的な手続きに入っています。よってメンテナンスの対応義務はありませんね」
川口は愕然としていた。
「全ては自業自得です」
須藤さんは静かに立ち上がった。
その後、取引先の社長を含めた話し合いで、今回の修理だけは対応するということで話がまとまった。その時に正式に先方の社長から謝罪を受けたのだが、川口は顧問解雇になったという。元々部下や他の取引先ともトラブルが絶えず、社内でも問題になっていたらしい。今回の一件は、その末路だったのだろう。
ようやく全てが落ち着いてきた頃、須藤さんがぽつりと言った。
「あの契約解除通知は、まさかこちらが受け入れるとは思っていなかったのかもしれませんね。最初から工場を失うことを見越していたのかもしれません。あるいは、お父様なら決して屈しないことを知っていたからこそ、あんな強硬な態度に出たのかもしれませんね」
父はもういない。だけど俺には、頼りになる家族や社員たちがいる。そして須藤さんがいるのだ。父にはまだ遠く及ばないだろう。それでも、受け継いだものを胸に、俺は前を向いて歩き続けていく。



