「悪いけど、お母さんにはもう2度と会わないから。」 66歳の誕生日を間近に控えたある日曜日、久しぶりに両方の娘とその夫たちが私の家に揃いました。夫を癌で亡くしてから5年、一人暮らしの私を心配して来てくれたのかと思いきや、テーブルに並べられたのは老人ホームのパンフレットでした。「施設に入らないなら、私たちとはもう関わらないで」—…

「悪いけど、お母さんにはもう2度と会わないから。」 66歳の誕生日を間近に控えたある日曜日、久しぶりに両方の娘とその夫たちが私の家に揃いました。夫を癌で亡くしてから5年、一人暮らしの私を心配して来てくれたのかと思いきや、テーブルに並べられたのは老人ホームのパンフレットでした。「施設に入らないなら、私たちとはもう関わらないで」—...

「悪いけど、お母さんにはもう2度と会わないから。」

66歳の飯泉ゆり子さんは、長女の美ほさんから放たれたその一言で、人生のすべてが崩れ落ちるのを感じました。32年間、中学で国語を教え、多くの生徒に自立の大切さを教えてきた教師としての誇りも、5年前に夫を失ってから懸命に紡いできた家族との絆も、その瞬間に粉々に砕け散ったのです。

5年前、夫の正尾さんが肝臓癌と診断されました。ゆり子さんは教師を早期退職し、献身的に看病を続けました。抗がん剤治療、放射線治療、そして緩和ケア。医療費は月に10万円を超え、退職金や貯金を切り崩し、最後には保険まで解約しました。娘たちも時折見舞いに来ましたが、子育てや仕事に忙しく、長期間の付き添いはほとんどゆり子さん一人が担いました。

正尾さんが息を引き取ったのは、診断から2年後の春のことでした。それからのゆり子さんの生活は、月16万円の年金で何とかやりくりする日々でした。教職員年金12万円と遺族年金4万円。家のローンは完済していましたが、光熱費や食費、医療費を考えると決して裕福とは言えませんでした。それでもゆり子さんは、娘たちに弱音を吐くことはありませんでした。

「お母さん、一人で大丈夫?何か困ったことがあったら連絡してね。」

正尾さんが亡くなって半年後、長女の美ほさんからかかってきた優しい電話に、ゆり子さんは涙が出そうになりました。しかし、心配をかけたくない一心で、いつも明るく「大丈夫よ」と答えていました。

異変を感じ始めたのは、夫の一周忌が過ぎた頃からでした。美ほさんの結婚10周年記念日に、ゆり子さんは5万円の商品券を送りました。今の彼女にとっては相当な負担でしたが、娘の幸せを思えば惜しくはありませんでした。ところが、その夜、美ほさんから電話がかかってきました。

「お母さん、お金のことで無理しないでね。私たちのことは気にしないで。自分の生活を大切にしてくれればいいから。」

その言葉には確かに優しさがありましたが、ゆり子さんは娘に距離を置かれたような寂しさを感じました。

その後も、次女のまゆみさんの息子・優馬君の誕生日会で1万円のプレゼントを渡すと、「お母さん、もう少し節約した方がいいんじゃない?私たちに何かあっても経済的な援助はできないから」と言われ、胸が刺される思いでした。孫に何かしてあげたいという気持ちは、祖母として自然なものだったのに、娘たちはそれを重荷と感じているようでした。

それからというもの、電話の回数も減り、会う機会も少なくなりました。1人でいる時間が長くなり、食事も適当に済ませることが多くなりました。時々目まいがしたり、夜眠れなくなったりすることもありました。このまま1人で生きていけるのかしら。そんな不安が日に日に大きくなる中、ゆり子さんは娘たちに素直な気持ちを伝えることができずにいました。

決定的な瞬間が訪れたのは、ある秋の日のことでした。美ほさんから久しぶりに電話があり、「今度の日曜日、時間ある?ちょっと話したいことがあるの」と言われたのです。ゆり子さんの心は踊りました。久しぶりに娘と話ができる。そう思って、その日を心待ちにしていました。

日曜日の午後、美ほさんと夫の啓一さん、まゆみさんと夫の裕二さんが、ゆり子さんの家に揃って訪れました。夫の葬儀以来のことでした。

「お母さん、私たちから大切な話があるの。実はお母さんの将来のことを相談したくて。一人暮らしを続けるのはもう限界なんじゃないかって思うの。」

ゆり子さんは驚きました。

「限界って?私はまだ66歳よ。十分に一人でやっていけるわ。」

しかし、まゆみさんが続けた言葉が、ゆり子さんの心を凍らせました。

「お母さん、正直に言わせてもらうけど、私たちはお母さんの老後の面倒を見ることはできないの。」

「面倒って…私は面倒をかけるつもりなんてないのよ。」

義理の息子の啓一さんも口を開きました。

「お母さん、僕たちも子供の教育費や住宅ローンで精一杯なんです。申し訳ないですが、経済的な援助は一切できません。それに、介護が必要になったとしても、私たちには時間的な余裕もない。お母さんには専門的なケアを受けられる施設に入ってもらうのが一番いいと思うんです。」

テーブルの上に並べられた施設のパンフレット。どれも立派な建物の写真が載っていましたが、ゆり子さんにはそれらが牢獄のように見えました。

「私は中学教師を32年間勤めてきたのよ。まだ頭もしっかりしているし、体だって元気だわ。」

必死に反論するゆり子さんに、美ほさんは冷たい表情で言い放ちました。

「お母さん、現実を見てよ。私たちにはそれぞれの生活があるの。お母さんのことを心配しながら毎日を過ごすのは、正直言って負担なのよ。」

その言葉に、ゆり子さんの心は深く傷つきました。

「お母さん、入居費用は家を売ったお金で十分賄えるわ。むしろお釣りが来るくらいよ。」

「家を売るって?この家は私と正尾が一生かけて築いた大切な場所なのよ。」

「でも、一人で住むには大きすぎるし、維持するのも大変でしょう。」

まゆみさんは事務的な口調で答えました。ゆり子さんは娘たちの顔を見回しました。そこには、かつて小さかった頃の愛らしい娘たちの面影はありませんでした。目の前にいるのは、自分たちの生活を守ることだけを考える大人たちでした。

「32年間教育に携わってきて、あなたたちを育ててきたのに、こんな風に扱われるなんて。」

ゆり子さんの声は震えていました。美ほさんは少し表情を柔らげて言いました。

「お母さん、私たちはお母さんを愛していないわけじゃないの。でも、現実的に考えなければいけない時が来たってだけよ。」

「愛しているなら、なぜこんなひどいことを言うの?」

ゆり子さんの目に涙が浮かびました。まゆみさんが立ち上がりました。

「お母さん、私たちも簡単に決めたわけじゃないの。でも、これが最善の選択だと思うの。来週までに返事をして。」

娘たちと義理の息子たちは、パンフレットを残して帰って行きました。ゆり子さんは一人、リビングに取り残されました。

その夜、ゆり子さんは眠ることができませんでした。正尾さんの遺影に向かって、何度も呟きました。

「正尾、私はどうすればいいのかしら。」

約束の日曜日がやってきました。再び娘たちが集まりました。今度は孫の優馬君も一緒でした。

「おばあちゃん、どこか遠いところに行っちゃうの?」

優馬君の無邪気な質問に、ゆり子さんは答えることができませんでした。

「お母さん、どの施設にするか決めた?」

美ほさんが口を開きました。ゆり子さんは震える手でパンフレットを手に取り、静かに言いました。

「私、まだ決められないの。もう少し時間をちょうだい。」

その瞬間、美ほさんの表情が一変しました。

「ちょっとお母さん、1週間も時間があったのに、まだ決められないの?」

まゆみさんも苛立ちを隠せません。

「お母さん、私たちも忙しいんだってば。いつまでもこの問題を引きずるわけにはいかないのよ。」

「お願い、もう少しだけこの家にいさせて。私にとってここは正尾の思い出がいっぱい詰まった大切な場所なの。」

しかし、美ほさんは冷たく言い放ちました。

「はあ、そう。分かった。じゃあ悪いけど、お母さんにはもう2度と会わないから。」

ゆり子さんは息を飲みました。

「施設に入らないなら、私たちとはもう関わらないで。こんなに心配させて、結局決断できないなんて、私たちの時間の無駄よ。」

「お母さんが頑固で話にならないなら、もう知らない。一人で勝手にして。」

優馬君が不安そうに母親を見上げました。

「ママ、おばあちゃんと会えなくなっちゃうの?」

「そうよ。おばあちゃんがママたちの言うことを聞かないからよ。」

「みほ、まゆみ、お願い。そんなことを言わないで。」

しかし、娘たちはもう振り返ることなく玄関へ向かいました。

「お母さん、最後にもう一度言うね。施設に入る気になったら連絡してください。それ以外なら、もう連絡してこないで。」

玄関のドアがバタンと閉まりました。時計の針の音だけが響く静寂の中、ゆり子さんは崩れるようにソファに座り込みました。

「私は何のために生きてきたのかしら。」

涙が頬を伝って落ちました。32年間教育に携わり、母として娘たちを愛してきた人生。それがこんな形で終わるなんて。

その夜、ゆり子さんは正尾さんの遺影の前に座りました。

「正尾、私はもうどうしたらいいのか分からないの。」

その時、ふと目に入ったのは、本棚にある一冊の詩集でした。高村光太郎の『道程』。中学時代に何度も生徒たちに教えた詩集です。ゆり子さんは立ち上がり、その詩集を手に取りました。そして、あの有名な一節を声に出して読み上げました。

「僕の前に道はない。僕の後ろに道はできる。」

その瞬間、ゆり子さんの心に稲妻のようなひらめきが走りました。

「そうだわ。私は32年間、生徒たちに自立することの大切さを教えてきたじゃない。」

ゆり子さんは正尾さんの遺影を見つめました。

「正尾、私はこれまで娘たちに頼ろうとしてばかりいたけれど、それは間違いだったのね。私には私の道がある。」

その時、ゆり子さんの心の中で何かが大きく変わりました。悲しみが消えたわけではありませんが、それとは別の感情が湧き上がってきたのです。私の人生はまだ終わっていない。

ゆり子さんは立ち上がり、テーブルの上の施設のパンフレットを手に取りました。そして、それをゴミ箱に捨てました。

「私は自分の力で、自分の道を歩んでいく。」

明日から、新しい人生が始まるのです。

娘たちとの絶縁宣告から一夜明けて、ゆり子さんは今までとは違う朝を迎えていました。正尾さんの遺影に向かって、いつものようにお茶を備えながら静かに語りかけました。

「正尾、今日から私は新しい人生を始めます。」

ゆり子さんはまず、家の整理から始めることにしました。32年間の教師生活と正尾さんとの思い出が詰まったこの家。娘たちは売却を迫りましたが、ゆり子さんには別の考えがありました。

「この家は確かに一人には大きすぎる。でも、売る必要はないのよ。」

ゆり子さんは地域の不動産業者に相談しました。

「この家の一部を賃貸にすることはできませんか?」

担当者は目を輝かせました。

「素晴らしいアイデアですね。2階部分を若い夫婦向けのアパートに改装すれば、月8万円程度の家賃収入が見込めます。」

ゆり子さんは、正尾さんが残してくれた退職金の一部を使って、家の改装工事を始めました。2階を独立したアパートにし、1階でゆり子さんが暮らすという間取りに変更したのです。

改装が始まって1ヶ月後、ゆり子さんは久しぶりに教師時代の同僚である田村先生から電話を受けました。

「飯泉先生、お元気でしたか?実は相談があるんです。不登校気味の生徒たちに個別指導をしてくれる先生を探しているんです。先生にお願いできませんか?」

ゆり子さんは即座に答えました。

「是非、やらせてください。」

週に3回、午後の2時間だけでしたが、ゆり子さんは再び教育の現場に戻りました。不登校に悩む中学生たちに、国語を中心とした学習支援を行うようになったのです。

最初は緊張していた生徒たちも、ゆり子さんの温かい指導に心を開いていきました。

「先生、僕、この詩好きです。」

一人の男子生徒が高村光太郎の『道程』を読んで言いました。

「そうね。人生には自分だけの道があるのよ。大切なのは他人と比べることじゃなくて、自分らしく歩むことなの。」

学習支援の報酬は月3万円でした。年金16万円に家賃収入8万円。そして学習支援の報酬3万円を合わせると、月に27万円の収入になります。

「こんなに経済的に安定したのは久しぶりだわ。」

改装工事が完了すると、すぐに若い夫婦が入居しました。田中さん夫妻は働き盛りの30代で、とても礼儀正しい人たちでした。

「飯泉さん、何かお困りのことがあったらいつでも声をかけてくださいね。」

奥さんの雪子さんが笑顔で言ってくれました。ゆり子さんも自然と笑顔になりました。

「こちらこそよろしくお願いします。若い人がいてくれると、この家も生き生きするわ。」

それから数ヶ月後、ゆり子さんの元に意外な知らせが届きました。中学時代の教え子である田中君から手紙が来たのです。田中君は現在45歳で、地元で小さな学習塾を経営していました。

「先生、お久しぶりです。実は先生に相談があります。私の塾で国語を教えてくださる先生を探しているんです。是非、先生にお願いしたいのですが。」

ゆり子さんは迷わず引き受けました。週に2回、夕方の2時間、塾で中学生に国語を教えることになったのです。

「先生、久しぶりに教壇に立った気分はいかがですか?」

田中君が訪ねました。

「とても充実しています。生徒たちと接していると、自分が生きている意味を感じるのよ。」

ゆり子さんは心から答えました。塾での講師料は月2万円。これでゆり子さんの月収は29万円になりました。

ある日、ゆり子さんは近所のスーパーで偶然、元の同僚である山田先生に出会いました。

「飯泉先生、とてもお元気そうですね。最近は何をされているんですか?」

ゆり子さんは胸を張って答えました。

「学習支援と塾講師をしています。それに、家も改装して賃貸業も始めたんですよ。」

山田先生は驚きました。

「すごいじゃないですか。この年でこんなに活動的になるなんて。」

「人生はまだまだこれからですから。」

ゆり子さんの表情は、以前とは明らかに違っていました。自信に満ち、生き生きとしていました。

その夜、ゆり子さんは正尾さんの遺影に報告しました。

「正尾、おかげ様で私は新しい人生を見つけました。娘たちに頼らなくても、十分に自立して生きていけるようになったのよ。」

ゆり子さんが新しい生活を始めてから2年が経ちました。春の陽気の中で、ゆり子さんは庭の花壇に水をやっています。2階に住む田中さんの赤ちゃんの鳴き声が聞こえ、家全体が生命力に満ち溢れています。

そんなある日、ゆり子さんの携帯電話が鳴りました。表示を見ると、久しぶりに美ほさんからの着信でした。

「お母さん、元気にしてる?」

美ほさんの声は、以前とは明らかに違っていました。何かに困っているような、弱々しい響きがありました。

「ええ、おかげ様で元気よ。みほ、どうしたの?」

ゆり子さんは穏やかに答えました。

「実は、啓一がリストラされちゃって、子供の塾代も払えなくなりそうで。お母さん、可能だったら少しお金を貸してもらえないかしら。」

ゆり子さんは一瞬息を飲みました。あれほど冷たく突き離した娘が、今度は経済的な援助を求めてきたのです。

「みほ、あなたは私に2度と会わないと言ったのよ。覚えているかしら?」

電話の向こうで、美ほさんが言葉に詰まりました。

「お母さん、あの時は私も余裕がなくて。今思うと、ひどいことを言ったと思ってる。ごめんなさい。」

ゆり子さんは静かに答えました。

「みほ、謝ってくれてありがとう。でも、お金の件はお断りします。あなたたちには、自分たちの力で乗り越えて欲しいの。」

「お母さん、お願い。本当に困ってるの?」

美ほさんの声に涙が混じっていました。

「みほ、私も66歳から新しい人生を始めたのよ。あなたもまだ若いじゃない。きっと道はあるわ。」

ゆり子さんは優しく、しかしはっきりと言いました。

電話を切った後、ゆり子さんは正尾さんの遺影を見つめました。

「私は正しい選択をしたでしょうか?」

遺影の正尾さんは、いつものように優しく微笑んでいるように見えました。

翌日、ゆり子さんは生徒たちに高村光太郎の『道程』を教えていました。

「先生、『僕の前に道はない』ってどういう意味ですか?」

一人の生徒が質問しました。

「それはね、人生には決まった道なんてないということよ。自分で道を作っていくものなの。例え66歳からでも、新しい道を歩むことができるのよ。」

その日の夕方、ゆり子さんは久しぶりに近所を散歩しました。桜並木の下を歩きながら、この2年間を振り返りました。娘たちに突き離されたあの日は、確かに人生最大の絶望でした。でも、その絶望があったからこそ、本当の自立を手に入れることができたのです。

今のゆり子さんには、安定した収入があります。若い人たちとの交流があります。そして何より、誰にも依存しない自由があります。

家族に依存することが愛情ではありません。真の愛情とは、お互いが自立した上で築く関係なのです。年齢に関係なく、新しい挑戦をすることは可能です。ゆり子さんは66歳から新しい人生を始めました。

あなたにも、きっとできるはずです。

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