「お客様にはかっぱ巻きがおすすめですよ」
大将は明らかにこちらを馬鹿にした態度で、そう言い放った。
兄は静かに怒りながら言った。
「じゃあ、かっぱ巻きを3人分。それから、オーナーを呼んでくれ」
オーナーが現れた瞬間、顔面蒼白になり、その場に土下座して謝り始めた。それを見た大将の顔は、みるみる青ざめていった。
俺の名前は石松修二。今年で40歳になった。
俺は漁業を営む家に生まれた。根っからの海の男だった親父は、俺と兄の太地を小さい頃からよく海に連れて行ってくれた。大きな海で泳いだり、魚を釣ったり、その釣った魚をその場で焼いたりさばいたりして食べたりもした。その食べ方が世界で一番魚を美味しく食べる方法だと、大人になった今でも思う。
兄の太地はその魚の美味しさや広大な海の景色に感動し、その頃から親父の後を継ぐ決心をしていたようだった。
一方、俺は海や魚も好きだったのだが、それ以上に工作や大工仕事に興味が湧いていった。しかしそれも海がきっかけだった。
海釣りで使う「疑似餌」と呼ばれる道具がある。本物の餌に似せて作った偽物の餌だ。それを釣り竿の糸の先につけて魚を釣る。その疑似餌を自分で手作りして、兄にあげたのだった。
「修二の作った疑似餌が一番よく釣れるよ」
兄からそう褒められた時、ものすごく嬉しかったのを覚えている。
そこから工作にハマった俺は、次に自分で釣り竿を作った。釣り竿の次に、釣った魚を入れるクーラーボックス。その次は魚釣りをしている間に座る椅子。その後は家で家族が使うテーブルや本棚、ベッドまで作った。
それらを作るたびに兄は褒めてくれた。
「修二の作ったテーブルのおかげで部屋が明るくなったな」
「修二の作ったベッドの寝心地は最高だ」
そんな風にいつも褒めてくれた。尊敬する兄から褒められるのが、俺は一番嬉しかったのだ。
そんな風にして物を作る楽しさを覚えていった俺は、大学は建築学科に進んだ。そこで建築に関する知識を学んだ。今まで自分が作っていたものは、大きくてもテーブルや本棚だ。それよりも大きな家や建物を作れることに、俺はワクワクし興奮しっぱなしだった。
そしてその頃、兄は親父の後を継いで忙しくしていた。兄もまた俺と同じように、自分の好きなことを思いっきりやれる楽しさに溺れていた。
「自分の好きなことを仕事にできるなんて、こんなに幸せなことはないぞ。お前もさっさと大学卒業して、自分の得意なことで生きていけ」
兄と会うたびに満面の笑顔でそう言っていた。だから俺は大学を卒業して建築の仕事をするのが楽しみでならなかった。
そしてそのまま建築関係の会社に就職した。60代の社長が取り仕切る、とても気骨のある会社だ。うちの会社には俺と同年代の若い人間は一人もいない。社長と同じ60代ぐらいの社員や、少し下の50代の社員たちが、とても元気に働いていた。
だから自分の息子ぐらいの年齢の俺のことを、みんなとてもよく可愛がってくれた。可愛がると同時に、仕事になれば時には優しく時には厳しく、1から100まで建築のことをとても丁寧に教えてくれた。俺はそんなみんなのことを心から尊敬している。
「少し鬱陶しく感じることもあるだろうが、みんな修二のことが可愛くてしょうがないんだよ。許してやってな」
社長からそう言われることもあったが、俺は少しも嫌ではなかった。
「全然鬱陶しくなんかないですよ。皆さん可愛がってくれるので、楽しく働かせてもらってます」
「それなら良かったよ」
社長はそう言って笑っていた。それから俺は仕事一筋で真面目に働いた。
その会社に就職して10年以上が経った頃だ。会社での仕事が終わり帰宅してくつろいでいる時、俺のスマホが鳴った。電話の相手は会社の先輩だった。仕事の連絡かなと思いながら電話に出る。
「もしもし」
電話口で先輩は何やら慌てているようだった。
「社長が…」
先輩から、社長が現場で怪我をしたということを知らされた。すぐに病院へと車を走らせた。
「社長、大丈夫ですか?」
病室に駆け込み、すぐに声をかける。ベッドに横になる社長の周りに社員たちが集まっていた。社長が俺の顔を見て小さく笑う。社長の足にはギプスが巻かれていた。現場で事故に遭い、足を骨折したのだと、そこにいた先輩が教えてくれた。
「いや、やってしまったよ。年は取りたくないね」
そしてまた小さく笑ったが、元気がなさそうだった。
「社長は今までずっと全力で働いてこられましたから、いい機会だと思ってゆっくり休んでください」
そう励ましの言葉をかけるが、社長の顔に明るさは戻らなかった。
「俺ももう潮時かもな」
「社長、何言ってるんですか?まだまだこれからでしょう」
弱気になっている社長を見て、ついそう言ってしまう。
「いや、前から思っていたんだよ。年も年だし、体力的にもそろそろ引退も考えないとな」
「社長…」
「それに、いいタイミングだとも思うんだ。若くて元気な後継ぎもできたしな」
そう言って社長は俺の肩に手を置いた。
「え、俺ですか?」
「あとは頼んだぞ」
「いやいや、だって先輩たちがいるじゃないですか」
「その先輩たちにずっと相談してたんだよ。修二に後を任せていいかって。みんな、他にはいないだろってさ」
周りを見ると、みんな笑顔で頷いていた。
「わかりました。皆さん、よろしくお願いいたします」
そして全員に深く頭を下げた。その時俺はまだ35歳だったから、正直社長の後を継ぐなんて自信はない。しかしみんなの笑顔と、今までお世話になった社長への恩返しをするために、俺はその話を受けることに決めた。
しかし、いきなり30代の若手が社長になると言っても、その実力を取引先の会社やお客さんから信用してもらえるとは限らない。だからしばらくは、社長が回復するまでの社長代理の立場で仕事をすることとなった。
「頼んだぞ、社長代理」
そう言う社長の顔は、安心してくれているのか柔らかい笑顔だった。
「はい」
その笑顔を見たら、自然と気合いも入るというものだ。
そして俺が社長代理として働き出してから1年ほどが経った。その頃、会社の業績は伸び悩んでいた。
「すいません」
そう謝る俺に、先輩たちは「お前のせいじゃない。時代も変わったし、取引先で潰れている会社も多いからな」と励ましてくれた。
しかしそう言われて気づいた。時代は変わり、今では自分でDIYをする人も増えている。だから個人のリフォームや内装の仕事も受けていけば、業績は伸びるのではないかと社長に相談すると、賛成してくれた。
「ただ、お客さんに対する丁寧なサービスと徹底したアフターフォローは忘れるなよ」
「はい」
そしてその狙いは見事に当たった。マイホームを持つお客さんには割と大胆なリフォームを提案し、賃貸に住んでいるお客さんには現状回復が可能なリフォームを提案する。それを売りに仕事をしていたら、右肩上がりに業績は伸びていった。
「さすがだな。やっぱり修二に任せてよかったよ」
社長はそう言って褒めてくれた。
「ありがとうございます」
「じゃあ、あとは頼んだぞ。社長」
「え?」
驚く俺の方に、社長が手を置いた。
「わかりました」
その日から俺は正式に社長に就任した。俺が40歳になった日のことだった。
数日後、兄から電話がかかってきた。
「よ、社長」
一言目からそう言われた。
「なんだよ。からかってんの?」
「違うよ。お祝いをしたくて。あの店予約しておくから。今度の土曜日、開けとけよ」
「ありがとう」
兄は今では実家の漁業の運営にまで関わる立場になり、毎日忙しくしている。それなのに俺のためにわざわざ時間を作ってお祝いをしてくれるというのだ。そのことがとても嬉しかった。
そしてその当日の土曜日。「開けとけよ」と言われていたのだが、昼間に急な仕事が入ってしまい、兄が予約してくれた店に仕事の作業着のまま来てしまった。
そのお店は1日に10組しか入れない有名な高級寿司店だった。今までも何度かお祝い事で来たことがあったが、久しぶりに訪れるその店に多少緊張した。
「着替え持ってきておいてよかったな」
こうなるかもしれないと、車には着替え用のスーツを積んでおいた。店の入り口前の駐車場に車を止め、後部座席に置いたスーツを取るために運転席を降りる。すると店から見覚えのない男性が出てきた。
「ご予約の石松様ですか?」
「そうです。すいません。急いで着替えますので」
「いえ、個室ですのでそのままでどうぞ。お連れ様ももういらっしゃってますし」
「そうですか」
こう言われたが、この格好で兄に恥をかかせるわけにはいかないと、スーツを持って店に入った。
「よ、修二」
「待たせてごめんね」
俺が個室に入ると、その男性は扉を閉めて出ていった。
「今の誰?」
「ここの大将。最近変わったみたいでな」
「そうなんだ」
それから俺と兄は近況を報告し合った。しかし、いつまで経っても店員がオーダーを取りに来ない。注文用のインターホンを押し、やってきた店員にとりあえずビールを頼んだ。しかしそこからまた、しばらく音沙汰のない状態が続いた。
「ビールしか頼んでないのに遅いな」
そしてまたインターホンを押すと、今度は大将が現れた。
「ご用でしょうか」
その言い方に俺は少し苛立ったのだが、兄は冷静に対応していた。
「ビールを頼んだのにいつまでも来ないし、予約した料理もまだ1品も来ないんだが」
すると大将はいきなり吹き出した。
「ご予約はコース料理となっておりますが、お間違いではございませんか?」
その態度は、明らかにこちらを馬鹿にしている。俺はさらに苛立ったが、兄はまだ冷静だった。
「いや、間違えてはないんですけど」
「うちの店は最高級の食材を使っていて、コースとなりますとお1人5万円になりますが、よろしいですか?」
その言い方は「お前らにその額払えるのか」と言いたげだった。これには俺は我慢の限界だった。しかしそれが表情に出たのだろう。大将はまた馬鹿にした態度を取ってくる。
「申し訳ございません。そのような作業着で来店されるお客様は他にはいらっしゃいませんので、どう対応していいか私ども戸惑ってしまいまして」
大将は明らかにこちらを馬鹿にした態度でそう言い、その態度を崩さぬまま俺たちを馬鹿にし続けた。
「当店にはかっぱ巻きという、とてもリーズナブルなメニューもございます。お客様にはそちらがおすすめかと思います」
その一言には、温厚な兄もさすがに堪忍袋の緒が切れたようだった。
「じゃあ、かっぱ巻きを3人前で。それからオーナーを呼んでください」
そう笑顔で言う。俺の兄は本気で怒った時、感情に任せて怒鳴ったりしない。笑顔で冷静に淡々と話す。昔からその様子を何度も見ている俺は、大人になった今でもその笑顔に少し体が震えた。
しかしそのことを知らない店の大将は、また俺たちを馬鹿にした態度を取った。
「オーナーは今、姉妹店の準備で忙しくて、今ここにはいないんです」
「でしたら、俺が自分で呼ぶので構いませんよ」
その一言に大将がまた吹き出す。
「あなたがオーナーの連絡先を知ってるわけないでしょ。こんなバレバレの嘘ついて見え張らない方がいいですよ。嘘がバレた時、恥をかくのはお客様ですから」
その大将の笑い声を無視して、兄はスマホをポケットから取り出すと、すぐに電話をかけた。
「電話するふりなんていいですって。嘘を重ねたら重ねただけ、バレた時恥ずかしいですよ」
しかし兄は構わずに会話を続けた。
「ああ、私です。今そちらのお店に弟といるんですが…」
兄が電話をするふりをしていると思い込んでいる大将の顔は、まだ嫌味な笑顔を浮かべていた。
「じゃあ、よろしく」
そして電話を切った兄が大将に言う。
「おい、かっぱ巻きを3人前だ。すぐに到着するオーナーと3人でいただく。早く作って持ってこい。おすすめなんだろ」
その兄の冷静かつ凄みのある言い方に、大将は何も言い返せなくなり、返事もせずに部屋から出ていった。
「なあ、なんであんなやつが大将なんかやってるんだよ」
俺はつい興奮してそう怒ったのだが、兄は相変わらず冷静だった。
「まあまあ、オーナーが来てから話を聞こう」
するとすぐに、扉の向こうの廊下からドタバタと走る激しい足音が聞こえてきた。
「ほら来たぞ」
兄は小さく笑った。そして俺たちのいる個室の扉が勢いよく開く。
そこに現れたのは、顔面蒼白になっているオーナーと、何が何だか分からないといった顔の大将だった。
「本当に申し訳ありませんでした」
オーナーはすぐにその場に土下座をして謝ってきた。大将はオーナーのその姿を見ても、まだ不思議そうな顔をして突っ立っている。
「何してんだ?お前も謝るんだよ。土下座をする」
オーナーに怒鳴られ、そこでようやく大将もその場に土下座をした。
「まあ、顔を上げてくださいよ」
両手を地面に置いたまま顔を上げた2人に、兄がこれまでの大将の無礼を全部言って告げた。
「オーナー、あなたはこの店を開く時に言いましたよね。金持ちもそうでない人にも平等に美味しい料理を提供し、みんなが幸せになる店を作りたいって」
「はい」
「俺はその気持ちに感動したから、この店にうちのマグロを下ろすことに決めたんですよ。なのに、このざまは何ですか?」
「本当に申し訳ありませんでした。私からもよく言って聞かせますので」
そして地面に額を擦りつける勢いで土下座をした。
「どういうことですか?」
まだ事態を把握できていない大将が、おずおずとオーナーに尋ねる。
「うちの店で売上の半分を占めるあのマグロは、この方が養殖しているブランドマグロだ」
「え…」
「それに、こちらの弟さんは一級建築士をなさっていて、うちの店のデザインから設計から何から何までやってくださった方だ。この2人がいなければ、うちの店は成り立ってないんだぞ」
オーナーの話を聞いて、ようやく自分がしたことの重大さに気づいた大将は、みるみる顔が青ざめていった。
「本当に申し訳ありませんでした」
そして慌ててまた土下座をし、何度も頭を下げてきた。勢いよく何度も頭を下げるので、そのまま首の骨が折れるんじゃないかと思うほどだった。
「大将、このスーツのブランドはご存知ですか?」
俺が着替えのために持ってきたスーツのタグを見せる。そのスーツはオーダーメイド専門のハイブランドのものだった。そして次に、左腕に巻いた腕時計を見せた。
「この腕時計も、決して簡単に買える額のものではありません。しかも限定モデルです」
その腕時計は超有名ブランドの、世界に5つしか存在しない幻と言われたモデルだった。
「あなたには汚く見える作業着を着ていても、それは働いている証拠です。その働きの裏には、お客様の大きな笑顔と幸せがあります。そして大きな利益を生んでるんです」
「はい」
「あまり人を見かけや服装だけで判断していると、このお店の評判を落としてしまいますよ」
俺のその一言がとどめになったのか、大将は額から汗を垂らし、言葉を失っていた。
その後、オーナーが抜け殻のようになった大将を引っ張って、2人で部屋を出ていった。
そして俺と兄は、美味しい魚料理を食べながらいろんな話をした。
「でも、持ち物を自慢するなんて、ちょっとダサかったかな」
怒りに任せて取った行動を、少し反省した。
「いや、そんなことはないさ。それに見た目や服装で判断してはいけないってことが、あの男にも身に染みて分かっただろう。むしろかっこよかったよ」
「ありがとう」
兄に褒められて少し嬉しくなった。兄が下ろしている魚を使った料理はとても美味しく、その後は2人でとても楽しい時間を過ごすことができた。
後日、兄から聞いた話だと、オーナーから連絡があり、あの大将を首にしたらしい。そして兄は、たまたま立ち寄ったチェーン店のファミレスで、その厨房で働く大将を見かけたそうだ。
「心を入れ替えて立ち直ってくれればいいけどな」
「そうだね」
2人でそんな話をしたのだった。



