「たかが中卒の分際が私に指図するなんて言語道断だわ!」役員の妻・佐木さんは、バーベキューの準備中にそう叫ぶと、熱々の豚汁をわざと私の胸にぶちまけた。後ろでは彼女の夫も、その光景を指さして大笑いしている。私はただ黙って立ち尽くすしかなかった。中卒の私が、一流大学出の役員夫妻に何を言っても無駄だと分かっていたから。でも、彼らは知らない。この侮辱を、私は決して忘れない。そして数時間後、会社の社長が…

「たかが中卒の分際が私に指図するなんて言語道断だわ!」役員の妻・佐木さんは、バーベキューの準備中にそう叫ぶと、熱々の豚汁をわざと私の胸にぶちまけた。後ろでは彼女の夫も、その光景を指さして大笑いしている。私はただ黙って立ち尽くすしかなかった。中卒の私が、一流大学出の役員夫妻に何を言っても無駄だと分かっていたから。でも、彼らは知らない。この侮辱を、私は決して忘れない。そして数時間後、会社の社長が...

バーベキューの準備で忙しい中、役員の妻である佐木さんがまた顔を出した。呼ばれてもいないのに、いきなり余計な口出しをしてくる。

「こんな安物のお肉しか用意できなかったの?私が言ってあげれば特上のものを持ってこれたのに。それに、あなた手が遅いわよ。ほら、もう溢れちゃったじゃないの」

新人の社員が慌てて謝る。佐木さんはさらにヒートアップする。

「このお洋服、いくらすると思ってらっしゃるの?万が一汚れたらどうしてくれるのよ。もういいわ。それより、私にホットカフェラテを買ってきてちょうだい。ほら、急いで。今すぐよ」

新人は泣きそうな顔をしている。ただでさえ忙しいのに、仕事を増やすばかりか社員を顎で使う。私はとうとう堪りかねて口を開いた。

「新井夫人、すみませんが、準備は私たちがしますので、あちらでお待ちください。あまり口を出されると現場が混乱しますし、何より会社の人間でもない方が社員を使用で使うのはいかがなものかと」

瞬間、佐木さんの顔色が変わった。彼女はカッと目を見開いて怒鳴る。

「たかが中卒の分際が私に指図するなんて言語道断だわ!あなたの段取りが悪いから、私が代わりに手伝ってあげているのに。そんなことも分からないなんて、本当に低学歴はこれだから!」

「申し訳ありませんが、ここの責任者は私ですので、任せていただきたい」

「覚えてなさいよ!」

佐木さんは怒りを露わにして去っていった。新人が心配そうに私を見る。

「宮下さん、大丈夫ですか?」

「大丈夫だよ。誰かが言わないといけないんだから。ほら、それより準備が間に合わなくなるよ」

私は普段通りの笑顔を見せて頷いた。後々面倒なことになるだろう。しかし、今は目の前の仕事だ。気持ちを切り替えて、私はバーベキューの準備に努めた。

私は宮下慎一。とある自動車部品メーカーに勤務している。中肉中背で薄い顔という日本人の典型のような外見で、自分の感情より周りの意見を優先するからか、社内でも目立たない存在だと思っている。

私の実家は小さな町工場を営んでいた。だが、私が中学生の時、父が大病を患った。母を早く亡くし、それからは男手一つで父に育てられた私は、少しでも父の助けになればと中学卒業後、すぐに工場で働き出した。

父の工場は技術こそ定評があったものの、取引先との縁がなく、経営は苦しかった。だが、私や工場で働く若い人間が中心となって積極的に営業をかけたところ、とある自動車部品メーカーがその技術に目をつけてくれて、結果的に工場はその会社の一部門として吸収され、倒産を逃れた。

やがて私は仕事の飲み込みの速さと正確さ、そして父や工員に叩き込まれた技術に対する知識を会社の社長に気に入られ、「今の会社で働かないか」と勧誘された。その頃には手術に成功した父もだいぶ回復していて、私は実家の工場を離れ、本社勤務となった。

また、私が本社に移った頃は会社もさほど大きな規模ではなかったが、数年後、大手自動車メーカーの下請けとなった時期から急成長を果たした。今では特許技術も数多く保有する、その分野では知らない者はいないと言われるほどの会社となった。

だが、規模が大きくなれば、それだけ社内での圧力も増えてくる。数年前にこの会社の常務に収まった新井は、定年退職した元役人だ。俗に言う天下りである。会社としては彼の持つコネクションとパイプを期待して役員の席を用意したのだが、本人もそれを十分に察してこちらの足元を見ているのか、日々仕事もせずにただ偉そうにふんぞり返っている種類の人間だった。

そして、彼が常務に就任してからの一番の迷惑といえば、彼の妻である佐木さんが、断るたびに社員に差し入れして手作りの菓子を携えて会社に押しかけてくることだった。しかも彼女は自分自身のセンスや提案力に絶大なる自信を持っているらしく、断るたびにああしろ、こうしろと、よく知りもしないのに社内のシステムに口出ししては自分の思い通りに運ぼうとする。

ある日も、同僚が「新井の奥さんが来るぞ」と告げると、社員たちは皆、うんざりした様子でため息をついた。

「またあのまずいお菓子食わされるのか」
「つうか、あの人、フロアの効率化とか言ってるけど、提案がことごとくずれてんだよな」
「そもそもあの人、夫が役員ってだけで、この会社の社員でもないのにな」

私も内心同意する。そして数分後、フロアに彼女の甲高い声が響き渡った。

「皆さん、今日も皆さんが大好きな私の手作りお菓子を差し入れに参りましたわ。今日はね、私が最近はまっているカヌレを焼いてまいりましたの」

瞬間、社員たちの心情を反映してフロアの空気が一気に淀んだ。それには全く構わず、佐木さんは取り巻き数名と共にフロアを練り歩き、強制的に手作り菓子を社員へ押し付けて回った。

「それにしてもここ、暑くございません?空気も良くないわ。もういくら面倒でも、空気の入れ替えくらいはなさいません?」

出来の悪い生徒を前にした教師のような顔で彼女はそう言うと、取り巻きたちが問答無用でフロアの窓を開け放ち始める。すると、突然吹き込んできた風に煽られ、書類が吹き飛ばされそうになる。社員たちが慌てて書類を押さえ始める混乱の中、佐木さんだけは得意げな顔をして胸を張っていた。

「働いたら喉が乾いたわ」

そう言って、近くの社員に飲み物を出すよう要求する始末。その暴虐無振りに、私が思わず彼女の方を見やると、タイミングが悪いことに佐木さんの方もこちらを見たところだったらしく、ばっちりと目が合ってしまった。

「あら、中卒の宮下さん。何か私におっしゃりたいことでもおありなの?」

「いえ、そういうわけでは」

「そうよね。私たちに中卒のあなたが文句をつけることなんてあるわけないものね」

嫌みたっぷりにそう言うと、佐木さんはそれきり私には興味をなくしたようにして足を向ける。一流大学を出て官僚となった新井は、並みならずとにかくプライドが高いのだが、それは妻である佐木さんも同様だった。そして、何かの拍子に新井夫妻は私が中卒だと知ったらしく、以降、思い出したようにして私を馬鹿にしてくるのだった。

夫の立場を傘に立て、社員でもないのに我が者顔をする妻。そんな妻を止めず、仕事もしない形だけの役員の夫。会社運営においての不健全要素となっているこの問題をどうにかできないものだろうかと試案しながら、私は日々を過ごしていた。

それからしばらくして、春の恒例行事である社内親睦会が近づいてきた。新年度前に社員やその家族も参加して、会社の敷地内で大規模なバーベキュー大会を行うのだ。その親睦会では毎年、新年度の目標や体制がみんなの前で発表される手はずとなっている。私は親睦会の責任者として、当日もバーベキューの準備に追われていた。すると、そこへ呼ばれもしないのに再び佐木さんが顔を出し、早速ああだこうだと余計な口を出してくる。

「こんな安物のお肉しか用意できなかったの?もう言ってくだされば、特上のものをお持ちできたのに。それにあなた、手が遅いわよ。私に貸しなさい。ほら、もう溢れちゃったじゃないの」

「す、すみません」

「このお洋服、いくらすると思ってらっしゃるの?万が一汚れたらどうしてくれるのよ。もう、それよりあなた、私にホットカフェラテを買ってきてちょうだい。ほら、急いで。今すぐよ。今すぐ」

突然割り込んできた常務夫人の言葉に、準備を手伝ってくれていた新人はすでに泣きそうになっている。ただでさえ忙しいところに、さらに仕事を増やすばかりか、社員を困らせ使おうとする彼女へ。とうとう私は堪りかねて口を開いた。

「新井夫人、すみませんが、準備は私たちがしますので、あちらでお待ちください。あまり口を出されると現場が混乱しますし、何より会社の人間でもない方が社員を使用で使うのはいかがなものかと」

日頃から中卒だなんだと馬鹿にしている相手からそんな注意を受けた彼女は、立ちまち不機嫌になってしまったようだ。佐木さんはカッと顔を赤らめて怒鳴る。

「たかが中卒の分際が私に指図するなんて言語道断だわ。あなたの段取りが悪いから、私が代わりに手伝ってあげているのに。そんなことも分からないなんて。本当、低学歴はこれだから」

「申し訳ありませんが、ここの責任者は私ですので、任せていただきたい」

私の言葉に、佐木さんは「覚えてなさいよ」と捨て台詞を吐き、怒りを露わにしてその場を去っていった。

佐木さんを完全に怒らせてしまったので、後々面倒なことにはなるだろう。だが、今は目の前の仕事だと気持ちを切り替えて、私はその後も黙々とバーベキューの準備に務めた。そして、なんとか予定通りに準備が終わり、食材や飲み物が行き渡るとともに、あちこちで賑やかな笑い声が聞こえ始める。社員やその家族たちの楽しそうな様子に、私も安心してバーベキューを楽しんでいた。

だが、そんな和やかな一時も束の間、数メートル先に座っていた佐木さんとその取り巻きがニヤニヤと笑いながら私の方へ近づいてくるのが見えた。その手には、鍋からよわれたばかりの豚汁が入ったプラスチック容器。そして彼女たちは私の横を通り過ぎる瞬間、佐木さんはこともあろうか、湯気を立てる熱々のそれを私の胸の辺りにぶち負けてきたのだった。

「あ、やだ。ごめんなさい。手が滑っちゃって」

あまりの暑さに飛び上がった私に、佐木さんはそんなことを言いながらもクスクスと忍び笑いをもらす。見れば、彼女の夫である新井も、そんな私の姿を指さして愉快そうに笑っていた。

やがて佐木さんは火傷の心配をするふりをしながらこちらに身を寄せると、私にだけ聞こえる声でこんなことを言ってきた。

「あんた、中卒のくせに生意気にも指図なんてするからよ。どっちが偉いかなんて分かりきってるのに、本当腹立たしいったら。中卒のバカは豚汁を飲むより、かけられた方がお似合いだわ」

そうして勝ち誇ったように鼻を鳴らすと、佐木さんは「早くお着替えなさいよ」などと、まるで他人事のようにそう告げて満足したかのように去っていく。

「大丈夫ですか?私、ここ片付けておくんで、宮下さんは早く着替えてきてください」

あまりにも子供じみたその嫌がらせに直後は呆然としていた周囲も、まだ湯気の立っている汁をポタポタと垂れ流す私を見て、慌ててタオルやナプキンやらを差し出してくれた。幸いバーベキューということで汚れてもいい服を着ていたし、着替えも持ってきている。

「宮下さんにちょっと注意されたからって、こんなことするなんて。信じられない」

と怒りを通り越して呆れ顔なのは、先ほどもバーベキューの準備を一緒にしていた新人だ。だが私はその言葉を聞いて苦笑すると、軽く手をあげる。

「ごめん。じゃあちょっと着替えてくるから、後をお願いするね」

そう周囲に声をかけ、私はしばし中座したのだった。

日も傾き始め、バーベキューも終盤となり、社長が締めの挨拶のために壇上へと上がる。着替えから戻った私も、以降は特に嫌がらせされることはなく、食材などを片付けていた手を止めてその場に腰を下ろした。

「突然のことだが、みんなに、私は今年度を持って退任することにした」

まず社員への感謝を述べた社長だったが、続けて退任を発表する。社長は若いながらまだまだ元気なため、このタイミングでの引退を予期していなかった社員たちは、驚きのあまりどよめいた。社長はそんな社員たちをなだめるように手をあげた後、優しい笑みを浮かべる。

「驚かせてすまない。だが、目まぐるしく物事が変化するこのご時世、そろそろ老兵は去った方がいいと決断した」

社長の説明を、社員たちは神妙な面持ちで聞く。社長は静まり返った会場をぐるりと見渡し、一つ頷いてから口を開いた。

「では、新年度からの社長を紹介する。宮下慎一君」

「はい」

名前を呼ばれた私は、さっと壇上へ上がり社長の横へ立った。

「宮下君は社歴も長く、この会社のいいところも悪いところも全て知り尽くしている。また、社内の誰よりも勉強熱心で知識も豊富なこと。そして何より、その人柄の良さは周知であろう」

社長の言葉に、今まで付き合いのあった後輩や同僚が同意するように大きく頷いてくれる。

「よって、社長にはこの宮下君がふさわしいと私は判断した。よろしく頼むぞ、宮下君」

「はい。誠心誠意務めます」

差し出されたその手をしっかりと握り、私は心から頷いた。

「宮下君からも、みんなに挨拶を」

「では、僭越ながら一言だけ」

スピーチを求められた私は、一旦言葉を切り、集まった社員やその家族たちの姿を見回す。視界の端には、呆気に取られた顔でポカンとしている新井夫婦とその取り巻きがいる。その驚きようについ笑いそうになってしまった。

社長交代の件はもちろん上層部役員にはすでに伝えてあったのだが、新井常務だけには秘密にしてくれと私はお願いしていた。そして日頃の横柄な態度が他の役員たちからの反感を買っていた新井は、私の希望通り何も知らされずこの場にいるようだった。私が彼らの方を一瞥すると、新井夫妻は「ヒッ」と引きつった声をあげて顔を青ざめさせる。だが私は何事もなかったかのように彼らに向かって笑顔を送ると、ゆっくり口を開いた。

「私が社長へ就任した暁には、社内改革を必ず実行します。学歴差別や立場を傘に来た横柄な振る舞いなどは厳しく処分。誰もが伸び伸びと働ける職場環境を作ることが目標です」

私がそう言った瞬間、新井夫妻はますます身を縮こまらせ、もはやその顔色は青を通り越して白くなっている。だが、彼らを除いた他の社員や家族たちは、私のスピーチに盛大な拍手を送ってくれた。彼らの仕事と生活を守ること、その責任の重さを改めて実感しながら、私はその場で深々と一礼したのだった。

新年度が始まった。私は社長就任スピーチ通り、職務怠慢として新井常務を課長に降格、そして地方の出張所への左遷を決定する。その処分を受けた新井夫妻は、またたく間に離婚した。どうも佐木さんが左遷された夫にさっさと見切りをつけたようだ。また新井元常務は左遷と降格という処分が受け入れられなかったらしく、それから3ヶ月もしないうちに自らの辞表を出し、今は行方知れずとなっているという。

天下り役員だったこともあり、元の官庁から苦情の一つでも来るかと思ったが、そんなことは特になかった。そして佐木さんはといえば、これまでの裕福な暮らしぶりから抜けられず、借金まみれになったまま分不相応な暮らしを続けているとのこと。彼らのその後は、まるで時代や取り巻く環境の変化に対応できなかった者の末を見ているようで、私はより一層身が引き締まる思いがした。

その他にも前々から気になっていたシステムの効率化などを図った結果、格段に風通しの良くなった会社は業績も上がり、社員のモチベーション上昇にもつながっているようだ。食堂で昼食を食べていると、その姿を見つけてくれた後輩が駆け寄ってきてくれた。

「宮下さんが社長になってくれて、本当に良かったです。これからも精一杯働かせていただきます」

「そう言ってもらえて嬉しいよ。これからもよろしく頼むけど、勢いだけでやろうとはしないように」

「へへ。肝に命じておきます」

社員が生き生きと働く姿を見守りながら、私はこれからも彼らのためより良い環境作りを徹底していこうと心に誓ったのだった。

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