「お前じゃなくて美人な妹と結婚する」——結婚式まで1ヶ月を切ったある日、婚約者から突然の電話でそう宣告された。動揺する私に、彼は続けた。「リホが俺の子を妊娠したんだ。お前との婚約は破棄だ」。自分の実の妹に、またしても彼氏を奪われた。これまで何度も繰り返されてきた光景。でも今回は結婚が決まっていた。涙も出ないほど呆然とする私に、リホからメッセージが届く。「アキラさんは私の方を愛してるって」。そ…

「お前じゃなくて美人な妹と結婚する」——結婚式まで1ヶ月を切ったある日、婚約者から突然の電話でそう宣告された。動揺する私に、彼は続けた。「リホが俺の子を妊娠したんだ。お前との婚約は破棄だ」。自分の実の妹に、またしても彼氏を奪われた。これまで何度も繰り返されてきた光景。でも今回は結婚が決まっていた。涙も出ないほど呆然とする私に、リホからメッセージが届く。「アキラさんは私の方を愛してるって」。そ...

「お前じゃなくて美人な妹と結婚する」

そう言い放ったのは、私の婚約者だった。

数ヶ月前まで、私は幸せの絶頂にいた。職場で出会った彼、アキラと婚約し、結婚式まで1ヶ月を切ったところだった。

しかし、突然の電話で全てが崩れた。

「聞いたわ。リホがあなたの子を妊娠したんですってね」

「そういうことだ。お前との婚約は破棄だ。やっぱり美人な妹と結婚する」

一方的な婚約破棄の宣告。私の実の妹、リホがアキラの子供を妊娠したという。

「婚約破棄するなら慰謝料を払ってもらうわ」

「自分の妹がこれから出産しようって時にひどいやつだな。だから乗り換えられるんだ」

一言の謝罪もなく、当然と言わんばかりのアキラに、私は呆れて何も言えなかった。

私はカオリ、26歳。大手総合商社系のデパートで販売として働いている。

数ヶ月前、同じ販売のエースであるアキラからプロポーズを受けた。彼は私より4つ年上で、ハンサムな顔立ち。主力顧客である女性客からの人気も高く、彼を狙っている女性は大勢いた。

入社当初は、アキラと付き合えるなんて思ってもいなかった。私はどちらかと言うと地味な顔立ちで、性格も大人しい方。他の女性のように積極的にアピールもできない。

しかし、ある日、彼の方から食事に誘ってくれたのだ。その席で、アキラから交際を申し込まれた。

「千景さんの落ち着いた雰囲気が僕は好きなんだ」

アキラが私を選んでくれたことが嬉しくて仕方なかった。しかし、私には1つだけ心配なことがあった。

私には1つ違いの妹、リホがいる。これまで何度も交際相手を奪われてきたのだ。

リホは小さい頃から私のものを欲しがる癖があり、高校生の時に初めて付き合った彼氏も、大学生の時に付き合った彼氏も、私が気づかないところで奪っていった。

リホは私よりも見た目が華やかで、男性にはよくモテる。しかし、自分に言い寄ってくる男性よりも、誰かの彼氏の方が魅力的に見えたのかもしれない。

私が交際する彼を紹介した途端、あっさりと奪っていったのだ。そのせいで何度リホと大喧嘩したかわからない。それでもリホの癖は治らなかった。

リホは大学を卒業してからも就職もせず、複数の男性を渡り歩いている。毎日遊び歩くリホに両親も頭を悩ませていたが、いくら叱られても彼女が改心することはなかった。

そんなリホにアキラを紹介したら、きっとまた横取りしようと画策するに違いない。

せっかく決まった結婚をリホに妨害されないよう、私はアキラと交際していることも結婚することも、ギリギリまで秘密にすることにした。

しかし、結局、両親への結婚の挨拶を済ませ、結婚が具体的に進む中で、リホに知られてしまうことになる。

当日、実家に赴くと、両親の横にリホが座って待っていた。

「初めまして。千景さんと結婚させていただくことになりました。アキラと言います」

「お姉ちゃんがこんな素敵な人を隠してたなんてね。リホ、びっくりしちゃった」

やはりリホはアキラに興味を持ったようだ。

両親は挨拶を済ませると、一緒に昼食を食べようと近所のレストランに予約を入れた。店に向かう道中、リホはアキラの横から離れない。

「素敵な腕時計をしてるんですね」

リホは腕時計を見るふりをして、アキラの手を握った。

「ちょっと」

「別にいいじゃない。将来のお兄さんになる人でしょ」

レストランに到着し、席に着くと、リホはわざとらしくアキラの足に自分の足をくっつけた。

アキラはリホのあざといアプローチを拒絶するどころか、むしろデレデレと鼻の下を伸ばしていた。

途中、両親がトイレに立つと、リホの行動はますますエスカレートした。

「アキラさんがお姉ちゃんと結婚するなんて、なんか残念だわ」

初対面だというのに、リホはアキラの腕に絡みつき、自分の胸を押し当てて彼の気を引こうとした。

「いい加減にしなさいよ」

「まあいいじゃないか。僕にとっても妹になる人だ。そんな目くじらを立てることないよ」

アキラはリホのお色気攻撃に気をよくしたようで、妹を擁護した。

その日、自宅に帰った私はアキラに釘を刺すことにした。

「リホが何かしてきても、本気にしちゃだめよ」

「分かってるよ。今日は大事な挨拶の日だから、ことを荒げたくなかっただけだ」

アキラはリホには興味もないと言ったが、そうであればリホのボディタッチを断るべきだ。

「デレデレしてたわよ」

「それは男だから仕方ないだろう。あんなにグラマラスな体を押し付けられたら、いくら俺だって」

「それがリホの作戦なの」

「心配しなくても、俺が結婚するのは千景だよ。例えリホちゃんでも俺の気持ちは変わらない」

アキラの言葉に私は安心した。

しかし、次の週末、アキラとのデートにリホがついてきたのだ。

「どうしてついてくるのよ」

「だって、お姉ちゃんがいないと寂しいんだもん」

私のことなど興味もないくせに、リホはわざとらしく目を潤ませている。

「いいじゃないか。今日は3人で出かけよう」

「さすがアキラさんね。お姉ちゃんよりも理解があるわ」

リホは嬉しそうにアキラの腕に絡みついた。

結局その日は1日、リホも一緒に出かけることになったのだが、この日以降、リホは私たちのデートについてくるようになった。

「いつもいつもついてこないでよ」

「そんなに怒らなくてもいいじゃない。私はただお姉ちゃんと一緒にいるのが楽しくて」

リホはあざとく涙を浮かべ、アキラを見つめた。

「こんなに慕ってくれてる妹を泣かせるなんて、君は人として最低だ」

アキラは完全にリホの術中にはまっていた。

「もういいわ。私は帰る」

結局その日はデートを取りやめ、私は家に帰ってしまった。

それ以降、アキラは私と会うのを避けるようになっていった。

結婚式の会場選びや具体的なプランニングも「お前の好きにしろ」と言い、仕事を理由に打ち合わせにも顔を出さない。衣装合わせにも来ず、私に選んでおいてくれと丸投げし、電話をかけても面倒くさそうな声を出した。

まさかアキラまでリホに奪われるのではないか。私の中の不安は大きくなるばかりだった。

結婚式まで2ヶ月と迫った頃、久しぶりにアキラとデートをすることになった。

アキラの気持ちをちゃんと確認しよう。そう思いながら待ち合わせ場所に行くと、アキラはリホと2人で待っていた。よく見ると、アキラは見たことのない服を着ている。

「この服、いいでしょう。私が選んであげたのよ」

「リホちゃんのセンスの良さには感心したよ」

「お姉ちゃんのセンスはイマイチなのよね。だから全部処分しておいたから」

驚いたことに、リホは私がアキラのために選んだ服を全て処分したと明かしたのだ。

「どうしてそんなことするの?」

「リホちゃんに選んでもらった服の方が、俺の趣味にも合うんだ」

アキラは、私に隠れてリホと2人で出かけているようだ。

「私に隠れて2人で会ってたのね」

「別にそんなんじゃないさ。ただちょっと買い物に付き合ってもらってただけだよ」

アキラはリホとの関係を否定したが、2人の親密ぶりを見ていれば、それが嘘なことくらい私にも分かった。

それ以降も、アキラは私と会おうとしない。次第に私はアキラに対しての気持ちが覚めていった。アキラもまたリホに乗り換えるつもりなのだろう。

そう思った私は、アキラに今後のことを話し合おうとメッセージを送った。結婚式を取りやめるのであれば、式場をキャンセルして招待客にもその旨連絡しなくてはならない。取りやめないまでも、この時の私の気持ちのままでは、とてもアキラと結婚する気になれなかった。

しかし、アキラからは何も返事がなかった。

1週間後、実家の母から電話がかかってきた。何でもリホが妊娠したという。

驚いた私はその日実家に向かい、リホ本人を問い詰めることにした。

「妊娠したってどういうこと?」

「どういうって、そういうことよ」

「父親は誰なの?」

まさかとは思うが、リホのお腹の子の父親はアキラなのではないか。私の中の不安は止まらなかった。

「父親はアキラさんです」

リホは勝ち誇ったように言い放ったのだ。

「なんてことだ。お前は千景の婚約者とどういうつもりだ?」

両親はリホに詰め寄っていたが、私は漠然と抱えていた不安が的中し、放心状態だった。

「分かったわ。もういい」

私はそのまま実家を出た。

しばらくして、私のスマホに通知音が鳴った。開いてみると、リホから「アキラさんは私の方を愛してるって」とメッセージが送られてきたのだ。

その直後、アキラから電話がかかってきた。

「聞いたわ。リホがあなたの子を妊娠したんですってね」

「そういうことだ。お前との婚約は破棄だ。やっぱり美人な妹と結婚する」

アキラは一方的に婚約破棄を宣言したのである。

「婚約破棄って、結婚式までもう1ヶ月もないのよ」

「式場のキャンセル料なら俺が払っておく。それでいいだろう」

アキラの身勝手な言い分に、私は怒りが込み上げた。

「婚約破棄するなら慰謝料を払ってもらうわ」

「自分の妹がこれから出産しようって時にひどいやつだな。だから乗り換えられるんだ」

アキラは、リホに乗り換えたのは私のせいだと言ったのだ。一言の謝罪もなく、当然とでも言いたげなアキラに、私は呆れて何も言えなくなった。

「それじゃあ、そういうことで」

アキラはその日以来、私の前から姿を消した。

翌日、母が私の自宅を訪ねてきた。

「大丈夫?」

「うん。でも、仕事はやめようと思ってるの」

アキラがリホに心変わりしてしまったことは、どうでも良かった。私に会うことを避けるようになった頃から、心のどこかで別れが来ることを予感していたのかもしれない。一方的な婚約破棄を言い渡され、私の中のアキラに対する愛情は一瞬で覚めてしまった。

しかし、同じ職場で働いている以上、顔を合わせないわけにはいかない。屈辱的な仕打ちを受けて、平常心でアキラと仕事を続けることなど私にはできないと思った。

「あなたがやめる必要はないわ」

「だけど、顔を見るのも辛いし」

「それならしばらく有休を取って、ゆっくりすればいいわ。その間にきっと何もかもいい方向に動き出すから」

母は何か策を練っているようだ。

「とにかく今は、2人の好きにさせときなさい」

母に説得され、私は退職を断念し、代わりにしばらく有休を取ることにした。

「何か考えがあるのね」

「お父さんと話し合って、あの2人に罰を与えることにしたのよ」

母は、婚約までしておきながらあっさりリホに乗り換えたアキラのことが許せないと言い、それ以上に、これまでのリホの行動の全てが我慢の限界だという。

「ママとパパに任せるわ。2人に何を言っても改心するとは思えない」

それでも両親の気が済むように制裁を加えてくれればいいと思った。

数日後、アキラは社長に呼び出された。どうやら父が、私たちが務める会社の社長に圧力をかけたようだ。

父はデパートの親会社である総合商社の筆頭株主をしている。その立場を利用して、娘に対するアキラの裏切りを全て報告し、彼を処分しなければ株を全部売却すると脅したそうだ。

焦った社長は緊急の役員会議を行い、アキラを窓際部署へ移動させることにしたらしい。

部署に戻ってきたアキラは、大きく肩を落として項垂れていた。当然だろう。アキラが移動になった部署は、いわば会社の墓場だ。移動させられた人物は、その環境に耐えられず、時期に退職をすると言われている。当然のことながら給与も大幅にダウンする。

同じ頃、母はSNSを使ってアキラの本性と不誠実さを徹底的に暴露する書き込みを拡散させた。

「婚約者がありながら、その妹を妊娠させ、一方的に婚約破棄を突きつけた」

とあっては、それまでアキラを慕っていた女性客も黙ってはいない。会社にはアキラへのクレームが殺到し、デパートには客が寄りつかなくなった。その結果、売上に甚大な悪影響を及ぼしたのだ。

実は母は、カリスマ主婦として強大な影響力を持っていた。その母が言うことであれば事実に違いないと、視聴者たちは信じてくれたようだ。

アキラへのクレームは次第に会社自体の信用問題に発展し、会社としても放置するわけにはいかなくなったらしい。アキラを窓際部署に移動させ、暗にやめることを促したのだ。

母の書き込みは、以前からリホを嫌っていた人々により次々に拡散された。

「私も彼氏を寝取られた」「リホに制裁を」

と声が上がり、大炎上していた。リホは私以外にも、友人の彼氏まで奪っていたようだ。

ネットでは個人情報がさらされ、自宅には連日見知らぬ人物からの嫌がらせの手紙や無言電話が繰り返されたらしい。

リホとアキラは周囲の誰からも祝福されず、職場や親族から孤立を深めていった。

数日後、アキラはデパートへの損害賠償を求められ、「支払えないなら退職しろ」と迫られたようだ。辞めたくないと抵抗したようだが、会社が求める数千万の損害賠償など支払えるわけがない。周囲から冷ややかな視線を送られ、仕事らしい仕事も与えてもらえずに絶望したアキラは、その後退職を提出して会社を去った。

1ヶ月後、リホとアキラは、わずかに支給されたアキラの退職金を使って結婚式を挙げたそうだ。しかし母の動画を見た招待客のほとんどが出席を拒み、2人の結婚式は寂しいものになったのだとか。それでもリホは豪華な結婚式を挙げたいと大きな会場を借り、プランの変更もしなかったらしい。そのため資金が足りなくなり、アキラは多額の借金を背負うことになったそうだ。

一緒に暮らし始めた2人だったが、リホの出産後、アキラは家事を怠り、家にも帰らなくなったという。収入もないのに贅沢な暮らしを強要するリホに愛想を尽かしたのだろう。アキラは経済的に余裕のある女性のヒモとなって暮らし始めたそうだ。

アキラの現状を耳にした私は、生まれたばかりの赤ちゃんを抱えてリホがどうしているのか心配になり、電話をかけてみた。しかし何度電話をかけても、リホが応じることはない。メッセージを送っても既読にもならず、私を避けているのかと母に頼んで連絡してもらったのだが、それでもリホの応答はなかった。

ある日、デパートに買い物に来ていた近所の人が、私に耳打ちするように声をかけてきた。その人の話では、リホは借金苦で経済的に困窮しているのではないかという。リホの自宅周辺に、借金取りらしい人物がうろついているというのだ。

確かにリホはアキラと結婚する以前、ホストクラブで散財を繰り返していた。その時のツケが借金としてまだ残っているはずで、仕事もしていないリホには返済などできるわけがない。その借金の取り立てに合っているのだと考えると、私や母の電話に出ない理由も分かる気がした。

おそらくリホは、アキラと結婚すれば借金から逃げ回る生活からも解放されると考えていたのだろう。しかし実際は、アキラは再就職もせず、別の女性の元に行ってしまったのだ。

しばらくして、当ての外れたリホは、借金取りから逃げ回る生活に疲れたと、実家の両親に経済的援助を頼んできたらしい。しかし両親は、リホに対し「私への裏切りや、これまでの自堕落な生活態度のせいだ」と厳しく叱りつけ、そのままリホを勘当した。リホへの一切の支援を拒否し、戸籍から除籍した上で、リホの相続権も剥奪したのである。

困り果てたリホは、私の家を訪ねてきた。

「本当に困っているの。お願いだから助けて」

「散々私を馬鹿にしておいて、そんなことがよく言えるわね」

「そんなこと言わずにお願い。2人だけの姉妹でしょ」

リホは涙を浮かべ私に助けを求めてきたが、これまでの私に対する仕打ちを考えると、とても助ける気にはなれなかった。

「自分がやってきたことの報いでしょ。私には関係ないわ」

「そんなお姉ちゃん」

「いくら頼まれても無理なものは無理。自分で何とかしなさい」

私はリホのこれまでの行いを厳しく非難し、冷たく突き放した。

「これまでのことは謝るわ。だからお願い。もうお姉ちゃんしか頼れる人がいないの」

「あなたが過去に私の私物を盗んで売りさばいていたことも知ってるわ。証拠だってある。これ以上しつこくまとうなら、この証拠を警察に持っていくわ」

リホはホストクラブに通うお金欲しさに、私が自分のお金で購入したブランドのバッグやアクセサリーなどを私の部屋から盗み出し、現金に変えていたのだ。

当時は何も言わずに家を出ることにしたのだが、この後に及んでもなお自分勝手な言い分を繰り返すリホに腹が立った。過去の仕打ちを全て公にし、損害賠償と慰謝料を請求するとリホに詰め寄ったのだ。

「ママもパパもお姉ちゃんだって、血も涙もない冷血人間よ。こんなに追い詰めて私を見捨てるなんて、きっと後悔するから」

リホは大声で私や両親を非難し、泣きながら引き上げていった。しかしリホの狙いは分かっている。近所の人に自分のことを悲劇のヒロインだと思わせ、私や両親の立場を悪くさせる根回しなのだ。

案の定、近所の人たちから「リホさんは大丈夫なのか」と声をかけられた。しかし、母が「ただの親子喧嘩よ」と笑って見せたことで、それ以上誰も追求してこなかった。

数日後、私は両親と共にリホの自宅を訪れた。リホがどうなっていても良かったのだが、生まれたばかりの赤ちゃんがどうしているのか気になったのだ。

リホの自宅に到着すると、家の中から赤ちゃんの鳴き声が聞こえてきた。しかしインターホンを鳴らしても誰も応答しない。そこに隣に住んでいる住人が顔を出した。隣人の話では、ここのところずっと赤ちゃんが泣いているという。

まさかリホは赤ちゃんを1人残して出かけているのではないか。

不安になった私と両親は、マンションの管理人に連絡し、リホの自宅の鍵を開けてもらうことにした。

数分後、管理人が鍵を持って現れ、部屋の中に侵入すると、部屋の中は散らかったままで、その一角にベビーベッドに寝かされた赤ちゃんがいた。

朝からずっと泣きっぱなしだという赤ちゃんは、満足にミルクも与えられていないのだろう。明らかに栄養失調だと分かるくらいに頬が痩せこけ、着ている服はオシッコで汚れていた。オムツも変えてもらえてないのか、部屋の中には尿の匂いが充満している。

幼い命だというのに、適切な世話もせず、リホは1人で外出していたのだ。

「これは明らかに育児放棄ね」

「そうみたいね。まさか自分で産んだ子の面倒を見ないなんて。いくら何でもひどすぎる。あいつはどこまで腐ってるんだ」

泣きじゃくる赤ちゃんを見つめながら、私は痛まない気持ちでいっぱいになった。散らかった部屋からオムツを探し出し綺麗なものに交換し、両親が買ってきたミルクを与えると、赤ちゃんはようやく落ち着いたように眠り始めた。

「こんな小さな子を放置するなんて、人として間違ってる」

そこにリホが帰ってきた。

「勝手に上がり込んで何してるのよ」

「これは一体どういうことだ? 乳飲み子を置いて、お前はどこに行ってたんだ?」

父は今にも飛びかかりそうな勢いでリホを叱りつけた。

「どこだっていいでしょ。大体、私のことは勘当したんでしょ。だったらちょいちょいしてこないで」

「この子はあなたしか守ってやる人がいないのよ。それなのに、こんな状態で放置するなんてありえない」

両親に詰め寄られても、リホは一向に反省するそぶりを見せない。

「最低ね。赤ちゃんをこんな目に合わせるなら、最初から生まなきゃよかったでしょ」

「うるさい。私を追い詰めたのはあんたたち。何にも助けてくれないで、偉そうに説教ばっかしないで」

リホは自分たちの無責任な振る舞いを棚上げし、私や両親を攻め立てた。

「もういい。お前とは親でも子でもない。ただし、子供は連れて帰る」

「勝手にしろ。あんな男の子供なんて見たくもないわ」

リホのあまりの態度に父は激怒し、子供を引き離すと言ったのだが、リホは「勝手にしろ」と言い放ったのである。

「言っとくけど、これは立派な犯罪よ。あなたもアキラもちゃんと罪を償ってもらうわ」

「家族を売るつもり?」

「残念だけど、もう家族じゃない。自分で産んだ子さえ世話もせず放置するような妹は、私にはいないわ」

その時、数人の警察官がやってきた。どうやらあまりの状況に異変を感じた管理人が通報したらしい。父はその場で警察官に事情を説明し、赤ちゃんを引き取ると話した。

その結果、リホは保護責任者遺棄の罪で警察に逮捕された。

その日のうちに、アキラの元にも警察官が現れ、彼もまた逮捕されたのだとか。

警察の取り調べで、リホは「借金苦によるストレスが溜まっていた」と、子供を置いてアキラ以外の別の男性に会っていたことを明かした。呆れたことに、リホは赤ちゃんを置いて2〜3日、家を開けることもあったという。

アキラは「家事もせず贅沢三昧を繰り返すリホと、連日泣き続ける赤ちゃんに愛想がつき、家を出た」と供述したらしい。

その後行われた裁判では、アキラは「望んでもいない子供の存在が鬱陶しかった」「リホの方に強引に迫られたせいだ」と自分の罪を認めなかった。リホは「家族に見放されたからだ」と言い訳をし、「責任は家族にある」と私と両親に責任転嫁した。

2人のあまりにも身勝手な言い分に、その場にいた誰もが呆れた顔を見せた。

数ヶ月後の判決で、裁判官は「どんな理由があろうとも、幼い命を放置する理由にはならない」と2人を強く非難し、実刑判決を言い渡した。

2人は当分の間、刑務所の向こうで反省することになった。数年後、出所してきたとしても、2人に帰る場所はない。それどころか、多額の借金の返済地獄が待ち受けている。しかし私と両親は、一切援助しないことを誓った。アキラの両親もまた、彼を勘当し援助しないことを決めたそうだ。

2人の子供はあれから病院で検査を受け、衰弱が見られるとして数日間入院することになった。その間に私は裁判所にリホとアキラの親権剥奪の申し立てを行い、2人の育児放棄の現状を訴えた。その結果、2人から親権が剥奪され、赤ちゃんは実家で預かることになった。

それからしばらくして、私は新しいパートナーに出会った。デパートに出入りしていた取引先の管理職をしている彼は、仕事も真面目で、人に対して誠実な素敵な人だ。両親も彼のことを気に入ってくれ、やがて私たちは結婚することになった。

結婚式には同僚や多くの友人たちと共に、親戚一同が来てくれて私たちのことを祝福してくれた。彼は両親のことも大切にしてくれている。結婚生活は順風満帆なものだった。

ただ1つ気がかりなのは、リホの産んだ子供のことだ。この時はまだ私の両親が育てていたのだが、このままというわけにもいかないだろう。両親は子供を養子に迎え、自分たちで育てる気でいるようだが、2人の年齢を考えると難しいものがある。

そんな矢先、私の妊娠が発覚した。お腹の中に小さな命が宿っていると思うと、言い表せぬ幸福感に包まれた。そして私はある決意を固めた。

「リホの子供のことなんだけど、俺が育てたいって思ってるんだろ」

夫は私が何も言わないうちから本心を言い当てた。

「実はそうなの」

「いい考えじゃないか。僕は賛成だよ」

夫の言葉に励まされ、私はリホの子も引き取ることにした。両親は「本当に大丈夫なのか」と心配していたが、たとえ自分で産んだ子ではなくとも、我が子と同じく訳隔てなく育てていくつもりだ。

その後、養子縁組の手続きを取り、私は正式に2人の子の母となった。

カナと名付けられたリホの子は、とてもよく笑う明るい子で、私が産んだ子の姉として一生懸命お世話をしてくれる。夫も最も2人の子を可愛がってくれ、今では週末に家族4人で出かけることが楽しみになっている。

これからもカナを本当の娘と思って育てていく。私と夫は互いに誓い合い、2人の子の親としてこれからも奮闘していく。

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