会議室で12人の部下に囲まれた時、中尾が言い放った。「中卒が部長。冗談は学歴だけにしてくださいよ。お前がやめないなら全員やめてやるよ」。私は中卒の叩き上げで部長になり、彼らはそれを許せなかった。辞表を突きつけ、退職を撤回しようとした彼らは、逆に取締役会で私を陥れようと企てた。私は静かに彼らを見つめながら思った。俺にはずっと前から準備していたものがある。そして、その日の取締役会で、私はある資料…

会議室で12人の部下に囲まれた時、中尾が言い放った。「中卒が部長。冗談は学歴だけにしてくださいよ。お前がやめないなら全員やめてやるよ」。私は中卒の叩き上げで部長になり、彼らはそれを許せなかった。辞表を突きつけ、退職を撤回しようとした彼らは、逆に取締役会で私を陥れようと企てた。私は静かに彼らを見つめながら思った。俺にはずっと前から準備していたものがある。そして、その日の取締役会で、私はある資料...

就任初日の朝、システム部の会議室に足を踏み入れた瞬間、空気の冷たさを肌で感じた。12人の開発メンバーは拍手もせず、表情ひとつ変えずに俺を見つめている。部屋の奥ではリーダー格の中尾が腕を組み、一瞥しただけで視線をそらした。

「まずは皆さんの業務内容を把握させてください。各自の担当と進捗を整理したい」

返事はなかった。この瞬間、俺は悟った。ここから協力を得るのは不可能だと。

俺は堀川、32歳。中卒でこのシステム開発会社に入り、誰も手をつけたがらない古い基盤システムの改修から始めた。独学で技術を積み、保守部門で3年間にわたりコストを3割削減。手作業の定型業務を自動化し、部門全体の作業量を月200時間圧縮した。その実績を見込んで俺を部長に推薦したのが、取締役の川島だった。役員会で過去最年少のシステム部長に就任したものの、開発部門とは接点がなく、これが正式な顔合わせだった。

業務の棚卸しを始めてすぐ、抵抗は明確になった。誰一人として資料を提出しない。直接尋ねると「別の案件が立て込んでいる」と目も合わせずに言い返される。提出された資料は0のまま、質問しても「担当者でないと分かりません」の一点張り。嫌がらせだと気づくのに時間はかからなかった。12人が示し合わせて、俺の棚卸しを潰そうとしている。

中尾は7歳年上で、開発チームの採用面接に長年関わっていたらしく、チームの全員が中尾の息のかかった人間だった。同期から聞いた話では、部長候補は中尾が有力視されていたのに、川島が俺を推して覆したらしい。廊下ですれ違いざまに技術者が言い放った。「中卒に説明できるような資料はないんで」。別の技術者には「部長がそれを知る必要があるんですか?」と素で返された。俺という存在が、部長として機能するとは思われていない。

就任から3週間が経った頃、中尾から内線が入った。「少しよろしいですか? 第二会議室に来てください」。会議室に入ると、中尾だけでなく12人全員が揃っている。最初に口を開いたのは中尾だった。

「このチームは全員大学でシステム工学やコンピューター科学を学び、採用試験を通過してここに入っています。中卒は1人もいない」

「これで何が言いたいのですか?」

中尾は正面から俺を見据え、薄笑いを浮かべて言い放った。

「中卒が部長。冗談は学歴だけにしてくださいよ。私たちは専門性を持ってキャリアを積んできた。あなたの下ではとても働けません。お前がやめないなら全員やめてやるよ」

部屋が静まり返った。12人の視線が俺に集まっている。折れるか、退くか、それだけを待っている目だ。だが俺の手元にはすでに材料がある。車内システムの稼働ログ、各担当の作業記録、進行中案件の進捗データ、提出を拒まれた資料の代わりに、アクセスできる全ての記録を自分で洗い出してきた。

「わかりました。承認します」

中尾の顔から余裕が消え、口を開けたまま固まった。俺は冷静に続ける。

「やめると言うなら引き止めません。ここにいる12人全員分、私が承認しますよ」

沈黙の後、中尾が低い声で問い返した。「本気ですか?」

「こちらこそ確認です。本気でないなら辞表を撤回してください。本気なら手続きを進めます」

翌日出勤すると、12枚の辞表が俺の机に置かれていた。俺はその日のうちに全員分を人事部へ送った。「受理手続きを進めてください」。人事部長は一瞬驚いた顔をしたが、書類を受け取った。

翌朝、12人が揃って辞表の撤回を申し出てきた。提出した翌日に回収を申し出るとは、本気で退職する覚悟があったのではなく、単なる脅しだったのだ。しかし手続きは正式に進んでいる。撤回の申し出を持ってきた若手技術者に、俺は淡々と告げた。「正式に手続きが進んだ書類を理由もなく返却することは原則としてできません。それを承知の上で提出したのではないのですか?」 男は表情を引きつらせて下がった。

その日の午後、人事部から内線が入った。12人が取締役会へ正式な申し立てを起こしたという。申し立ての中身は3点。部長の独断による手続き遂行が会社に損害をもたらすこと、進行中案件に支障が出て業績への影響は避けられないこと、そして中卒を部長にした経営判断に問題があること。自分たちから辞表を出した事実には一切触れず、全てを俺と会社側の問題にすり替えている。

翌朝、川島が俺の席を訪ねてきた。「少し話せるか」。技術室に移ると、川島は真剣な目で言った。「他の役員からの突き上げが来ている。俺への目が厳しくなっている。だが、私の判断は変わらない。取締役会でお前を守る。そのために、お前が用意しているものを見せてくれ」

俺は自ら準備していた資料ファイルを川島の前に置いた。「就任初日から準備しています」。ファイルには、12人の担当業務を洗い出し、それぞれの代替可能性を数値ベースで示した一覧。自動化で置き換えられる業務、外部委託の方が効率化される業務、俺が直接対応できる案件のリスト。外部委託先の見積もり書も添付してある。さらに、俺は一言添えた。

「実際にシステムに記録されている作業時間より多く働いたと申告している人間が複数います。それと、12人が抜けた場合の案件への支障度を試算した資料もあります」

川島は顔を上げ、俺を見て言った。「これなら行けるな。取締役会で和を作る」

取締役会への呼び出しは3日後に届いた。会議室に入ると、役員が5名、長テーブルに並んでいる。川島は右端に座っている。指定された席に着くと、隣には中尾がいた。議長役の常務が会を切る。

「双方から経緯を確認したい。中尾さんから話してください」

中尾は資料を持たず、前を向いたまま話し始めた。「部長が辞表の手続きを一括で進めたことで、システム部は正常に稼働できない状態になりました。納期が迫っている取引先案件が2件あり、現状が続けば損害は避けられません。部長の判断は感情的で、部門責任者としての責務を欠いています。辞表は改善を求める意思表示です。部長はそれを組織を解体するための根拠に使った。これが私たちの見解です」

中尾が着席した。辞表を出したのが12人の側からだという事実には、どこにも触れていない。次に常務が俺に発言を求めた。俺は資料を配ってから話し始めた。

「私が部長に就任した初日から積み上げてきた業務記録と、体制の見直しに向けた準備資料です。1枚目は担当業務の仕訳表。12人それぞれが処理してきた業務について、自動化プログラムへの移行が可能なもの、外部委託に適したもの、私が直接対応できるものの3区分で整理してあります。全て車内システムの稼働ログから直接引用したものです。2枚目は外部委託の費用見積もりで、3者から取得済みです。3枚目は就任2週間後に私が実装した自動処理プログラムの稼働実績。4枚目に、中尾さんが懸念事項として挙げた2件の案件について、現時点の進捗と納期までの対応手順を記載しました」

説明を終えると、中尾が口を挟んだ。「部長に有利になるよう、数字を操作した可能性があります」

「その可能性は0です。各ページ左下に参照元を記載しました。車内システムのログからの直接引用で、参照経路も添付してあります。元データとの照合ができます」

中尾は資料を睨むように見ている。追求する箇所を探しているのが動きでわかる。しかし、数字の出所が実際のログである以上、加工の余地を指摘することはできない。結局、中尾はページを閉じ、何も言わなかった。常務が数字の列に沿って視線をゆっくり動かしていた。室内が静まった。

そこで川島が口を開いた。「堀川、この準備はいつから始めたんだ?」

「就任初日からです。部下たちから協力が得られないなら、アクセスできる記録を全て自分で辿るしかないと決めた夜です」

資料に目を向けていた数人の役員が顔を上げた。常務が口を開く。「準備があることは理解した。しかし計画と実績は別物だ。1週間、この体制で実際に運用した数字を出してもらいたい。そこで改めて判断する」

1週間が経過した。システム部の業務は止まることも滞ることもなかった。辞表を提出した12人は、取締役会の指示によって別のフロアへ移動させられている。案件への関与を止め、運用実績を確認するための措置だと通達が届いた。就任直後から実装していた自動処理プログラムが、定型業務の6割以上を処理し続けた。残りの案件は俺が直接対応する。12の空席を横目に、俺はキーボードを叩き続けた。誰かに証明したいわけじゃない。数字が答えを出す。それだけだ。障害の発生は一件もない。中尾が取締役会で懸念として挙げた2件の取引先案件も、いずれも納期通りに完了している。

川島から内線が入った。「明日の午前、取締役会を開く。資料を用意してくれ」。それだけだった。

指定された時刻に会議室へ入ると、前回と同じ5名の役員が並んでいた。俺が席についてしばらくして、中尾が入室してくる。前回と違い、隅の席を指定されている。常務が口を開いた。「1週間の稼働実績を確認する。報告してください」

俺はファイルを配り、着席したまま話し始めた。「稼働率は前月水準を維持しています。障害の発生は0。就任後に実装した自動処理プログラムが定型業務の約6割を担い、残りは私が直接対応しました。懸念事項として上がっていた取引先との2件は、両件とも納期通りに完了しています」。余計なことは言わない。数字が言葉以上のものを語ってくれる。

常務が続けた。「もう1点確認があります。前回の取締役会を受けて、経理部門に調査を依頼していた件です」

別の役員が手元の資料を開いた。「過去2年分の工数申告を、車内のシステム稼働ログと照合した結果、申告した工数が実際の稼働記録を上回る事例が複数名にわたって確認されました。対象者の筆頭は、今回の申し立て人の1人です」

役員の視線が中尾へ向く。中尾が口を開いた。「そ、それは捏造です。部長が自分に有利になるよう、データを加工した可能性があります」

常務が静かに返した。「この調査は経理部門が独立して行ったものです。部長の資料とは出所も経路も異なります」

中尾は黙った。少し間を置いて、中尾が声を絞り出すように言った。「自分たちが在籍していたから案件は成立していた。この1週間問題ないように見えるのは、私たちが何年もかけて積み上げた基盤があるからです。部長1人で動かしているのではなく、私たちの蓄積を消費しているだけだ」

俺は手元のファイルから資料を取り出し、テーブルに広げた。「説明させてください。車内システムには、誰がいつ何の作業をしたか、開始から完了まで時刻が自動で記録されています。私はその記録と、各担当者が会社に申告した作業時間を1件ずつ照らし合わせました。実際に記録されている時間より多く働いたと申告しているものが複数います。経理部門も同じ方法で調査を行い、全く別のルートから出した2つの結果は同じ傾向を示しました。こちらが、12人が在籍していた2年間のコストと、12人がいない1週間の実績を月間換算で比較した表です」

中尾の顔の視線が数字の上を動いて止まった。「蓄積を消費しているだけだとおっしゃいましたが、その蓄積が何だったのか、答えを出しています。中尾さん、あなたは中卒が部長の下では働けないと言いましたが、1週間、数字に差は出ませんでした。全員やめると言ったことで何が明らかになったか、この表が示しています」

中尾は何も言えず、俯いてしまった。常務が口を開く。「確認は以上とします。工数申告の不正について、正式な調査を開始する。調査の結果によっては、損害賠償の請求も検討します」

中尾は力なく立ち上がり、出口へ向かった。ドアが閉まる音だけが会議室に残った。

数日後、取締役会は12人の申し立てを却下する決断を下す。手続きが進んだ辞表は全員分が有効となり、12人は正式に退職することになった。その後、転職活動を始めた12人は、面接先で前職の実績を数字で示すよう求められたが、提示できるものがなかったらしい。工数不正の調査が完了したものには損害賠償の請求書が届き、中尾も示談交渉のために法務部を訪ねてきたと、人事部の担当から聞いた。あの会議室で言葉を失った男が、別の部屋で頭を下げている。

半年後、俺が再編したシステム部の運用コストは就任前の水準を下回り、完了案件数も上向いている。廊下で俺を呼び止めた川島が、一言だけ言った。「俺の目に間違いはなかった。お前の能力は確かなものだ」

学歴はスタートラインを変えるかもしれない。だが数字に学歴は関係ない。川島が教えてくれたのも、結局そういうことだったのだと思う。俺がやれること、やるべきことはまだまだある。そう思いながら、次の案件のファイルを開くのだった。

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