同窓会の会場で、元カノの大葉が俺を見つけるなり、あの頃と変わらない笑みを浮かべた。
「山崎君、よく来たね。私だったら恥ずかしくて嫌なんだけど」
彼女はそう言って、俺を頭のてっぺんから爪先までじっくりと値踏みするように見つめた。
「それに、その地味な服本当に似合ってる。貧しい感じで。ていうか、貧乏人は一生貧乏なんだね」
大葉の言葉が、俺の心に鋭く突き刺さった。高校時代、貧しさを理由に俺を振った女。それが今、昔と変わらず、あるいはそれ以上に俺を見下してくる。
「山崎君には家を買うことすら難しいよね。工場を倒産させないようにするので精一杯でしょ」
彼女の嫌味は止まらない。旦那がベンチャー企業の社長で、住まいは都内の一等地にあるタワーマンションの最上階。海外に別荘を買う予定まであるらしい。
その時、俺の親友の岩崎が大きなため息とともに、割って入った。
「お前さ、何にも知らねえのかよ」
その言葉に、大葉が一瞬固まる。俺は、岩崎が何を言おうとしているのかを察して、静かに息を吐いた。
俺は山崎正一、30歳。今は実家の繊維工場を継いでいる。経営者、いわゆる社長だ。だが、俺は別に立派な人間ではない。ただの、ごく普通の二代目社長だ。
今でこそ経営は順調で、優秀な従業員を多く抱える会社になっている。だが、俺が子供の頃、実家の工場は借金まみれの町工場だった。貧乏に突きまとわれ、記憶の中にはいつも誰かに頭を下げている親父の姿があった。
「みんな申し訳ない。今月の給料は少しだけ待ってくれ。来月の給料日までには払うから」
「社長、頼みますよ」
「慣れてるといえば慣れてますけど、これがしょっちゅうとなると」
「本当に申し訳ない。俺の不徳の致すところだ」
給料の支払いが遅れるのは当たり前で、世間でお馴染みのボーナスが出せたことは一度もなかった。従業員の人たちは困りながらも、それでも親父を支えて働いてくれた。
親父は工場を守るため、銀行への融資交渉も、時には町金から金を借りることもしていた。銀行の取り立ても厳しかったが、待金の取り立ては容赦ないところが多かった。
「うちも別に慈善で融資してるわけじゃないんです。貸した金は返してもらわないと困るんですよ」
「申し訳ありません。私も約束を破ろうとしているわけではないんです。私に能力がないばかりに」
「だったら、とっとと工場を畳んだらどうですか? そうすれば、借金の悩みともおさらばできますよ」
「それは、それだけは」
父の情けない声が響くのは、工場の事務所の時もあれば、自宅の玄関先のこともある。玄関先で取り立て屋に土下座をする父。若い銀行員に詰め寄られる父。俺の父親像には、常にお金が絡んでいた。
父のことを軽蔑していたわけではない。立場ならではの大変さは理解しているつもりだったし、従業員と家族第一に考える人だということも分かっていた。ただ、子供の頃からずっとそんな姿を見せられると、どうしても尊敬の気持ちは持てなかった。
むしろ、俺は父のようにはならないと心に決めていた。学校ではとにかく何事にも手を抜かなかった。勉強、部活、課外活動。チャンスがあれば何でも挑戦した。陸上部では中距離選手として活躍し、地区大会や県大会で入賞もして、県の選抜選手にもなった。
それは、家が貧乏なことを周囲に知られまいとするための必死の努力でもあった。家は吹けば飛ぶような貧乏町工場で、自分の学費が無事に払ってもらえるかどうかすら気にしなければならない。そんな現実を、誰にも知られたくなかった。
俺のそんな努力が実ったのか、高校2年生の時、俺に彼女ができた。学年で一番、学校一のお嬢様と言われていた大葉はるかが、俺に告白してきたのだ。
「山崎君、私と付き合ってくれませんか?」
「え、本当に俺でいいの?」
学校一のお金持ちの家の娘と、貧乏町工場の息子。どう考えても不釣り合いだったが、彼女は「走る姿がかっこよくて好きになったの」と言ってくれた。その言葉が嬉しくて、俺は告白を受け入れた。
学校一のお嬢様と陸上部のスターのカップル。俺たちはあっという間に話題になり、俺は有頂天だった。自分の頑張りで人生を切り開ける。まだ子供だったが、そんなことを本気で思っていた。
だが、最初のデートで、その思いは粉々に打ち砕かれた。
デートの途中、大葉がショップで黄色いワンピースを選んだ。値段は1万5000円。俺の財布には、デートのために大切に貯めたお年玉を切り崩して持ち出した3000円しか入っていなかった。
「え、ちょっと、少し考えてからにしたら?」
値段に驚いて思わず言うと、大葉はポカンと口を開けた。
「え、どうして? だって1万5000円だよ」
「なんでこんなの、別に普通じゃない?」
大葉は躊躇なくワンピースを買い、嬉しそうに紙袋を受け取っていた。昼時には、彼女が「安くて美味しい」と勧めるレストランでランチを食べることになった。メニューを見ると、基本の値段が2000円。俺は「ケーキでいいかな」と適当な理由をつけてやり過ごすのが精一杯だった。
夕方、彼女を家まで送ろうとした時、大葉が爆発した。
「ねえ、正一君。今日、楽しくなさそうだったね」
「そうかな」
「なんかどこにも行きたがらないし、何も買ったりしないし、食べないし。それはもしかして、お金がなかったりするの?」
大葉は薄笑いで、俺の知られたくないところを突いてきた。必死に否定しようとしたが、彼女は俺を突き放した。
「やっぱりそうなんだ。そんな人だと思わなかった。同じことができない彼氏なら意味がないよ。まあいい。ランチもまともにしない彼氏なんて、ダサいし最低」
大葉はそう言い放つと、俺を振って去っていった。翌日から学校での俺を見る人の目は変わった。大葉とその友達が俺を指差してクスクス笑う。貧乏、ケチ、ダサい、情けないと、小声で囁く。それはいつの間にかクラス中に広がり、クラスメイトは俺の顔色を窺うようになった。
「気にすんなって。お前はお前だよ。別に俺たちだって金なんかないぜ」
仲のいい男友達はそう言って肩を叩いてくれた。自分のことを理解して偏見を持たない人もいる。俺はそれを励みに、大葉のことを忘れようと思った。そして、この経験で自分は誰に対しても分け隔てなく、今よりも強くなろうと心に決めた。
高校卒業後、俺はスポーツ推薦で有名大学に進学した。陸上を続けながら希望する工学部に入れる学校があり、飛びついた。大学でも陸上と勉強を4年間必死に頑張り、就職活動の頃には有名企業からの内定ももらえる状況になっていた。
そんな時、ふと実家のことを考えた。大学で研究した分野を生かして、自分のペースで仕事と研究を両立できる場所。それは、今でも親父が歯を食いしばって頑張っている実家の繊維工場かもしれない。親父に相談すると、親父は「お前の才能を生かすには惜しい環境だ」と言った。だが、俺は気にせず実家で働く道を選んだ。
そして、その決断から8年。30歳になった俺は、高校の同窓会の知らせを受け取った。会場は大きなホテルの宴会場。到着早々、陸上部の同期や親友の岩崎と昔話に花を咲かせていた。すると、大葉も会場にいた。高校生の頃と同じように長い髪をなびかせ、高そうな服を着て、ネックレスやピアスには光り輝く宝石を身につけていた。
「あいつ、会社社長と結婚したんだと」
岩崎が興味なさそうに言った。大葉は俺と岩崎を見つけると、嫌な笑みを浮かべて近づいてきた。そして、冒頭の嫌味のオンパレードが始まった。俺が実家の工場を継いだと言うと、大葉は目を丸くして大笑いした。
「え、嘘でしょ? 山崎君の実家の工場って超貧乏工場だったよね。それ継いだの? ありえないね。え、かわいそうだね」
そして、自分の今の生活をこれでもかと自慢した。旦那はベンチャー企業の社長で、住まいは都内の一等地にあるタワーマンションの最上階。旦那の両親も立派で家柄も申し分ない。近々海外に別荘を買う予定もある。
「山崎君には家を買うことすら難しいよね。工場を倒産させないようにするので精一杯でしょ」
大葉の止まらない自慢と、その合間に挟まる俺への見下し。俺が絶句していると、岩崎が大きなため息とともに割って入った。
「お前さ、何にも知らねえのかよ」
「は? 私に言ったの? 一体どういうことなのよ」
岩崎は声を張るでもなく、めんどくさそうに言った。
「お前の正一の記憶は古すぎるよ。今のこいつの年収、数億あるぞ」
「え? 数億? 嘘でしょ? なんでそうなるの?」
「なんでって? 正一は世界が注目する新素材の開発者だもん。俺の務め先だって、正一の工場と取引してるんだぜ」
俺は岩崎に言われて、静かに頷いた。岩崎の言う通り、俺は数年前に新素材の開発に成功し、特許を取得していた。大学時代に研究していた金属繊維と、実家で元々取り扱っていた素材を掛け合わせた結果、ギプスやスポーツ用具に使える糸が誕生したのだ。製造費は安価で、加工に特別な技術も必要ない。その2つの利点が大いに受け、今では大手医療機器メーカーや海外のスポーツブランドとの取引もしている。大葉が笑う貧乏繊維工場は、すっかり生まれ変わっていた。
「ていうか、お前さ」
岩崎はさらに続けた。
「さっき、お前の旦那の会社の名前聞いたけど、旦那の会社、正一の工場がなければ潰れるぞ」
「は?」
「旦那の会社の主力商品、正一が開発した素材がなければ作れないからな。あの会社、その商品で食ってるんだから」
岩崎は、大葉の旦那の会社の名前を挙げた。それはある医療系のベンチャー企業で、うちの工場の取引先の1つだった。たしかに、うちの素材がなければ主力商品が作れない。社長は爽やかな好青年といった雰囲気の人で腰も低く、正直、大葉が妻だというのが信じられない。
「いいのか、そんなんで。自分の旦那のこと、まるでわかってない。正一のことも昔のままだと思ってバカにしてさ。お前って本当に成長してねえよな」
「な、何なのよ。バカにしてるのはそっちでしょ。人に嫌な思いさせて、何様のつもりなのよ」
意外な展開に、場が静まり返っていた。大葉は真っ赤な顔で、ヒールを鳴らして会場を出て行ってしまった。
大葉がいなくなり、同窓会は平和になった。俺は岩崎と、開いている椅子に腰を下ろした。すると岩崎が、大葉について意外な事実を明かしてくれた。
実は岩崎と大葉は同じ小学校に通っていた。大葉の家は小学生の頃、すごく貧乏だったらしい。大葉の父親は商売で一発当てることを夢見て、会社を起こしては潰すことを繰り返す、ある意味での有名人だったそうだ。
「変わり者のお父さんで、大葉もいつも下向いて歩いてたな。まあ、いじめられっこだったよ。金持ちの嫌な連中に目をつけられて」
「そうか。それじゃあ高校時代とは全然違ったわけだ」
「全く別人だよ。いつも貧乏臭い感じで」
「じゃあ、高校時代は俺に憂さ晴らししたみたいなもんかな?」
「そうだろうな。ま、あの様子だと、あれが大葉の基本になってるんだろうな」
大葉の父親の商売が成功したのは、彼女の中学時代だったという。大葉は子供の頃にお金がないことで惨めな思いをさせられ、傷つけられた。そこから真逆の立場を手に入れ、今度はそれにしがみついている。きっと、昔の自分に戻るなんてことは想像もしていないし、したくもない。だから、お金持ちの自分を大事にして強がる。
俺も貧しい生活をずっとしてきたから、大葉の気持ちも少し分かるような気がした。だが、俺は自分で自分の道を切り開いてきた。どうしたら貧しさを覆せるか、いつも何か自分がやるべきことを探してきた。大切なのは、成功や自分の優れているところに溺れないことだ。
これからも立ち止まらず、奢らずにいられるようにしたい。そう思いながら、俺はクラスメイトとの思い出話を楽しんだ。



