開店したばかりの自分のカフェで、私は毎日のように客足を奪われていた。井原組の渡辺と名乗るヤクザが、店の前で通行人に「ここの飯はまずい」「店長は性格が悪い」と吹き込んでいるのだ。警察に言っても証拠はなく、店は閑古鳥が鳴くばかり。追い詰められた私は、ついに経営に乗り込むという彼の要求を拒否できずにいた。そんな時、昔からの常連客だと信じていたこだまさんが、店に現れた。彼は渡辺を見て、静かに言った。…

開店したばかりの自分のカフェで、私は毎日のように客足を奪われていた。井原組の渡辺と名乗るヤクザが、店の前で通行人に「ここの飯はまずい」「店長は性格が悪い」と吹き込んでいるのだ。警察に言っても証拠はなく、店は閑古鳥が鳴くばかり。追い詰められた私は、ついに経営に乗り込むという彼の要求を拒否できずにいた。そんな時、昔からの常連客だと信じていたこだまさんが、店に現れた。彼は渡辺を見て、静かに言った。...

泥棒猫が店に現れたのは、開店からまだ間もない頃だった。こだまさんは、私がアルバイト時代から通ってくれていた常連客で、私の作るナポリタンを何より気に入ってくれていた。土曜日の昼下がり、こだまさんがふらりと店にやってきて、私の顔色を覗き込むように言った。

「久しぶりだな。いつもの元気がないじゃないか。店の方はどうだ?順調か?」

その優しい言葉に、私は全部を話してしまった。井原組の渡辺というヤクザが店に現れ、みかじめ料を要求してきたこと。断ったら、毎日店の前で客に悪口を吹き込むようになり、客足が絶えてしまったこと。そしてついには、店の経営に乗り込むと言い出し、乗っ取られそうになっていることを。こだまさんは静かに頷きながら、最後まで聞いてくれた。

「そうだったのか。それは大変だったな。それで、その渡辺というのはどこの組の者だい?」

その時だった。タイミングが悪すぎることに、渡辺が店に入ってきたのだ。

「よお、昨日の答えを聞きに来たぜ。さあ、答えを聞かせてもらおうか」

渡辺はニヤニヤしながら言い放った。私が固まっていると、こだまさんがゆっくりと口を開いた。

「こいつが言っていたヤクザってのは、お前か」

「誰だお前?」

「俺か?俺はこだまというものだ。巴組の頭だが」

その瞬間、渡辺の顔がみるみる青ざめていった。巴組は全国的にも名の知れた組織で、この界隈では絶大な影響力を持っている。一般人である私でも名前は聞いたことがあった。

「バ、巴組のこだまなんだって??」

渡辺は慌てて言い訳を始めた。店の経営に参加して儲けたいだけだとか、店長と仲良くなりたくて来ただけだとか。嘘を重ねる渡辺に、こだまさんは激怒し、その胸ぐらを掴んで怒鳴った。

「嘘ばかりつきやがって。お前はどこの組の者だ?さっさと答えろ」

「申し訳ございません!俺は井原組の渡辺と申します!もうこの店には手を出しません。口散らかしもしません。命だけはお許しください!」

渡辺は恐怖に震え上がり、土下座して謝った。そして、もうこの店には近づかないと約束し、這々の体で店から出て行こうとした。私はほっとした。これでやっと、この苦しみから解放される。そう思った。

だが、こだまさんが思いもよらない言葉を放った。

「ちょっと待て。俺もこの店の経営に一枚噛ませてもらいてえんだ」

私は愕然とした。まさか、こだまさんまで私の店を乗っ取ろうとしているのか?渡辺は顔色を一変させ、嬉しそうに「さすが組長!」と調子を合わせた。こだまさんは「明日の店の経営について、この店で俺たち3人で話し合おう」と言い残し、店を出て行った。

私は裏切られた気分だった。こだまさんは、私を助けてくれるのではなく、渡辺と同じように店を狙っているのかもしれない。私は深い絶望に包まれた。

翌日、約束の10分前に渡辺が一人で店に現れた。まるで既にこの店が自分のものだとでも思っているのか、傲慢な態度でアイスコーヒーを注文する。そして、約束の時間になると、こだまさんが20人ほどの舎弟を連れてやってきた。

話し合いが始まった。まず、こだまさんが渡辺に意見を求めた。

「まずはお前の案を聞かせてくれ」

「はい!料理の値段を上げる。それからな、色気のある女を雇うんだ。客から踏んだくれるだけ踏んだくって、がっぽがっぽ儲けましょう」

渡辺は得意げに提案した。しかし、こだまさんの表情がみるみる険しくなっていく。渡辺は慌てて付け加えた。

「もちろん、警察には十分気をつけて進める予定です。女もうちの方で用意しますので」

すると、こだまさんは低い声で言った。

「お前は一体、何の話をしているんだ?」

「なんのって、この店を巴組さんと井原組で乗っちまおうって話じゃないですか?」

その瞬間、こだまさんの眉毛がピクリと動いた。

「この店はな、料理もうまいし、店長の人柄もいい。これからも長く続いていくべき店なんだ。だから俺たちで出資してこの店を支援しようという話し合いだと思ったんだが」

「はあ?何をおっしゃっているんですか?それじゃあ一銭も儲かりませんよ」

渡辺は笑いながら言った。こだまさんはさらに続ける。

「この店が安定し、店長が成長していく姿を見ることができれば、それで十分にメリットがあると思うんだがな」

「はあ。俺はとにかく儲けて金が欲しいんですよ。何ですか?店長の成長って。お涙頂戴のテレビドラマじゃあるまいし」

渡辺が嘲笑した瞬間、こだまさんはものすごい勢いで渡辺を殴った。渡辺は吹っ飛ばされ、壁に頭をぶつけてうめいた。

「お前、笑ってんじゃねえよ。そもそも、この店の料理の値段は店長が材料費や利益を考えて設定しているんだ。お前ごときが分かるわけねえだろう。女を使って儲ける?この店の雰囲気や客層とちっとも合ってねえ。お前の提案に乗ったところで儲かるわけがねえだろう。しゃあなしに因縁をつけて、嫌がらせしてるだけだろうが。因縁の付け方もやり方も筋が通ってねえな。見苦しい野郎だ」

徹底的に追い詰められ、言い訳ができなくなった渡辺は、無言でうつむいた。私はこれまでのやり取りを聞いていて、黙っていられなくなった。

「お客さんが来なくなった理由は、こいつらが店の前で道行く人に悪口を吹き込んでいたからなんです。『この店はまずい』『店長の性格が悪い』って、悪い噂を立てられたんです」

「なんだと?お前は本当に根性の腐った野郎だな。同業者として情けねえよ」

こだまさんに怒鳴られ、渡辺は青ざめて縮こまっている。すると、こだまさんは問い詰めた。

「ところで、貴様の店を乗っ取る計画に、井原組はどの程度関与しているのかね?それとも、お前個人の判断か?」

「へえ?そ、それはもちろん俺が勝手にやりました」

「ふん。では、上の人間は絡んでないということか?」

「もちろんそうです。俺は下っ端なもんで、手柄が欲しかったんです。組長や若頭はこの件に絡んでいません」

「また嘘ついてねえだろうなあ」

こだまさんが渡辺の胸ぐらを掴み、顔を近づけて問い詰めた。

「俺の独断です」

「ふん。嘘をつけ。お前、井原組の幹部だろう」

「ち、違います!俺は幹部とはほど遠い下っ端です!」

「お前、また嘘つきやがったな。幹部が店の経営の話に一人でのこのこ来るわけがねえ」

こだまさんは、すでに渡辺の身元を調べ上げていたようだった。渡辺は目を白黒させて、必死に言い訳を探している。

「死にぞこないが、下っ端だと言えば手加減してもらえるとでも思ったのか?命があれば、一時潜伏してまた組に戻れるとも考えてそうだな」

「お前みたいな朝貢な野郎が幹部だなんて、井原組も落ちぶれたもんだな。そもそも、お前みたいな野郎がこの店に直接手を出したのが気に食わねえ。お前も組も、滅ぼしてやる」

こだまさんが再度激怒した。

「も、申し訳ございません!俺も二度と店には近づきません!命だけはお許しください!」

渡辺は泣き喚きながら土下座した。

「この店に直接手を出した。それが運の尽きだったな」

「大変申し訳ございません!どうか命だけは!」

「うるせえなあ。どれだけ喚こうが土下座しようが、お前の地獄行きは決まってるんだ。店長、悪いが、少しばかり暴れさせてもらうよ」

そう言うと、こだまさんは容赦なく土下座している渡辺の頭を蹴り上げた。それを合図に、舎弟たちも一斉に渡辺に飛びかかった。20人の男たちに袋叩きにされた渡辺は、ボロボロになって、立っているのがやっとの状態だった。

「よし、では最後に、店長も交えてこの店の今後について確認するか」

「え?はい」

「この店の店長を差し置いて、勝手に話を進めるわけにはいかないからな」

こだまさん、私、そして渡辺の三人で、再び話し合いが始まった。

「で、続きだが、俺はこの店に出資したい。店長を応援したいんだ。だが、ヤクザから金を受け取っているとなると世間体が悪いだろう。だから匿名で出させてもらう。どうだろうか」

「ありがとうございます。でも、お返しできるものが何もありません」

「年を取ると、人の成長を見るのが楽しみでね」

「ありがとうございます。頑張ります」

すると、こだまさんは渡辺に向かって言った。

「ところで、お前、井原組を潰されたくないと言っていたな」

「はい」

「なら、条件を出してやろう。組から5000万円、この店に出資すること。そうすれば、井原組は潰さず残してやる」

「ご、5000万?!そんなことしたら、組の金がなくなっちまいます。俺は手を引かせてもらいます」

渡辺はそう言い残すと、残りの力を振り絞って、逃げるように店を出て行った。

「全く、最後まで情けねえやつだな。あとは俺に任せておけ」

そう言って、こだまさんたちも店を出て行った。

3日後のことだった。ニュースで、井原組の事務所に大型トラックが3台突っ込み、事務所が全壊したという報道が流れた。私はと言うと、店の立て直しを図り、日々の仕事に没頭していた。

あの一件から2ヶ月後のある日、店は満席に近い状態だった。すると、見慣れた顔が店に入ってきた。

「いらっしゃいませ。あ、こだまさん!」

「お、久しぶりだな。お、ほぼ満席状態じゃねえか」

「あの時はありがとうございました。お客さんも戻ってきてくれて、よかったです」

「君の実力なら乗り越えられると思っていたよ」

「ありがとうございます。出資していただいて、本当に助かりました」

「なんてことはないよ。俺は、店長が元気で店を続けてくれれば、それでいいんだから」

「それから、こだまさんのことを信じきれずに見直していなかったなんて、言ってしまってすみませんでした」

「そんなことか。まあ、俺はヤクザだからな。そんなことは言われ慣れてるよ」

私は深く頭を下げて謝罪した。すると、こだまさんが真剣な表情で言った。

「お、それなら俺からも一つ聞いてもらってもいいか?」

「はい。何でも言ってください」

「前みたいに、これからもちょくちょく来たいんだが、俺みたいなヤクザが来ると迷惑かもしれないが」

「迷惑なんて、そんなこと全然ないですよ!これからもぜひ来てください!」

私は明るく答えた。

「よし、ではお言葉に甘えて、寄らせてもらうとするかな。とりあえず、ナポリタンを頼むよ」

こだまさんも笑ってくれた。その後も、こだまさんはよく店に寄ってくれ、末永く贔屓にしてくれたのだった。

Thumbnail