水希はいつも黒い服を着て、長い前髪で顔の半分を隠していた。ある朝、彼女が娘を迎えに来た時、風が吹いて髪がふわりと揺れた。その一瞬、彼女の額に広がる大きな火傷の跡が見えた。形成外科医である私は、それが一度も治療されていないことが一目で分かった。「その火傷、俺に直させてくれないか?」と私は提案した。すると彼女は涙を浮かべて、「小さい頃に、お父さんの不注意で…」と小さな声で話し始めた。そしてその後…

水希はいつも黒い服を着て、長い前髪で顔の半分を隠していた。ある朝、彼女が娘を迎えに来た時、風が吹いて髪がふわりと揺れた。その一瞬、彼女の額に広がる大きな火傷の跡が見えた。形成外科医である私は、それが一度も治療されていないことが一目で分かった。「その火傷、俺に直させてくれないか?」と私は提案した。すると彼女は涙を浮かべて、「小さい頃に、お父さんの不注意で…」と小さな声で話し始めた。そしてその後...

「いつも前髪を気にしてるけど、どうかしたの?」

黒い服を着て、顔の半分を長い前髪で隠した少女が立っていた。彼女はしきりに髪を直し、肌が見えないように気にしているようだった。

突然の問いかけに、その子は驚いたように言葉を失った。

すると隣にいた娘がすっと口を開いた。

「水希ちゃん、火傷の跡があるんだよ」

その言葉に思わず目を見開いた。俺の前で、水希ちゃんはゆっくりと前髪をかき上げた。そこには、まだ幼い少女の顔とは思えないほど深く痛ましい火傷の跡が広がっていた。

形成外科医として、これは見過ごせない。

「もし良かったら、その火傷を俺に直させてくれないか?」

「いいんですか?」

「もちろん。みゆを毎日送ってくれてるお礼だよ」

俺のこの一言から、彼女との関係が、そして俺たちの未来が大きく変わっていくことになる。この後、あんな展開になるなんて思いもしなかった。

俺の名前はユート。33歳の形成外科医だ。祖父母の代から続く医療一家に生まれ育ち、父も母も医療関係者だった。子供の頃から家の中は常に忙しく、家族で誕生日を祝ったり、正月に揃って過ごしたりする記憶はほとんどない。どこか冷えた空気の中で、俺は医療なんて家族を壊すものだと感じて育った。

けれど、そんな俺の人生を変えた出来事が高校1年の夏にあった。部活中に大怪我をして、近くの形成外科に運ばれた時、傷を見てくれた先生が驚くほど綺麗に直してくれた。

「大丈夫、ちゃんと治るよ」

その優しい言葉と手技に、俺は心を掴まれた。医療って誰かを救えるすごい仕事なんだと、心の底から思った。

その日から俺の目標は決まった。形成外科医になること。猛勉強の末に医学部へ入り、実習と研修をこなし、国家試験に合格。病院に勤務して、形成外科医として忙しい日々を送るようになった。

その頃、俺には結婚したばかりの妻と小さな娘のみゆがいた。けれど現実は理想とは違っていた。医者の仕事は想像以上に多忙で、家庭を顧みる時間がない。妻との会話も減り、心の距離が離れていくのを感じながら、ついには離婚を突きつけられた。

「あなたにそっくりな子なんて育てたくない」

その言葉を最後に、妻はみゆの目の前から出ていった。

それ以来、俺はシングルファーザーとして一人でみゆを育ててきた。最初は大病院に務めたままだったが、診療と育児の両立は不可能に近く、限界を感じていた。だから俺は思い切って実家のある田舎に戻り、敷地内に小さな診療所を開業した。仕事と育児、どちらも手を抜かないために。

みゆが小学校に入学した春。俺はこれまで以上に、父親としての責任を背負う覚悟を決めていた。そして今日も俺の慌ただしい一日が始まる。

「はあ。今日もギリギリか」

朝の診療前にみゆを学校まで送る。それが俺の日課だった。正直、心も体もいっぱいいっぱいだった。

そんなある日、みゆがやけにテンション高く帰ってきた。

「パパ、ただいま!」

「お、今日は元気だな。なんかあったのか?」

ランドセルを背負ったまま、玄関でニコニコしている。

「今日ね、お姉さんと一緒にお花を見たの。それでね、帰りも一緒に帰ってくれたの」

「お姉さん、どんな子だったの?」

「黒いお洋服着てたの。水希ちゃんって言うんだ。5年生なんだって」

楽しそうに話すみゆを見て、俺も少し安心した。だがその後放たれた一言に、俺は少し驚いた。

「でね、みゆちゃん、明日も迎えに来てくれるって約束したの」

「本当に? それ、みゆがお願いしたの?」

「うん。お家の前で『明日ね』って言ったもん」

無邪気に笑うみゆの顔を見て、思わず黙り込んだ。小学生同士の約束。果たされるかどうかは分からない。でもみゆの期待した目を見て、俺はある決意をした。

明日は俺も一緒に待ってみよう。

翌朝、みゆを迎えに来たのは、明るく元気な声と共に現れた黒い服を着た前髪の長い少女だった。前髪は顎まで垂れていて、その目は髪の奥に隠れている。きちんと挨拶をしてくれたのに、なぜか彼女は一度も目を合わせようとしなかった。

「じゃあ行ってきます」

「行ってきます」

元気に手を振って出かけていく二人。だがどこか不思議な雰囲気をまとった水希ちゃんの姿が、朝からずっと頭から離れなかった。

それからというもの、彼女は毎朝欠かさずみゆを迎えに来てくれた。そのうち、俺とも少しずつ会話を交わせるようになっていった。

「いつもありがとう。友達との約束は大丈夫?」

「みゆちゃんと一緒の方が楽しいので」

「か、本当に助かってるよ」

最初は緊張していた彼女も、数ヶ月が経つ頃にはようやく俺の目を見て話してくれるようになった。それだけに、俺は彼女のある仕草が気になって仕方がなかった。風が吹いた時などに、さっと手を伸ばし長い前髪を必死で抑えるのだ。

最初はただの癖かと思っていたが、徐々にそれが何かを隠そうとしている仕草だと気づき始めた。あの前髪の奥に何があるんだ? 彼女のことを知るにつれ、気がかりは増すばかりだった。

水希が毎日迎えに来てくれるようになり、朝の送りが不要になった俺は、ようやく少し心に余裕が生まれていた。実はこの頃には、娘のみゆから彼女について少しずつ話を聞いていた。

「ねえ、パパ。水希ちゃんね、お家ママと二人なんだって」

うちと同じシングル家庭か。彼女のような年齢になると、親に遠慮して本音を言えなくなることもある。もしかしたら本人も、誰にも言えずに抱えていることがあるのかもしれない。

そんなある日、水希が言いたげな目を俺に向けてくるようになった。

「ん? どうかした?」

「いえ、なんでもないです」

話しかけても、彼女はわずか一瞬だけ表情を見せて、すぐに心を閉ざしてしまう。それが一度や二度ではなかった。何度も繰り返されるその様子に、俺の中で一つの思いが募っていく。

なんだろう? すごく気になる。でも無理やり聞き出すのは違うよな。

それでもある日、俺はつい踏み込んでしまった。

「ねえ、水希。何か言いたいことあるんじゃないか。それとさ、その長い前髪。いつも抑えてるけど、何かあるのかな?」

その瞬間、俺は自分の発言に後悔した。相手はまだ小学生だ。人に簡単に言えないからこそ、ずっと隠してきたのかもしれない。もっと慎重に、寄り添うように聞くべきだった。

そんな風に思いながら、俺は彼女の反応を待っていた。しかしその時、空気を読まずに、でも彼女を思っての一言が、娘の口から聞こえた。

「水希ちゃんの、火傷の跡があるんだよ」

この言葉に、俺も水希も思わず驚いて娘を見つめた。怒るべきか迷ったが、みゆに悪気があったわけではない。水希を気遣って、代わりに伝えてくれたのだと思うと、叱ることはできなかった。

その時、水希は静かに口を開いた。

「小さい頃に火傷したんです。その後が今も残ってて…それで同級生にひどいこと言われたことがあって、だから隠してるんです」

ああ、やっぱり。俺は驚かなかったし、水希が気にするような顔もしなかった。俺は形成外科医として、これまで何人もの患者を見てきた。今更それくらいで動じたりはしない。そして俺もまた、過去に大怪我をして形成外科に救われた人間だ。だからこそ、誰かを助けたいと強く思って医者になったんだ。

「もしよかったら、その火傷の跡を見せてもらってもいいかな」

今度はできる限り優しく、そっと声をかけた。しばらく迷ったように前髪に触れていた水希だったが、やがて静かにその髪をかき上げてくれた。

そしてそこには──ああ、想像以上だ。思わず声が出そうになるほどの、大きく深い火傷の跡。一目見て、これまで一度も治療を受けていないことが分かった。すぐに適切な処置をしていれば、ここまで残らなかったはずだ。こんな状態になるまで、なぜ誰も治療をしてこなかったのか。まだ会ったことのない母親に、苛立ちにも似た感情が湧いた。

でも今はそれよりも、彼女のことだ。

「ねえ、水希。この火傷の跡、俺に直させてくれないか?」

「え…?」

「お礼させてくれないか。毎日みゆのことを迎えに来てくれてること。それに俺は形成外科医だから、きっと綺麗に直せると思う」

突然の申し出に戸惑っている様子の水希。まだ小学生で、母親に相談もせず答えられないのは当然だ。

「大丈夫だよ。ちゃんと俺からお母さんに説明するから。水希は心配しなくていい」

そう言って、できる限り不安を和らげるように言葉をかけた。その時、みゆが水希の手をそっと取っていった。

「パパ、すごく優しいから大丈夫だよ。怖くないよ。それにママが心配なら、私も一緒に行ってあげるね」

「本当に?」

「うん。本当」

みゆのまっすぐな言葉に、水希はこれまで抑えていたものをふっと吐き出すように、涙を流した。

「お願いします。火傷の跡、消したいです」

「もちろん。水希は何も心配しなくていいよ」

泣きながら頷いた水希の頭をそっと撫でながら、俺は心の中で誓った。必ずこの子の苦しみを取り除いて見せる。俺の手で、きっと。

それからおよそ2週間後、水希が母親と一緒に俺の家を尋ねてきた。玄関の前に立っていたその女性は、水希の母、千尋さん。やつれた様子で、服装もどこか痛んでいた。俺が想像していた「何も治療しなかった母親」像とはかけ離れていた。

「ごめんなさい。遅くなってしまって…なかなか言い出せなくて」

「大丈夫ですよ。来てくださってありがとうございます」

水希の安心した表情を確認してから、二人を家の中へ招き入れた。そして治療について話を切り出す。

「こちらで先に話を進めてしまい、申し訳ありません。ただ形成外科医として放っておけなくて。みゆの送り迎えのお礼として、是非治療させていただければと思いまして」

水希から話は聞いていたはずだが、無償での治療という提案に千尋さんは戸惑いの表情を浮かべていた。

「そんな、本当にいいんでしょうか? 送り迎えしただけなのに、治療なんて」

その困惑を受けて、俺は彼女を安心させるためにも、なぜ自分がここまでしたいのか率直に気持ちを伝えた。

「数年前まで僕は大病院で働いていました。でも多忙さが原因で妻とは離婚しまして。シングルファーザーになってから、仕事と育児の両立が想像以上に大変だったんです。保育園の頃から娘には我慢をたくさんさせてきたと思っています。でも水希と出会ってからは、みゆが本当に楽しそうに学校に行くようになって、今まで見たことのない笑顔を見せてくれるようになりました。だからこそ、心から感謝しているんです。このお礼として、どうか治療を受けていただけませんか?」

俺の言葉を聞いて、千尋さんの目に涙が浮かぶ。しばらく沈黙の後、彼女はゆっくりと口を開いた。

「水希の火傷は、元夫の不注意で起きたんです」

「え…」

水希からは「小さい頃の火傷」としか聞いていなかったため、俺は驚いた。

「元夫は無茶ばかりする人でした。自分の考えが絶対だと思い込んでいて、何度注意しても『大丈夫だ』の一点張りで、私の話を聞こうとしませんでした。そして、ほんの一瞬目を離した時に、あんなことが起きてしまったんです」

その過去を思い出したのか、千尋さんは強く拳を握り、静かに涙をこぼしていた。

「私が目を離さなければ、守れたかもしれないのに」

きっとずっと自分を責め続けていたのだろう。

「その後、怖くなって、全財産を持って家を出ました。あの人とはもう無理だと思って、離婚しました。本当はすぐにでも治療を受けさせてあげたかった。でもシングルになって余裕がなくて…私のせいで娘にこんな思いをさせてしまって、本当に後悔しています」

何も治療しなかったわけじゃない。できなかっただけなんだ。ずっと娘のことを一番に考えていた、母親だったんだ。あの火傷の跡を見た時、俺は勝手に「放置していた母親」だと決めつけていた。でも違った。千尋さんは水希のことを誰よりも思い、必死に守ろうとしていた。

「ママ…よ。泣かないで」

そっと千尋さんに寄り添い、優しく抱きしめる水希。その姿を見て、俺は改めて決意する。

「水希。迷ってるようだったけど、ママも話してくれたし、治療を受けてくれる?」

ずっと不安そうだった水希は、母の気持ちを聞いたことで少し安心したのだろう。まっすぐに俺の目を見て、力強く頷いた。

「ママの前ではずっと言えなかったけど…もし直せるなら、ちゃんと直したいです」

「うん。ありがとう。絶対に綺麗な肌に戻してみせるよ」

俺がそう誓いながら小指を差し出すと、水希はそっと自分の小指を絡めてきた。その時、俺はかつて自分を救ってくれたあの医師の姿を思い出していた。

そして数日後、水希の治療が静かに始まった。

それからしばらく経ったある日、治療を終えた水希は、以前とは見違えるほど明るくなっていた。前髪はすっきりと短くなり、全身真っ黒だった服装も、今ではピンクのワンピースやスカートを選ぶようになった。

そしてその朝。

「みゆちゃん! お迎えに来たよ!」

家の中まで響くような元気な声。その声に、俺は家の中から返事しながら玄関に出た。

「おはよう、水希。その服、可愛いね」

「買ってもらったんでしょ。見てて!」

そう言って、ふわっとスカートを広げてくるりと一回転して見せる。満面の笑みを浮かべる彼女の姿に、俺は心から安心した。

「本当だね。やっぱり明るい色が似合うな。可愛いよ」

「ユートさんのおかげだよ。本当にありがとう」

「おじさん」だった呼び名が、いつの間にか「ユートさん」に変わっていた。その響きに少し照れながらも、俺は嬉しかった。

「治療の後、痛んだりしてない? 大丈夫?」

「うん、もう全然。包帯も外していいって言われたし。ほら」

そう言って前髪をかき上げ、綺麗になった肌を嬉しそうに見せてくれた。ちょうどその時、みゆがようやく準備を終えて出てきた。

「え、すごい! すごく綺麗になってる。水希ちゃん、良かったね」

「うん! みゆちゃんのパパ、すっごいんだよ」

「でしょ! うちのパパは名医なんだから」

二人はキャッキャと笑いながら出発していった。俺はその様子を見送りながら、自分の当たり前の仕事が誰かの笑顔につながっていたことを、改めて実感していた。

ある日の夕方。水希がみゆと一緒に遊んだ帰り、俺も一緒に彼女を家まで送り届けた。すると、千尋さんが家の前で誰かと揉めている様子だった。

「何しに来たの? 帰って」

「ずっと探してたんだよ。もう一度やり直そうって思って」

「パパ…」

その声は、かつて家を出ていった元夫だった。

「自分のせいで私たちが出て行かざるを得なかったのに、今更何を言ってるの? 無理に決まってるでしょ」

「あの時は悪かった。でももう同じことはしない。やり直したいんだ」

「帰って。今更何を言っても無駄よ」

「水希に合わせてくれ。ほんの少しだけでもいいから」

千尋さんは普段は物静かだが、その時ばかりは強い怒りをこらえていた。

「何、ふざけたこと言ってるの? あんなことをしておいて、父親面しないで」

「確かにあの時は悪かった。でも俺は水希の父親だ。合わせる権利くらいあるだろう」

「血が繋がっていれば父親ってわけじゃない。父親を名乗るなら、それ相応のことをしてから言いなさいよ」

「父親って、金だけじゃないだろう。金出せばいいってもんじゃないし」

そのやり取りを黙って見ていた俺の横で、小さな体で震えていた水希が急に前に飛び出した。

「私だって、あんたなんかにお金もらいたいなんて思ってない。私とママのことを捨てたあの日から、もうあんたは父親なんかじゃない!」

涙を浮かべながらも、水希ははっきりと強く言い放った。だが元夫は水希の言葉に耳を貸すどころか、感情のままに手を振り上げようとした。

「おい!」

俺はとっさに水希を後ろから抱き寄せ、もう片方の手で彼の腕を強く抑えた。

「大丈夫か?」

「うん…ありがとう」

水希をみゆの元へ戻し、俺は元夫と真正面から向き合う。

「今、何をしようとした?」

「いや、別に…親だ」

「やり直したいっていう割には、おかしいだろう。その態度。もう黙っていられなかった。本気で水希の父親を名乗るつもりなら、自分が何をすべきかくらい自分で考えろよ」

「お前には関係ないだろう」

「関係ある。俺はこの二人を守りたいと思ってるからだ」

「ちっ…別に本気で元に戻りたいなんて思ってねえよ。ただ金が戻ってくると思っただけだ。それに、あんな火傷の子に俺の金なんか使いたくねえしな」

その言葉に、千尋さんの静かな声がすっとその場に響いた。

「もう結構です」

たった一言、それだけを告げると、バッグから封筒を取り出し、元夫に叩きつけた。

「な、なんだよこれ。こんな金額、払えるわけないだろ。ふざけんな」

「慰謝料の準備はずっと進めてたの。支払いたくないならそれでいいわ。でも会社にはもう話してある。いつでも差し押さえできるようにしてあるの」

封筒を手に、顔面蒼白になった元夫は何も言えなくなったまま、その場を去っていった。最後まで水希と千尋さんへの一言の謝罪すらなかった。

元夫との一件の後、再び日常が戻ってきた。水希とみゆは相変わらず毎日のように一緒に遊んでいて、俺と千尋さんはというと、少し会う機会が減っていた。

そんなある日、千尋さんから一通の連絡が届いた。

「今更かもしれませんが、お礼をさせていただきたいんです」

「お礼なんて、僕は当たり前のことをしただけですよ」

「それでも、私と娘の人生を変えてくれました。だから、感謝の気持ちをちゃんと伝えさせてください」

やがて気がつけば、俺はみゆから問い詰められていた。

「パパがなかなか決めないからだよ」

「やっとだね。ユートさんだけ男だから、恥ずかしかったんでしょ」

「そっか。でも、パパだもんね」

子供たちは二人で楽しそうに話していたが、その内容はなぜか「四人で出かける予定」のことだった。俺はいつの間にか巻き込まれてるな…とは思いつつ、そんな風に笑い合っている姿を見て胸が温かくなった。

その日、千尋さんと二人きりになるタイミングがあった。

「先日は色々とご迷惑をおかけして、すみませんでした」

「いえ、気にしないでください。その後、大丈夫でしたか?」

「はい。元夫は最初渋っていましたが、会社に伝えるって言ったら、すぐに弁護士さん経由で支払ってきました」

「それは良かったですね」

「それと、治療費をお支払いさせてください」

「本当に大丈夫です。水希にはいつも助けられていますし、あれはお礼ですから」

「ありがとうございます」

そう言って、千尋さんは深々と頭を下げた。その時、近くで遊んでいた二人の声が不意に耳に入った。

「こうしてると、みんな家族みたいだね」

「わかる。ゆとに『ユートさん』っていうより、『パパ』って感じがする」

「じゃあ、私もママって呼んでいい?」

「え? ちょ、ちょっと待って」

慌てて止めようとしたが、二人の勢いは止まらない。水希はニヤニヤしながら俺の方にアイコンタクトを送ってくる。

「分かったよ」

心の中では分かっている。でも俺は医者として、そして父親として、前に失敗した経験がある。中途半端な関係で子供たちを振り回したくない。そんな思いが口を塞がせた。

だが、それからというもの、四人での外出が少しずつ増えていった。俺自身、彼女たちといると不思議と心が穏やかになり、今まで感じていた「一人で背負っている」感覚が少しずつ薄れていった。

そしてある日。

「ねえ、ユートさん。言いたいことあるでしょ? 言っちゃえば」

「え? あ…何が」

「バレバレだよ。私も水希ちゃんのママもずっと待ってるんだから。私はね、早くユートさんのことを『パパ』って呼びたいんだよ」

二人のストレートな言葉に、心の奥にしまっていた思いが揺さぶられた。仕事が忙しいからと、自分でブレーキをかけていたけれど、それはただの言い訳だったのかもしれない。

そして俺は、気づいたら言葉にしていた。

「千尋さん」

「え? はい」

「…好きです」

「え…」

「最初はただ、水希の傷を直してあげたかった。でも一緒に過ごすうちに、あなたと水希の姿に心を動かされて、この先、僕が二人を支えていきたいと思うようになったんです。四人で、家族になりませんか?」

子供たちの「キャー」という小さな歓声が耳に届く。

「ユートさん、私も好きです。こんな私たちを諦めないで向き合ってくれて…今では、私の方が支えてあげたいなって思ってます」

照れ臭そうに、でもまっすぐに思いを伝えてくれた千尋さん。その言葉を聞いて、俺は思わず涙が出そうになった。子供たちの「おめでとう」という声が、背中を押してくれるように響いた。

それからというもの、千尋さんと水希は俺の家で一緒に暮らすようになった。付き合って日も浅かったけれど、千尋さんの経済状況や俺の仕事の忙しさを考えた上で、早めに一緒に生活を始める判断をした。

朝、俺が出勤で見送れない時、千尋さんがいてくれるおかげで、みゆが寂しさを感じることもなくなった。

「ママ、もう行くよ」

「ちょっと待ってよ、みゆ。お姉ちゃんまだ靴履いてないんだけど」

「ほら、水希。意地悪しないで。危ないから、ちゃんと一緒に行きなさい」

「はーい。行ってきます!」

ドアの閉まる音がしてから、ふと静かになったリビングで、俺はいつものように医師の白衣に袖を通す。思えば、俺が前の結婚に失敗したのも、子供の頃からの寂しさを引きずっていたのも、全部仕事が原因だった。だからこそずっと、形成外科医をしている限り幸せな家庭なんて築けないと思い込んでいた。

でも今は違う。今の毎日は、あの頃では考えられないほど温かくて満ちている。

「ねえ、ユートさん」

「ん?」

「そろそろ、正式に家族になりませんか?」

「え…」

「子供たちが『お姉ちゃん』になる時期も近づいてるし。二人が一つ大人になったタイミングで、私たちも新しくスタートできたらって思って」

「うん。俺もそう思ってた」

あと数ヶ月で、俺と千尋さんは正式に入籍する予定だ。その日から、水希とみゆは本当の姉妹として、新しい家族になる。それが今、俺にとって何より待ち遠しい未来。

「よし」

俺は静かになったリビングで、そっと手を伸ばす。誰もいないその空間で、いつか水希と交わしたあの約束をもう一度確かめるように。

「家族になっても、変わらず仲良く楽しい毎日にしていこうな」

そう言いながら、小指と小指を重ねるようにそっと結ぶ。かつて俺があの医師に救われたように、今度は俺がこの家族を守っていく。

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