「母さん、もう老人ホームの話は決まったからね。」
息子の健二が放ったその冷たい一言が、静まり返ったリビングに重く響き渡った。
私は手に持っていた湯のみを落としそうになった。目の前のソファには、息子の健二と、その隣で薄ら笑いを浮かべている嫁の弓が座っている。二人から向けられる視線は、まるで汚いものでも見るかのような、氷のように冷たいものだった。
「施設って…一体何の話をしているの?」
私は震える声を絞り出した。しかし健二は面倒臭そうに大きなため息をつくだけだ。
「とぼけないでよ、母さん。もう話は進めてあるんだ。来月には入居してもらうことになってるから。」
「そうですよ、お義母さん。もう手続きは大方終わっています。あとはお義母さんが荷物をまとめるだけですから」
弓の言葉の端々には、明らかに私をこの家から追い出したいという本音が透けて見えていた。
私は現在73歳。5年前に夫を見送ってからというもの、この家で息子夫婦と同居してきた。息子のために全てを捧げてきた人生だった。まさか勝手に施設送りを画策されているとは、夢にも思わなかった。胸の奥で、信頼していた何かが音を立てて崩れ落ちていくのを感じた。
私は42年間、地元の小学校で教師として勤めてきた。朝早くから夜遅くまで子供たちの教育に情熱を注ぎ、定年退職した際には2800万円の退職金を受け取った。亡き夫が残してくれた遺産3500万円と合わせると、実はかなりの資産を保有している。月々の年金も22万円あり、経済的に誰かに頼る必要など全くない。
一人息子の健二のことは、それはもう大切に育て上げた。大学までの学費など教育費に2200万円。彼がマイホームを購入する際には頭金として800万円を援助した。健二のためなら何でもしてやりたい。そう思って生きてきたのだ。
孫が生まれてからは毎日のように世話を焼いた。弓が産後すぐに仕事に復帰できたのも、私が家事と育児を一手に引き受けたからだ。朝は5時に起きて朝食を作り、掃除、洗濯、夕食の支度まで、1日に8時間は家事に費やしていた。
それなのに、最近の私への扱いはあまりにもひどいものだった。
「お義母さんの部屋、物置きとして使いたいんですけど」
弓のその心ない一言で、私は2階の日当たりの悪い狭い部屋へと追いやられた。
「母さんの料理、最近味が落ちたんじゃない?」
健二は私の手料理に手をつけず、残すようになった。かつては「母さん、ありがとう」と笑顔を見せてくれた息子夫婦。今では私を見る目が明らかに違う。まるで邪魔者を排除しようとするような、そんな冷たい視線を感じるのだ。
施設の話が出た数日後から、息子夫婦の態度は日に日に悪化していった。
「お義母さん、最近物忘れがひどくないですか? 昨日も同じ話をしてましたよ」
弓は朝食の席で、わざとらしくため息をつきながら言った。私は昨日、学校行事について一度訪ねただけだった。
「そうだよ、母さん。この前も買い物から帰ってきて、何を買いに行ったか忘れてたじゃないか」
健二も追撃するように言う。あの時は、弓に渡された買い物リストの通りに買ってきただけなのに。
「認知症の検査、受けた方がいいんじゃないですか。早期発見が大事ですから」
弓の言葉に、私は深く傷ついた。私の記憶力は、むしろ同年代の中ではしっかりしている方だ。教師時代に培った几帳面な性格で、家計簿も日記も毎日欠かさずつけ続けている。
ある日の夕食時、私が作った肉じゃがを一口食べた健二が、露骨に顔をしかめた。
「母さん、これ味が変だよ。砂糖と塩を間違えたんじゃないか」
そんなはずはない。私は慌てて味見をしたが、いつも通りの味付けだった。
「お義母さん、最近お料理の腕が落ちましたよ。やっぱり年齢には勝てないんでしょうか」
弓も箸を置き、大げさにため息をつく。
「子供たちにも良くないから、今度から料理は私がやります」
そう言って弓は、私が作った肉じゃがを全て生ゴミとして捨ててしまった。40年以上作り続けてきた得意料理をゴミ扱いされた瞬間、私のプライドは踏みにじられた。
翌週、健二は唐突に言い出した。
「母さんも年だし、もう判断力も怪しいだろう。大事な書類とか、僕が管理した方がいいんじゃないか」
「判断力がないってどういうこと? 私はしっかりしているわ」
「だってこの前も、宅配便の人に長々と話しかけて迷惑かけてたじゃないか。ああいうの、認知症の初期症状らしいよ」
宅配便の方とは、ただ天気の話題を三言交わしただけだった。それを認知症扱いするなんて、あまりにも強引すぎる。
「通帳と印鑑も預けてもらえますか? お義母さんが勝手に変な買い物でもされたら困りますから」
弓の要求はどんどんエスカレートしていった。
「私はまだしっかりしています。自分のお金は自分で管理できます」
そう反論すると、健二は声を荒げた。
「母さんは自分がおかしいことを認めたくないだけだろう。現実を見てよ」
息子の怒鳴り声に、私は言葉を失った。
数日後の朝、リビングで新聞を読んでいると、弓が孫たちに話しかけているのが聞こえてきた。
「おばあちゃんとはあまり話さない方がいいわよ。最近ちょっとおかしいから」
「おかしいってどういうこと?」
「頭が混乱してるの。だから変なことを言っても信じちゃだめよ」
私に対してだけでなく、孫たちまでに私を異常者扱いする弓。7歳と5歳の孫たちは不安な顔で私を見た。その純粋な瞳に向けられた疑惑の色が、何よりも悲しかった。
夕方、買い物から帰ると私の部屋のドアが開いていた。中を覗くと、弓が私のタンスを物色していた。
「何をしているの?」
「あ、お義母さん。部屋の整理を手伝おうと思って。いらないものがたくさんありそうだったから」
「勝手にに入らないでください」
「でもお義母さん、1人じゃ片付けられないでしょう。施設に入るなら荷物は最小限にしないと」
まだ施設に入ると決めたわけでもないのに、勝手に話を進める弓に腹が立った。
次の日、家族での朝食中、健二が突然切り出した。
「正直、母さんがいると家族が息苦しいんだ」
箸が止まった。
「昔の話ばかりするし、説教臭いし。僕たちだって自由に生活したいんだよ」
「そうですよ。お義母さんがいると友達も呼べないし、旅行にも行けないんです」
弓も同調する。
「子供たちにも悪影響ですし、早く施設に入ってもらいたいんです。これは家族みんなの願いです」
「みんなの…願い」
私は震える声で繰り返した。42年間教師として子供たちを育て、退職後は息子家族のために尽くしてきた私が、今では家族の厄介者、いや、もはや邪魔者扱いなのだ。
「母さんだって施設の方が楽でしょう。同年代の人もいるし、話も合うんじゃない?」
健二の言葉は優しいようでいて、その実、私を追い出したいという本音が透けて見えた。
「もう決めたことだから。来月には入居できるように準備して」
言い包めを許さぬ健二の態度に、私は何も言い返せなかった。ただ心の中で、何かが音を立てて壊れていくのを感じていた。73年間生きてきて、こんなに惨めな気持ちになったのは初めてだった。
朝食が終わり、私がトイレに行こうとした時、リビングから健二と弓の会話が聞こえてきた。
「母さんの貯金、全部管理できれば投資に回せるよ。今なら仮想通貨で一気に増やせる」
健二の声だった。私は思わず足を止めた。
「でもお義母さん、通帳は絶対に渡さないわよ。だから施設に入れるんだろう。認知症ってことにすれば成年後見人になれる。そうすれば全部こっちのものだ」
私は耳を疑った。息子が私を認知症扱いして、財産を奪おうとしているなんて。
「施設に入れちゃえば、この家も自由に使えるし売却だってできるわね」
弓の言葉に、健二が続ける。
「この家、古いけど土地だけで4000万円はするからね。母さんには悪いけど、僕たちにも生活があるんだ」
「そうよね。お義母さんの年金も全部こっちで管理すれば、月22万円は大きいわよ。施設の費用を差し引いても月10万円は残る計算だわ」
「年間120万円、10年で1200万円か」
二人は私の年金まで計算していた。まるで私が生きているうちから遺産の算用をしているようだった。
「お義母さんの通帳と印鑑、手に入れないと。金庫の鍵はどこにあるのかしら。明日、お義母さんが買い物に行っている間に探そう」
「どうせ分かりやすいところに隠してあるよ」
私は震えが止まらなかった。息子夫婦は、私の献身も愛情も全て忘れて、ただ金銭だけを狙っていたのだ。
「でもお義母さんの貯金って、本当にあるの?」
「退職金が2800万円。父さんの遺産が3500万円。使ってないなら6000万円以上はあるはずだ」
「6000万円。そんなにあるの?」
弓の興奮した声が響いた。
「多分ね。母さんは質素だから、ほとんど使ってないと思う。年金だけで生活してるみたいだし」
「じゃあ、私たちの老後も安泰ね。子供の教育費も心配ないわ」
「母さんには申し訳ないけど、これも家族のためだ」
家族のため。その言葉が、鋭い刃物のように私の心を切り裂いた。
「正直さ、母さんがあんなにお金持ってるなら、もっと早く施設に入れるべきだったよ」
「そうね。無駄に長く家にいさせちゃったわ」
二人は笑い声をあげた。私という人間の存在価値を、完全に金銭だけで測っている。
「どうせ母さんなんて、もう老い先短いし」
健二の言葉に、私は息が止まりそうになった。42年間教師として働き、息子を大学までやらせ、家族のために尽くしてきた私が。
「そうよ。お荷物を片付けるいい機会」
弓も同調する。お荷物。私は今、息子夫婦にとってお荷物でしかないのだ。
「施設に入れたら、もう会いに行かなくていいよね。月に1回生存確認だけすればいいんじゃない? 年金が止まったら困るからね」
二人は私の生死すら、年金のための確認事項としか考えていなかった。
「お義母さんが亡くなったら、葬式は簡単に済ませましょう」
「ああ、質素でいいよ。どうせ友達もいないだろうし」
私には教え子や元同僚など、たくさんの友人がいる。でも息子夫婦はそんなことも知らないし、知ろうともしないのだろう。
階段の影で、私は声を殺して泣いた。息子を信じて、家族を信じて生きてきた73年間が、全て否定された気がした。でもその涙は、悲しみだけではなかった。怒りの涙でもあったのだ。
「もう許さない」
私は小さく、でもはっきりとつぶやいた。息子夫婦の本性を知った今、もう我慢する必要はない。老い先短いお荷物と言うなら、そのお荷物がどれだけの価値を持っているか、思い知らせてやる。
その瞬間、私の中で何かが変わった。これまでの献身的な母親ではなく、自分の尊厳を守るために戦う、一人の人間として立ち上がる決意をしたのだ。
私はすぐに行動を開始した。まず向かったのは、かかりつけの病院だ。認知症検査を含む総合的な健康診断を受け、結果は即日発行してもらえることになった。
次に銀行へ向かった。個室へ通してもらい、全ての資産を確認した。普通預金に2000万円、定期預金に3000万円。夫の遺産と退職金を合わせて、現金資産だけで5000万円。さらにこの家の土地と建物の評価は3500万円。合計すると、8500万円の資産があることが分かった。
「田中様、こちらの資産の運用はいかがなさいますか?」
「全て私の判断で管理します。誰にも1円も渡しません」
途中、知り合いの弁護士にも電話をした。教師時代の同僚の紹介で知り合った、中村弁護士だ。
「中村先生、お世話になります。至急、手続きを完了させたいのですが」
「田中さん、そんなに急いでどうされました?」
私は今日の出来事を全て話した。施設送りの企み、認知症扱い、そして財産を狙っていること。
「ひどい話ですね。分かりました。すぐに事務所へいらしてください」
中村弁護士の事務所に着くと、すでに準備が整っていた。
「田中さん、最も効果的でかつ確実に実行できる方法があります。公正証書による財産の処分です」
「どういう方法ですか?」
「全財産を寄付する公正証書を作成します。そして明日の朝一番、その内容を内容証明郵便で息子さんに通知するのです」
私は少し考えてから言った。
「児童養護施設への寄付は可能ですか?」
「素晴らしい選択です。今から児童相談所に連絡して、本日中に手続きを完了させましょう」
私は教師として、様々な境遇の子供たちを見てきた。親に恵まれない子供たちの存在も知っている。私の財産が、そんな子供たちの未来に役立つなら、これ以上の使い道はない。
「全額、8500万円を寄付します」
「全額ですか? ご自身の生活は…」
「年金が月に22万円あります。それで十分です。むしろ身軽になって、自由になりたいのです」
手続きは驚くほどスムーズに進んだ。児童相談所での公正証書作成、児童養護施設への寄付手続き、そして内容証明郵便の準備。全てが迅速に完了した。
「これで準備は整いました。明日の朝8時、息子さんの自宅にこの封筒が配達されます」
中村弁護士が差し出した封筒を見て、私は深呼吸をした。
「後悔はありませんか?」
「ありません。むしろ、清々しい気持ちです」
封筒の中身を確認した。財産全額8500万円を児童養護施設に寄付したこと。息子夫婦には1円も渡さないこと。そして、私が完全に正常な判断力を持っていることを証明する、本日付の医師の診断書も添付されている。
「明日の朝、息子さんたちはきっと驚くでしょうね」
「ええ、でもこれが現実です。お荷物扱いした報いです」
私は家に帰ると、何事もなかったように夕食の準備をした。息子夫婦は、私の今日の行動を知るよしもない。
「母さん、今日はどこに行ってたの?」
健二が聞いてきたが、私は微笑むだけだった。
「ちょっと友人に会ってきたのよ」
その夜、私は久しぶりにぐっすりと眠ることができた。明日の朝、息子夫婦の前に封筒が届く。その時の二人の顔を想像すると、不謹慎かもしれないが、少し楽しみでもあった。
「この子たちには、現実を教えてあげる必要があるわね」
私は静かにつぶやいた。老い先短いお荷物が、実は8500万円の価値があったと知った時、二人はどんな顔をするのだろうか。
全ては明日の朝に明らかになる。
翌朝、いつものように朝食の準備をしていると、玄関のチャイムが鳴った。時計を見ると、午前8時ちょうど。配達員の声がした。
「田中健二様宛てに、内容証明郵便です。ご本人様でしょうか?」
寝起きの健二が玄関に出てきた。
「僕が田中ですが」
「はい、こちらにサインをお願いします」
私はキッチンから、その様子を静かに見守っていた。健二は不思議そうな顔で封筒を受け取り、リビングへ戻ってきた。
「なんだろう、これ」
「どうしたの? 朝から」
弓もパジャマ姿のままリビングに入ってきた。
「内容証明郵便だって。差出人は…中村法律事務所」
二人は顔を見合わせた。そして封筒を開け始める。私は黙って、その瞬間を待っていた。
書類を取り出した健二の顔が、みるみるうちに青ざめていった。
「こ、これは何だ?」
「どうしたの? 見せて」
弓が書類を覗き込む。次の瞬間、彼女の顔からも血の気が引いていった。
「財産全額を…児童養護施設に寄付…」
健二の声が震えている。そして添付されていた財産目録を見た瞬間、彼は叫び声を上げた。
「8500万円?! 母さんがこんなに持ってたなんて! 全額寄付?! 私たちには1円も…」
弓の声は悲鳴に近いものだった。
二人は書類を何度も読み返し、まるで悪い夢でも見ているかのように首を振っている。
「母さん!」
健二が血走った目で私の方を向いた。
「これはどういうことだ? 説明してくれ!」
私は落ち着いて、二人の前に立った。
「説明も何も、書いてある通りです。私の財産は全て、児童養護施設に寄付しました」
「なんで…なんでそんなこと? 息子である僕に1円も残さないなんて!」
弓も立ち上がり、私に詰め寄ってくる。
「お義母さん、これは間違いですよね。冗談ですよね」
「いいえ、全て本当のことです。公正証書も作成済みです」
「取り消して! 今すぐ取り消して!」
健二が私の腕を掴んだ。その手を、私は静かに振り払う。
「取り消す理由がありません。だって、私は施設に入るんでしょう? もう家族じゃないんでしょう? 老い先短いお荷物なんでしょう?」
二人の顔が凍りついた。
「母さん…聞いてたのか?」
「ええ、全部聞きました。私の年金を計算して財産を奪う計画も、認知症扱いして成年後見人になる計画も」
健二と弓は、完全に言葉を失っていた。
「母さん、これは誤解だ! 施設の話は、母さんのためを思って…」
健二が必死に言い訳を始めた。
「お義母さんが1人で生活するのは大変だと思って。それで…」
「そうです! お義母さんの健康を心配して…」
弓も慌てて同調する。
「健康を心配?」
私は医師の診断書を取り出した。
「これは昨日受けた健康診断の結果です。体も頭も、全く問題ありません。認知症の兆候すらありません」
二人の嘘は、完全に崩れた。
「母さん、お願いだ! 考え直してくれ!」
健二が土下座をした。あんなに偉そうだった息子が、床に頭をこすりつけている。
「僕が悪かった! 謝るから! お母さん、お願いします!」
弓も膝をついた。
「私たちが間違ってました! これからは大切にしますから!」
「大切に?」
私は冷たく言い放った。
「老い先短いお荷物を、今更大切にするんですか? 『お荷物を片付けるいい機会』でしたよね」
私は、咲いていた言葉をそのまま返した。
「お金のためじゃない! 本当に母さんのことを思って…」
「8500万円のためでしょう」
健二は答えられなかった。
「母さん、僕たちにも生活があるんだ!」
今度は開き直ったように叫ぶ。
「投資で失敗して、借金が500万円もあるんだ! 母さんのお金が頼りだったのに!」
「知りません。自分の借金は、自分で返してください」
「冷たいじゃないか! 実の息子なのに!」
「実の母親をお荷物扱いした息子に、言われたくありません」
弓が泣き始めた。
「お義母さん、子供たちの教育費はどうするんですか?」
「あなたたちが働いて稼げばいいでしょう」
「この家は…」
「この家も売るんですか?」
「ええ、もう売却の手続きも進めています。来月には出ていってください」
二人は完全にパニック状態だった。
「母さん、一部だけでも! せめて1000万円だけでも!」
「1円もありません」
「なんでだ! なんで他人にあげるんだ!」
健二が怒鳴った。
「死に目に逢った息子より、他人の子供の方が大事なのか!」
「死に目に逢った? それはどういう意味ですか?」
私は静かに問いかけた。
「あなたたちは私を家族として見ていましたか? 施設に入ったら、月に1回の生存確認だけでしたよね」
二人は黙り込んだ。
「『私の葬式は質素でいい。どうせ友達もいない』、そう言っていましたね。児童養護施設の子供たちは、私の寄付を心から感謝してくれるでしょう。でもあなたたちは、私のお金だけが目当てだった」
健二が最後の手段として、脅しに出た。
「ばあさん、考え直さないと、本当に1人になるよ! 孫にも合わせないからな!」
弓も必死だった。
「そうよ! 孫に会えなくなってもいいの?」
「結構です」
私はきっぱりと答えた。
「おばあちゃんは頭がおかしいと、孫に吹き込んでいた人たちと関わる必要はありません」
二人は完全に打ちのめされていた。
「それに、もうすぐ施設に入るんでしょう? 『もう家族ではない』んでしょう? でしたら、お金の話をされても困ります」
そう言って、私は自分の部屋に向かった。後ろから健二と弓の泣き声が聞こえてきたが、もう振り返ることはなかった。
「老い先短いお荷物には、お金はありませんよ。実の母親に何を期待しているんですか?」
私は心の中でそうつぶやいた。
あの日から3ヶ月が経った。私は今、都心から少し離れた静かな町の高級シニアマンションで暮らしている。15階の自室から、遠くに富士山が見え、眼下には美しい公園が広がっている。
「田中さん、おはようございます」
同じフロアに住む住人の方が、笑顔で挨拶してくれる。ここには私と同年代の方々が多く住んでいて、皆さん自立した生活を楽しんでいらっしゃる。
「今日のコンサートも楽しみですね」
「ええ、本当に。若いピアニストの演奏だそうですよ」
マンションのラウンジでは、定期的にミニコンサートや文化講座が開かれている。先週は私が講師となって、子供たちへの読み聞かせ教室を開いた。42年間の教師経験を生かせる、素晴らしい機会だった。
部屋に戻ると、携帯電話にメッセージが届いていた。寄付先の児童養護施設からだ。
「田中様のご寄付のおかげで、新しい図書室が完成しました。子供たちが目を輝かせて本を読んでいます。本当にありがとうございました」
写真が添付されていた。図書室で、子供たちが楽しそうに本を読んでいる姿。私の選択は間違っていなかった。そう確信した。
年金の22万円で、十分豊かな生活ができている。家賃は8万円。食費や光熱費を含めても、月々の支出は15万円程度。残りは貯金したり、趣味の絵画教室や友人との食事に使ったりしている。
自分のお金で、自分の人生を楽しむ。こんなに自由だったなんて。私は窓の外を眺めながら、心からそう思った。
先日、教師時代の教え子から連絡があった。
「先生、同窓会を開きたいんです。先生を囲んで、みんなで集まりたくて」
30年前に担任した子供たちが、今では立派な大人になって、私のことを覚えていてくれた。それだけで胸がいっぱいになった。
「先生は、私たちの恩人です。先生がいなかったら、今の私はいません」
そんな言葉を聞いて、涙が止まらなかった。私は決して無価値なんかじゃない。今でも誰かの心に生きている。それが分かっただけで、生きる勇気が湧いてきた。
一方、息子夫婦のことも風の噂で聞いている。健二は借金返済に追われ、弓もフルタイムで働き始めたそうだ。私がいなくなってから、家事も育児も全て自分たちでやらなければならず、相当苦労しているようだった。あの家も売却され、彼らは小さなアパートに引っ越したと聞いた。
8500万円という金額を失ったショックは、相当大きかっただろう。でもそれ以上に、母親という存在の大きさを、今頃になって実感しているのかもしれない。
「まさか母さんがあんなに資産を持っていたなんて」
健二はそう言って頭を抱えていたそうだ。でも問題はお金じゃない。親を大切にしなかった、その心が問題なのだ。
先月、健二から手紙が届いた。
「母さん、本当にごめんなさい。僕たちが間違っていました。お金のことばかり考えて、母さんの気持ちを考えていませんでした。今更ですが、母さんがしてくれたこと全てに感謝しています。いつか許してもらえる日が来ることを願っています」
手紙を読んで、複雑な気持ちになった。息子を許すかどうか、まだ答えは出ていない。でも少なくとも、彼が反省していることは伝わってきた。
弓からも謝罪の手紙が来た。
「お義母さん、私の態度は本当に最低でした。お義母さんの優しさに甘えて、感謝することを忘れていました。子育てをしながら働く。今、お義母さんがどれだけ大変だったか、やっと分かりました」
人は失って初めて、その大切さに気づくものなのだろうか。
私は今、新しい人生を歩み始めている。絵画教室では水彩画を学び、読書会では若い人たちと議論を交わし、ボランティアでは子供たちに勉強を教えている。
「田中さんは本当にお元気ですね。何か秘訣があるんですか?」
マンションの管理人さんに聞かれて、私は答えた。
「自分の人生を自分で決められる自由があるからです」
私は今、完全に自由なのだ。誰かの顔色を伺うこともなく、お荷物扱いされることもなく、自分の意志で生きている。
現代の日本では、高齢者の資産を狙う家族内トラブルが増加している。介護や相続を巡って、家族が崩壊するケースも少なくない。でも私のように、自分の尊厳と権利を守ることは、誰にでもできる。
理不尽な扱いに屈する必要はない。我慢し続けることが美徳ではないのだ。自分の人生は自分で決める。それが本当の自由であり、幸せなのだ。
私が伝えたいのは、年齢に関係なく、誰もが自分の人生の主人公だということ。たとえそれが家族であっても、自分の人生を支配される必要はない。
私はお荷物じゃない。高齢者にも尊厳がある。自分の財産は自分で守る。これは、全ての人が持つべき当たり前の権利だ。
私の物語が、同じような境遇で苦しんでいる方々の勇気になれば幸いです。理不尽に立ち向かう勇気、自分を大切にする勇気、新しい人生を始める勇気。年齢なんて関係ありません。今からでも、遅くはないのです。
夕日が部屋に差し込んできた。オレンジ色の光が、新しい生活を優しく包んでいる。
「今、私は心から幸せです」
窓の外を見つめながら、私はそうつぶやいた。73歳にして掴んだ、本当の自由と幸せ。これからの人生も、きっと素晴らしいものになるだろう。
息子のことは、いつか許す日が来るかもしれない。でも今は、自分の人生を楽しむことが先だ。残された時間を、誰のためでもなく、自分のために使う。それが、私が選んだ生き方だ。



