仕事帰りの夜道。俺はコンビニのゴミ捨て場で、ゴミ袋を漁る小さな女の子を見つけた。年齢はまだ4歳くらい。痩せ細り、無表情なその姿に、俺は思わず立ち尽くした。コンビニの店員が「また来たのか」と怒鳴りつけ、野良犬のように追い払う。俺は「待って」と声をかけ、買いすぎた弁当を差し出した。
俺は32歳の独身男。仕事は楽しいが、とにかく忙しく、恋人はいない。誉められたわけでもないが、少し前に昇進した。直属の上司・宮沢さんに仕事を認められたことが、何よりの報酬だった。宮沢さんは2歳年上で、国内外の知識が豊富な才女。社内の男たちの憧れの的だが、誰も手を出せない存在だ。俺も密かに彼女に憧れていた。高嶺の花だと思っていた。
コンビニで出会った子どもに、俺は弁当を開ける方法や割り箸の使い方さえ教えなければならなかった。普通なら親が食事の作法を教えるものだ。しかし、この子は箸の持ち方どころか、よく噛んで食べることさえ知らない。流し込むように食べる姿に、俺は幼い頃に病弱だった妹を重ねた。妹は中学3年生まで頑張ったが、高校入学を夢見ながらこの世を去った。この子には、まだ生きる力が感じられた。
お腹を満たした後、俺は名前を聞いた。「青い」という。施設に住んでいて、満足に食べられないらしい。夜遅く、俺は青いを施設まで送っていった。だが、職員は疲れた様子で青いを引き取るだけだった。青いは俺の手を離そうとせず、何かを訴えるように見つめていた。「またな」と頭を撫でると、青いは頷いて施設の中へ消えていった。
それから、俺はそのコンビニで青いとよく会うようになった。青いは施設に馴染めず、仲間外れにされていた。食事を奪われたり、持ち物を壊されたりしているらしい。職員は最低限の人数で大勢の面倒を見ているため、介入する余裕がないのだという。だが、俺と会うようになってから、青いの表情は少しずつ増えていった。笑顔らしいものも見えるようになり、俺は執着が湧いてくるのを自覚した。具体的にどうしたらいいのか答えは出ないまま、コンビニで弁当を食べさせ、施設まで送る日々が続いた。
会社の創業記念日で休日になった平日。ふと思い立ち、俺は施設を訪れた。外から眺めると、青いは他の子供たちに囲まれ、砂遊びの道具を取り上げられていた。リーダーらしき男の子が、青いの前で道具を踏み壊す。別の男の子は職員の前で青いを指差し、職員は面倒くさそうに青いを叱った。「どうしてあなたは物を大事にしないの?」見ていられなくなった俺は走り寄り、「違います、私は一部始終を見ていました」と訴えた。だが、職員はうんざりした様子で男の子たちに「いたずらはやめなさい」と言うだけで、青いへの誤解を謝罪することもなく立ち去った。
男の子たちに「自分より小さい子は、男だろうと女だろうと守ってやるのが男だぞ」と言い聞かせると、リーダーらしき男の子が反論した。「父ちゃんは母ちゃんを殴ってた。それに女はバカだから男がしつけてやらなきゃいけないって言ってたもん」俺は堪らず問いかけた。「君のお母さんはそれで幸せに見えたか?好きな人から殴られて、それでも君はその人を好きになれるのか?」男の子は沈黙した。
俺は青いの手を引き、庭の片隅のブランコに並んで座った。いつも何をして過ごしているのか、何が好きか、嫌いなことは何か。青いはかろうじて答えてくれたが、その様子は人生のすべてに絶望しているようだった。このまま施設に預け続けるのは危険だと、俺は確信した。
施設の職員から、青いの過去を聞き出した。青いは裕福な家庭の長女として生まれたが、弟が生まれてから居場所を失い、両親に「可愛いと思えなくなった」と施設に預けられたという。母親の腕にいた弟は健康そのものだったが、青いの体は痩せ細り、服も靴も体に合っていなかった。ネグレクトと判断した職員が収容したが、両親は青いに何も言わず、安心した様子で帰っていったという。強烈な怒りと妹の記憶が込み上げ、泣きそうになった。
帰宅した俺は、福祉に詳しい友人に相談し、里親制度への申請を決意した。青いとの絆は日々強くなり、施設への当たりも多少は弱くなっていった。数ヶ月後、里親登録が終わって待つだけと思っていた矢先、意外な展開が起きた。施設の職員が児童相談所に相談した結果、青いを段階的に俺が預かることが許可されたのだ。俺は青いに里親の話をしていなかった。期待させて絶望させたくなかったからだ。お泊まりを提案すると、青いは驚いた表情で職員を見上げたが、職員が頷くと、その表情には喜色と活気が戻った。
青いとの同居生活が始まった。慣れない子育てで、ガスコンロで焦げついた鍋を前に二人で腹を空かせたり、掃除機のコードで青いが転び額から血を流して失神しそうになったりした。朝は青いのために早起きし、施設に送ってから出社。夜は急いで迎えに行き、夕食を共にし、風呂に入れて寝かせてから、持ち帰った仕事を片付ける。慌ただしい日々だった。心臓も悪く、ギリギリのペースで頑張っていたが、やがて無理がたたり、職場で倒れてしまった。
病院で目が覚めると、医者は過労だと説明した。点滴を受けていると、青ざめた顔の宮沢さんが病室に現れた。俺の緊急連絡先は、青いがいるところにしていたのだ。続いて青いが病室に飛び込み、泣きながら俺に抱きついてきた。「驚かせてごめんな」と頭を撫でると、青いは頷きながら俺の腹に顔を埋めて泣いた。宮沢さんは何か言いたそうにしながら、結局何も言わずに立ち去った。
数日、俺は休むことにした。青いも一緒に過ごすことになり、その日、青いが昼寝をしたタイミングで宮沢さんが訪ねてきた。「どうしても話したいことがある」と。宮沢さんは声を震わせながら、自身の辛い過去を語り始めた。宮沢さんが20代後半の頃、将来を誓った相手がいた。取引先の社長の息子で、金持ちではあったが、人間としては問題のある男だった。宮沢さんは熱心に口説かれて結婚を約束し、婚約指輪も渡され、妊娠も判明した。だが直後、婚約者と一切連絡が取れなくなった。彼の家に行くと、婚約者の隣には見知らぬ女性がいた。元恋人だという。彼女は妊娠が難しいと判明したことで婚約者と別れていたが、定期的に会っていた。宮沢さんの妊娠を知るや、子供だけ預かり、復縁を申し出たのだ。
婚約者は宮沢さんに納得のいかない理由で婚約を一方的に破棄し、元恋人の提案を持ちかけてきた。宮沢さんは断固拒絶した。だが、婚約者は彼女の弱みを握っていた。当時、宮沢さんの母親は末期癌を患っていた。故郷で最期を迎えたいという希望があったが、父親に蓄えはなく、宮沢さんの給料では叶えられなかった。婚約者は「子供を譲るなら援助しよう」と持ちかけたのだ。宮沢さんは苦悩の末、涙を飲んで子供を手放すことにした。元婚約者たちは結婚し、生まれた子供を引き取って金を渡し、さらに宮沢さんに「今後一切母親と名乗らないこと」を誓わせた。宮沢さんは結婚を破談にし、子供は資産だったと両親に告げた。母親は故郷で安らかにこの世を去った。
「私が産んだ子供は女の子だった。最初で最後のプレゼントだと思って名前だけは付けさせてもらったの。そう、青いって名前をね」宮沢さんは震える声でそう言った。俺は半ばパニックになったが、青いが起きる前に帰ってもらった。
その後、何度も宮沢さんと話し合った。青いの気持ちが最優先。やっと安定した青いを揺さぶるようなことは避ける。宮沢さんは俺の上司で仲がいい、という形にしよう。そう決めた。宮沢さんは青いが俺の家に来る経緯をある程度知っていたが、俺が改めて事情を話すと怒り泣いた。最後には様子を見に来た青いに慰められて、余計に大泣きしてしまった。俺は宮沢さんに「辛い思いをしたあなたと青いには、できることは何でも協力したい」と伝えた。宮沢さんは不思議そうな顔で「私も青いもあなたにとっては他人なのに、どうしてそんなによくしてくれるの?」と聞いてきた。
俺は語った。妹の話を。妹は病弱で、病院が第二の家のような子だった。思春期だった俺は、妹に「お前みたいな骸骨を相手にする男なんていねえよ。こんなお荷物誰も引き受けるわけねえだろ」と言ってしまった。妹は「そうだよね」と寂しそうに笑った。それが最後の会話だった。その後、妹は容態が急変し、俺は何もできなかった。手を握ってやることも、名前を呼んでやることも。ひどい兄だった。ずっと後悔している。宮沢さんは無言で、テーブルに置かれた俺の手をそっと握ってくれた。「結局は自分のためなのかもしれないが、妹を思い出させてくれた青いと出会って、もう二度とあんな後悔はしないと決めた」俺がそう言うと、宮沢さんは「私だってそうよ」と首を振った。自分は誠実さも道徳観念もない人間に自分の娘を売って、その被害を娘に全部背負わせてしまったようなものなのだと。罪悪感と自己嫌悪で自分が信じられない様子だった。
俺たちはお互いの過去を話し合い、青いを一緒に見守るうちに、いつしか上司と部下ではなく、パートナーとして互いを意識するようになった。
青いが小学校に入学する日、新しいランドセルを背負った青い。体はまだ小さく、ランドセルの方が存在感がある。だが、健康そうな赤みがかっていて、栄養不良の面影はない。俺が「すごく似合ってるよ」と言うと、背後から宮沢さんが「女の子は赤じゃないと」とからかうように話しかけてきた。「ママが選んでくれた靴も好き」青いは嬉しそうに反応する。
半年前、俺と宮沢さんは結婚した。青いとは正式な養子縁組を結び、今では俺たちはパパやママと呼ばれている。施設に行く前の家庭を青いがどこまで覚えているかは分からない。それでも、俺たちが両親として注ぐ愛情をしっかりと受け取って、人に愛される自信を持った女性になってほしい。いつの日か青いも、かつて妹が望んでいたような恋をするかもしれない。父親としては寂しいが、それもいいだろう。二つ返事の返事を聞きながら、俺は桜並木の下で考え深い気持ちになっていた。



