「どこの馬の骨だか知らないけど、どうしてうちの嫁と子供たちが、あんたなんかに頭を下げなきゃいけないんだ」
俺の名前はシンゴ、建設会社で働く26歳だ。妻と5歳と3歳の子供がいて、もうすぐ3人目が生まれる。中卒で働き始めて10年、資格を取りまくって、あらゆる重機を扱えるようになった。家族を守るためだ。
ある日、熱中症で倒れた社員がいると呼び出された現場に向かうと、そこには新しく担当になった現場監督の石田という男がいた。何かにつけて作業員を見下し、「高が熱中症で倒れるなんて、どんな教育してるんだ」と怒鳴る。作業員に聞けば、水分補給しようとすると「サボるな」と怒鳴られるらしい。倒れた社員を病院に行かせるのも渋っていたという。
俺が「適切に休憩させてください」と言うと、石田は「下請けの分際で何様だ」と一蹴した。これ以上話しても無駄だと思い、その日は仕事を終えた。
仕事終わり、兄からの誘いで高級料亭へ向かった。兄とは義理の兄で、俺の妻の兄、カズ兄こと克俊さんだ。3人目の子が生まれる前祝いだと言われて、久しぶりに酒を酌み交わしていると、隣の個室から女性が泣きながら飛び出してきた。その後ろから、嫌な顔をした男が出てくる。その男は、あの石田だった。
「なんでお前がこんなところにいるんだよ」
石田は俺を見るなり、声を潜めて言った。彼は泣いて出ていった女性を「愛人だよ。飽きたから振ってやった」と言い放ち、左手の薬指の指輪を見せつけてくる。
「どこの馬の骨だか知らないけど、高級料亭にいるのがおかしいんだよ。スーツより作業着がお似合いだわ。貧乏人は帰れよ」
石田は俺を嘲笑い、自分の高級時計を見せびらかした。俺とカズ兄は顔を見合わせた。すると、それまで黙っていたカズ兄が口を開いた。
「石田さんでしたっけ? 失礼ですが、どちらにお勤めですか?」
「誰もが知ってる会社だよ」
石田が会社名を言うと、カズ兄はスマホを取り出し、どこかに電話をかけ始めた。
「あ、社長。20億の融資はキャンセルで。あと、社員教育もお願いします。石田という現場監督が、作業員の命を脅かしかねないんで」
カズ兄は電話口の相手に、石田の言動をすべて話した。石田は「は? なんだと?」と戸惑っている。電話を終えたカズ兄は、石田に名刺を差し出した。
「ご挨拶が遅れました。銀行の支店長をしています」
石田は名刺を見て驚く。カズ兄は30代前半だが、大手銀行の支店長だ。早すぎる出世で知られている。
「御社とはこれまでも取引がありまして、今回も20億融資してほしいと相談がありました。ですが、これほど低能な社員がいる会社への融資は無駄だと思いまして。先ほど社長にすべて説明しました」
石田の顔が真っ青になる。「嘘だ。そんな大きな取引を君一人で決められるわけがない」と叫ぶが、カズ兄は「支店長の権限で決定できます。融資額が大きいため、私が社長と直接やり取りしていまして」と淡々と言い放った。すると、今度は石田の携帯が鳴った。出てみれば、上司からの電話だったようで、ペコペコと頭を下げている。
電話を切った瞬間、石田は俺に向かって怒鳴った。
「お前のせいで、明日説明に来いと言われたじゃないか! お前に会わなければ、こんなことにはならなかったのに。どうせ金持ちの兄貴にたかってるんだろ。優秀な兄貴と違って、出来損ないの弟のくせに」
俺はため息をついて言った。
「この店は嫁の元職場なんで、たまに来るんです。3人目を妊娠して退職しましたけどね。それと、この人は嫁の兄なので義理の兄です。俺も昔から尊敬する人なので、比較されても何とも思いません」
「お前の嫁って、まさか恵ちゃんか? あれ狙ってたのに」
石田は悔しそうな顔をする。そういえば、妻が妊娠前に「しつこく話しかけてくる客がいる」と言っていたのを思い出した。女連れのくせにナンパしてくる、質の悪い客だと。
すると、カズ兄が石田に言った。
「シンゴは多くの重機を扱うプロフェッショナルです。君に馬鹿にされるような人間じゃありません」
石田はそれでも食い下がる。
「どうせ日雇い労働者だろ。貧乏人が旦那なんて、恵ちゃんが不幸だわ」
俺はうんざりしながら言った。
「正社員雇用なので、それなりの給料はもらっています。重機も扱えるから、仕事にも困りませんしね。それに、日雇い労働者だと思っていたなら、それは間違いです」
石田は言葉に詰まった。すると、また石田の元に電話がかかってきて、彼は深刻な顔のまま店を出て行ってしまった。
その後、カズ兄に「融資の件は大丈夫なのか?」と聞くと、カズ兄は「あの会社は前からトラブルを起こしていたんだ。本部とも今後どうするか話していたところだよ」と教えてくれた。石田以外にも、職人とトラブルが絶えない現場監督がいるらしく、納期が遅れて客からの苦情が相次いでいたという。売上も急速に落ちていて、融資をどうするべきか検討していたところだったらしい。
「石田さんは間違いなく首だね。俺の大事な家族を見下すんだから、当然の報いだよ」
カズ兄はそう言って、にっこりと笑った。俺はカズ兄にだけは逆らわないでおこうと思った。
翌朝、俺は現場に行くと、石田の姿はなかった。熱中症で倒れた社員が休むことになり、代わりの現場監督が来ていた。新しい監督はこまめな休憩を指示し、熱中症対策の飲み物まで買ってきていた。
午後の作業中、現場にふらりと現れたのは石田だった。よほど上司に責められたのか、やつれた顔をしている。俺を見つけると、フラフラと近寄ってきた。
「融資がキャンセルになったのは俺のせいだって言うんだ。頼むから、お前から兄貴を説得してくれ」
石田は泣きべそをかいている。作業中に近寄られても危険だ。
「今作業中なんで、離れてもらえませんか?」
俺がそう言うと、石田はさらにすがりついてきた。その時、足を滑らせた俺と石田はもつれ合うように転んでしまう。石田が俺の上に覆いかぶさり、手をついた際に手首をひねってしまった。
他の作業員や現場監督が集まってくる。「作業中に近づくなんて、何考えているんだ」と石田を叱るが、石田はパニック状態で「俺のせいじゃない」としか言わない。手首はじんと痛み、赤くなっていた。
現場監督の判断で病院に行くことになり、会社に報告すると、石田はさらに切れ始めた。
「俺が原因って言うんじゃねえぞ。こいつが勝手に転んだんだからな」
あまりにも身勝手な言い訳に、皆の視線は冷たかった。
「どう考えてもあの人のせいだよな。熱中症の次は怪我人かよ」
作業員たちが睨みながら言うと、石田は叫んだ。
「どこの馬の骨だか知らないけど、俺に文句か? 頭が悪くて体を使うしかできないゴミのくせに」
石田の叫び声は住宅街に響き、住民が顔を覗かせるほどだった。すると、向こうから数人の男性が現れた。
「おい、近所中に声が響いているぞ」
声を荒げたのは、石田の上司の部長だった。その後ろを歩くのは専務のようだ。融資20億キャンセルの件を重く見た会社が、実際に石田の言動を確かめるために来たのだ。
「まさか住宅地で社員の声を聞くなんて思わなかったよ」
専務は石田を睨み、現場監督から状況報告を受けた上で、作業員たちに聞き取りを始めた。皆が口を揃えて石田の暴言を話す。さらに、先ほどの怪我人の話を聞いた専務は、一層厳しい顔になった。
「まずは怪我をした方を病院へ。君の処分は追って伝えよう」
専務がそう言うと、石田はがっくりと項垂れた。
病院に行く準備をしていると、一台の車がやってきた。妻の恵だった。子供たちも一緒に、俺の怪我を心配して飛んできてくれたのだ。妊娠中なのに心配をかけてしまい、申し訳ないと思った。
ふと石田を見ると、俺たちを恨めしそうな顔で見ていた。俺は石田に近づいて言った。
「俺は高級時計を持っていないし、愛人だっていない。だが、心配してくれる家族がいる。それだけで俺は幸せだ。あんたには、怪我をした時に駆けつけてくれる人はいるのか? どこの馬の骨だからって、人を不幸だと決めつけんじゃねえよ」
俺の言葉に、石田は俯いた。そして、本当に小さな声で「すまん」と言った。
その後、カズ兄は本当に融資をキャンセルした。石田の会社から、うちの会社に謝罪があった。石田は責任を取らされて会社を首になり、損害賠償も請求されることになったらしい。さらに、元愛人からも訴えられているそうだ。独身だと嘘をついて交際していたのがバレたらしい。妻にも浮気がバレて、離婚を言い渡されているに違いない。
俺の怪我は勤務中の事故なので労災が下りた。数日で完治し、社長からは特別手当までもらった。あと数ヶ月後には3人目が生まれる。生まれたら、カズ兄も呼んで盛大にお祝いをするつもりだ。
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「お前たちは、最低賃金で働くか、首になるか、どっちか選べ」
俺は村田、43歳。製造業の会社で営業をしている。先代の社長が興した会社で、大企業の下請けだ。従業員は40人。営業は社長と社長の親戚の長野さんと俺の3人だ。
最近、社長の交代劇があった。先代の社長には娘が3人いたが、誰も工場を継ぐ気はなく、みんな長野さんが2代目になると思っていた。ところがある日、先代が「息子だ」と若い男を連れてきた。愛人との間に作った隠し子らしい。先代は肝臓を患っていて、余命宣告を受けたため、最近になって愛人と息子の存在を家族に打ち明けたのだという。
新社長は礼儀も知らず、ジムの斎藤さんに「社長の給料安くないか?」としつこく話しかけていた。上司である新社長が、従業員の給料を下げて自分の給料を上げろと言い出したのだ。
「業績が悪化したわけでもないのに、従業員の給料を下げるなんてできませんよ」
長野さんが呆れて突っ込むと、新社長は不機嫌になった。
「じゃあ、作業員の人数を減らせば俺の給料上がるだろ」
俺は新社長に説明した。かつてITバブルの崩壊で会社が危機に陥った時、先代はリストラではなく、工場を週3日稼働にして仕事を分け合う選択をしたのだ。従業員たちはそれを受け入れ、結果的に工場は立ち直った。週3日の稼働は従業員たちの希望で定着し、俺はそのおかげで趣味の釣りに没頭できるようになった。
だが、新社長は譲らない。
「でも、やっぱり人件費が高いよな。大きく削れるところはそこだよな」
新社長は帳簿を見ながらブツブツ言っていた。
そして数週間後、新社長は俺と長野さんと斎藤さんを集め、爆弾発言をした。
「工場の従業員の8割、リストラすることに決めたから」
俺は驚いて「仕事が成り立ちませんよ」と叫んだ。新社長は「大丈夫だよ。外国人を安く使える方法を見つけたんだ」と胸を張る。留学生を最低賃金で働かせれば、自分の給料が上がると言うのだ。
「留学生はいつか国に帰ってしまいますよね」
俺が聞くと、新社長は「次の留学生を雇えばいいじゃん。工場の仕事なんて誰でもできるだろうが」と反論する。
俺は呆れて言った。
「うちは技術力の高さが売りです。誰でもできる仕事じゃありません」
すると新社長は頭を掻きながら俺たちを睨んだ。
「うるさいな。2人とも、俺の言うことに盾突いてばっかりで、目障りなんだよ。営業のお前たちが一番不要じゃん。今は営業しなくても定期的に仕事あるし。営業だって留学生を使えばいいじゃん。お前ら、最低賃金か首、どっちか選べよ」
「私も首ですか?」
黙っていた斎藤さんがおどおどしながら聞くと、新社長は少し考えて「ジムの仕事を全部やってもらってるから、残っていいよ」と答えた。
俺は大きく深呼吸した。そして言った。
「ところで、明日、大企業との相談がありますけど、いいんですか? 営業の俺たちが必要では?」
実は明日、一番大きな取引先と約束があるのだ。だが新社長は「いらねえよ。別に社長の俺が行けばいい話だ」と言い放つ。
「明日はそんなに簡単には行きませんよ。新しく納品する部品の相談もありますし、何よりあの大企業は村田を指名しているんですから」
長野さんが援護してくれたが、新社長は「営業なんて誰でもいいだろ」と取り合わない。
「どっちにするんだ? 海外留学生と同じ最低賃金か、首か選べよ」
俺は呆れていた。こんな会社、もう一秒だって痛くなかった。
「じゃあ、今すぐ首で」
長野さんもため息をついて「私も首で結構です」と言った。
「おっしゃ、これで俺の給料が増える」
新社長は無邪気に喜び、俺たちは長年務めた会社を首になった。
会社を出た途端、俺と長野さんはプッと笑いが出た。それまで真面目な顔をしていたが、耐えられなかった。実は俺たちは、いつかこんな日が来るんじゃないかと思って準備をしていたのだ。予想よりも早く来たが、問題ない。
俺たちは工場に挨拶に行き、首になったことと、例の計画を伝えた。
翌日、俺が長野さんと手分けして動き回っていると、スマホが鳴った。会社からだ。新社長からだった。
「おい、一体どういうことなんだ? スズキがどうのこうのって。お前、なんで社長と知り合いだって言わなかったんだ?」
ああ、スズキ釣りのことだ。来週、黒鯛をスズキで釣るつもりなので、俺は済まして答えた。実は俺と、取引先の大企業の吉永社長とは釣り仲間なのだ。俺は趣味の釣りをきっかけにYouTubeチャンネルをやっていて、吉永社長はその熱心なファンだ。
「知らねえよ、そんなもの。それより、お前に繋がりがあるってことを、なんで先に言わなかったんだ?」
新社長が怒鳴る。
「なんでって、聞かれなかったからですよ。それに、個人の繋がりをいちいち話す必要ありますか?」
「だ、だが、それが分かっていれば」
新社長はもごもごと口ごもる。
「それが分かれば何ですか? 俺をやめさせなかったとでも? そもそも、働きもせずに給料を自分だけたくさんもらおうとしたのが悪いんですよ」
電話を切られるかと思ったが、新社長は話し出した。今日、取引先に行った新社長は、社長室に通されたらしい。吉永社長は「なんで村田君じゃないんだ。スズキの話を聞きたいのに」と、スズキや黒鯛の話ばかりしてきたそうだ。新社長は俺を首にしたとは言えず、「村田は仕事をやめました」とだけ伝えたが、吉永社長はしつこく俺のことを聞いてきたらしい。あまりに食いつかれた新社長は、つい「これからは経費削減のため外国人留学生を雇うつもりだ」と話してしまった。
吉永社長は、釣り仲間からは影で「黒鯛」と呼ばれている。何でも食べる悪食なところから、ついたら満足するまで追求するからだ。その黒鯛が、留学生を雇うという話を聞いて、あっさりと「じゃあ、今後一切の取引をやめよう」と言ったそうだ。
「留学生を使うなんて、いつ不法労働を疑われても分からない。納期を守ってもらえるか、品質を保てるのか分からないし、自分のところも疑惑をかけられては困る」
新社長は契約を断られ、警備員に追い出されたらしい。
「お前、あの社長と知り合いなんだろ? あのさ……」
俺は話が見えてきた。
「つまり、俺に一緒に行って欲しいってことですよね。お断りします」
新社長に最後まで言わせず断ると、新社長は逆ギレした。
「元はといえばお前のせいだ。お前がやめなければ」
新社長がギャンギャン喚くので、俺は「最低賃金か首だと迫ったのはあなたでしょうが」とだけ言って電話を切った。
その後も、斎藤さんを通じて新社長と会社の状況が耳に入ってくる。新社長は宣言通り、ほとんどの従業員を辞めさせ、外国人留学生を雇ったらしい。
俺と長野さんは、新会社の設立準備を進めていた。業界の同業者から機械と工場を譲ってもらう交渉をし、開業資金をかき集めていた。工場の従業員たちにも、開業次第働いてもらえるよう交渉中だ。
それから1ヶ月も経たないうちに、新社長から泣きの電話が入った。
「留学生が来なくなったんだ」
「平日ですし、授業もあるでしょうね」
俺が言うと、新社長は「そうなんだよ。あいつら授業を理由にすぐ休むし、時間にもルーズなんだ。しかもプライドが高いくせに技術がなくて、取引先からクレームが来るんだよ」と文句を並べ立てる。
「何を今更」
俺ははっと笑ってやった。
「納期に間に合わないから、今すぐ来てくれ。従業員たちにも電話をかけてくれるのを手伝ってくれ」
新社長は恥知らずにも協力を頼んできた。
「嫌ですよ。首になったんですから。それに、学生が授業を優先するのは当たり前では?」
俺が断ると、その直後、斎藤さんから電話がかかってきた。
「私もこの会社をやめます。税理士さんから早めに逃げた方が良いと進められたので。それで、申し訳ないんですが、経理として私も雇ってもらえますか?」
もちろん歓迎だ。長年経理をしていた斎藤さんに来てもらえるなら、ありがたい。
外国人留学生を雇うには、もっと恐ろしい問題もある。アルバイトの許可が必要だし、労働時間にも制限があるのだ。制限違反は留学生と雇用側の双方が罰則を受けることになる。留学生側は最悪、強制送還。雇用側は不法労働助長罪に問われ、3年以下の懲役、300万円以下の罰金、またはその両方が科せられる。新社長がまともにやっているとは思えない。トラブルを起こすのは時間の問題だろう。
そして半年も過ぎた頃、先代の社長の訃報を聞いた。俺たちは葬儀に参加することにした。すると、葬儀の席で新社長が泣きついてきた。
「不法労働を行ったとして、強制送還の対象だって通知が来て、外国人留学生たちも『俺のせいだから訴える』って言ってきたんだ。どうすればいい? 取引先からも『期日通りに納品できないなら契約解除だ』って怒られて」
自業自得すぎる結果に、俺と長野さんは顔を見合わせた。
「なんで俺たちに相談してくるんです?」
長野さんが聞くと、新社長は「親父に『息子を助けてくれ』って言われただろう。困っているんだし、戻ってきてくれるよな」と言う。
「仙台社長から聞いていませんか? もう俺たちは関わらなくていいと言われているんですよ」
実は俺と長野さんは、首になる直前に先代に会いに行っていた。会社の実情を話し、新会社を設立するつもりだと伝えたのだ。最初は驚かれたが、最後には新社長の行いを謝罪してくれた。さらに、俺たちが新会社を設立して軌道に乗っていることを話すと、新社長は「そんな……」と言って膝から崩れ落ちた。
「会社を清算したらどうですか? 引き際が肝心だと思いますよ」
長野さんが珍しく辛辣な言葉を吐いた。
「残念ですが、仙台社長と違って、経営者の才能も資格もありませんでしたね。反面教師にさせてもらいたいと思います」
正直、新社長に会社を引っ掻き回されたことにめちゃくちゃ腹が立っていた。だけど、これでもう完全に縁が切れる。そう思うとスカッとした。
その後、例の会社は倒産し、売り物件になっていた。新社長は母親のスナックで働いているらしい。俺たちの会社は吉永社長との取引を継続することになり、俺は仕事も趣味の釣りも順調そのものだ。
ーーーーーーーーーーー
「ねえ、あなた、高卒なんだって?」
そう話しかけてきたのは、当時、新入社員だったかおりだった。俺は高卒。彼女は大卒だから、新入社員と言っても年齢は俺と同じだ。
「なんで私が、高卒なんかに教育されなきゃなんないのよ」
彼女はため息をついた。
あれから7年が経った。俺の名前はユウキ、30歳の会社員だ。父は経済事情から中卒で、その後投資で成功した人間だ。俺もその血を受け継いでいるのか、野心が強く、早く社会に出たくて高校を卒業して就職した。3人兄弟の末っ子で、兄たちがとっくに就職していたから、少し焦っていたのかもしれない。
俺は昔からパソコンが得意で、高校も情報科を選んだ。パソコンが得意と言うとインドアなイメージを持たれがちだけど、キャンプやドライブも好きだ。友人の農家とも親しくさせてもらっていて、農業の手伝いをすることもある。
就職して4年後、新入社員の教育を任されることになった。俺が担当するのは、かおりという大卒の女性。年齢は俺と同じで、名門大学を卒業したらしい。しかも、上司が言うには、他の部署の部長の娘だという。
入社式が終わり、俺がかおりに挨拶をすると、開口一番「随分若いですね」と言ってきた。俺が同じ年だと言うと、かおりは笑い出した。
「え、ってことは大卒じゃないの? 高卒? 高卒が私の教育係とか、勤まるの? 私、大卒だよ。しかも名門。知ってるでしょ? それに、パパは部長だからね」
初対面から馬鹿にされた。自分で「名門」と言うところも、車内にいる父親のことを「パパ」と呼ぶのも、どうにも常識があるとは思えなかった。
その後も、俺がかおりの間違いを指摘すると「あんたの教え方が悪いんでしょ」と逆ギレするし、気に入らないことがあれば「パパに言うから」と言ってくるので、教えづらいことこの上ない。
そして3ヶ月後、事件が起こった。とある相談資料を作成することになり、俺は一からかおりに教えていた。すると「このくらい分かるわよ。高卒のあんたが私に教えられることなんてないでしょ」と不機嫌に言う。仕方がないので、出来上がったら確認するから持ってくるように言い、自分の仕事に戻った。
出来上がった資料を確認すると、半分以上の間違いがあった。俺は一つ一つ丁寧に教えていったが、かおりは真面目に聞かず、頬杖をついてパソコンを眺めている。
翌日、俺が出勤すると上司が飛んできた。かおりが昨日、上司のところに相談資料ができたと持っていったらしく、上司は確認もせずにそれを先方にメールで送信してしまったという。資料には大事な署名が抜け落ちていたり、相談していた金額と違っていたりして、先方からクレームが来ているらしい。
「資料を送るのは週明けと聞いていたから、今日確認して上司に渡す予定だったんです。そう上司に話しましたが、当然君が確認しているものだと思ったよ」と上司は全責任を俺に押し付けてきた。
そこへかおりが出社してくる。
「昨日の資料、どうして私に渡さなかったんですか?」
俺がかおりを責めると、「いちいち面倒じゃない? 言われた通りに修正したし」と悪びれもなく言う。かおりは部長の娘だから、上司もかおりのことを怒れないようだった。
「全部、教育係のあんたのせいでしょ。私、何も悪くないけど」
かおりはニヤニヤしながら言ってきた。
上司は俺に先方に謝りに行けと言ってきたが、俺は断固として行かなかった。今まで上司の指示に背くようなことはなかったけど、さすがに今回は頭に来た。かおりは笑いながら「パパに言っておくね」と言う。俺はその態度に怒り、かおりを睨んだ。
「ああ、好きにしてくれ」
そう言って自分のデスクに戻った。
すると翌日、俺はかおりの父親から呼び出された。他の部署の部長なのに、かおりから聞いたからと言われ、「重要な取引に失敗し、損害を出した責任を取って辞めろ」と言われた。
「俺みたいな下っ端を辞めさせて、責任取ったって言えるんですか?」
そう言ってみたけど、俺は自主退社するように迫られた。俺はこんな会社にいたくないと思い、退社を選択した。
あれから7年の月日が経った。ある日、食事会があり、高級寿司店に入った。
「ユウキ君、本当に君のおかげだよ」
俺を連れてきてくれた、りつこさんが言う。俺は少し照れながら寿司に手を伸ばした。りつこさんと話していると、寿司店の入り口が開き、女性が入ってきた。俺は何も気にしていなかったが、その女性は俺の前で止まった。
「あら、高卒」
半笑いのその声は聞き覚えがある。俺が顔をあげると「やっぱり高卒よね」と相手が声をあげた。7年前から一切会っていなかったし、随分と化粧が濃くなっていて、顔だけでは気づかなかったが、その声でかおりだと確信した。
「ここ、高級寿司よ。なんでこんなところにいるの?」
俺よりもりつこさんの方がむっとしている。俺は早くかおりにここから去って欲しくて、言葉少なく返事をしたが、かおりはなぜかニヤニヤしながら話を続ける。
「うちのパパ、もうすぐ関連会社の社長になるの。私、社長令嬢よ。見てよ、この服。やっぱり社長令嬢はこうでなくちゃね」
かおりはブランド品で固めた姿を見せびらかす。きっと自分のことを話して、また俺を見下したかったんだろう。
すると、そこへかおりの父親が入ってきた。俺に気づいて、鼻で笑いながら話しかけてくる。
「なんで君がこんなところにいるんだ? 随分間違いだな」
相変わらず親子揃って失礼な奴らだ。かおりは俺を見下したあと、こう言った。
「で、あんたは何やってんの? どうせロクな仕事にもつけてないんでしょ」
できれば言わないままやり過ごそうと思ったけど、俺を馬鹿にする材料を探しているのだろう。答えなければ終わらなさそうだったので、俺は口を開いた。
「その会社の大口取引先だけど」
すると、かおりとその父親は俺の顔をじっと見る。
「へ?」
どうやら理解ができていないようだ。俺は、かおりの父親が就任する会社と大口の取引をしていることを丁寧に説明した。
7年前、俺は会社をやめて、何をしようか模索していた。そこで、父の友人で農家をやっているりつこさんを訪ねた。俺は農業にも興味があり、最近手伝いに行けていなかったりつこさんに話を聞いた。
するとりつこさんは、畑を拡大したいけど人手が足りない。農家になりたがる人が少ないと嘆いた。
「農業を法人化するのはどうですか?」
俺が提案すると、最初は戸惑っていたが、話を聞くうちに受け入れてくれた。俺が提案したのは、簡単な加工や出荷などの処理を行う、本格的な株式会社化だ。俺はりつこさんの会社に就職し、ホームページやシステム関係の構築をした。法人化するのに、父が投資してくれた。
りつこさんの会社は、シニアスタッフや主婦、高校生のアルバイトも募り、農業高校の学生たちを中心に働いてくれるようになった。シフト関連も管理できるアプリを開発すると、アルバイトたちは便利だと受け入れてくれる。意外なことに、シニアスタッフも受け入れてくれる人が多かった。これは他でも活用できると思い、俺はこのアプリを色々なところに売り込み、成功している。今では会社役員という肩書きまでついた。
かおりの父親が就任予定の会社は、レストランを運営する会社だ。そことうちが取引を始めたのは3年ほど前。りつこさんの畑から近く、向こうから直接契約して欲しいと言われた。俺が前にいた会社の関連会社だとは知っていたが、別に俺がそこで働くわけじゃないし、関係ないと思い取引を始めた。次第に納品する数も増えていき、今ではほとんどがうちから仕入れている。
それを説明したけど、かおりの父親は「なんてみすぼらしいものだな」と笑った。
「農家から野菜を納品してもらわなければ、レストランの運営なんてできないのに」
この人は何を言っているんだろう。かおりも一緒になって笑った。
「やだ、農家なんて汚いじゃない。こんなところに来ないでよね」
俺は頭に来て言い返そうとしたが、りつこさんに止められた。
「私たちは食事を終えましたので、どうぞごゆっくり」
りつこさんはそう言って、俺に会計を促す。俺が席を立とうとすると、かおりの父親がなぜか呼び止めた。鞄から何やら資料を取り出し、しばらく眺めた後、こう言い出した。
「ちょうどいい機会だ。今までそちらと契約していたようだが、コストの見直しをしたい。値下げに応じられないのなら、この契約を切らせてもらう」
あまりにも農家を甘く見た態度に、俺は絶句した。するとりつこさんは笑顔で「分かりました。では、契約終了で」と言った。やはり、りつこさんも頭に来ていたんだろう。俺は正直スカッとした。
かおりの父親は、当てが外れたのか慌てた。
「お、おい待て。値下げに応じれば継続してやるんだぞ。契約を打ち切られて困るのはお前たちだぞ」
だがもう遅い。俺もりつこさんも、さっさと寿司店を出た。実は、希少な野菜の栽培にも成功していて、契約したいと言ってくる企業がたくさんあるのだ。だから契約を打ち切られたところで、こちらに不利益はない。
その後、レストランとの契約が終了すると、他の納品先が次々に名乗りをあげ、今はそちらに収めている。
それから数ヶ月後、畑には似合わない高そうな車が入ってきて、うちの会社の前に止まった。降りてきたのは、かおりとその父親だった。呼び出された俺が要件を聞くと、父親が口を開いた。
「今、野菜を下ろす場所がなくて困っているだろう?」
「は?」
俺の口からは思わずそんな言葉が出た。
「ご心配には及びません。すでに他に契約がありますから。余っている野菜なんて、一つもないですよ」
そう言うと、かおりの父親は「それなら規格外の野菜でもいい。それなら安く下ろせるだろう。今まで市場から野菜を仕入れていたが、それだと高くて叶わん」と迫ってくる。しかも勝手に「この金額でどうだ」と値段まで提示してきた。
「規格外の野菜なんて、どうせ捨ててしまうんだろ。だったらそれをうちに安く下ろせばいい。そうすれば農家、レストラン、顧客のWIN-WINの関係を築けるんだから」
何やら熱弁しているが、どこがWIN-WINの関係なんだ。自分の都合ばかりで、俺たちを見下す相手と取引なんてしたくない。
「あなたは農家と顧客を馬鹿にしてるんですか? 無理ですよ。あなたが契約を切ると言ってきたのに、今更何なんですか?」
そう言うと、今まで黙って聞いていたかおりが口を出した。
「パパのせいで再契約もできないなら、車内の立場は下がるし、役員や社員からの信用もなくなるじゃない。社長が大事な野菜の仕入れ先をなくしたって大騒ぎで、大変だったんだから。高卒君のせいよ。私、せっかく社長令嬢って肩書きになったんだから。パパに意地悪しないで。早く契約しなさいよ」
かおりがわざわざここまで来たのは、これを言うためだろうか。でも、それならなおさら再契約なんてするものか。俺は深呼吸をして、かおりの父親に詰め寄った。
「これまで人に責任をすりつけて、昇進してきた結果じゃないですか? 自業自得ですよ。前の会社で俺に全ての責任を取らせたこと、忘れたとは言わせませんよ。最後に全ての責任を取るのは社長なんですから、覚悟を持って仕事をしてください」
俺は昔言えなかったことも、はっきりと言った。父親は悔しそうに唇を噛む。俺はダメ押しで「その倍額なら考えてもいいですよ」と言ってやると、父親は激怒した。
「契約しなかったことを後悔するからな」
そう言って車に向かう。かおりは俺を睨みつけた。
「あんた最低ね。もっと人のこと考えたら?」
俺はその言葉に笑った。
「その言葉、そっくりそのまま君に返すよ」
そう言うと、かおりも父親そっくりに唇を噛んで、父親を追いかけて去っていった。
その後、音沙汰がないと思ったら、いつの間にかレストランは潰れたようだ。インターネットで見た口コミには「味が落ちた」「お金を払う価値なし」と書かれていた。
それからしばらくして、会社にかおりの父親が現れた。妙に見すぼらしい服装で、誰だか分からないほどだった。何事かと思えば、いらない野菜を分けてくれという。
「いらない野菜なんてありませんよ。お引き取りください」
俺がそう言うと、父親は頭を下げて身の上話をしてきた。かおりが社長令嬢になったからとブランド品を買い漁り、贅沢に外食を繰り返していたらしい。無職になったかおりや、社長を解任された父親にはその支払いができず、貧乏生活に転落したそうだ。父親はまるでかおりだけのせいで貧乏になったように話していたが、そもそもかおりを育てたのは自分自身だし、会社経営の失敗は自分の無能さだろう。
俺は「まさに自業自得ですね」とだけ答えて、父親を追い返した。
こうして完全にかおり親子とは縁が切れ、会社は順調だ。俺は今、野菜の在庫を管理できるシステムを作っている。ストレスなく好きな仕事ができて、充実した毎日だ。



