「なんだこれ」――取引先の担当者が、妻が一生懸命作ってくれたプリンを、ラッピングごとゴミ箱に投げ捨てた。「バカにしているのか?普通は高級用菓子を用意するものだろう」と。取引先だからと何も言えず、その場で立ち尽くすことしかできなかった。帰宅して妻に謝ると、彼女は「あなたのせいじゃないわ」と優しく笑った。だが翌日、私はまさかの社長室に呼ばれ、信じられない光景を目にすることになる。妻のプリンを馬鹿…

「なんだこれ」――取引先の担当者が、妻が一生懸命作ってくれたプリンを、ラッピングごとゴミ箱に投げ捨てた。「バカにしているのか?普通は高級用菓子を用意するものだろう」と。取引先だからと何も言えず、その場で立ち尽くすことしかできなかった。帰宅して妻に謝ると、彼女は「あなたのせいじゃないわ」と優しく笑った。だが翌日、私はまさかの社長室に呼ばれ、信じられない光景を目にすることになる。妻のプリンを馬鹿...

「バカにしているのか?普通は高級用菓子を用意するものだろう。」

取引先の担当者・森が、俺の手からプリンの袋を乱暴に奪い取り、そう言い放った。そして、そのままゴミ箱に放り捨てた。

ガシャンという悲しい音が響く。俺は突然の出来事に、ただ黙って見ていることしかできなかった。溢れ出す怒り、そして何もできなかった無念さに押しつぶされそうになりながら、俺はその場に立ち尽くしていた。

俺はクワノ金属に勤める会社員だ。これから手土産を持って取引先へ向かうところなのだが、かなり気が重い。原因は取引先の担当である森という男にある。彼は自分の気に入った手土産でなければ、まともに話すらしてくれない。ひどい時には挨拶もそこそこに、すぐに帰らされてしまうこともあった。こんな男でも大事な取引先なのだからと、俺は必死に我慢を重ねていた。

そんなある日、部長が俺のデスクに来てこう言った。

「相手の会社の特許技術は確かに素晴らしいものだ。そのおかげで会社の規模が大きくなったのは君も知ってるね。」

「ええ、ですが、そのおかげで図に乗ってるとしか思えない態度も見受けられますが。」

「そうだな。昔はお互い手を取り合って、より良い商品を作るために奮闘したんだがな。」

部長は何かを思い出すように目を細めると、言葉を続けた。

「今の担当者が難のある男なだけで、社長夫妻は人柄の良い方たちだと聞いている。そのうちに環境が改善されることを願うよ。」

「ああ、その通りだ。もうしばらくすれば、きっと取引環境も改善されるだろう。大変だがこれも仕事のうちだ。」

「ありがとうございます。頑張ります。しかし、毎回手土産に悩みますよ。同じ手土産は手を抜いていると言われるので。」

「手土産か。ああ、そういえば社長夫妻の話で思い出したが、確か奥様はプリンが大好物らしい。もし次に顔を出すことがあるならば、プリンを買っていってはどうだろうか。」

部長の言葉に、俺はある店のプリンを思い出した。まるでクリームのような滑らかさ、とろける食感、濃厚な味わいと程よい甘さを兼ね備えたプリン。それは俺の妻ミカが作るプリンだ。

ミカは自宅の一部を改装して作った小さな洋菓子店を営んでいた。もちろん味は保証付きである。子供から老人までに愛されており、昼過ぎには完売することも珍しくない人気商品だった。

俺は部長との会話を終わらせ、仕事を済ませると、急いで帰宅することにした。家では仕事を終えたミカが台所で夕飯の準備に取りかかっていた。

「ルンルンと鼻歌混じりでお帰りなさいと言うミカの言葉に答えると、早速先ほどの部長との会話をミカにした。

「社長夫人がプリン好きらしいんだ。手土産として持っていきたいんだが、よかったら作ってはくれないか。」

「私のプリンなんかでいいのかしら?」

ミカはそう言いながらも嬉しそうに笑っている。俺はその様子を見てほっとした。いくらミカがプリンを作れるとはいえ、大手の取引先の社長夫人に出す手土産を用意するのは気が重い話ではないだろう。だがミカは心よくOKをしてくれた。

それからすぐに、ミカは夕飯を食べることなく、明日の準備と言いながらプリンの下準備を始めた。

「ありがとう、ミカ。すまない。」

「いいのよ。私も自分のプリンをたくさんの人に食べて欲しいもの。」

そう言ってミカは台所と店舗を行ったり来たりしながら、せっせと準備する。そんな様子を見せられては、俺もぼんやりしているわけにはいかない。俺はミカの指示に従って下準備を手伝うことにした。結局その日布団に入ったのは、いつもより遅い時間であった。

明日の社長夫妻の反応を楽しみに、俺はすぐに眠りに落ちた。

翌日、俺が目を覚ますと、既にミカは起きていて、白いエプロンを身にまとった姿で店舗の方から顔を出した。

「できたわよ。」

ミカの手にある盆には、可愛くラッピングされたプリンの入った袋が並んでいた。

「ありがとう、ミカ。」

一体何時に起きていたのかは分からないが、想像できないミカの苦労が感じられ、俺は何度もミカにお礼を言った。ミカは照れ臭そうに笑った。

「あなたが手伝ってくれたから、そんなに時間はかかってないわよ。」

今朝の出来事を思い出しながら、俺は口元を緩めた。白い紙袋と青いリボンで包装されたプリンを大事に助手席に置いて、ふっと息を吐く。俺は気合を入れて車のエンジンを発信させた。ミカのプリンがあれば何にも問題はない。きっとうまくいく。そう思っていた。

「なんだこれ。」

俺の良い気持ちを踏みにじるような声を耳にするまでは。

いつものように取引先のエントランスで、ニコニコと微笑む受付嬢に担当の森の名を伝えると、少し待つように言われた。俺はプリンが袋の中で倒れていないかを確認して、ゆっくりとエントランスの椅子に腰をかけた。そうして待っていると、エントランスの横のエレベーターから、歯をわずかに見せてやってくる森の姿が見えた。

森は俺の手元を覗き込むと、開口一番「なんだこれは。」といぶかしげに言った。俺は思わずびくりと体を強張らせた。それでも何でもないように「つまらないものですが、これはプリンです。自営を営む私の妻が作ったものです。」と続けた。

だが、その言葉は森の嘲笑によって遮られてしまった。

「はあ?バカにしているのか?普通は高級用菓子を用意するものだろう。」

人を馬鹿にしたような物言いだった。目は細められ、口元は小ばかにしたように片方だけ釣り上がっている。俺は最初、何を言われたのか分からなかった。だが徐々に理解していくにつれ、己の体が怒りで震えていることに気づいた。

相手はこれまで有効的に仕事を進めてきた取引先だ。ここでその関係を壊すわけにはいかない。俺は感情を押し殺し、口を開いた。

「身内ではございますが、妻の作ったプリンは好評でして…」

「いやいや、そんな素人が作ったプリンなんて、口にできるわけないだろう。」

森は俺の手からプリンの袋を乱暴に奪った。

「何をするんですか!?」

突然のことに思わず大きな声が出てしまった。エントランスに俺の焦る声と、森の乾いた笑いが響く。先ほど対応してくれた受付嬢や、たまたま通りかかった社員たちが不審そうにこちらを見ていた。

「こんなゴミみたいなものを持ってこられても困るんだけどね。」

森は袋を顔の位置まで持ち上げて、眺めるように目を細めた。俺は頭に血が登るのを感じつつも、必死に冷静を装った。

「ですが、社長夫人の大好物だと聞きまして…」

「だとしても、こんな素人の作ったものを持ってくるかね。」

「妻は決して素人ではございません。」

「だとしても、こんな不細工なプリンなんて、社長に出せるわけないの分かるだろう。」

そう言うと、森は椅子の横に設置してあったゴミ箱の上で、袋を掴んでいた手を離した。一瞬のことで、体が反応できず、黙って見ていることしかできなかった。プリンの入った袋は、そのままゴミ箱へガシャンと悲しい音を立てて落ちた。受付の方から小さな悲鳴が上がったのが耳に入った。

「今日のところは俺が処分しておいてあげるから、次からは気をつけてくれよ。」

親切心でもなんでもない、鬱陶しいと言うような表情だった。俺は捨てられたプリンを見つめたまま、「もう申し訳ございません。」と消え入りそうな声で言うことしかできなかった。森はそんな俺の態度を見て満足したのか、黙ってこくりと頷いた。

「今日は用事ができたんだ。申し訳ないが帰ってくれないか?」

俺の返事を待つこともなく、踵を返してそのままエレベーターに向かって歩いていってしまった。その間も、俺は捨てられたプリンから目を離すことなく、その場に立ち尽くしていた。

どれくらい時間が経ったのか分からないが、気がつけば車の中に戻っていた。妻が一生懸命作ってくれた光景を思い出すと、胸が苦しくなり、耐えきれない怒りが込み上げてきた。何より、取引先だからと相手に何も言えず、反応もできなかった自分が腹立たしかった。妻に何と言おうかと考えていたら、その日一日は仕事にならなかった。

「おかえりなさい。お疲れさま。」

帰宅すると、ソファーでゆっくりとお茶を飲んでいたミカが、俺に気づくとそう言って笑った。俺はとっさに何と言えばいいのか分からず、ネクタイを緩めていた手を止めた。

「何かあったの?」

そんな俺の態度に気づいたミカが、心配そうに顔を覗き込んでくる。俺は黙っていることができず、とうとうミカに昼間あったことを正直に伝えた。

「すまない。せっかくミカが作ってくれたプリンを、目の前で捨てられてしまった。」

何度も頭を下げる俺を見て、ミカはとても驚いた顔をしていたが、すぐに俺の手を優しく握ってくれた。

「あなたのせいじゃないわ。もしかしたら、何かプリンに問題があったのかもしれないし。」

ミカはそう言うが、決してそんなことはなかった。何しろ森は中身を見ることなく、そのままゴミ箱へと投げ捨てたのだ。おそらく用意したのがプリンでなかったとしても、森の言う高級用菓子でなければ捨てられていたことだろう。

だが、それにしても、再度謝罪を続けようとする俺を静止するミカは、少し考え込むような顔をしたかと思うと、その首ねっこをグッと掴んだ。

「首?」

「冗談よ。不満かもしれないけれど、せっかく作ったプリンを食べずに捨てられちゃったから。」

ミカがクスクスと笑う。確かに一生懸命作ったプリンを捨てられた手前、少しぐらい悪態を吐くこともあるだろう。とはいえ、彼女らしくなかった。

「でも、もしかしたら本当にそうなるかもね。」

そう最後に添えた言葉の意味が、俺には少し困惑させられた。だが、この話はここまでだった。この日は早く休むようにミカに促され、モヤモヤしつつも風呂に入り、いつもよりも早めに就寝した。

翌日は前日のこともあり、重たい気分での出勤になった。昨日会社に戻ってから部長に説明した際、「気が進まないだろうが、明日は駅前の高級洋菓子店でケーキを購入するように。」と言われてあったのを家を出る前に思い出し、出社前に駅前の洋菓子店でケーキを購入した。助手席に高級洋菓子店のケーキの箱を置いて、昨日より深いため息をつく。昨日の夕方には、森に「明日手土産を持って改めてご挨拶に伺います。」と伝えてある。それは、昼間のことがあったからか、森はいつも以上に偉そうな態度で「ああ、今度こそ頼むよ。」と言われ、一方的に電話を切られた。

「行くか。」

車の運転席でなんとか自分を奮い立たせ、取引先へ向かった。エントランスの自動ドアをくぐると、俺に気づいた受付嬢が小走りで近づいてきた。

「株式会社クワノ金属のクワノさんですね。」

「はい、そうですが…」

「こちらへどうぞ。」

受付嬢の案内でエレベーターに乗り込む。何事だろうと戸惑っている間に、エレベーターは目的の階に到着した。通された部屋は社長室だった。受付嬢がコンと数回扉をノックし、大きな扉を開け「どうぞ。」と一言。俺は状況を理解しないまま中へと入った。

社長室には、取引先の社長、奥様、そして青い顔をした森が待っていた。昨日のことがあったから今日もまた偉そうな態度でいると思ったが、それは間違いだった。

「初めまして。株式会社クワノ金属のクワノと申します。お世話になっております。」

頭にはてなマークを浮かべつつも、目の前の取引先社長・原本社長に挨拶をする。

「君がクワノ君だね。初めまして。原本だ。こちらは妻の京子だ。」

「初めまして。」

挨拶もそこそこに、社長夫妻は目配せをすると、クワノ君と俺の名を呼び、深々と頭を下げた。

「この度は本当に申し訳ないことをした。すまなかった。」

「原本社長!?」

突然の社長の謝罪に、俺は驚き声をあげた。社長の隣で奥様も何とも言えない顔で頭を下げている。俺は何事かと慌てて「頭を上げてください。」と言ったが、それでも2人は頭を上げてくれない。気がつけば、2人の斜め後ろで森も同じように頭を下げていた。

「申し訳ございませんでした。」

いつもの横柄な態度はどこへやら、丁寧な言葉で謝罪する森の姿は初めてだった。突然のことに、俺は言葉を失う。

「森は昨日、君がエントランスのゴミ箱を片付ける受付の者に気づいてね。」

こくりと頷く奥様。その目にはわずかだが怒りが見えたような気がした。

「話を聞いたら、昼間に君が持ってきたプリンを彼が乱暴に捨てたというじゃないか。慌てて彼を呼び出して確認したら、最初は認めなかったが、後でしぶしぶ認めたよ。」

じろりと社長の冷たい視線が森へと注がれる。森は視線に気づくと、唇を噛んで顔をそらした。

「社長夫人がプリンをお好きだと存じ上げず、てっきりクワノさんの嘘かと思い、勝手に廃棄してしまいました。申し訳ございません。」

今まで聞いたことがないくらい消え入りそうな声だった。森の態度とは思えないと驚いていると、夫人は険しい顔で首を横に振った。

「そういうことで怒っているのではありません。」

「今まで黙っていた奥様が、怒りを含んだ表情で、言い聞かせるように言った。

「クワノさん、私は奥様のお店のプリンを前から存じておりました。もちろん、いつも売り切れになるくらい人気なのも知っています。それだけ忙しいのにも関わらず、私のために用意してくださったプリンを…」

夫人の視線に耐えきれなくなり、とうとう森が「うっ…」と声をあげた。

「私は、作り手であるクワノ君や奥様の気持ちを踏みにじったことが許せないんだ。まさか物を作っている会社の社員が、物に込められた思いの価値も分からないとは。」

俺は驚いた。夫人がミカの店を知っていることもそうだが、物作りに対する作り手の気持ちを理解してくださっていたからだ。

森は顔色を青から白に変え、「申し訳ございません。」と口を開くが、すぐに原本社長に「謝る相手の顔を見なさい。」と指摘され、その白い顔を上げさせられた。

「昨日は、奥様の手作りの手土産を話もろくに聞かずに捨ててしまい、誠に申し訳ございませんでした。」

昨日、いやらしく笑いながらミカのプリンを捨てた姿とは打って変わって、しっかりと俺の方を向いて何度も頭を下げる。その瞬間、俺の中で何かがすっきりするのを感じた。

帰宅後、昨日と同じようにソファーでお茶を飲んでいたミカを見つけ、「ただいま。」もそこそこに、俺は今日のことを喋り出した。ミカは口を挟まないで最後まで聞くと、「やっぱりね。」と笑った。

「やっぱりというと、こうなることが分かっていたのか。」

昨日からのミカの態度は、まるでこうなることが分かっていたかのようだった。ミカは立ち上がり、台所から俺の分のお茶を持ってくると、それを渡しながら「実はね…」と話し出した。

「昨日の夕方、青い顔をしたスーツ姿の男性が、うちにプリンを買いに来たの。その時にはもう売り切れていたからお渡しすることはできなかったんだけど、『会社の社長夫人がうちのプリンを気に入ってくださっている』って話されていたから。」

もしかして、その社長夫人とは原本京子さんのことだろう。ミカはこくりと頷いて、嬉しそうに微笑んだ。

「作り手のことを考えて、思いを分かってくれるような人がいて、すごく嬉しいわ。これからももっといいものを作りたいって思えるような人たちね。」

ミカはニコニコと微笑んでお茶を一口。心の底から嬉しそうにしているミカを見て、俺は本当の意味で社長夫妻の言葉の意味が理解できた気がした。同時に反省する。果たして俺はミカの言う作り手の思いを理解して仕事をしていただろうか。森の横柄な態度に怒りを感じていたが、そこには自分たちが販売している物に誇りを持っているという気持ちがあったからではないか。図に乗っていたのは、自分も同じだったのかもしれない。

ミカのような作り手の思いを伝えられるような仕事をするべきじゃないのか。俺がそう考えていると、何かに気づいたミカが、そっと俺の肩に手を置いた。

「これからは、作り手のことも、ユーザーさんのことも考えられるんじゃないかしら。」

ミカの言葉に、俺は少し恥ずかしく感じたが、それ以上に、これから自分の仕事と前向きに向き合えるような気がした。

その一件があってからというもの、森の態度は激変した。以前のように手土産を強制的に要求することも、横柄な態度を見せることもなくなった。仕事に関しても、お互いいい意味での遠慮のない意見を出すようになり、一緒に仕事をする上での関係も良くなった。

俺も時には現場の技術者に意見を仰いで、作り手の思いを伝えられるよう、より良い仕事をこれからも続けていきたいと思う。

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