母はそこで待ってて、その一言が私の人生を180度変えることになるなんて、あの時は思ってもみませんでした。トイレに行くと言って消えた息子夫婦は、二度と戻ってきませんでした。最初は混んでいるのだろうと思いました。でも30分が過ぎ、1時間が過ぎても、二人の姿は見えません。言葉も通じないグアムの街で、私は一人ぽつんとベンチに残されていました。携帯で何度も息子に電話をかけましたが、繋がりません。機械的なアナウンスが流れるだけでした。胸の奥で、嫌な予感が少しずつ膨らんでいきました。まさか、置いて行かれた? その考えを必死に打ち消そうとしましたが、時間が経つにつれて、不安は確信へと変わっていきました。
私の名前は鈴木えみ子です。36年間、地元の保育園で保育士として働いてきました。朝は6時に起きて、7時には園に到着。毎日30人以上の子供たちの笑顔と涙に寄り添い、時には母親以上に子供たちのことを心配してきました。育ててきた子供たちは1000人を超え、今でも町で「えみ子先生」と声をかけられることが私の誇りでした。そんな私にとって、息子の健は特別な存在でした。夫が亡くなってからの20年間、女手一つで育ててきた息子です。私立中学から大学まで、教育費だけで1000万円以上かかりましたが、惜しいとは思いませんでした。保育士の給料では足りない分は、夫の生命保険を切り崩しながら、息子の将来のために投資したのです。
5年前、健が佐代と結婚する時も、「結婚資金が足りない」と言われれば、300万円を用意しました。式場で「母さんのおかげで今日という日を迎えられました」と言ってくれた時は、本当に報われた気がしました。健の幸せが、私の幸せだったのです。そんな健から、3ヶ月前に突然電話がありました。「母さん、今年の夏はグアム旅行でも行こうか。たまには親孝行させてよ。」息子からそんな言葉を聞けるなんて嬉しくて、思わず電話口で涙が出ました。「佐代も一緒に行きたいって言ってるんだ。航空券もホテルも全部こっちで手配するから、母さんは何も心配しないで。」息子夫婦と初めての海外旅行。私にとって、こんな素敵なプレゼントはありませんでした。私は幸せな気持ちでいっぱいの中、パスポートの更新、夏服の準備、簡単な英会話の勉強まで始めました。
しかし、息子夫婦と過ごす4泊5日のグアム旅行が始まって、すぐに違和感を感じます。最初の違和感は、成田空港でのチェックインの時でした。「あれ、母さんの座席、俺たちと離れてるね。」健が搭乗券を見ながら言いました。「お母さん、ごめんなさい。ビジネスクラスは2席しか取れなかったの。」佐代が申し訳なさそうな顔をしましたが、その目は笑っていました。私はエコノミークラスの最後尾、息子夫婦はビジネスクラスの最前列。まあ、飛行機なんて移動手段だし。自分にそう言い聞かせました。でも搭乗ゲートで、健と佐代が優先搭乗していく姿を見送りながら、胸の奥がちくりと痛みます。機内では、カーテンの向こうからシャンパンで乾杯する二人の声が聞こえてきました。私の席は狭く、隣の外国人男性の肘が何度も当たり、4時間半のフライトがとても長く感じます。
グアム空港に到着し、ようやく息子夫婦と合流できると思ったら、健が言いました。「母さん、悪いけどタクシーは別々で行こう。荷物が多いから。」私のスーツケースは一つだけなのに。結局、一人でタクシーに乗り、運転手に片言の英語でホテル名を伝えました。ロビーで待っていると、30分後にようやく二人が到着。高級リゾートホテルの豪華なロビーで、二人は嬉しそうに写真を撮っていました。チェックインの時、また衝撃を受けました。「お母様のお部屋は別棟になります。」「別棟? 」「はい。こちらのエコノミー棟になります。メインビルからは徒歩10分ほど離れています。」「母さん、悪いけど予算の都合でさ。でも同じホテルだから安心でしょ。」エコノミー棟は、メインビルとは打って変わって古く、エアコンの効きも悪い部屋でした。窓からの景色は駐車場。一方、息子夫婦の部屋を後で見せてもらうと、オーシャンビューの広いスイートルーム。「お母さん、お金ないでしょ。だからこういう部屋で十分でしょ。」佐代が遠慮のない口調で言いました。
翌日の朝食でも、屈辱は続きます。ホテルのビュッフェレストランで、健と佐代は豪華な料理を次々と取ってきていました。私も料理を取ろうとすると、佐代が止めます。「お母さん、朝食は宿泊プランに含まれてないんです。追加ね、一人50ドルかかりますけど。」「え、でも母さんは部屋にあるコーヒーでいいよね。」健が面倒臭そうに言いました。結局、私は水だけもらって、息子夫婦が食事する様子を見ているだけ。周りの宿泊客の視線が痛かったです。その後、ビーチに出かけた時も同じでした。写真を撮ってあげるという健がカメラをこっちに向けて、私が佐代の隣に並ぼうとすると、佐代が慌てて言います。「あ、お母さんは入らなくていいです。インスタに載せるので、私たちだけで。」私は少し離れたベンチから、楽しそうに自撮りする二人を眺めていました。36年間、健のために全てを捧げてきた私が、まるで邪魔者扱いです。夕食はさらにひどいものでした。「母さん、ここ高いから水だけでいいよね。部屋で食べるものあるでしょ。」「でも、一緒に食事したいんだけど。」「お母さん、一人前100ドル以上するんですよ。もったいないでしょ。」佐代が値段表を見せつけるように言います。仕方なく、私は再び水だけ飲みました。目の前で息子夫婦がステーキやロブスターを頬張る姿を見ながら、涙が出そうになります。「母さん、昔から質素だったもんね。今更贅沢しても仕方ないでしょ。」健が肉を切りながら言いました。
その夜、一人でコンビニで買ったおにぎりを食べながら、私は考えていました。これは本当に親孝行旅行なのだろうか。まるで、私を連れてきたのは何か別の目的があるような。そして運命の3日目、ついにあの事件が起きたのです。3日目の昼過ぎ、健と佐代に誘われて、タモン地区のハガニアに来ていました。DFSギャラリアの前で、健が突然立ち止まります。「母さんはそこで待ってて。ちょっとトイレ行ってくるから。」「私も行くわ。すぐ戻るから、そこのベンチで座ってて。」二人は人ゴミの中に消えていきます。私は言われた通りベンチに座って待っていました。周りでは観光客が楽しそうに買い物をしています。日差しが強く、じりじりと肌を焼いていきました。30分が過ぎ、トイレにしては長いなと思いながらも、きっと混んでいるのだろうと自分に言い聞かせました。1時間が経過。さすがに心配になって近くのトイレを確認しに行きましたが、健と佐代の姿はありません。携帯に電話をかけても繋がらない。もしかして、はぐれたのかな? DFSの中を必死に探し回りました。1階から3階まで、全ての売り場を回りましたが、どこにもいません。店員に片言の英語で訪ねても、首を振るばかり。2時間が経過し、不安が恐怖に変わってきました。
まさか、置いて行かれた。その考えを必死に打ち消しながら、タクシーでホテルに戻ることにしました。きっと先に帰っているはず。部屋で待っているはず。そう信じてホテルのロビーに着き、真っ先にフロントへ向かいます。「すみません。1205号室の鈴木ですが、息子が先に戻っていませんか?

」フロントの女性スタッフが端末を確認して、気の毒そうな顔をしました。「申し訳ございません。1205号室は、本日の午前11時にチェックアウト済みです。」「え? チェックアウト? それは何かの間違いでは? 」「いえ、確かに鈴木健様がチェックアウトの手続きをされました。お荷物も全てお持ちになられました。」頭が真っ白になりました。膝から力が抜けそうになり、カウンターにすがりつきます。「私の部屋は305号室は?
」「そちらも同様にチェックアウト済みです。お荷物は確認いたしましたが、特に預かっておりません。」「そんな、私の荷物は? パスポートは? 」慌ててバッグを確認すると、パスポートと財布だけは入っています。でも着替えや化粧品、常備薬が入ったスーツケースがありません。「フロントに何か言い残されていませんか? 」「申し訳ございません。特に何も。」体中から血の気が引いていくのを感じました。これは現実なのか?
息子が私を異国の地に置き去りにしたというのか。
フロントスタッフが心配そうに見ています。「お客様、大丈夫ですか? どなたかに連絡を? 」「日本大使館。日本大使館はどこですか? 」タクシーで日本大使館に向かう道中、涙が止まりませんでした。36年間、全てを捧げて育てた息子が、まさかこんなことをするなんて。日本大使館に到着してから事情を説明し、職員の方が親身になって調べてくれました。「鈴木様、確認が取れました。鈴木健様と佐代様は、本日の午後6時50分発の成田行きの便に搭乗予定です。もうすでに空港での手続きも終わっているようです。」つまり、昼過ぎにトイレに行くと言って私を置き去りにした後、息子夫婦はホテルに戻ってチェックアウトし、私の荷物も処分して、そのまま空港へ向かっていたのです。「お母様の帰国便の予約は確認しましたが、ありません。帰りの航空券も。ああ、往復ではなく片道の航空券だったようです。」片道切符。最初から私を置き去りにするつもりだったのでしょう。所持金を確認すると、日本円で3万円とクレジットカードが1枚。でも、このカードは限度額が10万円の家族カードで、健が主契約者。恐る恐るATMで確認すると、「このカードは使用できません」と表示されました。ここまで計算していたとは。
大使館の職員が緊急帰国の手配を手伝ってくれることになりましたが、航空券代は15万円以上かかります。所持金では到底足りません。「ご親戚やご友人で、助けてくれる方はいらっしゃいますか?
」親戚とは疎遠で、友人も皆年金生活者。急に15万円も用立ててもらうなんて。その時、ふと思い出しました。実は私には、健も佐代も知らない秘密があります。大使館の待合室の椅子に座り、天井を見上げました。頭の中で、健の小さい頃の笑顔が浮かんでは消えていきます。いつから、息子は変わってしまったのでしょうか? その瞬間、私の中で何かが切れました。プツンと音を立てて、36年間の母親としての感情が断ち切られたのを感じます。必ず、100倍にして返してやる。静かに、でも確かな決意を込めて、私はつぶやきました。「健と佐代が知らない、私の本当の姿をこれから見せてやりましょう。」
「鈴木様、大変お辛い状況ですが、まずは日本に帰ることを最優先に考えましょう。航空券の手配をいたしますが、料金は後日でも構いません。大使館から貸し付けという形で。」「ありがとうございます。本当に助かります。実は日本に少し蓄えがあるので、帰国したらすぐに振り込ませていただきます。」そう、健も佐代も知らない私の秘密。亡き夫の父、つまり健の祖父が、私だけに残してくれた現金での遺産があったのです。「えみ子さん、これは健には内緒にしておきなさい。あなたの老後のために取っておくんだよ。金があると知ると、人は変わってしまうものだから。」義父の言葉を守り、その存在を誰にも言わずにいました。
翌日の便で帰国することが決まり、大使館の方が空港まで送ってくれることになりました。私は最後にグアムの海を眺めます。健、佐代。あなたたちは大きな間違いを犯しました。母親を甘く見すぎたのよ。帰国後、成田空港に降り立った私は、まっすぐに銀行へ向かいました。銀行の窓口で、担当者が驚きの表情を見せます。「鈴木様、お久しぶりです。本日はどのようなご要件で? 」「全ての資産を確認したいのですが。」預金通帳を確認すると、普通預金に300万円、そして信託口座に2億円。「それともう1つ、確認したいことがあります。息子名義の借入金について。」担当者が調べてくれると、衝撃的な事実が判明しました。「鈴木健様名義で、事業用の借入金が3000万円、住宅ローンが2000万円の計5000万円あります。連帯保証人は、あ、鈴木えみ子様、あなたになっていますね。」「私が連帯保証人? いつ事業用の借金なんてしたの?
」「3年前の契約です。ご本人の署名と実印が…」書類を見せてもらうと、確かに私の名前が書かれていました。でも、筆跡が微妙に違います。実印も、私が普段使っているものとは別のものでした。これ、偽造では? その後、私は信頼できる弁護士のところへ向かいました。大学時代の友人が紹介してくれた、国際案件にも詳しい女性弁護士です。「鈴木さん、お話を伺う限り、これは計画的な財産詐取の可能性があります。まず連帯保証の偽造について調査しましょう。」弁護士の調査で、さらに驚くべき事実が判明しました。「息子さんの自宅、土地の名義があなたになっていますね。」「え? そんなはずは。」「20年前、ご主人が亡くなられた際の相続で、この土地はあなたが相続されています。ここに息子さんが家を建てたようですが、建物の名義は息子さんです。」つまり、土地は私のもの、建物は健のもの。普通なら問題ないのですが、健が私を捨てたい今となっては、これが強力な切り札になります。「グアムでの置き去りの証拠も集めましょう。大使館の記録、ホテルの記録、航空会社の記録、全て証拠になります。」弁護士は国際電話でグアムの関係者に連絡を取り、次々と証拠を集めていきました。防犯カメラの映像も入手でき、健と佐代が私を置いて立ち去る瞬間がはっきりと映っています。「鈴木さん、これだけの証拠があれば、刑事告訴も可能です。保護責任者遺棄罪、詐欺罪、文書偽造。告訴も考えていますが、私はもっと確実な方法で制裁をします。」私の目を見て、弁護士は理解してくれました。「分かりました。では、合法的な範囲で最大限の効果が出る方法を考えましょう。」こうして、私の復讐計画が動き始めました。
グアムから帰国して1週間後、私は行動を開始しました。まず弁護士と共に作成した「土地明け渡し請求」の内容証明郵便を、息子の元へ発送します。翌日の夜8時、予想通り健から電話がかかってきました。「母さん、これは一体どういうことだ? 土地を30日以内に明け渡せって。」「あら、健。グアムから無事に帰れたのね。楽しい旅行だった?
」「そ、それは…母さん、無事だったんだね。心配してたんだ。」「心配? グアムに置き去りにしておいて? 」「違う! それは誤解だよ。僕たちも必死に探したんだ。でも見つからなくて。」「そう。じゃあ、なぜホテルをチェックアウトして私の荷物も持っていったの?
なぜ帰りの航空券を買わなかったの? なぜ私のクレジットカードを停止したの? 」電話の向こうで、健の慌てる様子が伝わってきました。隣で佐代が何か叫ぶ声も聞こえます。「とにかく、土地の件は取り下げてくれ。ここは俺たちの家だ。35年ローンで建てたんだぞ。」「土地は私の名義です。亡くなったお父さんから相続した、私の財産です。その上に勝手に家を建てたのは、あなたでしょ。」「勝手に? 母さんも了承したじゃないか。」「口約束だけでしたね。書面は何もありません。」
翌日、健と佐代が直接家にやってきました。私は玄関のチェーンをかけたまま対応します。「お母さん、お願いします。あの家は私たちの全財産なんです。」「全財産でも、グアム旅行には行けたのね。ビジネスクラスで、高級ホテルのスイートルームにも泊まれたのね。」「あれはボーナスで…」「嘘はやめなさい。あなたたち、借金が5000万円もあるのに、そんな余裕があるはずがないでしょ。」「な、なんで借金のことを…」「銀行に確認しました。私が連帯保証人になっているそうね。でも、私は一度も書類にサインした覚えがありません。」私は準備していた書類を見せました。筆跡鑑定書、契約時の書類、そして偽造の証拠となる書類の数々。「これらを全て銀行に提出します。文書偽造罪、詐欺罪で、刑事告訴も視野に入れています。」「母さん、それは話し合いで解決しよう。」「話し合い?
グアムで私を置き去りにした時、話し合いはありましたか? 」
3日後、銀行に連帯保証人の偽造について正式に申し立てをしました。銀行は直ちに調査を開始し、筆跡鑑定の結果、偽造が判明。健に対して5000万円の一括返済を求めました。「鈴木健様、契約違反により全額返済をお願いします。1週間以内に返済がない場合、法的手段を取らせていただきます。」その頃、私は別の行動も起こしていました。息子夫婦の親戚、友人、知人に、グアムでの出来事を知らせたのです。証拠写真と大使館の書類を添えて。私の妹からも電話がありました。「健君がそんなひどいことを? 信じられない。」「事実よ。証拠もあるもの。」「健君から借金の保証人になってくれと頼まれたんだけど、断るわ。そんな人間の保証人にはなれない。」佐代の実家からも連絡がありました。佐代の母親は激怒しています。「まさかうちの娘がそんな恥ずかしいことを。もう絶縁です。援助なんてしません。」
健の会社にも事実を伝えました。総務部長と面談し、健が会社の金を使い込んでいた事実を、証拠とともに提出します。「これは、鈴木君は会社の備品購入費を着服していたということですか? 」「はい。その穴埋めのために、私の名義で勝手に借金をしていました。銀行の借入明細を見てください。会社の損失額と一致するはずです。」調査の結果、健の着服額は約1500万円に上ることが判明しました。解雇通知が出た日、健と佐代が土下座をしに来ました。今度は家の前で、雨の中2時間も座り込んでいます。さすがに近所の目もあるので、近くの公園で話すことにしました。「母さん、本当に申し訳なかった。グアムのことは本当に悪かった。」「お母さん、私が悪かったんです。私が健をそそのかしたんです。」佐代も泣きながら謝罪します。私はバッグから、グアムの防犯カメラ映像を印刷した写真を取り出しました。時系列で並べると、計画的な全貌が明らかです。一枚一枚、写真を見せていきました。「全部、計画的だったのね。トイレなんて最初から嘘。私を置き去りにして、さっさと帰国の準備をしていた。」「違う!
いや、その…」「嘘はもういいです。大使館の記録もあります。あなたたちが片道切符しか買わなかったことも、私のクレジットカードを出国前に停止したことも、全て記録に残っています。」私は立ち上がりました。「健、あなたは私にこう言いましたね。『母さんはそこで待ってて』と。私は炎天下の中、2時間待ちました。言葉も通じない異国の地で、助けを求めることもできずに。」「母さん、もう十分だろう。家も失い、仕事も失った。これ以上、何を望むんだ? 」「何を望むか、簡単です。あなたたちがグアムで私に与えた恐怖と絶望の100倍を、味わってもらいます。」佐代が泣きながら訴えます。「お母さん、私たちにも生活があるんです。」「生活? グアムで私を置き去りにした時、私の生活を考えましたか? 私の命を考えましたか?
」
私は最後に、切り札となる書類を見せました。「これは、あなたたちがグアム出発前に検索していた情報です。」高齢社会、行方不明、グアム、日本人、死亡推定、相続。二人の顔が真っ青になりました。「最初から私を消すつもりだったのね。7年後に死亡認定を受けて、財産を相続するつもりだった。」「そ、それは…」「言い訳は聞きません。これらの証拠は全て弁護士が保管しています。もし私に何かあれば、即座に警察に提出されます。」「母さん、俺たちはどうすればいいんだ? 」「簡単です。私がグアムでしたように、自分たちの力で生き延びてください。ただし、私のような幸運はないでしょうけど。」
土地の明け渡し期限まであと20日。健たちは必死に引っ越し先を探しているようでしたが、保証人もなく貯金もない状態では、まともな物件は借りられないでしょう。そして最後の仕上げとして、私は健の元同僚や取引先に、着服の事実を伝えました。業界内での評判は地に落ち、もう同じ業界での再就職は不可能な状況です。100倍返しはまだ始まったばかりです。私は静かにつぶやきました。グアムで味わった2時間の恐怖を、彼らはこれから一生かけて味わうことになるでしょう。
あれから1年が経ちました。私は今、ハワイのワイキキビーチが見渡せる高級コンドミニアムで暮らしています。朝は6時に起きて、バルコニーでコーヒーを飲みながら、太平洋から登る朝日を眺めるのが日課です。グアムで味わった絶望と恐怖。あの時は、もう日本に帰れないかもしれないと思いました。でも今、私は自分の選択で海外に住み、自由で豊かな生活を送っています。「おはようございます、えみ子さん。」隣の部屋に住むアメリカ人のご婦人、メアリーさんが声をかけてくれました。彼女も10年前にご主人を亡くし、一人暮らしをしています。私たちはすぐに親友になりました。「今日はチャリティイベントの日でしたね。」「ええ、日本の保育園に寄付する基金の発表会です。」私は財産の一部を使って、「えみ子基金」を設立しました。日本の保育園に遊具や絵本を寄付し、保育士の待遇改善にも協力しています。36年間お世話になった保育の世界に、少しでも恩返しがしたかったのです。先月、某県の保育園を訪問した時のこと。「えみ子先生、立派になられて。」かつての同僚たちが温かく迎えてくれました。新しい遊具で遊ぶ子供たちの笑顔を見て、これが本当の幸せだと感じます。
夕方、ビーチを散歩していると、日本人の観光客家族を見かけました。親子3人、楽しそうに写真を撮っています。ふと、健の思い出が蘇ってきました。小学校の運動会で一等賞を取った時の誇らしげな顔。高校受験に合格した時の涙。大学の卒業式での晴れやかな顔。あの頃の健は、確かに私の誇りでした。でも今思えば、私は息子を甘やかしすぎたのかもしれません。何でも与え、何でも許し、息子の言うことなら何でも聞いてきました。その結果が、グアムでの裏切りだったのです。
私は日本にいる友人から、健と佐代の現状を聞いています。健は今、小さな運送会社でアルバイトをしているそうです。朝5時から夜10時まで、重い荷物を運ぶ仕事。かつて大企業でスーツを着て働いていた息子が、今は作業着で汗を流しています。佐代は3つのパートを掛け持ちしているとか。コンビニの深夜勤務、スーパーの品出し、清掃のバイト。お母さん、お金ないでしょ、と見下していた佐代が、今は生活費を稼ぐのに必死です。二人は家賃3万円のアパートに住み、食事はカップラーメンかコンビニ弁当。あの高級レストランでステーキを頬張っていた二人の面影はありません。友人は言いました。「えみ子さん、可哀そうだと思わない? 」「因果応報です。自分の行いが帰ってきただけ。」でも、本音を言えば、心の奥底では今でも健のことを思っています。息子への愛情は、完全に消えたわけではありません。ただ、その愛情に値しない行為をした息子をもう許すことはできないのです。
最近、健から手紙が届きました。「母さん、本当にごめんなさい。グアムでしたことは一生後悔しています。今更許してもらえるとは思いませんが、せめて謝罪だけでも受け取ってください。佐代と二人、必死に働いて、少しずつでも償っていきます。」手紙を読んで、複雑な気持ちになりました。でも、返事は書きません。グアムで私が感じた絶望は、謝罪の手紙一枚で消えるものではないのです。
私は今、ハワイで週に一度フラダンスを習っています。64歳にして、新しいことに挑戦する喜びを知りました。来月には、現地の日本人コミュニティで保育のボランティアを始める予定です。「えみ子、あなたは強い女性ね。」メアリーが言います。「いいえ、私はただ、自分の人生を取り戻しただけよ。」夜、バルコニーから見る夕焼けは本当に美しい。オレンジ色に染まる空を見ながら、私は思います。理不尽な仕打ちには、時として強い反撃が必要です。36年間、子供たちに「いじめには立ち向かう勇気を」と教えてきた私が、自分の息子からの裏切りに屈するわけにはいきませんでした。悪いことをしたら、必ず報いが来る。これは、私が保育士として子供たちに教えてきた言葉です。まさか実の息子にその言葉を実践することになるとは思いませんでしたが、正義は年齢や立場に関係なく、実現されるべきものです。人を裏切れば、何倍にもなって帰ってくる。これが、私が人生で学んだ真実です。もしこの話を聞いているあなたが、理不尽な扱いを受けているなら、決して諦めないでください。年齢は関係ありません。立場も関係ありません。正当な権利を主張し、自分の尊厳を守る勇気を持ってください。我慢することが美徳とされる日本社会ですが、限度を超えた理不尽には、毅然とした態度で立ち向かってください。それが、自分を守る唯一の方法なのです。私は今、本当に幸せです。自由で、誰にも縛られず、自分の意思で生きています。これが私が手に入れた、本当の勝利。グアムで置き去りにされたあの絶望的な日から1年。私は今、太平洋を見下ろしながら、静かに微笑んでいます。人生は何度でもやり直せる。64歳の私が、それを証明しました。


