新社長は俺を見下すように言った。
「不眠普及で給料はこれまでの半分でやってもらわないとね。システムエンジニアなんて他にいくらでもいるんだ。君の価値なんてそんなもんだよ」
条件を飲めないなら、さっさと退職届けにサインして出て行け、と。
俺は無能だと決めつけられ、こちらの話を一切聞こうとしない。足元を見られ、率直に、分かりやすく腹が立った。ここまで下に見られて、この人の下で働くなんて真っ平ごめんだ。
俺は殴り書きのようにサインして、ひっそりと会社を去った。後で俺を追い出したことを後悔すればいい、と思いながら。
俺の名前は平本哲也。ある大手メーカーの子会社に所属するシステムエンジニアで、地方都市にあるメーカー子会社の工場に勤務している。工場内のシステム管理・保守業務の他、製造ラインのシステム設計に関わり、本社との間にある連絡の構築と維持管理もしている。
高校と大学でプログラミングを学び、最初はその道の専門家として学者を目指そうと考えていた。
しかし学者の道は狭き門で、進路選択を本格的に決めなければならない時期に躓いた。大学を出たら大学院に進もうとしていたが、それをしたところで将来が見えるわけではない。思い描く夢に辿り着くにも過酷な競争を勝ち抜かなければならない。努力はしなければならないと分かっていても、大人として自立する現実も大事だと考えた。
大学4年生の春先に、俺は最初の将来の夢を諦めた。
就活の時期は大きく過ぎていて、軌道修正するには遅い時期だった。それでも俺は開き直って就活に励み、今の会社の内定をもらった。
入社して5年目の秋、俺は子会社の社長から地方工場への移動を打診された。
「平本君、申し訳ないが工場には君しかSEを置けない」
「ああ、それはなかなか厳しいですね」
古い工場が改修によって最新式になり、システムの部分でも使用を一新することになった。だが社長は「私はそれだけ君を信頼している」と言った。
「システム開発設計も君を戦闘にして進める。それが完成後、現地では君を責任者として稼働させるつもりだ」
会社にとって極めて重大で重要な任務を、社長は俺に任せた。無理を言っているのは承知しているが、一つ引き受けてもらいたい、と社長は静かに頭を下げた。
このことは今でもよく覚えている。無茶な話だと思いながらも、頼られたことへの嬉しさも感じていた。能力を評価され、やりがいのある仕事をもらえる。エンジニア冥利に尽きる、と俺は思っていた。
社長の申し出を引き受け、俺はそれからシステムの開発と設計に打ち込んだ。まずは会社で仲間たちと大枠を作り上げ、残りは工場で仕上げる。反省し、テストを繰り返し、正式稼働を見届けてからは俺が一人で工場に残った。
5年が過ぎた。今、俺は本当に一人でSEとして工場内のシステムの全てを見守り、維持管理を続けている。
「ありがとう。しかし平本君には苦労しかかけていないな」
工場を訪れるたび、社長は俺を労ってくれた。
「いえ、開発と設計の段階で色々な人に協力してもらいましたからね。そのおかげでスムーズに快適にやれています。ご心配には及びませんよ」
移動前の段階で先を見越したシステム開発に徹していた。現地の工場で自分一人でも回せるように、トラブル対処に時間をかけずに済むように。そのため社長が心配するほど今の業務に厳しさはない。
しかし、セキュリティや警備上の問題、トラブル対応に優れたSEがいないことは俺の気がかりになっていた。
「社長、もしお考えいただけるようでしたらですが、人員の増員はお願いしたいところです」
「いや、それはそうなんだ。元々この工場の規模からしても、システム部ぐらいは設置していてもおかしくはないんだ」
今後工場は規模を広げていくことも決まっていた。その計画の中でシステム部門の対応が遅れている事実は、社長も把握している。
「これは喫緊の課題として取り組まなくてはいけないね。こちらでも調整するが、平本君も優秀な知り合いがいたら紹介してくれ」
社長は工場にシステム部を設置することを決めてくれた。新規でのSEの採用と、俺が責任者になった現地での募集も行った。
全ては前向きかつ現実的に進んでいたと思う。
しかし、この順調な流れの中で社長が病に見舞われた。命に関わる病を患い、入院を余儀なくされた社長は、そのまま慌ただしく会社を去った。社長職を辞任し、俺には社長から無念を綴った詫び状が届けられた。
「これからどうなるんだろうね」
「ああ、もしかしたら何もかも一からやり直しだったりしますかね」
社長不在の状況が続き、工場内も落ち着かない。俺は部署の同僚と日々の不安を語り合いながら、時が経つのを待った。
新社長は親会社から招かれるみたいだ。そうらしいね。けどそうなると、僕たちには何の馴染みもないというか、謎だらけって感じだね。
先代社長の辞任から2ヶ月後、新社長の人事が発表され、通達された。親会社のメーカーから出向の形でやってくるそうだが、俺や工場の人たちはどんな人なのか全く分からない。名前すら通達のタイミングで初めて知った。新社長の仕事のやり方、工場についての認識。知りたいことは山ほどあったが、そんな声を届ける術もない。
こうして会社と工場の船出は少々不安定なスタートを切った。
新社長の名前は日田孝太郎。親会社では長年、交渉や折衝のスペシャリストとして活躍していた人だそうだ。問題が表に出る前に沈静化をする役割を背負い、会社の闇を影として支えた頭の切れる人物。
工場に日田新社長が視察に訪れる直前には、こんな人物評が広まっていた。
「賢くて交渉ごとにたけた人なら、うまくやってくれるんじゃないかな」
「まあとにかく大手の会社で出世してきた人なんだもんな。子会社の社長だからって能力のない人は据えないだろうし」
人物像が見えないという恐怖感を持たれていた新社長は、こうして少しずつ期待の目で見られるようになっていく。話をしてみなければ分からないという前提はあったものの、優秀な人だと聞かされてこちらは安心する。
しかし、この期待感は実際に対面したことで見事に打ち崩されてしまった。
「あなた方は最新式の工場というその看板に甘えている」
職員との顔合わせから新社長の挨拶になり、日田社長は開口一番こう切り出した。
「製品を製造する過程で人と資金を使うというのは理解する。しかしここには製造部門には不要と思われる無駄が多い。それも呆れるほど多い」
日田社長は険しい表情で、自身が工場で存在価値がないと考えている部署や部門、携わっている人員について触れる。俺の中に嫌な予感があった。俺のしているシステム関連の業務は、用途によっては製造に直接関係しているとは言えない。こちらに批判の矛先を向けないで欲しい。俺は黙ってそう願っていたが、日田さんは俺に視線を向けた。
「この工場ではシステムが過剰に適用されているようだ。外部に委託すればいいものまで自社で構築して維持管理を続けている。その他にもそもそも不要と思われるものすら存在して、予算を無駄遣いしている」
日田さんの目だけではなく、周囲の人たちも俺をなんとなく見る。やり玉にあげられた。新社長に吊るし上げにされてしまった人。周囲の人たちの内心にはそんな感想があったのではないか。
応対はしたが、誤解を解いて日田さんに自分の業務と立場を理解してもらわなければ。俺はひとまず腰を上げ、新社長への面談を申し入れた。その機会は早々に実現し、俺は社長室に呼ばれ、日田さんと差しで話すことになった。
「あなたが平本さん」
俺を上から下までじっくり眺めると、日田さんは小さなため息を漏らした。
「優秀だ、やり手だと聞いていたけど、ただの金食い虫じゃないか」
「え、あの、何をおっしゃって」
「だから君がこの工場に根を張るシステムも作り上げたんだろう。そう聞いているよ。全く余計なことしてくれて」
「あの、そのことについてですが、工場のシステム運用に関しては先代社長の時代からあったもので、工場が改修されるに当たり、体制に合わせたものを用意したまでです」
日田さんが無駄だと言い張るシステムの成り立ちを解説し、先代社長の意思もしっかりと伝える。それから親会社自体も工場とシステムの更新を認めて望んでいた過去も話す。
「私は先代社長もそうですが、会社からもこれまでとなんら変わりなく体制を維持する見込みだと聞いていました」
日田さんが新社長に就任してから、俺は会社から今後の流れを聞かされていた。日田さんが社長になったからと言って、工場という大規模な仕組みや施設が多く変わるというのはない。としてシステム管理に携わる人員を増やす計画自体も残したままになる。俺は会社の決定はそういうものだと言われていた。
しかし日田さんは意図も簡単に笑って、その決定を覆そうとした。
「その決定は私が責任を持って破棄するつもりだ。私の方針はまず無駄を削り落とす。これが第一だ」
堂々とした態度で椅子にそり返るように座る日田さんは、俺に持論を語った。
「システム部門を創設する。そんなものに何になる? 何でも構わない。もしくは1年更新の契約で外部業者と手を組んだ方が安上がりだ」
日田さんは淀みなく喋り、俺に机の上のファイルを見ろと顎で指す。
「工場の新計画書だ。今後はこれを元にコスト削減と一部業務の外部委託と他工場への移設を進める」
「あの、考え直しをもう一度ご検討くださいませんでしょうか?」
「検討? どうして? 無駄は無駄なんだ。何の疑いもない」
「システムの一部廃止もそうですが、維持管理と保守業務を完全に外部委託というのは、いくらなんでも厳しいかと」
「どうしてだ? SEはよそにもいるのに」
「あの、トラブルが起きた場合の初期対応すらここで行えないとなると、製造から配送まで影響が出ます。それに仮に外部に任せたとしても、ここのシステムを十分に理解してもらわなければなりません」
日田さんはSEの領域と業務に関して完全な無理解。システムが不要、無駄が多いというのは知らないから言えるのだと想像がついた。もし工場が完全に止まるようなトラブルが発生したら、自分たちで初期対応ができないというのは致死的になる。外部のSEが入ったとしてもシステムへの熟知度が足りなければ対応の遅れも懸念される。
「なぜ自社システムがあるのか、維持管理を自分たちでするのか、その意味をご理解いただければ、お考えも変わるかと」
「君みたいな人間は嫌いだよ」
「はい。え、あの、何でしょうか?」
「嫌いだと言ったんだ。お前がどれだけ偉いか知らないが、予想の人間でもできることを偉そうに」
日田さんは俺を横目で睨み、わざとらしいため息を俺に浴びせた。そして不敵に笑って、とんでもない提案をしてきた。
「君が工場と自分の立場にしがみつきたいなら、それはそれで構わないよ。けど、不眠普及で給料はこれまでの半分でやってもらわないとね」
俺が工場で働き続けるための新条件。日田さんは俺がそんなことを飲むわけないと承知で突きつけてきた。
「君の給料は今の半分が妥当だね」
足元を見られ、率直に、分かりやすく腹が立った。ほんの一瞬、長々と言い返してみようかと思ったが、口を開くと簡単な決意しか出てこなかった。
「分かりました。でしたら私はここを退職します」
もし反論したとしても、最終的な考えは辞めるだった。自分のこれまでを全否定され、それを良しと認められなかった。
「ああ、そうか。それなら話が早いな」
日田さんは大きく笑うと、近くにいた事務職員を呼び止めた。その人に退職届けを持ってくるように頼み、俺には署名するよう言う。
「ほら、早いところ名前を書いてくれないか? ああ、一応ちゃんと目は通してくれよ」
俺は黙って渡されたペンを持った。退職届けの文言をさっと読み、最後の署名は半ば殴り書き。
「荷物もとっとと引き上げてくれ。君のいたスペースは本来必要な人のために空けさせてもらうんでね」
俺の退職は誰にも知らされることなく決まった。公に現金と日田さんに言われたのもあり、この日はいつも通りに過ごして退社する。ひっそり静かに工場を追い出された俺は、怒りを覚ますタイミングも失っていた。
しばらくして親しい同僚や工場勤務の人たちから連絡があった。日田さんから俺の電撃退社を知らされ、驚いたのか何度も電話を鳴らしてみた。どんな人からも電話口でそんな慌てぶりが伝わる。
「心配してくれてありがとう。ただ僕はもう荷物を取りに行くぐらいしかやれることはないんだ」
日田社長への不満や、どう考えてもパワハラとしか言えない行動に同僚たちは怒ってくれていた。
「抗議をしよう。一緒に会社に働きかけないか?」
同僚たちは俺が取るべき行動の数々を提案してくれたが、丁寧に断る。日田さんへの怒りは俺にも当然あったが、この時には分かり合えない相手と戦うことは不毛だと諦めていた。
そして数日後、俺は工場に私物整理のために足を運んだ。正面から入り、訪問者として手続きをして自分のデスクへ。この時、俺はなんとなく工場中のただならぬ雰囲気に気づいた。事務エリアにいるはずの人がほぼ出払い、デスクに残っている人たちは困惑した表情で忙しなく電話をしている。
そして俺の背後から日田さんが慌てて事務エリアに飛び込んできた。
「おい、いい加減どうにかならないのか?」
「それがあの業者の方々も対応可能なSEを用意できないようで」
「何だよ。役に立たねえな」
日田さんと事務職員のやり取りを聞き、とんでもない事態が発生していそうだと当たりを付ける。それから工場の稼働状況を表示している液晶パネルに視線を向けた。俺の目に飛び込んだのは、工場が稼働停止に陥ったことを示す赤いライン。それが製造ラインから検品・配送手配のラインにまで広がっている。
「あの、何かありましたか?」
俺は近くで電話対応を終えた職員に声をかけた。その人は俺を見ると、はっとして日田さんの様子を伺いながら声を潜めた。
「あの、実は日田さんが全てのラインを止めてしまって、不具合を修正しようとシステムをいじって機能停止状態にしてしまったんです」
工場の現状と原因を打ち明けた職員の顔には生気がなく、目に涙が浮かんでいた。
自分ならばこの状況に対応できる。そう思ったが、退職している身だと考え、何も口に出さない。俺は淡々と荷物整理に戻ったが、日田さんにデスクにいると気づかれた。
「おい、平本いいところに来た。何とかしてくれ」
「何とかって、何をどうしろと言うんですか?」
焦って詰め寄る日田さんを、俺は引き気味に冷静にいなす。
「システムを動かせ。それからとにかく復旧しろよ。これ、全部お前のせいなんだから」
「どうしてですか? どうして僕のせいなんです? 僕はここにいる間に正常にシステムが作動するよう対応していましたよ」
「だからそれが異常になってるんだよ」
「それは失礼ですが、誰かが不適切な処理をしたからではないんですか?」
日田さんからの言いがかりに、俺は事情を教えてくれた職員の存在は明かさずにやり返す。俺の指摘に日田さんの目が泳いだ。日田さんは必死に俺に縋ることを求めた。
「おい、システム責任者として対応しろ。誠意を見せろ。そのぐらいの義理見せてもいいだろうが」
目を剥き、怒り浸透という様子の日田さん。俺はそれを見て長く大きなため息を返した。
「お断りします。僕はもうここの社員ではありません。権限を与えられてもいないのに社外のシステムには手を触れられません」
俺はまとめた荷物を手に、日田さんに頭を下げた。
「おい、待て。だったら今から権限を渡す」
「だからそれは会社の許可を得ているんですか? 退職者にあなたが単独で許可を出して、本当にいいんですか?」
追いすがる日田さんを、俺はそう言って振り切った。事務エリアを出るタイミングで振り返ると、脱力した日田さんがフロアに立ち尽くしているのが見えた。
1ヶ月後、俺は工場で起きた騒動の顛末と結末を知らされた。システムの停止から半日以上が経過して、やっと外部のSEで対応可能な人材が手配されたそうだ。しかし復旧作業は想定以上に長引き、無事に完璧にシステムは戻ったものの、工場の生産機能に大きな打撃を与えた。大口の取引先へ納品する製品と定期納入をしている一部の製品の納期に遅れが生じてしまい、工場と会社は大きな損害を被った。
「日田さんは今、平社員に戻ったよ。それで子会社の子会社の子会社だっけ? そのぐらいのところに飛ばされてるよ」
工場独自システムの撤廃を掲げ、地元の人材派遣会社との契約を破棄し、構わず無茶な合理化を急速に進めた日田さん。その歪みはちらほら出ていたようだが、システムと工場停止の一件でついに積もった。全ての計画の立案者であり、実行者として責任を問われることになった。弁解の機会すら与えてもらえず、同僚の言う超地の小さな子会社に左遷となったらしい。
そして俺は工場勤務に復帰した。というか、会社に復職させてもらえることになったのだ。日田さんが俺にした退職の強要。会社はそれを撤回し、俺に謝罪をして復帰を打診した。俺は謝罪と打診を受け入れ、さらに一つ提案をした。工場に先代社長と設置を検討していたシステム部を発足させる。システムのスペシャリストを育成し、業務を円滑に進められるようにする。会社は二つ返事で俺の提案を聞き入れてくれた。
現在、工場にはシステム部専用のオフィスが設けられている。SEは常に数人が常駐し、24時間のシフトを組んで仕事に取り組む。復帰に対して正直、何とも言えない複雑な感情もあった。しかし信頼できる同業の同僚と後輩を得て、今の俺は仕事に燃えている。かつての入社当時のような意欲に溢れた日々を思い出す。会社と人から頼りにしてもらえるよう、俺はこれからも全力を尽くす限りだ。


