「なぜ47億の特許契約をドタキャンした?」取引先の社長が、顔を真っ赤にして俺に怒鳴った。ドタキャンしたのは俺の意思じゃない。俺を一方的に虐げてきた専務の独断だ。高卒のバカが売る商品なんて信用できません——3年前、俺を助けた女性に絡んでいた男が、よりによって取引先の専務だった。それからずっと、学歴で見下され、嫌がらせを受け続けてきた。だが今回は、録音した音声データを握っている。社長の前で再生し…

「なぜ47億の特許契約をドタキャンした?」取引先の社長が、顔を真っ赤にして俺に怒鳴った。ドタキャンしたのは俺の意思じゃない。俺を一方的に虐げてきた専務の独断だ。高卒のバカが売る商品なんて信用できません——3年前、俺を助けた女性に絡んでいた男が、よりによって取引先の専務だった。それからずっと、学歴で見下され、嫌がらせを受け続けてきた。だが今回は、録音した音声データを握っている。社長の前で再生し...

「なぜ47億の特許契約をドタキャンした?」
取引先の社長が顔を真っ赤にして、俺に怒鳴った。
ドタキャンしたのは俺の意思じゃない。俺を一方的に虐げている取引先の専務の独断だ。
取引先の社長を激怒させ、取引関係悪化の危機かと思いきや、地獄に落ちることになったのは俺ではなく、専務の方だった。

俺の名前は三井。41歳。科学素材や樹脂を作っているメーカーで営業課長を務めている。
我が社は中堅ながら開発部の能力が高く、おかげで安定した売上を記録していた。

「三井、ちょっといいか」
「何でしょうか?」
「お前に頼みたい仕事があるんだ」
営業部の部長に依頼されたのは、大手企業との契約交渉だ。
「うちが2年前に開発した特許取得の樹脂素材は知ってるよな」
「ええ、従来品と比べて省エネなんですよね」
この樹脂素材は建物の壁に使われる。従来品と比べ耐熱性が高く、温度変化に強い。エアコンの使用率を大幅に削減できるという優れ物だ。
「この樹脂素材を売って欲しいと大手ハウスメーカーから依頼を受けたんだ。お前にはその交渉役になってほしい」
「大手ハウスメーカー……どこの会社でしょうか?」

部長から社名を教えてもらった瞬間、俺は思わず眉を寄せる。
相手は業界ナンバー3の大手ハウスメーカーだ。しかし、その会社の専務と俺には少々因縁がある。

中村と出会ったのは3年前の夜の町だ。別の取引先との打ち上げで、半ば無理やり綺麗な女性のいる店に連れて行かれたことがある。隣の席で女性スタッフに絡んでいたのが中村だった。放置しておくと女性の身に被害が及ぶと判断した俺は、中村を力づくで止めた。ちなみにこの時は、相手がまさか業界ナンバー3の専務だとは知らなかった。
「おい、嫌がってるじゃないか。やめろよ」
「いててっ」
そこまで強い力で腕を掴んだわけではない。しかし、中村が想像以上に弱かったことに加え、高校生の時はボクシング部に所属し、現在も筋トレを続けている俺との間には、かなりの力の差があったのだ。
「お、覚えておけよ」
体格のいい俺にビビった中村は、スタッフと共に逃走。女性や他のスタッフには感謝され、同席していた取引先の人にも「よくやった」と褒められたのだが。

1ヶ月後、業界ナンバー3の会社と契約を締結し、納品に伺った際、車内の廊下を歩いていた中村と偶然鉢合わせたのだ。
「お前は…」
思わず心の声が素直に出てしまったのは仕方ないだろう。
これ以降、俺は中村に虐げられている。顔を合わせれば嫌みを言われ、俺が高卒だと分かると学歴をネタにバカにされた。
「高卒のバカが売る商品なんて信用できんな」
と面前でこんな罵倒を言われたこともある。相手は専務なので、これも強くは出られず。誰かに相談するのもはばかられ、今までずっと耐えてきた。上司である部長にも言っていない。
「三井、どうしたんだ?」
「いえ、何でもありません」
部長の問いかけに慌てて首を横に振って答える。

3年前に結んだ契約は去年の時点で終わっており、それ以来中村専務と顔は合わせていない。今回、俺が新しい商談の担当者になることで、また顔を合わせる可能性はあるだろう。
「素材の提供は継続の契約で、双方問題なければ1年ごとに契約更新の予定だ。大手企業と繋がりが持てれば我が社にとっても大きい。何としても商談をうまくまとめてきてくれ」
「わかりました」

商談の担当者は黒沢さんという人らしい。中村と直接関わることはなさそうだと、ほっと胸を撫で下ろした。
そして商談当日。
「初めまして、黒沢と申します」
「三井です。何卒よろしくお願いいたします」
黒沢さんの会社の会議室で顔合わせをする。今日はそのまま商談に入り、相手の要望を詳しく聞き出した。しかし、話をしていく中で俺はあることに気づく。
「ご希望の納品数はかなり多いですよね。これなら御社の工場で作った方がスムーズに進むのでは?」
我が社で作ることも可能だが、黒沢さんの会社は地方に巨大な工場をいくつか持っている。そこで作った方が時間や手間、搬入費などをカットできるのだ。
「俺としては樹脂の売買より、特許ライセンスの提供の方がいいと思います。我が社としても搬入にかかる手間をカットできるのは嬉しい。樹脂の製造を黒沢さんの会社に任せれば、製造ラインも空くので他の仕事を入れることも可能だ。利益は特許のライセンス料で十分確保できるだろう」
「なるほど。確かにそっちの方がお互いメリットがありますね。早速社内で通してみます」
黒沢さんは即承し、翌日には社内調整を終わらせた。
「では、特許のライセンス契約ということで話を進めましょう」
大幅な予定変更となったため、話し合いは想定より長くなった。しかし2ヶ月かけて、なんとか最終調整の段階までこぎつける。ライセンス価格は47億とかなり高いが、売買契約と比べればかなりのコストカットができた。

「今日あたりに目処がつくかな」
小さくつぶやきながら、もはや通い慣れた黒沢さんの会社の廊下を歩く。
「失礼します」
会議室の扉を開けると、そこには意外な人物が座っていた。
「中村?どうしてここに?」
「久しぶりだね、三井君」
笑みを浮かべているのは、3年前から一方的に俺を虐げている中村だ。隣にはもう1人、見慣れない人物が座っている。
「ああ、彼は私の部下の朝川部長だ。私と同じ一流大学の出身でね、優秀な人材だよ。体力しか取り柄のない、どこかの筋肉バカとは違って」
筋肉バカというのは言わずもがな、俺のことだ。朝川部長は俺に不遜な視線を向ける。
「今日はお前と黒沢が進めている樹脂の件で話があってきたんだ。お忙しい専務の手を煩わせる必要はないと俺1人で話をするつもりだったんだが、専務が直接話をしたいとのことで、わざわざ来てくださったんだ」
偉そうに語る朝川部長の隣には、困惑した様子の黒沢さんが座っている。どうやら黒沢さんは何の話をするのか聞いていないようだ。
「そうですか。ご足労いただきありがとうございます。それで、話とは?」
嫌な予感がしつつ尋ねると、中村が笑みを深くした。
「黒沢君と進めている契約は、残念だが白紙だ。別の会社の樹脂素材を購入することにした」
「え、ど、どうしてですか?」
驚いた声をあげたのは黒沢さんだ。朝川部長がめんどくさそうな顔をしつつ、黒沢さんに説明する。
「俺の大学時代の後輩が務めている会社から、新しい樹脂を作ったから買って欲しいと言われたんだよ。樹脂なんて顧客には見えない部分の素材だし、どれを使っても大差ないだろう」
「三井さんの会社の樹脂は特許取得しています」
すると朝川部長が馬鹿にしたような目を俺に向ける。
「中小企業が開発した特許技術だろ。あのなあ、黒沢。特許を取得したからと言って、必ずしも優れているわけじゃないんだぞ」
朝川部長の言う通り、特許の中には使えない技術もある。中村と一緒になって俺を見下している部長は、我が社の技術も馬鹿にしているらしい。
「私の後輩が作った樹脂は素晴らしいものだ。なんせ高学歴の大学の出身だからね」
3年前には気づかなかったが、どうやら中村は学歴主義でもあるらしい。女癖が悪い上に、他人を学歴でしか測れないとは、救いがないなと心の中でため息をついた。
「わかりました。では契約は破棄ということでよろしいですね、三井さん」
悲鳴のような声をあげる黒沢さんに、俺は頭を下げる。
「申し訳ありません、黒沢さん。でも、御社の専務に契約破棄と言われれば、俺はそれに従うしかありません」
頭をあげた俺は、改めて中村と朝川部長に向き合う。
「会社に戻り、すぐにでも契約破棄の書面を用意します」
「ふん。筋肉バカのくせに、引き際はわきまえているらしい」
ニヤニヤと嫌な笑みを浮かべている朝川部長。一方、中村は面白くないと言いたげな顔だ。多分、俺をいびり、反応を見て楽しみたかったのだろう。俺があっさりと引いたため、少々不服なようだ。
「さっさと帰れ」
虫を追い払うように、しっしと手を振る中村。
「では、失礼します」
呆然としている黒沢さんに向かい挨拶をすると、俺は足早に取引先を後にした。

翌日、会社の自分のデスクに座り、小さくため息をつく。昨日のうちに契約破棄の書面は中村の会社に送ってあった。即達で出したので、今日の午前中には届くだろう。
契約の件は部長にも報告済みだ。その際、中村との確執についても伝えてある。隠したままではいられないと判断したのだ。
「もっと早く相談してくれても良かったのに。まあ、今回の件は三井のせいじゃない。運が悪かったと思うしかないさ」
部長にはそう言って慰めてもらったが、もっとうまく立ち回れなかったのかと後悔している。しかし、決まってしまったものは仕方ない。仕事のミスは仕事で挽回するしかないと、俺はいつもより気合いを入れて働いていた。

昼休みに入り、外へ食べに行くため会社の玄関を出る。今日はいつも持ってきている弁当を忘れてしまったのだ。
「ああ」
特許のライセンス契約は白紙になるし、弁当も忘れてしまった。嫌なことは重なるものだなと思い、憂鬱な気分で歩みを進めていたら、会社の門の前に高級車が止まった。
「あれは石田社長」
車から降りてきたのは中村の会社のトップ、石田社長だ。石田社長は頻繁にメディアに出るタイプで、業界以外の人間も顔を知っている人は多い。我が社の前に車を止めたということは、うちに用があるのだろう。昨日の中村の件もある。おそらく俺に会いに来たのだろうと思い、ハラハラしながら駆け寄った。
「石田社長、どうされたんですか?」
「三井さんという方はいるかね?」
「俺が三井です」
やはり俺に用があったのかと思いつつ、素直に名乗る。すると社長は怒りで顔を真っ赤にしながら大声で怒鳴った。
「なぜ47億の特許契約をドタキャンした?」
「え?昨日、御社の専務に契約を破棄されましたので、断念したんです。ドタキャンはしていません」
「はあ?」
しばらくの間、俺たちは見つめ合ったまま固まる。
「中村が契約破棄にしただと?そんな報告は受けてないぞ。あいつは三井という社員が一方的に契約破棄にしたと言っていたんだが」
「えっと…昨日の会議を録音したデータがあります。お聞きになりますか?」
ポケットからスマホを取り出す。商談や会議の際、俺は録音で記録を残す癖をつけていた。後で聞き直して内容を確認するためだ。昨日の中村と朝川部長の暴言もばっちり記録されている。石田社長の前で再生ボタンを押すと、社長の顔から怒りが一気に消えた。
「これは全部本当のことなのか?」
「はい。全てそのままです」
石田社長は冷や汗をかきながら、俺に何度も頭を下げる。
「す、すまなかった。中村の報告を鵜呑みにして、一方的に決めつけてしまって」
「いえ、分かっていただけたならいいんです」

石田社長は従業員を大切にしていて、熱意がある人だ。メディアに登場する際もそのキャラクターが注目される。今回はそれが悪い方向に作用してしまったようだ。
「もう少し詳しい話を聞かせてくれないだろうか?」
「ええ、もちろん」
立ち話も失礼かと思い、会議室に案内する。そこで俺は中村との確執に至るまで、全て石田社長に打ち明けた。
「まさか中村が…。最初はそう思ったんだが、あいつは俺の父のコネで中途採用されたんだ。その後も専務のコネでトントン拍子に昇進していった。まあ、それでも大きな問題はなかったし、俺は前の専務を信用していたから、特に何も言わなかった。完全に俺の采配ミスだ。三井さん、本当に申し訳ない」
石田社長が深々と頭を下げる。続けて、突然俺に激怒してきた理由も明かしてくれた。
「実は我が社は住宅建設の主力事業が不振なんだ。そこで御社の特許技術の樹脂を用いて新規事業を進め、業績回復を図るつもりだったんだよ」
「新規事業ですか?」
「ああ。まだ俺と副社長しか知らない計画だ。我が社は大規模施設の建設にも乗り出そうと考えている。御社の樹脂は個人向け住宅だけではなく、大きな建物にも使える優れ物だろう」
石田社長の言う通り、我が社の樹脂は大型施設にも利用可能だ。幅広い建物に使えるという点も、特許技術として認められた理由の1つだろう。
「中村が代案として提示した他社の樹脂は使えない。そもそも質が悪すぎるんだ」
大きなため息をつき、石田社長がゆっくりと口を開く。
「三井さん、お願いがあるんだが」
石田社長の言葉に、俺は軽く目を見開いた。

翌日、俺は自分の会社ではなく、石田社長の会社にいた。今いるのは社長の会社で1番大きな会議室。集まっているのは会社の役員クラス。その中には顔面蒼白で脂汗を流している中村専務と朝川部長。困惑した様子の黒沢さんがいた。
「というわけで、我が社は主力事業の業績不振を受け、新規事業の計画を進めていた。そのためには三井さんの会社の樹脂が必要不可欠だ。しかし、中村と朝川部長の独断のせいで、契約の危機に陥りかけている」
石田社長の口から全ての事情が明かされ、役員たちは呆れた目で専務と部長を見ている。
ちなみにここに至るまでに、中村と朝川部長の横暴を証明するために様々な証拠が提示されていた。その中には俺が録音していた音声データ、同席していた黒沢さんの証言、そして俺の証言も含まれている。事態を正確に認識してもらうため、中村が俺を一方的に虐げるに至った原因、3年前の夜の店での騒ぎについても報告した。
役員たちは全員、呆れた顔で専務を見ている。
「前から使えない男だとは思っていたが、女癖も悪いとはな」
「中小企業を学歴で判断するとはな」
ひそひそ声が耳に届き、中村は仲間内からも評判が悪かった事実を知る。本人にも聞こえていたようで、ブルブルと震えながら怒りと羞恥で顔を真っ赤にしていた。
「ここまでの大きな問題を起こした人間を、会社の重役におくことはできない。今度の役員会議で中村と朝川の処分を決めていこうと思うが、反対の者がいるか?」
役員たちは誰1人として反対する者はいなかった。
昨日、俺が石田社長から頼まれたのは、今行われている緊急会議への同席だ。
「中村を役員から追い出すための証言が欲しいんだ。三井さん、協力してもらえないだろうか?」
「それはいいですけど。あ、1つ条件があります。契約を撤回していただけませんか?我が社としては、このまま特許のライセンス契約をしたい。47億という条件は魅力的であるし、真面目に仕事に取り組む黒沢さんのことは信頼しているからです。それに大手企業との繋がりも捨てがたい」
俺の提案に石田社長は迷うことなく頷いて返した。
「それは俺の方から頼みたいことだ。是非とも、このまま契約していただきたい」
「そうですか。ありがとうございます。では、全面的に協力させていただきますよ」
そして俺は社外の人間ながら、緊急会議に参加することになった。

中村専務と朝川部長は冷や汗を流しながら、必死になって弁明する。
「ま、まさかそんな重要な契約だとは知らなかったんです」
中村専務の言い訳に、黒沢さんが静かに、しかし鋭く反論する。
「どのような契約であろうとも、私情を持ち出すのはダメですよ。その上、あなたは専務という責任のある立場にいる。自分の行いがどのような結果につながるのか、よく考えてから行動すべきでしたね」
「黒沢君の言う通りだ」
石田社長の発言に、専務と部長以外が全員頷く。
「お、俺は専務に巻き込まれただけです」
「一緒になって俺を罵倒してきましたよね。『筋肉バカ』とおっしゃってましたが、お忘れですか?」
即座に俺が言い返すと、朝川部長は気まずそうに俯く。役員たちが顔を見合わせ苦笑いを浮かべるのが視界の端に移る。横にいる中村は悔しそうに唇を噛んでいた。
「中小企業のくせに」
「あなたは今、日本で働く人の大半を見下したことになりますが、それで務として問題ないと?」
容赦ない俺の一言に、中村はぐっと言葉に詰まる。
「仕事に私情を持ち出してはならない。あなたは専務という立場にふさわしくない。大人しく処分を受け入れてくださいね」
「くそっ」
中村専務が力なく椅子に座り込む。朝川部長も絶望の顔で床を見つめていた。

石田社長の行動は早かった。1ヶ月後には中村の退職が決定。表向きは専務の自己都合による退職ということになっている。朝川部長は別部署へ移動となった。今回の件は対外的に公表されていないが、社内で噂となり広まっているらしい。朝川部長は移動先で冷たい目で見られ、居場所がないとのことだ。
「中村もまだ働き盛りの年齢ですが、最終職は難しいでしょうね。事情を知った奥さんは愛想をつかして、離婚を考えているらしいですよ」
黒沢さんからその後の顛末を教えてもらい、俺は苦笑いを浮かべながら答えた。
「少し厳しすぎるバツになりましたね」
「いやいや、足りないくらいですよ。あの2人に嫌な思いをさせられた社員は多いんです。みんな自業自得だって言ってます」
どうやら俺が思っていた以上に、2人は嫌われていたようだ。
仕事を邪魔する人たちはいなくなり、特許のライセンス契約の話し合いは順調に進んでいる。次回、契約書にサインということになった。
「では、今後とも末永くよろしくお願いします」
「こちらこそ」
嬉しそうに笑う黒沢さんと硬い握手を交わす。これから忙しくなりそうだと思いながら、俺も笑顔を浮かべた。

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