「どうか契約してください。うちはもう倒産寸前なんです」——汚れた作業服の女性が、夕暮れの小さな工務店に突然現れて、見たこともない金属パネルを差し出した。実績も名前も知らない町工場の製品を、経営が苦しいうちの会社が信じるはずがない。大手に全て断られたという彼女は、今にも崩れ落ちそうだった。でも、その必死な目を見て、なぜか断れなかった。契約を交わし、工事を始めてみれば、パネルは硬すぎて切断できな…

「どうか契約してください。うちはもう倒産寸前なんです」——汚れた作業服の女性が、夕暮れの小さな工務店に突然現れて、見たこともない金属パネルを差し出した。実績も名前も知らない町工場の製品を、経営が苦しいうちの会社が信じるはずがない。大手に全て断られたという彼女は、今にも崩れ落ちそうだった。でも、その必死な目を見て、なぜか断れなかった。契約を交わし、工事を始めてみれば、パネルは硬すぎて切断できな...

「どうか契約してください。うちはもう倒産寸前なんです」

汚れた作業服姿の女性が、店先で涙声でそう訴えた。差し出されたのは、見たこともない金属パネル。車の音を防ぐのに優れ、湿気やカビにも強い特殊素材だという。しかし、名前も知らない工場の商品を、すぐに信じられるほど我が社の経営に余裕はなかった。

「なぜうちに? 大手に営業したほうがいいのでは?」

そう問いかけると、彼女は一瞬息を詰まらせ、覚悟を決めたように言った。

「何社も回りました。でも、どこも相手にしてくれなくて……最後の望みなんです」

必死な姿に心を動かされながらも、決断に迷う。この選択が、私たちの未来を大きく変えることになるとは、この時は夢にも思っていなかった。

私の名前は村野雪典。地方の町に佇む小さな工務店の社長を務めている。この工務店は父が創設したもので、私は父の後を継いで二代目の社長となった。社長と言っても、やることは他の社員と変わらず、現場での作業も行っている。小人数の社員しかいないため、大手のようにいくつもの仕事を一気に引き受けることはできない。しかし、数をこなせない分、質にはこだわっており、同業者や顧客からの信頼は厚い。

元々父の腕は一級品であり、その技術を余すことなく受け継いだ私も腕には自信がある。だが、それだけではどうにもならない現実があることも確かだ。昨今は大手業者の価格競争や景気の影響で依頼が減ってきており、経営はかなり苦しくなってきている。それでも、信頼に答える仕事を続けようと、社員たちと励まし合いながらなんとか店を続けていた。

ある日、いつも通り仕事をしていると、店に汚れた作業服を着た女性が尋ねてきた。

「こんにちは。あの、ちょっとよろしいでしょうか?」

私は仕事の手を止め、彼女の元へと向かう。女性は恐縮しながら頭を下げ、「私、こういうものですが」と名刺を差し出した。その名刺には、沢田千明という名前と、聞いたこともない工場の名が記されていた。

「どうもご丁寧に。私はこの工務店の社長の村野と申します」

私も名刺を取り出して挨拶をすると、彼女は丁寧にそれを受け取った。

「それで、今日は何のご用ですか?」

「実はこの度、弊社で特殊なパネルを開発しまして。それを一度見ていただきたいと思いまして」

どうやら彼女は自社製品の営業に来たようだ。わざわざこんな寂れた工務店に来なくても、と思いながら、彼女が差し出した一枚の金属パネルを見る。

「これは、車音遮断に優れた特殊金属パネルです」

「へえ」

私は初めて見るその素材に興味を持ち、しげしげと観察する。

「このパネルは湿気やカビに強く、長期間性能を維持できるところが最大の魅力です」

彼女の説明を聞きながら、私は納得したように頷く。従来の防音材の多くはスポンジや繊維などの吸音素材を使っており、扱いやすいけれども湿気や劣化に弱いという欠点があった。しかし、このパネルは金属製であるため、そういった欠点がなくなる。また、耐久性が上がるため、強く壁を叩いたり物をぶつけるなどの外部衝撃に対しても性能を損なうことがないだろう。私はこの新たな防音材に感心しつつ、彼女に純粋な疑問をぶつけた。

「とてもいい製品に見えますが、なぜうちのような小さな工務店に? もっと大きな業者に営業をかけた方がいいんじゃないですか」

すると、これまで自社の製品について熱く語っていた千明さんが、見る見るうちに沈んでいった。

「もちろん、大きな業者さんのところも何社も回りました。でも、うちみたいに特別な実績もない工場は、どこも相手にしてくれなかったんです」

千明さんの話によれば、このパネルを作った工場は彼女の父親が経営しており、名前を知られていないような家族経営の小さな工場であるということだ。特に大きな実績もない小さな工場を相手にする大手業者はなく、どこからも門前払いされてしまったらしい。

「それで、片っ端から営業に回っているんですけど、なかなか話も聞いてもらえなくて」

「なるほど」

うちのような小さな工務店にまで来るくらいだから、さぞや切羽詰まっているのだろうと思っていたが、やはり相当苦労しているようだ。それから私は千明さんにパネルのデータなども見せてもらい、ますますこの製品に興味を持った。しかし、他の業者が彼女の営業を断ったように、私もすぐに彼女の会社を信用することはできなかった。

どうしようかと迷っている私に気づいたのだろう。千明さんが今にも崩れ落ちそうな様子で懇願してくる。

「お願いします。実はうちの工場はもう倒産寸前で、この特殊金属パネルの契約に全てがかかっているんです。必ず期待に答えますので、どうか契約をしていただけないでしょうか?」

そこまで言われると、どうにも断りにくい。しかし、この製品が優れたものであることは確かだ。そこで私は、今受け負っているリフォームの依頼のことを思い出した。現在うちの工務店では、商店街の音楽教室からリフォーム依頼を受け負っている。そこに掛け合えば、この特殊金属パネルを使ってもらえるかもしれない。

「分かりました」

「え?」

私の言葉に、彼女が弾かれたように顔を上げる。

「実績がないところが不安ではありますが、あなたのことを信じて契約を結ぼうと思います」

その場で契約を決めた私に、彼女は信じられないような顔をしていたが、すぐに感激した様子で目に涙を浮かべた。

「ありがとうございます。本当に、なんとお礼を言っていいか……」

詳細については別日に改めて話し合うことを決めると、千明さんは何度も頭を下げながら私の店を後にした。

その後、千明さんの会社と正式に契約書を交わし、私はリフォーム予定の音楽教室に例の金属パネルを持っていった。

「防音素材にこちらの金属パネルを使いたいと思っているんですが、どうでしょう?」

「これが防音素材なんですか? へえ」

音楽教室のオーナーの女性は、初めて目にするパネルを物珍しそうに眺め、うーんと腕を組んだ。

「これって、他の音楽教室とかでも使われてます?」

「いえ、実際に使うのはこれが初めてです」

正直に言うと、彼女の表情が曇った。それもそうだろう。リフォーム工事にはお金も時間もかかる。もしこの素材が使い物にならなかった場合、簡単にやり直しが効くものではないのだから。

「村野さんのとこには昔からお世話になってるし、信頼もしてるけど」

オーナーは私と金属パネルを見比べながらしばし悩んでいたが、しばらくして決然とした顔で言った。

「よし、じゃあこうしましょう。そのパネルを使ってもらっていいけど。防音効果がなければ代金は払えないってことで、どうですか?」

「もちろんです。機会をいただき、ありがとうございます」

私は快くその条件を飲み、悩みながらも了承してくれたオーナーに深々と頭を下げる。契約したからには、うちもこのパネルを使ってもらわないと困るが、それよりもこれで沢田さんの会社が少しでも楽になってくれれば嬉しい。必死に頭を下げていた沢田さんの姿を思い出しながら、私は気合いを入れて工事に取りかかった。

しかし、いざ工事を始めると、この特殊金属パネルがなかなかに扱いづらいものであることが分かった。まず、このパネルは他の防音材に比べて強度が高いところが売りでもあるが、工事においてはその強度がネックとなった。あまりに硬いため、現場の職人たちが使っている一般的な電動の切断機ではスムーズに切断できないのだ。

「どうしますか? 一応切れるには切れますが、これじゃあすぐに刃が駄目になります」

私はしばらく考えた後、千明さんに連絡することにした。このパネルを作り出した彼女の工場なら、切断できる機材もあると思ったのだ。私の予想は見事に当たり、やはり千明さんの工場には特殊金属パネルの加工に使っている切断用の刃があることが分かった。電話で私の話を聞いた千明さんは「すぐに持っていきます」と返事をし、その言葉通り本当にすぐにその刃を持ってきてくれた。

これでパネルの切断の問題は解消できたが、すぐに次の問題が持ち上がる。パネルの厚みと重さのせいで、職人一人では持ち上げにくく、取り付ける際には複数人で作業しなければならない。それだけでなく、パネルが硬いため取り付ける時に壁面に傷をつけてしまうという問題も持ち上がった。従来の素材に比べて取り扱いが難しいだろうことは分かっていたが、これは予想以上の作業負担だ。さらに、このパネルは古い壁材との相性が悪く、パネルの裏面に塗られた接着剤が剥がれやすいことが判明する。

「社長、これはちょっと無理じゃないですかね」

試行錯誤しながら作業していた職人たちも、パネルの扱いにくさに辟易している様子だ。とはいえ、そう簡単に諦めるわけにはいかなかった。ここでやめてしまってはうちの会社も大赤字だし、おそらく千明さんの家の工場は倒産してしまうだろう。

そこで、ハラハラしながら私たちの作業を見守っていた千明さんが、遠慮がちに声をあげた。

「あの……パネルの接着剤、もう一度こちらで加工をし直してみましょうか?」

「いや、でもあまり工期を伸ばすこともできないし……」

「それでしたら、明日の朝までに直してきます。ですから、1日だけ待ってもらえないでしょうか?」

彼女の言葉に、私は驚きを隠せなかった。

「明日の朝までって……できるんですか?」

「私を信じてくれた村野さんのためにも、必ず間に合わせて見せます」

正直に言えば不安もあったが、このままではどうにもならないことも確かだ。私は千明さんの言葉を信じ、パネルの改良を彼女の工場に託すことにした。

「では、お願いします」

私の言葉に、千明さんが「はい」と力強く返事をする。都合のいいことに、彼女は会社所有の軽トラックに乗って現場へ来ていたので、私たちは協力して荷台にパネルを積んで固定した。準備が済むと、彼女は早速パネルを自分の工場へと運んでいった。

「パネルの改良は千明さんたちに任せるとして、俺たちはパネルのうまい設置方法を考えようか」

職人たちと知恵を出し合った結果、私たちはパネル固定用のブラケットを自作することにした。一度店に戻った私たちは、サンプルとしてもらっていたパネルに合わせてブラケットを作り、試しに壁に固定してみる。その試みはうまくいき、壁に余計な負担をかけずにパネルを壁に設置できるようになった。私は職人たちと一緒になって喜びの声をあげる。

「やりましたね。これで設置の問題はクリアですよ」

「ああ。あとは千明さんたちを信じて待つだけだ」

私の言葉に、職人たちは不安な顔つきになり、一斉に時計を見る。現在の時刻は夕方の四時。千明さんが工場に戻ってから三時間ほど経っているが、まだ何も連絡はなかった。進捗状況が分からないとどうしてもやきもきしてしまうが、私たちにできるのは信じて待つことだけだ。その日はそれ以上できることがないため解散とし、私はパネルの加工がうまくいくことを祈りながら落ち着かない夜を過ごした。

次の朝、出勤の支度をしているところに千明さんから電話があった。私は着替えの手を止め、慌てて電話に出る。

「もしもし」

「村野さん! できました! これから直接現場までパネルを持っていきます」

千明さんはテンションの高い声でそう言うと、挨拶もそこそこに電話を切った。私も急いで支度を整え、現場へと向かう。現場へ着くと、ちょうど千明さんの軽トラックがこちらへやってくるのが見えた。どうやら今日は千明さんだけでなく、彼女の父親である沢田社長も一緒に乗ってきたようだ。社長と会うのは正式に契約を交わして以来二度目のことだ。

「お久しぶりです、村野さん。千から話を聞いて、パネルの接着部分を再加工してきました」

沢田社長は元気な声で言ったが、目の下にはくっきりと隈ができている。隣にいる千明さんを見れば、彼女も同じような顔をしていた。

「もしかして、寝てないんですか?」

「一晩くらい、なんてことありませんよ。それより見てください」

沢田社長は軽トラックの荷台に回ると、積んであったパネルを一つ取って私に見せてくれた。

「裏面の接着部分ですけど、ここに追加の滑り止め加工を施してみたんです。どうでしょうか?」

私はパネルの再加工を見た瞬間、「行ける」と感じた。実際にはやってみなければ分からないのだが、私のこれまでの経験から来る感がそう言っていた。

「早速、使ってみましょう」

私は職人たちを呼んでパネルを運ぶと、自作のブラケットを使ってそれを壁に取り付けてみる。すると、これまでのように壁に傷をつけることも、剥がれることもなく、スムーズに取り付けることができた。その様子を見ていた職人たちから「おお」と感嘆の声が上がる。

「これなら大丈夫です。沢田社長、千明さん、ありがとうございました」

「こちらこそ、一晩待っていただき、ありがとうございます」

沢田さん親子も、私たちに負けないくらい嬉しそうな顔をしている。そんな表情を見せられたら、さらに気合いが入るというものだ。

「よし、じゃあ遅れた分を取り戻すためにも、一気に終わらせるぞ」

職人たちは「おお」と勢いよく返事をすると、昨日の苦労が嘘のように手際よくパネルを取り付け始めた。それから数日かけて工事が行われ、ようやく音楽教室のリフォームが完了する。オーナーは壁をコンと叩いて強度を確認し、音楽を大音量で流してから外に出た。建物に近づけば音楽が流れていることは分かるが、普通に外を歩いているくらいではまず中の音は聞こえない。そのことを確認し、オーナーはにっこりと笑って言った。

「やっぱり村野さんのところに頼んで正解だったわ。文句なしの仕上がりです」

「ありがとうございます」

彼女の満足そうな表情に、私はほっと息をつく。最初はどうなることかと思ったが、あそこで諦めなくて本当に良かったと思う。

その後、特殊金属パネルを使った防音リフォームの成功が口コミで広がり、地域の他の音楽教室をはじめとした様々な施設から依頼が舞い込むようになった。おかげでうちの工務店の利益は右肩上がりで、経営拡大を考えるほどだ。千明さんの工場も、特殊金属パネルの需要が上がったことで次第に経営が上向きとなり、倒産を免れたようだ。そのことを電話で知らせてくれた千明さんは、こちらが申し訳なくなるくらい、何度も何度も感謝の言葉を述べた。

「うちの工場が倒産せずに済んだのも、村野さんがこのパネルを信じてくれたおかげです。本当に、本当にありがとうございました」

「いえ、あなた方のパネルが本物だったからこそです。こちらこそ、あんな素晴らしい製品を使わせてもらって感謝しています」

私たちはお互いに「今後もよろしくお願いします」と挨拶を交わし、どちらからともなく電話を切った。

それからも私は忙しい毎日を過ごしていたが、ある日突然不幸に見舞われた。病に倒れ、意識不明となってしまったのだ。どうやらこれまでずっと仕事一筋でやってきた無理があったらしい。幸いにも、私は運ばれた病院で目を覚ましたが、そこで医者から厳しい現実を突きつけられる。

「発見が遅かったため、すでに治療が手遅れです。この先も生きるためには、臓器移植をするしか方法がありません」

医者の話を聞き、私は目の前が真っ暗になった。臓器移植をすれば生きられると言っても、そう簡単なものではないことは知っている。この先どうなるのかと不安な思いを抱きながら、病院のベッドで不安な日々を過ごしていた。私の面会が可能になると、親族や職人たちが次々と病院へ駆けつけてくれた。そこで臓器移植が必要だと知った彼らは、我先にと私への移植を希望する。私は彼らの気持ちがありがたく、彼らから見えないところで一人泣いた。しかし、彼らの臓器はいずれも私とは適合せず、このままでは臓器バンクからの提供を待つしかないと言われてしまった。

「みんな、そんなに落ち込まないでくれ」

私以上に元気がない見舞客たちを見て、私は思わず苦笑する。こちらも落ち込みたいのは山々だが、先にこうも肩を落とされては慰めに回るしかない。それに医者からは、臓器バンクからの提供があるまで体力が持つかどうかが問題だと聞かされており、その時点で私はすでに覚悟を決めていた。もちろん、もっともっと生きたいが、今更ジタバタしても仕方ない。私のことを愛してくれる人たちに見守られながら逝くのも、そう悪くはないだろう。

そんな風に腹をくくって入院生活を送っていたある日、私が病院に運ばれたことを聞きつけた沢田一家が、息を切らせてやってきた。

「村野さん! 大丈夫ですか?」

病室に入るなり大声で言った千明さんは、看護師に「お静かに」と注意され、慌てて口を押さえた。それから一家揃って病室に入ってくると、心配そうに私の顔を覗き込んだ。

「今日、お店の方に電話したら、数日前に倒れて入院したって聞いて。お加減はいかがですか?」

「うん。いいとは言えないかな」

曖昧な笑みを浮かべ、私は正直に自分の病状について説明した。ここでごまかしても、すぐに私の周囲の人間から本当のことを聞かされるだろうと思ったからである。沢田家の話を聞いた千明さんたちは驚きに目を見開くが、すぐに全員が顔を見合わせて力強く頷いた。

「村野さん、私たちにも協力させてください」

「え?」

「村野さんに助けてもらって、今の私たちがあるんです。今回は、私たちが村野さんを助ける番です」

そう言って、彼らは臓器の提供を申し出てくれる。私がびっくりしている間に、沢田さん一家は病室を出ると、すぐに医者に話をつけに行ったようだ。彼らの気持ちはありがたいと思いつつも、私は過剰な期待はしていなかった。しかし、それから数日後、奇跡が起こる。

「村野さん、適合者が見つかりましたよ」

「本当ですか?」

「はい。この間、臓器提供を申し出てくれた千明さんの臓器が、村野さんと適合しました」

適合者が千明さんだと知り、私は驚いた。その後、直ちに移植手術が行われることとなり、私は千明さんに会うこともなく手術室へと運ばれた。そして、長時間に及ぶ大手術の結果、私は一命を取り止めたのである。

手術が終わって少しだけ体が回復した頃、やっと千明さんとの面会が許された。私に臓器をくれたことで弱ったりしていないかと心配していたが、思ったよりも元気そうだ。そのことに何よりも安堵する。

「村野さん、手術成功おめでとうございます」

私はベッドのそばに来た千明さんの両手を握り、涙ながらに感謝の気持ちを伝えた。

「あなたのおかげで、この先も生きていくことができる。あなたは命の恩人です。本当にありがとう」

「私は、恩を返しただけです」

そう言う千明さんの瞳にも涙が浮かんでいた。私たちは手を握り合ったまま、それからしばらく無言で共に涙を流し続けた。

その後、順調に回復した私は、ついに退院の日を迎える。そして少しずつではあるが、現場の仕事にも復帰できるようになっていった。私が現場に顔を出すと、職人たちは一様に笑顔になり、嬉しそうな声をあげた。

「社長、お帰りなさい。またよろしくお願いします」

彼らの温かい出迎えに、現場に戻って来れた喜びを改めて感じる。沢田工場との協力も一層深まり、私たちはお互いにアイデアを出し合って特殊金属パネルの改良を重ねた。改良型の特殊金属パネルは、飲食店やリモートワーク向けの自宅リフォームなどでさらに需要が高まり、一時期は仕事をさばききれないほどだった。そこで私の工務店も沢田工場も経営を拡大することとなり、今では同業者からも一目置かれる存在となっている。以前は営業周りに行っても門前払いをされていた千明さんだったが、今ならどこへ行っても丁寧に話を聞いてもらえることだろう。

命の恩人でもある千明さんとは、今でも仕事上の付き合いでよく顔を合わせている。

「今、父と二人で特殊金属パネルの軽量化に取り組んでいるんです」

「へえ、それはすごい。でも、遮音性を保ったまま軽量化するのは、かなり難しくないですか?」

「そうなんですよね。でも、絶対に成功させてみせるって意気込んでるので、サンプルができたら是非見てくださいね」

「もちろん、一番に見させてもらいますよ」

それから私は千明さんに右手を差し出し、彼女の目を見つめながら力強い口調で言った。

「これからも一緒に頑張っていきましょう」

すると、千明さんは私の右手をガシッと掴み、力を込めて握り返す。

「はい。これからもよろしくお願いします」

不思議な巡り合わせで出会った私たちは、今では運命共同体となった。この縁を大事に、これからも彼女と一緒に成長していきたいと思う。

Thumbnail