「父さんが倒れて緊急搬送された。意識不明だ。お前は家で待機していろ」
電話の向こうで、夫の太郎がそう言った。私はすぐに違和感を覚えた。だって、私は今ギフト外出中なのだ。それなのに、意識不明の父の話?笑わせてくれる。
夫の隣で、義父が怒りに震えていた。私たちはすべて知っている。太郎が何をしているのかを。
30分後、私は義父と共に、あるラブホテルの前で待っていた。すると、太郎が女性と一緒に出てきた。
「おかしいわね。ここはどう見ても病院じゃないけど」
太郎の顔が凍りついた。彼の隣の女性も、状況が飲み込めずに顔色を変えている。
そう、私は以前から調査を進めていた。ここ数ヶ月、太郎の出張や外出が異常に増えていたからだ。夫の浮気を疑った私は、義父の協力を得て調査会社に依頼していた。義父もすべて知っていたのだ。
「お父さんも全部知ってる状態よ。何も知らずに太郎は私に嘘をついてしまった。本当に間抜けな話よね」
義父が太郎に告げた。「太郎よ。今から家族で話し合いだ。みささんには帰ってもらいなさい」
15分後、私たちは近くの飲食店の個室にいた。そこには義母の姿もあった。太郎は驚いた。
「なんで母さんもいるんだよ」
「さっき言っただろ。家族で話し合いたいって。母さんには事前に来てもらうよう頼んでおいたんだよ」
義父の低い声に、部屋の空気が張り詰めた。
太郎は頭を下げた。「カノン、父さん、まずは謝らせてくれ。勘違いさせてすまなかった」
「勘違い?ラブホテルから出てくるのを私たちは見ているのよ。何を今更」
「待ってくれ。確かに俺はラブホテルから出てきた。それは間違いないが、浮気なんてしていない。実は仕事のためにラブホテルの中に入っていたんだ」
「そんな見えすいた嘘、誰が信じると思ってる?」
太郎は必死に説明を続けた。IT系の企業とラブホテルは意外と関係が深く、スマートデバイスの導入やAIによる客室管理システムの開発など、関連する仕事が多いのだと言う。みささんはその取引先の担当者だとも。
話を聞いて、私はスマホで調べてみた。すると、確かに太郎の言う通り、IT系とラブホテルの関連仕事は実在するらしい。嘘だけではないのかもしれない。
しかし、彼の話には決定的な矛盾があった。
「仮に仕事のためだったとしたら、どうして正直に言わなかったの?お父さんが緊急搬送された、意識不明だなんて嘘をつく必要ないでしょ」
私は浮気以上に、義父を出汁に使おうとしたことが許せなかった。義父は75歳。最近は体調を崩すことも増え、病院へ行く回数も多くなっていた。実際に緊急搬送される可能性もゼロではなかった。それを分かった上で、太郎は実の親を利用したのだ。
私の怒りを知ってか知らずか、太郎はさらに言い訳を重ねる。「最近俺が家を開けるようになったのは仕事が忙しくなったからなんだ。カノンには話そうと思ったけど、お前も忙しそうだったから言い出せなかったんだ。一時的な嘘で安心させようと思ったんだ。もう二度としないから許してくれ」
彼は頭を下げて謝った。本気で謝っているように見える。だが、根底にあるのは責任転嫁だ。彼は私のために嘘をついたと言うが、それも嘘に違いない。
その時、横に座っていた義父がゆっくりと鞄に手を伸ばした。私は義父にこの場を任せることにした。義父は封筒を取り出し、太郎の方へと差し出した。
太郎が中身を見ると、そこには太郎とみさがホテルへ入っていく写真が何枚も入っていた。路上でキスしているシーンもある。決定的な証拠だ。調査報告書には、太郎が自宅を出てから浮気相手と合流し、ホテルに入り、そのまま浮気相手の自宅へ入っていく様子が写真付きで記録されていた。浮気相手の身元まで記載されている。
同じような報告書が何日分もある。太郎の手が震えた。「もしかして、調査をしていたのはお前と父さんだけじゃなかったのか?」
「ご名答よ。あなたが言い訳するだろうと思ってね。確実な証拠を用意する必要があった。偽造だと言われないように、興信所に依頼したってわけ」
「仕事のためだなんてよく言えたわね。あなたのしてきたことは全部自分のためでしょ」
太郎はうめくように声を漏らし、顔を伏せた。
「どうだろう?浮気を認める気になったか?これだけ確固たる証拠があれば、お前も認めざるを得まい」
それでも太郎は否定した。「俺は浮気なんかしてない。俺はカノンだけを愛しているんだから、浮気なんてする理由もない」
嘘だらけの言葉に、私は怒りで沸騰しそうだった。しかし、ここで感情に任せてはうまくいくこともうまくいかなくなる。私は深く息を吸って、確信に迫ることにした。
「浮気する理由はあるわよね。太郎、あなたは子供を欲しがってた。だから浮気して、他の女に子供を産ませようとした。そうでしょ?」
その瞬間、太郎の体がびくりと震えた。義母の顔色もみるみる悪くなり、指先が震えている。
私と太郎の間には子供がいない。私が不妊症だからだ。太郎は私を責めなかったが、不妊治療には消極的だった。不妊症が発覚したのは結婚してから1年が経とうとしていた頃。その頃から太郎はどこか冷たくなっていた。
「私の不妊症が発覚したあの時から、子供が産めない私のことを切り捨てようと思って、浮気相手を探したんでしょ」
「そんなことするわけないだろ!俺は子供なんていなくてもいいって言ったじゃないか」
「そうね。でも、これを聞いたら、そんなことも言えなくなるんじゃないかしら」
私はスマホを取り出し、録音音声を再生した。静寂を切り裂くように、音声が流れた。
「紹介するわね。こちらがみささん。あの役立たずの代わりにあなたの子供を産んでくれるそうよ」
「初めまして。ご協力を買って出ていただいたみたいでありがとうございます。子供を産むだけの関係ではなく、愛し合えるよう僕も努力しますね」
そこからは、義母と太郎、そしてみさが楽しそうに食事をする声が続いた。私は何度も何度もこの音声を聞いていた。それでも、胸の奥を鋭くえぐられるような感覚に襲われる。
義母に裏切られていたと知った時、私は太郎の浮気以上の衝撃を受けた。私は義母を信じていた。優しい言葉をかけられるたびに、この人は私の味方だと思っていた。家事を手伝いに来てくれたのも、ただの親切心だと信じていた。
けれど、全ては私を監視するためだった。全ては私を騙し、安心させるための演技だったのだ。
「太郎の手元にある興信所からの調査報告書の中に、あなたとみささんが三人で家にいる写真も入っているはずよ。そう、それよ。無事計画が成功したみたいね」
「そこまで全て知っていたのか。分かった。全て話すよ」
太郎が全てを語り始めた。太郎はIT系の企業に勤めているが、いずれは義父の会社を継ぐつもりでいた。しかし、体調を崩した義父はすでに信頼できる社員に会社を任せている。太郎は、いずれ義父の会社を自分が継ぎ、さらに自分の子供に引き継がせたいと考えていた。私が子供を産めないと知った時点で、彼らの中で私は不要な存在になっていたのだ。
「俺は父さんの会社を少しでも長く存続させたいだけなんだ。カノンとの間には子供ができないってことが分かった時、母さんが今回の計画を提案してくれた。俺だってもちろん手放しで賛動したわけじゃない。でも、この計画は会社を一代で築き上げた父さんのためでもあった。仕方がなかったんだ。カノンを愛しているっていうのは本心なんだ。信じてくれ」
どこまで自分勝手なのだろう。自分は愛しているつもりだったのかもしれないが、私はこんな形で裏切られるほど軽い存在だったのか。
そこに義父の怒りの声が響いた。「お前が本当にカノンさんを愛しているのなら、意識不明だなんて嘘をつくわけがない。カノンさんには両親がいないのはお前だって分かっていることだ。だからこそ、カノンさんは温かい家庭に憧れていたんだ。お前との子供を誰よりも望んでいたのは彼女だ。どんな事情があろうと、他の女性を妊娠させるなんて許されるわけがないだろう」
義父の声には、太郎の言葉を完全に否定する決意が感じられた。私の苦しみを理解してくれる人がいたことに、胸が熱くなった。しかし、ここで涙を流しては、この有利な状況を無駄にしてしまう。私は深呼吸をして、感情を抑えながら静かに言った。
「太郎、私と離婚してください。離婚の原因はあなたの不貞行為。弁護士の方とも相談して、300万円の慰謝料を払ってもらうから。本当に悪いと思っているなら、しっかり償いをして」
太郎は一瞬驚いたように私を見つめた。私がすでに離婚や弁護士への相談を決めていること。それは彼にとって完全に予想外だったようだ。
しかし、その後すぐに彼は歪んだ笑みを浮かべた。「俺が悪いように言ってるけどな。カノン、お前が全部悪いんだぞ。子供が産めない血管品のくせに、偉そうに言いやがって。まあ、みさと再婚するためなら300万くらい払ってやるよ。でも、お前こそ俺ら家族を騙した責任取れよな。お前が不妊だって最初から知ってたら、結婚なんてしなかったんだから」
太郎の口から放たれた言葉は、今までのどの言葉よりも醜く、冷たかった。鋭い刃となって、私の胸に突き刺さる。
義母も追い打ちをかけた。「太郎の言う通りよ。子供を産めないなんて話にならない。特に、会社を継ぐ予定のある一人息子に嫁いでくるならね。嫁は子供を産むのが常識ってもんでしょ。あんたは非常識なのよ」
義母の言葉は、もはや時代錯誤を通り越して哀れですらあった。太郎が開き直ったことで、形勢が逆転したと勘違いしたのだろう。
私は彼らに対する憎しみよりも、むしろ軽蔑の感情が湧き上がるのを感じた。「お母さん、太郎、あなたたちは私を傷つけることで自分たちが正しいと思いたいのね。でも、私はもうそんな言葉に傷つくことはないの。あなたたちの本当の姿を知ってしまったから」
すると、義父が静かに言った。「太郎、お前はもう私の息子ではない。お前がどれだけ私の会社を継ぎたいと言おうと、私はお前には継がせない。私の作った会社は、お前のような人間の手に渡すつもりはない。俺はカノンさんを養子にすることにした。遺産も全て彼女に相続する。お前たちの方がよっぽど非常識だからな。そんな奴らに俺は何も渡す気はないぞ」
義父の静かな宣言が部屋に響いた。太郎と義母の表情が一瞬で凍りついた。先ほどまでの居丈高な態度は消えうせ、青ざめた顔で義父を凝視する。
実は、太郎が多額の借金を背負っていることは、興信所の調査で明らかになっていた。その借金の理由はみさのため。しかし、それだけではなかった。もしみさが妊娠しなかった場合に備えて、他にも複数の女性と関係を持ち、彼女らにも金を使っていたのだ。病院で太郎の計画を知った時、義父は深く失望していた。
「こんな私の遺産は、お前たちに一銭も渡さない」
義父の目は決意に満ちていた。
義母が甲高い声をあげた。「あなた、何を言っているの?私と太郎は何一つ間違ったことは言ってないのよ」
しかし、その視線にはすでに確信がなかった。
「そうだよ。それに遺産を相続するのは血のつながった家族である俺たちであるべきだろう。なんで役立たずの他人なんかに」
「血が繋がった家族ね。血が繋がっていなくても、俺にとってはカノンさんの方が家族だと思っている。俺のこともカノンさんのことも騙して傷つけ、それでも平然と笑っているような奴らを家族だなんて俺は思えない。お前らとは今日限りで絶縁する」
義父の決意は揺るがなかった。絶縁されるということは、万が一にも義父の遺産が義母と太郎のものになることはないということだ。その事実を突きつけられた表情は一瞬にして変わり、義母は「そんな!」と顔を真っ赤にして叫んだ。
「これで終わりだ。お前たちとはもう何の関係もない」
義父の静かな言葉が、彼らの運命を決定付けた。
今夜は、母さんと太郎は、むなしく頭を下げて謝罪を始めた。「カノンさんのことを悪く言ったのは確かに俺らが悪かった。でもただの浮気じゃない。父さんだって俺の子供の顔を見たいだろう。だからさ、今回だけは許してくれないかな。家族としてやり直す機会をくれよ」
「黙れ。俺の気は変わらない。第一、お前たちが最初に謝るべきはカノンさんだろ。俺に謝ることを優先している時点で、遺産目的でしかないだろう。白々しい謝罪なんていらない」
「なあ、カノン。俺が悪かったよ。確かに外に子供を作ったのは悪いと思ってる。本当にごめん。でも俺の心がカノン以外に向いたことはないんだ。一回だけチャンスをくれ」
「カノンさん、私の方からも謝らせて欲しいの。子供ができないことがどれだけ辛いことかも分からずに、好き勝手言ってごめんなさい。本当に出来心だったの。どうか許してください」
「血管品なんて言っておきながら、手のひらを返すわけね。そんなに自分のことが可愛いのかしら。太郎、私からも言わせてもらうわね。あなたの本性を知っていたら結婚なんてしなかった。女性は子供を産む道具じゃないのよ。お母さんも、ご自身と向き合ってから常識を語ってください。私たち家族を騙した責任を取ってください」
私が太郎から言われた言葉をなぞってはっきりと突き放すと、二人は完全に沈黙し、途方に暮れたように俯いた。
呆然としている義母と太郎を残して、私と義父は実家を後にした。
その後、私は太郎と離婚し、義父は義母と離婚した。そして、離婚が成立した直後に私は義父と養子縁組をし、書類上でも晴れて親子となった。
遺産相続ができなくなったことで、今回の計画を食い止められた義母と太郎。しかし、ここからさらに彼らは追い詰められていく。子供を作るためだけに複数の女性と関係を持っていた太郎は、その女性たちから訴えられたのだ。女性たちは、太郎と義母に騙されていたことに気づいたのである。
実は、私たちが離婚を突きつけた後に、私は浮気相手の女性たちに接触していた。その結果、女性たちは太郎と義母のことを訴えるに至ったのだ。浮気相手からの訴えは認められ、太郎と義母には慰謝料が請求された。訴えた浮気相手たちは皆妊娠しており、慰謝料もかなり高額だったようだ。
太郎は元から抱えていた借金に加えて、慰謝料を支払うためにさらに借金を重ねた。借金や計画の失敗による混乱、浮気相手たちからの訴訟対応などで精神的に追い詰められ、太郎は仕事を続けられなくなり、最終的には退職した。
唯一太郎たちを訴えなかった浮気相手であるみさは、離婚成立後、家に転がり込んできた太郎と義母と共に暮らしていた。しかし、太郎が仕事を辞めた上に多額の借金を背負っていることを知り、みさは部屋を解約して姿を消した。みさは、太郎がIT系の企業に務めており出世も視野に入っていることから、お金があると踏んで計画に前向きに協力していたのだ。太郎に価値がなくなったということだろう。
部屋のライフラインも止まり、大家から退去を迫られ、追い詰められた太郎はみさに連絡を取った。
「なあ、みさ。どういうことだ?大家さんから一週間以内に立ち退けって言われたんだ。電気も水道も止まってるし」
「私はあんたがお金持ってるって言うから、妊娠までしてやったのよ。金も稼げない上に借金のある血管品なんて、捨てられて当然じゃない。そういうわけだから」
みさはそう言って電話を切ったらしい。因果応報とはまさにこのこと。かつて太郎が私に向かって放った言葉が、今度は彼自身に振りかかることになった。彼は捨てる側から、捨てられる側になったのだ。
金も家も家族も失い、唯一残ったはずの義母とさえ、責任の押し付け合いを始めているようだった。
「あなたがもっとうまくやっていれば、カノンさんにバレないようにやっていれば、こんなことにはならなかったのよ」
「はあ。カノンに計画がバレたのは、母さんがわざわざ外で話そうとするからだろう。何のためにうちに来てカノンを見張らせてたと思ってるんだ。大体、この計画だって母さんが言い出したんだ。最初から種でも取っておけばよかったんだよ」
「なんですって?あなたが間抜けにも誘惑されたから、こんなことになっているのよ。浮気を疑われないようにうまくやれって、あれだけ言ったのに」
互いを責め合う罵詈雑言。元を辿れば、彼らは私から奪うことで自分たちの安泰を築こうとしたのだ。だが、その計画はもろくも崩れ去り、彼ら自身を破滅へと導いた。
大家からの退去命令を受けた後も、二人は言い争いを続けた。沈みゆく船の上で、互いを突き落とし合うように。最後には、それぞれ無一文のまま家を後にした。
空が赤く染まり始める頃、太郎と義母の姿は町の雑踏に消えていった。彼らがこれからどこへ行くのか、どんな結末を迎えるのか。私はもう、関係のない人間なのだ。
一方、私は義父の養子となり、実家で穏やかに暮らしている。朝、柔らかな光がカーテン越しに差し込む。小鳥のさえずりがかすかに聞こえ、心地よい空気が部屋を満たしている。あの頃のような不安や恐れはもうない。
二人で暮らすようになってから、義父の体調はみるみる回復していった。いつも病院通いをしていた義父の姿は今ではすっかり元気になり、「今日もいい天気だな」と笑顔で窓の外を眺める余裕すらある。通院の頻度も減り、私の仕事が休みの日には二人で出かけたり、食事に行ったりと、穏やかで充実した日々を送っている。
義父はこの生活がどれほど幸せか、何度も私に伝えてくれる。「君がいてくれて本当に良かったよ」。その言葉を聞くたびに、胸の奥が温かくなる。でも、私の方こそ感謝している。私が太郎と義母から解放され、新しい人生を歩む手助けをしてくれたのも、私を本当の家族として迎えてくれたのも、全て義父のおかげなのだから。
「こちらこそありがとうございます」。そう伝えると、義父は優しく微笑んだ。
家族とは何か。それは血のつながりではなく、共に支え合い、心を通わせる存在。小さな幸せを見つけては、二人で笑い合う。食卓に並ぶ手料理を美味しいと言い合いながら、何気ない会話をかわす日々。そんな何気ない時間こそが、何よりも愛しい。
私はこの幸せを噛みしめながら、心の中で誓う。義父への感謝を、これからも行動で示し続けていこう。たとえ血が繋がっていなくても、私たちは本当の家族だ。この穏やかな幸せがいつまでも続いてほしい。今はそれだけを願っている。



