「緑のお母様は英語がご堪能だそうで、この機会に是非英語でのスピーチをお願いできませんか?」
私がスピーチ台に立つと、娘の婚約者・達也が素敵な笑顔を浮かべて近づいてきた。
「元英語教師には少し簡単すぎますかね。」
達也は有名大学を卒業し、外交官として勤務している。達也の父親は政界進出を目前に控えた、まさにエリート一家なのだが、農業をしている私に恥をかかせたいらしい。
「本当は方言しか話せないんでしょ。」
田舎に暮らしているからというだけで他人を見下し嘲笑う達也に、私は怒りを越えて呆れてしまった。
今日は娘の晴れ舞台。ここを守るのは母の役目。舞台は崩させない。
私は背筋を伸ばし、マイクを口元へと寄せた。
私が話し始めると、会場からは「なんて流暢な英語なんだ」「素晴らしい」と感嘆の声が漏れる。
スピーチを終えると大きな拍手が湧き起こり、達也は悔しそうに唇を噛みしめていたのだ。
思惑が外れた達也は、さらに私を試そうと、今度は高度なビジネス会話で農業ビジネスの展望について質問してきたが、これにも完璧に対応した。達也の質問に全て淀みなく答えたのだ。
すると、ある人物が立ち上がった。
「なんてことをしてるんだ。お前は日本の恥だ。」
直後、達也の顔が青ざめた。
—
私は野間かえ、54歳の元教師だ。数年前まで東京の中学校で英語教師として勤務していた。
田舎で生まれ育った私は、子供の頃から都会への憧れが強く、大学進学と同時に上京したのだが、就職する頃にはすでに両親も亡くなっており、そのまま東京で暮らすことにしたのだ。
就職してすぐの頃は楽しいことばかりだった。多感な時期の子供たちではあったが、英語に興味を持ち、目を輝かせてくれる。英語が得意な子、苦手な子はいたものの、毎日授業をするのが楽しくて仕方なかった。
就職から3年目には当時会社をしていた夫と結婚し、その翌年には娘の緑が生まれ、まさに順風満帆な日々を送っていたのである。
しかし20年前、私の教師人生に暗雲が立ち込めた。
当時担任を受け持ったクラスに地元議員の娘がいたのだが、彼女を中心としたグループによる悪質ないやがらせが始まったのだ。
彼女たちは私が田舎出身であることを笑い、馬鹿にした。最初はそれほど気にしていなかったのだが、いやがらせは次第にエスカレートしていき、親たちも巻き込んで「英語教師としての実力がないのではないか」と問題になったのである。
当時の校長は私の英語力に問題はないと断言してくれたのだが、それでも彼女たちグループのいやがらせは続いたのだ。
教室の私の机に白い花が飾られ、「早くやめろ」と物を投げつけられる。授業中であってもヤジばかりが飛んできた。
彼女たちが私の何に不満を持っているのかも分からず、苦しい日々が続いたのだ。
担任をやめようかと何度思ったか分からない。それでも彼女たちが卒業するまでの辛抱だと思っていたのである。
3年後、彼女たちは卒業し、私の日常には平和が戻ってきた。しかし4月から新しく担任を受け持ったクラスでは、別の問題が浮上したのだ。
そのクラスの生徒は皆いい子だったのだが、教育熱心な保護者から私が担任であることを疑問視する声が上がった。
「田舎者に子供を任せられない」と、担任を代えろと頻繁に学校にクレームを入れてくる保護者に、私はまた頭を悩ませる日々となったのである。
他の教師たちは気にしなくていいと言ってくれたのだが、クレームは次第にエスカレートしていき、ついには私の自宅にまで文書が送られてくるようになった。
「教師をやめろ」と書かれた紙が毎日のようにポストに投げ込まれ、ありもしない噂が流れ始めたのだ。
「病院免許替玉受験で取得した」「生徒に手を出す淫乱教師」と誹謗中傷され、次第にクラスの生徒までが私のことを避けるようになっていったのである。
そんな日々が続く中、次第に学校に行くことが苦痛となり、私は心を病んでしまったのだ。
教師であることが限界なのかもしれない。漠然とした思考の中で、いつしか私は教師をやめようと考え始めていた。
それでも私は解決方法を模索していたのだ。英語教師になることが子供の頃からの夢だった。せっかく手に入れた夢を自ら手放すことが怖かったのである。
そんな時、夫が声をかけてきた。
「もう教師をやめてもいいんじゃないか。」
夫の言葉に私は驚いた。それまでの夫は「負けたらダメだ」と私を鼓舞することはあっても、決して弱音を吐くなと言い続けてきたのだ。
「実は俺にも夢があってな。故郷の広大な土地を買って農業をやりたいって思ってたんだ。」
夫からそんな話を聞いたのは初めてだった。
「俺と一緒に農業をやってくれないか?これからの農業は海外にも目を向けていかなきゃいけない。君の英語も決して無駄にはならないよ。」
その提案に私の目には涙が浮かんだ。幸いなことに故郷には亡き両親から受け継いだ広大な畑と家がある。
「本当にいいの?」
「おう、もちろんとも。俺の夢を一緒に叶えてくれるか?」
「ええ、もちろん。」
その後、夫は会社を退職し、私の実家のリフォームに乗り出した。私も学校に退職届を提出し、移住の準備を進めたのだ。
そして15年前、この土地で夫と共に農業を始めたのである。
しかし娘の緑は田舎へ引っ越すことを嫌がった。
「どうして田舎に引っ越さなきゃいけないの?」
「お父さんと一緒に農業をやることにしたのよ。」
「そんなの私に関係ないじゃん。私だけでも東京に残りたい。」
緑の気持ちは分からなくはなかったが、まだ13歳の子を一人で置いていくわけにはいかない。私は夫と二人で緑を説得した。田舎の暮らしに慣れたら緑の考えも変わるかもしれない。この時はそんな期待をしていたのだ。
しかし、移住してしばらく経っても緑の気持ちは何ひとつ変わらなかった。都会で生まれ育った娘には田舎の風が合わなかったのかもしれない。
緑は田舎暮らしを嫌い、ことあるごとに東京へ帰りたがった。コンビニまで遠い、学校が古いと文句ばかり言い、近所に住むクラスメイトであっても遊ぼうとしない。このままでは緑は孤立してしまうのではないかと心配になるほどだった。
「緑には緑の人生がある。彼女が何を選ぼうと、僕たちは支えてやることしかできない。」
夫は緑が東京で暮らしたい気持ちを尊重し、東京の大学に進学することを勧めたのだ。
それからというもの、緑は必死に勉強に励み、数年後、受験に合格したのである。
緑が東京に引っ越すことになり、私たちは準備に追われた。
そんな中、夫が倒れたのだ。
あれは深々と雪が降る朝だった。畑を見に行くと出かけたまま、帰ってこない夫を心配して私が様子を見に行くと、そこに夫が倒れていたのである。
慌てて駆け寄ると、夫は苦悶の表情を浮かべたまま息をしていなかった。
すぐに救急車を要請し、救急隊員が夫の心肺蘇生を試みる。しかし病院に到着した後、医師から伝えられたのは夫の死亡宣告だったのだ。急性心筋梗塞だった。
病院のベッドで顔に白い布をかけられ、横たわる夫を見つめながら、私は現実を受け入れられずにいた。朝目覚めた時も夫はいつもと変わらない様子だったのだ。
死亡宣告を聞いても、まだ夫が目覚めるような気がしてならなかった。葬儀の最中もどこか他人事のような気がしてならない。
しかし時間と共に、夫のいない生活が私を悲しみへと引きずり込んでいったのだ。
何もやる気が起きず、私はただ仏壇の前で呆然と毎日を過ごした。緑が東京へ旅立ち、広い家に一人になると、その寂しさは一層増していったのである。
しかしその年の春、夫が育てていた梅の木に実がなったのだ。それまで一度も実をつけたことのない木だっただけに、夫が「頑張れ」と励ましてくれているようだった。
「あなたの夢は私が叶えるわ。」
私は夫と作った農園を守っていくと心に誓ったのである。
それからは目まぐるしい毎日だった。それまで夫と二人で行っていた作業を一人で行うことも大変だったのだが、地域の学校の農業体験を受け入れたり、大学と協力して品種改良にも乗り出したのだ。それでも夫がそばで見守ってくれている気がして、私は充実した日々を過ごしていたのである。
ある日、大学卒業を目前に控えた緑に電話をかけた。一人で頑張っている娘の近況を聞くためだ。
「卒業後はどうするの?」
「お母さんには申し訳ないけど、このまま東京で就職するわ。」
「私のことは気にしなくていいのよ。こっちでのんびりやってるから。」
緑に農業を継いでほしいと思ったことはない。緑には緑の人生がある。夫が言っていたように、私も緑の決断を支えると心に決めていた。
「あなたがやりたいようにやればいいわ。」
緑は大学卒業後、大手イベント企画会社に就職するという。そこでは国際会議や国際交流イベントの運営をしているそうだ。
「時々顔を見に帰るから、無理して倒れないようにね。」
「大丈夫よ。あなたこそ体には気をつけてね。」
私は緑自身が切り開く未来が輝かしいものであることを祈っていたのである。
その年、私は農業法人を立ち上げた。そして夫の夢だった世界に通用する農業を実現すべく、事業を拡大していったのだ。
夫が亡くなってから8年。長いようであっという間に時間は過ぎていった。
ある日、緑から電話がかかってきた。
「結婚することになったの。」
緑は海外駐在帰りの外交官・新藤達也と結婚すると報告してきたのだ。
交際している男性がいるとは聞いていたが、私はまだ会ったことがない。
「とっても素敵な人なのよ。彼の両親も高学歴でね。エリート一家なのよ。」
「それはおめでとう。」
緑の話では、達也の父親は政界を目指しているそうだ。
「それでね、今度顔合わせの食事会を開くことになったんだけど、もちろん来れるよね。」
「ええ、行かせてもらうわ。」
相手の男性がどんな人であろうと、娘が幸せになるのであればそれは喜ばしいことだ。私は仕事の都合をつけ、東京へと向かうことにしたのである。
都内の高級レストランで行われた食事会には、達也と達也の両親が顔を並べていた。
「緑の母です。いつも娘がお世話になっております。」
「こちらこそ。はるばる遠いところ、わざわざありがとうございます。」
達也は高級スーツを身にまとい、爽やかな雰囲気の好青年で、その横に座る両親も威厳に満ち溢れている。
食事会は和やかな雰囲気の中行われ、私は緑が素敵な人に巡り合えたのだと胸を撫で下ろしていた。
しかし、緑が席を外した途端、達也一家の様子が一変したのである。
「田舎で農業をされてるって聞きました。だからそんなに日焼けしているんですか?」
「ええ、一日の大半を外で過ごすので、日焼けは仕方ありません。」
何気ない質問だと思ったのだが、その直後、達也の母が「土臭い」と鼻を抑えたのだ。
「貧乏農家の娘が達也の嫁とは。一体何が良かったんだ?」
達也の父も苦々しく顔を歪ませている。農業をやっているというだけで、私のことを貧乏と決めつけ、露骨に侮辱する達也一家に私は腹が立った。それでも、娘の幸せを壊すわけにはいかないと、その場は堪らえたのである。
それから1ヶ月後、緑が達也を連れて家に帰ってきた。半年後に結婚式を控え、部屋の整理にやってきたのだ。
緑が部屋を片付けている間、達也は家の中を見て回り、時折、まるで汚いものでも見たかのように顔をしかめている。その様子に私は気づかないふりをしていた。
一通り見て回った達也はリビングのソファーに座り、テーブルに置いてあったみかんを食べ始めたのだが、向いた皮を床に投げ捨てたのだ。
「ゴミはそこのゴミ箱に捨ててもらえるかしら。」
「ああ、すみません。ついゴミ屋敷かと思っちゃいました。」
ニヤニヤと笑いながら私を嘲笑う達也に腹が立つ。
「いつまでこんな儲かりもしない農業なんてやるつもりですか?」
「やめる気はないけど。」
「それは親としてどうなんでしょうね。役に立たない畑を売って、娘夫婦にマンションの一つでも買ってやるのが親心ってもんじゃないですか。」
達也は私に畑を売れというのだ。
「この畑は亡き夫との思い出が詰まってるの。絶対に手放さないわ。」
「思い出ね。それが何の足しになるってんですか。田舎者の考えは理解に苦しみますね。」
その後も何度か緑と共に達也がやってきたのだが、その度に彼は私のことを下げたのだ。しかし達也に何と言われようと、私は畑を手放すつもりはない。
私が近所にある直売所で畑で取れた作物を並べていると、一人の女性が声をかけてきた。
「あの、もしかして野間先生じゃないですか?」
その女性の顔には見覚えがあるのだが、誰なのか思い出せない。
「私です、広田萌えです。中学の時にお世話になりました。」
「ああ、あの萌えちゃん。」
萌えは私が教師時代に担任を務めたクラスの生徒だった。私を慕ってくれていた数少ない生徒の一人で、現在も年賀状のやり取りを続けているが、会うのは数年ぶりのことだ。
私は久しぶりの再会が嬉しくて、近くのカフェに入り、萌えと近況を報告し合った。
萌えは大学を卒業後、公務員として働きながら都会で暮らしていたそうだが、心境の変化もあり、近く田舎に引っ越そうと考えているようだ。
「先生はどうされていたんですか?」
「私はずっとここで農業やってきたわ。これからもずっと変わらないと思う。」
萌えは農業に興味があると言い、私の話を熱心に聞いてくれた。
「それでね、今度娘が結婚することになって。」
「お相手はどんな方なんですか?」
「新藤達也って人だけど、見た目は好青年なんだけどね。」
私が達也の名を口にした瞬間、萌えは顔を青ざめさせ、「急用ができた」と言い残し、足早に去っていった。
一体どうしたのかと不思議に思いながら、私は後日改めて連絡してみようと、その時は特に気にしていなかったのである。
数ヶ月後、緑の結婚式当日、萌えが会場であるホテルに姿を表した。
「萌えちゃんも招待されたの?」
「いえ、でもどうしても伝えておきたいことがあって。」
萌えは深刻そうな表情を浮かべている。私はホテルのラウンジで萌えの話を聞いた。
「実は私、先月まで海外に赴任していたんです。そこで達也さんと交際していました。」
「達也さんって、まさか新藤達也のこと?」
「はい。」
萌えの話に私は驚いてしまった。達也と萌えは5年前から交際しており、萌えが海外で交際していたのが事実であれば、達也は二股をかけていたということだ。
「達也とはどうして別れたの?」
「それが…」
萌えの話は衝撃的なものだった。
達也は海外赴任が終了するのと同時に一方的に萌えに別れを告げ、緑との結婚を決めたのだ。
私はいても立ってもいられず、そのまま達也の控室へと向かった。
「二股をかけてたってどういうこと?」
「何を言ってるんですか?酔狂事は酔狂事は寝てから言ってください。」
達也は平然と笑っている。
「緑と交際しながら、萌えとも付き合ってたのね。」
「何の証拠があってそんなこと言ってるんですか?まあ騒いでくれてもいいけど。呆けたばあさんの言うことなんか、誰も聞く耳持たないですよ。」
達也は大きな声で笑い飛ばした。
「今日は大事なお客様が大勢いらしているの。変な噂なんか立てたら、近所を歩けなくするわよ。」
達也の母は「余計なことを言うな」と私を脅してきたのだ。
そこへスタッフが式の開始を告げに来た。達也たちは何食わぬ顔で会場へと向かっていく。私は抑えきれない怒りを感じながら歩き出した。
式は粛々と進み、達也の横で緑が幸せそうに笑っている。その笑顔を見ていると、余計な波風を立てない方がいいのかもしれないと思った。
萌えのことを思うと腹立たしい気持ちになるが、すでに別れているのであれば、緑の結婚生活に支障はないだろう。しかし、本当にこのまま緑を結婚させていいのだろうか。これまでの達也の言動や達也の両親の言葉を思い返すと、結婚後緑が苦労するのではないかと不安にもなる。
一人で考え込んでいると、私のスピーチの順番が回ってきた。緑を祝福したい気持ちは山々だったのだが、私の中では葛藤が鳴り響いていたのだ。
私は迷いながらマイクの前に立った。
そこに達也が近寄ってくる。
「緑のお母様は英語がご堪能だそうで、この機会に是非英語でのスピーチをお願いできませんか?」
達也は不敵な笑みを浮かべ、私を見つめている。どうやら大勢の前で私に恥をかかせたいらしい。
「元英語教師には少し簡単すぎますかね。」
マイクにハードルを上げ、会場の注目を集めた。その直後、達也は私の耳元で囁いたのだ。
「本当は方言しか話せないんでしょ。」
田舎に暮らしているからというだけで他人を見下し嘲笑う達也に、私は怒りを通り越して呆れてしまった。
今日は娘の晴れ舞台。ここを守るのは母の役目。舞台は崩させない。
背筋を伸ばし、マイクを口元へと寄せた。マイクを握り、私が話し始めると、会場からは「なんて流暢な英語なんだ」「素晴らしい」と感嘆の声が漏れた。
スピーチを終えると大きな拍手が湧き起こり、達也は悔しそうに唇を噛みしめていたのだ。
思惑が外れた達也は、さらに私を試そうと、今度は高度なビジネス会話で農業ビジネスの展望について質問してきたのである。
私はこれにも完璧に対応し、達也の質問に全て淀みなく答えたのだ。
その時、会場にいた達也の上司である外務省の局長が声をあげた。
「あなたは野間さんじゃありませんか?いやはや、これは気づきませんでした。」
「あら、局長もいらしてたんですね。」
「ええ、大事な部下の晴れ舞台ですから。まさか野間さんのお嬢様が新婦だったとは。」
局長は恐縮しながら私に頭を下げた。
「局長、緑のお母様をご存知なのですか?」
「この方は我が国の誇りだよ。君は知らないのかね?日本の農業を画期的な方法で世界中に広めている第一人者であり、経営者だよ。」
実は私は最新技術を駆使し、農業の感組化に成功し、その技術を持って海外進出も成功させていたのだ。私の技術を世界中に広めてほしいと、国や政府からアドバイザーとして就任を打診されていたのである。
私の正体を知った達也は顔を青ざめさせた。
「じゃあ、ビジネス会話も…」
「ええ、日々英語で交渉していますし、日常的にプレゼンを行っていますから、これくらい何てことないですよ。」
達也は手を震わせ、激しく動揺している。
「お前はこの人が誰かも分からず、試すような真似をしたのか。」
「いいえ、これにはわけが…」
「バカもお前は日本の恥だ。」
局長は達也が国家にとって重要な人物を侮辱していた事実を知り、激怒したのだ。
「どうしてこんな大事なことを黙っていた?」
達也は怒りの矛先を緑に向けた。そこに達也の両親も駆け寄ってくる。
「達也に恥をかかせるとは、とんだ花嫁だ。」
「こんな屈辱はありえないわ。この結婚式は中止よ。」
達也の両親は結婚式を中止し、費用の全額を緑に負担するように詰め寄った。
自分たちが勝手に私を誤解し、嘲笑っていたというのに、随分と身勝手なことを言うものだと、私はそれまで抑えていた怒りが爆発したのだ。
「達也は緑と交際しながら、別の女性とも交際していたわ。そんな人に大事な娘を任せるわけにはいかない。」
「何を根拠に。そんな話はデタラメだ。」
「いいえ、デタラメなんかじゃないわ。達也が他に交際していたのは、私の大事な教え子の広田萌えよ。」
達也の両親は私の話を遮ろうと「虚言癖」「認知症」と騒ぎ立てている。そこに萌えが乗り込んできた。
「私はここにいる新藤達也と付き合ってました。彼は海外赴任が終わる直前に、私に一方的に別れを告げて、失踪したんです。」
萌えは達也との交際の経緯や、捨てられた時の状況を暴露したのだ。
「根も葉もないことを…!お前を訴えてやる!」
達也は「萌えのことは一切知らない」と大声をあげた。
「あなたみたいな人が外交官だなんて、笑わせないで。」
萌えは冷静にスマホを取り出し、達也との会話の録音を再生したのだ。
「この世の中、学歴が全てだ。6大学以外の大学なんて俺は認めない。ましてや高卒なんてゴミも同然だ。」
その音声に会場中がどよめき始める。
「女は男の世話だけしてればいいんだ。何もできないくせに、何が男女平等だ?」
「田舎に何の魅力がある?世間知らずの田舎者は、大人しく土でもいじっておけばいいんだ。」
次々と流れる耳を疑うような発言に、会場にいた全ての人が達也に冷ややかな視線を送った。
「こんなもの、AIの合成音声だ!」
達也は必死に否定したのだが、会場にいた複数の女性職員たちが立ち上がり、達也の女癖の悪さを暴露したのだ。その中には、達也に無理やり体を触られたと訴える者や、強引にホテルに連れ込まれたという者までいたのである。
「違うんです。僕の話を聞いてください。」
達也は女性たちの訴えでさえも「彼女たちの妄想だ」と否定した。
その様子を黙って見ていた緑が、その場に立ち上がった。顔は下を向いているが、怒りで肩が震えている。
「こんな最低な男。結婚はこっちから願い下げよ。」
緑のその言葉に、達也は我を忘れたように叫び出した。
「田舎娘のくせに、俺たちエリートの人生を壊すな!」
その直後、式に出席していた大物政治家・斎藤が立ち上がった。
「どうやら俺の見込み違いのようだったな。」
斎藤は達也の父の選挙推薦の取り消しを宣告したのである。
達也の父は激しく動揺し、その場を取り繕おうと焦っていたが、斎藤は一切聞き入れず、会場を後にしたのだ。
政界進出を断たれた達也の父は、その原因を作った達也を睨みつけた。
「お前のせいで俺の政界進出がダメになったじゃないか。このバカ息子。」
「達也のせいじゃないわ。あの田舎者が悪いのよ。」
「大体お前の教育がなってないんだ。甘やかしてばかりで、ろくな人間になっとらん。」
達也と両親はその場で互いのことを激しく罵り合い、会場は総然としていた。達也一家の醜態は次第にエスカレートしていき、式場に飾られた美品を壊して回り、しばらくしてホテル側から通報されたようだ。
駆けつけた警察官が暴れる達也たちを取り押さえると、3人は激しく抵抗を見せた。
「俺は誰だと思ってるんだ?」
「私たちはエリート一家なのよ。一回の警察官ごときが触らないで。」
警察官と揉み合っている達也一家の姿は、とてもエリートとは思えない、見苦しいものだ。
「収まりそうもないから、帰りましょうか。」
「そうね。」
呆気に取られた私は、緑と会場を後にしたのである。
その後、達也は外務省の懲戒委員会の調査の対象となり、処分を受けることになった。しかし調査を続ける中で、達也が過去の駐在先で現地で知り合った女性と過剰接触していたことが判明したのだ。
達也のパソコンから送られた過剰メールの解析で、外交伝を外部に送信した痕跡が見つかった。事態を重く見た懲戒委員会は、内部通報にて公安警察外事課に情報提供したそうだ。
この時、達也には駐在先で海外機関に国の機密情報を漏洩させた疑いがかけられていた。
その後、公安による内偵捜査が始まり、あらゆる情報の解析から、達也が現地で関係を持っていた女性が、外国情報機関に所属していたことが判明したのである。どうやら達也はハニートラップに引っかかったようだ。
達也が関係を持った諜報員は、言葉巧みに達也からパスワードを聞き出し、彼のパソコンから機密情報を抜き取ったそうだ。内偵により全ての証拠が揃ったとして、達也は海外情報漏洩させたとして、国家公務員法の守秘義務違反、外国の利益を図る目的の秘密漏洩罪で起訴されたのである。
達也の件はニュースでも大きく取り上げられ、世間の注目を集めた。SNSでは達也の人柄や過去の女性問題などが取り沙汰され、緑との結婚式の動画までもが流れ、非難の声が数多く上がったのだ。
エリート一家は世間から後ろ指を刺される存在となり、外を歩くのもままならなくなった。
刑事裁判が進む中、外務省は記者会見を開き、達也の懲戒免職と公金の停止を発表した。
「国家の安全を守るべき立場の外交官でありながら、国民の信用を損なう事態となり、誠に申し訳ございません。」
局長を始め、達也の上司たちが深々と頭を下げる。
その後の裁判でも、達也は最後まで「相手の女性が諜報員だったことは知らず、恋ではなかった」と主張したものの、外交官という立場にありながら軽率な行動だったと断罪され、実刑判決が下ったのだ。
しかし問題はこれだけで終わらなかった。
このニュースは海外メディアでも大きく取り上げられ、外交的スキャンダルにまで発展したのだ。当時の外務大臣が辞任に追い込まれ、首相が自ら国民に謝罪する事態となったのである。
その後、私はと言うと、政府のバックアップを得て、農業法人はさらなる飛躍を遂げた。元教え子の萌えは私の元でスタッフとして働きながら、地元食材を使った食堂兼カフェをオープンさせたのだ。
店はSNSで大バズリし、連日お客様で賑わっている。
ある日、緑が大きな荷物を抱え、帰ってきた。緑はこれまで田舎を嫌っていたことを謝罪し、こっちに帰ってくるという。
「私もお母さんと一緒に農業をやろうと思うの。」
思っても見なかった娘の言葉に、私は思わず涙が浮かんだ。
その後、緑は農業を一から勉強しながら、スタッフの一人として私を支えてくれている。
夫が残してくれた農園で、娘と一緒に作業しながら、私は幸福感に包まれているのだ。これからもこの畑を守っていこう。私はさらなる発展を果たすべく、今日も足を踏み出すのである。



