あの日、嫁が空港でこう言ったんです。「義母さんだけ置いて帰ってもらえますか?」私は67歳、人生初のハワイ旅行を家族と楽しむはずでした。息子の言葉を信じて200万円を援助し、パスポートも新調したんです。でも、そこには嫁とその母、そして孫たちの笑顔だけがありました。「お金だけ出してくれればいいから、それくらい分かってよ」と息子に言われ、足元には1000円札が投げつけられました。「バイバイ、貧乏ば…

あの日、嫁が空港でこう言ったんです。「義母さんだけ置いて帰ってもらえますか?」私は67歳、人生初のハワイ旅行を家族と楽しむはずでした。息子の言葉を信じて200万円を援助し、パスポートも新調したんです。でも、そこには嫁とその母、そして孫たちの笑顔だけがありました。「お金だけ出してくれればいいから、それくらい分かってよ」と息子に言われ、足元には1000円札が投げつけられました。「バイバイ、貧乏ば...

成田空港の出発ロビルで、私は信じられない言葉を耳にしました。義理の娘の七菜さんが、冷たくこう言い放ったんです。

「義母さんだけ置いて帰ってもらえますか?」

私は藤崎け子、67歳。42年間、看護師として働いてきました。夫を亡くしてからは、女手一つで息子の健太を育ててきたんです。

この日をどれほど楽しみにしていたことか。人生で初めての海外旅行。家族みんなでハワイへ行く。そう聞いて、私は迷わず100万円を援助しました。パスポートも初めて作りました。新しい服も買って、この日を心待ちにしていたんです。

なのに、七菜さんに続いて健太もこう言ったんです。

「悪いけど、今回の旅行、母さんは行けないから。」

「え?どういうこと?私も一緒じゃないの?」私の声が震えます。その横で、七菜さんのお母様である雅代さんが、にっこり笑っているんです。

「私は行きますけどね。」

胸が締めつけられるような感覚が広がっていきます。一体、何が起きているのでしょうか?

思い返せば、私はこれまで家族のために全てを捧げてきました。息子の健太は大学まで出して、今は医療機器メーカーで営業マンとして働いています。42年間の看護師生活で貯めた退職金と貯金。その多くを、私は健太家族のために使ってきたんです。

結婚式に250万円。マンション購入の頭金に400万円、車の購入に200万円。孫の陸と桜の教育費は月6万円を5年間、それだけで360万円になります。それに、孫たちの保育園や学童への送り迎えも週に3回、夕食作りも週に4回。全て無償でやってきたんです。これまで費やしたお金は、気づけば1000万円を超えていました。

でも、雅代さんとは扱いが全く違いました。雅代さんは海運業者の奥様でとても裕福。だから健太夫婦は月に1回、雅代さんを高級レストランに招待しているんです。一方、私はファミレスで、しかも割り勘の会合だって。雅代さんは毎週孫たちに会えているそう。誕生日には雅代さんには15万円のエルメスのバッグをプレゼントしたそうなんです。私の誕生日はと言うと、3000円くらいのお花だけでした。

そんな中で迎えた今回のハワイ旅行。2ヶ月前のことでした。健太が私に相談してきたんです。

「母さん、家族でハワイに行きたいんだ。陸も桜も喜ぶと思うし。でもお金が…」

私は迷わず答えました。

「いいわよ。私も一緒に行ってもいいんでしょう。初めての海外旅行を楽しみにしてるの。」

健太は笑顔でこう言ったんです。

「もちろん、母さんと一緒に行きたいんだ。」

その言葉を信じて、私は200万円を援助しました。67歳にして初めてパスポートも作りました。新しい服も買って、この日をどれほど心待ちにしていたことか。

でも、出発前日に七菜さんから来たのは冷たいメッセージだけ。「明日は10時に空港集合です。」それだけでした。

そして今、空港で突きつけられたこの現実。私は3人に追いすがりました。

「待って。どういうことなの?私も一緒に行ってよ。」

健太が面倒そうに言います。

「母さん、実は最初から3人分しか予約してないんだ。」

「でも、200万円は4人分の旅費として渡したはずよ。」

すると七菜さんが遮るように言いました。

「お母さん、現実を見てもらわないと。あなたと一緒じゃ、私たちが恥ずかしいんですよ。」

その言葉に胸が押しつぶされそうになります。

「顔だってシワだらけだし、ファッションセンスもないし、英語も話せないでしょう。私の母は70歳でも若く見えるし、海外旅行にも慣れてるの。」

雅代さんが余裕の表情で言うんです。七菜さんがさらに追い打ちをかけます。

「それに、お母さん、教養がないじゃないですか。」

健太まで言いました。

「母さんと一緒だと、ハワイのレストランに行った時に恥をかくんだよ。マナーとか分からないでしょ。」

「健太、あなた本当にそう思ってるの?」

健太は目をそらしました。

「しょうがないだろ。七菜だって、自分の母さんの方が一緒にいて楽しいんだよ。」

そして、健太は言ったんです。

「お金だけ出してくれればいいから。それくらい分かってよ。」

周りの人たちが私たちを見ているのが分かりました。

「あの年寄り、置いて行かれるのかしら。かわいそうに。」

「仲間外れにされちゃって。」

そんな声が聞こえてきます。私の目に涙が浮かんできました。すると七菜さんが小声で言うんです。

「あ、泣かないでください。周りに見られて恥ずかしいので。」

健太も冷たく言い放ちます。

「母さん、いい加減にしてよ。もう子供じゃないんだから。」

雅代さんが勝ち誇ったように笑いました。

「あら、お金出したからって一緒に行けると思ったの?世間知らずね。空気読めないんですか?あなたみたいな価値のない老人。誰が一緒に旅行したいと思うのよ。」

さらに衝撃的なことを七菜さんが言い始めました。

「そういえば、陸と桜にも『おばあちゃんは貧乏だから旅行には行かないよ』って話したんです。」

「孫たちにそんなことを…」

健太が平然と答えます。

「だって本当のことだろ。母さんの退職金なんて大したことないし。」

七菜さんが続けます。

「私の母は海運業者の妻だから年金も多いし品があるんですよ。お母さんとは違って。」

雅代さんがにっこり笑いました。

「そうそう。私たち、本当の家族ですものね。お母さんは外の人ですから。」

3人はもう保安検査場に向かおうとしていました。せめて説明を、と思っていると、七菜さんが1000円札を数枚取り出しました。そして、私の足元に投げつけたんです。

「もういいですから。タクシー代、これで足りるでしょう。」

健太が言います。

「じゃあね、母さん。もう連絡しないでよ。静かに暮らしてくれればいいから。」

雅代さんが最後に言いました。

「私たち、本当の家族の邪魔しないでください。これからハワイで素敵な時間を過ごすから。」

3人は笑いながら去っていきます。すると陸と桜が振り返ってこう言ったんです。

「バイバイ。貧乏ばあちゃん。」

私は床に散らばった1000円札を見つめていました。この瞬間、私の中で何かが完全に切れたような気がしたんです。震える手でスマートフォンを取り出しました。いえ、手は震えていませんでした。目は冷たく光っていたように感じます。

さあ、始めましょうか。

私は空港ロビーのベンチに座りました。もう涙は流れていません。冷静にスマートフォンを操作します。旅行予約サイトにログインしたんです。この旅行は、やはり私の名義で予約されていました。それなのに、私だけが置き去りにされる。こんなに不条理なことがあるでしょうか?

さらに画面をスクロールすると、オプション追加の履歴が次々と出てくるではありませんか?高級ホテルへのアップグレードに10万円、スパ予約に15万円、レンタカーの豪華版に8万円、高級レストランの予約に14万円。これらも全て、私のクレジットカードから引き落とし予定になっています。

合計すると245万円。私が必死に働いて貯めたお金。その私のお金を、息子夫婦は何の罪悪感もなく使おうとしていたんです。

ふと七菜さんのSNSを見てみようと思いました。以前、孫の陸と桜の写真を見せてもらうためにアカウントを教えてもらっていたんです。そこに投稿されていた内容に、私は息を飲みました。

3週間前の投稿。「義母説得成功。お金だけ出させて私の母を連れて行くことに。あのボロババアと旅行とか絶対無理(笑)」

心臓がドキドキと音を立てるのが分かります。コメント欄には友人たちからの返信。「天才」「義母様」「老害は金だけ出してろ」そんな言葉がたくさん並んでいるんです。

私はさらにスクロールしました。2週間前の投稿。「義母、まだ自分も行けると思ってるみたい(笑)初めての海外旅行だって浮かれてる。当日まで黙ってよ。」

私が初めてパスポート申請に行った頃です。あの時の私の嬉しそうな顔を、七菜さんは笑っていたんですね。

1週間前の投稿。「空港で置き去りにする計画、完璧。ババアの顔が楽しみ。絶対泣くな(笑)」

新しい服を買って健太に見せた日のことでしょうか。「母さん、その服、旅行に着ていく服?すごく似合うよ。」健太はそう言って笑っていました。あれも全部、演技だったんですね。

そして昨日の投稿。「明日がついに本番。義母の絶望した顔を写真撮ってやろうかな。#育児 #嫁 #義母 #金だけ出せ」

いいね数は247件もついていました。247人もの人が、私の屈辱を楽しみにしていたんです。

全て計画的だったんですね。最初から私を騙すつもりだった。そして、ネタにして笑い物にするつもりだったんです。

手が震えてきました。でも、怒りで震えているのか、悲しみで震えているのか、自分でも分かりません。私は健太とのメッセージ履歴を開きました。

2ヶ月前の健太からのメッセージ。「母さん、家族でハワイ行きたいんだ。陸も桜も喜ぶと思う。でもお金が…」

私はすぐに返信していました。「家族みんなでいいわよ。パートで貯めたお金だけど、家族のためなら200万円、私が出すわ。」

あの時、私はどれほど嬉しかったことか。孫たちと一緒に海外旅行に行ける。そう思うだけで胸がいっぱいになったんです。

健太の返信。「ありがとう、母さん。子供たちといっぱい思い出作ろう。初めての海外旅行、楽しもうね。」

この言葉を何度読み返したことでしょう。

1ヶ月前のメッセージ。「予約完了。母さんの席もちゃんと取ったから。ビジネスクラスにしたよ。」

私は嬉しくて「楽しみね」と返していました。ビジネスクラス。健太は私のことを大切に思ってくれているんだと、そう信じていたんです。

そして1週間前、七菜さんからの冷たいメッセージ。「明日10時空港集合です。」それだけでした。

あの優しい言葉も全部嘘だったんですね。騙してお金だけ奪う計画。それが最初からあったんです。

ふと半年前の出来事を思い出しました。偶然雅代さんと会った時のことです。

「あら、け子さん、まだパートやってるの?大変ね。」

雅代さんは嘲笑うように言いました。私は答えたんです。

「訪問看護は体力いりますが、やりがいがありますよ。」

雅代さんは鼻で笑いました。

「私の主人は海運業ですから、優雅に暮らしてますの。70歳なのにこの若さ。七菜たちには『貧乏な方のおばあちゃんには近づかないように』って言ってあるんです。教育に悪いから。」

あの時、私は何も言えませんでした。ただ「そうですか」と答えるのが精一杯だったんです。今思えば、あの頃から全て計画されていたのかもしれません。私を利用する計画が。

私は深呼吸をしました。スマートフォンの画面を見つめます。そこには「予約キャンセル」というボタンが表示されていました。

67年間、誠実に生きてきたつもりです。42年間、看護師として人の命に寄り添ってきました。夜勤も厭わず、患者さんのために働いてきました。息子のために全てを捧げてきました。美味しいものを食べさせたい。良い教育を受けさせたい。そう思って、自分のことは後回しにしてきたんです。

でも、もう我慢する必要はないんですよね。今度は私の番です。

私の指が、ゆっくりとボタンに向かっていきます。心は不思議なほど静かでした。これが正しい選択なのだと、そう感じていたんです。指がボタンに触れる瞬間、私は小さく微笑んでいたように思います。

指がボタンに触れました。画面が切り替わり、キャンセル手続きの画面が表示されます。私は一つ一つ丁寧に確認していきました。

まずフライトのキャンセル。返金額は178万円。キャンセル料が20万円かかります。次にホテルの5泊分。返金額は9万円でキャンセル料は1万円。レンタカーのキャンセル。返金額7万円、キャンセル料1万円。そしてスパや高級レストランなど、全てのオプションをキャンセルしました。返金額12万円、キャンセル料2万円。総返金額は206万円、キャンセル料の合計は24万円になりました。

画面に表示されます。「キャンセル完了しました。返金は3営業日以内に口座へ振り込まれます。」

206万円、戻ってくるんですね。39万円の勉強代は安いものだと思いました。67年間の人生で学んだ、最も大切な教訓の代金です。

次に、私は証拠を集め始めました。七菜さんのSNS投稿を全てスクリーンショットで保存します。「義母説得成功」「ババア」「老害」そんな言葉が並んだ投稿を、一つ一つ記録していきました。健太とのメッセージ履歴も保存します。旅行代金の振り込み履歴も、スマートフォンで写真を撮りました。クレジットカードの明細も確認して保存しておきます。

証拠は全て揃いました。長年間近くで見てきた私は、記録の大切さをよく知っているんです。カルテの記録、患者さんの状態の記録。全ては証拠になります。それは今回も同じことでした。

私はタブレットを取り出して、弁護士事務所にメールを送りました。「詐欺での相談を希望します。証拠は多数あります。」すぐに返信が来ました。「明日14時に面談可能です。お待ちしております。」

弁護士との相談。これで準備が整いました。でも、私の準備はこれだけではありません。ふと思い出したことがあったんです。健太夫婦のマンション。実は、連帯保証人は私でした。以前、契約書の写真をスマートフォンで撮っていたことを思い出したんです。月15万円の家賃。契約書を確認すると、やはり私の名前がありました。

そして、私はある電話をかけることにしました。健太の会社の人事部長さん。実は40年以上前、私が看護師として働いていた病院で一緒に勤務していた方なんです。今では健太の会社で人事部長をされています。

「もしもし、田中さん?お久しぶりです。藤崎です。」

「け子さん、お久しぶりですね。お元気でしたか?」

「え、元気にしていますよ。実は息子のことで少しご相談が。健太さんのことでですか。どうされたんですか?」

私は深呼吸をしてから話し始めました。

「息子が私のお金を騙し取ったんですよ。」

電話の向こうで田中さんが息を飲む音が聞こえました。

「まさか。でも、それが本当なら大変です。詳しく聞かせていただけますか?」

私は経緯を説明しました。田中さんは静かに聞いてくれました。

「け子さん、それは会社としても看過できない事態かもしれません。お手数ですが、会社での評価に影響することをご理解いただけますでしょうか。」

「わかりました。」

電話を切ってから、私は自分の銀行口座を確認しました。これまでたくさんのお金を援助してきて、貯金はだいぶ減ってしまいました。でも、幸いなことに大きな病気もせず、67歳の今も元気に働けています。体が動く限り、まだまだ働けます。そして3営業日後には、キャンセルした206万円が返金される。

これまで息子家族のために使ってきたお金。これからは、自分のために使います。何より、誰にも縛られない自由が手に入りました。それが何よりも価値があると思えたんです。

私は弁護士にもう一通メールを送りました。健太夫婦のマンションの連帯保証人契約を解除したい、と。それから、孫たちへの教育費、月6万円の停止手続き。夕食作りと保育園の送り迎えも、全て今日で終わりにします。

さあ、始めましょうか。積み上げてきた私の人生を取り戻す時なんです。

私は空港のカフェに入りました。コーヒーを注文して、窓際の席に座ります。温かいコーヒーの香りが心を落ち着かせてくれました。窓の外を見ると、遠くに健太たちの姿が見えました。ここからは、ちょうど保安検査場がよく見えるんです。3人ともまだ笑っています。まさか自分たちの旅行がキャンセルされているなんて、夢にも思っていないんでしょうね。

私は静かに微笑みながら、コーヒーを一口飲みました。そろそろ、気づく頃です。時計を見ます。健太たちが保安検査場に向かう時間。さあ、どうなるでしょうか。

私は窓越に健太たちの様子をこっそりと見ていました。3人は笑顔で保安検査場の係員にパスポートを渡そうとしています。楽しいハワイ旅行が始まると信じて疑っていないんでしょうね。

その時です。係員が何か言っているようでした。健太の表情が変わったのが、遠くからでも分かりました。驚いたような、信じられないような顔をしているんです。七菜さんも慌てて係員に何か言っています。雅代さんは怒っているようにも見えました。3人とも激しく動揺している様子が、ここからでもよくわかります。

そして、健太がスマートフォンを取り出しました。私のスマートフォンが鳴ります。予想通り、健太からの着信でした。私は静かに微笑んで、電話に出ました。

「もしもし。」

「ちょっと、母さん!何してるんだよ!今すぐキャンセルを取り消せ!」

健太の声はパニックに満ちていました。窓の向こうで健太が激しく動いているのが見えます。私は冷静に答えます。

「あら、健太じゃない。どうしたのよ。もう保安検査場かしら?順調じゃないの。」

「順調じゃないよ!母さん、お願いだ。今すぐ予約し直してくれ。」

「え?だって、あなた『義母だけ置いて帰れ』って言ったでしょう。だから旅費は返してもらいましたよ。」

私の声はとても穏やかでした。電話の向こうで七菜さんが叫ぶ声が聞こえます。窓越に見ると、七菜さんが健太から電話を奪ったようです。

「お母さん!ふざけないでください!今すぐ予約し直してください!私たち、ハワイに行くんです!」

七菜さんの声が震えています。遠くからでも、その焦りが伝わってきました。私は優しく答えました。

「あら、七菜さん。老害の私に何を期待してるんですか?」

「何ですって?」

七菜さんの声が裏返ります。窓の向こうで七菜さんが何か叫んでいるのが見えました。

「それに、私はもう『外の人』ですから。本当の家族の旅行に口出しできませんよ。」

「そんなこと言ってる場合じゃ…」

「あなたがそう言ったんですよ。私は『外の人』だって。」

今度は健太が電話を奪い返したようです。窓越に健太が頭を抱えているのが見えました。

「母さん、頼む。後で謝るから。今は本当にお願いだ。」

健太の声は泣きそうになっていました。でも、私の心は動きません。

「謝罪は結構です。それより、楽しい思い出、作れそうですか?」

「母さん!」

「あ、そうだ。ハワイの素敵な写真、SNSに載せるんでしたよね。」

雅代さんが電話を奪ったようです。窓の向こうで雅代さんが激しく怒っているのが見えます。

「け子さん!あなた、何考えてるの?!楽しみにしてたのに!どうしてくれるの?」

私は静かに言いました。

「雅代さん、あなたは私に『お金だけもらっておけばいい』とおっしゃいましたよね。」

「そ、そんなこと言ってないわ!」

「言いましたよ。半年前、偶然お会いした時に。だから、お金は返してもらいました。それだけのことです。」

「け子さん、あなた…!」

「それに、シワだらけで教養のない私では、一緒にいて恥ずかしいんでしょう?」

健太の声が割り込んできました。窓越に見ると、健太が電話を奪い返したようです。

「母さん、聞いてたのか!空港での話を…」

「え、全部。空港で言われたことも、七菜さんのSNSも、全部聞いていましたよ。」

七菜さんの悲鳴のような声が聞こえてきます。

「SNS?!どういうこと?!」

窓の向こうで、七菜さんが真っ青な顔をしているのが見えました。

「『#育児』『#老害』だったかしら?私の絶望した顔を写真に撮る予定だったんですよ。」

「そ、それは…その、冗談で…」

「冗談?247人が『いいね』した冗談ですか?」

七菜さんが言葉に詰まるのが、電話越しにわかります。

「大丈夫。私もスクリーンショット、全部取らせていただきました。証拠としてね。」

健太が慌てて聞いてきます。

「証拠?!母さん、何をする気だ?!まさか…」

「え、明日、弁護士と相談するんです。詐欺罪について。」

「詐欺?!そんな…母さん!」

窓越に健太が絶望的な表情をしているのが見えました。

「あと、健太。あなたの会社の人事部長さん、田中さんにもお話ししましたよ。」

健太の声が裏返ります。

「何?!田中部長に?!」

「え、息子が母親の私からお金を騙し取ったこと。とても真剣に聞いてくださいましたよ。」

電話の向こうで健太が唸るような声を出しました。窓の向こうでも、健太が崩れ落ちそうになっているのが見えます。

「母さん!そんな…!」

「でも、まだ伝えることがあります。それから、マンションの連帯保証人を解除させていただきますからね。」

「母さん、それは困る!そんなことされたら…!」

健太が叫びます。

「『外の人』が連帯保証人というのも、おかしいですものね。」

「母さん、お願いだ!」

「それから、あと。陸君と桜ちゃんの教育費、月6万円。今月から停止します。」

七菜さんが悲鳴のような声をあげました。窓越に見ると、七菜さんが泣き崩れているようでした。

「そんな…!子供たちの習い事、全部できなくなるじゃないですか!」

「貧乏ばあちゃんには、お金がありませんから。」

私は淡々と続けます。

「それと、夕食作りも保育園の送り迎えも、全て今日で終わりです。」

「お母さん!待ってください!老害には…もう無理ですから!」

健太が泣きそうな声で言いました。

「母さん、許してくれ!本当にごめん!」

窓越に、健太が項垂れているのが見えます。

「許す?健太、あなたは私に『もう連絡しないで』と言いましたよね?」

「それは…あの時は…」

「だから、これが最後の連絡です。」

雅代さんが怒りをぶつけてきます。

「け子さん!あなた、本当にこんなことして許されると思ってるの?!」

私は静かに答えました。

「雅代さん、本当の家族でハワイ旅行、楽しんでくださいね。」

「当たり前でしょう!私たちは本当の家族なんだから!」

「あ、でも、飛行機のチケットはありませんでしたね。」

雅代さんが絶句するのが分かりました。電話の向こうで、七菜さんが泣き崩れる声が聞こえてきます。窓越に見ると、七菜さんがその場に座り込んでいました。健太が必死に言います。

「母さん!待ってくれ!今からでもなんとか!お願いだ!俺が悪かった!」

「さようなら。そして、二度と私の前に現れないでください。」

「母さん!」

「誠実に生きてきた私を『お荷物』扱いした報いです。」

そして、私は電話を切りました。窓の向こうで、健太が私の名前を叫んでいるのが見えました。でも、もう声は届きません。

すぐにまた着信が入ります。健太から、七菜さんから、雅代さんから。何度も何度も着信が続きます。窓越に見ると、3人とも必死に電話をかけている様子でした。でも、私はもう出ません。静かに着信拒否の設定をしました。

カフェのウェイトレスさんが声をかけてくれます。

「お客様、お変わりいかがですか?」

私は微笑んで答えました。

「え、お願いします。今日はいい日だから、ゆっくり過ごしますわ。」

温かいコーヒーがまた運ばれてきます。一口飲むと、とても美味しく感じました。窓の外を見ると、健太たちは呆然と立ち尽くしていました。空港の出発案内板には「出発済み」の表示。もちろん、3人は乗っていません。

私はコーヒーを飲み終えて、カフェを出ました。空港の外に出ると、タクシー乗り場がありました。タクシーに乗り込みます。運転手が聞いてきました。

「お客様、どちらまで?」

私は答えました。

「素敵なホテルへ。お願いします。」

「ホテルですか?お泊まりで?」

「え、今日は自分へのご褒美なんです。」

運転手さんが微笑みます。

「それは良いですね。承知しました。」

タクシーが動き出しました。窓の外の景色を見ながら、私は思いました。初めて自分のために生きる。そんな日が来たんですね。

その夜、私は都内の高級ホテルにチェックインしました。

「藤崎様、スイートルームへご案内いたします。」

フロントの方が丁寧に案内してくださいます。部屋に入ると、大きな窓から美しい夜景が広がっていました。東京タワーがキラキラと輝いています。こんな贅沢をしたことはありません。私はルームサービスで夕食を注文しました。美味しそうな料理が運ばれてきます。一人でゆっくりと味わいました。

スマートフォンを見ると、健太からの着信履歴が147件もありました。七菜さんからメッセージも届いています。「お母さん、お願いです。許してください。全部私が悪かったんです。」雅代さんからも。「け子さん、大人なんですから、話し合いましょう。」でも、私は全て無視しました。今更、何を言っても遅いんです。

翌日、私は弁護士事務所を訪れました。弁護士の先生が証拠を丁寧に確認してくださいます。

「藤崎さん、これは明確な詐欺罪が成立する可能性があります。SNSの投稿、メッセージ履歴、お金の流れ。全てが証拠として揃っているそうです。悪質で、しかも計画的です。刑事告訴も可能ですよ。」

でも、私は少し迷いました。実の息子を刑事告訴するというのは…。弁護士の先生は優しく言ってくださいました。

「お気持ちは分かります。では、民事での損害賠償請求はいかがでしょう?」

「それも考えておきます。ただ、もう二度と関わりたくないんです。私には、残りの人生を穏やかに過ごす権利があると思うんです。」

あの日から1週間が経ちました。健太たち家族には、次々と問題が降りかかっていたようです。健太は会社で人事部長に呼び出されたそうです。ボーナスの査定に影響が出ても、見送られました。マンションの管理会社からも連絡があったとか。連帯保証人が解除されたため、保証会社と契約することになり、追加費用が発生したそうです。陸と桜の習い事も、月6万円が払えず、3つのうち2つをやめることになりました。夕食作りや保育園の送り迎えも、全て七菜さんが負担することになり、疲れ切っているようです。雅代さんに頼もうとしても「私は忙しいの」と断られたとか。七菜さんが実家に泣きついても「自業自得でしょ」と冷たく言われたそうです。健太は「俺は取り返しのつかないことをしてしまった」と呟いているそうです。

一方、私の新しい生活はとても充実していました。返金されたお金で、せっかくだから国内旅行を楽しむことにしたんです。京都の高級旅館に泊まりました。温泉にゆっくり浸かり、美味しい懐石料理もいただきました。一人旅の自由さ。誰にも気を使わない幸せ。こんなに心が軽いなんて、思いもしませんでした。旅先で出会った同年代の女性たちとも仲良くなったんです。「やっと自分の人生を生きられるようになった」そう話すと、皆さん共感してくださいました。

訪問看護のパートは少し減らすことにしました。自分の時間をもっと大切にしたいと思ったんです。その時間で、水彩画教室にも通い始めることにしました。それから、読書会にも参加しています。友人たちとの旅行も計画することにしたんです。穏やかで充実した日々が続いています。

それから1ヶ月が経った、ある日のことでした。外出から戻ると、自宅の前に健太が立っていたんです。随分やつれた顔をしていました。疲れ切った様子が、見てすぐに分かったんです。

「母さん…」

健太はその場で土下座をしました。私は、静かに名前を呼びました。

「健太。」

「本当にごめん。俺が全部悪かった。許してくれとは言わない。ただ…謝りたくて。」

私はしばらく黙っていました。そして、聞きました。

「健太、あなたは私に何と言ったか覚えてるの?」

健太はうつむいたまま答えます。

「『外の人』だと…言った。」

「そうよね。だから、『外の人』に謝る必要なんてないの。」

「母さん…」

「母さんは、あなたたちが『本当の家族』で幸せに暮らせることを願っています。さようなら。」

私は健太に背を向けて、家の中に入りました。ドアを閉めると、健太の泣き声が聞こえてきました。でも、私は振り返りませんでした。もう、涙は出ないんですね。

私はリビングで温かいお茶を入れました。窓から差し込む柔らかな光が、部屋を優しく照らしています。テーブルには京都旅行の写真。水彩画教室で描いた作品。それらを見ながら、私は穏やかな笑顔になりました。

ずっと我慢してきたんです。でも、もう我慢する必要はないんです。自分を大切にしてくれない人のために、自分を犠牲にする必要はありません。今、私は本当に自由で幸せです。これが、私の新しい人生の始まりなんです。

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