「お前さ、こんなもの仕入れたって売れやしないよ」
部長の小池はいつものように俺を見下すような目でそう言った。俺は今回も「絶対に売れます」とだけ返した。
結果は予想通り、俺が仕入れた商品はバカ売れした。こんなことが何度も続き、小池は面白くなかったらしい。
俺は加野、30歳の営業マンだ。食品メーカーで地元の食材や地方の名産を仕入れ、デパートやスーパーなどに卸している。物産展などのイベント企画や運営業務もあり、あちこち飛び回ることも多い。
実家は父の入院で家計が傾き、俺は高校を中退せざるを得なかった。最終学歴は中卒。正確には高校中退だが、世間的にはそう呼ばれる。
スーパーや飲食店でアルバイトを掛け持ちしながら、何とか食いつないだ。今の会社に入ったのは5年前。なかなか正社員になれずにいたが、社長が俺の熱意を買ってくれて、営業として採用してくれた。
今までアルバイトしかしてこなかったという負い目があり、俺は必死に頑張った。すると、無駄だと思っていたアルバイト経験が仕事に生きた。現場の声が分かると、仕入れ先にも営業先にも好評だった。先輩たちからも教わり、徐々に営業力を伸ばしていった。
入社1年で営業成績はトップクラスに迫り、2年が経つ頃には常に売上トップを誇っていた。
この仕事でずっと大切にしてきたのは、取引先との関係だ。
ある時、大雨の影響で長年付き合いのある農家の野菜が規格外品ばかりになってしまったことがあった。形が悪いと普通は買い叩かれるか、最悪廃棄になる。
俺は自分で近隣の飲食店を何件も回り、「見た目は悪いが味は同じです。いや、むしろ甘いくらいですよ」と頭を下げ続け、なんとか全量の売り先を作った。
後日、その農家のおじいさんが事務所を訪ねてきてくれた。
「加野君がいてくれなかったら、全部捨てることになってた。本当にありがとう」
おじいさんは目を赤くし、何度も感謝してくれた。
そういう関係を、俺は何件も積み上げてきた。
俺がこうやってやってこられたのは、同僚の追川の存在も大きい。追川は高校を卒業してすぐにうちの会社に入ったそうだ。俺のような現場に出る営業とは違い、商品のリサーチなどを担当している。
俺が入社してすぐ、会議室の場所が分からずうろうろしていたところ、声をかけてくれたのが追川だった。その後、同い年だと知り、今ではよく2人で飲みに行く仲だ。
最近では飲みの席での話題は会社の愚痴ばかり。
俺の上司の小池部長は、有名大学卒のエリートらしく、俺の学歴をよく馬鹿にしてくる。アルバイトをしていた時にも何度も学歴で馬鹿にされてきたが、自称エリートもそんなことをするのかと冷めた目で見ていた。
小池は現場を知らないし、現場の声を聞かない。はっきり言って無理な発注も多い。それに、現場から慕われる俺のことを目の敵にしていて、俺が仕入れたいという商品に対して「絶対に売れないからやめろ」と言ってくるのだ。
俺は別に上司に反抗したいわけじゃない。小池が売れない根拠を提示してくれればもちろん従う。だが小池は「中卒の言うことなんて聞けるか」と人間的に馬鹿にしてくるだけだ。俺は絶対に売れる確信があるので、無理やり仕入れて何度もその商品を完売にしてきた。ただ、俺の「絶対に売れる」という確信も現場の感覚なので、根拠をしっかり説明できないことも多い。小池にはこれも気に入らないようだ。
最近、俺にとっての救世主が現れた。経理を担当している派遣社員の井上さんだ。井上さんは俺より少し年下の女性で、見た目はちょっとキツそうな人なのだが、話してみると気さくで頭の回転が速い人だった。
この井上さんが俺の仕入れたい商品を分析してくれて、アピールポイントを探してくれるので、小池も俺の提案を否定しづらくなっている。
営業の同僚の中には出世のために小池に従う者もいるし、無関心な者もいる。まあ、自分の売上に必死な奴ばかりだから、決して雰囲気がいいとは言えない。この辺りはこの会社の嫌なところだと前から思っている。
小池と衝突するたびに、俺はよく窓の外をぼんやりと眺めることがあった。向いの古びた空き店舗だ。ずっと借り手がつかずボロボロのまま放置されているあの建物が、なぜか気になっていた。
そんなある日、何の前触れもなく小池に呼び出された。会議室のドアを開けると井上さんもいる。小池の姿がなかったので、「井上さん、部長の話って何だか知ってます?」と聞くと、井上さんは首をかしげた。
「分かりません。ただ会議室に来て欲しいと言われただけなんです」
しばらく2人で首をかしげていると、ようやく小池がやってくる。自分だけドカッと椅子に腰かけると、俺に向かって言った。
「お前さ、いつまでうちの会社にいんの?」
なんだか機嫌が悪そうだ。
「え?」と聞き返すと、小池はため息をついた。
「お前、中卒だろ?部下に中卒がいるっていうのは、エリートの俺の経歴に傷をつけてるんだよな。そういうの分かんないわけ?」
あまりに突拍子もない話に、俺は口を開けたまま固まった。小池は続ける。
「俺はなんでこんな会社で初めて見たんだよ。この世の中にそんな人種がいるとは思ってなくてな。そんな中卒がエリートの俺と同じ会社にいるなんて許せないだろう」と笑い始めた。
いつもの俺をバカにする顔だ。そういえば午前中に会議があったな。そこで何か気に触ることを言われたのかもしれない。それで俺たちに八当たりしているのだろう。
小池は次に井上さんに向かって言った。
「あんたもいちいち俺につっかかってくるんだよな。派遣の分際で面倒な女だ」
俺はそのひどい言葉に思わず反論する。
「部長、そんな言い方ないでしょ」
小池は俺の言葉を無視して、「昨日も細かい数字が間違ってるとか、分析データが間違ってるとか、個人みたいに言ってきてよ」と愚痴を言う。井上さんは何か言いたそうだったが、言葉を飲み込んでいるようだ。
俺は即座に反論した。
「井上さんは業務でやってるだけじゃないですか?別に部長を落とし入れようとか、そんな理由じゃないでしょ。それにデータが間違ってたら、最終的に困るのは部長じゃないですか」
すると小池は笑い出した。
「男に意見してくる女が俺は嫌いなんだよ。それに中卒なんていう底辺の無能も嫌いだ。女が下だなんて、俺のプライドが許さない。そしてお前たち無能はクビだ」
「は?」俺と井上さんは同時に声を出した。
小池は俺たちに向かって、すぐに退社しろと言った。
ああ、そうかよ。俺の力が必要ないというのなら、こんな上司に尻尾を振ってまで働く気にはなれない。俺を必要としてくれるところに行った方が全然マシだ。
「では、今日でやめます」
そう言って俺は答えた。井上さんは瞬時に「え?」と驚いた顔で俺を見る。
小池はニヤリと笑い「じゃあ、これに名前を書け。退職届を作ってやる。なんて俺って親切だろ。あんたもだ」と、俺と井上さんに記入済みの退職届を渡してきた。
井上さんが「あの、でも私は」と戸惑っている。その様子に気づかず、小池は「さっさと受け取れ」と強い口調で言った。
俺は横から「部長、井上さんは派遣社員ですよ」と言うと、井上さんも続けて「え、ですから契約解除は派遣元にしていただかないと」と言った。
小池は自分の間違いにようやく気づいたようだが、それを隠すように「そんなことは分かってる。今すぐ派遣会社に連絡してやるよ」と言って出ていった。
取り残された俺は井上さんに言った。
「あの、なんかすみません。巻き添えにしてしまったみたいで」
井上さんは首を横に振る。
「いえ、実は私もうすぐ契約の更新時期なんです。仕事は嫌いではないんですけど、部長の人間性はどうも好きになれず、派遣先を変えてもらおうかと相談していたところなんですよね」
その言葉を聞いて少しほっとした。すると井上さんから言われた。
「とはいえ、加野さんの営業センスは素晴らしいですし、今後も何か情報交換できたら嬉しいです」
そう言って連絡先を聞かれた。断る理由もないので、俺は井上さんと連絡先を交換した。
自分のデスクに戻ると、小池に渡された退職届に名前を書き、「お世話になりました」と小池に突きつけて、デスク回りを片付けた。
その夜、俺は追川を呼び出し、一部始終を話した。
「はあ?なんだよ、それ」と驚かれる。
「でもさ、あの部長の相手も疲れたし、ちょうどいいよ」と俺は少し強がった。
追川は「やめてどうすんの?」と心配そうにしていた。追川はブツブツ言いながら何か考えているようだったが、しばらくして言い出した。
「分かったぞ。お前、起業しろよ」
「はあ?」と小池に言った時よりも大きな声が出る。
そこへ井上さんから連絡が来た。話がしたいというので、近くの居酒屋で飲んでいることを伝え、来てもらうことにした。井上さんはすぐに到着し合流した。追川とは顔見知り程度だったそうだが、なんだか気が合っている。
そして追川が言った。
「で、さっきの話に戻るぞ。お前の営業センスは誰にも負けないし、地元農家や企業なんかと随分深い関係性を築いてきただろう。お前がいなくなれば、今契約している農家や中小企業はほとんどがいずれ契約をやめる。お前のように濃密な関係を、今の営業部の人間は作れないからだ」
なるほど。井上さんは妙に納得した顔で言う。
「そこで、今まで関係を築いてきた農家さんや企業を中心に、新たに立ち上げた会社で契約をするということですね」
追川は大きく頷く。俺は「そんな簡単に言うなよ」と言ったが、正直心はかなり動いていた。もしそれが成功すれば、小池のことも見返してやれると思ったからだ。
俺が悩んでいると、井上さんが言ってきた。
「それ、私にも手伝わせてもらえませんか」
どうやら先ほど井上さんは自分の派遣会社に連絡し、今日の経緯を説明したところ、担当営業がブチ切れて即座に派遣契約を解除したそうだ。
「私、次の派遣先が決まるまで無職なんですけど、なんならそのまま加野さんの元で働きますので、お手伝いさせてください」
と妙に前のめりだ。井上さんは少し真剣な顔になっていった。
「加野さんが農家の人たちのために頭を下げて動いているのを、ずっと横で見ていたんです。この人とずっと仕事がしたい。そう思っていました」
でも、うまくいく保証なんてないのに、井上さんを巻き込むわけにはいかない。俺は少し不安になる。
すると追川が俺の背中を叩いた。
「始める前から弱気かよ。俺はまだ会社があるから今すぐは動けないが、できる限り外からサポートする。あとはお前と井上さんで走れ。絶対うまくいく。お前のいないあの会社はつまんねえよ。それに、俺だっていつまでもあそこにいるつもりはないからな」
追川はそう言ってニヤリと笑った。
翌日から、俺と井上さんの2人で作戦会議を始めた。井上さんは一晩で集めたとは思えないほど膨大な資料を準備している。
「あれ?一晩で?」と俺が驚くと、井上さんは「こういうの得意なので」と普通の顔をしていた。
話し合いは進み、まずは1店舗構えようと結論が出る。すると井上さんが言った。
「場所なんですが、ここがいいと思うんですよ」とニヤリと笑う。
俺はその地図を見て「え?」と驚いた。なんと井上さんが見つけてきたのは、俺たちの会社の目の前。あのずっと気になっていたボロボロの空き店舗だ。
「これ、中を綺麗にしたらかなりの初期費用がかかるんじゃ…」と俺は不安を口にする。
「ほら来た」とばかりに井上さんは言った。
「ご心配には及びません」
実は井上さん、以前地元のリフォーム会社に事務として派遣されていたことがあり、その時のコネで格安で改装をしてくれるという。
「見るからにボロボロだった空き店舗を素敵に改装したとなれば、どこの業者がやったのか気になる人もいるはず。このリフォーム会社の宣伝をして欲しいというのが条件です。地元の企業同士、WIN-WINの関係でどうですか?」
テキパキとした井上さんの説明に、「お任せします」と承諾したのは言うまでもない。
こうして俺と井上さんの2人は、新しい店舗の出店に向けて走り出した。追川は有給を使いながら外から情報を集めては、こまめに連絡をよこしてくれた。頼もしいなと思いながら俺は準備を進めた。
それから3ヶ月後、ついに俺たちの店がオープンする当日の朝。見慣れた顔がひょっこり現れた。追川だ。
「退職届、叩きつけてきたぜ。有給も全部消化したし。今日からここで働かせろ」
「はあ?お前、急すぎるだろ」
「お前のいない会社なんてつまんねえよ。それに、実はずっと独立を考えてたんだ。タイミングが来たってことだろ」
そう言って追川はエプロンを手に取り、当然のような顔で品出しを始めた。俺は呆れながらも、なんだか胸が熱くなった。
俺たちはこの店をアンテナショップ兼事務所として構える。一般のお客さんに直売しつつ、それを見た周辺の飲食店やスーパーのバイヤーにもアピールする作戦だ。目玉は地元農家の新鮮野菜。それに俺が今まで付き合いのあった地元のパン屋さんも協力してくれ、人気のパンを仕入れることができた。
パン屋さんは言ってくれた。
「加野君がいなくなったらあの会社はダメだ。単価を下げろと無茶を言ってきたから、俺はその態度にムカついて契約を切ったんだ。そこに加野君が新しく店を出すって言うんだから、そりゃ喜んで協力するよ」
農家の人たちもみんな同じようなことを言ってくれ、俺は少し心が晴れた。
事前に地元市やSNSで宣伝した甲斐があり、オープンから大盛況。俺たちも現場に入り忙しく働いた。
向いの会社から、何事かという顔で出てきた小池が人並みの中で俺を見つけた。最初は腕を組んで静かにこちらを眺めていたが、やがてゆっくりと店の中へ入ってきた。
「おい、何やってんだ?」
抑えた声だったが、周りの客が振り向く。俺は頭を下げながら言った。
「あれ?向いの会社の、僕の元上司じゃないですか?ご挨拶が遅れてすみません。あなたに散々馬鹿にされた中卒の僕ですが、こうして店を構えることができました」
そう言うと、びっくりしていたお客さんたちがひそひそと話し出す。
「元上司が怒鳴り込んできたの?」
「いやあね。学歴コンプレックスかしら」
なんて声が聞こえる。小池はそわそわし始めた。
そこへ品出しをしていた追川がやってきて言った。
「おや、部長じゃないですか」
「お前まで…やめて。なんでここに?」と小池が言うと、追川は笑った。
「営業トップの俺をクビにして、何がしたかったんですか?」
俺は続けて言った。
「契約していた農家さんたちに仕入れ単価を下げろと無茶を言ったらしいじゃないですか。生計を失いかけた農家さんたちのためにも、僕はこの店を立ち上げたんです」
するとお客さんの1人が「あら、そうだったの?ここは野菜も品揃えがいいわね」と言うと、別の客が小池に向かって言った。
「あなたのところ、最近すごく値段上がってるわよね。主婦は金額も覚えてるんだから、舐めたらダメよ」と言って笑った。
小池の顔が赤くなっていく。
「うるさい。気に入らなければ買わなきゃいいんだ」
客に向かって叫んだ瞬間、場がざわめいた。
「ひどいわね」
俺は静かに言った。
「小池部長、いい加減にしてください。ここは僕たちの店で、僕たちはもうあなたの部下ではありません。お客様目線になれない自称エリートのあなたは、人を動かすのには向いていないんでしょうね」
レジの方から井上さんが冷たい目線を送りながら言った。
「小池部長、これ以上は営業妨害で通報しますが」
「お前まで…」
俺は小池の腕を静かに取り、ドアの外へ誘導した。
「お引き取りを」
一言だけ言うと、小池は俺を睨みつけ、黙って会社へ戻っていった。
数日後、元同僚が昼食を買いにやってきた。
「加野がやめてから売上だ下がりだよ。部長も今まで以上に理不尽だし、みんな転職考えてるよ。大口の取引先も契約を見直すって動いてるって噂だよ」
それからだんだん、見知った顔が前を通ることが減っていった。退職する人間が続出しているようだ。小池はこちらを睨みつけてくるが、俺たちはにこやかにその視線を見送っている。
そのうち小池がどんどん痩せていった。
「追川が相当追い詰められてるな」と言うと、井上さんが冷たく分析した。
「私のデータ解析では、あの会社もって今年中ですね」
「ま、俺たちは俺たちのことを考えよう」
「じゃあ、新しい農家さんに挨拶に行ってくるわ」
出がけに俺はふと向いのビルをちらりと見た。あそこに毎朝通い続けた5年間も、全部今の糧になっている。
そう思えると、清々しい気持ちで一歩を踏み出せた。
やっぱりこの仕事は天職だ。これからも地元の人たちの懸け橋になれるよう、精一杯頑張っていこうと思う。



