結婚式の最中、元彼の新郎が突然マイクを握り、私に「お前は余興担当な。ドイツ語でスピーチしろ」と命令してきた。高卒の私を嘲笑うために、その場で恥をかかせるつもりだったのだろう。会場の百人の医者が一斉に私を見つめる。彼は「どうせ無理だろ」と不敵な笑みを浮かべていた。でも、彼は一つ忘れている。私はフリーランスの翻訳家だ。私はマイクの前に立ち、大きく息を吸った。その瞬間、会場の空気が変わった。彼の顔…

結婚式の最中、元彼の新郎が突然マイクを握り、私に「お前は余興担当な。ドイツ語でスピーチしろ」と命令してきた。高卒の私を嘲笑うために、その場で恥をかかせるつもりだったのだろう。会場の百人の医者が一斉に私を見つめる。彼は「どうせ無理だろ」と不敵な笑みを浮かべていた。でも、彼は一つ忘れている。私はフリーランスの翻訳家だ。私はマイクの前に立ち、大きく息を吸った。その瞬間、会場の空気が変わった。彼の顔...

「お前は余興担当な。ドイツ語でスピーチしろ。」

突然の命令に、私は息を飲んだ。事前に打診など一切なく、当然準備も何もない。私は慌てて新婦の方を見た。彼女も困惑した顔をしている。会場内で総司を止める者は誰もおらず、全員の視線が私に注がれていた。

普段から私の悪口を聞かされているのだろう。中には口元に手を当てて笑っている者もいて、気分が悪くなった。余興を断ることもできた。しかし、そんな行動を取れば総司の思う壺だ。高卒だし無理だと言い、参列者と共に嘲笑する。彼はそういう人物だ。

私は意を決して立ち上がり、新郎新婦の横に設置されたマイクの前へ移動した。会場中の視線が集まる。現実を受け入れた瞬間、なぜか緊張感が消えた。同時に妙な闘志が湧いてくる。相変わらず総司は不適な笑みを浮かべている。

こいつ、終わったな。

そう思い、私は大きく息を吸った。次の瞬間、会場にいた百人の医者が震え出した。

私の名前は前川。三十二歳。フリーランスの翻訳家として活動している。高校卒業後、就職を機に実家を出て一人暮らしを始めた。結婚願望はなく、独身だ。パソコンや本と向き合う日々にストレスを感じることも多い。

そんな私の心の支えになってくれていたのは、三十二歳の親友・柳本咲野だ。咲野とは小学生の頃に知り合い、二十年以上の付き合いになる。喧嘩もしたが、素を見せられる数少ない人物だ。

彼女には婚約者がいる。相手の名前は平崎総司。三十三歳の医者で、私の元彼だ。彼とは高校一年生の頃から約三年間交際を続けた。当時は恋愛に興味がなく、彼氏が欲しいとは思っていなかったが、夏の学園祭で総司にアプローチされ、人生経験の一つとして付き合ってみることにした。

意外と恋人がいる生活は楽しかった。一緒に下校し、たまにファミレスやコンビニへ行く。休日は遊びに出かけたり、どちらかの家で映画を見たりした。連絡も毎日欠かさず仲を深めた。私と総司の恋を一番近くで応援してくれたのは咲野だ。彼女は高校もクラスも同じだった。

「前川と総司ってお似合いだよ。私ずっと応援してるから。結婚式呼んでね」

「結婚か?まだ学生だし想像つかないけど、ありがとう」

素直な気持ちを伝えれば、彼女は頷いた。だが私には一つ悩みがあった。周りから見て総司と私は釣り合っていないのではないかというものだ。彼は医療従事者の家庭に生まれ、将来は父が経営する病院を継ぐために医者になるとのこと。反対に私の両親は一般的な会社員だ。もし結婚となれば、好きという感情だけでは済まないことも出てくるだろう。彼の親戚や友人、病院関係者に陰口を言われる可能性もある。

総司に交際についての相談はできなかった。高校二年生の冬、咲野と一緒に遊んだ際に何気なく聞いてみた。彼女は恋愛経験が豊富だ。アドバイスがもらえるはずだと思った。

「私って総司と付き合っていいのかな?」

「急にどうしたの?喧嘩した?」

抱えていた不安を伝えると、咲野は笑顔で言った。

「大丈夫だよ。もし前川に何かあっても守ってくれるはず。総司は大事な彼女を見捨てるような人じゃないわ」

嬉しそうな咲野に疑問を抱いた。なぜ私の悩みを聞いて笑っているのだろう。

「嬉しそうだね」

「昔から彼氏はいらないって言い続けてた前川に彼氏ができたんだもの。将来のことが心配で私に相談してくるし、嬉しいに決まってるじゃない」

私は彼女の発言に安心した。だが、彼女は続けた。

「でも、もし総司が私たちが思ってるような優しい人とは違うって分かったら、すぐに別れた方がいいかも。入れ込んじゃったら離婚するのも一筋縄ではいかないって聞いたし」

「分かった。気をつけるね」

彼女の助言を聞き、心が軽くなった。それから私は総司との接し方について深く考える機会はなくなった。等身大の自分をぶつけた方がいいという結論を出したのだ。彼も徐々に素を見せてくれるようになった。

しかし、一人になった時、余計なことが頭をよぎる。総司と別れた方がいい。いつか振られてしまうかもしれない。一番頻繁に浮かんでくるのは、私より咲野の方が総司とお似合いなのではないかという考えだ。咲野の父は有名な製薬会社の社長で、母はそこに勤めている。彼女も将来父の後を継ぐため大学へ進学する予定だ。医療関係の両親を持つ二人が交際を始めれば、祝福する人は多いはずだ。だが、この話を咲野にすれば叱られるのは分かっていた。

約一年後、私は高校卒業後に就職。咲野と総司はそれぞれ進学した。私と反対に彼女たちは一人暮らしを始めたらしく、会える機会は減ってしまったが、頻繁に連絡を取るように心がけた。特に咲野とはよく電話をしており、仕事で疲れた体を癒やしてくれた。

新しい生活を始めて半年が経った頃、咲野が電話越しに聞いてきた。

「総司とは最近どうなの?全然あいつの話を聞かせてくれなくなったでしょう。喧嘩でもしたのかと思って」

「お互い忙しくてなかなか連絡を取れないだけだよ」

「それならいいんだけど」

彼女は何かを言いたげな様子だった。話題を変えて咲野の近況を聞くと、彼女は明るく答えた。一時間ほど話して電話を切った。スマホに表示された彼女の名前を見て微笑んだ。

翌日、目が覚めたのは十時。通知を確認すると、総司から返信があった。慌てて開くと、そこには「元気」の二文字だけが書かれていた。三週間ほど連絡をしてこなかったのに、謝罪の一言もない。私は不機嫌になりながらも、何気ない話題を送った。しかし返事が来たのは一週間後で、内容もそっけないものだった。総司は私に飽きたのか忙しいのか。真相を知りたくても、率直に聞けるほど精神的にも強くなかった。私は日々悩むこととなった。

一人では抱えきれず、咲野に相談する機会も増えた。彼女は毎回真剣に話を聞いてくれ、心の支えになった。

「ずっとメッセージ読んでくれないの。やっぱり悲しいわ」

「医学部だし忙しいんだろうけどね。恋人がいるんだったら放っておくのは違うと思うわ」

「今度勇気を出して、総司に私との関係をどうしたいのか聞いてみようかな」

総司とうまく連絡が取れなくなって半年が経過しようとしていた。高校生の頃は将来について考えていたものの、このまま恋人を続けるのは難しいのではと考えるようになっていた。

一週間後、私は総司に電話をした。土曜日の二十時頃だ。家にいる確率が高い。しかし彼は出なかった。話したいことがあるとメッセージを残し電話を待つ。二時間後、着信音が耳に入った。画面には総司の名前が表示されていた。

「もしもし。電話かけてきてくれてありがとう」

「要件は何だ?」

声が暗くて驚いた。私が知っている彼の声ではない。

「最近なかなか連絡取れてなかったでしょう。久しぶりに話したいなと思って」

「ああ、そういえば」

彼は面倒そうにため息をついた。私は近況を聞くと、彼は自炊はせず学食かコンビニの弁当で済ませていること、休日は寝ていることを話した。

「医学部って大変だね」

「まあな。父さんたちの後を継がないとダメだから、留年せずに卒業したい」

真面目な部分は何も変わっておらず安心した。私も会社での出来事や咲野とのやり取りを話した。彼は時折相槌を打ってくれただけで喜びを感じた。十分ほど話して電話を切った。

ところが、社会人になり一年が経った頃、私の生活は大きく変わることになった。同時期に総司と咲野と完全に連絡が取れなくなってしまったのだ。こちらがいくら電話やメッセージを送っても反応はゼロ。私は二人の気に触ることをしたのかと不安になり、何回も履歴を確認するが、普通の会話をしていただけだった。徐々に、二人は私が嫌いだったのだろうという妄想を抱くようになった。親や同僚に相談しても理由は見つからず、落ち込むばかりの日々が半年続いた。私は前を向いて生活することを決めた。

ある金曜日の夜、アパートのベッドでスマホを見ていると、総司からのメッセージ通知が届いた。心臓が跳ねた。内容は「電話できるか」という短いものだった。承諾を送れば数秒後には着信が入った。

「久しぶりだな。急に電話してごめん」

「それで用事って何かな?」

私は臆しながら要件を聞いた。総司は淡々と話した。

「別れてほしい」

時が止まった感覚に陥った。息ができなければ言葉も発せられなかった。彼はこちらを気遣うことなく理由を続ける。

「将来のことを考えたんだ。遠距離になって連絡もまともに取らなくなったし、デートもしてないだろう。このまま付き合っていても意味があるのかと思って」

「あなたが連絡を返さなかっただけでしょう」

「そうか。でも交際を続けるつもりはないよ。俺もお前もまだ二十歳になる前だ。別れるなら早い方がいい」

気づけば通話は終わっていた。交際を始めてからの数年間を返してほしい、身勝手に別れを決めるななど様々な感情が溢れてきた。しかし不思議と涙は出てこない。冷静になり、スマホで彼とのメッセージを見返す。散々無視され続けてきた記憶が蘇った。彼のために嫌な気持ちになる必要はあるのだろうか。そう思うと前を向けた。翌日にはすっかり元気になっていた。破局を咲野に報告するか悩んだが、何もリアクションはもらえないだろう。連絡が来た際に話そうと考えた。

約十一年後、私は三十一歳になっていた。実家を出て一人暮らしを始め、仕事も転職し、フリーランスの翻訳家になった。

ある日、仕事が一区切りついてスマホを見ると、咲野からメッセージが届いていた。「時間ができたら電話してほしい」というものだった。私はすぐに通話をかけた。

「もしもし、咲野?どうしたの?久しぶりだね」

「ごめん。急に連絡できなくなっちゃって。怒ってるよね」

「そんなわけないよ。心配はしたけど」

彼女はホッと息をついた。

「今度、会えるかな?」

大学卒業後に実家へ戻ってきたのだという。私は彼女を家に招待した。

二週間後、咲野の実家まで迎えに行った。彼女は待っていてくれたが、痩せており、一瞬別人かと感じるほどだった。車に乗せ、家へ向かう間も、彼女は話しかけてもボソボソと答えるばかり。この数年で何か人生を変える出来事があったのは明白だった。

部屋へ案内し、コーヒーを出す。世間話で少しずつ緊張をほぐし、三十分ほど経った頃、私は尋ねた。

「会いたいって言ってくれた理由を教えてくれるかな?」

咲野は緊張した面持ちで私を見て口を開いた。

「私、結婚することになったの」

「え?」

「でも相手がね、前川に黙って結婚するのは違うと思って」

嫌な予感がした。私は恐る恐る尋ねた。

「誰かな?総司なの?」

予想通りだった。

「親が勝手に決めたの。私の家は製薬会社で、総司の家は病院を経営しているでしょう。政略結婚みたいな感じでね」

「そういうことか。だから二人とも連絡を絶ったんだね」

「あまり連絡するなって親に言われてね。前川は総司の彼女だったし、関係を絶ちたかったのかもしれない」

咲野は大学生の頃、将来を約束した相手がいたが、父に乗り込んで別れろと言われたことも話した。周りの大人は彼女を会社を成長させるための駒として見ているように感じた。

「私に何かできることはある?」

そう聞くと、咲野は驚き、少し考えて言った。

「私と遊んでほしいな。あと、たくさん連絡したい」

私は心が痛んだ。今まで自由を許されない環境で過ごしてきたのだろう。私は快諾し、連絡をくれるよう伝えた。緊張が解けた私たちは、以前のようにくだらない話で笑い合った。

その中で私はある提案をした。

「結婚式ってやるんだよね?呼んでよ」

「気まずくない?」

「全然。付き合ってたのは何年も前の話だし、今、総司がどうなってるのか知りたいの」

咲野は少し考えた後、頷いてくれた。

一週間後、総司からメッセージが届いた。別れた後にアカウントを消したのに、どうやって見つけたのだろう。彼は結婚の報告をしたかったらしい。私は「知ってる」と送ると、すぐに電話がかかってきた。

「結婚の相手も知ってるわ」

「なんだよ、つまらないな」

昔よりも意地悪くなっている気がした。

「お前には関係ない。俺にも色々あるんだよ」

「あなたと結婚する咲野がかわいそう。あの子、大人しくなったでしょ。あなたのせい?」

「俺好みにしただけだ。嫁になるんだから、そのくらいしないとな」

私は総司に咲野のことを話し、結婚式に参列したいと言った。

「いいの?私、行きたいと思ってたんだ。咲野の花嫁姿は見届けなくちゃね」

「え?お、お前、本当に来る気なのか?」

自分で提案しておきながら戸惑っている。私は住所を送った。

後日、咲野から電話があった。結婚式は総司たちが全て決めていること、情報がゼロで怖いことを話してくれた。

「咲野は一人じゃないわ。何かあったら私の家に来ていい?住所も教えたでしょ?」

電話越しに咲野の涙が聞こえた。それから私たちは他愛のない話をして、通話を終えた。

それから総司はしつこく連絡してくるようになった。「お前は一生結婚できない高卒の底辺社員だ」など、見下すようなメッセージを送ってくる。私は適当にあしらい続けた。半年後、結婚式の招待状が届いた。私は三日後には出席の返事を出した。

結婚式当日。ロビーで見渡すと、医者や製薬会社の関係者ばかりで、私の知り合いは誰もいなかった。私は一人になれる場所を探し、静かな広場の椅子に座った。

式が始まり、披露宴へ。私の席は新郎新婦からかなり離れた場所だった。乾杯の後、スピーチや紹介が終わり、余興の時間になった。誰が披露するのだろうと楽しみにしていると、総司が立ち上がり、マイクを持った。

「おい、前川」

急に名前を呼ばれ、すぐに反応できなかった。彼は腹を立てながら再び私の名前を呼ぶ。

「聞いてるのか?前川、お前だよ」

「え?わ、私?」

「お前しかいないだろう」

次の瞬間、衝撃的な命令が下された。

「お前は余興な。ドイツ語でスピーチしろ」

自然に打診はされておらず、当然用意も何もない。咲野の方を見ると、彼女も困惑していた。会場の中で総司を止める者は誰もおらず、皆、こちらに期待の視線を注ぐばかり。中には口元に手を当てて笑っている者もいた。断ることもできた。しかし、そんな行動を取れば総司の思う壺だ。「高卒だし無理だ」と言い、参列者と共に嘲笑する。彼はそういう人物だ。

私は意を決して立ち上がり、マイクの前へ移動した。場内全員の視線が集まる。現実を受け入れた瞬間、なぜか緊張感がなくなった。同時に妙な闘志が湧いてくる。相変わらず総司は不適な笑みを浮かべている。

こいつ、終わったな。

そう思い、私は大きく息を吸った。次の瞬間、会場にいた百人の医者が震え出した。

私はドイツ語で軽い自己紹介と新郎新婦への祝福の言葉を話した。仕事柄、書く機会が多いが習得している語学なのだ。

これで満足してしばらくすると、総司はキレた。

「はあ。なんでお前がドイツ語を話せるんだよ」

「あなたって、私が何の仕事をしているか知らないでしょう」

「高卒で会社員やってるんだよな。しょぼい学歴だから昇進できずに平社員なんだろうけど」

「私、会社を辞めて翻訳で活動しているの」

会場がざわついた。

「ここにいるお医者さんが使っているであろう医学書の翻訳までやってるのよ」

「どこで勉強したんだよ。そもそも高卒の奴がドイツ語を習得できるわけないはずだ」

「仕事が終わった後と休みの日ね。残業があっても頑張って勉強したのよ。元々翻訳になるつもりはなかったけど、いろんな国の言葉を勉強すれば人生がもっと楽しくなるんじゃないかと考えたのがきっかけ」

続けて私は言った。

「皆さん、私を散々馬鹿にしていたように見えましたけど、そんな私が翻訳した医学書を読んでるんですか?」

「おい、喧嘩を売るなら俺だけにしろよ」

「そういうつもりじゃないけど、馬鹿にされたから、どういう気持ちか聞いてみただけ。まるで私が勝手に怒ってるみたいね」

「そ、そうだろ」

彼の発言に何かが切れた。

「勝手に余興でドイツ語でスピーチしろって言われて、実際に話せば高卒だの平社員だのと馬鹿にして。私は何をすればよかったわけ?」

「いや、それは」

「あなたは私がここで恥をかくのを望んでいたのは分かってたけどね。今日の参列者は全員初対面なのに見下してくるし。こんな人たちが医者だなんて信じられないし、診察されたくないわ」

会場内のざわめきが増す。私は製薬会社の人たちにも言った。

「あなたたちが使ってる薬を教えてください。それらは絶対使いませんので」

「おい、やめろって。今日は俺たちの大事な結婚式なんだぞ」

「俺たちって誰?咲野の意見を一切聞かないで、勝手に式場や食事内容、参列客を決めた結婚式でしょう。あなたが咲野の負担を減らしたくて、式の直前に何も知らせなかったんでしょ。逆に負担になりそうな式だけどね」

「総司が結婚式の詳細を咲野に伝えていないってメッセージで知ったのよ。彼女はずっと不安そうだった。あなたたちはいいでしょうけど、咲野がかわいそう。この子はずっと結婚式に夢を持ってたのよ」

「前川の言ってることは本当か?」

急に話を振られた咲野は冷静に頷いた。

「俺はサプライズのつもりで今日まで黙ってたんだ」

「じゃあ、気を取り直して別の式場で結婚式をしよう。お前の意見を全部聞くよ」

咲野は無反応だった。参列者は次第に総司たちが悪いと悟ったようだ。総司は泣き出した。

「俺が悪いのか。違うよな」

「ふざけるのも大概にしろ。俺で遊んで楽しいのか?」

「そんなつもりはないわ。そもそもあなたが私を呼び出さなければ騒ぎにもならなかったものを。何でも人のせいにするのはダメでしょう」

私は言い放った。

「いつかは院長になるんだし、もっと人に優しくならないとね」

そう言って、私はマイクのそばを離れた。

「おい、どこに行くんだ?」

「帰るわ。ごちそうさまでした。満足でしょ。あとは式次第に合わせてゆっくり楽しんでちょうだい」

私は席へ戻り荷物を持つと、会場を後にした。外に出て大きく新鮮な空気を吸う。大人げない行動に後悔したが、あの場ではっきり言わなければ後悔していたはずだ。

帰宅して二時間後、咲野から電話がかかってきた。

「前川、平気?」

「うん、大丈夫。咲野は?」

「私も大丈夫。今日はありがとう。本当に助かった」

咲野が言うには、参列者が怒って帰ったらしい。私の告白がきっかけで、結婚式は途中で終わったそうだ。

それから咲野は私の家に滞在し、家探しをすると言った。

「じゃあ、この家に住んだら?」

「え?」

「咲野を一人にさせるのは心配だし、働くにしてもまずは休んでからの方がいいと思うの。大家さんには私が言っておく。どうかな?咲野がいいなら」

彼女は嬉しそうに頷いた。

咲野は総司に電話をかけ、スピーカーに設定した。

「私、あなたとは結婚しません。前川の家でお世話になります」

「どうしてだ?謝ったよな。結婚式もやり直すし、お前の言うことを何でも聞く」

「謝ったら何?」

思わず言葉が出た。

「その声は前川だよな。お前のせいで式がめちゃくちゃになったんだぞ。どう責任を取るつもりだ」

「私は参列者と咲野を助けたと捉えてるけど」

「どこがだよ。恥をかいたじゃないか」

「あんな大勢の前で人を平気で見下していた時点で恥ずかしいけどね」

その後、咲野は言った。

「とにかく、私と前川は一緒に住みます。近くに親戚が揃っているはずだから、全員に伝えておいて。住所までばらしたら、引っ越し代を払ってもらうわ」

総司が何かを話しかけていたが、咲野は電話を切った。

新しい生活が始まった。咲野は実家に戻らず働きたいと言い、バイトを探し始めた。私は彼女と過ごす日々の中で、かつての明るい彼女が戻ってきたのを感じた。

ある日、咲野が言った。

「前川に再開できたから、自分の人生を変えようと思えたの。あなたみたいに、自分のために生きたいって」

私は嬉しくてたまらなかった。それから数日後、総司が私の家のインターホンを押した。彼は咲野を連れ戻しに来たらしい。

「帰ってください。彼女は変わりました。言いなりになるような人じゃないわ」

「顔だけでも見せてくれたり」

「無理でしょ。さっさと帰ってください」

私は彼を追い返した。しかし、彼は諦めていなかった。

後日、総司が逮捕されたとの知らせが届いた。彼が勤務していた病院で、医療事故を隠蔽していたことが発覚したのだ。咲野の友人が看護師として働いており、告発したらしい。総司は患者に間違った薬を投与し、その患者が亡くなっていた。病院は院長の父と共に、事実を隠蔽していた。総司は両親から絶縁され、病院は倒産。私たちの生活は平穏を取り戻した。

咲野はバイトをしながら、本当にやりたいことを見つけ、正社員として就職に成功した。私は翻訳の仕事が順調になり、新しい言語の習得を始めた。

あの日、私は総司にドイツ語でスピーチをしてよかったと心から思う。彼の思惑を打ち砕いただけでなく、親友の人生を救うことができたのだから。

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