私は結婚式の披露宴で、夫と2人だけ、料理が運ばれてこない席に座っていた。80席あって、78人分の料理が運ばれた。私たちの前には、ナイフとフォークと名前の入った席札だけ。スタッフに聞くと、予約が「2人分料理なし」になっていると言われた。花嫁は私の義妹だ。彼女は笑いながら言った。「欲しいなら、追加で払って。」私は夫と何も言わずに会場を出た。あの日、まだ何も知らされていなかったことがある。もうすぐ…

私は結婚式の披露宴で、夫と2人だけ、料理が運ばれてこない席に座っていた。80席あって、78人分の料理が運ばれた。私たちの前には、ナイフとフォークと名前の入った席札だけ。スタッフに聞くと、予約が「2人分料理なし」になっていると言われた。花嫁は私の義妹だ。彼女は笑いながら言った。「欲しいなら、追加で払って。」私は夫と何も言わずに会場を出た。あの日、まだ何も知らされていなかったことがある。もうすぐ...

「欲しいなら追加で払って。」

披露宴会場で花嫁が笑った。80ある席のうち、78人分の料理が運ばれた。私と夫の前だけが空のまま。ナイフとフォークと名前の入った席札だけがあった。

手違いだと思った。違う。だって、2人分、頼んでないもの。

リカが顔を覗き込む。近くの卓から笑い声が上がった。スタッフに尋ねると、予約も私たち2人だけ料理なしになっていると言われた。

「家族なんだから、食事が目的じゃないでしょ。」

義母が娘の横に立った。

「花嫁の晴れ舞台なんだから、細かいことで揉めないの。」

隣で夫の孝介が白いクロスを見下ろしていた。17年間、父親をしてきた人だ。

「帰ろうか。」

「うん。」

私たちは立ち上がった。リカはまだ笑っている。

「本当に帰るの?子供じゃあるまいし。」

夫はそれだけ言って、振り返らなかった。

一皿も食べずに、私たちは会場を出た。今に渡す約束の500万円は、口座でまだ1円も動いていない。リカはまだ知らない。あの笑い声が、同じ日のうちに自分へ帰ることを。

私は奥村さおり、38歳。事務用品メーカーの営業事務をしている。仕事は伝票と納品書の山を相手にすることだ。数字が1つ合わないだけで、その日は終わらない。だから、神を捨てられない性分になった。財布のレシートも通販の明細も、一旦は食器棚の下の箱に入れる。ノートも1冊つけている。何にいくら使ったかを月末にまとめて書き移すだけの単純なものだ。夫にはよく笑われた。

「そんなもん、誰も見ないだろう。」

「見ないから取っておくの。」

会社で私がやっているのも、結局は同じことだ。営業の担当者が値引きの話を持ってくる。私はまず前の伝票を出す。前回いくらで出したのか、その時何を条件にしたのか。髪を並べれば話は3分で終わる。並べられなければ、1時間かけても終わらない。

夫の名前は奥村孝介。41歳。建築資材のメーカーで資材課にいる。結婚して10年になる。子供はいない。共働きで給料も生活費も貯金も1つの口座にまとめている。誰の分という区切りは作らなかった。2人の金だと思っていたからだ。

駅の裏に、古い洋食店がある。カウンターが6席とテーブルが3つだけの店だ。結婚記念日にも行くし、なんでもない水曜の夜にも行く。ハンバーグとポタージュが看板で、私はいつも同じものを頼む。

運ばれてきた皿が2つ並ぶと、それだけで1週間の疲れが半分になった。穏やかな10年だった。ただ1つ、どうしても慣れないものがあった。夫の妹だ。

孝介の父、正吾さんが亡くなったのは17年前の秋だ。亡くなった時、52歳だった。私はまだ会ったこともなかったから、その日のことは全部後から聞いた。孝介は24歳で母の隣に立った。妹のリカは14歳で、中学の制服のまま座っていた。

生命保険が下りたが、家のローンの残りでほとんど消えた。葬式の帰り道は義母から同じ言葉を繰り返し聞かされたそうだ。

「リカには苦労させたくないって、お父さんが言ってたのよ。」

その夜、亡き父の部屋で、24歳の孝介は紙に1行だけ書いた。その紙があること自体は、結婚してすぐに聞いた。何が書いてあるのかは、それから10年知らなかった。知っていたのは結果だけだ。大学の学費、奨学金の返済、アパートの家賃、免許が要るといえば、夫の口座から金が出ていった。

結婚するまで、孝介は実家で義母と暮らし、給料の多くを妹に回していた。3年前には車も買った。正確に言えば、買ったのはリカで、払ったのは孝介だ。あの時は私も同席していた。販売店の椅子に並んで座り、リカは迷わず1番上のグレードの色を指した。

「モデルがいいの。学校に悪いもん。」

「リカ、予算がある。」

「お兄ちゃんが出してくれるって言ったもん。」

「言ってない。」

「じゃあ、言ってよ。兄弟なんだから当たり前じゃない?」

当たり前。今はその言葉を本当に当たり前の顔で使う。結局その日、契約書の支払いの欄には180万円と書かれた。書いたのは孝介だ。リカは鍵を受け取ると写真を撮って友達に送っていた。帰りの車の中でリカは後ろの席から言った。

「お兄ちゃん、次は保険とタイヤね。」

「まだあるのか?」

「あるでしょ。車ってそういうもんだもん。」

そういうもの。今はその言葉も好きだ。私も最初は理解していた。幼い頃に親をなくしたのだから、兄が支えるのは自然なことだ。そう思っているうちに10年過ぎた。

ある金曜の夜も、電話は同じ調子で始まった。孝介が風呂上がりに髪を拭きながら出る。私は台所で洗い物をしていた。スピーカーにしていたわけでもないのに、リカの声はよく通った。

「お兄ちゃん、エアコン壊れちゃった。」

「壊れたって、去年直したばっかりだろ。」

「だから今度は買い換えなんだって。6万でいいかな?」

6万でいい、という言い方が私は苦手だった。6万は私の月の食費より多い。孝介が黙る。間があって、リカが続けた。

「今月きつくてさ、カードの引き落としもあるし。」

「お前も、そう言ってなかったか?」

「言ったかもね。で、いつ振り込んでくれるの?」

そこに「お願い」という言葉はなかった。頼み方ではなく、確認の仕方だった。私は蛇口を止めた。水音が消えて、台所が急に広くなったように感じた。孝介がため息をついた。

「今週は無理だ。来週にしてくれ。」

「ええ、もう暑いんだけど。」

「リカ。」

「はいはい。わかった。じゃあ来週ね。」

電話が切れる。孝介はタオルを首にかけたまま、しばらく画面を見ていた。

「ごめんな。」

「なんで孝介が謝るの?」

「いや、姉貴の方だし。」

「姉貴の方」…中を確かめて、また戻した。それから、いつもの言葉を口にした。

「妹だから。」

その一言で17年が片付けられてきた。

翌日、義母から私の携帯に電話があった。

「さおりさん、リカのエアコンの話は聞いてる?」

「はい。孝介から。」

「あの子ね、昔から暑がりなの。子供の頃、夏になるとよく体調を崩してね。かわいそうで見ていられなかった。」

「そうですか。」

「孝介にちゃんと言っといてね。妹なんだから。」

私が言っておく話なのだろうか。私は電話を置いてから、しばらくその意味を考えた。答えは出なかった。

翌週の火曜日、孝介は6万円を振り込んだ。リカからの返信は一行だけだ。「入ってた。」それだけだった。ありがとうも、助かったもない。私はその画面を見てしまった。見た後で、見なければよかったと思った。

その夜、私は食器棚の下から箱を出した。遡ると、年が明けてから今前に出した金は3回で19万円になっていた。それとは別に、毎月3万円が動いていた。リカが1人暮らしを始めてから6年間、孝介は家賃の補助として月に6万円を送っていた。それは3年前に終わったのだが、終わったのは6万円の方だけで、半分は名前を変えて残った。生活費の多めの仕送り、という名前だ。手取り19万円で家賃が7万5千円。そこに3万円が乗るのと乗らないのとでは、月の見え方がまるで違う。

前の年は54万円。その前の年は、車の分があったから途中で数えるのをやめていた。書き移しながら、自分の指が止まるのが分かった。責めたいわけではない。ただ、桁が変わっていく速さが怖かった。

ノートを閉じて箱に戻し、私は寝室の電気を消した。洗濯機を回しながら、私は自分に言い聞かせる。夫の稼いだお金だ。妹に出したいなら出せばいい。私が口を挟むことじゃない。口座は1つにまとめてあるけど、そこは考えないようにした。

その考え方が通用しなくなるまで、あと数ヶ月だった。

実家に行くのは月に1度か2度だ。義実家は私鉄の駅から歩いて10分ほどの古い2階建てだ。門の脇に義母が植えたという金木犀があって、秋になると玄関まで匂いが来る。義母の光子さんは65歳。年金だけの暮らしで、パートは5年前にやめた。

その日の夕食は義母の作った筑前煮といなり寿司だった。話は自然と家のことになった。台所の給湯器が古くて、冬に湯が出なくなる日があるという。

「それ、うちの会社で扱ってるやつなら安く入るかも。」

私が言うと、卓の空気が一瞬止まった。リカが箸を置いた。

「あれ、家族の話だから。」

「え、さおりさんには関係ないでしょ。」

義母は何も言わなかった。リカの湯飲みに茶を足しただけだった。私は「そうね。ごめんなさい」と言って、いなり寿司をもう1つ取った。味はよくわからなかった。孝介は何も言わなかった。後で台所に来て「悪かったな」と言った。謝るのはいつも夫で、言った本人が謝ったことは1度もない。

関係ない。今はその言葉を、10年形を変えずに使い続けている。私が口を出していいのは、皿を下げることと洗い物をすることだけだ。

食後、義母と2人で流しに立った。

「さおりさん、孝介は最近どうなの?」

「どうというのは、なんだか変わったでしょうか。」

「前はもっと家のことを気にかけてくれたのに。」

泡だらけの茶碗を持ったまま、私は義母の横顔を見た。

「結婚してから変わったのよ。」

義母は、その言い方に棘がなかった。だから余計に残った。悪気があって刺すなら、まだ抜きようがある。義母は本当にそう思っているだけだった。

今度はリカの笑い声が聞こえた。相手をしているのは孝介だ。

「お兄ちゃん、最近ケチになったよね。前は言えばすぐ出してくれたのに。」

夫の返事は短かった。「そうか。」名前は出さない。出さない方が聞く、と知っている言い方だった。台所の私に聞こえる声で言っている。それも分かっていた。

茶碗を拭きながら、私は飾り棚を見ていた。写真立てが5つ並んでいる。義父と義母の結婚式の写真。幼い孝介と赤ん坊のリカ。リカの七五三。リカの成人式。リカの大学の卒業式。そこに私が映っているものは1枚もない。孝介と私の結婚式の写真は、10年前に義母へ渡してある。渡した時は「飾るわね」と言われた。飾られている場所を、私はまだ見つけていない。

帰りの道で、そのことは言わなかった。写真の話をすれば、孝介が実家に電話をかける。かければ、義母は飾る。飾られた写真を見て、私は今度こそ何も言えなくなる。

その2週間後、孝介の誕生日があった。私は仕事帰りにケーキを買って帰った。家に着くと、夫はもう食卓についていて、コンビニの袋を下げたままだった。

「実家で食ってきた。」

「え?」

「リカが寿司を取ってた。母さんが電話してきて、来いって。」

私には言ってなかったのか。孝介の顔が曇った。それで、全部わかった。

その夜、リカからメッセージが届いた。写真付きだ。座敷に並んだ寿司とろうそくを立てたケーキ。義母とリカと孝介の3人が映っている。

『お兄ちゃんの誕生日会でした。』

文面はそれだけだった。呼べなかった事情も書いていない。書く必要がないと思っているのだと分かった。ケーキの箱は、翌朝まで冷蔵庫に入ったままだった。

正月には義実家に親戚が10人ほど集まる。義母の姉の澄江さんとその息子夫婦、義父の弟の家族。私はその日、朝の9時から台所にいた。料理を温めて、皿に取り分けて、運んで、下げて、洗う。座敷から笑い声が聞こえる。リカは座敷側にいて、従兄たちと写真を撮っていた。

昼過ぎに、義父の弟の奥さんが台所へ来て私に言った。

「さおりさん、ずっと働いてるじゃないの。少し座ったら?」

「大丈夫です。」

「美智子さん、この人ばっかり使って。」

義母は座敷から答えた。

「あら、さおりさんは慣れてるから。」

慣れている。10年やれば、確かに慣れる。澄江さんだけが立ち上がって、皿を運ぶのを手伝ってくれた。

「あんた、こういうのは断っていいのよ。」

「いえ、断らないから来年もこうなるの。」

その時は笑ってごまかした。

その週の土曜、私は駅の改札でリカに会った。向こうが先に気づいて手を振ってきた。上機嫌の時のリカはよく喋る。腕にかけていたバッグには、私でも名前の分かるブランドの金具がついていた。

「あれ、今期の新作。可愛いでしょ?」

「うん。綺麗な色。」

「3ヶ月待ったんだから。」

リカは駅ビルのアパレルに務めている。正社員で勤続9年だ。手取りは19万円だと本人が前に言っていた。バッグの値段を私は聞かなかった。聞いてはいけないと思った。

「ああ、そうだ。お兄ちゃんに言っといてよ。」

「何を?」

「今度うちの店、会員割引で靴が安く出るの。お兄ちゃんに一足買ってあげようかなって。」

「ふうん。」

「嘘。買ってあげるって言っても、お金はお兄ちゃんが出すんだけどね。」

リカは自分で言って、自分で笑った。私は笑えなかった。改札の前で、リカはスマートフォンを取り出して自分の写真を撮った。バッグが映る角度に腕を上げて、2枚撮って1枚を消した。私は横から聞いた。

「これ、載せるの?」

リカは画面を見たまま答えた。

「うん。載せないと意味ないじゃん。」

意味?何の意味なのか、聞かなかった。別れ際、リカはもう一つだけ置いていった。

「さおりさん、大変だよね。うちみたいな家に入っちゃって。」

うちみたいな家。その言い方の中に、私はいない。

その夜、孝介に話そうとしてやめた。言えば夫は謝る。謝るだけで、何も変わらない。「妹だから。」あの一言が出るまでの手順を、私はもう全部知っていた。私はノートを開き、その月の欄に義妹の分を書き出した。数字の下に線を引く。線を引いたところで、何かが止まるわけでもない。分かっていることが1つあった。義実家では、夫の給料は家族みんなの財布だ。私は後から入ってきた他人で、財布に手を伸ばす資格はないが、財布が軽くなる責任だけはあることになっている。誰もそう口には出さない。ただ、扱いの全てがそう言っていた。

なぜリカは私にだけ冷たいのか?理由を聞いたことは1度もない。その答えを本人の口から聞くことになるのは、まだずっと先の話だ。

職場に滝沢由紀さんという人がいる。40歳で私より2つ上だ。同じ営業事務で机が向かい合わせになっている。昼休み、給湯室でお湯を汲みながら、私はつい愚痴をこぼした。義妹の話をしたのは、その時が初めてだった。

「エアコン6万ね。で、その前は修理代が4万。さらにその前は車で180万。」

滝沢さんはマグカップを持ったまま、しばらく黙った。

「奥村さん、それ、書いてる?」

「書いてません…ノートに。」

「じゃあ大丈夫。」

「大丈夫って、何がですか?」

「何がって言われると困るけど。うちの仕事と同じよ。数字が合わないって言われた時にね。勝つのは記憶がいい人じゃなくて、髪を持ってる人なの。」

私は自分のノートを思い浮かべた。誰に見せるつもりもない。月末に書き写しただけのノートだ。

「取っておいた髪が役に立つ日なんて、来ない方がいいですけどね。」

「来ない方がいいわね。でも、来た時にないと、こっちが嘘つきにされるから。」

その通りだと思った。伝票が1枚ないだけで、こちらの言い分が全部通らなくなる。仕事ではそれを毎日見ている。

あとね、と給湯室を出る時、滝沢さんは振り返っていった。

「奥村さん、うちに来て9年でしょ?取引先とやり合ってるとこ、私、何度も見てるのよ。値引きの根拠がおかしい時はちゃんと突っ返してる。仕事ですから。奥村さん、取引先には言えるのにね。」

返事ができなかった。仕事と家は違うと言おうとして、どこが違うのかを説明できなかったからだ。

その夜、洗い物を終えて居間に戻ると、孝介がテレビを消したところだった。

「さおり。」

「うん。」

「義妹の世話、そろそろ終わりにしたいと思ってる。」

手に持っていた布巾を、私は卓の端に置いた。

「どうしたの?急に。」

「急じゃない。ずっと考えてた。」

孝介は缶ビールのプルタブを起こしては戻す動きを繰り返していた。

「親父が倒れた時、俺は入社2年目だった。葬式の弔問も香典返しも、母さんは何もできなくてな。全部俺がやった。」

「うん。」

「あの頃はそれで良かったんだ。リカはまだ中学生だったし。母さんも50前だったけど、働きに出たことがなかった。」

「うん。」

「でも、あいつはもう31だ。俺が24の時、親父はもういなかった。あの頃の俺は、誰にも助けてもらってない。同じにしろとは言わない。ただ、いつまでやるのかって話だ。」

私は返事の代わりに、冷蔵庫からもう1本ビールを持ってきた。夫は受け取って、栓を開けずに置いた。

「さおりにも、我慢させてきたよな。」

「別に。」

「別にって顔じゃないだろ。」

そう言われて初めて、自分の眉間に力が入っていたことに気づいた。

「終わりにするなら、ちゃんと言ってあげてね。」

「ちゃんと?」

「途中でやめると、リカさんはきっと『お兄ちゃんは変わった』って言うから。最初から最後まで、決めて終わらせた方がいい。」

孝介は「それもそうだな」と言って笑った。久しぶりに見る笑い方だった。その夜、私はなかなか寝つけなかった。嬉しいはずなのに、体のどこかが緊張したままだった。10年分の構えは、一夜では抜けないらしい。天井を見ながら、私は最悪の場合を考えていた。仕事の癖だ。納期の話をする時も、私はまず遅れた時の手順から決める。もし夫がまた出すと言い出したら、私はどうするのか。答えは出さなかった。出さないまま、いつの間にか眠っていた。

その日から、私の中で何かが緩んだ。終わる。もうすぐ終わる。そう思うだけで、駅へ向かう電車が軽くなった。翌日、滝沢さんに夫が援助をやめると言ったと報告した。

「良かったじゃない。」

「はい。」

「でも、奥村さん、油断しないでね。」

給湯室でまた同じ場所に立って、滝沢さんはお湯を注いだ。

「うちの取引先でもね、『来月から値上げします』って言ってきた会社が、結局そのままだったことあるの。言うのとやるのは別だから。」

「そうですね。」

「やめるって決めた人には、大抵もう1回だけ声がかかるの。『最後だから』って言われてね。」

その言葉を、私はその時軽く聞いていた。帰りに書店に寄って、旅行の雑誌を一冊買った。10年、家族旅行というものをしていなかった。温泉の特集のページに付箋を貼って、私は鞄にしまった。

けれど、話はそこで止まらなかった。翌週の日曜、義母から電話があった。声が明るい。

「さおりさん、聞いた?リカにね、結婚するお相手ができたのよ。」

「そうなんですか。おめでとうございます。」

「片桐健太さんという方でね、食品の卸売りの会社にお務めなんですって。2つ上の、しっかりした人よ。」

「良かったですね。」

「それでね、ご実家がまた立派なところなの。だから、こっちも恥をかくわけにはいかないでしょ。」

「恥」、その単語がなぜここで出てくるのかが分からなかった。

「孝介にもよく言っといてね。あの人はこういう時に気が回らないから。」

「はい。」

「本当はね、孝介がまだ独身のつもりでいてくれたら1番良かったんだけど。」

義母は最後まで明るい声だった。だからこそ、私はしばらく言葉を戻せなかった。電話を切った後、孝介にそのまま伝えた。夫は「そうか」と言って笑った。

「相手の人、どんな人なんだろうね。」

「知らん。でも、まともな人だといいな。」

「まともって、金の話がちゃんとできる人ってことだよ。」

孝介はそう言って自分で笑った。

「めでたいじゃないか。式には出ような。」

「うん。」

「これで最後だな。リカが誰かの家の人になれば、俺の役目も終わる。」

終わる、と夫はもう一度言った。私もそう思っていた。仕送りが終わり、今度は家庭を持ち、それぞれの生活が始まる。そういう終わり方を、私たちは疑っていなかった。鞄の中の旅行雑誌には、まだ付箋が張ったままになっていた。

けれど、終わりにするまでに、私たちはもう一度だけ大きな金額を口にする。

呼ばれたのは1月の終わりの日曜だった。義実家の座敷に、式場のパンフレットが3冊広げてあった。表紙はどれも都内のホテルで、写真の中の階段は白くて長い。リカは化粧を済ませていた。人に見せる話をする時の顔だ。

「ここに決めた。」

真ん中の一冊を義母が押さえた。

「去年の秋に見学して、その場で申し込みを入れて抑えてある。」

「秋か。随分前だな。」

孝介が言うと、リカは肩を竦めた。

「いい日は1年前から埋まっちゃうから。5月の土曜なんて、みんな取り合いだよ。」

義母が茶を運んできて、私の前にも湯飲みを置いた。ここに来て初めて、私にも席がある形になった。

「それで、いくらなんだ?」

孝介が聞いた。リカは見積もり書のコピーを卓に滑らせた。数字を先に見たのは私だった。合計の欄に、620万円と印刷されていた。式と披露宴、衣装、写真、引き出物、演出。80名で組んだ見積もりだ。見積もりの中で、食べるものと飲むものに使われているのは160万円だった。620万のうちの4分の1である。残りの4分の3は、衣装と写真と演出と部屋を借りる代。呼ばれた人が実際に受け取るのは、その4分の1の方だけだ。

仕事の癖で、私は内訳の欄を目で追った。会場費、装花、映像、送迎バス。その中ほどに、料理と飲み物の欄があった。お料理が1名につき1万5千円。それが80名分。お飲み物は別の欄で、1名につき5千円。80人の口に入るものが、合わせて160万円。ホテルの披露宴としては、そんなものなのだろう。その下には小計とサービス料1割と消費税が並んでいた。仕事で見慣れた形だ。飲食の単価に1割が乗る書き方も、うちの伝票と同じだった。私はその行を頭の隅に置いて、視線を合計に戻した。

「620万。」

孝介が声に出した。リカは平気な顔をしていた。

「今時普通だよ。うちは80人呼ぶんだから。」

「お前ら、貯金はいくらある?」

「それは大丈夫。全部先に払うわけじゃないから。」

リカは見積もり書の裏を指した。支払いの欄に、手付金30万円と書いてある。

「この30万を入れれば契約できるの。残りの590万は、式の6日後まででいいプランにしたの。ご祝儀をそのまま回せるでしょ。」

そういう仕組みがあることを、私はその時初めて知った。ホテルが自分のところで審査をして、勤務先と収入を書いた申し込み書を出させた上で、支払いを式の後まで待ってくれる。クレジット会社が立て替えるわけではないから、6日後には現金で用意しなければならない。期限を過ぎれば、遅れた分が利息で上乗せされる。その仕組みに、私が気づくのはずっと後になってからだ。

式を上げてからもらったお金で払う。理屈は通っている。その申し込み書に名前を書いたのが健太さんだったと知るのは、まだ先の話だ。健太さんはご祝儀と自分の貯金で大体足りると聞かされていて、足りない分は義理の実家が出すとも聞かされていた。だから、自分の名前で申し込んだのは形だけだと思っていたと、後で本人が言った。

ただ、80人のご祝儀で590万になるのかどうかは、全く別の話だ。孝介も同じことを考えたらしい。

「ご祝儀でいくら見込んでるんだ?」

「そんなの、やってみないとわかんないじゃん。」

「分からないもんを当てにして契約したのか。」

「お兄ちゃん、細かい。」

細かい。620万円の話を「細かい」と言われて、孝介は口を閉じた。

私は見積もり書の内訳に目を落とした。気になったのは演出の欄だった。キャンドルリレー、フラワーシャワー、プロフィール映像、デザートビュッフェ、2回目のお色直し、ゴンドラでの入場。1つずつは5万から20万で、合わせると90万を超えている。

「リカさん。」

私が呼ぶと、リカはこちらを向いた。呼ばれたことに驚いた顔だった。

「この演出分は、健太さんとも相談されたんですか?」

「なんでさおりさんが聞くの?」

「ご一緒に払う方ですから。」

「健太は私に任せるって言ってる。」

「そうですか。」

「あの人、こういうのわかんないから。」

分からない人に任されたから、好きに足した。そういう意味に聞こえた。私はそれ以上は言わなかった。ここで押せば、また「家族の話だから」と言われる。

そこで義母が座り直した。畳に手をついて、頭を下げた。

「孝介、お願い。」

「母さん…」

「お父さんが亡くなってから、あんたがこの子の父親代わりだったでしょ。最後ぐらい、盛大に送り出してあげて。」

義母の白髪の分け目が、蛍光灯の下で光っていた。

「先方のご実家は立派なところなのよ。見劣りする式をして、リカが下に見られたらどうするの?」

「母さん、下に見られるのは金額じゃないだろう。」

「そういうことじゃないの?分からない人ね。」

義母はそこで立ち上がり、隣の部屋の仏壇の前へ行った。線香に火をつけて、鈴を鳴らす。それから仏壇の方を向いたまま言った。

「お父さん、リカがお嫁に行くのよ。」

仏壇の中の義父は、50くらいの顔で笑っていた。私が1度も会ったことのない人だ。

義母は仏壇に向かったまま続けた。

「お父さん、最後までリカのことを心配してたの。私が病院で手を握ったら、『リカを頼む』って言ったのよ。」

鈴の音が消えてから、義母はもう1度言った。

「孝介、あんたが父親代わりでしょ。」

その言い方は、頼み事の形をしていなかった。すでに決まっていることの確認の仕方だった。義妹が金の話をする時と全く同じだ。どこで覚えたのだろうと思ったが、答えを考えるまでもなかった。

孝介は天井を見た。それからリカを見て、私を見た。

「少し考えさせてくれ。」

その日は、それで帰った。帰りの電車で夫はほとんど喋らなかった。乗り換えのホームで缶のコーヒーを2本買って、片方を私に渡した。

「さおりはどう思う?」

「私が決めることじゃないよ。」

「そういう言い方するなよ。」

「じゃあ、言うけど。」

私は缶を握った。冬の風で指先が冷えていたから、その熱ががありがたかった。

「あの口座、私の給料も入ってるよ。」

孝介が私を見た。

「うん。」

それだけ。それ以上は言わなかった。言えば、責める形になる。私が欲しいのは謝罪ではなかった。

その夜、私は通帳を開いた。10年で貯めた2人の金は、720万円になっていた。子供がいない分、私たちは貯められた方だと思う。旅行を我慢して、車も持たず、外食は駅裏の洋食店だけにしてきた。500万を引くと、220万円が残る。数字を書き出して、私はノートを閉じた。責める材料を作るために書いたのではない。私はただ、その金額の重さを自分の手で確かめたかった。

孝介は3日の間、何も言わなかった。最初の日は残業だと言って遅く帰り、その次の日は休みなのに車の洗車に行った。うちに車はない。会社の営業車を洗ってきたのだそうだ。何かをしていないと落ち着かない人なのだと、その時初めて知った。

その夜、私は台所から声をかけた。

「無理しなくていいからね。」

「無理って、出さなくてもいいってこと?」

「そうだな。」

孝介はそう言って、そのまま風呂に入ってしまった。3日が過ぎた夜、夫はいつもより遅く帰ってきた。上着から、あの洋食店の匂いがした。1人で行ってきたらしい。食卓で、孝介は箸を置いてから言った。

「500万出そうと思う。」

私は味噌汁の碗を持ったまま、その数字を頭の中でもう1度なぞった。

「ただし、条件をつける。」

「条件。」

「これを最後にする。今後は一銭も出さない。それはリカにも母さんにも言う。」

「孝介がそう決めたなら、私は何も言わない。」

「ありがとう。でも、1つだけ聞かせて。」

「なんだ?」

「渡すのは、いつ?」

孝介は考えてから答えた。

「式の後だ。結婚祝いとして、あいつらの口座に振り込む。前に渡すと、多分式の中身が増える。」

その判断は正しかったと思う。後から振り返れば、まだ渡していなかったことだけが、私たちに残された唯一の余白だった。

その夜、私は旅行の雑誌を捨てた。捨てるつもりはなかった。ただ紙の束を整理していて、付箋の貼ってあるページが目に入った。2泊3日の温泉で2人で7万円と書いてある。その金額を見てから、500万という数字をもう1度思い浮かべた。7万で迷っている私たちが、その70回分より多い金額を一度に出す。それが妹への金だと思うと、悔しいというより、うまく息ができない感じがした。私は雑誌を紙のゴミの袋に入れて、口を縛った。

翌週、義実家に呼ばれて、孝介は同じことを2人の前で言った。

「500万出す。ただし、渡すのは式が終わってからだ。結婚祝いとして、お前らの口座に振り込む。ただし、これで最後だ。もう1円も出さない。」

リカは両手を打った。

「さすがお兄ちゃん!」

声が跳ねていた。義母は目頭を抑えて頷いている。

「ありがとうね。お父さんも喜んでるわ。」

「聞いてたか?これで最後だ。」

「はいはい。聞いた聞いた。」

リカはもうパンフレットに戻っていた。ページをめくりながら、独り言のように言う。

「はあ。じゃあ、キャンドルのやつ、出そうかな。」

「リカ。」

孝介が言った。

「620万で止めろって言ったよな。」

「分かってるよ。冗談だってば。」

冗談で足す金額ではない。それでもリカはそこを「冗談」で言える人だった。

台所へ立った私に、リカがついてきた。冷蔵庫の前で、リカは小声で言った。

「言いたくないけど、別にさおりさんのお金じゃないからね。」

「うん。」

「お兄ちゃんが自分で決めたことだから、さおりさんが偉そうにする話じゃないでしょ。」

私は麦茶のポットを取り出した。手が震えないように、両手で持った。

「そうね。」

それしか言わなかった。言い返さなかったのは、その日が金の話だったからだ。ここで揉めれば、悪いのは私になる。10年、そうやって飲み込んできた。

約束は、義実家の座敷の前で口に出しただけだった。金額を書いたメッセージも残っていない。この家では、金の話はいつも口で始まって終わってきた。後から思えば、そのやり方に助けられたのは孝介の方だった。500万円は、まだ1円も動いていない。振り込みは式の後。渡す前か渡した後か、この一点が後に全てを決めることになる。

500万円を約束した日から、義妹からの連絡は増えた。それまでは金が要る時だけだったのに、その頃からは毎日のように届いた。届くのは相談ではない。決まったことの通達だった。

最初は義母の衣装だった。夜にかかってきた電話で、リカはいきなり切り出した。

「お母さんの留袖、借りるから、つけ衿とメイクも入れて8万ね。」

「8万か。」

「安い方だよ。ホテルの中でやってもらうんだから。」

孝介は電話の向こうへ「分かった」と言った。私は隣で味噌汁を温めていた。

次は両家の顔合わせの席だった。料亭の席を予約したと、リカが電話で言ってきた。

「1人2万のコースにしたから、6人で12万。リカ、そこは向こうの家と折半だろ。」

「先方に出させるわけないでしょ。うちが恥かくじゃん。」

義母と同じ言葉を、今度は娘が使った。

着物のランクを1つ上げたいという話が出た時、私は1度だけ口を挟んだ。

「遠方からいらっしゃる方もいると伺いましたので、重い物は避けた方が…」

会社で得意先に言うのと同じ言い方だった。リカは私を見ずに言った。

「残念、さおりさんが決めることじゃないよね。」

「リカ。」

孝介が少し強い声で言った。リカは「分かった分かった」と言って、軽いカタログギフトの方でランクだけ上げた。その日から、私は口を挟むのをやめたのではなかった。私の言葉が通るのは、夫が横から名前を出した時だけだと確かめたのだ。

その後も、二次会の会費が足りないという話になり、遠方の親戚の宿泊費という話になった。その度に、孝介は「分かった」と言った。招待状の話も、決まってから知らされた。

2月の終わりに義実家へ行くと、卓の上に厚紙の見本が3種類並べてあった。リカは迷わず1番白い紙のものを取った。

「これにする。1枚400円だけど、80枚でも3万2千でしょ。」

「宛名はどうするの?」

「宛名は、今日書いてもらうと高いから、さおりさんに書いてもらおうかなって。」

私は顔を上げた。

「私、字が綺麗でしょ。会社で伝票書いてるんだから。」

80枚ではないはずだ、と私は思った。ご夫婦で来られる方は連名で一通になる。この人数なら、実際に出すのは60通ほどだ。言えばまた話が長くなるので、黙っていた。後で数えたら20枚以上が余った。リカはその余りを見て「足りないよりいいでしょ」と言った。

宛名書きは、1枚書き損じると封筒ごと無駄になる。会社の伝票と同じで、慎重に進めるほど時間がかかる。結局、私は32枚書いた。2日かかった。終えて渡した時、リカは「ありがとう」とだけ言って、確認もせずに封筒の束に重ねた。

顔合わせにも呼ばれた。義母の留袖を選ぶのに、人が要るという理由だった。ホテルの衣装室では、着付けの方が2人係がかりで留袖を着せていった。私は離れた場所で見ているだけだ。役目は、脱いだものを畳むことと、帯締めの色を3本並べて見せることだった。

鏡の前で、義母は嬉しそうだった。

「やっぱり、色が入ってる方が華やかね。」

「お似合いです。」

「さおりさんは、その日は何を着るの?」

「持っている礼服で。」

「そう。まああなたは、目立たなくていいのよ。」

その言葉に悪意はなかった。この人の言葉には、1つも悪意がない。

3月の第二土曜日、式場の打ち合わせに私も呼ばれた。呼んだのは義母だ。

「孝介だけだと分からないでしょ。さおりさんも来て。」

ホテルの打ち合わせ室は白くて明るくて、椅子が柔らかかった。担当の方が名刺をくれた。窓口、谷口彩子さん。36歳だと、後で雑談の中で知った。谷口さんは話し方の速さを相手に合わせる人だった。リカが早口になれば早口で、義母がゆっくり喋れば待ってくれる。

「本日は、お料理とお飲み物、それから演出の最終確認をさせていただきます。」

「演出、もうちょっと足したいんですけど。」

リカが身を乗り出した。谷口さんは資料をめくった。

「キャンドルリレーとフラワーシャワーはすでにお入りです。装花のグレードアップと映像の追加を入れますと、合計が今のプランを超えてしまいます。」

「超えたら、いくら?」

「700万円近くに。」

「うーん。」

リカが孝介を見た。見ただけだ。言葉にはしない。言葉にしない方が通ると知っている。孝介は資料を閉じて言った。

「620万で止めろ。」

「ええ。」

「止めろ。」

珍しく強い声だった。リカは口を尖らせたが、それ以上は言わなかった。谷口さんは何も聞かなかった顔で「620万円のまま進めます」と書き込んだ。

打ち合わせを出る時、谷口さんが私に言った。

「奥村様、当日は受付をなさると伺っております。」

「受付ですか?」

「はい。ご新婦様から、ご親族の受付をお願いすると伺っておりません。」

初耳だった。私は自分の当日の役目を、身内より先にホテルの人から聞いた。

「ご負担が大きいようでしたら、当日のスタッフでお手伝いできます。」

「大丈夫です。ありがとうございます。」

そう答えてから、なぜこの人は私に声をかけたのだろうと思った。多分、こういう家を何度も見ているのだと思う。結婚式の仕事というのは、1日で家の形が見える仕事なのかもしれない。

その日の帰り、駅までの道でリカが言った。

「さおりさん、当日は受付お願いね。」

「知っています。ホテルの方から先に伺いました。」

「うん。親族の受付。あと、おばさんたちの送迎も、駅まで迎えに行ってもらえると助かる。」

「私、車持ってないけど。」

「タクシー呼べばいいじゃん。2台くらいでしょ。」

タクシー代を誰が出すのかは、聞けなかった。聞けば答えは分かっている。

リカは前を向いたまま続けた。

「あと、席のことなんだけど、お兄ちゃんとさおりさんは親族席じゃなくて、後ろの方にしたから。受付やってもらうし、動きやすいでしょ。それに、さおりさんはまあ、端でいいでしょ。」

まあ、その一言に10年分が入っていた。孝介が立ち止まった。

「おい。」

「何?」

「失礼じゃん。」

「え、何が?」

「孝介は俺の妻だ。」

「知ってるよ。だから来てもらってるんじゃん。」

来てもらっている。招くのではなく、来てもらっている。リカの中では、そういう順序になっているのだと分かった。

二次会の話も出た。会費を1人6千円にしたら人が集まらないから、5千円に下げるという。下げた分の不足はどうするのかと孝介が聞くと、リカは当たり前のように答えた。

「そこはお兄ちゃんが。」

「二次会、まだ俺かよ。」

「だって、二次会って新郎側が負担するものだもん。」

「じゃあ、お前らが負担しろよ。」

「お兄ちゃん、細かい。」

また「細かい」だった。結局、二次会の不足分は健太さんが出すことになった。その時、リカが健太さんに何と説明していたのかを、私が聞かされたのは式の後だった。

親戚の送迎の段取りも、私に回ってきた。義父の妹に当たる方が2人、遠方から来る。当日の朝、駅からホテルまで送ってほしいという。リカからのメッセージは時刻と名前だけが書いてあって、タクシー代のことは何も書いていなかった。

「これ、こっちが立て替えるってことだよね。」

「そうだろうな。」

孝介は自分のスマートフォンを見ながら答えた。

「2台で迎えに来てもらう分も入れて、1万2千円くらいか。」

「先に言っておこうか。」

「やめとけ。当日に揉める方がきつい。」

私はカレンダーに時刻を書き込んだ。書き込みながら、これは頼まれ事ではなく割り当てなのだと思った。

その週、私は義妹のことをもう一度考えた。披露宴に620万円かかる。手付けの30万円は払った。残りの590万円は式の6日後までに払う。手取り19万円のリカと、食品の卸売りに務める相手の2人で、その金額をどう組んだのか。兄からの500万円が入るのは式の後だ。孝介が2人の前でそう言ったのだから、リカもそれを知っている。なのに、リカには焦りが1つもなかった。

孝介にも聞いてみた。

「リカちゃん、貯金いくらあるって言ってた?」

「言わない。聞いても『大丈夫』としか言わないんだ。」

「健太さんの方は?」

「知らん。会ったこともないからな。」

食卓の上で、夫は指を組んだ。

「まあ、向こうもいい年の社会人だ。2人で計算してるだろう。」

私もそう思うことにした。滝沢さんに、その話を少しだけした。

「後払いのね。あるわよ、そういうの。ご祝儀で払えるって。」

「払える人はね、奥村さん。うちの取引先で、同じことする会社があるの。入金の予定を当てにして仕入れる会社。」

「どうなるんですか?」

「入金が遅れたら、終わりよ。だって、予定は現金じゃないから。」

滝沢さんはそう言って湯飲みを片付けた。予定は現金ではない。その言い方が、耳に残った。

翌週、リカはまた新しいバッグを提げていた。実家の玄関で、義母がそれを見て笑った。

「あら、いいの買ったのね。」

「頑張った自分へ。ご褒美。」

何を頑張ったのかは言わなかった。その日の帰り道、私はノートに一行だけ足した。義妹の欄ではない。ページの端に、疑問符をつけて書いた。

「620万円。その金は、どこから来るのか。」

見積もり書の数字は増え続けた。増やしているのはリカで、払う話をしているのは義母で、実際に払う相手だけが1度もその場にいなかった。この後、私たちはもうすぐ、その相手と向き合うことになる。

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[上記の通り]

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