「お母さん、この人、すっごく偉そうにしてるけど、お母さんの友達?」
高級寿司屋の個室で、私は一人娘のさやと久しぶりの外食を楽しんでいた。すると突然、ママ友の遠藤マリ江が声をかけてきたのだ。彼女は私と娘を交互に見て、馬鹿にしたように笑った。
「あら、まさか尚子さんがこんなお店にいるなんて思わなかったわ。大丈夫?この店、高いわよ。無理してるんじゃないの?旦那さん、普通のサラリーマンでしょ?」
私は笑顔でやり過ごす。マリ江とは学生時代からの知り合いで、当時はお互い暴走族のリーダーだった。彼女は高校時代、私を袋叩きにしたことを今でも自慢し、私を見下している。私は何を言われても気にしないが、娘のさやはそうではなかった。
「お母さんをあんなに馬鹿にするなんて許せない!」
さやは悔しそうに訴える。だが、私はヤクザの組長だということを隠して生活している。表向きは普通の主婦だ。マリ江に何を言われても、やり返すわけにはいかない。娘に普通の学校生活を送らせたいからだ。
マリ江はしつこく続ける。
「強がらなくてもいいじゃない。尚子さんは昔、私に袋叩きにされて散々な目にあった弱虫なんでしょ?そんな人がこんな店に来られる身分なわけないわ」
「よしてよ。昔の話じゃない?学生時代の勝ち負けなんて、今は関係ないと思うわ」
「関係あるわよ。学生時代に弱かった人は、社会の弱者として生きるしかないって決まっているもの。あの時、尚子さんは私のチームに袋叩きにされてボロボロに負けたのよね。あの時の惨めだったこと、今思い出しても笑っちゃうわ」
さやが不思議そうな顔をして私を見る。
「お母さん、この人に負けたことがあるの?」
「ええ、私が一人でいるときに、マリ江さんのチームが50人くらいで襲ってきたのよ。一人じゃ立ち向かえなくて負けちゃったの」
「何それ?卑怯じゃない!この人は卑怯な方法で勝ったことを自慢しているの?」
「今日でも勝ちは勝ちよ。それに私は今だって偉いの。何せ、大阪組の幹部なんだから。ヤクザの幹部が偉いのなら、組長をしているお母さんの方がもっと偉いんじゃないの?うちのお母さんだって、尚崎組の組長をしているのよ」
さやの言葉に、マリ江は大爆笑する。
「尚崎組ですって?何言ってるのやら。尚崎組といえば、日本でもトップ3に入る大きな組よ。そんな大きな組の組長なんて、尚子さんに務まるわけないでしょ?テレビで聞いた有名な名前を出してるだけでしょう。嘘をついちゃだめよ。世間知らずのバカ丸出しだから。それと、ヤクザの幹部である私に対してそんな口の聞き方をするのもだめ。私だから許してあげるけど、他のヤクザだったら今頃命はないわよ。尚子さん、ちゃんと娘をしつけておきなさい。同じ町に住んでいるママとして恥ずかしいから」
そう言い捨てると、マリ江は満足そうに去っていった。
やっと静かになった。私は娘と共に寿司を食べ始めたが、娘は箸を全くつけない。
「どうしたの、さや。全然食べてないじゃない」
「お母さんは悔しくないの?あんな人に好き放題言われて黙ってるなんておかしいよ。お母さんは大きなヤクザの組長なんでしょ?あの人のいる組なんて、その気になったら簡単に潰せるんだよね?それなのに、どうしてずっと黙っていたの?」
「さやの学校で、私がヤクザだと知っている人は誰もいないでしょう?もしあの場でやり返したら、他のママさんにバレてしまうかもしれない。そうなったら、さやのお友達も離れていっちゃうかもしれないわ。私はさやに普通の学校生活を送ってほしいと思っているの。だから、わざわざヤクザであるマリ江さんとは関わらないようにしているのよ」
「でも、私、悔しいよ。あの人、あんなに偉そうにしているんだよ。大阪組なんて、この町の弱いヤクザじゃない。なくなっちゃってもいいよ」
「そう言うけど、マリ江さん一人のせいで大阪組を追い詰めるのは良くないわ。確かにマリ江さんは卑怯だし、嫌な言い方をする人だと思うけど、大阪組の組長や他の組員に恨みはないもの。もし私が大阪組を潰したら、多くの組員が路頭に迷うわ。そうしたら、大阪組やその家族が困っちゃうじゃない?関係のない人たちまで巻き込みたくないのよ」
「そうだね…。でも、あの人、お母さんが言い返さないのをいいことに、あんなに馬鹿にするなんてひどい」
悔しそうに声を震わせるさやを見て、私は少し考える。ヤクザだとバレるくらいなら、マリ江に好き放題言われることなんて何ともない。だが、目の前で母親を馬鹿にされたさやの悔しさも分かる。私だって、さやと同じくらいの頃、親が他人に馬鹿にされていたら、同じように怒っていただろう。
「さやの気持ちも分かるわ。マリ江さんがさやのことまで悪く言ったのは腹が立ったもの。でも、あそこでマリ江さんを殴って黙らせても、変な噂が立つだけじゃない?」
「それはそうだけど…」
「暴力で黙らせるより、効果的な方法もあるのよ。さや、面白いものを見せてあげるから、ついてきなさい」
私は立ち上がり、さやを連れて店を出た。向かった先は、大阪組の事務所。到着すると、大阪組の組長が慌てて私を出迎えた。
「これはこれは、尚崎組の組長じゃないですか?うちのような小さな組に、一体何の用ですか?」
「実は、あなたの組の幹部をしている遠藤マリ江って人が、私と娘を人前で散々罵倒してくれたのよね」
「遠藤がですか?あの女は、つい最近幹部になったばかりなんです。元々別の組にいた人間なので、あまり私の教育が行き届いておらず、本当に申し訳ありませんでした」
「あの人、元々は大阪組じゃなくて、別の組の人の娘だったの?」
さやが隣で首を傾げる。
「ええ、マリ江さんは元々、他の組の組長の娘だったの。後継ぎとして自分の組の若頭をしていたんだけど、この大阪組に無茶な抗争を仕掛けて組が潰された後、大阪組に吸収されたってわけよ」
「それなら、あの人、自分の組を自分で潰したようなものじゃない?それでお情けで大阪組に置いてもらっているのに、あんなに偉そうにしてたの?信じられない」
呆れるさやに、組長は恐る恐る尋ねた。
「それで、遠藤のやつは、一体何と言ったのですか?」
「あの人、私が暴走族にいた頃、数十人で私を袋叩きにしたことを自慢げに話して、散々私のことを馬鹿にしたの。私が負けたのは事実だから、それは別にいいんだけど」
「そんな…その件は私も聞いております。あの女が、卑怯な真似をして勝った話ですよね。そんな恥ずかしい話を今でもしているなんて…。相変わらず情けないやつだ」
「その上、私の娘を『世間知らずのバカ』と言ったのよ。私のことは構わないけど、娘にまで暴言を吐くなんて、大人げないわよね」
「その通りです。すぐに遠藤に話をつけますので、しばらくお待ちください」
組長は顔色を変え、マリ江に連絡を入れた。すると、マリ江は大慌てで事務所に駆けつけてきた。
「どうしたんですか?急用とのことですが…。って、なんでこんなところに尚子さんがいるのよ!ここはヤクザの事務所で、一般人が遊びに来ていい場所じゃないのよ。ほら、さっさと出ていきなさい!」
その様子を見た組長が、マリ江の頭を押さえつけながら叫んだ。
「お、お前、この方が誰だか知らないのか?」
「知ってますよ、組長。私のママ友で、暴走族時代に散々ボコボコにしてやったやつですもの」
「バカたれ!この方は、尚崎組の現組長、尚崎尚子さんだぞ!」
「なんですって?それなら、あの時、尚子さんの娘が言ってたことは本当だったって言うの?」
マリ江は驚き、震えながら私を見る。
「でも、私、尚崎組の組長を見たことあるけど、尚子さんじゃなかったわよ。もっと迫力のあるおば様だったと思うけど」
「それは私の母ね。今は組長の座から引退して、顧問の座についているわ。私、実は尚崎組の一人娘なの。学校を卒業したらすぐにヤクザになって、下っ端からコツコツと仕事をして、数年前にやっと組長になれたのよ」
「暴走族時代に、そんなこと一言も言ってなかったじゃない!」
「マリ江さんは親の威光を借りて偉そうにしてたけど、私は自分の実力でちゃんと認められたかったの。だから、周囲にヤクザだなんて言わなかったのよ」
マリ江は信じられないといった様子で私の言葉を聞いていた。ヤクザであることが自慢だったマリ江にとって、周囲にヤクザだと言わずに生活していた私のことが信じられないのだろう。それに、自分を追い詰めた相手が、自分が束ねている組よりもはるかに大きな組の組長だったという事実に、驚きを隠せない様子だ。
「分かっただろう。遠藤、さっさと自分のしたことを謝るんだ」
組長が震えるマリ江の首根っこを掴み、謝罪を促す。マリ江は最初こそ嫌がっていたが、大阪組の力では尚崎組に立ち向かうのは無謀だと悟ったのか、唇を噛みしめ、嫌そうな顔をして私に土下座した。
「この度は、尚子さんとそのお嬢さんに失礼なことを言ってしまい、大変申し訳ありませんでした」
それは、組長に言われたから仕方なく謝っているといった態度だった。そんなマリ江の姿を見たさやが、ますます怒った様子を見せる。
「さあ、謝ったわよ。これでいいんでしょ?」
「全然ダメです。心の底から謝ってないですよね。ただ謝れと迫られたから、仕方なく謝ったって態度が見え見えです。そんな適当な謝罪じゃ、とても許せません」
さやの言葉に、組長も頷く。
「確かにお嬢さんの言う通りです。今の謝罪はなっちゃいねぇ。こうなったら、俺たちが遠藤の性根を叩き直すので、どうか勘弁してください」
「ちょ、ちょっと待ってよ、組長!性根を叩き直すって、どういうこと?」
「文字通り、ちょっと痛い目にあってもらうのさ。おい、お前ら、すぐに来い!」
組長が声を上げると、事務所にいたヤクザたちが一斉に集まり、マリ江を取り囲んだ。手に棒を持った組員たちを見て、マリ江は縮み上がった。
「ちょっと待って、組長!こんな奴らに殴られたら、命がいくつあっても足りないわよ!あなたたちも、こんなことしていいと思ってるの?私はこの組の幹部なのよ!」
「始まる前から泣き言とは、情けないやつだな。てめぇら、やっちまえ!」
組長の合図で、周囲の男たちはマリ江に殴りかかる。マリ江はボコボコにされ、床に倒れて小さく丸まった。
「痛い…痛いわ!もうやめて!勘弁して!何でもするから!ちゃんと謝るから!二度と尚子さんのことを馬鹿にしたりしないわ!だから、もう助けて!」
殴られながら、マリ江は必死に助けを求める。涙を流し、震えながら痛みに耐える。情けないマリ江の姿を見て、さやは呆れたようにため息をついた。
「もういいよ、母さん。この人が殴られているところを見ても、嫌なことを言われた気持ちが晴れるわけじゃないって分かったから。組長さんたちも、もうやめてあげてください。この人は許せないけど、殴っても仕方ないと分かったので」
「お嬢さん、ありがとうございます。おい、お前たち、もうやめろ」
組長の命令で、男たちは殴る手を止める。マリ江はボロボロになりながら、私たちの方を見た。
「これでもういいわよね。もう許してくれるわよね」
「あら、まだ許すとは言ってないわよ。私の娘は、殴られているところを見ても仕方がないと思ったから止めただけ。まだ許せないみたいだもの。ちゃんと、マリ江さんにはけじめをつけてもらうわね」
「けじめって…一体、何をすればいいの?指を詰めるとか?」
「そんなものをもらっても困るわよ。さやだって、指なんていらないから」
「そうね。ヤクザのけじめといえば、命で償うか、金で償うかって相場が決まっているけど」
「い、命は嫌よ!私には夫と子供がいるんだもの!私がいなくなったら、子供がかわいそうじゃない!」
「だったら、お金で償ってもらおうかしら。そうね。尚崎組を馬鹿にした上、私の娘にまで悪態をついたんだから、半端な金額じゃ許されないわよ。3億でどうかしら?あなたもヤクザの幹部だったら、3億ぐらい準備できるでしょう?」
「せ、3億なんて…!そんなに急に準備するのは無理よ!分割で支払うことってできない?」
「マリ江さんもヤクザだったら、無理だから払えないなんて言い分が通らないことくらい分かってるわよね。今すぐ、耳を揃えてきっちり支払いなさい」
「だから、急には準備できないって言ってるでしょ!」
「それは払えないの?だったら、命で償ってもらおうかしら。海に沈む方がいい?それとも、山奥に埋められたい?」
「ま、待って!分かったわよ!お金を借りて、それで支払えばいいんでしょ!」
「やっとヤクザの常識を思い出したようね。分かったわ。すぐに闇金を呼ぶから、待ってなさい」
私は知り合いの闇金業者を呼び出す。無担保でどんな金額でも貸し出すが、利息が高く、借金を支払うまで絶対に相手を逃さないという連中だ。闇金業者はマリ江に借金の借用書と契約書を渡した。
「ちょっと待って!借用書は分かるけど、この契約書は一体何なの?」
「それは、闇金の人たちが準備した契約書よ。マリ江さんがちゃんと借金を返せるよう、これから稼げる場所でお仕事をする契約について書かれているの」
「何よこれ!海外の変な施設のことが書いてあるじゃない!嫌よ!この書類を書いたら、海外に飛ばされるってことでしょ!」
「嫌ならいいのよ。こっちには、体を臓器バイヤーに受け渡す契約書もあるけど、そっちの方がいいかしら?」
「分かったわよ!書けばいいんでしょ!書けば!」
マリ江はしぶしぶ書類を書く。闇金の面々は書類を受け取ると、マリ江の腕を掴んだ。
「ちょっと掴まないでよ!痛いでしょ!何するの?」
「借金を返済するため、早速働いてほしいみたいよ。マリ江さん、パスポートを持ってたわよね?良かったじゃない。すぐに働く場所も決まって。あの場所だったら、3億を返すのに50年も働けば十分だと思うわ」
「今から50年も働いたら、おばあちゃんになっちゃうじゃない!」
「一生出られないことが決まっているより、やる気が出るでしょ。それじゃ、行ってらっしゃい」
マリ江は「嫌だ!助けて!」と泣き叫ぶが、闇金の人間は容赦なくマリ江を引きずり連れ去っていく。
「ありがとう、お母さん。ちょっとすっきりした」
「もういいの?満足した?」
「うん。もう二度とあの人の顔を見なくていいと思うと、嬉しい」
私はさやが笑顔になるのを見て、大阪組を後にした。
家に帰った私は、夫に今日の出来事を話す。すると、夫は怒ったように声をあげた。
「何をやってるんだ、尚子。さやのことを、将来ヤクザにしたいのか?今日の尚子を見たさやが、ヤクザに興味を持って、お前の後継ぎになるとか言い出したら、どうするつもりなんだ?」
「え…。そうね。さやには自由にしてほしいと思っているけど、ヤクザになりたいと言われたら、ちょっと困るわね」
「そう思うなら、あんまりヤクザの世界を教えないでくれ。さやが憧れて、ヤクザになりたいなんて言い出したら困るからな」
夫に言われ、私はその通りだと思う。私だって、さやにヤクザになってほしいわけではないのだ。だが幸いにも、さやはヤクザになりたいと言うこともなく、その後も普通に学校生活を楽しんでいた。
「そうだ、お母さん。あの人の子供と話す機会があったんだけど、あの人がいなくなってから、お父さんと仲良く過ごしているって。以前はお母さんが面倒ごとを色々起こしていたから大変だったけど、今は静かに過ごせているからラッキーって言ってたよ」
さやは笑顔で学校での出来事を報告する。私は、さやがヤクザに興味を持たなかったことに、胸を撫で下ろすのだった。



