「お前みたいなじじいに何が分かるんだ。カウンターに立つな。店の評判が落ちるだろうが」五○代で高級ホテルのバーに転職した私を、日本一のバーテンダーの弟子だと自負する若手が毎日こう罵倒した。私は何も言い返せず、黙ってグラスを磨くしかなかった。そんなある日、彼が大事な常連客の予約を無視して世界的に有名なバーテンダーに取り入ろうとした。翌日から、予約は次々とキャンセルされ、店は大ピンチに。怒ったオー…

「お前みたいなじじいに何が分かるんだ。カウンターに立つな。店の評判が落ちるだろうが」五○代で高級ホテルのバーに転職した私を、日本一のバーテンダーの弟子だと自負する若手が毎日こう罵倒した。私は何も言い返せず、黙ってグラスを磨くしかなかった。そんなある日、彼が大事な常連客の予約を無視して世界的に有名なバーテンダーに取り入ろうとした。翌日から、予約は次々とキャンセルされ、店は大ピンチに。怒ったオー...

「お前みたいなじじいに何が分かるんだ。カウンターに立つな。店の評判が落ちるだろうが」

五十代で高級ホテルのバーに転職してきた私を、若手バーテンダーの石川は毎日こう罵倒した。私は何も言い返さず、黙ってグラスを磨き続けた。

私は中村。子供の頃、テレビで見たバーテンダーの姿に憧れた。シェイカーを振り、カクテルを作るその姿が、子供心に信じられないほど格好よく映った。それからの私は、夢を叶えるためにあらゆる知識と技術を学び、吸収し、ついにバーテンダーになった。

静かな田舎町の小さなバーで長年働いていたが、古い知り合いの誘いで高級ホテルのバーに転職することになった。新しい職場は若手スタッフばかりで、年配の私は私一人。彼らは私を「じじい」と呼び、見下した。

中でも中心人物の石川はその傾向が顕著だった。彼は日本一のバーテンダーと謳われる小沢の弟子で、様々な大会で上位入賞を果たしている実力者だ。だがその一方で、プライドが高く、お客様を見た目で判断してえり好みし、気に入らなければ影でこき下ろすという悪癖があった。

中でも山田様というお客様が特に石川を気に入って指名していた。少し変わった方で、高級ホテルのバーにTシャツにジーンズというラフな格好で来るような方だ。石川は表向きは愛想よく接していたが、影ではいつもの悪癖が顔を出していた。

「あんなやつに酒を作らなきゃいけないなんて最悪だ。あいつに俺の作るカクテルは釣り合わないだろう」

「まあまあ、相手はお客様ですから」

そう止めようものなら、石川は不快そうに鼻を鳴らした。

「じじいに何が分かるんだよ。余計なことは言わずに皿でも洗ってろ」

そんなある日、山田様が若い女性を伴って来店し、いつものように石川を指名した。しかし、その日は世界に名を轟かせるバーテンダーのポープがホテルに宿泊していた。世界大会の審査員も務める彼に顔を売りたい石川は、山田様の予約を無視してポープに会いに行こうとしていた。

さすがに私だけでなく、他の若手スタッフも止めに入った。

「まずいですよ、石川さん。お客様の指名を無視するってのは」

けれど誰が何を言っても、石川は聞く耳を持たない。

「世界のポープに顔を覚えてもらうチャンスなんだよ。あのお客の相手はお前ら適当にやっといてくれよ」

そう言い残して、石川はポープの元へ行ってしまった。仕方なく山田様は残ったスタッフでどうにか相手をしたが、当然ながら納得できないような複雑な顔をしていた。

その日、店が閉店してから戻ってきた石川はご機嫌だった。あのポープにカクテルを作ったんだぜと、顔を蒸気させて話す石川を見て、こちらの気も知らないでと嫌な気持ちになったのは私だけではないだろう。

ともあれ、この件はこれで終わったと思っていた。異変が起きたのは翌日からだった。

あんなにたくさん入っていた予約が、次から次へとキャンセルされたのだ。高級ホテルのバー。しかも折り紙付きの実力を持つバーテンダーもいる。この店はいつも予約でいっぱいで、キャンセルなんてほとんど出たことがない。それが突然キャンセルに継ぐキャンセル。十分異常と言える事態だった。

スタッフたちが戸惑っているところにやってきたのは、怒り心頭の様子のオーナーだった。

「石川、一体どういうことだ?」

突然怒鳴られた石川は、驚きのあまり目を丸くして固まっていた。

「オーナー、一体どうしたんですか?」

私がオーナーに声をかけると、彼は石川に向かってさらに言った。

「どうもこうもない。石川、お前、山田様の予約をすっぽかしたそうじゃないか。山田様はそのことで恥を欠かされたと、大変お怒りだ」

「で、でもあの時はポープがホテルに来ていて……」

「それにどうしてあの客がそんなに……」

石川を見て、オーナーは長いため息をついた。

「あのお客様、山田様はな、このホテルに多額の寄付をしてくださっている方なんだ。それをあんなに怒らせてしまって……」

オーナーの話によると、どうやら山田様は大変な資産家のようだ。しかもあらゆる業界に顔が効き、とてつもなく広い人脈を持っているらしい。なんと当のポープまでも、山田様がホテルに招待していたというのだから驚きだ。石川は重大さに気づき、青ざめて震えている。

私はオーナーの話を聞くうちに、ふと気がついた。

「オーナー、山田様はあちこちに顔が効くと仰いましたね。もしかして今回のことは、山田様が……」

オーナーは渋い顔で頷いた。どうやら石川に予約を無視された山田様は、その広い人脈を使ってこの店の悪い噂を流したようだった。つまり、客をえり好みして差別するような店だと。その悪評が広まり、キャンセルが相次いだというわけだ。

さらに悪いことに、あの時一緒に来店していた若い女性は、山田様のお嬢様なのだそうだ。あの日、山田様はお嬢様の婚約祝いにこの店を訪れたのだった。

「山田様は石川の腕を買っていたんだ。だからお嬢様に最高のカクテルをご馳走すると言って、このお店に来てくださったそうだよ」

最初の怒りはどこへ行ったやら。オーナーは今やしょげた植物のようになっていた。石川も他のスタッフたちも顔面蒼白のまま、何も言わない。

「山田様に謝罪をしましょう」

凍りつくような沈黙の中、私は言った。

「山田様とお嬢様をもう一度店にお招きして、石川さんが作ったお酒を飲んでいただきましょう。そして誠心誠意謝るのです。なんとしてでも山田様の信頼を取り戻さなければ、この店、いや下手すればこのホテル自体も危なくなります」

「石川さん、あなたが作るんです。山田様への謝罪のカクテルを」

それまで呆けていた石川の顔に、一瞬苛立ちがひらめいた。

「うるせえ。俺に指図するんじゃねえ。お前みたいなじじいに何が分かる?」

そう言った瞬間、思いもよらぬ声が割って入った。

「やめろ、石川」

その場の全員が驚いて、声がした方へ目を向けた。そこに立っていたのは、現ジャパンチャンピオンのバーテンダーで、石川の師匠でもある小沢だった。

「どうしてここへ……」

石川が呆然と呟く。

「オーナーに連絡をもらって飛んできた。それより……」

小沢は私のそばへ歩み寄り、静かに頭を下げた。

「中村さん、申し訳ありません。石川が無礼な振る舞いを……」

「お、小沢さん!」

石川が慌てて小沢に駆け寄った。

「やめてください。どうしたんですか? 何でこんなじじいに……」

そんな石川を、小沢は「いい加減にしろ」と一喝した。石川がびくっと震え、動きを止めた。周りのスタッフたちは息を飲んで事態を見守っている。

「お前は、この方が誰か分からないのか?」

石川は困惑して、私と小沢の顔を見比べる。そんな石川の様子を見て、小沢はため息をついた。

「中村さんはな、過去数々の大会で賞を取り続け、かつて日本一になったこともある、伝説のバーテンダーなんだよ」

「小沢君、伝説は言いすぎだろう」

私は思わず口を挟んだ。

「いえ、そんなことはありません。あなたは私の憧れだった。あなたのようなバーテンダーになりたくて努力したから、今の私があるのです」

そんな私たちの様子を、石川や他のスタッフたちは信じられないような目で見ている。

そう、私はかつて、都会のこの店のような高級ラウンジでバーテンダーをやっていた。子供の頃からの夢を叶えた私は、着々と実力をつけ、様々な大会に挑戦した。日本一の称号を得た私は世界でも活躍するようになり、気づけば「伝説のバーテンダー」と呼ばれるようになっていた。

しかし試練は突然やってきた。私の最愛の娘に病気が見つかったのだ。肺の病気だった。医師が言うには、空気のいいところで暮らすのが一番の治療になるらしい。ならば私の取る道はただ一つ。私はすぐさま都会の高級ラウンジを辞めた。オーナーや同僚たちからは引き止められたが、私はどうしても病気と戦う娘のそばにいてやりたかった。

そして私たち一家は、空気の綺麗な静かな田舎町へと移った。それからその町の小さなバーに再就職し、妻と共に娘を支えた。綺麗な空気と治療の甲斐あって、娘は少しずつ元気になり、ついに病気を克服した。病気が治った娘はそれからは健康に育ち、この春、結婚して家を出た。

もう私の役目は終わった。そう思っていた矢先、小沢から十数年ぶりに連絡が入った。高級ホテルのバーで後進を育ててくれないかと。そうして私はこの店のオーナーに紹介され、ここで働くことになった。

「石川、私はお前にもっと大きくなって欲しくて、中村さんから多くのことを学んで欲しくて、彼をここに呼んだんだ」

石川は何かを言おうと口を開きかけたが、小沢はそれを制し、表情を引き締めた。

「いや、今はそんなことを話している場合ではないな。オーナー、私も山田様とは多少の付き合いがあります。なんとかもう一度来店していただけないか話してみますので、任せてもらえませんか?」

「分かった。お願いするよ」

そう言ってオーナーは頷いた。

「それから中村さん、石川をよろしくお願いします」

小沢はこちらを向いて、先ほどと同じように頭を下げた。私はその肩をぽんぽんと叩いて、頭を上げさせる。

「大丈夫。分かっているよ。こちらのことは心配しなくていいから、私に任せなさい」

頭を上げた小沢と私は頷き合う。そんな私たち二人を、石川は複雑な表情で見ていた。

そしてその日から、私と石川は山田様に提供するカクテルを考案することになった。

「さあ、石川さん、山田様に喜んでいただけるようなカクテルを絶対に作り出しましょう」

石川は私に対してどんな態度を取るべきか思い悩んでいるようで、小さな声で「はい」と返事をした。しかし私はそれには気づかないふりをして、変わらず彼に接した。

山田様に満足していただけるカクテルというのは簡単ではない。石川は何も思いつかないようだった。

「ふ、普通のカクテルでは到底満足していただけないでしょうからね」

石川はしょんぼりと俯いてしまったが、私には一つ考えがあった。これならきっと山田様も気に入ってくださるだろう。

「では、少し変わったものを召し上がっていただきましょう」

「変わったもの?」

首をかしげる石川。

「梅干しを使ったカクテルを作ります」

「梅干し? そんなのカクテルに使えるんですか?」

石川が驚きの声をあげる。

「もちろん使えますよ。前の店にいた時に作ったことがありましてね。お客様にとても喜んでいただけました」

梅干しのカクテルを作った時のことを話すと、石川の顔は輝いた。自分も作ってみたいという石川の表情から、新しいことに挑戦することへの興奮が伺える。

「教えてください。お願いします。中村さん」

「ええ、お教えします。必ず山田様に喜んでいただきましょう」

そうして私と石川が新しいカクテルに取り組み始めてすぐに、小沢から連絡が来た。彼がなんとか話をつけてくれて、山田様は三日後に再び来店してくださることになった。

「石川さん、あと三日です。それまでにこのレシピを完璧にしましょう」

「はい、中村さん」

石川はかつての傲慢さはすっかりなりを潜め、今やただひたむきに努力する青年へと姿を変えていた。

そしていよいよ、山田様が来店する日がやってきた。石川は緊張のためか、顔が青ざめている。

「大丈夫です。自信を持ってやりましょう。きっとうまくいきます」

声をかけると、石川は唇をぎゅっと結び、頷いた。

約束の時間が来て、山田様が来店する。今日もお嬢様と一緒だ。カウンター席に着いた二人に向かい、石川は深々と頭を下げた。

「山田様、本日はご来店くださってありがとうございます。先日は本当に失礼なことをしてしまい、誠に申し訳ございませんでした」

山田様は石川の謝罪にも心を動かされた様子はなく、無愛想に頷くだけだった。

「今夜は山田様のために特別メニューをご用意しました。どうぞお楽しみください」

山田様の態度は硬かったが、石川はめげることなく淡々と自分の役目を果たしていった。

「お召し上がりください」

山田様とお嬢様の前に、静かにグラスを置く。山田様はそれを気のない様子で口にして、それから驚きに目を見開いた。

「このカクテルは?」

「梅干しのカクテルでございます」

そう説明すると、山田様は驚いた顔のまま石川とカクテルの入ったグラスを見比べた。

「どうして君が、このカクテルを知っているんだ」

お嬢様が不思議そうに父親を見ている。

「このカクテルは以前飲んだことがある。あれは田舎町の小さなバーだったはずだ」

思いがけない山田様の反応に、石川が思わずといった様子でカウンターの端にいた私を見た。釣られて山田様もこちらを向く。

「あなたは以前、どこかで……」

山田様は何かを思い出すように首を傾げた。

「山田様、ご無沙汰しております。以前このカクテルをお出しした時は、奥様が大変気に入ってくださいましたね」

私がそう言うと、山田様は「あっ」と声をあげた。

「あの小さなバーのバーテンダー……」

私と山田様のやり取りを見て、お嬢様が尋ねた。

「お父さんのお知り合いなの?」

「いや、数年前、母さんが亡くなる前に、行った小さな田舎町のバーでこのカクテルを飲んだんだ。母さんがとても気に入ってね」

山田様は懐かしそうに目を細め、そして私の方へと目を向けた。

「もう何年も前に一度来たきりの客を覚えているのかい?」

「もちろんです。奥様との仲むつましい姿を覚えておりますよ」

横で聞いていたお嬢様も一口飲んで、口元を緩めた。

「おいしい。お父さんとお母さんの思い出のカクテルなのね」

山田様はしばらく黙ってグラスを見つめ、やがて苦笑した。

「このカクテルを出されてしまっては、もう怒っていられないな。こないだのことは、水に流すとしよう」

その言葉を聞いた石川は、泣きそうな顔をして頭を下げた。

「山田様、ありがとうございます」

山田様は石川の謝罪を受け入れてくれた。こうしてこの一件は終わり、窮地を脱したのだった。

その日の閉店後、石川が私のところへやってきた。

「中村さん、今まで申し訳ありませんでした」

素直に頭を下げ謝罪する姿は、今までと別人のようだった。

「俺は今まで自分のことしか考えていなかった。カクテルをうまく作れる腕があればそれでいいって。でも、違ったんですね」

真剣な眼差しで石川は語る。

「そうですね。もちろんカクテルを作る腕も大事です。でもバーテンダーは自分のためにカクテルを作るのではなく、お客様のために作るのです。それを忘れてはいけません」

私の言葉に、石川はしっかりと頷いた。

「はい。肝に命じます。そしていつか俺は、中村さんのようなバーテンダーに必ずなって見せます」

新たな決意を口にした石川に、私は微笑んだ。きっと彼はこれからもっともっと成長するだろう。そしていつの日か私を超えて、ずっと高く羽ばたく時が来る。まだ見ぬその日を楽しみに待つとしよう。

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