「父さんの金目当ての居候の家政婦はもう必要ない。あんたは今から他人です。今後一切、俺に関わらないでください。」
夫の連れ子である大輔は、私のことを家族ではなく、本当に家政婦のような存在だと思っていたらしい。
「大好き、やめろよ。そういう話は父さんの前だけにしておけと言ってるだろう。またギャーギャー怒られるのは父さんなんだからな。」
夫の健一は酒が入っていたのか、上機嫌で調子に乗っていた。私を大輔からかばうでもなく、むしろ一緒に面白がって人を馬鹿にするような態度だった。さすがの私も愛想が尽き、2人の態度に呆れながら返事をした。
「分かったわ。大学合格のお祝いに。希望通り、あなたたちとは今後、他人の関係にします。」
それを聞いた2人はゲラゲラと腹を抱えて大笑いした。しかしその後、アメリカに着いた大輔から、すがりつくように電話がかかってきた。
「わけが分からないんだけど、俺の夢の大学生活が…。助けてくれよ。」
つい先日まで私をコケにし、他人だと吐き捨てた大輔が、私に助けを求めてきたのだ。しかし私は他人なのだ。
「あなたがどうなろうと、他人の私が知ったことではありません。お父さんと一緒に自分たちで何とかしてください。」
そう言って電話を切り、希望通り一切関わらないことにした。だが、大輔も夫も私への仕打ちを一生悔むことになるのだった。
私はミキコ。職業はイラストレーターだ。2年前に仕事を通じて知り合った木下健一と結婚した。健一は会社役員で、現在はセキュリティの整ったタワーマンションに住んでいる。会社役員である夫とイラストレーターである私、世間的には少し不釣り合いに見える夫婦かもしれない。
健一は仕事や自分のステータスに高いプライドを持っており、多少お調子者な面もあったが、「俺に任せておけ」と私を引っ張ってくれる男らしさを好きになり、結婚した。そんな健一には、過去に1度結婚に失敗し、大学受験を控える連れ子の大輔がいた。大輔もまた父に似たのかプライドが高く、父の赴任先であるアメリカの名門大学を目指して受験勉強に励んでいた。
そんな大輔は、私自身と私の仕事を軽く見ているところがあった。確かに、夫である健一のような会社役員の仕事と比べると、イラストレーターという仕事は世間的に不安定に感じられるのかもしれない。イラストレーターという仕事柄、時間の融通は利いたので、妻として、母として家族の力になろうと努力した。大輔は学生のため昼食が必要だった。朝は苦手だが、私は少しでも受験勉強を頑張る大輔の力になろうと、毎朝早く起きて大輔に弁当を作って持たせたり、仕事の合間を縫って学校や塾の送り迎えを続けていた。
ところが大輔は、私が作った弁当を一口も食べずに帰宅すると、わざと私の目の前で中身をゴミ箱に捨てたのだ。
「どうしたの? 食べる時間がなかったの? お腹が痛かったの?」
「全体的に茶色で色味が悪くて、食べる気になれなかった。それに俺は魚より肉が好きなんだよね。」
せっかく早起きして作ったお弁当を、食べずに捨てられてしまい、私は悲しかった。
またある日、こんなことがあった。大輔は塾に通っているため帰宅時間が遅くなることがある。そのため早めに仕事を切り上げて指定された時間に迎えに行くのだが、到着しても大輔が見つからなかったため、私は大輔に到着の連絡を入れた。
「迎えに来たわよ。今どこにいるの?」
「遅すぎるんだけど。待つのが嫌だったから、先にバスで帰っちゃった。」
遅くなるから迎えに来てほしいと言ったのは大輔なのに、「待つのが嫌だ」という理由で先にバスで自宅に戻っていたのだ。せっかく迎えのために急いで仕事を切り上げたのに、連絡もせずに勝手なものである。
「それなら、そう言ってほしかったわ。こっちも仕事の都合があるのよ。」
「はいはい。でも母さんは仕事と言っても、家で好きな時間に絵を描いているだけじゃん。そんな怒らなくてもいいんじゃないの?」
どうも大輔は分かっていながらも、面白半分で私にこのような小さな嫌がらせを繰り返しているようだった。さらに大輔の行動はエスカレートしていった。私の財布から勝手に現金を抜き取って、遊びに出かけるようになったのだ。なぜか私のお金が減るのが早い気がすると思っていたが、ある日、大輔が私の財布をこっそり開けているところを目撃した。
「人のお財布を開けて、一体何をしているの? 最近妙にお金が減ると思っていたけど、大輔が取っていたの。」
「しまった。見られた。」
「お父さんからお小遣いはもらっているんでしょ? お金が足りないとか欲しいものがあるなら、そう言えばいいじゃない。」
すると大輔はこう言った。
「ケチだなあ。いいじゃん。受験勉強の息抜きに外へ行きたいから、お金が必要なんだよ。息抜きぐらいさせてくれよ。」
「身内とはいえ、人のお金を取るのは泥棒と一緒だよ。お金が必要であれば、財布からこっそり抜かずに行ってちょうだい。」
私の言葉を聞いた大輔は、こう言い返してきた。
「そうは言うけどさ、その財布の中身、随分入っていたけど、どうせ父さんが稼いだ金だろう。それ、俺が受験の息抜きに使うだけの話じゃん。」
私だって働いて稼いでいるし、そういう問題ではないのだが、大輔は聞く耳を持たない。このようなことが続き、困った私は仕事から帰宅した夫の健一に、大輔を注意してほしいと頼んだ。私の話を聞いた健一はこう言った。
「あいつの態度には困ったものだなあ。分かった。話をするから俺に任せておけ。」
そう言って健一は大輔の部屋へ向かった。
「おい、大輔。入るぞ。」
大輔の部屋に入った健一だが、私に任せろと言っておきながら、実際の部屋の様子はこうであった。
「妻がこんなことを言ってるんだけどさ、お前何をしているんだよ。おかげでキーキーうるさくて大変じゃないか。」
「なんだよ、父さん。俺はあのおばさんをちょっと冷やかしてやろうと思っただけだよ。」
「いや、お前、人の妻を『おばさん』とか言うなよ。」
注意するどころか、息子の大輔と一緒になって私を笑いものにしていたのである。
「全く、もっと若い美女と再婚しろよな。父さんの仕事や収入なら、もっといい女に行けたのに。」
「そう言うなよ。妻も家事や俺たちの世話をよくやってくれてるじゃないか。家政婦だと思えばいいんだよ。」
「確かにそこは便利だけどさ、あの人、金目当てで父さんと結婚したのバレバレなんだよ。仕事も不安定そうだし、完全に売れ残りの40代じゃん。」
健一が何を言っているかは分からないが、大輔の声は大きく私にも聞こえていた。薄々感づいてはいたが、やはり私のことをそんな風に思っていたらしい。健一は私に何とかすると言った手前、さすがに話し声が聞こえないよう声のトーンは落としているが、聞こえてくる会話の雰囲気で、どんな話をしているのか察しはついていた。結婚当初は男らしいと思っていた夫も、頼りにならず口先だけだということが分かり、期待を裏切られた気分である。
大輔はこのように時々健一と一緒に私をネタに面白おかしく盛り上がっているようで、ある日、こんなものを見せつけてきた。
「ちょっとこれ見てよ。面白いものが出てきたんだけど。」
それは記入済みの離婚届だった。驚いた顔の私を見て、大輔は満足そうだ。その離婚届を大輔が持っている経緯はこうだった。
「父さん、いつでもあのおばさんとさよならできるように、これ書いておいたらいいんじゃない?」
「これは離婚届じゃないか。全く、お前は変なものを持ってくるなよ。」
「いいからいいから。はい、ここに父さんの名前を書いて。これを見せたら、あのおばさんびっくりしそうで面白くない?」
「おい、ふざけるなよ。せっかくだから名前は書くけど、間違ってもミキコに見せるんじゃないぞ。」
「それじゃ面白くないよ。押すなよ、絶対に押すなよ、みたいな感じで。名前まで書いておきながら絶対に見せるなってことは、見せて驚かせろってこと。」
「さすが父さん。受けるな。」
そのような経緯で手に入れた離婚届を、健一の目の前で私に見せてきた。そしてこう言ったのだ。
「父さんがこんなものを書いていたよ。どうしたんだろうね。結婚生活が嫌になったのかな。父さんに捨てられるのも時間の問題かもね。」
記入済みの離婚届を突きつけられた私は、どういうつもりか分からないが、そんなものを書いた夫にも、それを見せつけてくる大輔にもカチンと来て、離婚届を大輔から奪い取った。その様子を見て大輔は笑い転げた。
こんな態度の大輔だけど、年頃だし、もしかしたら今は大学受験のストレスでイライラして当たっているのかもしれないと思い、私は大人の対応を続けた。大学に合格すれば大輔はストレスから解放され、このような嫌がらせも落ち着くのではないかと考えて日々を過ごしていた。だがその考えは甘く、ついに私の堪忍袋の緒が切れる出来事が起こったのだ。
それは大輔がアメリカの大学に合格した時のことである。健一から大学合格の連絡をもらい、「お祝いするから、大輔の好物を揃えたご馳走を用意してくれないか」と頼まれていた。私は受験を頑張った大輔を労うため、時間をかけてご馳走を作り、用意して待っていた。だが大輔も健一も、待てど暮らせど連絡一つよこさない。待ち続けているうちに夜も更けてきたため、何かあったのではないかと不安になり、警察に相談しようか迷い始めた頃に、2人が酔っ払って帰宅したのだ。
「遅かったじゃない。どうしたの? おかずが冷めてしまったわよ。」
「受験を頑張った大輔を連れて、2人で食事してきた。今夜は合格祝いだから、豪華な食事をしてきたぞ。」
その言葉に私は驚いた。
「みんなで一緒にお祝いしようと、健一が言ったんじゃない。だからご馳走をたくさん作って待ってたのよ。ひどいじゃない。なぜそんなことをするの? 私のことを何だと思っているの?」
私が怒りながら2人の非常識ぶりを非難すると、大輔は笑いながらこう言った。
「父さんの金目当てで家に入り込んできた人がいたことを、すっかり忘れていたよ。存在自体を忘れてた。」
ニヤニヤしながら、さらにこう続けた。
「アメリカの大学に入学が決まったことだし、父さんの金目当ての居候の家政婦はもう必要ない。あんたは今から他人です。今後は他人として俺に関わってほしくないな。」
大輔は私のことを家族ではなく、本当に家政婦のような存在だと考えていたらしい。
「だからお前、そういう話は父さんの前だけにしておけと言ってるだろう。またギャーギャー怒られるのは父さんなんだからな。」
健一は酒が入っていたのか上機嫌で調子に乗っており、私を息子から庇うでもなく、むしろ大輔と一緒に面白がって人を馬鹿にするような態度だった。さすがの私も愛想が尽きた。
「分かったわ。」
2人の態度に呆れながら返事をした。
「それじゃあ、大学合格のお祝いに、希望通りあなたたちとは今後、他人の関係です。」
それを聞いた大輔は、こちらを向いて大笑いした。
「おやったね。」
そして健一に向かってこう言った。
「俺は父さんと違うから、誰かさんとは真逆の、若い金髪美女を彼女に連れて帰るから。」
「それは楽しみだ。将来有望だな。」
大輔から他人宣言されたこともあり、酔った健一のヘラヘラした態度を見ながら、こちらも腹が決まった瞬間であった。
そして時は流れ、いよいよ大輔が入学のためアメリカへ旅立つ時が来た。
「それじゃ行ってくる。海外の大学に通えるだなんて、俺の未来は明るいな。勉強を頑張った甲斐があったぜ。」
この日のために新しく揃えた服にスーツケース、背伸びした高価な腕時計。海外の大学へ進学する大輔は希望に溢れていた。大学を卒業したらエリートコースは約束されている。日本に帰ったら一流企業に入社だ。不安定なよく分からない仕事をしながら人に養ってもらえる誰かさんとは大違いだ、と部屋でイラストレーターの仕事をこなしている私に聞こえるように、そんな失礼なことを言っていた。
しかしもう何を言われても気にすることなく、私は自分の仕事に集中し続けた。こちらも大きな仕事を抱えているため忙しいこともあるが、私は自分の仕事や作品に心血を注いでおり、生涯の仕事と決めているため、大輔と健一の言葉や存在は気にしないと決めたのだ。大学合格後の大輔は勉強から解放されて日を問わず遊び放題で、私に他人宣言をしておきながら、大学入学の手続きなどの面倒ごとは全てこちらに丸投げであった。それを大輔は当たり前のように過ごし、当日はそ知らぬ顔でアメリカに旅立っていった。
大学合格時の2人からの扱いが許せなかった私は、あの日以来大輔とは必要最低限の会話しかしておらず、当然旅立ちの日も見送りなどしなかった。
「さて、これから大輔はどうするのかしら? ま、他人である私にはもう関係のない話なんだけどね。後のことは親子で協力して何とかしてちょうだい。」
私は1人、窓の外を見上げてそう呟いた。
「全部健一が悪いのよ。そしてかわいそうだから最後まで大輔の面倒も見てあげようかと思っていたけど、あんなことを言われたからにはもう知らない。自分たちの力でせいぜい頑張ってね。」
大輔から解放され、全てが終わった気分になり、私はほっと息をついた。しばらくして、アメリカに着いた大輔からすがりつくように電話がかかってきた。
「わけが分からないんだけど、俺の夢の大学生活が…。助けてくれよ。」
私は黙って大輔の話を聞いた。大輔の話によるとこうだ。長旅を経てアメリカに入国した大輔は、「俺の大学はここだな。さすがに日本からアメリカは遠くて疲れたから、パーティーで美味しいものを食べてゆっくり休ませてもらうとしよう」と、目的の大学に到着し、歓迎会に参加しようとした。しかし管理人から「身分確認の書類の提示をします」と言われたので、大輔はそれに従った。ところが身元確認を求められた大輔が、書類としてパスポートを管理人に見せたところ、リストを確認した管理人から「大輔木下さん、入学予定リストにあなたの名前は見当たりませんが」と言われたのだ。「入学予定リストに名前のない人間を中に入れるわけにはいかない」と入室を拒まれた。
「そんなはずはない。何かの間違いだ。もう一度見直してくれないか?」
何度調べても大輔の名前はなく、「そんなはずはない」と押し問答が続いた。このまま管理人と話しても拉致があかないと思い、「他の人間と話をさせろ」と大輔が腹立ち紛れに無理やり入り込もうとし、管理人ともみ合いになった。そこで暴力沙汰を恐れた管理人が慌てて警察に通報したのだ。通報を受けて駆けつけた警察が、興奮する大輔をなだめながら大輔と管理人の話を聞いた。
「俺はここの大学に合格して、春から日本から来た。だけど管理人が、入学予定リストに俺の名前がないから中に入れることはできないって言うんだよ。」
大輔は長旅の疲れもあり、何かの間違いだから早く確認して中に入らせてほしいと警察に訴えた。管理人は管理人で、「大学からもらったリストは人数も部屋もしっかり合っているので間違いないはずだ。だから大輔を中に入れるわけにはいかない」と警察に話す。そこで警察が大学側に問い合わせたところ、担当者から「大輔さんは確かに当大学に合格しているが、大学の入学金が今現在まだ未払いのため、入学は認められない」と返答があった。
大輔は大学に合格はしていたが、その後、入学金と寮費合わせて600万円が全く支払われていないことが判明したのだ。
「入学金が支払われていないだって? どういうことだよ。まさか入金を忘れているのか?」
その結果、入学予定リストから外されていたのだ。支払いがされていないと聞いた大輔は顔面蒼白になり、まず父である健一に連絡をしたが、電話が繋がらなかった。
「どうなってるんだよ。なぜこんな大事な時に連絡がつかないんだ。ちくしょう。」
そして焦った大輔は、私に連絡をしてきたのである。電話に出た私に、大輔はこれまでのことを説明して助けを求めてきた。
「父さんに電話をかけているのに繋がらない。何とかしてくれよ。早く金を振り込んでくれよ。俺はこれからどうすればいいんだ。」
と普通に訴える大輔だが、それに対して私は静かにこう告げた。
「あなたが日本を出る前、大学に合格した時、私に言った言葉を忘れたの? 約束通り、私はあなたに今後一切関わらないことにしたわ。それがあなたの希望だったでしょう。」
「今そんなことを言ってる場合じゃないだろう。おい、聞いているのか? こっちは大変なんだよ。俺の未来がかかっているんだぞ。」
「あなたがどうなろうと、他人の私が知ったことではありません。お父さんと一緒に自分たちで何とかしてください。お金のことは私は一切知らないし、面倒も見ません。」
そう言って電話を切った。その後も大輔から何度も電話がかかってきたが、いずれも無視をした。それでも何度も電話が来るため、最後にはあまりのしつこさに着信拒否をしたのだ。
しばらくして、今度はアメリカの入国管理局から「大輔木下氏はあなたの息子ですか?」という問い合わせのメールが届いた。私はその問い合わせに対して「いいえ、赤の他人です」と速攻で返信した。だってそれは真実なのだから。私と大輔はもう赤の他人なのだから。
その数日後、私が外出しようとタワーマンションの一階に降りると、入り口の前でボロボロの格好をした大輔が立ち尽くしていた。大輔はアメリカへ行ったものの、入学金も入金されておらず、600万円という大金など自分では到底支払える金額ではなかったため、学生ビザが無効になり、強制送還されていたのだ。
「これはどういうことなんだ? なぜお金が支払われていなかったんだ? 父さんに直接聞かなくては。」
何とか日本の元の自分の家までたどり着いたが、大輔は中に入ることができずにいた。タワーマンションは暗証番号を入力して入る仕組みになっていたが、大輔が以前の番号を入力しても鍵は開かなかったのだ。
「おい、どうして住人の俺が入れないんだよ。」
私の姿を見た大輔は、入り口前で喚いた。大輔と顔も合わせたくないし話もしたくなかったのだが、無視をして騒がれるとマンションの住人の迷惑になると思い、私は話をすることにした。
「あなたはもうここの住人ではなく、他人で部外者だからよ。」
私は大輔にそう告げた。
「それよりもまず、なんで大学の入学金が支払われていなかったんだよ。それが全ての発端なんだぞ。」
「その原因はあなたのお父さんよ。お金のことは私にはもう関係のない話だから、一切関わるつもりもないし、お父さんに言ってちょうだい。」
「どういうことだよ。一体父さんが何をしたって言うんだよ。」
大輔は何も知らないようなので、私は秘密にしていた真実を話してあげることにした。
実は健一には、密かに入れ込んでいるホステスがいたのよ。ホステスの気を引くのはとても大変だったみたいで。彼女は高級なお店のホステスであったため、健一は何度もお店に通ったり、気を引くために高価なブランド品をプレゼントしたりと、とにかくお金が必要だった。会社役員の健一は人よりも裕福ではあったが、彼女に貢ぎ続ける生活を送った結果、少しずつ経済的に苦しくなっていった。それでもホステスに入れ上げていた健一は、「自分は社会的な信用もある役員だし、まずバレることはないだろう」と彼女の気を引きたい一心で、ついに会社のお金に手をつけたのだ。一度バレずに会社のお金に手をつけて成功し、味を占めた健一はその後何度も横領を繰り返し、様子を怪しんだ経理担当者に調べられ、最終的にバレてしまったのである。
「申し訳ありません。生活のためにお金が必要で、出来心で…。お金は返しますので、何卒お許しを。」
しかし役員とはいえ横領をした人間が許されるはずもなく、1年前に健一は解雇処分されていた。犯罪ではあるが、役員が会社のお金に手をつけたとあっては会社の評判が落ちてしまう。世間体を気にした会社は刑事告発しなかったため、健一はひっそりと会社を去ることになったのだ。こうして健一は職を失った。その間の生活費は、食費からマンションの高額な家賃など、全て私が支えていた。
実は私は本名ではなくペンネームを使用してイラストレーターの活動をしており、国内だけでなく海外にも多くのクライアントを抱えて仕事をしていたのだ。私のイラストはグッズにも使用されており、文房具屋やゲームセンターのプライズなど、目にする機会は多い作品だが、大輔にはペンネームを教えていなかったため、そこまで活躍しているとは知らなかったようだ。縁あって健一と結婚したが、1人でも余裕で生活できる力はあった。大輔はイラストレーターという仕事を軽く見ていたため、私が健一の金目当てで結婚したと思い込んでいたようだが、私は一度も健一から生活費をもらったことはない。大輔が財布から抜いたお金も、健一からの生活費ではなく、もちろん私がイラストレーターとして得たお金だ。むしろ、失業した健一の生活を支えられるほどに収入があったのだ。アメリカの雑誌で顔写真付きで大きく特集されたことがあるので、もしかしたらアメリカの大学に進学した大輔が私の活躍を目にすることもあるかもしれないと思い、その時にカミングアウトしようと考えていた。
結果的にこのような形で伝えることになったが、大輔は驚いたようだ。
「まさかあのイラストの作者だったのか。めちゃくちゃ有名人じゃん。」
もちろん、健一が解雇された後は、息子である大輔の高校の学費も大学の受験費用も塾の代金も、全て私が1人で負担していた。家族なのだから、わざわざ恩を着せるようなことを言う必要もないと思い、大輔には黙っていた。もちろん大学の費用も、当初は私が支払おうと考えていたのよ。
「そんなまさか…。」
だが大学に合格した大輔からの他人宣言、そしてそれに賛同するような健一の態度に完全に愛想が尽きた私は、もう彼らを支えるのをやめて、見捨てることにしたのだ。大輔の希望通り家族の縁を切ることにして、それと同時に経済的な面倒を見ることをやめた。プライドの高い健一は解雇後もそのことを大輔に言い出せず、かっこいい父親を演じ続けていた。大輔は今の今まで気づかなかったのだ。
「あいつの前では仕事人間の父親でいたいんだ。大輔がアメリカへ行くまでは隠し通してくれないか。」
健一は解雇されたことを隠し、大輔の前では毎朝いつものようにスーツを着て外出していたが、実際にはビルの清掃会社でバイトをしていた。役員の頃とは違い、アルバイトでわずかな収入を得て、生活費のほとんどを私に頼って生活していたのだ。そして大学合格が分かり、私にご馳走を用意させておきながら大輔と2人で外出し、そのことを咎めると大輔から「父の金目当ての売れ残りの他人のくせに」と言われ、私は堪忍袋の緒が切れた。全て話しても良かったが、黙って2人と縁を切ることにしたのだ。
健一の態度も許せなかった私は、大輔の出国後に離婚を切り出すと、健一は慌てながら言い訳をした。
「すまない。あの時は酒が入ってて気分が大きくなっていたんだ。お前には申し訳ないことをした。」
「あの時だけじゃないわよ。あなたは口ばかりだったじゃない。大輔と一緒に調子に乗るばかりで、一度も私のことをかばってくれたことがない。もう信用できない。」
そして以前、面白半分で大輔から突きつけられた、健一の名前入りの離婚届を使用し、役所に提出したのだ。健一は本気で離婚するつもりはなく、大輔に載せられて遊び感覚で書いた離婚届だった。
「その離婚届は大輔と遊びで書いたものじゃないか。なぜそれをお前が持っているんだ?」
「遊びでこんなものを書いたというの? 大輔からこれを見せられた当時の私の気持ちが分かる。でもせっかく頂いた書類だから、こちらで有効活用させてもらうわね。」
健一の留守中に大輔の悪ふざけで私の手元に渡ってしまった離婚届を使い、離婚が成立する形となったのだ。
「あの時は離婚届をありがとう。おかげでスンナリあなたたちとの縁が切れたわ。」
私は笑顔で大輔にお礼を言った。
「そんなわけで、お父さんとはすでに離婚成立しているから、あなたは完全に他人です。イラストレーターの仕事で得たお金で、あなたの学費を払う義理も義務も私にはありません。」
大輔にそうピシャリと伝えた。
「そんなわけで、大学に行きたいのならば、お父さんと一緒に頑張って学費を稼いで、自分の力で言ってください。他人の私には全く関係ない話なので、頼らないでくださいね。」
完全に赤の他人となった大輔に、丁寧に敬語でそう言い放った。
「なんだよ。低収入で父さんに寄生していたわけじゃなかったのかよ。まさか俺たちが逆に生活を支えられていただなんて。」
全てを知った大輔は茫然と立ち尽くしていた。
その後、離婚してタワーマンションを追い出された健一は、役員だった頃には想像もつかないような貧しい生活を送っていた。日々問わず働きながら、古いアパートで細々と暮らしていた。
そこに、大学へ行くこともできず生きる目標を失い、仕事もせずに無精髭を生やしてフラフラしている無職の大輔が上がり込んできた。
「父さん、世話になるぞ。」
「大輔、お前のせいでこうなったんだからな。ミキコの機嫌を損ねなければ、俺たちは今もあのタワーマンションに住み、お前もアメリカで大学生活を送れていたのに。」
健一は自分の女癖の悪さと横領を棚に上げて大輔を責めた。
「離婚届さえミキコの手元になければ、夫婦生活を続けることができたのかもしれない。こんなことにならなかったのに。大輔のせいだぞ。」
と、私に離婚届を渡してしまった大輔を罵倒する。大学さえ行けば人生は安泰だと、勉強しかしてこなかった大輔は、今の自分を受け入れることができずにいた。
「アルバイトなどやっていられない。俺はもっと大きなことをやる人間だ。」
と思い込んでいた。大学も行かず仕事をしていないというのに、大輔は昔からの甘い癖が抜け切れておらず、このような状況の健一に小遣いを要求してきた。
「父さん、ちょっと外へ行きたいから小遣いをくれよ。」
さすがの健一も愛想をつかした。
「お前も大人だろ。いつまでも父さんの脛をかじっていないで、1人で生きたらどうだ。」
と、大輔をアパートから追い出してしまった。アパートを追い出され、バイト経験がない大輔は行き場を失い、公園で寝泊まりするようになった。そして生活に困った大輔は、毎年冬の寒い時期になると公園のゴミ箱を蹴って軽くへこませてから自分で警察に通報したり、交番に水鉄砲で水をかけて「金をよこせ」と無謀な行動を起こし、逮捕された。そして逮捕されることにより、温かい留置所の中で寒い冬を乗り越えているのであった。
一方の私は、イラストレーターを続けながらもっと上を目指したいと考えるようになった。現在は時間もできたことだし、自分のスキルアップのため大学受験に向けて勉強中だ。



