「あの貧しい女を後添えの嫁に迎えるとは、家の恥もいいところだ!」
メイカの親族全員が声を揃えて反対した。ところが老女主人はただ静かに笑うだけだった。
「わしはそなたたちの見ておるものを見ておらぬ。わしはそなたたちの見ておらぬものを見たのだ。」
その一言だけを残し、老女は席を立った。誰一人知らなかった。この老女が、命がけで自分を助けた貧しい女の中に何を見たのかを。その答えは、あなたの想像をはるかに超えている。
全ての答えを知るには、物語の始まりにまで時を遡らねばならない。
ある城下町に、黒竹という一族があった。代々この地の豪商として直参を許された家柄で、大きな屋敷を持つ名家だった。しかしこの屋敷も、女主人一人の肩にかかってからというもの、少しずつ傾き始めていた。外向きの田畑や小作の帳簿は、亡き主人の弟が一人で取り仕切っており、その帳簿がこのところ妙に食い違うという噂が、使用人たちの間で密かに囁かれていた。
屋敷を守る女主人は冬野といった。五十八歳。三年前に主人である黒田が他界してから、この大きな屋敷を一人で背負ってきた人だった。そしてこの屋敷には、一つ奇妙なことがあった。
笑い声がないのだ。
「母上、お食事はお済みですか?」
離れから届く声があった。息子の信太高だった。年は二十八。若くしてこの地の代官に取り立てられ、書も弓も礼儀作法も、何ひとつ欠けるところがない。近隣の家という家が娘を差し出したくてうずうずし、釣り書きが門前に二列をなしたほどだ。
けれども信太高には、誰も知らない空虚な部分があった。心を閉ざした人だったのだ。幼くして父を亡くし、信太は誰にも心を許さなくなっていた。表向きは折り目正しいのに、内側は氷のようだった。あの大きな屋敷に笑い声がないのは、まさにそこに理由があった。
「よく来たな。飯は食ったか。」
「はい。母上、お変わりございませんでしたか。」
「今日は少し座っていかぬか。茶の一杯でも。」
「恐れ入りますが、ご用が立て込んでおります。これにて。」
信太はそう言って下がっていった。親子が向き合っても交わす言葉は、いつもそれだけだった。冬野はいつまでも息子の後ろ姿を見つめるのが常だった。あの子は、いつになったら心を開いてくれるのだろう。その心配が、いつも胸のうちにあった。
誰にも心を許さぬ信太にも、ただ一人だけ頼りにする者があった。叔父の黒田総左衛門である。四十五歳。主人のたった一人の弟だった。兄が死んでから屋敷の外向きのことを全て取り仕切り、田畑も小作も帳簿も全て彼の手を通っていた。幼い信太に手習いを教えたのも彼で、それ故、信太は世の誰も信じずとも、叔父だけは父のように慕っていた。家のことなら何でも任せ、疑うことなど欠片ほどもなかった。
しかし兄が亡くなってから、総左衛門の目つきは変わっていた。信太に子ができぬまま跡が絶えれば、この信頼は全て自分のものになる。内心そう企み、縁談が持ち上がるたびに邪魔をしては、潰しに持ち込んできたのだ。信太は叔父の言葉をそのまま真に受け、何度縁談が壊れても疑うことはなかった。
このままだと誠に家が絶えてしまう。冬野は気を揉んだが、信太の心を無理に開かせることはできなかった。
そんなある春の日のこと。冬野は下女一人連れて市に出かけた。市は魚を売る声、物を売る声で賑わっていた。
「牛だ! 牛が暴れたぞ!」
どこからか悲鳴のような叫びが上がった。市の一角に繋がれていた牛が、綱を切って狂ったように暴れ出したのだった。荷は倒れ、器だけが散った。人々は肝を潰して四方に散り散りになった。その騒ぎの中で、冬野はとと足を踏み外してしまった。
「ああ……」
足が震えて、立ち上がることができない。ところがまさにその冬野に向かって、狂った牛が頭を下げて突進してきた。周りには誰もいない。皆、逃げてしまったからだ。もはや逃れられぬ。冬野は目をぎゅっとつむった。
まさにその時だった。誰かが冬野の体を抱き抱え、横に転がった。
どすん――牛は二人がたった今までいた場所を蹴散らし、土壁に突き当たった。冬野が目を開けると、見知らぬ婦人が我が身を抱き抱えたまま、土の上に共に倒れていた。粗末な木綿の着物をまとい、手は荒れ、見すぼらしいものだった。一目で貧しい暮らしと知れる女だった。
ところがその女の腕から、血が流れていた。冬野を庇おうとして、自分の腕を擦り向いたのだ。
「奥様! お怪我はございませぬか?」
女は息を切らしながら尋ねた。自分の腕から血が流れているのに、まず冬野の身を案じたのだ。冬野はただ呆然と女を見つめるばかりだった。誰もが逃げ去ったその場所に、何ひとつ持たぬように見えるこの女が、一人で命がけで飛び込んできた。
「どうして……危険を顧みず、この老いぼれを助けたのだ」
「人が目の前で遭難しているのを、どうして見過ごせましょうか。ただ体が先に動いただけでございます」
女は冬野を抱えて立たせ、乱れた着物を丁寧に整えてやった。
「さぞ驚かれたことでしょう。ゆっくりと息をお整えください」
その手つきがあまりに温かく、冬野は目頭が熱くなった。冬野は生涯、高い立場の内側でしか生きてこなかった人。人々が冬野の前で頭を下げるのは、黒竹の女主人への礼儀であって、冬野その人への心ではなかった。ところがこの女は、冬野が何者かも知らぬまま身を投げ出したのだ。
「そなたの名は何という?」
「お袖と申します。皆からはただ‘ごぜんさん’と呼ばれておりますが」
女の名は袖。今年二十七だと申した。下の町に住み、一昨年連れ合いを病で亡くし、幼い子らを連れて張り仕事で生計を立てているという。何ひとつ持たぬ女が、最も危険な瞬間に真っ先に身を投げ出したのだ。
冬野は帰りの道中、ずっと袖の顔が忘れられなかった。人の真心は穏やかな時にではなく、危機を向ける時にこそ現れるもの。冬野は籠の中で一人そうつぶやいた。かつて冬野自身も、その言葉を胸に刻んで生きてきたことがあった。
屋敷に戻った冬野は数日案じた末、ついに心を決めた。我が後添えの嫁は、あの人だ。
その一方で、迷いもあった。息子がこの縁にどれほど苦しむか、親族がどれほど猛反対するか、そして何よりあの袖自身がどれほどの辛酸を嘗めることになるか。冬野には手に取るように分かっていた。それでも冬野は思い直した。もし家というものが、心あるものを身分故に切り捨ててのみ名誉を保てぬのなら、その家はすでに一番大切なものを失っているのだ。
翌日、冬野は自ら足を運び、その粗末な家を尋ねた。袖の家は、今にも崩れそうな掘っ立て小屋だった。狭い土の庭に、三人の子供が寄り添っていた。上の子は十二ほどの男の子で、手に古びた一冊の書物を持ち、弟妹に文字を教えていた。
「天は雲、地は土……こう読んでみよう」
「天は雲、地は土……」
八つほどの女の子と、四つの末の子がたどたどしく後に続いていた。
「兄上、この字は父上が教えてくださったの?」
「そうだ。父上が残されたこの書物で、お前たちに文字も算盤も教えてやる。父上がおっしゃっていた。文字と算盤を知れば誰にも欺かれぬ、とな」
貧しい暮らしの中でも、子供たちの目は輝いていた。土間の隅にはわずかな米と箸が、しかし埃りひとつなく並べられていた。縫い下げで袖は自分の口から飯を開け、子供らに先に食べさせていたのだ。
この女はただ心根が良いだけではない。何もない場所で、一つの家をきちんと保っておる。その様子に冬野の心は一層固まった。
「ごぜんさんはおるか?」
「あら、奥様がどうしてこちらまで?」
袖は冬野に気づき、急いで庭に飛び出してきた。手に水がついているのを見ると、ちょうど洗濯をしていたところのようだった。
「今日は折り入って話がある」
冬野は袖を向かい合わせ、少し間を置いてから口を開いた。
「我が息子の妻になっておくれ」
その瞬間、袖の顔が真っ赤になった。
「奥様、それは一体何の仰せでございましょうか! 私は子が三人もおります身でございます。その上、身分卑しい身なのに」
「身分が何だというのだ。わしがこの目で人を見たならば、それで良い」
「しかし奥様、お屋形は近隣一の豪商のお家ではございませぬか。街中が指を差すでしょう。とんでもないことでございます」
袖は手を振ってひたすら固辞した。冬野はそんな袖の荒れた両手を、そっと握った。
「そなたが死の危険を顧みず、あの老いぼれを助けようとしたあの心。わしはその心を見たのだ。そなたなら、我が家をよく守れるだろう」
冬野の眼差しに、いささかの揺らぎもなかった。袖はその日、ついに返事をすることができなかった。
ところが数日後、袖の方から冬野を訪ねてきたのだ。
「奥様。私があの屋敷に入れば後ろ指を刺されることは存じております。ですが、一つだけお願いがございます。私の子三人も、一緒に引き取っていただけましょうか?」
「言うまでもない。あの子たちまで我が孫として抱えよう」
その一言に、袖はついに頭を下げた。子供たちに温かい飯と学びの場を与えてやりたい、その一心からだった。
この知らせが黒竹に伝わると、屋敷中がひっくり返った。中でも真っ先に飛び上がったのは、叔父の総左衛門だった。
「義姉上! 貧しいごぜんを後添えの嫁になさるとは、家の恥もいいところでございます!」
総左衛門は離れが揺れんばかりに声を荒げた。表向きは家を案じるふりをしながら、内心では別の企みがあった。跡が絶えることを願ってこれまで影で縁談を潰してきたのに、よりによって子が三人もいる女だとは。孫でも生まれた日には、信頼はますます強くなる。卑しいごぜんがこの家の女主人の座を占めるとは、ご先祖様が泣いておられよう。
「もう良い」
冬野は静かに言った。
「人の真心は、穏やかな時にではなく危機を向ける時にこそ現れるもの。わしはその真心を見たのだ。そなたが何と言おうと、わしの心は変わらぬ」
冬野の声は静かだったが、その中には鉄の重みがこもっていた。総左衛門は唇を噛んだ。義姉の頑固さを崩せぬことを知っていたからだ。しかし素直に引き下がるような人物ではなかった。
「分かりました。義姉上のお心が固くお決めなら」
表向きは一歩引くふりをした。しかし離れを出るその目つきは、冷たく凍りついていた。
「せいぜい入ってくるがいい。その座がわしの座になるのか、それとも墓穴になるのか。いずれ思い知るだろう」
こうして、一人の貧しい女が近隣一の豪商の家に嫁ぐこととなった。街中がこの奇妙な縁を噂したが、冬野だけは知っていた。自分が何を見たのか、何を信じてこの決断を下したのかを。
結納の日、黒竹の庭には幕が張られたが、祝いの席というにはどこか寒々しいものだった。式の向こうからは「乞食同然のごぜんをもらう祝いに、誰が来るものか」という囁きも聞こえてきた。袖はその言葉を全て聞きながらも、唇を固く結んでいた。花婿の信太は、表情を一つ変えずに盃を受け取った。
その夜、信太は袖に背を向けて座った。
「奥。私は母上のお心に逆らうつもりはない。しかし、それだけだ。私に何も期待しないでいただきたい。あの子供たちのことも、父親らしいことなどできぬからな」
袖はしばし待ってから、静かに口を開いた。
「あなた様。私はあなた様に、今日から女王を寄せていただこうなどとは思っておりません。ただ一つだけお願いがございます。あの子らを、憎しみの対象とだけは思わないでいただきたいのです」
信太の肩が、わずかに動いた。しかし振り返ることはなかった。
「出ぬ。どうして無碍にできないと分かる?」
「分かりませぬ。ですが、あなた様が誰かを憎んでおられるのではなく、ただ深く傷つき心を閉ざしておられるだけだということだけは、私にも分かります」
信太は答えなかった。その沈黙こそが、袖の言葉が突き刺さったことを物語っていた。
「かしこまりました。私はただ、この家の城を守り、子供たちを立派に育てます」
信太はそれ以上何も言わなかった。こうして二人の初夜は、冷たい風だけが吹いて終わってしまった。
翌朝から、袖の針のむしろでの日々が始まった。真っ先に袖を苦しめたのは、女中頭のような立場にいた梅という老女だった。
「新しい奥様だなんて。よそから来たごぜんが、何が奥様だ」
梅はわざと聞こえるように皮肉を言った。袖が朝餉のことを尋ねても、
「仮にも奥様が台所のことも知らないんですか? 乞食同然の暮らしをしていた者が、名代の台所を知るわけがないでしょう。ご自分でおやりなさい」
と扱き下ろした。袖は黙って袖をまくり、自ら朝餉の支度をした。使用人たちも同じで、水一つ汲んでもらえず、袖はため息を飲み込んで自ら井戸へと向かった。
そんなある日のことだった。蔵の米が一袋ほどなくなる事件が起きた。梅は待っていたとばかりに騒ぎ立てた。
「ほらご覧なさい。私が言った通りだろう。貧乏人が入ってきてから、米がなくなるんだよ。実家に持ち出したに違いない」
袖はあまりに悔しく、今度ばかりは黙っていられなかった。
「それはどういうことでしょう? 私は蔵に手をつけたことなどございません。濡れ衣を着せないでください!」
袖は初めて声を荒げた。するとその騒ぎを聞きつけて、信太が離れからやってきた。
「何だ、このように騒がしいのは」
「あなた様! 私は潔白でございます」
「黙れ」
信太は袖の言葉を遮り切った。その眼差しは冷たいものだった。
「女主人になったのなら、家中を静かに納めるべきものを、下の者と声を荒げて争うとは。これが名代の作法か。育ちが知れよう」
信太の言葉に、袖の顔は真っ白になった。使用人たちの前での屈辱だった。
「今後、蔵の出入りは女中に任せよう。奥は当分の間、部屋で謹慎しておれ」
信太はその一言を残して背を向けた。袖はその場に釘付けにされたように立ち尽くした。初めて言い返してみたものの、帰ってきたのはさらなる屈辱と謹慎だけだった。使用人たちはその光景を見て、くすくす笑った。
その夜、袖は布団の中で声を殺して泣いた。ここを出て行こうか。子供らを連れてまた元の暮らしに戻れば、もう誰にも辱められずに済む。一度はそう思った。しかし隣で眠る竹松の寝顔を見た時、袖の心は揺り戻された。
いや、ここで崩れれば、あの子らはまた飢える。私が耐えねばならぬのは、屋形様のためではない。母だからだ。
袖は涙を拭い、心を入れ替えた。言い返すだけではダメなのだ。言葉ではなく、黙々と信頼と人柄で示すしかない。
翌日から、袖は口をつぐみ、手を動かした。子供たちも心を痛めていた。長男の敬太郎は十二歳、事女の鈴は八つ、末の竹松は四つだった。子供たちが庭に出ると、使用人の子供たちが遠くから「貧乏人の子供だ」と指を差した。鈴が拳を握りしめると、敬太郎がその手を握った。
「我慢しろ。俺たちが揺らげば、母上がもっと苦しまれる。悔しさを顔に出せば、あいつらを喜ばせるだけだ」
その夜、袖は子供たちを呼び集め、そっと抱き寄せた。
「私たちに何もないからと言って、人として卑しいわけではない。文字を読み、算盤を身につけ、人の道を守ればそれで良い」
「はい、母上」
子供たちが声を揃えて答えた。この一部始終を微笑ましく見守る人がいた。姑の冬野である。冬野は嫁が侮辱されても揺らがない姿を黙って見守っていた。自分で乗り越えてこそ、本物の女主人になれるのだ。ただし夜になると、そっと嫁を自分の部屋に呼んだ。
「疲れているだろう」
「いいえ、お母様。耐えられます」
「嘘をつきなさい。わしには全て分かっておる。今日の数々の出来事で、さぞ心が傷ついたであろう」
「私が至らぬ故です」
「いいえ、そなたのせいではない。人の心とは、真心の前にはいずれ解けるものだ。今しばらく耐えてみよう。春は遅くとも、いつか必ず来るではないか」
冬野の温かい一言に、袖は涙が滲んだ。この大きな屋敷で、自分を人として見てくれるのは、姑の冬野ただ一人だった。
数日が過ぎると、袖は黙々と屋敷を立て直し始めた。夜明けと共に起きて台所を清め、蔵を整理し、洗濯物を干して仕上げた。手の水が乾く暇もなかった。張り仕事で鍛えられた腕前だけあって、手際が見事だった。乱れていた屋敷が、袖の手を通ると次第に整っていった。
ある夜のことだった。梅は寝る間際に戻った台所で、袖が一人、油の下で若い下働きの娘の擦り切れた袖を丁寧に縫い直しているのを見かけた。それは誰に頼まれたことでもなく、誰に見せるためでもない仕事だった。
「奥様、そのようなことまでなさらずとも」
「この娘も、寒い思いをしながら働いているのだから」
袖はさりげなく答えただけだった。梅はそれ以上何も言えず、そっとその場を離れた。この人は私たちを下の者と見下しておられぬのだ。梅の胸に、その時初めてそんな思いが浮かんだのだ。皮肉を言っていた梅も、いつしか口を閉ざすようになった。袖があまりに隙がないので、付け入るすきがなかったのだ。
ところが、この様子を決して面白く思わない目があった。叔父の総左衛門である。
「あの女、思ったより抜け目がないな。屋敷を仕切る腕前が、素人ではない」
総左衛門が最も恐れていたのは、まさにそれだった。袖が屋敷の内情を細部まで見るようになること。これまで彼は外向きの田畑と帳簿を一人で仕切ってきた。小作を取り立てては、その一部をこっそり自分の懐に入れていた。帳簿には受け取った分を少なく記し、残りをこっそり横領する手口だった。兄が死んでから、何年にも渡って続けてきたことだった。信太は学問と役目には明るくても、家政と感情には疎く、しかも叔父を父のように信じていたため、帳簿を確かめようとも思わなかった。
だが、あの女が家政に手をつけ始めれば、いずれ帳簿に目が行くだろう。
ある日、総左衛門は離れに信太を呼んだ。
「おいよ。どうもあの女が家政にあまりに深く手をつけているようで心配なのだ。素性も知れぬ者に、蔵の鍵まで任せるのは危険ではないか」
「しかし、母上がお選びになった方です」
「無論そうだ。しかし、貧しい働き女が一旗揚げて名代の女主人の座を得たのだ。どのような欲を抱くか、誰に分かろうか」
総左衛門の言葉は最もらしいものだった。元々人をあまり信じない性質の信太は、それとなく距離を置いていた袖を一層遠ざけるようになった。
夜が更けると、総左衛門は一人残り高笑いを上げた。あの蔵から消えた米は、総左衛門が人を使ってこっそり持ち出させたものだった。袖に濡れ衣を着せ、信太の疑いを煽ろうとする罠だった。見ておれ、自分から出ていくようにし向けてやる。
こうして袖の不幸は静かに始まった。一方袖は、そのような事情を知らぬまま黙々と自分の場所を守り続けていた。夜になると子供たちに読み書きを教えた。竹松が字を覚えると、家族みんなで手を叩いた。その狭い部屋の中だけは、笑いの花が咲いていた。
そんなある夜のことだった。離れを通りかかった信太が、偶然その光景を目にした。灯の下で、袖が竹松を膝に乗せ、字を教えていた。
「母上、僕も父上のように字が上手な人になるんだ」
竹松が得意に叫び、袖が頭を撫でながら笑った。その笑い声が障子の隙間から漏れてきた。信太はふと足を止めた。幼い頃、父に膝に乗せられて字を教わった記憶が蘇ったのだ。父が亡くなってから、忘れ去ったと思っていたその温もりが、あの部屋の中にあった。
信太はしばらくその場に立っていたが、すぐに首を振り、踵を返した。
「いや、情を移してはならぬ。もしまた信じたものを失うことになれば、今度こそ私は立ち直れぬかもしれぬ」
そうして心を閉ざした。しかし、その時にした光景は、信太の胸の片隅に小さな種のように残った。
季節が変わり、秋も深まった。この地方は大飢饉となった。田畑が涸れ、実らず、民の暮らしは苦しくなっていった。代官である信太は心を痛めた。飢えた民を救うことが、彼の肩にかかっていたからだ。
「名代の蔵の米を放出せねばならぬ。皆の者、蔵に米はどれほど残っておるか」
「それが、蔵は空でございます」
「何と申した? 帳簿には確かに満ちていると記されておるはずだが、なぜ空だと申すのだ?」
役人もわけが分からぬ様子だった。帳簿にはあるのに蔵は空。信太は首をかしげるばかりだった。その米もまた、叔父の総左衛門の手を通じてこっそり消えていた。
まさにその時、総左衛門がやってきた。
「おいよ。良い手立てがある。ちょうど今、蔵にしている米商人がいる。その者から米を買い入れればよかろう。値は多少高くとも、皆の空腹はしのげるはずだ」
総左衛門は最もらしく言った。しかしその米商人とは、実は総左衛門とぐるだった。高値で米を買わせ、その差額を二人で山分けしようという企みだった。信太は人を疑うことを知らず、ただありがたく受けた。
その日の夕方、袖は姑の言いつけで離れに薬湯を運んだ。ちょうど障子の前で、信太と役人が交わす話を耳にした。
「一石に一両とは、いささか高くございませぬか」
「飢饉の事情が逼迫なされたこと、仕方あるまい」
袖はその話を聞いて胸がどきりとした。張り仕事で市を出入りしていた袖は、穀物の相場を手のひらのように熟知していたのだ。一両とは、豊作と言えど一石に二両あれば十分なもの。これは誰が見てもぼったくりではないか。袖はしばらく躊躇した。出しゃばればまた何の目に合うか分からない。しかしこのまま放っておけば、飢えた民がもっと大きな苦しみを受けることになる。
何も言わずに済まそうか。いや、ここで口をつぐめば、私はただの臆病者に過ぎない。
袖はついに決心した。薬湯を持って部屋に入った。
「あなた様。越しながら、一言申し上げてもよろしいでしょうか?」
「何用だ?」
信太は不快な様子だった。
「先ほど、米の値が一石に一両と伺いました。しかし今、市場では一石二両で売っています。恩作で値が上がったとはいえ、これはとんでもない値でございます」
信太の眉がぴくりと動いた。
「奥が、米の値を知っているというのか?」
「私は張り仕事で生計を立て、市場を我が家のように出入りしておりました。米や豆や麦の相場なら、誰よりも詳しくございます。信じられぬのでしたら、人をやって市場でお確かめください。もし私の言葉が間違いでしたら、どのような罰でも受けます。しかし正しいならば、どうか民のために正してください」
袖の口調には、いささかの揺らぎもなかった。信太はしばし袖をじっと見つめた。大胆だとは思いつつも、その眼差しに偽りはなかった。
「これ。今すぐ市場へ出て、米の相場を確かめて参れ」
信太はすぐに役人を呼んだ。しばらくして戻ってきた役人の報告は、袖の言葉そのままだった。
「誠に一石二両でございます。一両とは倍以上の値でございます」
信太の顔が曇った。自分は倍以上の値で米を買わされるところだった。民のための金を、それだけ無駄にするところだった。
「奥のおかげで、大事を免れた。すまなかった」
信太は袖にそう言った。初めて袖を見つめる目つきが、少し変わっていた。袖は静かに頭を下げた。
「当然のことを申し上げたまでです。民が飢えているのに米を高値で買い入れれば、その損は結局民に帰ってまいります。市場で直接お買い求めになれば、同じ金で倍の量を放出できましょう」
信太は袖の言葉に従い、市場で直接米を買い入れ、飢えた民に放出した。おかげで名代の民は、あの厳しい飢饉を乗り越えることができたのだ。
「代官様の奥方様が、民を救われたそうだ」
「あの乞食ごぜんと言われた人がね。人は見かけによらぬものだ」
市場では、袖を称える声が上がり始めた。かつて指を差していた口が、今は感謝の言葉を口にしていた。
ところが、この一件で最も面白くなかったものがいた。叔父の総左衛門である。米商人と組んで差を懐に入れようとした計画が、水の泡となったのだ。総左衛門はその日のうちに、離れの信太を訪ねた。
「おいよ。なぜあの女の言葉に従って、勝手に米を買い入れたのか?」
「申し訳ございません。しかし市場の相場が一石に二両でございました」
「誰がそのようなことを申したのだ。まさか、あの貧乏女か?」
総左衛門の声が鋭くなった。信太は落ち着いて答えた。
「彼女が教えてくれたことがきっかけですが、役人に直接確かめさせたことでございます。叔父上がご紹介くださった商人が、値段を倍に貸したのです」
総左衛門は言葉に詰まったが、すぐに顔つきを整えた。ここで怒りを見せれば、却って己れを疑わせるだけだと悟った。
「なるほど。それはわしが不覚であった。奥のおかげで大事を免れたというわけか。いや、見事な妻を迎えたものだ、おいよ」
総左衛門はさも感心した風に笑って見せた。信太はその言葉を素直に受け取った。しかし離れを出る総左衛門の顔は、すぐに凍りついたものに変わった。
「あの貧乏女め。よくも吾輩の邪魔をした上に、抜け目まで見せるとは。だが、焦って追い出そうとすれば、却ってこちらが疑われる」
総左衛門は数日を置いてから、さりげなく信太にこう漏らした。
「おいよ。あの女が市場の相場にあれほど通じていたとは、わしも驚いた。しかし、よくよく考えれば、商人の娘がの暮らしをしてきたものだ。金銭の感覚には、人一倍鋭いのかもしれぬな」
何気ない口ぶりだったが、その一言は信太の胸にわずかな棘となって残った。数日の間、信太は袖を見る目に、どこか棘を含ませた。しかし袖は変わらず黙々と家政を守り、使用人たちにも明け隔てなく接する姿を見せ続けた。その姿を目にするうち、信太の中の疑いは自然と薄れていった。
総左衛門は、この企みが不発に終わったことを知ると、内心歯噛みした。この信頼を、別の形で逆手に取ってやれば良いのだ。総左衛門の目つきは、一層陰険になった。
一方信太は、それ以来袖を見る目が変わった。台所の出入りも、それとなく蔵の鍵も再び袖に任せた。
「奥。先立っての蔵の一件は、私が早合点であったようだ。すまなかった」
信太は苦労して口を開いた。袖は静かに首を振った。
「いいえ。あなた様は家を守ろうとなさったのです。私は気にしておりません。ただ、あなた様が人前で恥を欠かせたのは事実です。それより、蔵がまた空になるかもしれません故、これからは出入りの品を帳簿に細かく記しておくのがよろしいかと存じます」
袖の言葉に信太は頷いた。その慎ましやかで、しっかりとした答えに、信太はますます心引かれるものを感じた。
数日後、信太は偶然、袖が使用人たちを扱う様子を目にした。皮肉を言っていた梅の痛む膝に、袖は自ら薬を塗ってやっていた。
「膝が随分腫れているね。この薬を塗って、しばらくゆっくり休みなさい」
「まあ、奥様。これまで意地悪をしてきましたのに、どうしてそんなに温かいことを」
「いつまでも心に留めておくものですか?」
梅は涙ぐんだ。それ以来、梅は袖のこととなると、誰よりも信頼するようになった。その一部始終を、信太は傍らで見守っていた。
この女は、恨んでも良いはずなのに、決して人を恨まない。母上が、なぜあの人を選ばれたのか。今ようやく少し分かる気がする。信太の凍りついていた心に、ついに小さな隙間が開き始めた。
そんなある日、信太は長男の敬太郎と出会った。敬太郎は縁側に腰かけ、古い書物を広げて何やら考え込んでいた。
「何を考えておるのだ?」
「あっ、殿様。父が残した書物で、算盤を学んでおりました」
敬太郎が丁寧に答えた。信太が書物を覗き込むと、十二のことは思えぬほど、算盤がしっかりしていた。
「見事なものだ。だが、この難しい算盤を誰が教えたのだ?」
「亡き父が教えてくれました。文字と算盤を知れば、誰にも欺かれぬと、いつも申しておりました」
「欺かれぬか。最もな言葉だ」
その言葉に、信太は胸が熱くなった。父の教えを、亡き父の教えを、これほど大切に守っている子がいる。
「感心なことだ。分からぬことがあれば、私に聞くが良い」
信太がそう言うと、敬太郎の目が輝いた。
「誠でございますか、殿様?」
「ああ。そなたなら、文字と算盤に明るくあらねばならぬ」
「ありがとうございます、殿様! しっかり学びます」
敬太郎が明るく笑った。信太は思わずその子の頭を撫でようとして、はっと手を引っ込めた。
いや、あまり情を移してはならぬ。
信太はそう自分に言い聞かせながらも、いつの間にかその子に心が向いていることを感じていた。信太の凍った心に、ついに壁を溶かすような温もりが染み込み始めた。しかしその温もりが深まるほど、叔父の焦りと不安も共に募っていった。
敬太郎は、いつしか信太から文字と算盤を教わるようになっていた。そして、亡き父の古い書物をいつも懐に入れて持ち歩いていた。その書物には、商いの手本と算盤がびっしりと記され、商人たちが感情をごまかす手口まで細かく記されていた。敬太郎にとって、父の遺品のような品だった。父は田舎の手習いの師匠で、貧しい子供たちにただで文字を教えていた。それが病気にかかり、薬代もなくて亡くなったのだ。
敬太郎の声が小さくなった。信太はその小さな肩を、そっと撫でた。
「私も幼くして父を亡くした。そなたと同じだ。父が恋しくなったら、いつでも私のところに来るが良い」
「ありがとうございます、殿様」
敬太郎の目が赤くなった。二人の間に、父と子のような絆が芽生え始めた。こうして黒竹には、春のような温かい絆が生まれていった。信太の冷たかった心も、いつしか溶けていた。
ある夕方のことだった。信太は初めて家族全員を一つの場所に呼び集めた。
「今日は夕餉を取ろう。奥も子供たちも、皆席につくが良い」
「あなた様、どうして急に?」
「一人で食べる飯は味気ないものだ。これからは共に食べよう」
信太が穏やかに言うと、竹松が手を叩いて喜んだ。
「わあ! 殿様が僕たちと一緒にご飯食べるんだって!」
「これ。殿様ではなく、これからは父上と呼ぶのですよ」
袖が竹松を窘めると、信太の顔が綻んだ。その日、黒竹の奥座敷には久しぶりに笑い声が満ちていた。あれほど静かだった屋敷に、ついに人の暮らす温もりが戻ってきた。
しかしこの平穏な日々の裏側で、叔父の総左衛門はますます焦りを募らせていた。家が円満になるほど、自分の秘密が露見する日も近づいていたからだ。このままではいけない。手遅れになる前に、あの女を追い出さねば。総左衛門はついに、恐ろしい決心を固めた。
そうしてまた一年が過ぎた。黒竹は見違えるほど変わった。信太はもはや以前の冷たい人ではなかった。役目を終えるとまっすぐ家に帰り、いつしか竹松は信太を「父上」と呼ぶようになっていた。夏には城下で祭りが催され、信太は自ら子供たちを連れて出かけた。竹松を肩に乗せ、敬太郎と鈴には夜店の菓子を買い与え、袖と冬野もその後ろから連れ立って歩いた。
「父上、あちらの屋台も見てみたいです」
「よし、では皆で行こうか」
祭りの雑踏の中、黒竹の一団は、まるでどこにでもある幸せそうな家族のように歩いていた。冬野もまた、台所に立つことの多くなった袖の隣で、久しぶりに手前の支度をするようになっていた。
「お母様、味付けはこれでよろしいでしょうか?」
「うむ。良い加減だ。そなたと台所に立つのも、悪くないものよ」
二人で笑い合う姿を、信太は障子の影から眺めては胸の奥が温かくなるのを覚えた。またある日、町の寄り合いである老女が袖の出自について当てつけを口にしたことがあった。信太はその場で断言した。
「妻の出自をとやかく申される前に、この二年、妻がこの家と民のために何をしてきたか、ひとつご覧いただきたい」
その一言に、その場は静まった。信太が人前で袖を庇ったのは、これが初めてのことだった。袖はその話を後になって使用人から伝え聞き、一人涙をこぼしたほどだった。
ある日、袖が夜遅くまで信太の羽織を作っていた。灯の下で針を運ぶその姿を、信太はじっと見つめていた。
「奥、もう休まれてはどうか」
「これだけ終われば終わります」
「そうか……済まない。これまで冷たく当たってきたのに」
信太はしばしためらってから、ゆっくりと口を開いた。
「奥。正直に言おう。初めは、そなたをただ母上が入れられた人としか思っていなかった。重荷にさえ感じていた。しかし今では、そなたのいないこの屋敷など、想像もできぬ」
袖の手が止まった。その言葉があまりに温かく、胸がいっぱいになった。
「あなた様、そのお言葉は、私には勿体のうございます」
「私の方こそ、すまなく思っている。あれほどの辛い境遇に耐えてくれたこと。あの子供たちのことだが、今では我が子同然に思っている。竹松のおかげで、私は再び笑うことを学んだ」
信太の言葉に、袖はついに涙を見せた。
「これからは、本当の夫婦として暮らしていこう」
「はい。あなた様」
信太が袖の手をそっと握った。夫婦はそうして、互いの心を確かめ合った。
翌日、姑の冬野は二人を見て、大きく笑った。
「これでようやく、この屋敷も人の住む家らしくなったな。わしの目は、狂っておらなかった。信太があのように心から笑うのを見たのは、父を亡くしてから初めてだ」
冬野の顔は、この上なく満足そうだった。
家が幸せに包まれていた、ある日のことだった。袖は蔵を整理していて、偶然古い小作帳を一冊見つけた。何気なく開いた袖は、首をかしげた。
「おかしいな。集めた分と、出て行った分が合わない」
張り仕事で一分まで計算しながら生きてきた袖。しかも家政を任されて、この家の内情を細部まで見てきたところだった。確かに小作はこれだけ記されているのに、実際に入った米は半分にも満たないではないか。残りは一体どこへ行ったのだろう。袖は帳簿を一枚一枚めくって、分を合わせてみた。一年や二年ではない。同じように米が欠けている。袖の胸が冷たくなった。
はじめは蔵の番をする使用人か、あるいは米を運ぶ人足の誰かがこっそり抜き取っているのではないかと疑った。一人一人の出入りを注意深く観察し、蔵の鍵を扱う手順まで確かめてみたが、どれも辻褄が合わない。よくよく考えれば、これほど長きに渡り、これほど巧妙に帳尻を合わせられるのは、外向きの田と小作の全てを取り仕切る者でなければできないことだった。その者とは、たった一人。叔父の総左衛門だ。
「まさか、叔父上様が……」
袖は背筋が凍りついた。しかし軽々しく口にすることはできなかった。証拠もなく告発をすれば、却って無実の罪を着せられるだけだ。袖はその古い帳簿をこっそり隠し、蔵の出入りを記録し始めた。
数日後、袖は姑にそれとなく尋ねてみた。
「お母様。亡くなられた主人様は、叔父上様のことをどのようにお思いでしたか?」
「兄弟仲は良かったが。亡くなる少し前、‘信じている斧に足を切られる’という言葉を残して、ため息をついたことがあった。あの時は意味が分からなかったが……」
袖の胸がどきりとした。姑もまた、亡き主人を疑っておられたのだ。ならば、どこかに証拠を残されたかもしれない。しかし、まだ全ては霧の中だった。
ところが、世の中に秘密というものはないものだ。袖が古い帳簿を覗いていた姿を、総左衛門の腹心である使用人種三に見られてしまったのだ。
「旦那様。新しい奥様が、蔵で古い帳簿を覗いておられました」
総左衛門の顔が真っ赤になった。まさにその帳簿に、自分が米を横領した痕跡がそっくり残っていたからだ。
「あの貧乏女め。ついに気づいたか。このままでは、全てが露見してしまう。蔵……もう猶予はない。あの女を、この家から追い出さねば」
「どのようになさるおつもりですか?」
「素性も知れぬ寡婦が、名代の女主人の座を取っているのだ。親族の間でも、快く思われておらぬ。ならば、その火種に油を注ぐだけ良い」
「油と申しますと?」
「見ていれば分かる。自分から出ていかぬなら、出ていかざるを得ないようにしてやる。近いうちに、あの女はこの家から追い出されることになるだろう」
総左衛門の目には、さっと闇が浮かんでいた。幸せに満ちた黒竹に、恐ろしい暗雲が近づいていた。
ところが、総左衛門の部屋を出る種三の顔は、なぜか暗いものだった。種三は一人、仏間の方をしばらく見つめていた。そして小さくつぶやいた。
「殿様。私はいつまで、この役目を続けねばならぬのでしょうか。新しい奥様には、罪などございませぬのに」
種三には、誰にも言えない秘密が一つあった。しかし、まだその秘密を明かす時ではなかった。種三は重いため息をつき、闇の中へと消えていった。
袖はまだ知らなかった。自分があの帳簿を覗いたその瞬間、すでに恐ろしい罠が自分に向かって近づいていたことを。物語は、いよいよ最も暗い谷間と差しかかっていった。
総左衛門の罠は、姑の冬野を狙ったものだった。ある日、総左衛門は信太を離れに呼んだ。
「おいよ。近頃あの女が、蔵の奥をあまりに頻繁に出入りしているそうだ。しかも古い帳簿まで覗いていると聞く。貧しい寡婦が一旗揚げて名代の女主人になったのだ。欲が出ても不思議はあるまい」
「叔父上。そのようなはずはございません。奥は、そのような人ではございません。先の飢饉の折も、自分の得よりも民を先に考えた人です」
信太は言い切った。以前ならまず疑ってかかったところだが、今では袖を深く信じるようになっていた。総左衛門は内心焦った。単なる疑いだけでは足りない。これほど情が深まっているなら、より確かな手を使わねば。総左衛門の脳裏に、義姉の冬野を罠に落とし入れるという考えがよぎった。しかしその思いつきに、総左衛門自身も一瞬ぞっとした。幼い頃、嫁として自分を迎え入れ、貧しかった若い自分に影でそっと金銭を融通してくれたこともある、その人だった。義姉上に手をかけるなど。総左衛門はしばらくその考えを振り払っていた。しかし蔵の帳簿を思い浮かべるたび、長年積み上げてきた不正が露見する恐怖が、恩義の記憶を少しずつ押しのけていった。ついに総左衛門は、恩を仇で返す道を選んだ。
さらに数日後、総左衛門は薬方を懐に忍ばせ、冬野の寝所の外に立った。障子越しに安らかな寝息が聞こえてくる。そっと中を覗くと、冬野は灯の薄明かりの下、静かに眠っていた。
その寝顔を見た瞬間、総左衛門の脳裏に若い自分の記憶が蘇った。まだ貧しかった頃、誰にも言えず金に困っていた自分に、義姉が黙って包みを差し出してくれたあの日のこと。
「すまない、義姉上……」
総左衛門の指が、薬方の上でぴたりと止まった。長い沈黙があった。しかし総左衛門はゆっくりと首を振った。
「今更、恩義に流されて全てを失うわけにはいかぬ」
自らにそう言い聞かせると、総左衛門は目をそらすようにして薬方を開き、震える指を強引に動かした。それは彼が人としての最後の一線を、自らの意思で踏み越えた瞬間だった。
数日後のことだった。健やかであった冬野が、突然床に伏せてしまった。日に日に病状は重くなり、食事も喉を通らず、意識さえも朦朧として参った。袖は姑のそばを守り、自ら薬を煎じ、片時も離れなかった。
「嫁か?」
「はい。お母様、袖でございます」
「うむ。頭が痛くてな。そなたがそばにいてくれて、心強い」
冬野は苦しい息をしながら、袖の手を握った。
そんなある日、医者が診察に来て、冬野の顔色が変わった。
「これは毒の病ではございませぬ。何者かが薬に毒を混ぜた痕跡がございます」
部屋にいた者たちが皆、真っ青になった。まさにその時、待っていたとばかりに総左衛門が乗り出してきた。
「毒だとならば、奥方様の薬を煎じた者は誰だ?」
皆の視線が一斉に、袖に集まった。これまで姑の薬を自ら煎じていたのは、袖一人だったからだ。
「まさか、新しい奥様が……」
すでに使用人たちが囁き始めていた。袖は目の前が真っ暗になった。
「違います! 決してそのようなことはしておりません! お母様は私にとって、実の母も同然のお方です!」
「黙れ!」
総左衛門が一喝し、あらかじめ呼んでおいた親族の長老たちを見回しながら声を高めた。
「皆様、ご覧ください。義姉上さえ亡くなられれば、この家の家政はそっくり、あの女の手に入るのです。動機は十分にございます」
日頃から袖を快く思わなかった長老たちが、口々に言葉を添えた。場の雰囲気は一気に、袖を追い詰める方向へと流れていった。
この時、信太が駆けつけてきた。
「何事だ? 母上に何かあったのか?」
「義姉上が毒に当てられたのだ。その薬を煎じたのは、そなたの妻だぞ」
総左衛門の言葉に、信太は立ちすくんだ。袖を見つめる眼差しが揺らぐ。
「奥、それは誠か?」
「あなた様、どうか私をお信じください! 決して、お母様を傷つけてなどおりません! お母様は私にとって、天のようなお方でございます!」
袖が切々と訴えた。しかし総左衛門が割って入った。
「気をつけた方が良いぞ。しかもあの女は、近頃古い帳簿まで漁っていたそうではないか。なぜ夜更けにこっそりと、そのような真似をする? 全てこの家の家政のためであろう」
「漁っていた? それは一体……」
信太が袖を振り返った。総左衛門はさらに畳みかけた。
「わし自身がこの目で見たのだ。種三も見ておる。それだけではないぞ。蔵の米が欠けたあの一件も、あの女が入ってから起きたことではないか?」
総左衛門は、これまでの出来事を全てつぎ合わせていった。一度疑いが芽生えると、信太の心はあっという間に揺らいだ。
「奥。どうして蔵の帳簿をこっそり調べたのだ。どうして私に先に話さなかったのだ?」
「それは……まだ申し上げられませぬ」
袖は叔父をかばうことができなかった。証拠もなく、この家の最古参を告発すれば、却って無実の罪を着せられるだけだった。
「ほら見よ。何も言えぬではないか。罪があるから、口が重いのだろう」
総左衛門が含み笑いを浮かべ、親族たちも頷いた。
「あの女を今すぐ追い出さねば。毒を盛るようなものを、どうしてこの家に置いておけようか」
親族の意向は、そのようにまとまった。信太は唇を噛んだ。袖を信じたい心と、叔父と親族への長年の信頼が胸のうちでぶつかり合った。
その時、隣の部屋から冬野のうめき声が漏れ聞こえてきた。意識が朦朧とした冬野が、熱にうなされながら誰かの名を呼んでいた。
「嫁は……嫁はどこだ?」
その声は誰の耳にも届いていたが、病の言葉として聞き流されてしまった。あれが冬野の最後の叫びであったことに、気づく者は誰もいなかった。
袖が毒を盛るような人でないことは、私が一番知っている。だが、証拠もなくこの場で叔父に逆らえば、それがどう見られるか。信太は親族たちの顔を一人一人見回した。その目に浮かぶ疑いは、すでに揺るがぬものになっていた。
信太は拳を握り、視線を落とした。これで追い出せば、誰があのような辛い境遇に耐えられるというのか。そう自分に言い聞かせながらも、信太の胸は張り裂けそうだった。ついに信太は目をぎゅっとつぶった。
「奥……実家に戻っていてくれ」
「あなた様……これは、家の決定なのですね」
「私にも、どうにもならぬのだ」
信太はついに顔を背けた。袖は部屋を出る前に立ち止まり、この二年を過ごした奥の間を振り返った。かつて地獄のようだったこの屋敷は、いつしか竹松が初めて信太を「父上」と呼んだ場所にもなっていた。
「ここは、私たちが確かに生きた場所だ」
袖はそう胸に刻み、子供たちの手を引いて門へと向かった。すると竹松が、何も分からぬまま信太を振り返った。
「父上も、一緒に来てくださるの?」
信太の喉がひくりと動いた。しかし、その口からは何の言葉も出てこなかった。ただ拳を固く握り締め、目を伏せるだけだった。竹松はその沈黙をじっと見つめていたが、やがて何かを悟ったように、それ以上何も言わなかった。袖は幼い息子の手を強く握り、あの大きな門の外へと追い出されてしまった。
行き先と言えば、以前住んでいた市場のほとりの崩れかけた掘っ立て小屋しかなかった。
「兄さん、私たち、どうして追い出されたの?」
鈴が泣きそうな声で尋ねると、敬太郎が歯を食い縛って答えた。
「母上は何も悪いことなどしておられぬ。誰かが母上を落とし入れたんだ。俺は必ず、その真実を明らかにして見せる」
袖はその長男の姿を見て、胸が張り裂けそうになった。姑は生死の境を彷徨い、夫は背を向け、二年かけて積み上げてきた全てが一瞬に崩れ落ちたのだった。
その夜、狭い小屋の中で鈴がぽつりとつぶやいた。
「父上と虎の話を聞いた夜、楽しかったね」
「うん。竹松があの話、好きだった」
「竹松、あの話好きだったな」
竹松が頷くと、敬太郎は黙って竹松の肩を抱き寄せた。誰も言葉にしなかったが、あの奥座敷に笑い声が満ちていたわずかな月日を、三人とも同じように胸に抱えていた。
夜が更けても、袖は眠ることができなかった。そうして眠れぬ目で夜明けを迎えようとしていた時だった。ふと眠っていた竹松が、寝言のようにつぶやいた。
「叔父上……怖い。薬、入れないで」
袖は驚いて、竹松をゆり起こした。
「竹松! 今の、何と言ったのだ?」
「叔父上が、おばあ様のお薬に……粉を入れるのを見たの。怖くて、言えなかった」
袖の全身に鳥肌が立った。竹松が熱で寝込んでいたあの夜、たまたま総左衛門が毒を盛る場面を目にしていたのだ。
「そうだったのか。叔父上様が姑を傷つけて、その罪を私に着せたのだ。……しかし、竹松の言葉だけでは足りない。幼子の証言など、誰がまともに聞き入れるだろうか。証拠がいる。あの者たちが言い逃れできぬ証拠が」
袖は涙を拭い、立ち上がった。
翌朝早く、袖は掘っ立て小屋を出て市場へ向かった。二年まで張り仕事で生計を立てていた場所。袖を知る者たちが、まだ多くいた。
「姉さん。去年の飢饉の時、黒竹に穀物を納めていた商人が、誰だったかご存知でしょうか?」
「あの米屋のことだね。一時随分儲けたと聞いたけど、近頃は港の近くに大きな家を建てたそうだよ」
「その米屋は、黒竹の叔父上様とよく行き来しておりましたか?」
「行き来も何も、二人があまりに頻繁に会っているので、みんな一味だろうと噂してたよ」
袖は手を打った。それまでバラバラだった断片が、一つに繋がり始めた。袖は方々を走り回り、市場の知り合いを総動員して米屋の動きを調べ回った。しかし道のりは平坦ではなかった。米屋の番頭を手伝っていたという小僧を見つけ出しても、その少年は震えながら首を横に振るばかりだった。
「何も存じません。何も見ておりません」
少年の目には、恐怖がありありと浮かんでいた。総左衛門の力を恐れているのは明らかだったが、袖にはそれ以上どうすることもできなかった。さらに数日後、袖はようやく一枚の古い証文を手に入れ、胸を躍らせた。
「これで叔父上様と米屋の繋がりが証明できる」
しかし灯りの下で資料に見直すと、それは黒竹とは無縁の別の商人のもので、名前の一文字が似ていただけの人違いだった。袖はその場にへたり込みそうになったが、涙を拭ってすぐに立ち上がった。
「ここでくじけては、これまでの日々が無駄になる」
それでも袖は諦めなかった。数日の間そうして足を運んだ末、ようやく米屋が横流しした米を買い取った別の商人に生き当たり、その者が取引の記録を記した書きつけを持っていることを突き止めた。
「これがあれば、叔父上様の罪を明らかにできる」
袖はその商人を粘り強く説得した。初めは「うちも巻き込まれてはならぬ」と口をつぐんでいた商人も、幾度も足を運ぶ袖の一途な心に、ついに心を開いた。
「実は私も薄々気づいておりました。あの米がどこから出たものか、検討はついておりましたので。ここに取引の書き付けを差し上げますから、どうかお役立てください」
袖はその書き付けを手に入れた。しかしこれだけでは足りない。米屋と総左衛門がぐるであるという、直接の証拠がさらに必要だった。
「亡くなった主人様も、叔父上様を疑っておられた。ならば、何か証拠を残されたはずだ」
ついに袖は心を決めた。集めた証拠を添えて、役所に訴状を出すことにしたのだ。追われた身ではあるが、真実を明らかにするのは罪人の家族ではなく、一人の人間としての務め。袖は震える手で訴状を書き進めた。米の取引の書きつけを添え、竹松が目にした出来事まで、余すところなく書き連ねた。
一方、黒竹では信太が苦しんでいた。袖を追い出してから、信太はただの一日も心穏やかではいられなかった。空になった奥の部屋を見る度、子供たちの笑い声が消えた屋敷を歩くたび、胸が張り裂けそうになった。
「誠に、あの人がそのような人であったのか。いや、そんなはずはない」
信太が一人思い悩んでいたその時、種三が静かに離れに入ってきた。
「殿様。実は、私がずっと隠しておりましたものがございます。亡き殿様のご命令でございます。殿様がお亡くなりになる前、‘我が弟が家政を乱して穀物を横流ししている。証拠を掴むまでは追い出せぬ。何年かかってもよい。よく見張れ’と、私にお命じになったのです。仏壇の遺位牌の裏に、亡き様が自らお書きになった真の帳簿が隠されております」
信太は雷に打たれたようになった。父のように信じてきた叔父が真の罪人であり、忠実な下人だと思っていた種三が、亡き父の忠臣だった。信太はその足で仏壇へと駆けつけた。遺位牌の裏を探ると、果たして古びた帳簿が一冊隠されていた。亡き父の筆跡に間違いない。帳簿には、総左衛門が毎年横流ししてきた穀物の詳細が、そっくり記されていた。
「私が、私が愚かだった。最も近しい者を疑いもなく信じ、誠に誠実な人を追い出してしまった」
信太の目から、熱い涙がこぼれ落ちた。まさにその時、役所から人が駆けつけてまいりました。袖の出した訴状が、ついに役所を動かしたのだ。
ついに、全てを明らかにする場が設けられた。役所の庭に人々が集まった。代官の信太、親族の長老たち、そして引き立てられてきた総左衛門と穀物商人の米屋が、一斉に立った。追い出されていた袖も、子供たちと共に呼び出された。
袖が集めた穀物取引の書きつけが提示された。
「これは、叔父上様が横流しした穀物が、米屋を通じて取引された記録でございます。日付も黒竹の帳簿と正確に符合しております」
「それは無実の罪じゃ! 何が横流しだ!」
総左衛門は飛び上がった。米屋も怯えながら、「それは吾輩は存じません。ただ穀物を売っただけでございます」と白を切った。取引の書き付けだけでは、総左衛門を追い詰めることが難しくなった。役人もしばしためらった。
「うむ。取引があったことは明らかだが、その穀物が黒竹から横流しされたという、直接の証拠が……」
雰囲気は再び、総左衛門に傾きかけました。総左衛門の口元に、薄気味悪い笑みが広がった。
まさにその時、信太が前に進み出た。
「証拠ならば、ここにございます」
信太が差し出したのは、仏壇で見つけた父の筆跡による帳簿だった。
「これは亡き父が自ら書き記した帳簿でございます。叔父上が毎年横流しした穀物の内容が、一つも漏らさず記されております」
その場に、しばし重い沈黙が流れた。総左衛門はその筆跡をじっと見つめていた。長年、兄の影から逃れようとしてきたその筆跡が、今自分を指す証となって目の前にあった。
「兄上……ただ一人、わしを止められたはずのお方は、もうこの世におられぬ」
総左衛門の顔色が真っ青になった。そこへ種三が進み出た。
「私が証人でございます。元々なき様のご命令を受けた者でございます。おじ様の忠実な下人を装いながら、その罪の証拠を集めてまいりました。蔵の米を抜いて新しい奥様に濡れ衣を着せる手引きもいたしました」
その場に役人たちが色めき立った。種三は、これまで集めてきた証拠を全て差し出した。横流しの帳簿、毒薬を仕入れた薬屋の記録。もはや言い逃れのできない証拠だった。そこに、末の子竹松の証言まで加わった。
「叔父上が、おばあ様のお薬に粉を入れるのを見たの」
竹松の幼子のはっきりとした証言に、総左衛門はもはや弁解の仕様がなかった。
「総左衛門。兄の家政を乱して穀物を横流しし、義姉を毒殺しようと企てて罪なき者に濡れ衣を着せた罪。天も許すまじきものである。直ちに捕えよ!」
総左衛門はその場に、へなへなと座り込んでしまった。十年かけて積み上げてきた悪事が、一瞬にして砂の城のように崩れ去ったのだ。総左衛門はそのまま捕えられ、遠島へと追放されることとなりました。親族からも永久に除名されました。穀物商人の米屋も、罰を受けました。
信太はその光景を見ながら、胸の奥でいくつもの記憶が次々と蘇るのを感じていた。蔵の一件で人前で恥を欠かされても黙って頭を下げた袖の姿。『竹松を憎しみの対象とだけは思わないでいただきたい』とあの夜、静かに告げた声。市井の相場を語った時、罰を受ける覚悟までして民のために正して欲しいと訴えた眼差し。そして、追い出したその日、竹松の問いに答えられなかった不甲斐なさ。
「私を傷つけたものが誰かも見極められず、私を守ろうとした人をこの手で追い出してしまった」
信太はそう思い至ると、いても立ってもいられなくなった。真実が明らかになると、信太は袖の元へ駆け寄った。そして人々の見ている前で、そのまま膝をついた。
「奥。私が愚かで、そなたを疑い、追い出してしまった。何の面目があって、許しを乞えようか」
名代の代官が、追い出したはずの妻の前に膝をついたのだ。袖は涙を流しながら、夫を立たせた。
「あなた様。どうかおやめください。あなた様も、欺かれたのでございます。もう済んだことでございます」
「その広い心が、却って私を打ちのめす。もう二度と、そなたを疑うことはない」
信太はそうして再び、袖の手を取り合った。
毒が明らかになったおかげで、姑の冬野も正しい薬を用いて、次第に床を離れられるようになった。冬野は親族の長老たちを呼び集め、こう言った。
「これでも、我が嫁が素性知れぬ寡婦に見えるかね? 追われた身でありながら、一人の家を救った者は誰か? それが、わしの嫁だ」
かつて指を差していた長老たちも、頭を垂れた。
「我らこそ、人を見誤っておりました」
「いいえ。わしはただ一つ、真心を見ただけのことです」
冬野はそう静かに答えた。ついに袖は、明日から名代の女主人として認められた。子供たちも正式に、黒竹の氏子入りした。
再び月日が流れた。かつて笑い声一つなかった冷たい屋敷は、今では一日中、子供たちの読み書きの声で満ちていた。敬太郎が『天は雲、地は土』と、亡き父が残したあの古びた書物で、弟妹に文字を教えていた。
ある日、信太は妻の手を取って庭を歩きながら、こう言った。
「私は生涯、母上の最も大きな恵みが何であったか、分かるか? そなたを、この家に迎えられたことだ。そなたがいなければ、私は永遠に氷のような人のまま、生きていただろう」
二人の頭上に、温かな春の日差しが降り注いでいた。庭では冬野が、孫たちの読み書きの声を聞きながら、満足そうに座っていた。かつて寺のように静まり返っていた屋敷。今は、子供らの声が朝から晩まで絶えない屋敷。
何一つ持たなかった貧しい女が、危機を向けた時に見せたその真心一つで、一つの家を興したのだ。



