その男は、取引先の新しい部長だった。
「技術がノウハウだって?そんなのは海外の下請けにだってできる。あんたらを切った方がいいぞ」
うちの工場は、その会社の看板商品を支えてきた。それなのに、よりによって新しく来た部長が、こんなことを言ってのけたのだ。
俺はただ馬鹿にされたまま、黙って引き下がるつもりはなかった。
俺の名前は安藤。40歳。父が営む町工場で、技術者として働いている。
子どもの頃は、こんな田舎の工場を継ぐなんて考えたこともなかった。もっと華やかな研究職に就くんだと思っていた。だが30歳の頃、父が倒れたのをきっかけに工場の職人たちと真剣に向き合い、気づいたのだ。この工場の仕事こそが、日本の技術を支えているのだと。
それから10年以上。今では俺も、周囲から次期社長として認められる立場になった。
転機は、ある特許を取得したことだ。高機能樹脂の精密配合技術。軽さと強さという相反する要求を同時に満たす画期的な技術で、俺はこれに長年心血を注いできた。
この技術に目をつけてくれたのが、取引先の部長・横山さんだった。60代の横山さんは、俺の技術と工場の職人技を高く評価し、ぜひ取引してほしいと頭を下げてきた。新しいスマートウォッチを作りたいというのだ。
そのスマートウォッチは、爆発的にヒットした。軽くて薄いのに丈夫で、医療レベルの正確な生体データが測れる。スポーツ選手を中心に口コミで広まり、会社は上場まで果たした。
横山さんは何度も工場に足を運び、「安藤さんの技術のおかげです。本当にありがとうございます」と頭を下げた。退職後は、うちの工場の周りに広がるような田舎で暮らすのが夢だとも、笑いながら話していた。俺たちは、すっかり打ち解けていた。
だが、ある日突然、横山さんから暗い声で電話がかかってきた。
「申し訳ありません。退職することになりまして」
驚いた。上場したばかりなのに。スマートウォッチが売れたおかげなのに。
横山さんの話によると、上場と同時に会社の方針が変わり、上層部が短期的な利益ばかりを追い始めたという。そして、「そんな田舎の工場には挨拶に行かなくていい」と言われ、自主退職を迫られたらしい。
横山さんとの縁が切れた直後、新しく部長になったという竹井という男から電話がかかってきた。声からして50代だろう。妙に偉そうな男だった。
「契約更新が近いんでね。挨拶がてら行くよ。うちも上場したから、オタクの評価もし直さないといけないんでね」
翌日やってきた竹井は、工場とその周囲を見回し、軽蔑したように笑った。
「契約更新だから来たのに、こんな田舎の工場じゃ話にならないわ」
「どんな最新技術の整った工場かと思ったら、こんな古びた工場とはね。いやあ、これは今後が心配だ」
俺は、高機能樹脂を扱うエリアは最新設備だと説明しようとしたが、竹井は興味なさそうに遮った。
「ああ、別にいい。それよりも取引価格の話なんだが」
出した地元の栗まんじゅうも、竹井は嫌そうな顔でテーブルに叩きつけた。
「なんだこれ?俺、和菓子って嫌いなんだよね」
そして、上から目線で言い放った。
「うちは上場して、人材も経費も見直すことになった。つまり、原価を抑えたい。この取引価格、今までの30%を下げてくれ」
父が驚いて言った。
「30%!?そんな無茶な」
俺も続ける。
「材料費も上がっています。うちは今でもカツカツで、値下げは難しいです」
だが竹井は、鼻で笑った。
「見たとこオタク家族経営でしょ。従業員だって大していないし。どうせあんたが引退したら息子が継ぐような工場だろ。そんないつ潰れるか分からない工場に、うちの売上1位の素材を任せるなんてリスクでしかないんだよ。値下げが無理なら、契約更新もしないぞ」
父は、珍しく食い下がった。
「品質を落とさずに、その取引価格ではできません」
竹井はさらに見下すように言う。
「じゃあ、契約終了だな」
人好しで従業員から慕われている父だが、こういう交渉ごとは苦手だ。昔の父なら、30%の値下げを受け入れてしまったかもしれない。だが、父は俺の特許技術を評価してくれていて、俺の開発した技術を安く売るような真似はできないと思ったのだろう。
俺は父の肩を叩き、前に出た。
「30%コストカットしなければうちとは契約終了ということでよろしいですか?ちなみに、うちと契約終了した場合、素材はどちらのものを使用されるか決まっているのでしょうか」
竹井は得意げに言った。
「うちは海外の下請けともパイプがある。プラスチックの設計くらい、いくらでもコストダウンできるんだよ」
「海外の下請けですか?」
「そうだ。ここみたいな古びた工場ではなく、最新設備が整った工場なんていくらでもある。こっちに乗り換えれば、30%以上のコストカットも可能だ」
俺は念を押した。
「分かりました。オタクの売上1位の商品は、うちの特許なしでは作れませんが、それでもいいということですよね」
竹井は余裕の表情で笑った。
「特許?お前の特許は日本国内だけだろ。海外には関係ない。海外でいくらでも作らせるから問題ないんだよ。それに特許と言っても、ただのプラスチックだし、大したものではない。この商品はデザイン性と機能で売れているんだ。わざわざこの素材を使う必要はない」
本当にあの男は、うちの技術を何も分かっていない。
だったら、うちだってこんな会社にすがる必要はない。俺は宣言した。
「じゃあ、今すぐ契約終了だ。契約更新はしない。今月末で契約終了だ」
竹井は腹を抱えて笑い出した。
「おいおい、お前大丈夫か。こんな工場、うちとの契約がなくなったらすぐ潰れるだろう。お前みたいなのが次期社長なんて呆れるね。経営の才能ゼロだよ」
その瞬間、俺よりも先に父が怒り出した。いつもとは違う、迫力のある声で言い放った。
「オタクとは契約終了だ。お引き取り願おう」
竹井は笑いながら立ち去った。
「分かった。契約終了は今月末。つまりあと3日だ。その間にさっさと別の取引先でも見つけろよ」
竹井が出て行った後、父はテーブルを叩いて怒った。
「なんだあいつは。お前の技術を馬鹿にされるのは許せない」
その言葉が、正直嬉しかった。だが、取引先を失ったのは確かだ。新しい取引先を探さなければ。
そう思い、会社の電話を取ると、なんと横山さんからだった。
「今からお伺いしてもよろしいですか?」
驚いたことに、横山さんは10分でやってきた。会社を辞めさせられた後、この近くに引っ越してきたのだという。横山さんは俺たちに謝った。
「私が退職することになったのも、安藤さんの工場を切ることに反対したからなんですよ。私は、ここの技術があったからあのスマートウォッチが爆発的に売れたと確信しています。しかし上層部は、デザインで選ばれるとか、海外でも作れるとか、そんなことばかり言っていて、本当に何も考えていないんです」
父が「うちのせいで申し訳ありません」と言うと、横山さんは首を横に振った。
「そうじゃありません。私もあの上層部の態度には腹が立っていました。どのみち、退職していましたよ」
そして、横山さんは俺たちにとある話を持ちかけてきた。
「今、スーツケースを作っているんです。安藤さんの高機能樹脂なら、薄くて軽くて強度もある。今までにないスーツケースが作れると思うんです。是非、うちとも取引していただけませんか」
俺たちは喜んで、横山さんの会社との取引を始めることにした。
それから3日後、竹井のところに最後の納品を済ませ、縁を切った。竹井からは「海外の下請けで40%のコストダウンができた。もうお前らは用済みだよ」と笑われたが、俺は心の中で思った。笑っていられるのも今のうちだ。
俺たちは気持ちを切り替え、横山さんの会社との新商品開発に本格的に取り組んだ。数ヶ月後、新しいスーツケースが発売された。
「薄くて軽いのに、驚くほど頑丈」
その口コミは徐々に広がり、ついには売上も口コミも1位になった。横山さんは泣いて喜んだ。
「1度ならず2度までも、本当に安藤さんたちのおかげです」
と、そんな時。横山さんが、あるニュース記事を見せてきた。
「そういえば、前の会社ですが、大変なことになってるみたいで」
竹井が得意げに乗り換えた海外の下請けは、当然うちの技術に追いつくはずがなかった。実現できたのは、「薄くて軽い」という部分だけ。上層部は薄さと軽さとデザイン性があれば売れると思っていたようだが、実際に買っていた人たちは、医療レベルの正確な生体データが測れるという特化した価値に惹かれていた。薄くて軽いだけでは、意味がないと。そういう声が多発した。
付加価値がなくなった商品は売れず、会社の業績は悪化。株価は暴落し、ついに上場廃止が決定した。竹井は責任を取らされる形で地方の営業所に左遷され、優秀な人材も次々と辞めていった。
竹井との関わりがなくなったのは良かったが、使っている人たちには申し訳なかった。父は「やっぱりあの会社ともう一度取引した方がいいのか」と悩んだが、横山さんが止めた。
「そんなことしたら、またここの技術が安く見られてしまいます。私に少し時間をください」
そう言って、横山さんは工場を飛び出していった。
その後、竹井から何度も連絡が来た。
「取引価格は10%のコストカットで構わない」
さすがに呆れて、断り続けていると、なんと竹井が直接工場にやってきた。
「3時間以上もかけてきたんだ。こっちの事情も聞いてもらわないと困る」
そして、土下座でもするかのような勢いで言った。
「頼む。もう一度取引してくれ。価格は元のままでいい。いや、10%上乗せでもいい」
「今さら何を言ってるんですか」
俺が冷たく返すと、竹井は焦った様子で言った。
「海外の技術じゃダメだったんだ。お前らの技術がないと、うちの商品は売れないんだよ」
ちょうどその時、横山さんが戻ってきた。竹井を見ると、冷たく笑った。
「ああ、あなたが竹井新部長ですね。元部長の横山です。あなたの采配には驚きましたよ。まさか、この特許技術をコストカットしようとするなんて」
竹井は「いや、これは会社の方針で」と言い訳を始めるが、横山さんは無視して俺たちに告げた。
「スマートウォッチを製造している別の会社から、安藤さんの工場を紹介して欲しいと言われました。スーツケースの実績を見て、是非うちの商品にも、と。今日はそのご報告です」
俺は胸を撫で下ろした。
「よかった。これで竹井さんのような取引先に頼らなくても、利用者の元には新しいスマートウォッチが届けられますね」
竹井は青ざめて叫んだ。
「待ってくれ。頼む。土下座でも何でもする」
本当に土下座をしようとしたその時、父が立ち上がり、竹井の前に立ちはだかった。静かに、しかし力強い声で言った。
「竹井さん、あなたはうちの工場を“いつ潰れるかわからない”と言った。息子の技術は“大したものじゃない”と笑った。この栗まんじゅうを、“嫌いだ”とテーブルに叩きつけた。私はね、技術を馬鹿にされることよりも、息子が一生懸命開発した技術をお金の都合だけで踏みにじられることの方が許せないんだ。あなたは技術に対する敬意が足りない。だから、お引き取りください」
竹井は、何も言い返せなかった。俺は冷たく言葉を続けた。
「うちだって、音社みたいな取引先はリスクでしかないんでね。上場したからって天狗になって、顧客すら逃すような会社とは、もう取引できません」
横山さんも厳しい声で続けた。
「2度と、この工場に来ないでください」
竹井は、何も言い返せずに工場を後にした。
それから数ヶ月後、横山さんが紹介してくれた新しい取引先と、スマートウォッチを発売した。スポーツ選手の間でこの商品は広まり、「これを待っていた」という声も上がっている。売上も好調だ。
何より、使ってもらっている人たちからの声が嬉しい。この仕事をしていて、本当に良かったと思う瞬間だ。
一方、竹井の会社はその後も業績が悪化し続け、株価は暴落。ついに上場廃止が決定した。竹井は責任を取らされる形で地方の営業所に左遷されたという。横山さんの同僚たちも次々と辞めていき、優秀な人材はもう残っていないらしい。
俺たちの工場は、スーツケースとスマートウォッチという2つの柱を持つことができた。父は嬉しそうに笑う。
「お前の技術が、こんなにも多くの人の役に立つなんてな」
俺も返した。
「俺も、父さんの工場があったからこそだよ」
これからも、誰かの役に立つ技術を開発していきたい。そして、技術を大切にしてくれる人たちと共に歩んでいきたい。



