「今すぐ出て行ってください。あなたみたいな人に、この子を触らせたくないんです」…

「今すぐ出て行ってください。あなたみたいな人に、この子を触らせたくないんです」...

病室のドアを開けた瞬間、まゆかさんの鋭い声が私を貫いた。
手に持っていた出産祝いの花束が、震える指の間で揺れている。
今日は人生で最も幸せな日になるはずだった。初孫の誕生を祝うために、朝早くから準備をして病院へ駆けつけたのだから。

「今すぐ出て行ってください」

まゆかさんの顔は怒りで真っ赤に染まっていた。生まれたばかりの赤ちゃんを抱いたまま、私を睨みつけている。

「お祝いなんていりません。あなたみたいな人に、この子を触らせたくないんです」

私は息子の教一郎に助けを求めるように視線を向けた。しかし教一郎は目をそらすばかりで、何も言ってくれない。
病室には重い沈黙が流れた。私は自分がここにいてはいけない存在なのだと、はっきりと感じ取った。

四半世紀以上、息子のために尽くしてきた母親が、なぜこんな仕打ちを受けなければならないのか。
私は過去を振り返らずにはいられなかった。

教一郎とまゆかさんが結婚する時、私は心から祝福した。結婚式の費用として三百万円を援助し、新居の頭金も用意した。
二人の幸せのためなら何でもすると伝えた時の、まゆかさんの涙ぐんだ顔を今でも覚えている。

結婚して三年、なかなか子どもに恵まれなかった二人。まゆかさんは思い悩み、不妊治療を始めた。
高額な治療費に困っていると聞いて、私は迷わず五百万円を用意した。

「お母さん、本当にいいんですか?」
「いいのよ。私にできることがあるなら、何でも言って」

治療は辛く長い道のりだった。思い通りにいかず、まゆかさんが泣き崩れるたびに、私は彼女を抱きしめて励ました。
「大丈夫よ。私がついているから」

そして長い年月が流れ、ついに待望の赤ちゃんが生まれた。
私は誰よりも喜び、朝一番に病院へ向かった。
可愛い孫の顔を見られる幸せで、胸がいっぱいだった。

それなのに、まさかあんな言葉を投げつけられるなんて。
数百万円以上の援助、数えきれないほどの励まし。全てがなかったことにされたような気持ちだった。

私が呆然と立ち尽くしていると、まゆかさんはさらに言葉を続けた。

「お母さんはお金だけ出してればいいんです。顔は見せないでください」

その冷たい言葉に、私の心臓は凍りついた。
お金だけ。私が今まで注いできた愛情は、彼女にとってお金だけの価値しかなかったのだろうか。

「まゆかさん、どうしてそんなことを?」
「どうしてって? お母さん、自分の行動を振り返ってみてください。私たちの生活に口出しすぎなんです」

私は困惑した。口出しなどした覚えはない。ただ心配で時々様子を聞いたり、手料理を持っていったりしただけだ。

「料理の味付けも古臭いし、インテリアのセンスもない。はっきり言って時代遅れなんですよ」

まゆかさんは赤ちゃんを抱いたまま、私を値踏みするような目で言った。
隣で教一郎は黙って下を向いている。

「私が作ったものを、美味しいって食べてくれていたじゃない」
「社交辞令ですよ。本当は味が濃すぎて、教一郎も嫌がってましたね。ねえ、一郎」

教一郎は小さく頷いた。
その瞬間、私の中で何かが崩れる音がした。息子まで私の料理を嫌がっていたなんて。

「それにお母さんの服装も恥ずかしいんです。この前ママ友に会った時、お母さん昭和で時が止まってるって笑われました」

私は自分の服を見下ろした。確かに派手ではないが、清潔で品のある服装を心がけているつもりだった。

「教一郎の出世にも影響するんです。上司の奥様方は皆さんエレガントなのに、お母さんだけ違うんです」
「でも……」
「言い訳はいいです。とにかく、これからは私たちに関わらないでください」

まゆかさんはため息をつきながら続けた。

「正直に言います。お母さんなんて、私たちにとって家族だと思っていません」

その言葉に、私は息を飲んだ。
家族じゃない。八年間、実の娘のように接してきたまゆかさんから、そんな言葉を聞くなんて。

「じゃあ、私は何なの?」
「ATMですよ。ATM。お金を出してくれる便利な機械」

まゆかさんは冷たく言い放った。
その瞬間、今までの出来事が走馬灯のように頭を巡った。
結婚祝い、新居の頭金、不妊治療費、その他にも生活費の援助、車の購入資金。
私が差し出したお金は、全てATMからの出金だったのだろうか。

「教一郎、あなたもそう思っているの?」

私は息子に最後の希望を託して尋ねた。
教一郎は顔を上げることなく、小さな声で答えた。

「母さん、まゆかの言う通りだよ。もう僕たちに干渉しないでくれ」

干渉。
私の愛情は「干渉」という言葉で片付けられてしまった。

「赤ちゃんの面倒もお母さんには頼みません。信用できませんから」
「信用できないだって? 認知症の兆候があるじゃないですか。この前も同じ話を二回もして」

私は愕然とした。あの時はまゆかさんが聞いていないようだったので、もう一度話しただけなのに。

「もう十分でしょう。今までありがとうございました。でも、もうお母さんの助けは必要ありません。むしろ迷惑なんです。教一郎の会社の人に見られたら、恥ずかしいし」

迷惑。
私は震える声で繰り返した。

すると、まゆかさんが思い出したように付け加えた。

「あ、でも、孫の教育費は援助してくださいね。それくらいはお母さんの義務ですから」

義務。
愛情からではなく、義務として金銭を要求される。
私は自分がどれほど惨めな存在になってしまったのか、痛いほど理解した。

病室の空気は冷たく、私だけが異物のように浮いていた。
窓から見える沈みゆく夕日さえ、私を避けているように感じられる。

「わかりました」

私は静かに言った。もうこれ以上ここにいる意味はない。愛情を注いだ八年間は、全て無駄だったのだ。

私は深く息を吸い込んで、最後にもう一度だけ息子に問いかけた。

「教一郎、本当にそれでいいの? 母さんはあなたにとってATMでしかないの?」

教一郎は一瞬顔を上げたが、私の鋭い視線を感じ取ると、すぐに目をそらした。

「母さん、もういいよ。まゆかの言う通りだ」

その言葉を聞いて、私の中で何かが完全に切れた。
三十五年の子育て。この子を産んだ時の喜び、初めてママと呼んでくれた時の感動、熱を出して看病した夜、受験で一緒に頑張った日々。
全てが音を立てて崩れていった。

私は花束を静かにテーブルに置いた。まゆかさんはその花を一瞥もせず、赤ちゃんをあやし続けている。

「わかりました。もうお邪魔しません」

私は静かに踵を返した。

病室のドアに手をかけた時、まゆかさんの声が追いかけてきた。

「あ、そうそう。来月の生活費の振り込み、忘れないでくださいね。それと、赤ちゃんのための貯金も初めてください。月十万円くらいで」

私は振り返らなかった。ただ静かにドアを開けて、廊下に出た。

病院の長い廊下を歩きながら、私は不思議なほど冷静だった。もう涙も出ない。ただ心の中に、冷たい決意が固まっていくのを感じていた。

エレベーターに乗り一階に降りると、病院の外はすっかり日が落ちて、あたりは暗くなっていた。
私は携帯電話を取り出し、登録されている番号を探した。

「もしもし。前沢さん、私、園田です」

電話の向こうで、私の会社の顧問弁護士である前沢の声が聞こえた。

「会長、お久しぶりです。何かございましたか?」
「ええ、例の件を進めてください。予定通りに」
「例の件と申しますと、息子さんの会社との取引見直しの件でしょうか?」
「はい。それと、個人的な援助も全て整理します。詳細は後日お伝えしますが、準備を始めてください」

前沢弁護士は少し驚いたような声で答えた。

「承知いたしました。ただ、息子さんとの関係に影響が……」
「もう関係などありません。私は家族ではなくATMだそうですから」

電話を切ると、私は深呼吸をした。
園田物産の会長として、私は多くの決断をしてきた。時には情に流されず、冷徹な判断も必要だった。
でも、まさか実の息子に対してこのような決断をする日が来るとは思わなかった。

タクシーを拾い、自宅へ向かった。車窓から見える景色はいつもと変わらないのに、まるで別世界のように感じられる。

私は園田物産の会長であることを、息子夫婦には一度も話していなかった。
夫が亡くなった後、会社をついだことも、小さな商社を年商三百億円の企業に成長させたことも。
ただ「お父さんの残した会社で少し手伝いをしている」とだけ伝えていた。

それは、息子には自分の力で生きて欲しかったから。そして、お金目当てで近づく人から守りたかったから。
でも結果的に、息子は母親の本当の姿を知らないまま、ただのATMとして扱うようになってしまった。

自宅に着くと、私はリビングに飾ってある家族写真を手に取った。まだ教一郎が小学生の頃、三人で遊園地に行った時の写真だ。
無邪気に笑う教一郎と、若かった頃の私たち夫婦。

「あなた、私は間違っていたのかしら」

私は亡き夫に語りかけた。答えは帰ってこない。
でももし夫が生きていたら、きっと「思い切り行きなさい」と言ってくれただろう。

私は決意を新たにした。もう理不尽な扱いに耐える必要はない。自分の人生を、自分らしく生きる時が来たのだ。

翌日、私は前沢弁護士と会社の応接室で面会していた。

「会長、本当によろしいのですか? 園田物産は息子さんの会社にとって最大の取引先です。年間売上の四割を占めています」
「構いません。ビジネスは信頼関係が基本です。私を信頼していない人と取引を続ける理由はありません」

前沢は書類を広げながら、慎重に言葉を選んだ。

「それでは、来月末で取引を終了ということで通知を出します。また、個人保証の件ですが、全て解除してよろしいですか?」
「ええ。住宅ローンの連帯保証人も降ります」

私は淡々と指示を出した。心の中ではまだ母親としての情が残っていたが、もう後戻りはできなかった。

前沢との面談を終えて、私は会社を後にした。
きっと今頃、教一郎の会社では大騒ぎになっているだろう。園田物産の取引が年間売上の四割を占めていることは、以前教一郎から聞いていた。

車で移動中、私の携帯電話が鳴り続けている。画面を見ると、教一郎からだった。
でも私は出ない。昨日「関わらないで」と言われたのだから。

夕方、私は都内のホテルにチェックインした。近くにいると、きっと押しかけてくるだろうから。
フロントの方が丁寧に挨拶してくださる。

「園田会長、いつもありがとうございます。本日はスイートルームをご用意させていただきました」
「ありがとう。しばらくお世話になります」

部屋に入ると、大きな窓から東京の町が一望できた。
私はソファーに腰を下ろし、改めて今日の出来事を振り返った。

午後三時頃、教一郎の会社に通知が届いたはずだ。営業部は大混乱だろう。園田物産は二十年以上の取引先だったのだから。
でも、これは情実を挟まないビジネスの決断だ。

そして、まゆかさんの元にも銀行から連絡が入った頃だろう。住宅ローンの連帯保証人を降りる手続きは、前沢が迅速に進めてくれた。

実は、まゆかさんの実家が園田物産の下請けをしていることも、私は知っていた。会社の資料で偶然見つけたのだ。
年商三千万円ほどの小さな部品工場で、園田物産との取引が売上の六割を占めている。

私は窓の外を眺めながら、複雑な気持ちになった。
まゆかさんの父親には申し訳ない気持ちもある。でも、これも仕方のないことだ。私は家族ではなくATMなのだから。

携帯電話を確認すると、教一郎から二十回、まゆかさんから十五回の着信があった。
留守番電話にもメッセージが入っているようだが、聞く気にはなれない。

私は立ち上がってワインセラーから白ワインを取り出した。グラスに注ぎ、夜景を眺めながら一口含む。

「あなた、私は冷たい母親でしょうか?」

私は亡き夫に問いかけた。
でももし夫が生きていたら、きっとこう言うだろう。「文は強い女性だ。自分の決断を信じなさい」と。

今頃、教一郎とまゆかさんは私のマンションを訪ねているかもしれない。
管理人さんには当分帰らないと伝えてある。荷物も必要最小限出してきた。

明日の朝、私は正式に二人の前に姿を表すつもりだ。ただし、今度は園田文個人としてではなく、園田物産会長として。

私は手帳を開き、明日のスケジュールを確認した。
午後三時、都内のホテルで息子夫婦と面会の予定。
その時、二人は初めて知ることになるだろう。ATMだと思っていた存在が、実は自分たちの人生を左右する立場にあったということを。

夜が更けていく。東京の夜景は相変わらず美しく、まるで宝石箱のようだった。
私は静かにワインを飲みながら、明日を待った。

翌朝、教一郎の会社では緊急会議が開かれていたそうだ。
後から前沢弁護士から聞いた話だが、私の決定は即座に大きな波紋を呼んでいたようだ。

「園田物産の会長が、我が社との取引中止を直接指示したそうだ」

社長の怒声が会議室に響いたとのことだ。

「会長って、園田文さんですよね。でも、なぜ急に?」
「知らないのか? 園田物産の創業者の未亡人だ。年商三百億円の大企業に成長させた凄腕の経営者だよ」

教一郎の顔から血の気が引いていく様子が目に浮かぶ。

「その会長の写真とかありますか?」
「ああ、会社案内に乗っているはずだ」

渡されたパンフレットを開いた教一郎は、そこで完全に凍りついたことだろう。
写真に写っているのは、紛れもなく母親である私だったのだから。

「な、なんだって……君のお母さんが園田物産の会長?」
「知りませんでした。母はただ父の会社を少し手伝っているだけだと……」
「お前、何にも知らなかったのか?」

私の携帯電話は朝から鳴り続けていたが、出る気にはなれなかった。
三十五年育てた息子からATM扱いされた母親の気持ちなど、誰に分かるだろうか。

午前中、私はホテルのスイートルームでこれまでの人生を振り返っていた。
夫と二人で小さな商社を立ち上げ、必死に働いてきた日々。
夫が他界した後、女で一つで会社を守り発展させてきた過去。
その全てを息子には隠してきた。

教一郎に心配をかけたくなかった。普通の子供として、自由に生きて欲しかった。
その思いが、結果として今日の事態を招いたのかもしれない。

昼前、私は教一郎にメールを送った。

「一郎へ。今日の午後三時、都内のホテルのロビーで待っています。まゆかさんも一緒に来てください。母より」

もう隠し事をする必要はない。全てを明らかにして、きっぱりと関係を断つ時が来た。

午後三時、私はホテルのロビーで二人を待っていた。
いつもの質素な服装ではなく、会長として相応しいビジネススーツに身を包んで。

教一郎とまゆかさんが現れた時、二人の顔は真っ青だった。特にまゆかさんは、昨日とは別人のように小さくなっていた。

「母さん……」
「座りなさい」

私は静かに、しかし有無を言わせない口調で言った。もう優しい母親を演じる必要はない。

「まず、自己紹介をし直しましょうか。私は園田文。園田物産の代表取締役会長です。従業員は千人、年商は三百億円。あなたたちがATMと呼んだ人間の本当の姿です」

二人の表情を見ていると、少しかわいそうにも思えた。でも、私の心はもう決まっていた。

「なぜ黙っていたかって? 息子には自分の力で生きて欲しかったからです。そして、お金目当ての人間を寄せつけたくなかったから」

私はまゆかさんを見つめた。あんなに可愛がっていた嫁が、まさかこんな本性を隠していたなんて。

「でも、結果的に私の正体を知らなくても、あなたは私をATM扱いしましたね」
「お母さん、あの時は……」
「言い訳は結構です。あなたは私に言いましたね。お金だけ出していればいい。家族だと思っていない。ATMだと」

まゆかさんは顔を伏せた。昨日の傲慢な態度はどこへ行ったのだろう。

「教一郎。あなたも同意しましたね。母親の料理が嫌いだと。私の存在が迷惑だと」
「お母さん、あれはまゆかに合わせただけで……」

私は息子を見つめた。この子を産んだ時の喜びを思い出すと、胸が痛む。
でも、もう後戻りはできない。

「いいでしょう。あなたたちの望み通りにしてあげます。私は家族ではないのですから、ビジネスライクに行きましょう」

私は用意してきた書類をカバンから取り出した。

「まず、園田物産との取引は予定通り終了します。教一郎の会社への配慮は一切しません」
「母さん、それじゃ会社が……」
「次に、住宅ローンの保証人も降りました。新しい保証人を探すか、家を手放すか。お好きにどうぞ」

まゆかさんが涙を流し始めた。昨日の傲慢な態度とは大違いだ。

「お母さん、お願いします。子供が生まれたばかりなんです」
「子供? ああ、私に触らせたくないというあの子ですね」

私の言葉に、まゆかさんは土下座しようとした。

「そんな真似はやめなさい。ここは公共の場です」
「では、どうすれば……」
「どうもこうもありません。あなたたちが決めたことです。私は家族ではなくATMなのでしょう。ATMに感情はありませんし、家族への配慮もしません」

私は立ち上がった。

「もう十分でしょう。あ、そうそう。まゆかさんのご実家の工場との取引も終了します。ビジネスは信頼関係が大切ですから」
「そんな……父の会社が潰れてしまいます」
「それは私の知ったことではありません。あなたが私を家族として扱わなかったように、私もあなたの家族に配慮する理由はありません」

教一郎が必死に引き止めようとした。

「母さん、お願いだ。考え直してくれ。僕が悪かった」
「今更ですね。昨日、私があなたに最後の確認をした時、あなたは何と答えましたか?」

私は最後に名刺を取り出した。

「これが私の本当の姿です。これが、あなたたちがATMと呼んだ人間の本当の姿です。従業員千人分の生活を預かり、取引先の運命を左右する立場にある人間を、あなたたちはお荷物、邪魔物と呼びました」

二人は名刺を見つめたまま、言葉を失っていた。

「さようなら。もう二度と会うことはないでしょう」

私はヒールを返して歩き始めた。背後から教一郎の声が聞こえたが、もう振り返ることはなかった。
三十五年間の母親としての役割は、昨日終わったのだ。

ホテルを後にした私は、そのまま会社へ向かった。
園田物産の本社ビルに入ると、社員たちが挨拶してくれる。

「会長、おはようございます」
「おはよう。今日もよろしくお願いします」

私は会長室に入り、大きな窓から都心の景色を眺めた。
この会社を夫と二人で小さな事務所から始めて四十年。夫が亡くなってからの十五年は、女で一つで必死に守ってきた。

秘書の金子さんがコーヒーを運んできてくれた。

「会長、午後からの会議の資料です。それと……」
「どうしました?」
「いえ、会長が最近お元気そうで、私たちも嬉しいです」

金子さんの言葉に、私は微笑んだ。確かに、心の重りが取れたような気がする。

その週末、私は以前から支援している児童養護施設を訪れた。
子供たちが駆け寄ってくる。この施設には、様々な事情で親と暮らせない子供たちが生活している。

「今日はみんなにプレゼントを持ってきたわよ」
「やった!」

無邪気に喜ぶ子供たちの笑顔を見ていると、心が温かくなる。
施設長の佐藤さんが近づいてきた。

「園田会長、いつもありがとうございます。子供たちも会長が来るのを楽しみにしているんです」
「こちらこそ。この子たちの笑顔が私の生きがいです」

午後は子供たちと一緒に料理を作った。私の古臭い料理も、ここでは大人気だ。

「おばあちゃんの肉じゃが、すっごく美味しい!」
「本当? 嬉しいわ」

八歳のさなちゃんが私の手を握った。

「おばあちゃん、ずっと来てくれる?」
「もちろんよ。約束する」

この子たちは私を必要としてくれている。ATMとしてではなく、一人の人間として。

夕方、施設を後にする時、佐藤施設長が言った。

「実は来月から新しい教育プログラムを始めたいのですが、資金が……」
「詳細を送ってください。検討します」
「本当ですか? ありがとうございます」

私のお金は、本当に必要としている人たちのために使われるべきだ。
感謝の気持ちを忘れない人たちのために。

翌週、私は長年の友人である証子と久しぶりに会った。

「文、顔色がいいわね。何かあった?」
「ええ、人生の整理をしたの」

事情を話すと、証子は深く頷いた。

「辛かったでしょうね。でも、あなたは正しい選択をしたと思うわ」
「本当にそうかしら。実の息子を切り捨てるなんて」
「切り捨てたんじゃないわ。あちらが先にあなたを切り捨てたのよ」

証子の言葉に、私は救われた気がした。

「文、あなたには価値がある。会社の会長としてだけじゃなく、一人の女性として、人間として」
「ありがとう、証子」

その後、私の生活は大きく変わった。
今まで息子夫婦のために取っていた時間を、自分のために使えるようになったのだ。
美術館巡りを再開し、若い頃に諦めた絵画教室にも通い始めた。
新しい友人もでき、充実した日々を送っている。

会社の業績も順調だ。教一郎の会社との取引中止で空いた生産ラインは、より条件のいい新規顧客で埋まった。
ビジネスでも相手を選ぶことの大切さを、改めて実感している。

ある日、会社に一本の電話があった。

「会長、息子さんから電話です。どうしますか?」
「繋がないでください。私に息子はいません」

私はきっぱりと断った。心が揺らいでは、また同じことの繰り返しだ。

後で聞いた話では、教一郎の会社は大幅なリストラを余儀なくされ、教一郎自身も降格処分を受けたそうだ。
まゆかさんの実家の工場も、廃業の危機に瀕しているとか。

でも、それは彼らが選んだ道だ。私をATMとしか見ななかった報いを、今受けているのだろう。

私は今、本当の意味で自由だ。誰かの期待に応えるためではなく、自分の意思で生きている。
児童養護施設の子供たちは私を「おばあちゃん」と呼んでくれる。友人たちは私という人間を大切にしてくれる。会社の社員たちは私の経営手腕を心から尊敬してくれている。

「あなた、見ていますか?」

私は書斎に飾った夫の写真に語りかけた。

「私、強くなりました。もう理不尽な扱いには屈しません」

写真の中の夫は、優しく微笑んでいるように見えた。

振り返ってみれば、私は息子夫婦に依存していたのかもしれない。息子の幸せが私の幸せだと思い込んでいた。
でも、それは間違いだった。私には私の人生がある。
息子に認められなくても、嫁に感謝されなくても、私の価値は変わらない。

今、私の周りには本当の意味で私を必要としてくれる人たちがいる。利害関係ではなく、心で繋がっている人たち。
それこそが、本当の家族なのかもしれない。
血の繋がりだけが家族ではない。心が通い合ってこそ、家族と呼べるのだ。

あの日、病室で言われた言葉を思い出す。
「お金だけ出していればいい」「家族だと思っていない」「ATM」
今となっては、感謝しているくらいだ。
あの言葉があったからこそ、私は目覚めることができた。本当の自分の価値に気づくことができたのだ。

私はこれからも自分らしく生きていく。
誰のためでもない。自分自身のために、そして本当に私を必要としている人たちのために、持てる力を使っていきたいと思う。

理不尽な扱いに苦しんでいる方がいたら伝えたい。
あなたには価値がある。その価値を認めない人のために、自分を犠牲にする必要はない。
勇気を出して一歩踏み出してください。きっと、新しい世界が待っています。

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