「君の企画は俺が引き継いだから、安心してやめるといいよ」 10年間コツコツ積み上げてきた信頼を、たった一人の同僚の嘘で全て失った。出勤停止、担当外し、そして退職。デスクを片付けに来た僕に、彼は勝ち誇った笑顔でそう言い放った。「いらないものは全部、綺麗に片付けていってね」と。 僕はその言葉に、満面の笑みで答えた。「ああ、もちろんそのつもりだよ」…

「君の企画は俺が引き継いだから、安心してやめるといいよ」 10年間コツコツ積み上げてきた信頼を、たった一人の同僚の嘘で全て失った。出勤停止、担当外し、そして退職。デスクを片付けに来た僕に、彼は勝ち誇った笑顔でそう言い放った。「いらないものは全部、綺麗に片付けていってね」と。 僕はその言葉に、満面の笑みで答えた。「ああ、もちろんそのつもりだよ」...

「君の企画は俺が引き継いだから、安心してやめるといいよ。みんな綺麗に片付けていってね。邪魔だから」

勝ち誇ったように言い放つ同僚に、僕は満面の笑みを向けた。その直後、彼の絶叫がオフィスに響き渡った。

僕は松山サ。大手食品メーカーに入社して10年になる。昔から物静かな性格で、子供の頃は教室の隅で本を読んでいるようなタイプだった。大人になってからもそれは変わらないが、コツコツと成果を積み上げていくことを苦にしないたちだったから、社内でも一定の評価は得られていた。

企画部の同僚たちは気の優しい人が多く、みんなで助け合って盛り上げていこうという雰囲気だった。そんな中だからこそ、僕のような人間でも孤立せずに気持ちよく働けていた。だが半年ほど前、とある人物が企画部にやってきてから、その温かい空気はどこかピリピリとしたものへと変わってしまった。

小岩君。彼は自尊心が強く、目立つことが大好きな性格だった。課長や部長の前では愛想よく振る舞うくせに、同僚の企画には何かと口を出し、文句をつけてくる。しかも彼の出す企画は、他の誰かがすでに提出していた企画のいいとこ取りが多い。細かい部分を少しずつ変えているからパクリだと断言できない、いやらしいやり方だった。

一度、同僚の一人が小岩君の言動や企画内容について部長に訴えたことがあった。だが部長は「結果的に彼の案は会社にとって良いものになっている」という理由で、その訴えをなかったことにしてしまった。自分は止められないと図に乗ったのか、それからの彼の態度はますます横柄になった。

おそらく一番絡まれているのは僕だった。小岩君とは同期で、彼にしてみれば何かと比較されるのが気に食わなかったのだろう。他の同僚たちもみんな一度は彼の被害に遭っていた。

そんなある日、僕は部長に呼び出され、新商品のプロモーション企画のメイン担当に抜擢された。

「うちが威信をかけて開発した新商品だ。失敗は許されん。頼んだぞ」

「はい、承知しました」

社内ですでに注目されている商品とあって、僕は同僚や取引先、現場で顔を合わせる他者とも情報交換しながら、意欲的に企画書を練り上げていった。ようやく大枠が固まり、会議で発表する日がやってくる。

僕が一通りの説明を終えて意見を募ると、早速小岩君が口を挟んできた。

「うーん、悪くはないんですけど、ちょっと新鮮みというかインパクトが足りないと思います」

彼のその意見に、部長は「ふむ」とうなった。

「まあ、この短期間でよくまとめてあるとは思うが、確かに小岩の意見も一理あるな」

「ですよね。さすが部長。なんかちょっと小さくまとまってると思うんですよね」

部長の援護を得たと思ったのか、小岩君はさらに否定的なことを言いつのる。プロモーションチームの同僚たちが顔色を変えた。このままではまずいと思い、僕はとっさに割って入った。

「何かご意見があるようでしたら、積極的に伺います。どうですか、小岩君?」

だが話を振られた小岩君は、途端にヘラっと笑って馬鹿にしたようにこちらを見ると、小さく肩をすくめた。

「え? それを考えるのがプロモーションチームのお仕事でしょ。こちらはあくまで傍観者なんで」

お手上げとばかりに両手を上げる彼。僕はそれでも食い下がった。

「でも、いいと思う意見はどんどん取り入れていきたいんです。その方がより良い企画になりますし」

「何それ? そんなこと言って俺を巻き込まないでよ」

否定的なことばかり言ってくるくせに、具体的な案を聞かれるとのらりくらりと逃げるだけ。さすがの僕も少しだけ腹立たしさを覚えた。

「おいおい、同じ企画部で揉めてどうする?」

その時、部長が呆れ顔で僕たちをなだめにかかった。

「松山、小岩も悪気があって否定的な意見を言ったわけじゃないだろう。揉める前に、少しでも企画を煮詰める方が先だろう」

「はい、すみません」

そう言われてしまえば、僕には反論の余地もなかった。彼と無意味な言い合いをするより、企画を練り直した方が建設的だ。そう思って頭を下げた僕を、部長の視界に入らない角度で小岩君がせせら笑っているのが見えた。僕はそれを無視して席へ戻った。

それからも僕は同僚たちと協力して企画書作りに励んだ。社内外を問わず多くの人々に協力を仰ぎ、専門分野の意見をコツコツと積み上げてより良い企画書に還元していった。そして新たな企画書が完成するまであと一歩というところまで来た時、僕は部長に呼び出された。

「松山君、君に同僚に対するハラスメントと、他者への情報漏洩の嫌疑がかかっている」

あまりにも突然の言葉に、僕はとっさに何もリアクションできなかった。

「ハラスメントについて告発してきたのは小岩だ。松山から日常的に暴言を浴びせられ、精神的に追い込まれているとのことだ。また、会社の重要機密をライバル社に流し、見返りに金品を得ているとも」

「待ってください。そんなの、ひどい誤解です」

ようやく声をあげた僕を、部長は疑わしそうに見つめた。そして一枚の写真を掲げた。

「じゃあ、これはどういう場面か明確に説明しろ」

そこには、企画書を手にした僕が社外の人間と親しげに会話している姿が映っていた。

「これは今手掛けている企画書について、取引先のつながりで紹介していただいた専門分野の方から意見を伺っていた時のものです。先方に確認していただければすぐに分かります」

懸命に反論する僕に、部長は渋い顔をしたままうなずこうとしない。そればかりか、「事実関係がはっきりするまで出勤停止」「プロモーション担当からも外れてもらう」と告げられた。

僕は立ち尽くすより他なかった。小岩君の嘘に部長がすっかり騙されていることにも愕然としたが、これまで積み上げてきた実績や信頼が、たった一人の嘘によって全てなかったことにされるのだと、その時痛烈に思い知ったのだった。

出勤停止期間、僕は自宅に引きこもるようにして過ごしていた。同僚からは心配するメッセージが定期的に届く。プロモーション企画も中途半端に放り出す結果となり、みんなを困らせてしまったと自己嫌悪に苛まれていた。

そんな中、同僚から届いたメッセージに僕は目を疑った。僕の代わりに小岩君がプロモーション企画を引き継いだという。しかも彼は「僕と同期で一番仲の良かった自分が後を継ぐのにふさわしい」と自ら名乗り出たらしい。

「はは。僕と彼が一番の仲良しだって」

思わず独り言が漏れた。こうやって僕を追い込んでおいて、どの口がそんなことを言えるのか。それでもきっと彼のことだから、部長や課長の前ではいかにももっともらしく振る舞ったのだろう。僕はもう、あの会社で小岩君と机を並べて仕事をする自分の姿が想像できなくなっていた。

時を同じくして、僕の出勤停止処置は解かれることとなった。翌日、僕は退職届を手に会社へ向かい、朝一番で提出した。そして自身のデスクを片付けにフロアへ顔を出すと、同僚たちが心配そうな顔で出迎えてくれた。僕は今までお世話になった感謝と、最後まで仕事を完遂できなかった謝罪を伝えた。

だがそんな中、一人、悠然とした佇まいで小岩君が僕の前までやってくる。やれやれ、といった様子で青ざめた僕の顔をじろりと見やり、彼は完全に見下した様子で口を開いた。

「松山君、久しぶりだね。仕事放ったらかしていっぱい休んだのに、相変わらず景気の悪そうな顔してるね。あ、そうだ。君の企画は俺が引き継いだからね。だから安心して出ていくといいよ」

何がおかしいのか、彼はひどく耳障りな声で笑った。そして僕の手元を見ながら言う。

「そう。後から俺が困らないように、いらないものはみんな綺麗に片付けていってね」

その言葉に、僕は一旦動かしていた手を止めた。

「ああ、もちろんそのつもりだよ」

怪(あや)しげな笑みを浮かべて僕が彼をまっすぐ見ると、突然の笑顔にさすがの小岩君も虚を突かれたらしい。不審そうに眉を寄せる彼を横目に、僕は開いていたパソコンのエンターキーをゆっくりと押した。そして改めて彼を見据えた。

「君の言う通り、綺麗さっぱり片付けたから。これで僕も安心して出ていけるよ」

僕の言葉の意味をとっさに理解できなかったのか、小岩君はポカンと口を開けてしばらくこちらを見ていた。やがて一つの可能性に思い至ったらしく、僕の手元からパソコンを引ったくった。そして直後、素っ頓狂な声で叫んだ。

「企画書のデータが消えてる!」

こんなに慌てた顔をしている彼を、その時初めて見た。それが何だかおかしくて、僕は耐えきれずに小さく笑ってしまう。それから、さあ、と彼以外の同僚たちに向き直った。

「皆さん、今まで本当にありがとうございました」

深々と頭を下げた僕に、同僚たちは共犯者のような笑みを浮かべて、心のこもった拍手を送ってくれた。その後ろでは小岩君がまだ何か叫んでいる気もするが、その声は残念ながら拍手で聞こえないということにしておいた。

背中に見送られながら、僕はどこかすっきりとした心持ちで会社を後にした。

それから半月が経った日、僕の自宅を意外な人が訪ねてきた。

「松山君には本当にすまないことをした」

遅ればせながら事実確認を行い、小岩君の証言こそ出鱈目だったと知った部長が、謝罪に来たのだった。同僚たちが揃って「小岩君の方が何かと松山君に絡んで暴言を吐いていた」と訴えてくれたらしい。外部機関の調査でも、情報漏洩や見返りの金品要求についての嫌疑はそもそも存在しなかったことが明らかになったそうだ。

小岩君が事実無根の告発をしたのは、僕の担当していた企画を横取りしようと企んだからだった。だが僕が最後にデータを消したこと、そしてバックアップを持っているはずの同僚たちがこぞって彼に協力しなかったことで、企画は締め切りに間に合わなかった。会社に損害を与えた小岩君は、今回の件と以前からの虚偽報告の件で責任を問われ、懲戒解雇処分となったらしい。

一時期の僕のようにやつれて青ざめた顔をした部長は、そこまで述べた後で再び頭を下げた。

「今回の件で、私も監督不行き届きとして3ヶ月の減給及び広告部署への移動となった。その代わりと言っては何だが……松山君、会社に戻ってくる気はないか? 今なら課長待遇で」

肩を丸くしながらそう言う部長の姿に、感じるものがなかったとは言わない。だが躊躇いなく、僕はそう告げた。

「お断りします。そう言っていただけるのはありがたいですが、今回の件で、僕はもう御社を信じられなくなってしまいました。これは僕の気持ちの問題です。信頼できない状態で、今までのように働くことはできません」

二の句が継げない僕の言葉に、部長はそれ以上何も言わず、やがて気の毒な様子で帰っていった。

実は僕はすでに、同業のライバル会社への転職が決まっている。それを告げずにいたのはフェアではなかっただろうが、部長のあの様子では、なんとなく察していたのではないかと思う。こういう噂は広まるのが早い。遅かれ早かれ、部長の耳には入っていたことだろう。

僕は確かに、今まで積み上げてきた信頼を一度は全て壊された。だが、僕が諦めない限り、壊されたものはまた積み上げることができるのだ。新しい会社でもこれからきっと問題は起こるだろう。それでも僕は、もう自分自身を諦めたくない。心に誓いながら、今日もコツコツと自分の仕事に励んでいる。

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