「昭和生まれはもう済みだ」
その言葉が放たれた瞬間、会議室の空気が凍りついた。鈴村は前をじっと見つめ、感情を必死に押し殺していた。社長は簡単にAI導入を推進しようとする。それに冷静に対処してきた結果が、これだ。俺を首にし、アメリカから帰ってくる息子を代わりに据えたいらしい。ここまで言われるなら、もういい。鈴村は社長を真っ向から睨みつけた。
鈴村、53歳。地元の機械製品製造会社で情報システム部の部長を務めている。システムの設計から管理、トラブル対応まで、会社のIT周りは全て彼の担当だった。工場で稼働しているシステムは、鈴村が中心となって開発したものだ。生産工程を最適化しながら品質異常も検知する複合システムで、特許も取得している。今では取引先の工場でも使用され、開発者としての評価は高い。
20年前、中途採用でこの会社に入社した。父が倒れたのをきっかけに地元へ戻り、最終的に選んだのがこの会社だった。当時の社長、先代からこう言われたのを覚えている。
「都会で培ったスキルを、我が社のために役立ててくれないか?」
その言葉が嬉しくて、ずっと会社のために尽力してきた。そして先代の息子が社長になった。今でもその気持ちは変わらない。そのはずだった。
その気持ちに揺らぎが出始めたのは、およそ2年前からだ。
「海外にいる息子から聞いたんだがな。これからの時代はAIだそうだ。うちもこうしてはいられん。AIに任せて何でも効率化していこう」
社長には「正」という息子がいて、海外企業で働いている。開発グループの主要メンバーとして活躍しているらしい。AIについて熱く語る社長を横目に、情報システム部の面々は困り果てていた。
AIによる効率化。その考え自体を否定するつもりはない。しかし「何でも」というのが厄介だった。特に鈴村が開発した特許システムのように、人の手による確認や動作を前提に作られたものにAIを導入するのは難しい。AIは最初から全てを可能にするわけではない。正しいデータを大量に学習させて初めて機能するのだ。つまり、データの質と量が担保されていないAIは、便利どころかむしろ危険だ。
鈴村は知識と部下たちの協力を得て、社長にそれらを説明したが、社長はこの場にいない息子の名前を持ち出して、「息子はこう言った」で通すのだ。話にならない。
鈴村はAI自体に反対しているわけではない。実際、社長の提案でいくつかのシステムにはAIを導入できるよう調整した。それも可能だと判断したものだけだし、AIに丸投げする仕組みにはなっていない。
2年経った現在でも、社長のAI熱は収まることがない。情報システム部に直接出向いたり、会議を開いてはAI導入について熱弁している。さらに厄介なのは、一層うちでAIを開発したらどうだと言い出したことだ。それがつい先週の出来事だった。
昼食時、車食のそばをすする部下が小声で言った。
「あれにはさすがに呆れましたよ」
口は悪いが、部下がそうぼやきたくなる気持ちも分かる。AIの開発は専門的な知識が必要であり、今の人員では無理であること。外部に委託するにもコストがかかりすぎること。それらを全て丁寧に説明したのだ。しかし、社長は息子の言葉を持ち出してくる。
「こっちが何か言っても、息子がこう言った、ああ言ったで通すもんな」
小声とはいえ、社長に対する不満が次々と出てくる。鈴村が苦笑しながら言うと、部下たちは「鈴村部長が一番大変ですよ」と頷き合った。
すると、そばをすっていた部下が思い出したように呟いた。
「そういえば、その息子さん、正さんでしたっけ? 近いうち帰ってくるらしいです。人事にいる同期がこっそり教えてくれたんですよ」
その瞬間、テーブルは一層どんよりとした空気に包まれた。
「おいおい、ってことは、もしかしてまた何か起きるんじゃないのか?」
「鈴村部長、社長の無駄話のせいで他の仕事が押してますし、このままじゃまずいですよ」
鈴村も不安な気持ちに駆られたが、みんなを安心させようと笑顔を心がけた。
「心配するな。帰国が本当の話だとしても、社長と同じ考えとは限らない。もしも何か言ってきたとしても、俺がしっかり対応するから。方針を決めるのは上だとしても、現場を一番知るのは俺たちだ。しっかり話し合えば、きっと会社にとっていい方向に進めるはずだよ」
言いながら、説得力がない気がした。本当なら社長がもっと早く理解しているはずだ。しかし、励まそうとしているのは伝わったのだろう。
「部長、そうですよね。息子さんは冷静に話を聞いてくれるかもしれないし。部長がいると本当に心強いですよ」
その言葉に、鈴村はほっとした。
昼食を終えて仕事に戻ろうとモニターをつけた時だ。
「みんなお疲れ」
話題の人物、社長が俺たちの元へやってくる。噂をすれば何とやらとはよく言うが、まさかこんなにすぐ顔を合わせるとは。
社長は全員に聞こえるように手のひらをパンパンと叩いた。
「今日はみんなに大切な話がある」
鈴村も部下たちも、互いに顔を見合わせる。社長は言葉を続けた。
「実はな、前々から話は出ていたんだが、ついに正がうちに帰ってくることになった。来月からこの部署の一員となる。ついでに、この部署を任せようと考えているんだ」
「正」という単語に、部署内はどよめいた。噂がすぐに現実になるとは。タイミングが良すぎるが、今はそんなことを言っている場合じゃない。
「この部署を任せるとは、どういう意味でしょうか?」
鈴村は動揺を押し隠し、社長に尋ねた。社長は、はっきりとこの部署を息子の正に任せると言ったのだ。部長の俺がこの部署をまとめているのに。一瞬にして嫌な予感が頭の中を支配する。
社長は鈴村をちらりと横目で見て、鼻で笑った。
「聞いてなかったのか? AI開発者の息子が帰国するんだよ。だから昭和生まれはもう済みだ。鈴村君のポジションには、息子についてもらう」
「ですから、どういうことですか?」
社長は大げさに「やれやれ」と首を横に振った。
「だから首だって言ってるんだよ。こっちが真剣に話せばいずれ理解してくれると思ったが、お前のような老は会社にとって荷物にしかならん。その点、息子の正なら新しい風を入れてくれるに違いない」
今まで鈴村が筆頭になってAIについて反発していたことを、ずっと根に持っていたらしい。言いながら、あの時もこの時も否定された時のことを持ち出してくる。つまり、報復手段だ。自慢の息子を部長にし、ついでに鈴村を排除すれば、自分の思う通りにことが運ぶとでも考えたのだろう。なんて安直な考えか。怒りと同時に呆れてしまう。感情が込み上げて、鈴村は言葉にならなかった。
それをいいことに、社長は得意げに告げる。
「ついでに息子には、お前が開発した特許システムにAIを導入してもらい、完全効率化を図ろうと思う。そうすれば、導入している取引先もアップデートを検討してくれるだろう」
俺の心を代弁するように、部下から反発の声が上がった。
「今まで鈴村部長がどれだけ貢献してきたと思ってるんですか! 首なんておかしいです!」
部下の声に、鈴村は自然と体が震えた。確かに特許システムの開発は鈴村が主導して行ったものだ。しかし、所有権は会社にある。特許システムは完全に会社名義のものだ。だからと言って、応が過ぎる。
「首だと言うからには、それに値する理由があるんですよね?」
鈴村は静かに尋ねた。当然だと社長は言う。
「いいか、鈴村部長。君はここ数年で、会社にどれだけ損害を与えたと思う? AI化を進めようとするたびに反発し、部下たちを先導し、俺の経営判断を何度も潰してきた。そのせいで会社がどれだけの機会を逃したと思ってる。君のような昭和気質の人間にはもう限界なんだよ。お前さえいなければ、思い通りになるはずだ」
最後の一言が全てを物語っていた。部下が反論しようとするが、鈴村は手で静止する。これ以上、部下たちの印象を下げるわけにはいかない。それに、この時点で心は決まっていたのだ。
「いえ、私も社長と同じように、会社のことを考えて行動してまいりました。何度も申し上げたことですが、AI自体を否定していません。それに対応できるシステムに関しては、導入のための調整と改良をしてきました。それは記録にしっかり残っています。社長のような損害は与えていないものと考えます」
部下たちも黙って頷いた。
「私は再三申し上げてきました。AIをいきなり導入するのは難しい。検証やデータ収集、準備の上でなら対応可能だと。必要な工程を無視して導入を急ぐ社長の判断を否定してきただけです」
「だからそれだと遅いんだ。時代の流れというものは待ってくれん」
ふと、先代の笑顔が頭をよぎった。
「都会で培ったスキルを、我が社のために役立ててくれないか?」
あの言葉を信じて20年間ここにいた。しかし、心がぽっきりと折れてしまった。この会社を思う気持ちは一緒のはずだと信じていたのに。
「もう結構です。よくわかりました」
鈴村は突き放すように社長の言葉を静止した。
「首だと言うなら、それで結構。私のことが必要ないと社長自らがおっしゃるのですから、私がすがる理由はございません」
「鈴村部長!」
部下たちが悲鳴のような声を漏らした。部下たちには申し訳ないが、もうこれ以上は無理だ。
「部長にどうしろって言うんだよ。社長が首だって言ってるんだ。部長は悪くないだろう」
部下の一人が諦めたように口にする。確かにそうだと思ったのか、部下たちは押し黙った。それを見て社長は、ふっと勝ち誇ったように笑う。
「どうやら観念したようだな。まあ、息子が帰国するまでの間、引き継ぎなんかだけはしっかり頼むよ」
もう用はない。そう言わんばかりに笑いながら、社長は部署を出ていった。順序を飛ばして結果と利益だけを求めても、結果は伴わない。長年技術者として働いた勘がそう告げていた。
社長の話からおよそ1ヶ月後、退職届を提出し、引き継ぎ作業も最終段階に進んでいた。
ノックもなしに情報システム部の扉が開き、不満げな表情の男が現れる。40代くらいの男性だが、見覚えがない顔だ。
「どなたでしょうか?」
鈴村が声をかけると、男性は辺りをキョロキョロと見回す。
「なあ、鈴村ってのは誰?」
「私ですが」
質問を無視して質問してくるあたり、失礼な男だ。鈴村が返答すると、男性は吹き出した。
「お前が鈴村。はっ、父さんから聞いてた通り、冴えない顔だな。俺の踏み台、お疲れ様。あとは俺が引き継ぐから、もう帰っていいぞ」
「父さん」「引き継ぎ」。それらの単語からピンと来る。
「もしかして、あなたが正さんですか?」
男性はにやりと笑う。
「ああ、そうだ。今日は顔出しだけだがな」
そうか。この男が。鈴村はまじまじと正を見つめる。どうやら父親そっくりの傲慢な考えの持ち主のようだ。それはこの短いやり取りから十分伝わった。
これを渡せばおしまいだ。20年分の仕事がこの男の手に移る。だがこれは会社の財産だ。俺が持ち続ける理由はどこにもない。思い通りにやってみればいい。鈴村は黙って用意しておいたUSBを手渡した。
「こちら、正さんへの引き継ぎ資料となります。特許システムなどの権限も今譲渡できますがいかがなさいますか?」
鈴村が従順に見えたのだろう。正は気分を良くしたようだ。全ての作業が終わると、正は鈴村の肩をポンと叩いた。
「お前も運がなかったよな。もう少し柔軟な考えが持てればさ、父さんだって首とまでは言わなかったんじゃないか。ま、今更遅いけどな」
因のない高笑いが鈴村の神経を逆撫でする。こんな男が本当にアメリカでAI開発の主力メンバーを務めたのか疑問だ。そもそもそこまで優秀なら、わざわざ帰国して父親の会社に入るだろうか。様々な疑問が浮かんだが、もうどうでもいいことだ。部下たちが冷たい目で正を見つめていることに、正自身は気づいていなかった。
それからさらにおよそ1ヶ月、鈴村は有給を消化していた。今日は妻がパートへ行っているので、1人で留守番。そのはずだった。
きっかけは、午前中にかかってきた1本の電話だ。着信元は元部下の番号からだった。時々飲みに行ったりしていたので、連絡先を知っていること自体は問題ではない。だが、もう有給消化を開始している俺に一体何の用だろう。違和感があったものの、鈴村は電話に出た。
「鈴村! 戻ってこい!」
電話に出た瞬間、大きな声が鼓膜を叩く。衝撃で思わずスマホを耳から離した。驚いている間にも、スマホからはギャーギャーと男がわめく声が聞こえてくる。しかも声は元部下の声ではない。鈴村はスピーカーモードに切り替えた。
「もしかして、正木さんですか?」
「そうだよ、俺だ、正だよ」
おそらく無理やりかけさせたのだろう。声があまりに切羽詰まっていたので、興味本位で尋ねてみた。
「どうかされたんですか?」
問いに対し、一瞬だけ正が口ごもる。
「そっちからかけておいて何なんだ?」
俺が呆れていると、今度は別の人物の声が聞こえてきた。
「鈴村君、後で話す。急いで来てくれないか?」
社長だ。先に社長が急いで呼びつける状況。俺はピンと来た。
「できません。私はもう有給消化に入っています」
電話の向こうから悔しげな唸り声が聞こえてくる。
「要件がそれだけのようでしたら、失礼しますね」
鈴村が電話を切る素振りをすると、社長は慌てたように説明し始めた。
「実は、正が特許システムにAIを導入したまではいいんだが……」
社長曰く、正は速攻で特許システムにAIを導入したそうだ。それだけ聞くと仕事が早いと思いそうだが、今朝になってトラブルが発生した。正はシステムの安全装置を無効化した上で、AIに生産データを丸投げしたのだ。しかもAIが出す指示の検証もせずに本番ラインに適用した。その結果、品質異常が検知されないまま不良品が生産され続け、生産ラインを停止せざるを得ない状態にまでなったらしい。
およそ1ヶ月でここまでやらかすとは。いずれ何かが起こるとは思っていたが、ここまで早いとは思わなかった。
ちなみに、トラブルが発生した当初、正は慌てふためき、部下たちに指示や助けを求めたようだが、部下たちは静観するのみだったらしい。「復旧作業するには権限が必要ですから。権限のない我々が下手にいじって悪化してはいけませんし」と、手伝おうとしなかったのだ。全権限が正の手にある以上、部下が勝手に動けば一見行為になる。責任を押し付けられるリスクもある。部下たちの判断は守全だった。
「ですから私たちは何度も言いましたよね。導入すること自体は否定しない。ただ、妥当な準備が必要だと」
俺の言葉に、社長たちは素直に謝罪するどころか言い放った。
「戻ってきてくれ。部長の座……いや、望むならそれ以上の立場を約束する」
「ふざけるな。お前の開発したシステムだろう。お前がなんとかしろ!」
続けて、電話口から絞り出すような声が聞こえてきた。
「す、頼む。お前しか分かるやつがいないんだよ」
かつて「踏み台、お疲れ様」と高笑いした口が、今こうして俺にすがっている。鈴村はやれやれと首を横に振った。
「システムの全権限を譲渡し、実質退職している以上、私にできることはありません。責任ある立場にあるんですから、社長も正木さんも、それぞれ自分の役割を全うしてください」
鈴村はそれだけをきっぱりと告げて、通話終了をタップしようとする。そうだ。あることを思い出し、最後に告げた。
「そういえば、社長に解雇宣告を受けてすぐ、弁護士に相談しましたので、そのうち弁護士から連絡が行くと思います。その時はどうぞよろしくお願いいたしますね」
「なっ、弁護士だと?」
なぜ驚きの声を上げられるのか疑問だが、もう言葉を交わすつもりはない。
「それでは」
最後に、あえて明るい調子で言うと、問答無用で通話を切り、そのまま電源を切ったのだ。
その後の話は、元部下たちから聞いた。生産ラインの緊急停止により遅延が多発した。社長と正は、お互いに責任をなすり付け合ったようだ。しかも、取引先からの問い合わせをきっかけに正の経歴が調べられ、アメリカでAI開発の主力メンバーだった話は真っ赤な嘘だったと発覚したのだ。
「開発グループにいたのは事実らしいんですけど、見栄を張るために話を盛ってたらしいです」
なんともお粗末な話だ。それもあり、かつての親子の絆は見る影もないらしい。取引先からの信頼も失い、会社の評判は地に落ちているそうだ。
退職届を出した後、部下の一人がこっそり話してくれていた。
「部長が首になったその日、みんなで話し合いました。部長がいないなら、ここにいる意味はないって」
部下たちの一斉退職が追い打ちをかけた。人員を募集しているらしいが、トラブルの話はすでに業界内に広まっている。応募者は来ないと、元部下の一人が苦笑いしながら教えてくれた。
鈴村の方も、弁護士との話が着々と進んでいる。時間はかかるだろうが、伝えるべきことは明確だ。
「部長には今でも感謝しています」
飲みの席でそう言ってくれた元部下たちの顔を見て、鈴村は目頭が熱くなった。
「ありがとう」
静かに微笑んだ。
20年間、この会社のために働いてきた。技術者として、それは間違っていなかったと今は静かに思える。次の場所でも、俺のやり方でまた誰かの役に立てれば、それでいい。



