「お父さんと車でお出かけしてたんだけど、急にここで降りろって言われたの」
暗くて寒い夜道を歩いていた俺は、その声を聞いて足を止めた。田んぼの脇に残る雪の間から、小さなくしゃみが聞こえた気がしたんだ。最初は気のせいだと思った。でも、もう一度聞こえた。明らかに子供の声だ。
怖がりな俺は、懐中電灯で辺りを照らしながら、恐る恐る声の出所を探した。見つけたのは、排水路のくぼみにすっぽり収まった二人の女の子。幼稚園児くらいの、そっくりな顔をした双子の姉妹だった。二人とも濡れた顔で、小刻みに震えていた。
「ど、どうしてこんなところにいるの? お家の人は?」
俺は慌てて着ていたジャケットを脱いで、二人に被せた。救急車を呼び、両親にも連絡した。事情を聞いた両親はすぐにすっ飛んできて、毛布を持ってきてくれた。病院に運ばれた二人は、軽い低体温症になっていたが、体を温めると元気を取り戻した。
安心したのも束の間、二人が話してくれたことに俺は怒りを覚えた。父親と車で出かけていたら、急に知らない土地で降ろされた。その後、父親は戻ってこなかった。二人は田んぼの脇に残っていた雪で遊びながら、ずっと待っていたらしい。
「でもだんだん暗くなっちゃって、寒いし、お腹空いたし、お父さん迎えに来てくれないし」
母は涙を流しながら、「ひどすぎるわ」と呟いた。警察の捜査で、二人の身元はすぐに判明した。母親は病気で亡くなっており、唯一の保護者である父親が保護責任者遺棄で逮捕された。新しい恋人ができて、娘たちが邪魔になったからという理由だった。
あんなに素直で可愛い女の子たちを、まるで捨て犬のように扱うなんて。信じられなかった。
家に帰った後も、二人のことが頭から離れなかった。この先、二人はどうなってしまうんだろう。あの日、あの場所で俺が通りかかったのも何かの縁だと思い、後日、二人が預けられた施設を訪ねた。
俺の顔を見るなり、二人は嬉しそうに抱きついてきた。無邪気にまとわりついてくる姿を見て、切ない気持ちが溢れた。愛に飢えているのが、手に取るようにわかったから。それから俺は、仕事がない日は施設に通い、二人と遊ぶようになった。少しでも寂しさや不安が和らげばいいと思ったし、何より二人の無邪気な笑顔に、俺自身が救われていた。
ある日のこと。遊んでいる最中に、ほのかちゃんがふと呟いた。
「お兄ちゃんがお父さんだったらいいのに」
「うん、それで同じお家に住むの。そうすればずっと一緒にいられるもんね」
「お兄ちゃん、ほのかたちのお父さんになってくれる?」
屈託のない笑顔を目の前にして、俺は何も言えなかった。俺の独りよがりの優しさが、かえって彼女たちを苦しめているんじゃないか。これ以上、無責任なことはできない。もう会わない方がいいのか。それとも――。
その日、何も答えられずに施設を後にした。帰り際に見た寂しそうな二人の顔が、目に焼きついて離れない。その夜は一晩中眠れず、二人のことを考えた。そして、決意した。俺がこの二人を引き取ろう。
生半可な気持ちではない。俺は一生をかけて、この子たちを守りたいと思った。
もちろん、家族にも相談した。結婚もしたことのない俺が、一人で育てようとしているんだ。きっと反対されると覚悟していたが、意外にも家族は皆、応援してくれた。
「あんたらしい選択だわ。いつかそう言うと思ってた」
「毎日あの子たちの可愛い顔が見られるなんて、嬉しいなあ」
「私にできることがあれば何でも手伝うよ」
みんな笑顔で言ってくれた。法律や手続きの面では複雑なこともあったが、弁護士の従弟や、社会福祉士をしている幼馴染みの力を借りて、手続きを進めた。二人との面会を重ねながら、少しずつ絆を深めていった。
そして今、二人を無事に引き取ってから半年が経とうとしている。子育ては想像以上に大変だったが、毎日笑顔で楽しそうに過ごす二人を見ていると、心からほっとする。両親も孫のように可愛がってくれて、「生きる希望ができた」なんて言っている。
ある日、仕事が早く終わった午後。俺はほのかと愛花を連れて、近くの公園に散歩に出かけた。公園の入り口を見つけると、二人は目を輝かせて走り出す。
「気をつけて、転んじゃうよ」
二人の背中を見ながら、思わず声をかけた。ジャングルジムの頂上で誇らしげに笑うほのか。大好きなブランコで、空を飛んでいるみたいに楽しそうな愛花。俺はベンチに座って、そんな二人の姿を眺めていた。
すると突然、背筋に冷たい感覚が走った。誰かの視線を感じたんだ。ゆっくりと振り返ると、そこには俺を凝視している若い女性警察官がいた。そして、つかつつと歩み寄ってきて、声をかけてきた。
「あの、ちょっとよろしいでしょうか?」
「あ、はい」
別に後ろめたいことは何一つないのに、警察に声をかけられると妙に緊張してしまう。
「あの女の子たちは、あなたの娘さんですか?」
「ええ、まあ、そんな感じです」
本当は「俺の娘です」と即答すればいいのに、警察を前にした緊張と、実の娘ではないという現実が、言葉を曖昧にさせた。
「そう、じゃあ、ミカの旦那さんなのね」
その名前を聞いて、俺は首をかしげた。
「ミカって、誰ですか?」
女性警察官は目を丸くした後、厳しい口調で問い詰めた。
「どういうことでしょう? 父親であるはずのあなたが、あの子たちの母親の名前を知らないなんて。最近、この辺で小さな子供の連れ去り未遂が起きてるんです。ちょっと、署までご同行願いますか?」
焦った俺は、必死に今までの経緯と事情を説明した。すると、彼女は戸惑った表情で首をかしげた。
「えっと、じゃあ、ミカの旦那さんではなくて、あの子たちの養父ってことなんですか?」
その時、駆け寄ってきたほのかたちが声をあげた。
「わあ、かっこいい、警察官だ」
「あれ? 警察官さん、会ったことあるね。えっと、えりちゃん」
愛花が不思議そうに彼女の顔を覗き込むと、ほのかも嬉しそうに抱きついた。
「本当だ、えりちゃんだ!」
「ど、どういうこと? 警察官さんのこと知ってるの?」
俺の頭の中は疑問符でいっぱいだった。エリさんというその警察官は、亡くなったほのかたちの母親・ミカの幼馴染みだった。ミカのために双子の世話を手伝っていた時期もあったらしい。
「ミカの旦那さんには会ったことがないんです。話によると、子育てもろくにしないし、浮気症で家にも滅多に帰らない、ひどい旦那さんらしくて。ミカのお葬式にすら顔を出さなかったんですよ」
エリさんは怒りを込めて話した。
「だから、俺をあんなに怖い顔で見てたんですね。ごめんなさい」
「いいえ、私こそごめんなさい。でも、おかしいと思ったんです。旦那が子供たちを引き取ったって話は聞いてなかったし、そもそも子育てするような人じゃなかったから」
エリさんは小さく頭を下げながら言った。
「でも、ほのかちゃんたちが幸せそうで、本当に良かった。大きくなったね」
優しく二人の頭を撫でてくれたエリさん。
「ずっと気になってたんです。ほのかちゃんたちがどうしてるんだろうって。でも、気になるだけで、私には行動する勇気がなくて。だから、本当にすごいです。無知らずの子供たちを引き取るなんて、私にはできませんでしたから」
エリさんはキラキラした目で俺を見つめてきた。
「この公園にはよく来るんですか? 私、最近この近くの交番に配属になったばかりなんです」
「ええ、俺の家がすぐそこなんで」
公園からよく見える俺の家の赤い屋根を指差すと、
「あの、もしよかったら、時々ほのかちゃんたちに会いに行ってもいいでしょうか?」
エリさんは遠慮がちに俺を見ながら言った。その上目遣いが可愛くて、またドキッとしてしまう。
「私ったら、仕事中にこんなこと言ってすみません。忘れてください」
慌てて立ち去ろうとするエリさんに、俺は声をかけた。
「もちろんです。いつでも来て遊んでやってください」
そう言うと、エリさんは満面の笑顔で振り返った。
「ありがとうございます!」
「わーい、えりちゃん遊びに来てくれるの? 楽しみに待ってるね」
ほのかたちも嬉しそうだった。
それ以来、エリさんは本当に仕事が休みの日にうちに来るようになった。事情を説明すると、両親もエリさんを大歓迎。何度も来てはほのかたちと楽しく遊ぶ姿を見て、両親は変な期待をするようになっていた。
「エリさん、いい子だね。うちの嫁に来てくれたら最高だわ」
「実は健太郎の恋人だったってオチはないのか? おい」
「勝手なことを言わないでくださいよ。エリさんはあくまでほのかたちに会いに来てるんですから」
そう返しながら、内心エリさんのことが気になって仕方なかった。母の夕食作りまで手伝ってくれるエリさんに、母もメロメロの様子。優しくて明るいエリさんの笑顔に、子供たちだけでなく、俺たち家族みんなが癒されていた。
ある日のこと。エリさんが手作りだというクッキーの包みを差し出してきた。
「今日の午前中に、キッチンお借りしてほのかちゃんたちと一緒に作ったんです。はい、これ、健太郎さんの分ね」
「わあ、美味しそうなクッキー。ありがとうね。こんなことまでしてもらって、大変だったでしょう?」
「あれ? これは?」
クッキーが入った箱に、小さな封筒が貼り付けられていた。開けてみると、覚えたての文字で「けんちゃん、ありがとう。だいすきだよ」と書かれた手紙が入っていた。俺の涙腺は崩壊した。
「素敵ですね。健太郎さんのこと、本当に尊敬します。優しくて愛情深い健太郎さんに出会えた、ほのかちゃんたちは幸せですね」
「あ、それは私も同じですけど」
「え?」
「健太郎さんに出会えて、幸せだってことです」
エリさんは顔を赤らめて俯いた。俺の心臓はバクバクと音を立てていた。
「えっと、それって……」
「健太郎さんのこと、好きになっちゃいました」
俺はエリさんが言い終わらないうちに叫んでいた。
「俺もです! 俺もエリさんのことが好きです! いつも笑顔で明るくて優しくて、ずっと一緒にいたいって思ってました。ずっとここにいてほしいって。子供たちも俺の両親も、みんな同じ気持ちだと思います。エリさん、俺と結婚してくれませんか?」
行き継ぎもせず、気づけばプロポーズしていた。
「はい。喜んで、よろしくお願いします」
エリさんが恥ずかしそうにそう返事をしてくれた瞬間。
「おめでとう!」
「健ちゃん、やったね! おめでとう!」
キッチンの奥から両親が飛び出してきた。
「おい、盗み聞きかよ。趣味悪いぞ」
恥ずかしさでつい声を荒げてしまったが、両親は涙を流さんばかりに喜んでくれていた。その姿に、俺も泣きそうになってしまった。
ほのかたちも大喜びだった。
「えりちゃんが、ほのかたちのお母さんになってくれるの? やった!」
「じゃあ、これからはけんちゃんじゃなくて、お父さんって呼ぶね。えりちゃんはお母さんだね」
「お父さんー!」
「お母さんー!」
二人が俺たちに抱きついてきた時は、もう涙が止まらなかった。俺たち四人は、本当の家族になれる。そう思えた瞬間だった。
「ほのかね、大きくなったらお母さんみたいな警察官になるんだ」
「あいはね、お父さんみたいにお野菜やお米を育てたい」
双子ながらも正反対の性格の二人は、将来の夢も違うようだ。
「ここだけの話ね。私、若い時ヤンチャしてたのよ。その時お世話になった警察官に憧れて、警察官を目指したの。ほのかも私と同じ道を歩むのかしら」
「え、ヤンチャはやめてほしいけどな」
二人で笑い合った。この時間が永遠に続けばいいのになあ、と心から思った。
「ミカにも報告しに行かなきゃね。次の休みには、健太郎さんも一緒にお墓参りに行こう」
そう言ったエリさんの目には、うっすらと涙が浮かんでいた。
思いがけない出会いから、こんな幸せを手に入れることができた。まるで奇跡のようだ。これからも周囲に感謝しながら、この大切な人たちを守っていきたい。俺は改めて誓った。



