「姉さんが俺の子を妊娠した。離婚だ」…

「姉さんが俺の子を妊娠した。離婚だ」...

ソファーにふんぞり返った健太郎が平然と告げた。
「姉さんが俺の子を妊娠した。離婚だ」

隣では、私の姉の千明がお腹に手を当て、勝ち誇った笑みを浮かべている。車椅子の義母の介護を私に押し付けている間、2人は裏でつながっていたのだ。二人の関係は前から知っていたが、妊娠と聞いてさすがに驚いた。千明はもう48歳だ。

「最後まで母さんの面倒は責任持って見ろよ。ああ、子供の世話もさせてやる。どうせ行くところもないだろう。このまま家に置いてやるよ」

私は静かに言った。
「女の責任って何かしら。男としての責任を一度も果たしたことのない人が、ようやく言うことね」

せいぜい私を見下していろ。すぐに二人まとめて地獄に落としてやるから。

私は鈴木安――44歳。地方の小さな町で夫の健太郎と義両親と暮らしている。結婚前は都内の有名店で美容師として働き、チーフにまで上り詰めた。常連客だった健太郎との結婚を機に退職した。本当は仕事を辞めたくなかったが、車椅子の義母を放っておけなかった。義父は毎日のように義母に暴言を浴びせていた。優しい健太郎は母を心配しながらも、父親には強く出られない。

私は正義感が強い。義父相手でもひるむつもりはなかった。美容師は私の天職だが、この腕一本あればいつでも仕事に戻れる。困っている人を見捨てることはできなかった。

そうして私は東京を捨て、義母を守るためにこの家に来た。だが、この時はまだ、本当の敵が誰かなんて知るよしもなかった。

同居を決めた時、健太郎は私を抱きしめて喜んだ。
「アカ、嬉しいよ。ありがとう」
「本当にいいの?」
「だって父さん、一日中母さんを怒鳴ってて見ていられないんだ」

交際中に彼の実家で見た光景はひどいものだった。車椅子で不自由な体で家事をする義母に怒鳴り散らす義父。何度も謝る彼女の姿は見るに耐えなかった。あれは亭主関白ではなく人格否定だ。

「俺も毎日ひどい目に会ってる母さんがかわいそうで、ずっと辛かったんだ」
「父さんにはっきり言えればいいんだけど、そういうの苦手で」
「そこが健太郎のいいところじゃない」

彼は少し頼りないが、その分とても優しい。怒ったことなど一度もなく、私の話をいつも笑顔で聞いてくれる。誰より思いやりがあった。

私には絶縁状態の姉がいた。人の物が欲しくてたまらない歪んだ性格だ。男に手を出しては慰謝料を請求され、その度に父が知り合いを頼って貯金は底をついた。父が病気で倒れると介護は嫌だと逃げ、葬式の日にだけ顔を出し、遺産がないと激怒した。私は姉を殴り、絶縁を宣言した。

健太郎にだけは包み隠さず話すと、彼はこう言ってくれた。
「俺たち境遇が同じだから分かり合えるし、きっとうまくいく」

この時、彼となら一生信じ合えると確信した。

健太郎の家の周辺は親戚ばかりで、どの家でも歓迎されていないと感じた。最も冷たかったのは義父だ。
「よそ者が勝手に家に入り込みやがって」

義父の怒りは義母にも向けられた。
「なんでこんな女を家に入れたんだ?」
「すみません」
「鬱陶しい気味の悪い顔をするな」
「すみません」

私は黙っていられなかった。
「お父さん、やめてください。お母さんにそんな言い方しなくてもいいじゃないですか」
「なんだと?生意気な女だな」
「いいのよ。私が悪いんだから」

義母は言葉こそ謙虚だが、目には私への牽制が滲んでいた。義父をこれ以上怒らせるなというメッセージだ。この人はもう諦めてしまっているのだろうか。

義父は私のすること全てに文句を言った。晩酌のビールがぬるい、味噌汁が薄い、風呂が熱い。だが、私はめげなかった。毎日義父の口に合うよう料理を作り、ビールも風呂も温度を測り続けた。何を言われても明るく笑顔で対応すると、1ヶ月も経たないうちに義父は口を閉ざした。

「お前、なかなか見所があるな」

心の中でガッツポーズをした。全ては自分が防波堤になり、義母に攻撃がいかないようにするためだ。愛する健太郎のためだ。

義母の髪を切ってあげた日のこと。彼女が鏡の前で少しだけ表情を柔らかくした。その顔に、ふと姉の千明が重なった。外見は正反対だが、2人とも目の奥に言い知れぬ光を宿している。いや、あの人とはもう会うこともないのだから、忘れよう。

すると義父が私の腕を引っ張って外へ連れ出した。
「兄貴の家だ。奥さんが寝たきりで髪も切りに行けずに困ってる。うんと美人にしてやってくれ」

叔父の家は、広い日本庭園に池があり、石灯籠が立ち並ぶ立派な屋敷だった。寝たきりの叔母は、ネタ切れで手足が弱っていた。とても綺麗に手入れされた長い髪を三編みにしている。

「任せてください。飛び切り綺麗にしますから」
「大した自信だな」

仕上がりを見た叔母は少女のように明るく微笑んだ。
「私じゃないみたい。すごく素敵」

久しぶりに聞いた感謝の言葉に心が震えた。私はどうしようもなく美容が好きだ。玄関まで送ってくれた叔父は、礼だと3万円もくれた。帰り道、義父が夕食に誘ってくれた。

「お前、今日みたいにアルバイトしないか?困ってる年寄りが結構いるんだ」
「やりたいです!」

再びハサミを握れる日がこんなに早く来るなんて、夢のようだった。翌日から訪問美容が始まった。料金は相談して決めたが、親戚や近所の人たちは仕上がりに満足し、野菜やお菓子まで持たせてくれた。やがて予約は1ヶ月先まで埋まった。

ただ、義母への態度が変わることはなかった。ある日、義父に尋ねた。
「お母さんにもう少し優しくしてみては?」
「その話は二度とするな。分かったな」

そう言われてしまえば、義母の話はできなくなり、月日だけが過ぎていった。

同居して5年が経った頃、義父に呼び出された。
「健太郎と別れて、この町を出ていけ。資金なら俺が出す。これ以上ここにいてはいけない」
「意味が分かりません。何か失礼がありましたか?」
「そうじゃない。まだ籍を入れてないんだろ。今なら傷も少なくて済む」

私は首を振った。
「私、お店を持つのが夢だったんです。それを捨ててこの家に来ました。中途半端な覚悟じゃなかったんですよ。お客さんを途中で放って出るわけにはいきません」
「そうだよな」

義父は黙ってしまった。ただ、私はその話を健太郎に伝えることができなかった。

1ヶ月後、義父が事故に遭った。出先で急に胸を押さえ、階段から転落したのだ。病院で、以前から心臓を患っていたと聞かされた。意識はなく、このまま目覚めない可能性もあるという。ショックを受ける私の隣で、義母はかすかに微笑んだ。それは私が初めて見た彼女の笑顔だった。夫が重体だというのに。驚いて後ろの健太郎を見ると、彼の顔にもにやりとした表情が浮かんでいた。まるで父親が目覚めないことを喜んでいるように。

義母は家に帰ると、まるで別人のように饒舌になった。
「ボランティアなんて道楽はやめて、すぐ仕事を探しなさい。給料は全額入れること。家事も全部あなた。ただでこの家に置いてあげてるんだから、当然よね」
「3ヶ月先まで予約が埋まってるんです。親戚や近所の人たちも困ってしまいます」
「あんな人たちのことはどうでもいいわ。それとも、こんな私に働けと?」

健太郎に目を向けると、情けない答えが返ってきた。
「俺無理だよ。金ないし。でも家はあるんだし、なんとかなるだろ」

義母は毎日病院に通い詰めるようになった。すると健太郎が言った。
「母さんは今でも父さんにベタ惚れだからな。あんなにひどい態度されてるのに」
「怒鳴られてても、本人が幸せならいいんだよ」

私は何かが音を立てて崩れていくのを感じた。私は義母を守る必要などなかったのではないか。私がチーフの座を捨ててまでここに来た理由は何だったのか。健太郎は確かに言った。「母さんがかわいそうでずっと辛かった」と。

そして今、彼は「本人が幸せならいい」とはっきり口にした。

私はいいように騙されて利用されたのか。

義父が入院してから、健太郎は一日中家でゴロゴロしていた。
「やっぱ家はいいわ。うるさい声も聞こえなくて快適だな」
「1度くらいお見舞いに行ったら?」
「意識ないなら言ったって無駄じゃん」

私は早朝から家事を済ませ、義母の送り迎え、その合間に訪問カット。夜には疲労困憊だった。健太郎に頼むと、彼は吐き捨てた。
「家事育児、介護は女の仕事だろ?」
「じゃあせめてお母さんの介護を手伝って」
「母さんなら1日中病院だし。アカだって相当楽になったはずだよ」

彼はすっかり変わってしまった。いや、私が見抜けなかっただけで、これが本性だったのだ。

ある日、忘れ物に気づいて家に戻ると、健太郎が私のクローゼットを物色していた。
「掃除をしてたんだ」

あれはどう見ても物色だ。義父の声が脳内で再生される。「金の匂いを嗅ぎつけるのだけは一人前」。

私は叔父に相談することにした。訪問美容で貯めたお金は1000万円近くあった。叔父に通帳を預かってもらうようお願いすると、彼は豪快に笑った。
「俺はこんな橋金に手をつけることはないから安心しろ」

数日後、叔父が家に来て言った。
「健太郎さん、政治の入院費は俺が全部払う。だからアカさんにはこれまで通りボランティアを続けさせてやってくれ」
「そういうことなら」
「町の人とも相談したんだが、無償では申し訳ない。1人1000円ずつ払うことにした。月10万程度だが生活費にはなるだろう」
「さすがおじさん。これで全部解決だ」

叔父は一呼吸置き、健太郎に告げた。
「健太郎、お前は母さんの介護と家のことをやれ」
「でもそういうのは女の仕事じゃん」
「俺は男だが、家事も介護もちゃんとやってる。お前だってアカが来る前はやってたじゃないか。それが嫌なら稼いでくるんだな」
「手を抜くなよ。毎日見に来るからな」

健太郎はがっくりと項垂れた。彼は義父同様、叔父にも逆らえない。

だが、その夜、ついに健太郎が本性を現した。
「アカがおじさんにチクったんだろう!」
「私は家の状況を相談しただけよ」
「父さんも叔父さんも、上手く手玉に取るよな。絶対に許さないからな」

そう吐き捨て、彼はどこかへ出かけていった。だが私は彼の脅しなど気にしていなかった。

数日後、仕事から帰ると玄関に女性物の靴があった。リビングのドアを開けた瞬間、一番見たくない顔がそこにあった。
「あら、アカ、久しぶり」

千明だ。20キロは太っただろう巨体にピンクのワンピース。厚化粧が不自然だった。
「健太郎君に呼ばれたの」

健太郎が千明を呼んだ。絶縁状態にあることは話していたはずだ。
「私は彼女と一生会いたくないって言ったわよね」
「たった2人きりの姉妹じゃないか。俺も父さんが倒れて家族の大切さが身に染みたんだ。アカも昔のことは水に流せよ」

これは復讐だ。千明は演技を始めた。
「健太郎さん、もういいわ。この子、昔から私のことを意味もなく嫌ってるの。アカが幸せに暮らしてるならそれで十分」

そう言って、千明は帰り支度を始めた。健太郎は「まだ来たばかりなのに」と言いながら彼女を送っていった。

その日から、私は健太郎と寝室を別にした。

ある日、千明が電話をかけてきた。
「ちょっと話があるの。家に行ってもいい?」

私は承諾した。この時、事態は動き始めていた。

千明が家に着くと、彼女は直接的な要求を突き付けた。
「健太郎と別れてくれない?」

私は理解した。千明は健太郎を奪いに来たのだ。かつて私の婚約者や交際相手を奪ったように。

しかし、私はもう準備を整えていた。叔父に頼んで調査を依頼していたのだ。調べた結果、千明は相当高齢の資産家、山倉氏と関係を持ち、その後、故人の貴重品を持ち逃げしていたことが判明したのだ。

私は千明に伝えた。
「千明、あなたが山倉さんからお金を持ち逃げしたことは知ってるわ。警察に話を通してある。あなたがこれ以上私に構うなら、全てを明かす」
「くっ……!」

千明は悔しそうに唇を噛んだ。

その夜、健太郎が帰宅した。彼は酔っていた。
「アカ、聞いてくれ。千明さんと……俺たち、そういう関係になったんだ」

私は思わず苦笑した。
「そう。知ってるわよ。ずっと前から」

「なんだと?」
「健太郎、あなたは私に何の価値も与えなかった。家事も介護も全て私に押し付け、稼ぎも不安定。それでいて、私が必死に築いてきた生活を壊そうとした」
「……!」
「もう決着をつけましょう。まず、あなたと千明さんは、私がここを出て行くことになる。そして、あなたたちは私が今までやってきたことを全て引き継ぎなさい」

健太郎は呆然とし、反論できなかった。

その後、私は正式に家を出る準備を進めた。義父が亡くなり、義母は廃人のようになってしまった。義父の遺言では、この家は私に売却されていた。義父は亡くなる前に、私に夢を叶えさせたいと、家を5000円で私に売却する契約を交わしていたのだ。

叔父が明かしてくれた真実は、私の想像をはるかに超えていた。

義母は、かつて義父と結婚するはずだった姉、美由紀の婚約者である義父に想いを寄せていた。義母は姉の結婚を妨害するため、石灯籠に体当たりして怪我を装い、「足が動かない」と言い続け、義父に結婚を迫った。嘘だと分かっていても、名家は体面を気にし、義父は愛のない結婚を選んだ。義母は義父に執着し、義父は離婚を求めたが、義母は離婚届を渡されるまで頑なに拒否し続けた。そして、いずれは自分のものにすると信じて、義父の気を引くために50年以上も歩けないふりをしていたのだ。

義母の本当の姿に、健太郎でさえ言葉を失った。

健太郎と千明は、義母の慰謝料500万円を探し回った。しかし、その500万円はすでに義母が墓地を購入するために使っていた。義父の隣に自分の墓を買い、義母は「斎藤家」として入るつもりだったのだ。

そして、健太郎と千明は、私の店のオープンを阻止しようとした。
「こんなの、おかしいだろ!この家なら5000万円は下らない。桁が違いすぎる。これは違法だ!」
「法的に何の問題もないわ。それとも、私たちの不動産会社に文句でも言う?」

私は冷たく言い放った。
「ここは私とお父さんの店よ。あなたたちには永遠に分からないでしょうね。お金が全てじゃないってこと」

彼らは最後まで懲りていなかった。私は叔父に頼んでもらい、健太郎と千明を義母と共に、山奥の廃墟のような家に送り届けた。そこは義父が義母に買い与えた家で、買い手もつかないような荒廃した場所だった。

「けっこうなところでしょう?」
「こんな場所、一秒も耐えられないわ!アカ、お願い、ドアを開けて!」

千明が泣き叫んでも、私は耳を貸さなかった。

「け太郎、あなたの自慢のブランド服と高級時計は、全て没収したわ。買い取り相場はちょうど200万円。5年間ヘルパーと母屋に払ったと思うと安いものよね」

車が走り去る中、バックミラーの中で2人は泣き叫びながら追いかけてきた。その姿は、みるみる土煙の中へ消えていった。

あれから5年が経った。私は自分の美容室を構え、今も大忙しだ。店舗と訪問カットは3ヶ月先まで予約でいっぱい。スタッフも5人になり、叔父の会社の美容部門として開業した。町の人たちは今も温かく、叔父の家に毎日のように顔を出し、一緒に食事をすることも多い。叔父の息子である浩司さんも、介護事業に乗り出すそうで、私たちは少しずつ意識し合うようになっている。

私は十分すぎるほど幸せだ。義父が紡いでくれた大切な縁を、これからも大切にしていきたい。

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