「男の子を産めない嫁なんて、もう用済みよ。二度と帰ってこないでちょうだい。ここは、奪い捨て山ならぬ“嫁捨て山”ね。さようなら。」
義母はそう言い放つと、私を車から引きずり下ろした。そして、私を乗せたまま、車は静かに発進していった。
「お母さん、待って!行かないで!」
妊娠で大きくなったお腹を抱えながら、私は必死に追いかけた。でも、間に合わない。
「お母さん、置いて行かないで!」
叫んでも、車は止まることなく、山道の向こうへ消えていった。
どうしよう。どうすればいいの。
今回の旅行は、義母が「行きたい」と言ったから、この山奥のお寺まで車で連れてきたのだ。一応観光地ではあるけれど、人気スポットではないから、人通りもほとんどない。しかも、ホテルまで歩いて帰れる距離ではなかった。
その時だった。
「うっ……お腹……」
私の名前は尚子。専業主婦をしている。三年前に結婚し、現在は一人目を妊娠中だ。女の子だと分かっている。
結婚を機に、夫の大輔と義母との同居が始まった。初めは優しかった義母も、次第に本性を見せ始めた。私は両親を早くに亡くし、祖父母に育てられた。だから「家族のことが分かっていない」「嫁の仕事が分かっていない」と言っては、義母にこき使われ、文句や嫌味を言われ続けた。
「早く洗濯をして、布団を干して、買い物をして、ご飯を作りなさい。」
「お母さん、さすがにそんなにいっぺんには……。お腹も大きくなってきたので、家事も休み休みじゃないとできないんです。」
お腹をさすりながら困惑してそう言うと、義母は私を睨みつけた。
「この家を快適にするのは、嫁の仕事でしょう。働いてくれている大輔が心地よく過ごせるようにしないと。まったく、あなたは両親がいないから、そんなことも分からないのね。本当にダメな嫁をもらっちゃったわ。」
「すみません……」
家族というより、まるで奴隷のような扱いだった。妊娠してからは、さらにひどくなった。
「性別が女の子?冗談じゃないわ。必要なのは男の子でしょう。跡取りがいなければ意味がないのよ。この役立たず。あんたなんか、嫁にもらうんじゃなかったわ。」
義実家は家業をしているわけではないので、別に跡取りが必要な家ではない。それでも義母は、口を開けば「女なんか妊娠してどうするんだ」と怒り、近所にも「男の子を妊娠できなかった嫁」と言いふらしていた。
「女の子でもいいじゃないですか。孫の誕生を喜びもしないなんて……」
さすがに耐えかねて、夫の大輔に訴えた。しかし、彼は冷たく言い放った。
「はあ。母さんの言う通りだろう。家事ができない。男の子を産めないのも、お前が悪いんじゃないのか。それにさ、尚子は両親がいないから分からないだろうけど、母さんは愛情を持って厳しくしてくれているんだよ。そんなことも分からないの?」
愛情?あれのどこが愛情なの?ただの嫁いびりじゃない。そう思っても、彼は聞く耳を持ってくれなかった。
そんなある日のことだった。義母が突然、親戚みんなで一泊旅行に行くと言い出した。しかも、そこで義祖母の誕生日会を開くというのだ。義祖母は亡くなった義父の母で、現在は義父の姉である義姉が面倒を見ている。義母の話では、義祖母と義姉夫婦、夫の姉夫妻、そして私たちの三家族、総勢八名で行くという。
「尚子さん、あなたが全部、その手配をしてちょうだい。」
「え、今からですか?おばあさんの誕生日は来月ですよね。観光シーズンだから、どこもそう簡単にホテルは取れないですよ。」
誕生日まで一ヶ月もない。今からこの人数で手配なんて、無理な話だった。
「無理じゃない。やるのよ。嫁の役目でしょ。妊娠中だって言い訳して、家事もろくにできない役立たずなんだから、こういう時くらい役に立ちなさいよ。」
そう言って、全ての手配を私に押し付けてきた。
「ねえ、大輔。今からホテルの手配なんて無理よ。ネットで検索したって、どこも空いているはずないわ。お母さんに無理だと言ってほしいの。」
夫に相談するが、彼は嫌そうに顔を歪め、ため息をついた。
「どうして俺が。頼まれたのは尚子なんだから、お前が何とかしろ。専業主婦なんだし、どうせ暇だろ。俺は仕事で忙しいんだよ。」
そう言って、助けるつもりは微塵もないようだった。仕事が忙しいと言って逃げたわね。そもそも、今までおばあさんの誕生会なんてやったことないじゃない。急にこんなことを思いついて私にやらせるなんて、ただの嫌がらせだわ。
案の定、義母が指定した行き先の周辺ホテルはほぼ予約で埋まっており、今から取ることなんて困難だった。
「皆さんバラバラなら、ホテルの予約が取れそうなんですが……」
仕方なく義母にそう言うと、彼女は目を釣り上げて怒り出した。
「バラバラだなんて意味がないわ。家族なんだから、みんな同じホテルじゃなきゃ楽しくないでしょう。そんなことも分からないの?ちゃんと探したの?グズだから探し方が下手で、予約も取れないんじゃないの?もうやると決めたのだから、あなたが何とかしなさい。」
同じホテルがいい、でも部屋は三家族で別にしたい。なんて無理な要求だ。私は実家に帰り、祖父母に愚痴をこぼした。
「それは大変だなあ。そんな大人数は、今からだと難しいってことが分からないのかな。」
祖父は顎に手を当て、考える仕草をした。まだ現役で仕事をしている祖父は、世の中の流れをよく分かっている。
「お母さんは分かっててやっているのよ。おばあさんやおばさんやお姉さんたちにも連絡済みで、日程は確定しているようだし、もう予定をずらせないわ。なんとしてでもホテルの予約を取らないと。」
大きなため息をつくと、祖父も一緒にホテルを探してくれると言ってくれた。祖母はお茶を出しながら、私のお腹を気遣ってくれた。
「妊娠中は動くのも辛いわよね。力になれることがあったら、何でも言ってね。」
「ありがとう、おじいちゃん。おばあちゃん。」
いつも優しい祖父母に感謝を伝えた。
「そうだ。あちらのおばあさんを車に乗せる可能性もあるだろう。もしもの時のために、ドライブレコーダーをつけておくといいんじゃないか。」
祖父の提案に、私も大きく頷いた。
「そうだね。必要になるかもしれない。観光地だし、もしぶつけられたとか事故にあった時に、ドライブレコーダーがあったら安心だろう。」
帰り道にドライブレコーダーを購入し、早速車に取り付けることにした。そして、祖父母の協力もあって、なんとか無事に旅行の日を迎えることができた。
「おはよう、尚子ちゃん。今回、色々と手配してくれてありがとうね。大変だったでしょう。」
「おはようございます。お姉さん。祖父母に手伝ってもらって、なんとかホテルが取れました。一安心ですよ。」
義姉の香織さんは、とても優しくて、いつも私を気遣ってくれていた。今回のことも、「仕事で忙しくて何も手伝えずごめんね」と言ってくれていた。急な提案だったから、心配してくれていたのだろう。
義姉夫婦、義祖母、私と義母の三台の車で、観光地へと向かった。
「大輔さんがいなくて残念ですね。」
夫は急な仕事が入ったから遅れるということで、夕方に合流する予定になっていた。
「あの子はあなたと違って、忙しいのよ。たくさん仕事を任されているから、休日出勤も多いらしいし、色々と大変なのよ。」
そう言いつつも、仕事で頼りにされている息子が、どこか誇らしげだ。確かに以前から休日出勤はあったが、最近はほぼ毎週だ。今日くらいは仕事を休んでくれてもいいのに、と心の中でため息をつく。
「みんな、それぞれ観光地を巡るそうだし。大輔が来るまでは、お母さんと二人か。」
憂鬱な気持ちになりながら、ホテルの部屋に義母と荷物を置きに行くと、一休みする暇もなく、義母が私に地図を見せてきた。
「尚子さん、私、ここのお寺を見に行きたいのよ。連れて行ってちょうだい。」
義母が示した場所は、ホテルから離れた山の奥にある小さなお寺だった。昔の偉人が建てたらしく、知る人ぞ知る観光地らしい。ただ、どこの観光マップを見ても載っておらず、マイナーな場所のようだ。何か目新しいものがあるわけでもない。
「どうしてこんなところへ行きたがるのだろう。」
疑問に思ったが、義母が行くと言って譲らなかったので、私は車を走らせた。くねくねとした山道を登り、たどり着いたのは、寂れていて、私たちの他に観光している人などいないお寺だった。
「お母さん、本当にここで合っていますか?誰もいなさそうですけど。」
「さあね。尚子さん、上まで行って、ちょっと見てきてちょうだい。」
「え、私がですか?」
お寺を見上げて、顔を引きつらせる。お寺の上までは、何十段もある長い階段を登らなければならない。上まで行って戻るのは一苦労だ。しかし、義母は行けと言って譲らなかった。
仕方なく、車に義母を残して、階段をゆっくりと登っていく。踏み外したら、お腹の子がどうなるか分からない。慎重に行かないと。半分まで登ったところで、お寺の看板が見えた。
「ここで間違いなさそうだ。義母に伝えよう。」
そう振り返った時だった。義母が運転席に座って、エンジンをかけているところだった。
「お母さん、何しているんですか?」
嫌な予感がして、慌てて階段を降り始める。しかし、転ばないようにしなければならないので、急ぐことができなかった。義母は運転席の窓を開けて、笑い声をあげた。
「男の子を産めない嫁なんて、もう用済みよ。二度と帰ってこないでちょうだい。さあ、ここは奪い捨て山ならぬ、嫁捨て山ね。さようなら。」
義母はそう言い放つと、車は私を乗せることなく出発した。
「お母さん、待ってください。行かないで。」
妊娠中の大きなお腹を抱えながら追いかけるが、間に合わない。
「お母さん、置いて行かないで!」
義母に叫ぶが、車は止まることなく走り去っていった。
そんな。どうしよう。
一応観光地ではあるけれど、人気スポットではないので、人通りも少ない。しかも、ホテルまで歩いて帰れる距離ではなかった。歩いていれば、誰かが車に乗せてくれるかもしれない。そんな淡い期待を持ちながら、ホテルを目指して歩くことにした。しかし、こんな山道を通る車も、ほぼいなかった。
次第にあたりは暗くなり始め、歩きにくくなってくる。
「困ったわ。足元が見えにくい。」
途方に暮れていると、一台の車が止まった。そして、中から出てきた人に、私は目を丸くする。
「どうしてここに?」
「尚子ちゃんだよね。こんなところで何しているの?」
車から出てきた男性は、私の従弟だった。そういえば、この子はこの近くに住んでいた。私はこの車に乗せてもらい、ホテルへ連れて行ってもらいながら、事情を説明した。従弟は大変驚き、同情してくれた。
従弟のおかげで、無事にホテルに到着。部屋へ戻るなり、夫がひどい剣幕で詰め寄ってきた。
「尚子、お前、浮気したな。」
「え?何よ、急に。何のこと?」
「知らばくれるな。今、男の車から出てくるところを見たんだぞ。母さんが、尚子が一人で勝手にどこかへ行ったって言うから心配していたら、堂々と浮気していただなんて。お前は本当に最低なやつだな。」
そう捲し立てられて、絶句する。
「浮気なんてしていない。それに、勝手にどこかへなんて言っていないわ。私はお母さんに置いて行かれたのよ。」
しかし、夫は頭に血が登っていて、聞く耳を持とうとしない。追い討ちをかけるように、義母も夫の言葉に便乗し始めた。
「まあ、なんてこと。尚子さんがいなくなっていた間に浮気していたなんて、ひどい嫁ね。大輔がかわいそう。もうお前は夕飯なしだ。」
そう言うと、フロントに電話をして、私の食事をキャンセルしてしまった。誤解だと反論する私を無視して、義母と夫は夕食を食べに行ってしまった。
もう何なのよ。疲れ切っていた私は、二人の後を追いかけて怒りに行く元気も気力もなかった。もういいや、とベッドに横になると、そのまま眠ってしまった。
目を覚ましたのは、夜中だった。私はこっそり部屋を抜け出すと、露天風呂へと向かった。すると、遅い時間にも関わらず、湯船に義母がいて、私は顔をしかめた。私は寝ていたが、義母の姿までは確認しなかったな。まさか、お風呂に入りに来ていたとは。
「あら、あなたも来たの?」
義母は迷惑そうな顔をして、湯船から出てきた。もう出るのだろう。ほっとして、体を洗い、湯船へと向かった時だった。湯船に足を入れようとした瞬間、後ろから思いっきり誰かに背中を押された。一瞬、義母がニヤッと笑ったのが見えた。大きな音を立てて、湯船に落ちる。
「尚子ちゃん、大丈夫?」
私を引き上げてくれたのは、義姉だった。義姉は外の露天風呂にいたらしく、大きな音がして戻ると、私が湯船に落ちていたのだという。義姉に抱えられて脱衣所へ行き、フロントに連絡してくれた。お腹の子が心配だった。ホテル側が医者を呼んでくれたが、幸い怪我もなく、お腹の子も無事だった。
「よかった。でも、急変したら怖いから、安静にしていてね。ありがとうございます、お姉さん。」
「義姉の迅速な行動のおかげだ。」
「お母さんが逃げていくところを見たわ。あの人、最低ね。」
義姉は顔を歪めた。元々、義母と義姉はそりが合わず、疎遠気味だった。今回は義祖母のため、仕方なく集まってくれたらしい。お腹の子は無事だったけれど、一歩間違えば大変なことになっていた。いくら女の子を妊娠したことが気に入らないからと言って、ここまでするのは、さすがに許せない。
私は今まで抑え込んでいた怒りが、お腹の底からふつふつと湧き上がってくるのを感じた。今までは家族になったんだからと我慢してきたけれど、それももう限界だ。子供まで傷つけようとするなんて、許せない。見てなさい。倍返ししてやる。
その日は、義姉の部屋に泊めてもらった。翌日の誕生日会は、ホテルの広間を予約して開催された。
「尚子さんは体調不良で欠席するそうです。すみません、お母さんのせっかくの誕生日会なのに、ダメ嫁で。後で私がしっかり言いつけておきますね。」
義母が申し訳なさそうに義祖母に謝った時だった。
「残念ながら、私は元気にしていますけど。」
そう言って部屋に入ると、義母が驚いて立ち上がった。
「あ、あら、尚子さん。体調が悪かったのでは?」
「いえ。ああ、昨日の夜、お母さんにお風呂に突き飛ばされましたけど、お腹の子も私も無事でした。」
そう言うと、義母はさっと顔色を変えて慌て出す。
「何言っているの、尚子さん。私がそんなことをするはずないでしょ。」
義母の慌てぶりに、義姉や叔母が顔をしかめる。
「どういうことかしら。説明してくださる。」
義祖母に促され、私は昨日の夜に大浴場で義母に押されてお湯に落ちたことを話した。医者に見てもらい、お腹の子は無事だったが、一歩間違えば大変なことになっていた。また、昼間に山奥へ置き去りにされたことも話した。
「お風呂は、たまたまぶつかっただけでしょう。昼間も、置き去りにしたんじゃないわ。あなたが車に乗っていると勘違いしたの。」
見苦しい言い訳をする義母に、私は冷めた目で告げる。
「そんな言い訳は通用しません。あの車には、私が事前にドライブレコーダーを搭載していました。あなたの言動も、やったことも、全て記録されています。それに、その後ホテルまで車に乗せてくれた男性は、浮気相手ではなく私の従弟です。」
「嘘をつくな。従弟がそんな都合よくいるわけないだろう。」
夫が怒鳴るが、私は首を横に振る。
「いるんです。だって、このホテルは私の祖父母が経営しているんですから。従弟はここで支配人をしているんですよ。」
そう言うと、夫は絶句した。
「う、嘘よ。そんなの出任せだ。」
「嘘じゃありません。ホテルを探したけれど、どこもいっぱいで困っていたので、祖父母に相談したんです。そしたら祖父母が協力してくれて、部屋を開けてくれたんですよ。従弟は昨日、ちょうど取引先からホテルに戻る途中だった時に、置いて行かれて困っていた私を見つけてくれたんです。」
すると、黙っていた義姉が口を開いた。
「浮気していたのは、あんたでしょう。」
「何を言い出すんだよ、姉ちゃん。」
夫は顔を引きつらせた。
「昨日、観光していたら、知らない女と仲良さそうに腕を組んで歩いている大輔を見かけたわ。仕事だなんて言って、浮気していたんでしょ。あんた、言い逃れしても無駄よ。私の車にもドライブレコーダーが搭載されていて、あんたがばっちり映っているから。」
夫は真っ青になって俯いた。義母は「仕事って言っていたじゃない。嘘をついていたの?」と夫を責めていたが、夫も「置き去りにしたり突き飛ばしたり、ひどいことした母さんに言われたくない」と怒鳴り返していた。
すると、それを見ていた義祖母が怒った。
「いい加減にしなさい。嫁いびりなんて、もう終わりよ。こんな恥晒しは、絶縁よ。」
そう宣言されると、義母は真っ青な顔でその場に崩れ落ちた。
この一件から、夫と義母は親戚中から完全に見放され、孤立した。義母は義祖母の遺産を目当てに、今のうちに媚びを売っておこうとしていたらしいが、絶縁宣言でそれも全てパーになったようだ。
その後、私は夫と離婚し、慰謝料と養育費を一括でもらった。また、義母に突き飛ばされた件については、警察には言わずに示談にして慰謝料をもらうことで解決した。正直、もう二度と関わりたくないという気持ちが先行した結果だ。
家族だといえば、何でも許されるわけではない。家族だからこそ、お互いを大切にし合わなければならないのだ。義母と夫を見て、家族とはどうあるべきかをよく学んだ出来事だった。
あれから生まれた子供は、元気に育っている。私はこの子と、お互いを思いやれる家族を作っていこうと思っている。



